熊避けの鈴がリンと鳴る。
伐採作業に向かう兄を妹が追う。細過ぎるヒールが邪魔をしてなかなか追いつけない。転びそうになった。
その腕をつかんで兄は眉根をひそめる。
「着いて来んな。お前は、あいつんとこに帰れ」
「兄ちゃん」
「田舎っくさい呼び方すんな。今、行かんかったら、もう、ここを出られねっぞ」
村落の人口は日々、減り続けている。腕を離して渡ろうとした吊り橋が向こう側から大きく揺れた。
鋼の色に真昼の光を弾いて、何かが突進してくる。脇目も振らない。
「なに、あれ……」
「馬鹿、逃げろ……っ、あ……?」
太く真っ赤な血の帯が、宙高く舞う。兄の頭は向くべきところを向いていない。
「いやぁぁぁっ!!」
リンという澄んだ音は、ただ耳に虚しかった。
石切・峻(大学生エクスブレイン・dn0153)が掲げた地図は、複雑な等高線を持つ山間部のものだった。
「集まってくれたか、ありがとう。朱雀門のロード・クロムが動きを見せたようだ。ここに」
と、人の住む集落から少し離れた山林に人差し指を置く。
「配下のクロムナイトを配し、こちらへ向かわせて」
指が進む先は、小さな赤い三角で示された集落。間に川を挟んでいる。
「一般人を虐殺させようとしている」
小集落とはいえ、人々が日々の暮らしを営んでいることに違いはない。見逃せば住人の全てが犠牲となる。
「ただ、今回はクロムナイトが人と接触する前に戦闘を仕掛けることが出来そうだ。そこは幸いなんだが、問題は他にある」
ロード・クロムの手には、軍艦島で灼滅された美醜のベレーザより引き継いだデモノイド施設がある。
「それを利用してクロムナイトを量産し、仕上げに灼滅者と戦わせて戦闘経験を得ようという目論みのようだ。戦いに時間をかけると、相手の戦闘力が強化されてしまう」
これを阻止するには、交戦後、短時間で灼滅を果たせば良い。
「君たちにお願いしたい相手は、大剣を振り回すパワーファイターだ。毒も持っている。熊どころの話じゃない」
そして、獣と最も違うのは、この個体は人がいると知ると逃げずに襲いかかることだった。
「場所は吊り橋を渡った先、渓谷沿いの山林の中だ。日中でも薄暗く、障害物が多い。交戦時、崖側に落ちないように気をつけてくれ。戦列に戻るのに時間がかかってしまう」
渓谷は、切り立った急斜面となっている。峻は皆へと向き直った。
「危険を覚悟で、君たちにお願いしたい。だが、一体で動き回るくらいだから、敵は相当に強い。手早さに気を向け過ぎても、勝機を逃す可能性がある。場合によっては長期戦の覚悟も必要かもしれない」
負けるということは、大きな犠牲を意味する。状況次第で、何かを選んで何かを諦めることになりそうだ。
考えがちに告げると、峻は固い面持ちで頭を下げた。
「どうか、無事に帰って来てくれ。待っている」
参加者 | |
---|---|
ユエファ・レィ(雷鳴翠雨・d02758) |
詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124) |
水無瀬・旭(瞳に宿した決意・d12324) |
蛇原・銀嶺(ブロークンエコー・d14175) |
唐都万・蓮爾(亡郷・d16912) |
オリヴィエ・オーギュスト(従騎士・d20011) |
メリッサ・マリンスノー(ロストウィッチ・d20856) |
ロスト・エンド(青碧のディスペア・d32868) |
●虚空に揺らぐ
渓流の上をセキレイが渡る。
灼滅者たちの前には、長く真っ直ぐな吊り橋があった。とんでもなく見晴らしが良い。
風に煽られる髪を片手で押さえ、詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)が眼差しを据える。
(「私達が察知する事を前提にして、まさかそれを逆手に取って戦力を増強しようとするとは」)
ここを戦場に選んだこと自体に、敵の害意が感じられた。渡る者たちの姿は丸見えで、木立の中は見通せないのだ。
その意を読み取ったか、オリヴィエ・オーギュスト(従騎士・d20011)の全身に憤りとも取れる覇気がみなぎる。
(「ナイトっていうのはこんなのじゃない……絶対に違う!」)
どこの騎士が物陰を動き回るというのか。ナイトが聞いて呆れる。
