夜の底には

    作者:佐伯都

     酔客や慌てて駆け込んだサラリーマンを乗せた車両が、ずいぶん遠くへ去っていって小半時。最終電車が通り過ぎてから始発電車の時間まで、だれもいない地下鉄路は眠るような静寂に包まれているはずだった。
     そんな地下トンネルの変容は音もなく、唐突に始まる。
     じんわりじんわり、天井や壁を這うケーブルの輪郭がにじむように歪み、あたらしい暗闇が陽炎に似た揺らめきでたちのぼった。
     やや生臭いような、下水の汚臭に似たような、すえた匂いがそこから微かに流れ出してくる。つい先ほどまで地下鉄の線路であったそこには、地下水を滴らせる土壁をさらした別物のトンネルが口を開けていた。
     
    ●夜の底には
    「少し前に、錠之内・琴弓(色無き芽吹き・d01730)からなぜか札幌市営地下鉄が深夜にダンジョン化している、という報告があったようだけど」
     灼滅者を待っていた成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)が、手元のルーズリーフをぱらりと一枚捲った。
    「南北線さっぽろ駅から北12条駅までの区間でも、この深夜営業ダンジョンが確認された。終電が通りすぎて始発が来るまでの間だから特に被害めいたものは出ていないけど、このまま放っとく理由がないからね」
     今はそこからアンデッドのたぐいが這い出してくるような事は起こっていないものの、この区間にはオフィス街や北海道大学のキャンパスが隣接している。早々に片付けてしまったほうがいいのは明白だ。
    「概要としては深夜一時過ぎごろ、さっぽろ駅から北12条駅に向かうまでの間がダンジョン化する。当然内部に明かりはないし、土をただただ掘っていった感じだから、崩れやすい場所もあるかもしれない」
     じっとり湿った内部は狭く、二人が並んで進むくらいがせいぜいなので、先頭を進む人間は多少選んだほうがよいだろう。
     灼滅者に有効な罠というものはなかなかないはずだが、脇道から突然アンデッドが飛び出してきたりするような事はあるかもしれない。
    「内部は複雑に枝分かれしているけど、一番大きなルートが本道と考えていい。脇道は犬猫サイズのアンデッドが通れる大きさしかないから、普通に道なりに進んでいけば奥まで行けるよ」
     ダンジョン内では野良猫や野良犬がアンデッド化したものが50体ほど徘徊しており、侵入者を排除しようと襲いかかってくる。最深部の比較的広い空間までたどり着いてしまえば、脇道に隠れていた個体も一斉に集まってくるはずだ。
    「道すがら応戦して数を減らしつつ、最深部で総仕上げ、という流れがオススメかもしれない」
     最深部にある広い空間は教室三つ分くらいはゆうにあるので、多数のアンデッドをまとめて迎え撃つにも不自由しないだろう。
     生息しているアンデッドを全て討ち取ればダンジョンは消失するはずだ。
    「ノーライフキングのダンジョンと地下鉄が繋がりかけている……という可能性が高いけど、そうなる前に対処さえしておけば何事もなく終わる可能性も高い」
     もしあちら側の数の暴力でダンジョン内のアンデッドに敗北したとしても、ダンジョンの外まで撤退してしまえばアンデッドは追いかけてこない。
    「自然現象か誰かが裏で何か企んでいるかどうかは知らないけど、何かあってからでは遅いからね」


    参加者
    シオン・ハークレー(光芒・d01975)
    御盾崎・力生(ホワイトイージス・d04166)
    暁吉・イングリット(緑色の眼をした怪物・d05083)
    深束・葵(ミスメイデン・d11424)
    霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)
    朔良・草次郎(蒼黒のリベンジャー・d24070)
    今・日和(武装書架七一五号・d28000)
    三和・透歌(自己世界・d30585)

