アネモネは夜に咲く

    作者:犬彦

    ●花に宿る言葉
     ――アネモネ。
     それが、名前のなかった自分にかつて敬愛していた人が付けてくれた名だった。
     長く腰下まで伸びた黒髪に赤い瞳。その色合いがかの花の一種に似ていると言って、あの人は愛おしそうに此の名を呼んだ。
     風の花。アネモネにはそんな意味があるのだという。けれど、彼は知っていたのだろうか。あの花には悲しい花言葉が秘められているということを――。

     真夜中。アネモネは窓辺から射し込む月の光で目を覚ました。
    「ん……」
     起き上がったベッドの上で目を擦り、アネモネはフリルたっぷりのネグリジェの裾を整えた。何だか昔の夢を視ていた気がしたがよくは覚えていなかった。自分が一度消滅する前、かつて仲間のヴァンパイア達と優雅に暮らしていた日々の夢だったような気もする。
     あの頃は良かった。
     思うままに過ごし、望むままに出来る暮らしをしていた。だが、ブレイズゲートの力で甦った今、与えられていた別荘には自分以外誰もいない。昼間の陽射しが苦手なアネモネはこうしていつも夜中に起き出し、怠惰で孤独な日々を過ごしていた。
    「やっぱり、見捨てられたのかな……」
     長い黒髪の先を指で梳きながらアネモネは無意識に呟く。
     どうして自分だけが蘇って、あの人は此処にいないのだろう。静寂の中では淡い月の光すらも眩しく思える。
     そして、アネモネはふと顔をあげると口を開いた。
    「おなかすいた。喉も渇いた……。血……血が飲みたい。面倒だけど、また、そろそろヒトを攫いにいかなくちゃ……」
     ゆるゆると立ち上がり、少女は部屋を出てゆく。
     その目的はただひとつ。自らの飢えを充たすべく適当な人間を攫って殺すということ。どれだけ血を啜っても心の渇きは潤わないとは知っている。だが、今の少女にとってはそれだけが儘ならぬ感情の捌け口であり、仮初の生で見つけた唯一の愉しみだった。

    ●夜と牡丹一華
     軽井沢の別荘地の一部がヴァンパイアの巣食うブレイズゲートとなり、付近の一般人が被害に遭う事件が多発している。事前に調査に向かい、情報を持ち帰った灼滅者の話を聞いた君は仲間と共にブレイズゲートへ赴くことを決めた。
     この地域の中心となる洋館はかつて高位のヴァンパイアの所有物だった。
     そのヴァンパイアはサイキックアブソーバーの影響で封印され、配下のヴァンパイアも封印されるか消滅するかで全滅したという。
     しかし、この地がブレイズゲート化した事で件の配下達が甦ってしまった。ヴァンパイア達はブレイズゲート領域外に影響するような事件を起こすわけではないが、付近の一般人に危険が迫っているのなら放ってはいけない。
     
     今回、倒すべき敵の名はアネモネ。
     黒髪に赤い瞳が印象的な十代ほどの少女ヴァンパイアだ。彼女は普段は自分が与えられていた屋敷で大人しくしているが、時折外に出ては通りがかった適当な人間に襲い掛かり、血を啜るという。
     厄介なのは血を吸うだけではなく、衝動に任せて人を殺してしまうことだ。
     おそらくアネモネは間もなく人を探しに外に出る。
     その前に件の別荘に向かい、アネモネを灼滅しなくてはならない。調査を行った灼滅者の情報によると彼女は何か空虚な思いを抱えているように見えたらしい。
     だが、それが人に仇名す存在であることは変わりない。
     何よりもアネモネは一度は消滅しているヴァンパイアだ。仮初の生を終わらせ、元在る形に戻すのが正しい道理というものだろう。
     そして――灼滅への思いを固めた君達は件の屋敷へ向かった。


    参加者
    月見里・无凱(深淵揺蕩う銀翼は泡沫に・d03837)
    紅凪・静謐(夜紅錦姫・d15246)
    織部・霧夜(ロスト・d21820)
    黒絶・望(希望を抱く愛の風花・d25986)
    ルナ・リード(朧月の眠り姫・d30075)
    柊・玲奈(カミサマを喪した少女・d30607)
    蔵座・国臣(病院育ち・d31009)
    幡谷・功徳(人殺し・d31096)

