セメタリー・ゴッデスの密葬

    作者:日暮ひかり

    ●scene
     奇妙な光景だ。けれど、何故だか胸のつまるような既視感をおぼえる。
     四方を壁に囲まれたその地下室は、床も、壁も、天井もすべてが白い。ただ、壁には数十人の遺影が並べて掛けられていた。
     部屋の中央で異様な威圧感を放つのは、墨のように黒い巨大な焼却炉。その周囲には、蟻のような人間がひしめく。小人ではない。千人足らずが一様に黒い喪服を着て、虚ろな眼をした蟲のように、背中を丸めて歪な行列を形成している。ゆえに蟻に似ているのだった。泣いている者の姿も多く見られた。
     一人だけ、白い祭服を着た女がいた。
     肌も白ければ、髪の色も白い。瞳ばかりが黒々とした女は焼却炉に寄り添い、本を掲げて不思議な呪文を唱えている。傍らには喪服の老婆。厳かに目を閉じ、神妙な表情で女の声を聞いている。
     
    『――それでは、別れの時間です。ご安心なさい。貴女の生命により、また多くの生命が救われます……』
    「妙子ばあちゃん!! 嫌だ、妙子ばあちゃぁぁん!!!」
    「いいんだよ、もう私ゃ老い先短いんだから。あんたたちは少しでも長く生きて、ここから出る方法をお探しよ……」
    『時間です』
     祭服の女はにこりと微笑んで、妙子と呼ばれた老婆を巨大焼却炉に叩きこむ。
     逆らう事は不可能だ。女は不可視の力に護られ、立ち向かった者は皆殺された。
     扉を閉め、火をつける。中からあがる苦悶の声と、人々の嗚咽をかき消すように、祭服の女は高らかに叫ぶ。
    『今、一人の尊い生命によって、人の子は施しを得ました。どうぞお食べなさい』
     女が人々にパンや水をばら撒きはじめた。すると人々は行列を崩し、他者を押しのけ、踏みにじりながら、血眼で食料を奪い合う。
     この密室内に他の食料は存在しない。口にできるものは、女からの施しだけ。
     誰かが生贄になる毎に、女は食料をばら撒いたが、それすら全員に行き渡る量ではない。
     
     踏みつけられ、あるいは飢えのあまり、また数人の命が潰えてゆく。
     女はそれらの死体も焼却炉に放り込むと、壁に新しい遺影を掛け、慈母の如くに微笑むのだ。
    『飢え、踏まれ、蟻のように死にたいですか? それとも妙子様のように、人の子として誇りをもって死を迎えますか? 死を待つばかりの生で良いのかお考えなさい。真に勇気ある者にこそ、天国の扉は開かれるでしょう』 
     
    ●warning――白と黒
     月が出ている。
     空を見上げていた関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)は、仲間達が追いついた事を確認すると、一つの墓の前にしゃがみこんだ。
     夜も更けた松戸市。まだ真新しい墓石が月光を受け、厳かに輝きながら整然と並ぶ一角だった。峻は墓に軽く手を合わせると、墓石を掴んで力を入れる。
    「罰当たりな奴だなアツシ。少々気がひけるが……」
     すると、なんと墓石が横にスライドした。下から現れたのは、地下へと続く階段だ。
     ゴッドセブンの一人、『密室殺人鬼』アツシが作った密室――その一つがここ八柱霊園にある事を、峻がつきとめたのだ。
    「この下に、さっき話したアツシ配下のソロモンの悪魔が居る。捕えられているのは霊園や、付近の斎場に訪れた人だと思う。奴は神の使い気取りで食料を管理し、陰湿な手段で人々を虐げ、死に追いやっている。一般人の倫理観に悖る行為を一般人に行わせる……悪魔は、そうやってサイキックエナジーを蓄えるんだったよな」
     峻はそう言って、地下へライトを向けた。
     長い階段を下りた先には白い壁があった。怒号とも悲鳴ともつかない声が、その向こうからかすかに聞こえてくる。
     ――いま、密室内部でまた誰かが生贄になったらしい。
     食料を奪い合っているのだ。この混乱に乗じて潜入すれば、敵にすぐ気付かれることはまずないと思われる。
     