前を睨む仲間の中からロスト・エンド(青碧のディスペア・d32868)が吊り橋へと踏み出し、揺れる板を踏んだ。
刹那を踏み渡るような足取りを見て、ユエファ・レィ(雷鳴翠雨・d02758)が横をすり抜けて前に出る。狙わせるわけにはいかない。それくらいなら、身を挺してでも護る。
ぎしり、と橋が揺れた。不安な響きだが時間が惜しい。決して広いとはいえない足場を踏みしめて、八つの影が渓谷を渡る。
対岸に辿り着いた時、木立の中から聞こえるのはただ山鳩の平和な鳴き声だけだった。
斜面の際には、渓流に向けて枝を斜めに張った木々が生えている。梅雨を前にして、緑は深く濃い。
唐都万・蓮爾(亡郷・d16912)と蛇原・銀嶺(ブロークンエコー・d14175)、そして沙月の手にはロープが握られている。
滑落対策のそれを、結ぶか否か。まだ、攻撃は受けていない。それがゆえに、三人は崖縁に向かうことになった。
さわり、と揺れる枝葉。水無瀬・旭(瞳に宿した決意・d12324)は眉根をひそめてそれを見上げ、木々の合間を縫う。メリッサ・マリンスノー(ロストウィッチ・d20856)、オリヴィエの小柄な影と共に、斜面から大きく脇に回り込んだ位置取りを目指していた。敵の存在を特定したなら、狙撃手の初手は重要である。
ぎちり、という軋みの音が三つ響き、ロープの設置は成功した。が、その瞬間、旭は青いその目を見開く。
(「鳥の声が――」)
聞こえない。あれほど長閑に鳴いていた山鳩が沈黙している。ロープを結んだ三人が脇に退き、ロストが崖を背にする位置へと踏み出した。
「駄目だ、そちらは!」
旭の叫びを踏みにじるようにして、鈍い銀と青の影が眼前を駆け抜けて行く。
ザ……!
激突の勢いで突き出される大剣と、地響きを伴った重たい踏み込み。量産型クロムナイト・Uだ。その最初の一撃は、何の迷いも躊躇いもなく、最も危険な位置に立つ者、ロストを狙った。
こんな形で索敵が果たされるとは。
●貴き者の責とは
(「ロード・クロムの作った玩具か……」)
虚空へと突き上げられた時、胸の奥の憐憫を噛みながらもロストは蹴りを突き込もうとした。みなぎらせていた注意がそれをさせた。
だが、真正面からの打突は、一人の灼滅者が受け止めるにはあまりにも強力だった。安全な角度を測った者たちの手は届かない。
「どうする?!」
そこに一人、護り手がいた。
「手、を……!」
崖っぷちに長柄の斧を突き立て、ユエファが逆の腕を思い切り伸ばしている。細い指先が中空を引っ掻いて、背から滑落するロストの袖口を掴んだ。
ガクン、という衝撃があり、柔く結った黒髪が頬を叩く。膝が落ち、背が反り返る。鈍い音を立てて土が抉れ、斧、銀雷の柄が斜めに傾いた。だが、落ちてはいない。
クロムナイトは、片手で繋がれた二人の眼前に留まった。腕を伸ばすまでもない至近だ。剣を大きく斜め下段に振り落として、重みでバランスを取る。その足許で枯葉と草とが飛び散り、舞い上がった。
「俺は、貴方の命を奪う『悪』となる」
槍穂のきらめきが薄い木漏れ日を弾く。
「ガッ、ア!」
身を低めて駆け込んだ旭の槍が、がら空きの脛を鎧の継ぎ目から突き通した。
(「思い出してしまうな……阿佐ヶ谷で、デモノイド化から救えなかった少年を……」)
ずるりと引き抜く穂先が、肉に食まれて重たい。
「貴方もデモノイドにされた被害者だ。それは知っている。でも、その貴方が更なる犠牲を生むというのなら……!」
槍穂を染める血を振り払い、構え直す。その脇を赤い色がするりと抜けた。
蓮爾のビハインド『ゐづみ』だった。和装の袖を揺らし、傷付き宙吊りとされたロストの援護に向かう。
それを命じた主は、両手の塞がったユエファを護りに割り込んだ。
「『蒼』よ、けふの君は滾っているかい」
静かな声に返るものは、周囲の木々を震わせる低く鈍い咆哮。
「なればよし」
ツールを呑ませた腕を胸の前に振り上げ、崖っぷちの二人を後ろに庇った。
「傀儡のはらからを貫き、君の力とするが良い」
ザンッと斜めに走る一撃を受け止めても、彼女の足は下らない。刃を呑んだ片腕を前に出し、逆の腕で後ろのない二人を支える。
量産型は、片脚を引いて脇に身を開こうとする。その一瞬の隙にメリッサが動いた。
「デモノイド……ソロモンの呪いだね……」
その身に呼び寄せ纏うのは、深き地に眠っていた畏れたち。片言めいた言葉は抑揚薄く続ける。
