指先の悪魔

    作者:君島世界

     福岡県白島、男島。
     かつて下関要塞の一翼を担う軍事基地が据えられ、今は巨大な石油備蓄基地へと作り変えられた、北九州は響灘の小島である。
     その岸壁に、多数のイフリートが群れをなしていた。ある獣は牙をむき、またある獣は蹄を鳴らし、総じて音無しの構えを決め込む者はいない。
    「ガイオウガ様ノ無念、イカニシテモ果タサネバナラヌ」
     群れの中心にて、黒い毛皮のイフリート、クロキバが言う。
    「アフリカンパンサーノ座ス軍艦島ハ、間モナクソノ姿ヲ見セルダロウ」
     クロキバは、苦渋の表情を浮かべる。
    「ウズメトハ話ヲツケタ。本懐ヲ遂ゲタ後、アフリカンパンサーノ地位ヲ我ラガ占メルナラバ、軍艦島ヘ導コウト……」
     本懐――アフリカンパンサーを討つ為とはいえ、うずめ様の配下に成り下がらねばならないというは、業腹なのだ。
     だが、他に方法は無い。
     あの武蔵坂の灼滅者ですら退けた軍艦島に、アカハガネ等の離脱で勢力を縮小させたクロキバ達が攻め入るには、こうするより他に方法は無いのだから。
     群れの興奮がピークを迎えようとしている。クロキバは言った。
    「オ前達ノ、命、アズカラセテモラウ」
     同時に、海上には島のように巨大な軍艦が姿を見せた。
     海風を砕くようなイフリート達の咆哮と共に、因縁の決戦が幕を開ける――!
     
    「という戦いが、あったようですの」
     過去の話ですわ、と、鷹取・仁鴉(中学生エクスブレイン・dn0144)は明言した。
    「下総・文月(夜蜘蛛・d06566)様の予測もあって、イフリートの動きを察知できたのですけれど、時既に遅し。私たちが介入できるタイミングではなくなっていたのですの。
     まとめますと――クロキバは、うずめ様の傘下に加わることを条件に軍艦島へ招き入れてもらい、アフリカンパンサーに勝負を挑んだ、ということになりますわ。獄魔覇獄以後のいろいろもあって、クロキバの求心力は低下の一途ですの。単独でアフリカンパンサーを討つことは、不可能な状況にあるのですわね。
     私たちとも獄魔覇獄でいろいろありましたし……主に協力を断ったりとか……なので、本懐を遂げる為には、他のダークネス組織を後ろ盾にせざるを得なかった、というところでしょうか」
     という仁鴉の説明には、なるほど、と頷き、クロキバのとった行動に理解を示す者も若干いた。
     では、その戦いの顛末はどうなったのか。
     柿崎・泰若(高校生殺人鬼・dn0056)が率先して手を挙げる。
    「クロキバの戦闘結果はどうなったのかしら。負け? それとも勝ち?」
    「アフリカンパンサー側の勝利で終わりましたわ。クロキバたちは、うずめ様の取り成しもあって撤退、今は道後温泉に落ち延びて傷を癒しているようですの。
     さて、ここからが今回の作戦の本題ですわ。
     道後温泉には、ゴッドセブン『もっともいけないナース』配下の『いけないナース』がおります。彼女らが戦いに傷ついたイフリートの治癒を担当しているようですの。
     となりますと、その献身と優しさにほだされ、さしものイフリートたちもコロリといって、もっともいけないナースの仲間になってしまうかもしれませんわね。
     由々しき事態ですの」
     この作戦で関わることとなるダークネスは、ライオン・女性型のイフリート『シシフミ』と、淫魔『いけないナース』だ。彼女らとは道後温泉にある旅館の一室で接触することができるだろう。ある程度は警戒していたのか、三階の角部屋で、非常階段も近い(いざとなれば、飛び降りて逃げるだろうが……)。
     時刻はおよそ午後十時頃。旅館は満室でこそないが、職員や一般の逗留客もいるため、ある程度は配慮が必要になるかもしれない。
     敵ダークネスのバベルの鎖による予知は、『部屋の近くに到着するまでスレイヤーカードを封印解除しない』ことで回避できる。殲術道具やサーヴァントを出しておくことは可能だが、最接近までは灼滅者としての身体能力を使えない、ということでもある。
     戦闘になれば、シシフミはファイアブラッド+バイオレンスギター、いけないナースはサウンドソルジャー+殺人注射器に、それぞれ相当するサイキックを用いる。また、いけないナースは『お客様に安全にお帰り頂く事を再優先』とする為、自分が足止めとなり、湯治に来たダークネスを逃走させようと試みるようだ。
     2体のダークネスを同時に相手取るのは、実力差の問題から厳しいといわざるを得ない。シシフミとは無理に戦わず、逃走させるのも良いかもしれない。
    「接触時点でのシシフミは、戦闘よりも逃走を優先しますの。ですので、この作戦の勝利条件は、『どちらか一方のダークネスを灼滅すること』としますの。深追いは禁物ですわね。
     また、もしこの事件を放置しますと、イフリートはもっともいけないナースに完全に籠絡され、その配下となってしまいますの。これを阻止するためにも、この作戦は必要なのですわ。
     付帯状況の多い作戦ですが、皆様なら必ずやり遂げられるものと信じております。今回も、よろしくおねがいいたしますわね」
     