     潜入後、即ダークネスを奇襲することを試みてもいいが、何せ閉じ込められた人々も必死だ。中央の焼却炉に近づくには一苦労すると考えられる。
     或いは騒ぎが収まってからでもいいだろうし、何か考えがあるならあえて正面から戦いを挑むのも悪くないだろう。
     また捕われた一般人は空腹と心労で衰弱しており、体力や判断力がだいぶ鈍っている。密室の出口は一つで、また隠し扉になっているため、彼らが自力で見つける事は不可能だ。
     何にせよ、いつもと同じように動いてくれる保証はない。犠牲を増やさず逃がすには、彼らが置かれた状況を考え、気遣ってやる必要がありそうだった。
     時間が惜しい、といった風に、峻は白い壁に手をつく。
    「豊たちエクスブレインにも意見を訊いてみたんだが、中の事は全く予知できないそうだ。俺達だけでやるしかない。……頼んだぞ、皆」
     何が起きるかわからない。だが、進む。これ以上の犠牲は避けたい、その一心だった。
     回転扉がゆっくりと開いていく。溢れるほどの白と黒が、視界を覆った。


    参加者
    風宮・壱(ブザービーター・d00909)
    万事・錠(ハートロッカー・d01615)
    神條・エルザ(クリミナルブラック・d01676)
    関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)
    神西・煌希(戴天の煌・d16768)
    狂舞・刑(暗き十二を背負うモノ・d18053)
    アルディマ・アルシャーヴィン(リェーズヴィエ・d22426)
    白樺・純人(ダートバニッシャー・d23496)

    ■リプレイ

    ●1
     密室が開いた時、誰一人として灼滅者達に気付く者はなかった。
     人々は皆、己の命を繋ぐ事に必死だ。悪魔は幸い背を向けており、どのような顏で民衆を眺めているのか窺い知る事はできない。
     騒乱からやや離れ、後方に佇む母娘の姿があった。既にパンと水を手にしている。風宮・壱(ブザービーター・d00909)と白樺・純人(ダートバニッシャー・d23496)は二人の口を塞ぐと、仲間の影に隠れ回転扉の裏へ連れ出した。
    「出口を見つけたんだ。この階段を上がれば外だよ、先に逃げて」
     母娘は一瞬戸惑ったが、意を決し階段を上がっていく。皺だらけの喪服を見て仲間だと考えてくれたらしい。この方法で逃がせるのは確かに一、二人が限度だ。だが、確実に助けておきたい。
     二人が中に戻ると、既に仲間は散った後だった。頭一つ大きい万事・錠(ハートロッカー・d01615)の姿が人混みの奥に見えた。純人は食料を追うふりをしながら、彼の反対側へ移動する。
     不意に、悪魔が向きを変えた。
     逃走に備え、出入口方面にいた神條・エルザ(クリミナルブラック・d01676)の胸が大きく鼓動を打つ。まさか。もう看破されたのか。だが女は食料を投げる方向を変えただけだ。人混みがそちらへ移動し、アルディマ・アルシャーヴィン(リェーズヴィエ・d22426)や神西・煌希(戴天の煌・d16768)も流れに飲まれかける。人心を弄ぶ悪魔を、狂舞・刑(暗き十二を背負うモノ・d18053)は只々無表情に眺めていた。他人任せなアツシの殺り方に、刑は今一つ興味も共感も抱けない。
     灼滅者達の前で、人々は食料を奪い合う。他者を押しのけ、踏みにじり、時には横取りも辞さない。その地獄絵図は蠱毒の壺を想起させた。
     正気の沙汰ではない。だが、煌希はむしろ彼らへの同情を深めた。他者を犠牲にし、生きながらえる事を続ければ、普通は罪悪感や嫌悪感に耐え切れなくなる。
     彼らは生きる為、人の精神を殺した。壺の中で、仲間をも喰らう蟲に戻った。
     ダークネスの悪趣味さには相変わらず反吐が出る――煌希はそう思った。追い詰められた人々の狂気を目の前に、アルディマも今は一般人の救出を最優先すべきだと思い直す。アツシの情報は一先ず後回しでいい。
    「……!」
     エルザの目の前で男性が転び、人の波に押し潰された。
     一歩、一歩と人が動く度、足下から苦しげな叫びが響く。
     助けよう。エルザは反射的に考え――思い留まった。独断で行動はできない。
     同じ光景に出くわした仲間も、皆彼女と同様の判断をした。奇襲まで目立たず、不用意に動かないという方針は一致している。つまり今の段階で出る数人の犠牲ばかりは、やむなく見過ごす他なかったのだ。
     冷静の仮面で心を覆いながら、エルザは己の無力を呪った。
     『理解』は、している。
     だが、心がざわめく。舌が痺れる。多少の犠牲もやむなしと簡単に割り切れるなら、贖罪の剣など握ってはいない。
     ――何故人を殺める。人を選別できる。何故世界は大罪に満ちる? 足掻いても護れないのなら……。
     私は、何の為に戦って来たんだ。