    ■リプレイ

    ●AM1:13
    「なんだか淀んだ空気で、いかにもって感じだね」
    「……こう何度も続いてりゃ自然現象とも思えねぇが」
     じっとり、湿った空気の匂いを嗅いだシオン・ハークレー(光芒・d01975)の背後を固める形で、すでに封印解除し三対六腕の異形の人型となった朔良・草次郎(蒼黒のリベンジャー・d24070)が暗いトンネル内を見回す。
     かねてより札幌市営地下鉄南北線・さっぽろ駅の構内に身を隠していた灼滅者達は、コンクリートで補強されたトンネルの半ばがじわじわ歪み、水が揺れるように輪郭を変えて、どこか生臭い匂い漂う土のトンネルに変容していく様子をその目に捉えていた。
     ぴとりぴとりと時折天井から水滴が滴り、地面には泥のぬかるみのようなものも見える。
    「いいですね。結構好きですよ、こういうの。良いアトラクションです」
     相棒のウェッジをディフェンダーとして後方にまわし、三和・透歌(自己世界・d30585)は長い黒髪を肩から払う。腰に下げたライトが、むきだしの土がどこまでも続く通路を楕円の光で照らしていた。
     少々環境面に難があるようですが演出のうちと思って我慢しましょう、と続いた透歌の声は、メンバーの心の声を代弁していたかもしれない。少なくとも現代のダンジョンともいえる、足元を汚水が流れる下水道の探索よりかは大分ましだ。
    「湿ってる上に狭いとなると……暑いかな」
    「暑いかどうかはわからないけど、そのままだと土壁に触っちゃうかもね」
     共に先頭を行く暁吉・イングリット(緑色の眼をした怪物・d05083)が長い髪を高い位置で結い直す傍ら、今・日和(武装書架七一五号・d28000)は持参してきたランタンの準備を整える。
     透歌のウェッジと共にしんがりを守る御盾崎・力生(ホワイトイージス・d04166)が位置についたのを肩越しに確認して、イングリットは慎重に通路内へ歩を踏み出した。
    「何か今の私たち、冒険してる、って感じがするね」
     ガンガンいこうぜー、と少々どこかで聞いたようなフレーズを呟いて笑う深束・葵(ミスメイデン・d11424)に、しぃ、と霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)が小さく笑って唇の前へ指を立てる。
    「ダンジョン探索はできるだけ静かに、がセオリーですわ」
    「違いないね」

    ●AM1:39
     人間が進むことのできるルートをひたすら道なりに、という非常に踏破しやすい地下迷宮ではあったが、しばらく進むうち犬猫サイズなら通れそうな穴が、壁や地面近くにいくつも見えてきた。
    「……なるほど。強さはさほどでもないが、数の暴力とはこういう意味か」
    「札幌も物騒になったもんだな」
     そこかしこの穴から一斉に湧いて出られたら、たまったものではないだろう。感心したように天井近くの穴へヘッドライトを向けている力生の傍ら、どこか楽しげに草次郎が笑っている。
    「地上では斬新な殺人ゲーム、地下ではアンデッドとダンジョン化ねぇ……」
     ばらりと三対の腕にそれぞれの得物をひろげ、草次郎は暗渠の先を見はるかすように目を細めた。
     ギャッ、と乾いた威嚇の叫びを吐いて、腹や眼窩の溶け崩れた猫が数匹飛び出してくる。すぐさま飛んだ力生の警告で、灼滅者達は身構えた。
    「前へ」
     しんがりを守る一翼としたウェッジを力生のさらに前へ出し、透歌は猫アンデッドが次の一瞬に踏み込んでくるであろう地点を指し示す。ツッ、としろい指先がはねあがり、その動きに導かれるように、濡れた地面から凄まじい勢いで絶対零度の冷気がたちのぼった。
     イングリットはいつも通り、ぱんっと乾いた音をたてて右拳を左の掌へ打ち合わせ、迫る猫アンデッドに狙いを定める。現れたアンデッドがかねてより申し合わせていた数に達したことを、すぐ傍らに立つシオンはアイコンタクトで察した。
    「遮断するよ!」
     ダンジョンへの敵襲を知れば、排除に向かう習性を持つというアンデッド。
     この狭い通路で、個々の能力はそう高くないものの、およそ50という数に一斉に襲われればいくら灼滅者とてひとたまりもない。少しずつ数を引き出してゆくためには、こちらの気配をこちらの意志でコントロールしなければならなかった。
     全てのルートが広い通路ならば別として、本道以外は狭い通路ばかり。奥まで光は通りにくい。
     ならば相手は音を頼りに向かってくるしかない。ある程度の数が集まってきたところで遮音しそれ以上の数に気配を悟らせない作戦は、通路が狭くできている迷宮では間違いなく上策だった。
    「今。焦らず確実に行こう」
    「極限動作履行開始。防衛行動に移行します」
     ひとまず除霊結界でまとめてダメージを与えたイングリットは、そのあとは日和と協力して確実に一体一体を沈めていく。
    「神翼展開。対象を捕縛します」
     日和の小さな体から無数の白い帯が飛び出して、縦横無尽に宙を駆けまわりアンデッドを屠っていった。
    「アンデッドの数は多いけど、あまり強くないってことは……もしかしたらこの迷宮の主のノーライフキングも、まだ弱いのかもしれないね」 
     弥由姫を狙いにきた個体をマジックミサイルで見事撃ちぬいたシオンの呟きに、弥由姫は小さく首を傾ける。見れば、あっという間にアンデッドの群れは掃討されていた。
    「さあ、どうでしょうね。今はまだ何もわかりませんわ」