     ――温泉旅館の一室。
     極力灯りを減らした薄暗い空間に、女と女の吐息が浮遊する。
    「アア……オォ……イイネェ、アンタ……上出来ダ……ンン……ッ!」
    「お褒めいただきありがとうございますー。他に、凝ったところや痛気持ちいいところなどございますか? 
     ――弱いところ、教えてくださいよー」
    「ニ……肉球ガナア……アタシ弱イネエ。タダ、尻尾ノ付ケ根ハヤメトクレヨ……ソレヤラレルト、ワケワカンナクナッチマウ」
    「わっ、おっきな肉球ですねー。それじゃ、まずはここを重点的に……そして最後はご希望のところを……うふふふふ♪」
     施術台に寝転んでいるのは、一匹の獅子、イフリートだ。
     最後のプライドとして、腹ばいになることだけは拒否しているが、施術者である淫魔のテクニックにかかれば、それも時間の問題だろう。
    「ハハ、コンナ世界ガアッタトハネェ。肉食系デ鳴ラシタアタシダケド、サスガニコウイウノハ初メテダ」
    「よければ、もっとありますよ? 同じ女の子じゃないですか、いいところも、もっといいところも、よーく知ってますからねぇ……」
     と、淫魔の瞳に、ついに怪しい輝きが宿り始めたのを、背を向けて寝転ぶイフリートは未だ、気づいていない――!


    参加者
    芳賀・傑人(明けない夜の夢・d01130)
    本山・葵(緑色の香辛料・d02310)
    朝間・春翔(プルガトリオ・d02994)
    狩野・翡翠(翠の一撃・d03021)
    ライラ・ドットハック(蒼き天狼・d04068)
    皐月・詩乃(神薙使い・d04795)
    御印・裏ツ花(望郷・d16914)
    流阿武・知信(炎纏いし鉄の盾・d20203)