    ●2
     やがて、密室は嘘のように静かになった。
    『さあ、勇気ある者は神の前に挙手をなさい。誇り高き人の御霊が天へ導かれる時、慈雨が万民を祝福します。さもなくば皆死に絶えるでしょう』
     悪魔の囁きに、皆周りの顔色を窺う。頼む、誰か『生贄』になってくれ。誰もがそう願い、同時にその薄汚い願望を否定する。
     そんな中、一人弱々しく挙手する青年の姿があった。
    「もう嫌だ。……死にたい」
     憔悴した様子で俯く喪服の青年に、悪魔は遠くから微笑みかける。
    『よくぞ決意されました。どうぞこちらへ』
     眼を伏せる者、知らぬ顔の者、人々の反応は様々だ。灼滅者だけが彼の名を知っている。関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)。
     峻は小さく頷いた。全ての感情を奪われたような表情で、力無く焼却炉に歩み寄る。人々は怯えたように道をあけ、何人かは合掌して祈り始めた。
     このまま本当に燃えてしまうのではないか。錠はふと怖ろしい錯覚を覚え、振り払う。

     一歩、一歩。
     近づく毎に、忌々しさで胸が焼ける。
     何れ程の命を弄ぶ。全て救いたいが、掌から零れ落ちる砂のようで。
    『――。貴方は、』
     辛い。
     悪魔が目を大きく開いた。
     峻の眼に、急激に生気が戻ってくる。
     諦めてたまるか――能う限り、救う。

     仄蒼い白の障壁が峻の拳を包んだ。真っ直ぐに地を蹴った峻に対し、悪魔は呪文を唱え、不可視の圧力で前進を阻んだ。体中にかかる力に抵抗しながら、峻はじりじりと悪魔に詰め寄っていく。その眼も、声音も、珍しいまでの怒気で尖っている。
    『反逆者でしたか。独りで殊勝な事ですが、神への冒涜とみなします』
    「聖職者気取りか。猿芝居は止めろ……これ以上命を踏み躙るな……!」
     その時だ。右後ろから錠が、左後ろから純人が、同様に障壁を展開させ飛びだした。彼らの存在に気付いていなかった悪魔は、虚を突く攻撃を避けきれない。
     痛打を受けた後頭部から血を流し、悪魔が床に倒れる。周囲の一般人は反射的に声を上げ、離れた。錠はすぐに峻の隣へ走る。
    「あんま気負うんじゃねェぞ。いつも通り暴れてやろうぜ!」
    「……ああ。心配かけてすまない」
     悪魔は立ち、周囲を眺める。一般人に紛れ散開していた喪服の灼滅者達が、女を四方から包囲していた。
    「これより宴を……開始する」
     足元から立ち昇った闇が鎖の形を成し、蛇のように刑の左腕に巻きついていく。忌まわしい数字をその身に刻む黒い殺人鬼は、どこまでも冷淡に呟いた。右手に握られた紅黒い短刀が、悪魔の血を欲するかの如く女の踵に深く食い込む。
    「アンタの卑しい生命によって人の子等に施しを与えよう……なんて、な」
    『……宴にございますか。招かれざる不敬者には相応の歓迎を』
     だめ押しにサーヴァントのきなことニュイが主人の元を離れ、包囲に加わる。のんびり屋のきなこも、普段はそっけないニュイも、今は真剣な眼で敵と向き合っていた。
     逃走できる隙は無い、と判断したのか。悪魔は静かに微笑むと、場から離れる一般人の背を見て爆破の呪文を詠み始めた。
     予想はしていた。それでも庇いきることはできず、数名が被弾する。
    「熱い! 熱いッ! 助けてくれ……!!」
    『力ある者よ、無力な人の子を救いにきましたか。賢明ですわ。真に全てを救おうと願うなら、【誇りある死】を願えば良いのですよ。しかし貴方がたはそれが出来ないと――【今の自分には全てを救えない】と、冷静に分析されているようです』
    「私達が死を望めば人々を解放したと? ふざけるな。それに今更何とでも言える。貴様の戯言など鵜呑みにすると思うな」
     アルディマは低く呟くと、身の丈ほどの杖で悪魔に打ちかかった。純人の眼に狂気めいた光が宿り、錠もにやりと笑う。
    「……誇りをもった死? 誇りも埃も変わらない、下らない」
    「生憎俺も天国に興味はねェんだ。地獄でアンタとバラしあう方が俄然痛快だぜ」