    ●AM2:01
     時折襲い来るアンデッドの群れを迎え撃ちながら進む一行の目の前に、ぽかりと大きな空間があいていた。
     一瞬、そこが未来予測で言及されていた『最奥の広い空間』かと思い葵は周囲を見回すが、どうやら少し先にさらに人が通れそうな道が続いている。薄闇の向こうを、日和が怪訝な顔で伺っていた。
    「……何だと思う?」
    「灼滅者に有効な罠というものも、そうそうないはずだが」
     ふむ、と力生が思案顔で顎に指を当てる。
     なにしろサイキック以外の、通常の手段では痛手を受けることがないのが灼滅者だ。トラバサミを踏み抜こうが脚はもがれないし、釣り天井で盛大にプレスされようが問題なく生き残る。
     しかし、こうもわかりやすく『ここに何かありますよ』的な空間があると、あえてひっかかってやるべきか華麗にスルーするべきか、悩ましい所ではあった。
    「……とりあえず真ん中を、こう」
    「そっと、そっとね」
     日和が心配そうに見守る中、ひとまずイングリットが地盤の脆い部分がないか確認するために持参してきた探索棒を使い、中央付近を探ってみる。外周近くからゆっくり中央に向かいつつ棒で地面をそっと突いていくと、突然、ぼかん! と中央付近が丸く抜け落ちた。
    「うわ」
     お約束といってもよさそうな、見事な落とし穴。
     脆くなっていないか慎重に進みつつ力生が穴の中をのぞきこんでみると、ヒュォー……と風が通り抜けるうすら寒い音が聞こえるばかり。一体何処まで続いているのか、草次郎が透歌と一緒にライトを向けてみても底も見えないくらいに深かった。
    「落ちたら絶対面倒臭ぇ奴だなコレ」
    「まあ探検系アトラクションと言えば穴、むしろ王道ですが」
     なんとも涼しい顔で言ってのけた透歌に、探索棒を握っていたイングリットが何か言いたそうな顔をしていたことは、彼の相棒のイヴのみが知っている。
     ともかく、ほんのり嫌な汗をかきながら灼滅者一行は穴の縁をまわりこみ、次の本ルートへと進んだ。
    「……そういや人型のアンデッドはいねぇんだったな。偶然か?」
     落とし穴の音に引き寄せられたのか、多少これまでよりも体格の大きなものが混じってきたアンデッドの一群をコールドファイアでいなし、草次郎はダンジョン内部をあらためて見回してみる。
    「さあ、どうだろう。勇者さんの偉業も、まずは地道にどぶさらいから始まるものだからね」
     犬アンデッドが飛び出してきた暗がりへひとしきり銃弾の嵐をぶちまけ、妙にすっきりした顔の葵がいたずらな笑みをこぼしていた。
    「そういうわけで、アタシ達も地道に犬猫退治といこうか」
     なだめるように我是丸のハンドル部分をぽんぽんと叩きながら葵が見つめる先には、通路の最終地点。べっとりと重い闇ばかりがそこには垂れ込めていた。