    ■リプレイ


     静かな、眠りの気配が漂い始めた温泉旅館を、灼滅者たちのパーティが進む。
     彼らは、加勢に来た仲間を加えれば、10人を超える大所帯だ。
     そんな状態で、ここまで――旅館の三階まで、ほぼ誰にも未発見のままで来られたのは、いかな人気が無い時間帯とはいえ、ただの偶然ではない。
    「……歳相応の身体能力となった今、肝心なのはルート選定よ。だからまず、食堂やホール、お風呂場など人の出入りが多い所は、徹底して避けなければならなかったというわけ。勿論、先輩の言うエレベーターも、ね」
     慎重に声量を絞ったライラ・ドットハック(蒼き天狼・d04068)の解説に、柿崎・泰若(高校生殺人鬼・dn0056)はなんとなく頷く。
    「なるほど。で、その理由で非常階段を使わなかったのは、やっぱり目立つから?」
    「それは僕が答えてみよう。敵の予知に引っかからないとはいえ、泰若の言うとおり万一のリスクがあるからだ。外付けの非常階段は用途が限定的で、つまり『使うこと』は一種の異状だ――」
     芳賀・傑人(明けない夜の夢・d01130)の回答は、若干の含みを持たせたものである。
    「――が、正面突破でまっすぐ行けたのなら、それに越したことは無いけどな」
    「……ええ、厄介なものね。敵にも予知があるというのは」
    「うんうん、面倒よねこういうの……と、統一見解もできた所で、そろそろ準備しましょ」
     泰若が促すと、各員それぞれ懐からスレイヤーカードを取り出した。
     当然誰も、即座に封印を解除したりはしない。エクスブレインの指示は、きちんと守られている。
    「では手短に確認を。この先にいるダークネスは2体。イフリート・シシフミと、淫魔・いけないナースです。この内、シシフミは逃し、いけないナースだけを灼滅すると、そういう運びになっています」
     力強く告げる皐月・詩乃(神薙使い・d04795)は、普段とはまるで逆の厳かな雰囲気に包まれていた。その一言一言に込められた思いは、神薙使いとしての使命感か、それとも。
    「討つべきを討ちに、参りましょう」
     呼応して、灼滅者たちの気配が、今までに増して鋭くなった。強襲し、目的を確実に遂げるために必要な、適切な緊張……。
     しかしひとり、流阿武・知信(炎纏いし鉄の盾・d20203)だけが、乗り切れずにいる。
    「……理性を保ったイフリートと会うのは、初めてだな」
     知信には、己が闇堕ちすれば確実に理性を失うだろうという、諦めにも似た確信があった。
     故に、イフリートの理性とはどういうものなのかという、場にそぐわない興味がわくのを止められない。できれば言葉を交わし、理解を深めたいものだが。
    「(そんな暇は、見込めないか)」
     既に一行は、目的の部屋の前に到着していた。
     本山・葵(緑色の香辛料・d02310)が上げた人差し指のサインに、皆頷きあい、一斉にスレイヤーカードを開封する。
    「じゃ、一斉に切り込むぜ……っつっても、ギリギリまで近づきたいからな、努めて静かに」
     葵がドアノブを掴むと、意外なことにそれは抵抗無く回る。
     陣形順に忍び足で部屋の中に入っていった先は、真っ暗な部屋だった。
     奥の戸の隙間から、わずかながら灯りが漏れ見えていた。
     間違いない! 一気呵成、葵は交通標識を掲げ、文字通りに切り込んでいく!
    「ストーップ! 背景に百合の花が出てきそうなシチュエーションは、そこまでに――」

    「にゃおんにゃんにゃんにゃうううにゃうにゃんにゃんにゃん!」
    「ぐふふふひひいい反応です! 燃えますなあ萌えますなあ! 淫魔冥利です!」
    「にゃ、にゃあああぁぁぁ……ア」
     ここで、シシフミと灼滅者たちとの目が合った。