    ●3
    「酷え事しやがんなあ。どうする壱」
    「……俺は大丈夫。全員助けるつもりで来たけどさ……覚悟はしてたから。色々ね」
     火達磨でもがき苦しむ人々を前に、避難を担当する煌希と壱も憤りを禁じ得ない。だが心を鬼にし、予定通り動く事を選ぶ。多か少か、両方救う余裕はない。最も単純で、何より辛い取捨選択に、二人は耐えた。
    「――俺たちは、あなたたちを助けに来た!!」
     壱の真っ直ぐな、鬼気迫る訴えが悲鳴を打ち破り、密室に響き渡る。併せて煌希が王者の風を使うと、人々の動きがぴたりと止まった。
    「自分を責める気持ちに耐えて、ずっと辛かっただろうなあ。あの女は俺たちが倒すぜえ。みんなで助け合いながら、できる限り壁際の隅の方に寄ってくれ」
    「中央は危ないから、落ち着いて全員下がって。動けない人は周りの人が助けてやって。みんなで生きてここから出よう!」
     助け合い。忘れかけていた言葉に、人々ははっとする。
     だが不審の呟きもちらほら聞こえた。今あいつらを見殺しにしただろ。出るって、出口はどこ。あの女が死んだら食べ物は――壁際に下がれ、という指示は聞いてくれたが、弱者達は前方に取り残されている。皆すっかり人を信じる心を失っているようだ。
    「神西」
    「わかってる」
     ここで怒りや絶望に呑まれては駄目だ。壱と煌希は率先して弱っている者に肩を貸し、壁際へ連れて行く。そうなると、わざわざ異を唱える者もいない。
     中央の仲間も、これ以上一般人を死なせまいと必死だった。一際がむしゃらに戦っているのがアルディマだった。まるで痛みなど感じていないかのようだ。
     前衛は更に悪魔の怒りを引き続けた。全員を巻きこむ魔術で腕が凍り始めても、アルディマは構わず歩を進める。早く。一秒でも早く。己の傷を癒す時間すら惜しい。仲間や一般人を護れる、唯一絶対の確実な方法は。
    「今は貴様より、此処の人々の安全が先だ。消えろ」
     峻厳の杖に炎の魔力を籠め、足取りを鈍らせた悪魔の頭部めがけ打ち下ろす。誇り高き魔術師の血を燃やし、アルディマは捨て身の猛攻を放つ。灼滅者達は軍隊のように統率された動きを見せ、いかなる不測の事態にも決してぶれない。
    「俺……君達を信じるよ」
     狼狽える者に命を預けようとする人間はいない。その固い意志と、強い団結が、この密室において何よりの説得力となる。一人、また一人、余力のある者が壱と煌希を手伝い始めた。二人は顔を見合わせ、彼らに心から礼を述べる。
    「さて。アンタ一人の生命で、どれだけの生命が救われるだろうな?」
    「悪ィな、天国は通行止めだ。地獄に落ちなァ!」
     刑は嘲るように言い放つと、殺刃器で悪魔の祭服を裂いた。その上から、錠が赤標識で滅多打ちに殴る。ソロモンの悪魔は基本的に戦いが不得手な種族だ。前衛間で高威力の近接回復を使いあい、癒し手の不足も補えている。勝ち目は、ある。
     女の撃った魔矢が胸部を貫通したにも関わらず、峻は少しも躊躇わず敵の胸を貫き返した。剣を振るう度、武器飾りが狼の遠吠えを奏でる。手袋に染みる悪魔の血はひどく冷たかったが、掌が砕けんばかりに剣を強く握り続ける。
     人が死ぬのをもう見たくない。
     人が死ぬ音を聞くのも嫌だ。
     護る為なら、幾ら傷が増えても構わない。
    「峻、下がれ!!」
     錠の声がやけに遠い。
     褐色の腕に掴まれ、引き寄せられる。追撃の矢が頬をかすめ、後方の遺影を貫く。
     物言わぬ犠牲者達が、皆を見ている。
    『成程、騙し討ちでもなかった、と』
     掌に氣を集めていたエルザはその一言にはっとした。
     生贄になった人々の想いはよくわかる。我が身の犠牲で全てが収まるなら、エルザは本当に生贄になったって構わなかった。
     だから気付いた。或いは、峻も今――限りなくそれに近い心境ではないのかと。
    『貴方がたを【誇りある死】へ導けない私の無力をお赦し下さいね』
    「――ッ! 黙れ、悪魔ッ!!」
     エルザの放出した氣の塊が悪魔の眉間を撃ち抜いた。
     かつて尊敬した女のように、ここぞという時で自らを投げだせない。そんな己の無力を嘲笑う内なる淫魔の声が、悪魔の諧謔と重なって響く。エルザの中で呪いのように渦巻いていた負の心が、一気に圧し掛かってくる。
