黒百合の姫

    作者:宮下さつき


     夕闇の中、水の流れる音と葉擦れの音に、地を蹴る小さな足音が混じる。首から肩にかけて黒いたてがみのような毛が生えた一頭の白狼が、桜並木を駆けていた。ふと足を止めると、爛々とした赤い瞳を細めて一本の木を見上げる。もう二ヶ月も前であれば、それはそれは美しい夜桜が楽しめただろうが、今や花のすっかり落ちた葉桜である。
     否。見上げたのは、桜の木々に混じり、一本だけ屹立した榎であった。
     オオォン。どことなく侘しさを感じさせる響きが、枝葉を震わせる。本来は仲間を呼び寄せる時に使われる遠吠えだが、この獣が呼び覚ましたのは、一人の憐れな女だった。
    『許さない……』
     狼は女に一瞥をくれると、闇の中へと消えて行った。
     

    「富山県で、古の畏れが生み出された」
     遠く、窓の外を見ていた神崎・ヤマト(高校生エクスブレイン・dn0002)は、視線を灼滅者達に向けた。
    「松川沿いの桜並木に、一本の榎が植えられている。古の畏れが居るのは、その木の下だ」
     お花見特集と書かれた雑誌を開き、一枚の写真を指し示す。
    「戦国時代、この辺りを治めていた佐々成政の伝承なんだが……」
     可愛がっていた側室の不義を告げられた男は、偽りの密告を鵜呑みにし、この榎の下で側室の女性を斬り殺したという。今回生み出された古の畏れは、その女性の姿をしている。
    「小百合――殺された女性は、死の間際に『立山に黒百合が咲く時、佐々家は滅びるだろう』と呪いの言葉を吐いた」
     そして彼女の言葉通り、佐々家は滅亡した。
    「斬り殺されたという逸話からか、小百合は日本刀を持つ人間を優先して狙う傾向にある」
     日本刀を装備する場合は、十分注意して欲しいとヤマトは言う。
    「彼女は自分の影を自在に操り、攻撃をしてくる。性能は灼滅者が扱う影業と同じだな」
     黒百合の花を模った影で、相手を捕らえ、切り裂き、心的外傷を抉る。黒百合の花言葉は――『呪い』。
    「時間帯が夜という事もあり、人通りは無いようだ。ただ、住宅地からも遠くない。音には配慮出来ると良いかもな。じゃあ、よろしく頼む」
     ひと呼吸置き、ヤマトが付け加えた。
    「黒百合伝説の通りなら、恨んだ男はとっくに切腹、お家断絶。恨みをぶつける相手も居ないのに怨恨だけが凝り固まっている、救いようのない話だ。せめて誰かに害をなす前に、倒してきてくれ」


    参加者
    アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)
    帆波・優陽(深き森に差す一条の木漏れ日・d01872)
    千条・サイ(戦花火と京の空・d02467)
    東雲・悠(龍魂天志・d10024)
    穹・恒汰(本日晴天につき・d11264)
    神宮寺・刹那(狼狐・d14143)
    成瀬・ピアノ(敬天愛人・d22793)
    黎・葉琳(ヒロイックエピローグ・d33291)

    ■リプレイ

    ●薄暗がりの中で
     足早に住宅街を抜けた先、どっしりとした造りの神社の裏手に回ると、さらさらと水の流れる音が聞こえた。
    「なんか、淋しい感じもするよな」
     ぽつりと呟かれた穹・恒汰(本日晴天につき・d11264)の言葉が指すのは、花の散った並木の人気の無さか、生み出された畏れの事か。確かに辺りには疎らとはいえ街灯も、近隣の建物から漏れる明かりもあるというのに、妙に薄暗く寂寞としているように感じられた。
    「どんな感じなのでしょうね」
     恨むべき相手も居ないのに、ひたすらに恨み続けるというのは。神宮寺・刹那(狼狐・d14143)が、小首を傾げる。おっとりとした彼には、些か理解に苦しむ所があるのかもしれない。
    「呪い、か」
     そんなもので家を滅亡させる事が出来るのか。それとも昔はもっと強い力が存在していたのか。成瀬・ピアノ(敬天愛人・d22793)は思いを巡らせるが、答えを出すには至らない。
    「呪いの伝説とかもったいな。綺麗な花やのにな、黒百合」
     千条・サイ(戦花火と京の空・d02467)がぼやくように言えば、
    「花言葉は偶然でしょ。だって、最初の花言葉辞典が出来たのは19世紀だもの」
     あるいは伝承が元になって、後に出来た花言葉か。真面目な彼女らしい言い草で、アリス・バークリー(ホワイトウィッシュ・d00814)は前方に広がる並木を、凛と見据えた。『磯部のさくら』と書かれた碑の近く、桜とは異なり緑色の実が生った木が枝葉を広げている。榎だ。
    「! 皆さん、頑張っていきましょう」
     空気が変わったのを感じ取り、帆波・優陽(深き森に差す一条の木漏れ日・d01872)がスレイヤーカードを解除する。
    『……許さない』
     力なく立ち尽くしていると言うよりも、木から垂れ下がっているように見える程に、だらりとした姿勢の女が、一人。
    「実害が出る前に片付けるわ。介錯してあげる……って言った方がいいのかしら?」
     黎・葉琳(ヒロイックエピローグ・d33291)の槍を持つ手に力がこもる。
    「Slayer Card, Awaken!」
     アリスが武装すると同時に、周囲の音を遮断した。
    『滅びるがいい』
     女が顔を上げる。悲痛、悔恨、怨嗟、あらゆる感情が入り混じった表情。
    「人を呪わば穴二つ。もうやめようぜ、そういうのはさ」
     東雲・悠(龍魂天志・d10024)が憐れむように声を掛けるも、女の耳には届かない。