    ■リプレイ

    ●夜の音色
     真夜中、屋敷の扉が軋んだ音を立てて開いた。
     中から現れたのは寝間着姿のまま、ふらふらとした様子で歩くヴァンパイアの少女だ。かすかな月の光がが照らす前庭には今日も静寂が満ちているはずだった。
     だが、突如として庭には似つかわしくない大音量のハードロックのメロディが響く。
    『――♪』
    「……?」
     ヴァンパイア・アネモネは辺りを見回して不思議そうに首を傾げた。
     それと同時に茂みから蔵座・国臣(病院育ち・d31009)とライドキャリバーが飛び出し、アネモネの身を一気に穿たんとして攻撃を見舞う。
    「待ち人来らず、か。招かれぬ我々が来たわけだが」
     国臣はふとした思いを零し、ライドキャリバーと共に身構え直した。
    「痛……っ!」
     思わず後退ったアネモネだったが、その背後――屋敷の屋根の上から月見里・无凱(深淵揺蕩う銀翼は泡沫に・d03837)が飛び降り、空飛ぶ箒に乗ったルナ・リード(朧月の眠り姫・d30075)が着地した。
     同様に他の仲間達も姿をあらわす。
     そして、彼等は五月雨の如く其々の攻撃を打ち込み、アネモネを囲むように布陣した。
     肝心の少女自身は状況が分かっていない様子で、ぼんやりとした様子のままで灼滅者達を見つめて問う。
    「あなた達、だあれ?」
    「夜に徘徊する吸血鬼退治をしにきた、灼滅者だよ」
     柊・玲奈(カミサマを喪した少女・d30607)が簡単な自己紹介をすると、先程の大音量の携帯電話の嫡子音を流した張本人、幡谷・功徳(人殺し・d31096)とナノナノさんも一歩前に歩み出る。
    「夜に女の子の一人歩きは危ないぜ。俺達で送るよ、あの世までな」
     功徳の言葉によって、アネモネも漸く事態を理解したらしい。嫌よ、と首を振った少女は魔力の霧を展開させ、受けた痛みを癒す。相手が戦闘態勢に入ったと感じた紅凪・静謐(夜紅錦姫・d15246)は、傍らのビハインドに呼び掛け、自身にも気合を入れた。
    「頑張りましょう、吏柊羽!」
     吏柊羽もその声に応えるようにして、ヴァンパイアに向き直る。
     そして、戦闘前にいつもの目隠しを取った黒絶・望(希望を抱く愛の風花・d25986)とルナは用意していた強い光のライトを使ってアネモネを照らした。
     だが、視界確保用にあてた光は、魔力の霧の中までは通らなかったようだ。元より、月の光が射す夜の中で灼滅者が暗さによって不利になることはない。仕方ありません、と光を当てることをやめた望は敵の居る方向を見据える。
    「いいわ。少し数が多いけど……あなた達の血を、もらうから」
     敵意を此方に向けたアネモネ。その瞳は赤い。
     織部・霧夜(ロスト・d21820)は不意にヴァンパイアの名と瞳の色が織り成す花の言葉を思い出す。
    (「赤い瞳のアネモネ……赤いアネモネ、か。その花言葉は――」)
     だが、霧夜は浮かんだ思いを振り払った。
     今は考えに耽るときではない。ただ、人に仇名す存在であるヴァンパイアを灼滅する。
     それが今の自分達の役目なのだから――。