    「黙れ、黙れ黙れ黙れ……無力を嘲笑うなら……お前の力も貸せ!」
    「死に相応しい何かなんて、ないよ」
     どこか幼い声がばっさりと呪いを断った。
     純人が盾を構え、峻の負った傷を癒している。
    「それを強制するあいつはただの、汚れ」
     だから、掃除しなきゃ。
     綺麗にしなきゃ。
     掃除、綺麗に掃除、掃除、掃除、掃除。血と、灰の臭いに満ちた密室の中央で、純人は壊れた機械のように喋り続ける。途中から様子がおかしかった事には皆気付いていた。今の彼を過去から連れ戻す術は、誰も知らない。
     純人は虚ろな笑みを浮かべたまま、猛禽めいた鉤爪を振りあげた。
    「殺す」
     その時、澄んだ風が吹いた。
     赤い飾緒の軍刀を握った壱が風の中心に立っている。飾られた遺影を再度ぐるりと見回し、壱は銘のない剣の切っ先を悪魔に突きつけた。
    「この写真の人達だって生きたかったに決まってる。誇りなんかいらない。誰ももうこんなゲームで死なせない!」
     ここを出る時はみんなで。誰もが抱いた願いを、今再び呼び覚ますように。
     周囲の人々も感化されたように、親を、子を、伴侶を友人を返せと、愛する人の為嘆き、叫ぶ。唯一の出口から逃走しようにも、今は彼らが壁際に避難しているため容易には通れない。
    「どーもお疲れさん。強いヤツだけが生き残る、ってなあ」
    『……これが人の子の【誇り】ですか。お見事です』
     諦めたように微笑む悪魔へ、煌希は悪戯っぽく手を振り、勝気な笑みを返してみせる。ささやかな報復を終えた彼は縛霊手を構え、一斉攻撃に加わった。もう負ける理由はない。
    「俺は悪魔なんぞよりダチを信じてェ性質でな。テメェにはそんな相手もいねェだろ?」
    『人の子が皆兄弟であるように、私達ダークネスも皆兄弟なのですよ』
     錠はアツシとの関係にさり気なく探りを入れたが、女は当然のようにはぐらかす。ならば共に踊ってやろうか。悪魔が愛した白と黒の地獄で、最期まで。
    「テメェが弄んだ命の報復だ。劫火に焼かれてイイ声あげなァ!!」
     脚に炎を纏わせ、錠とエルザは左右から女を焼却炉めがけ蹴り飛ばした。アルディマも再度杖に炎を籠め、殴る。業火の中に浮かぶ黒い人影は、蟻のようだ。
     よく聞きなさい。
     私の、名前は、
    「斬られ、殴られ、蹴られ、撃たれ……蟻の様に無惨に、死ね」
     刑がその先を言わせなかった。
     影の鎖で四肢を捕らえ、四方へ強く牽引する。悪魔を防具ごと跡形もなく引き裂いて殺害すると、刑は最後まで無表情のまま、空虚な呟きを零した。
    「アツシには失望したっすね」

    ●4
    「じーさん平気か? 肩貸すぜ、無理すんな」
    「安全第一っすよ。ここに並んで、順番に進んで下さい」
     生き残った人々は一行に深く感謝し、誘導に従って順々に脱出した。残されたのは救えなかった人々。両手の指で数え足りる程度の、僅かな取り零し。
     黙祷を終えた峻は、損傷の少ない亡骸に仮の命を与えた。一行のとった方法は堅実な策の一つであったろう。仮に全てを救うための賭けに出ていたなら、全てを失っていた可能性もある。
    「すみません。妻と娘を見ませんでしたか?」
     灼滅者達にそう尋ねた男性は、最初に逃がした娘によく似ていた。
     これは失敗ではない。助かった、脱出できるなんて、有難う――蘇った死者の一言一言がどれほど重くとも、全て背負っていく覚悟をしただけ。どれほど悲壮に映ろうと、峻はけしてその生き方を曲げない。
     きっと、外で待ってます。早く行ってあげて下さい。震える声でそう返したのは誰だったか。
     階段の上から、やけに白い朝陽がさしていた。

    作者:日暮ひかり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年5月10日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 13/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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