「そういうものが『ある』と知れ渡っちゃった以上、もうどうしようもないのかな……」
茫洋とした面差しの中で、ただ、双眸だけが鬼気迫る光を宿した。
「グ、アゥッ!!」
容赦のない一撃が下草を舞い上げる。青い匂いがツンと鼻を刺した。
●空の器に注ぐもの
木立の陰から、サ、と風切る音が走る。レイザースラストだ。
銀嶺の放ったダイダロスベルトが、枝葉の間を縫ってクロムナイトの腕から血飛沫を上げさせた。射出の反動は樹の幹に押し付け、背で殺す。十分な距離、背後の確保。間違いのない動きだった。
額に落ちてきた青葉を首の一振りで払い退けて、その瞬間、赤い瞳はここではないどこかを見る。
(「時間をかけると相手方の経験となるのか。倒し果せても?」)
心のどこかに引っかかっている謎だった。
その心中を知ってか知らずか、量産型・Uは片手を柄から離して逆の肩へと上げた。指先が複雑に動く合間に、傷が塞がっていく。一撃でも多く受けるつもりか。
「グ……ゥ」
敵が粘りを見せる中、灼滅者たちも巻き返しを図る。
「量産とか言うなっ……凄く腹が立つよ、僕だってデモノイドヒューマンだもの!」
オリヴィエの許から味方を覆い護る帯が縦横に走り、蓮爾の身を包み込む。
「ねえ、先輩方。悪魔寄生体って……何なんでしょうね?」
彼は、デモノイドヒューマンだ。その名は高名な騎士にあやかっている。
「作られて、操られて、実験台にされて。僕ももしかしたらそんな風に扱われてたかもって思うと……」
崖の際に立った仲間の傷が癒え始めた。その向こうのロストの頬に触れるのは用意されていたロープ。
「……っ」
強く握り締めて、斜面を蹴り上がる。袖口が、しっかりとした力に引っ張り上げられた。
「デモノイドの正体かい? 悪魔の気まぐれで、運命を弄ばれた存在だよ」
同じくデモノイドヒューマンである彼の言葉は、無情な現実を真っ向から貫く。この相手は、いかに卑怯な策を与えられようとも、ひたすら愚直にそれを遂行するだろう。
「ただ……それに抗う権利くらいは、俺達にも認められていると思うけどね」
背後の憂いはなくなった。ユエファが銀雷を地から引っこ抜き、今の今まで味方の腕を支えていた手を拳に握る。
「そう、ね」
深く頷いて突き上げる抗雷撃が、ヘルムで覆われた敵の顎を大きく跳ね上げた。
「ガ、ッ……ア!」
後ろへと大きく退った巨体は――
剣を地に突き立てて後退を最小限に抑え、背を幹に預けて体勢を保つ。そこまでは灼滅者とまるで同じ動き。そして片腕を上げ、横へと大きく一閃した。
目に喉に鼻腔に、焼け付くような痛みが来る。毒霧だ。木々の間が煙って見えた。
それを省みずにロストが妖の槍を振り抜き、敵の足許を凍り付かせる。霜を浮かせた青草が踏みしだかれて、血染めのガラス細工のように砕けた。
咳き込みながらもダイダロスベルトを放つのは、沙月。鋭い一閃が走るその周囲だけ空気が乱れて、クロムナイトの左右の脚が引き攣るように動きを阻まれた。
オリヴィエがすかさず手にするのは、黄色の交通標識。毒落としには蓮爾がバイオレンスギターを手にする。
ずるり、と敵が動いた。大剣を突いて巨躯を引きずり、一歩、二歩、黒ずんだ血の痕を残して向かう先は。
オリヴィエが察して、声を上げた。
「落下で逃げる気だ!」
明晰だった。灼滅者が死なない行動ならば、クロムナイトも死なない。一瞬で、距離を開けることができる。
これが最後の総攻撃。足りなければ、更に粘られる。
銀嶺の足許から、黒いものが走った。Nachtmusik。小夜曲の一撃が、敵の足を捕えようと襲い掛かる。
「ッ、オオオッ!」
クロムナイトが、大剣を振り回した。その全身が硬直し、斜面の際に膝が落ちる。
「……ゥ」
ヘルムの隙間で、歯ががちがちと鳴っている。苦痛の呻きはあげるものの、そこに悲嘆はない。それどころか憤怒も怨嗟も、同時に満足もなかった。
ただ一秒でも長く戦う。その目的のために、じりじりと踵を後退させようとしている。
ユエファが、銀雷を頭上高く振り上げた。
「時間、無駄してる。畳みかける、よ」
●赤い川
ヴンッ、という重たい一撃が大剣と噛み合った。致命傷は与えられなかったが、弾かない限り相手は得物を振るえない。小柄な少女が、巨大な剣士を押さえ込む。両足を強く踏み締めて、敵の正面を確保した。