    ●AM2:34
     踏み込んだ先の空間は、まさしく大広間という表現がふさわしい広さをしている。なにより音の響き方で、ただ床面積の広さばかりではなく天井も相当高いことが窺えた。
    「最深部の広場……まぁ儀式にはおあつらえむきと言うか……」
     ここで何が行われていたのか、それとも行われていないのか。それは誰にもわからないものの、イングリットはこの事実だけで十分不穏な気配を感じている。
     シオンとしてはこんな迷宮を作り上げたノーライフキングの暗躍も気になる所だが、もしかしたら斬新社長の目的や何かに繋がるのかもしれない。まだ何も確かなことはわかっていないが、常に警戒を怠らないのは悪いことではないはずだった。
     アンデッドが集まってくる前に灼滅者達は素早く、盾役となる前衛を外周とした円陣を敷く。ウオオン、とひびわれた犬の遠吠えがいくつか聞こえて、広間の壁面から犬猫の鳴き声が漏れてきた。
     最後の仕上げを前にして心霊手術を行えるようなタイミングはなかったが、ここまでの道中で相手取る数を慎重にコントロールしてきたせいか、目立った消耗は誰にも、どこにもない。
     視界内へ走り込んできたドーベルマンらしき犬アンデッドへ、力生はガトリングガンを向けた。
    「頑丈さには、自信がある。崩してみろ」
     凄まじい発射音を皮切りに、円陣を組んだ灼滅者達はそれぞれのサイキックを遠慮なく解放する。
    「もう何者にも縛られる事のないよう……空の上で、安らかに」
     ひゅ、と鋭く息を吐きながら蹴り上げたイングリットの踵が半円状の軌跡を描き、もう毛皮も残っていない猫アンデッドを炎で包む。それでも最後の力を振り絞り爪を立てようとしたものの、葵が張った弾幕に巻き込まれ消し飛んだ。
    「いっくよー!」
     頭上へ掲げた両手を大きく両側へひらいていくと、シオンの指先の通り道へ次々燐光を浮かべたマジックミサイルが顕現する。犬猫アンデッドの群れをウロボロスブレイドで迎え撃つ弥由姫を援護するように、シオンは全弾まとめて撃ち込んだ。
     その弾幕をかいくぐり草次郎へ飛びかかった犬アンデッドが、三対の腕の一つへ牙を立てる。
    「熱消毒してやらぁ!」
     力任せに犬アンデッドをふりほどくと、返す動作で草次郎は至近距離からの蹴りを見舞った。ばちばちと凄まじい火花を散らす回し蹴りに、犬アンデッドの体が二つにへしゃげて消滅する。
    「ははっ、急ぎ働きは長生きできないよ!」
    「下がりなさい!」 
     弥由姫の鞭剣が捉える先へ、畳みかけるように葵の銃弾が追った。
     これまでの道中で確実にアンデッドの数を減らし、かつ闇雲に先を急がなかったことは、十分に余裕を持ってアンデッドの群れを迎え撃てるという好循環に繋がっている。
     通路奥に身を隠していたものもすべてここに来ているはずなので、さすがにその数15か20といった所だが、もはや灼滅者には余力を温存しておく理由がなくなっていた。そうなってしまえば、個々の能力はそう高くない犬猫アンデッドがすべて倒されるのも、もはや時間の問題でしかない。
     たしか蒼の王は、東京の地下鉄と繋がる巨大な『水晶城』を作っていたのだったか、と力生は弾幕をくぐりぬけた犬アンデッドを殴りとばしながら考える。
     それをふまえたうえで、札幌の地下鉄の迷宮がすべて同一の屍王のものだとすると……。
    「嫌な予感がするな」
    「……本当にね。何でこんなダンジョンが作られることになったんだろう……」 
     力生の独白に、知らず、日和は答えの出ない問いを呟いていた。
     無数の横道で繋げられた、闇に塗り込められた地下迷宮。そこに響く、次々と力尽きていくアンデッドの呪わしげな叫び。
     人知れず深夜に現れ、そして消えてゆくダンジョンの謎の真相はいまだ掴めていなかった。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年4月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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