    ●花言葉
     赤き逆十字が宙に躍り、灼滅者を引き裂こうと襲い掛かる。
     攻撃が自分に向かっていると感じた无凱は素早く身構え、精神を研ぎ澄ませた。右手首に巻かれた赤玉二連の数珠と鈴束がしゃらりと揺れ動き、澄んだ音色を奏でる。
    「甘いですねぇ。この程度、まだまだです」
     痛みはあったが、逆十字の攻撃に堪えた无凱は神霊の剣を掲げ、反撃に移った。
     其処へ吏柊羽が追撃代わりの霊撃を放ち、静謐はそれを補助するかたちでラビリンスアーマーを発動させた。
    「无凱、吏柊羽、油断せずにいくわよ」
     自分も仲間の足を引っ張らないように、と強く思う静謐はヴァンパイアを見つめる。
     更に玲奈が逃亡禁止という文字の書かれた標識で敵を殴り、其処に続いた望が制約の弾丸を撃ち放った。
     ルナも攻勢に移り、髪につけている白いリボン状の魔帯を展開させる。
    「貴女の命はどんな味がするのでしょうか」
     言葉が紡がれた瞬間、アネモネを狙い打ったリボンが白く閃いた。その容赦のない一閃を見遣った功徳はふっと片目だけを細め、仲間の頼もしさを改めて感じる。
    「相変わらず怖ぇぜ、ルナさん」
     軽口めいた声をかけながら、功徳は仲間の補助に入った。掲げた交通標識から耐性の力を巡らせた功徳はナノナノさんに无凱を癒すように願う。
     羽をぴこぴこ動かして応えたナノナノさんは仲間にふわふわハートを飛ばした。
     更にライドキャリバーが機銃を掃射する間に国臣が魔力の霧を発生させ、前衛の守りと力を高めてゆく。
     その際、国臣はふとアネモネに問うた。
    「一つ尋ねたい。待ち人はどんなヴァンパイアだ」
    「どうして、あなた達にそれを教えないといけないの……?」
     だが、アネモネは答えようとしない。当然だろう、いきなり奇襲を仕掛けて殺すと宣言した相手に自分のことを語ってやろうとは思えない。
     それもそうだろう、と霧夜は無表情のまま小さく頷いた。
     そして、夜よりも昏い影を呼び起こした霧夜はそのままアネモネを狙い打つ。
    「……捉えた」
     彼が零したその言葉通り、影は敵に纏わりつくように猛威を振るった。発動したトラウマはアネモネを縛り付け、軽い悲鳴をあげさせる。
     好機を見出した玲奈は指先を差し向け、アネモネに弾丸を撃ち込む。
    「縛り給え、汝そこより逃げる事を禁ず!」
     物騒な吸血鬼はきちんと片付けてしまおう。そう心に決めた玲奈に容赦はない。アネモネも対抗しようと紅蓮の斬撃をルナに向けたが、国臣が庇うことで防がれた。
     无凱と静謐は息を合わせ、たじろぐアネモネに更なる一撃を見舞っていく。その際、望は相手が逃げるかもしれない事を考え、挑発の言葉を向けた。
    「そういえば、アネモネの花言葉って知ってますか? 『恋の苦しみ』『儚い恋』『嫉妬の為の無実の犠牲』『儚い夢』『消えた希望』。『見放された』『見捨てられた』、そして『孤独』。随分酷いものばかりですね」
    「……知ってる、そんなこと」
     事実を述べていく望に対し、アネモネは震えた声で返す。
     だが、望はそれを意にも介さずに続けた。
    「こんな花の名前を与えられるなんて、よっぽど疎まれてたんですね。まぁ、最後の三つは貴女にぴったりですけどね。嫌われ者のア・ネ・モ・ネさん♪」
    「……!」
     最後に名を呼ばれ、少女は声にならぬ声を上げた。そして――アネモネは幼子のように表情を歪ませ、涙を零しながら叫ぶ。
    「やめて、どうして関係のないあなたがそんなことを言うの!? わかってる、捨てられたことも、飽きられたことも! もういや……いやよおおおお!!!」
     絶叫が庭中に響き渡り、功徳達は思わず面食らった。
     しかし、同情を覚える余地などない。逃げようとする素振りを見せたヴァンパイアから目を離さぬまま、灼滅者達は更に身構えた。