クロムナイトの足が脇を探る。そこで、別の音が鳴った。カサリという音は軽く微かだが、小さな爪先が敵の爪先の行く先を奪う。
「逃しません。阻止します」
沙月だった。銀の髪が風を孕んで舞い上がり、肩に腕にと絡んで翻った。枝葉が大きく揺れると同時、神薙刃の鋭利な斬がクロムナイトの上体へと襲い掛かる。
「グウ、ッ」
青草の中に前のめりに倒れ込んだ青い異形が、土くれを掴む。五つの指で地を掻いて、そして、持ち上げ、開いた。
「オオオォ!!」
目に見えぬ鉤爪が、虚空をぐるりと巡る。
「……?!」
距離を詰めていた灼滅者たちの胸が斜めに大きく引き裂け、全身にビリッと衝撃が走った。草陰の紫蘭が、その花に赤黒い斑点を散らす。
地に叩きつけられようとしたメリッサを、蓮爾が庇った。
「哀れなはらからよ。戦いに浮されるこころを静めておくれ。でなければ僕は――人を失ってしまいそうになる」
突き出されようとしていた小さな手は、肘を外へとやって前へと逃す。メリッサの瞳が不穏な光をたたえた。
「当てる……」
放つマジックミサイルは、真っ直ぐに鎧の右胸を貫いて真後ろへと抜ける。潅木の枝が砕けて飛び散り、滅茶苦茶に舞う黒い揚羽蝶がクロムナイトの背で落ちた。
「……ッオ」
真後ろへと仰け反りながら、それでもまだ敵は動いている。ユエファの斧刃を大きく真上へと弾き上げた。反動を使い、背から落ちようと膝を蹴り出す。
振り子のように宙を過ぎる長柄。その下を掻いくぐって、旭が腕を突き出す。
「生きたいという執念か……! だけど……」
クロムナイトのショルダーに掴みかかり、逆の手で槍の穂を振り上げた。まるでナイフのように短く握っている。
「行かせるものかよ!」
足が浮いた。世界がぐるりと回り、渓流の音が頭上から聞こえる。それに構わず突き立てるのは、鋭利な切っ先。
「グッ、ァ、ゴ……ォ、ッハ!!」
首を後ろから貫かれた巨躯は貫いた者を抱えて巻き添えにし、真っ逆さまに墜落していく。血泡に濁った苦鳴が何重にも木霊して長く長く尾を引いた。
「ああっ?!」
駆けつけた全員が崖の縁で一度足を止め、ザンッと高く上がる水飛沫を見下ろす。
「……」
それは、一刻の猶予もない戦いのさなかよりも焦燥を感じる間だったかもしれない。
睨み降ろした清流に、ゆっくりと赤い色が広がり始める。流れを割る岩に何とかかかった指は、人の形を持ったもの。そして、水から現れる槍の柄。
盛大に水を吐きながら身を起こそうとしているのは、旭だった。べったりと張り付いた前髪の下で忙しく目を瞬き、上を見上げ、深く頷く。他に起き上がるものは無い。
終わった。
未だ血の止まらない傷口を押さえて、蓮爾が逆の指先をひるがえす。
「ゐづみ」
頷いた赤い衣のサーヴァントが、先んじて崖の下へと降りていく。向こうに鈍く光を弾いて見えるのは、今、崩れ落ちて行こうとする鎧の反射だろう。
オリヴィエが駆け寄り、傷口へと手を当てた。
「ごめんね……ロード・クロムには必ず思い知らせてやるからっ!」
ラビリンスアーマーを展開して血止めを始めながら、崖の下に向けて切と声を投げる。何という無残だろう。
銀嶺と沙月がそれぞれのロープを用いて下へと降り、渓流の中の仲間へと手を差し出した。メリッサが箒に腰を降ろして後を追う。
「間に合ったか」
銀嶺の呟きは短い。もし最後の一撃が落下より後だったら、時間超過だった。
紅蓮の川は、どこまでも流れ行く。
それに腕を染め上げられて、沙月は頭上の橋を見上げた。きっと、もうすぐ、鈴の音が聞こえて来る。
彼らが人であるように、今、屠ったものも元はといえばただの人だった。
「せめて、冥福を」
青い瞳を伏せる。
悲劇を新たに生み出さないためにも、倒すべきものの名。
それはロード・クロムだった。
作者:来野 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2015年5月29日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 10/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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