    「何用ダ灼滅者! コノアタシヲ、誇リ高キ獅子ノいふりーとト知ッテノ狼藉カ!」
     シシフミは獣姿のまま身を翻し、窓際まで後退した。ついさっきまで彼女が醜態をさらしていた施術台の側に、目を丸くして立ち尽くすいけないナースを残して。
     ……目を丸くしているのは、知信も一緒だが。
    「あらあらまあまあ……」
     それとは対称的に、御印・裏ツ花(望郷・d16914)は口元を扇で覆い隠し、つまり嘲笑する態度でいることをまるで隠そうともしていない。
    「イフリートともあろうものが、籠絡されるとは嘆かわしい」
    「ナッ! イヤ、ソノ、アタシハマダ――エ? 篭絡?」
    「どう見ても手玉に取られている猫……失礼、獅子だったではありませんか、貴女」
    「……オイ」
     シシフミが疑いの視線をいけないナースに向けた。いけないナースの額に焦りの汗が落ちる。
    「ち、違います違いますー! あの程度ならまだれっきとした医療行為ですー! 業界用語でいう所の『先っちょだけ』ってやつですよぉー! ホントはもっと奥に深いんですから」
    「療養中の所、驚かせてすまなかったな、シシフミ」
     いけないナースの頭越しに、朝間・春翔(プルガトリオ・d02994)はシシフミへと語りかけた。
    「フン。アタシハ野生ニ生キル獣ダ。ソノ油断ヲ突ケタコト、セイゼイ誇リニ思ウガイイ」
    「……まあ、気にするな。相手と、タイミングが悪かった。弱っている所を甲斐甲斐しく世話されれば、疑う余力も無くなってしまうだろうからな――」
    「ところでシシフミさん! これ、灼滅者のカチコミですよ! 大変ですねそうですね!?」
     台詞の途中でいけないナースが大声を上げた。
    「ですからここは私に任せてどうぞお先にお逃げ下さい! いえいえ私のことはお気になさらずお客様が笑顔で帰られるまでが仕事ですからあとりゃああああああ!」
     と、いけないナースを中心に、ピンク色のガスが部屋中に噴きだし始めた。それを嫌ってか、シシフミは尻尾でガラス戸を開け、するりと隙間を抜けていく。
    「ソウ早口デ言ワレナクトモ帰ルワ。ジャアナ」
    「あっ、シシフミさん! ちょっと待ってください!」
     シシフミは、闇夜に踏み込む一瞬前に留まって、呼び止める狩野・翡翠(翠の一撃・d03021)の方を向く。
    「クロキバさんと、積極的に戦いたいという気はないと伝えて下さい。それと、また、お話しできる機会を待ってます、と!」
    「――知ルカ。アタシラハ何ダ? 獣ダ。……ソウイウ事サ、人間ノ小娘」
     今度こそ、シシフミは去った。
     それを笑顔で、手まで振って見送ったいけないナースであったが、ついにシシフミの姿が見えなくなってしまうと、……ある意味で、豹変する。