    ●心の棘
     望の言葉や身を抉るトラウマで打ちのめされた少女の心は限界だった。
     戦いを放棄したヴァンパイアは固められた布陣をどうにか擦り抜けようと画策しながら、自らを癒す霧を濃くしてゆく。
     アネモネの動きが変わったことを感じ、功徳はナノナノさんと共に道を塞いだ。
    「織部、逃がすな!」
     功徳に呼び掛けられた霧夜も敵の動きを察して素早く回り込んだ。
    「逃がすか」
     言葉と同時に放たれた炎の一撃がアネモネの髪を焦がし、戦う力を奪い取る。
     其処に玲奈が影を迸らせ、立ち塞がった。
    「貴女の行く場所はどこにもないよ、だって……見捨てられたんでしょ?」
    「……っ!」
     身体の痛みと心の痛みの両方に耐えるように、アネモネは唇を噛み締める。ライドキャリバー が突撃し、国臣も彼女が待つという誰かのことを思い、再び問いかけた。
    「ここを離れて、どこで待つつもりなんだ?」
    「それは……」
    「ここ以外に迎えに来てもらうアテでもあるのか?」
    「……ない、けれど」
     肉体的なことだけではなく、精神的な疲労を覚えているらしいアネモネは徐々に追い詰められている。自分達の言葉がそうさせているのだとは知っていたが、ルナはただ静かにそれを見守っていた。
     そして、隙を見た无凱が仲間に呼び掛ける。
    「ルナ・望・シズカ・吏柊羽!! 続け、敵を打ち貫く!!!」
     影を宿したソウル・アゾットを掲げた无凱が斬り込み、霧影の如く敵を貫こうと迫った。其処に吏柊羽が放つ霊障波が加わり、静謐も爆炎の魔力弾丸を連射してゆく。 
    「ここからが私達のターン!」
     そうよね、と告げた静謐の言葉に望も頷いて応え、神薙の刃を放った。
     そして、ルナは槍の切先を差し向け、痛みに喘ぐアネモネを狙う。その槍は獲物の命を頂くフォークの如く、月光を反射して淡く煌めく。
    「悪という黒に染まりきった命。頂きます」
     静かな言の葉に重なるようにして、敵の身を切り裂く鈍い音が響いた。更に玲奈が狙いを定め、アネモネに宣言する。
    「逃がすつもり、ないから。ここが貴女の終わりの場所、覚悟はいいかな?」
     惑星の光よこの手に集え、と念じた玲奈は眩い光線を解き放った。
     だが、何とかそれを避けたアネモネは最後の抵抗としてオーラの逆十字を放ち返す。国臣の身を十字架が貫き、激しい痛みが走った。
     だが、すかさすナノナノさんがふわふわハートでその傷を癒してゆく。
    「くらりん、あと少しだ。まだやれるよな?」
     功徳が国臣に呼び掛ければ、確かな頷きが返ってきた。
    「ああ、此処で終わらせる」
     国臣は敵に対抗する形で逆十字を発現させ、功徳と目配せを交わす。
     ヴァンパイアはきっと、空虚に今を過ごし続けるより、灼滅する方が前進になるだろう。もし待ち人が彼方に居なくとも、いつかそこに我々が送るだろうから。国臣は思いを十字に乗せ、少女を瞳に映した。
     次の瞬間。赤き斬撃と黒死の一閃が重なり、そして――ヴァンパイアの少女は成す術もなくその場に倒れ、戦う力をすべて失った。
    「あ……あ、ああ……助け、て……」
     うわ言のように、かすれた声で意味のない言葉を紡ぐアネモネ。その姿に見兼ねた霧夜は彼女の傍で片膝をつき、何事かを囁く。
     そのとき、一瞬だけアネモネの表情が和らいだ気がした。
     だが、それを確認する暇もなく少女の姿は霞のように薄くなり、完全に消失した。

    ●最期の言葉
     夜風が木々を揺らし、月の光は雲に隠れる。
     闇に包まれた屋敷の前で灼滅者達はその静寂に其々の思いを馳せた。
     そんな中、望は誰にも聞こえぬ声で呟く。
    「実はアネモネの花言葉はまだあるんです。貴女の名前、とても素敵だと思います。……どうか向こうで幸せになってください……」
     戦闘中に投げ掛けた言葉で彼女を苦しめたと自覚しているからこそ、望は最後にこの思いを贈りたかった。だが、その言葉が誰にも聞かれなかったように、消失したアネモネにも届くことはなかっただろう。
     仲間の様子には気付かぬまま、静謐は吏柊羽と勝利を喜び合う。
     二人の笑みに双眸を細めた无凱も労いの言葉を掛け乍、アネモネの末路を思った。
    「花言葉は所詮人が作ったもの。そんなモノに振り回される貴様も哀れな者よの……」
    「次会うときは、普通の女の子として一緒にお買い物でも……なんて」
     ルナも叶わぬ夢をそっと語り、そっと零した。
     戦いの中で感じ、貫くことで味わったのはヴァンパイアの少女が抱く悲しい味。ルナは静かに目を閉じ、小さく祈った。
     功徳はナノナノさんによく頑張ったと告げた後、仲間達に呼び掛ける。
    「そろそろ行くか」
    「もうここに長居する理由もないからね。明るくなったら軽井沢観光でもしていく?」
     玲奈は敢えて明るく笑み、皆に問いかけた。
     そうして、一行は屋敷を後にするべく歩き出す。一度は雲に隠れていた月もいつしか再び姿をあらわし、淡い光で帰り道を照らしてくれていた。
     その最中、国臣はヴァンパイアの最期を思い返す。
     倒れた少女に霧夜が告げていた言葉を国臣はちゃんと聞いていた。国臣が視線を送ると、霧夜はいつも通りの無表情で首を振る。
     アネモネが消失する間際に彼が語ってやったのは花言葉は花の色によっても様々に変化するということ。
     そして――赤のアネモネが意味するのは“君を愛す”。
    『心配するな、赤い瞳のアネモネ。君はきっと愛されてたのだろうな』
     霧夜はそう告げていた。
     だからこそ少女は最後の最期にほんの少しだけ、微笑んだように見えたのだろう。
     今宵、灼滅者は悲しくも切ない夜に咲く花を葬った。だが、ただ無慈悲な死を与えただけではなく、同時に小さな救いも宿してやれたはずだ。
     もう真実を確かめる術はない。けれど、きっと――何故だかそんな気がした。

    作者:犬彦 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年5月18日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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