    ●闇夜に咲く花
     花が咲いた。
     正確には、女――小百合の足元に広がる影が、黒百合を形作った。灼滅者達を絡め取ろうと、蔓植物のようにぬるりと茎を伸ばす。それに拮抗する速さで、アリスも影を伸ばした。銀色の影法師から生える、腕、腕。まるで輝く沼に引きずり込もうとしているかのように、小百合の体を捕らえてゆく。
     対して、アリスに向けて伸ばされた蔓は、割って入った恒汰の体に絡みつく。彼はぎりぎりと食い込む影の痛みに耐え、赤く色を変えた標識を、力いっぱい振り下ろした。恒汰を離してくれと言わんばかりに、ウイングキャット のイチも魔法を放つ。
    「こちらよ」
     エアシューズから炎を迸らせた優陽は、鞘に納めたままの日本刀を、あえて見せつけるように手にしていた。それを認めるや否や小百合は顔色が変わり、苛烈とも言える怒りを露わにする。
    『許すものか!』
     黒い花が膨れ上がり、少女の体を包むように飲み込む。
    「ああ、やっぱ花が喰らいついてくるんか」
     黒百合の動きを観察していたサイは、小百合に飄然と近づくと、オーラを宿した手刀でもって、彼女の体を裂いた。確かな手応えがあったにも関わらず、彼女はびくとも動かない。刹那のフォースブレイクで女の体が爆ぜるが、ぎょろりとした目玉は優陽に向けられたままだ。
     ピアノが抜刀した音で、ようやく小百合の意識が逸れた。冴え冴えと輝く刀身に気を取られたその隙を見逃す事なく、射出したダイダロスベルトで女の腹を貫く。そこに後方から一気に間合いを詰めた葉琳と悠が続き、捻りを加えながら槍を突き通した。
    『憎い、憎い……!』
     小百合は複数の武器に貫かれたまま、颶風のごとき勢いでピアノに肉薄した。どろどろと傷口から溢れさせているのは、血というよりも彼女自身が操る影のように黒い。
     今の小百合は人というよりも、こごった闇を人の形に押し固めたような、そんなおぞましい様相をしていた。

    ●闇夜を裂く花
    「さ、喰らい合いましょうか」
     影には影を。怨念を真っ向から砕くと宣言したアリスは、先刻から小百合と同じ技を繰り出していた。当の小百合はというと、日本刀を携えた二人の少女にばかり気を取られている。怨讐に囚われるとこうも思考が狭まるのか、と肩を竦める。
     攻撃を引き受ける為だけに刀を持参した優陽は、炎を帯びたシールドで戦っていた。彼女は刀を決して抜くまいと心に決めているのだが、そのような事を小百合が知る由も無く、恨みがましく影を伸ばす。
    「貴方には、お節介かもしれないけれど」
     せめて溜め込んだ恨みを、全てここで吐き出せば良い、と。刀を手放す事なく、攻撃を受け止める。
    「もう恨む相手は居ないんだ。だから静かに眠ってくれ……!」
     小百合は影でガードを試みるが間に合わず、恒汰の飛び蹴りが炸裂した。同時に動いたサイが死角から飛び込み、影を宿した拳を叩き付ける。
    『ア゛アアッ』
     続いて刹那が腕を異形化させて踏み込んだものの連携は繋がらず、小百合は身を捩らせるように拳を避けた。風も無いのに大きく揺らいだ黒百合の葉が、刹那の肩口を裂く。小百合が体勢を立て直す直前、ピアノが駆け、上段の構えから刀を振り下ろした。
    「……痛かっただろうね。辛かっただろうね。苦しかっただろうね」
     軽やかな動きでありながら、重い一撃。
    「恨んだ、だろうね」
     目の前の彼女は、所詮はサイキックエナジーの産物に過ぎないのだろう。けれど、例え自己満足であろうと、生み出されてしまったそれの痛みを受け止めてやりたいと、痛切な表情を湛えて語り掛ける。
    「お前の恨み辛み、俺たちにぶつけてみろよ!」
     同じく小百合の境遇に同情的だった悠が、叫んだ。撃ち出した槍の妖気が直撃し、ボロボロになった女の着物を凍てつかせる。
    「お前の望みは、なんだった……?!」
     彼はただ呪いを吐き出し続けるだけの存在など悲しすぎると、せめて早く楽にしてやりたいと願う。
     小百合は答えない。会話すらも成り立たない彼女に、葉琳は慰めなど口にしない。
    「武芸百般……とまではいかないけど、私の攻撃見切れると思わないでよね」
     その口から語られるのは怨恨の奇譚、古の英雄達の物語。纏わりつくような言霊に、小百合が身悶えする。そもそも既に炎に氷、灼滅者達の多彩な攻撃が、彼女を蝕んでいた。嗚呼、と悲鳴とも咆哮ともつかない声が上がる。その時、彼女が初めて呪い以外の言葉を口にした。
     ――ああ。何故、私を信じてくださらなかったのですか。
    「……佐々成政でも見ているのかしらね?」
     トラウマに苛まれての言葉だろうか。知る術など無く、アリスは容赦なく裁きの光を放つ。小百合の影を掻き消すような、輝条。消されまいとするかのように影が膨らみ、アリスを包み込む。
    「回復頼む!」
     恒汰の声にイチは目を細め、尻尾の先のリングを輝かせた。更にピアノが心温まる七不思議を語り、前衛を浄化する。仲間達が蓄積されたダメージを癒す事に回り、攻撃が止むその間隙を埋めるように、黒百合の影に勝るとも劣らない漆黒の塊が撃ち込まれた。
    「せめて最後の呪いくらい、俺らで受け止めたる」
     サイの漆黒の弾丸に貫かれ、小百合の体が大きく傾いた。畳みかけるように、葉琳の畏れを纏った紅蓮の槍が振り抜かれ、刹那の拳が繰り返し打ち込まれる。
     優陽の流星の煌めきを宿した蹴りを脳天に喰らい、悠の突き出した槍頭から延焼した炎に焼かれ、小百合の体がぐずぐずと崩れ始めた。もはや人の形など成さない異形となりながら、その目は未だ鞘に収まったまま少女の手中にある日本刀へと向いている。まるで、何故、と問うかのように。
    「……私は拗れた糸を断って短くするよりも、解いて一本に戻す方が好きなの」
     女の姿が跡形も無く消えるまで、灼滅者達は静かに立っていた。

    ●月明かりの下で
    「お疲れ様でした」
     刹那がにこりと微笑んだ。水辺特有の清浄な空気に、ほっと息を吐く。
    「おつかれ。この古の畏れを呼び覚ましたスサノオは、どこへ行ったのかしら?」
     まだ近くに居るのだろうか、それとも既に遠い地で新たな畏れを呼び覚まそうとしているのだろうか。スサノオが居る限り事件はまた起こるだろうとアリスは思索に耽る。
    「いくら古の畏れを呼び覚まされても、大丈夫よ。私達が倒すもの」
     そしていつか、全ての元凶であるスサノオも。葉琳は凛然と言い、並木の向こうに広がる闇を見つめた。
    「悲しい記憶を揺り起こすだけ起こして去っていく……スサノオの行為には憤りを感じ得ないわ」
     ふわり。柔らかな風が吹き、榎の葉が擦れる音が鳴る。優陽の吹かせた魂鎮めの風は、灼滅者達の頬も優しく撫でた。
    「木を傷付けずに済んで良かったぜ」
     木の幹をそっと撫で、悠は手を合わせる。戦闘時に気を配っていた甲斐があってか、榎も桜の木々も、何事も無かったかのように佇んでいる。
     悠を横目で見やり、サイもそれに倣う。調べた黒百合伝説を思い返し、目を瞑る。
    「オレは日本刀は持ってこなかったんだけど、本人的にはどうだったんだろう。日本刀で倒された方がよかったんだろか……」
     労うようにイチの背を撫でながら、恒汰は榎を見上げた。茂る葉の間から、輝く星々が見えた。
    「小百合さんが救われるわけじゃないけど……」
     ただ単に倒して終わり、では嫌なのだ、と。ピアノも先程倒した古の畏れと、遥か昔にこの場所で斬られた女性を想い、悼む。願わくば、二度と叩き起こされる事の無いように。

    作者:宮下さつき 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年6月9日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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