    「もう少し……もう少しで……!」
     怒り(?)に身を震わせるいけないナースの(おそらく)殺気が一気に膨れ上がる。
     それらに首筋が撫でられた様な気配があって、詩乃は思わずその箇所を手のひらで押さえた。
     じとり、と汗がにじむ。嫌な予感。
    「何をする気かはわかりませんが、あなたはここまでです」
     気圧される前に、詩乃は地を蹴った。
    「お覚悟!」
     一足に踏み込み、敵の懐へ、異形化した腕をコンパクトに突き込む。
     インパクトの瞬間、淫魔の視線が此方とかちあった。
     怖気を、――振りほどく!
    「っ!」
     ドガシャアアァァッ!
     攻撃を受けたいけないナースは、部屋の調度品を巻き込みながら跳ね回った。
     天井の角に張り付いたところを、WOKシールドを構えた知信が追う。
     敵直下の位置から踏み切るのは、壁との挟み撃ちを狙った。
    「そこだねっ!」
     迎え撃つは、いけないナースのピンヒール。
     面と点とのせめぎあいは、しかし点側が衝撃を受け流すことで、すれ違いの結果となった。
     浅かっただろうか。手応えとしては、十分なものだが……。
    「予約とかしてないんだけど、次はこっちの相手をしてもらえるかな?」
     知信が言うと、いけないナースは接客スマイルを浮かべる。
    「申し訳ありませんが、予約のお客様を最優先とさせていただき……ああ、もう!」
     罵声と共に看護帽を投げ捨て、こちらを指差して。
    「何してくれちゃってるんですか皆さん! せっかくもう少しで、メスライオンが雌猫になるところでしたのにー!」
     ……。
     …………。
     ………………。
    「それ、何がどう違うのかしら」
    「言わせないでくださいよーはずかしいなーもう!」
    「ぐふっ」
     突っ込んだ泰若に、いけないナースは無造作に巨大な注射を打ち込んだ。
     何かヤバい色の液体が、みるみる内に泰若から吸い出されていく。
    「わ、わっ! しっかりするです! 大丈夫ですか?」
     協力者の小学生殺人鬼が、焦った様子で泰若に声を掛けた。驚きの表情を力なく青ざめさせていく彼女……しかし。
    「ったく、もう少しシャキッとしなよ? だがまぁ、そう簡単に落とさせやしないけどな」
     葵のイエローサインが、その窮地を救った。完治ではないが、ひとまずの対処としては――。
    「――なんとか、なりそうね。ありがと」
     素直に礼を言う泰若に、葵は標識を両肩担ぎにしながら応える。
    「いいってことよ。それよりなんだ、思ったより手ごわいか、アレ」
     葵の指差す先には、鼻歌交じりで仲間の攻撃を凌ぐいけないナースの姿があった。
     いや、有効打が無いというわけではないのだが……。
    「たあああああぁっ!」
     今も、翡翠のレーヴァテインが完全に入ったところだ。
     無敵斬艦刀『白羽鉄』の先に灯った炎が、暗い部屋に残像の軌道を引いて、流れる。
    「これでどうで……ひゃんっ!」
     チッ!
     構わず振り回されたいけないナースの指先が、翡翠の肌をかすめた。
    「んふ。スイートスポット、いただきました!」
    「ち、違いますから! 今のはそういう箇所じゃありませんでしたからー!」
     翡翠は顔を真っ赤にして、飛び回る淫魔に斬艦刀をぶんぶん振り回していた。
     それが実際どういう箇所だったかは、本人同士にしかわからないが――。
     ――何にせよいけないナースは、自己回復を中心に、ひたすら守りに徹しているようだ。
     その事情を灼滅者たちが察しても、いけないナースは変わらぬ笑みを浮かべている。
    「うふふー、ご明察ですー。この戦い、シシフミさんがご無事ならわたしの勝ちですから」
    「! あなた……」
    「結果を出してこそのプロ。でーもー、その過程に『役得』があっても構いませんよねぇ?
     ――ストライクゾーン、広いですよ? わたし」
     いけないナースは腰を落とし、両の掌を大きく広げた。
     身構える灼滅者たち。淫魔の指先が、親指、小指、薬指と、順に握られていく。
     その仕草が、拳を作るためではなくカウントダウンのためだったと気づいたのは、部屋のドアがノックされてからのことだった。


    「ルームサービスというやつです。シシフミさんがどうしてもと仰ってたので、ステーキを」
     声を掛けて帰させるにしても、当然の対策として知信が発動しているサウンドシャッターが、ここでは逆に仇となる。
     なら。
     裏ツ花はすみやかに駆けた。ドアを開き、その途中で腕を外に突き出す。
    「お――」
    「お勤めご苦労様。眠りなさい」
     そして裏ツ花は、魂鎮めの風を繰り出した。
     ドレスの翻りが収まるより先に、職員は眠りに落ちる。
     力を失い倒れてくる時に、手押しのカートは不意に押され、からからと遠ざかった。
    「傑人、オベロンを。この人を安全な所へ逃がしてあげませんと」
     裏ツ花が職員の身を抑えていると、協力者の高校生エクソシストが入れ替わりにくる。
    「いえ、それには及びません。ここはわたしに任せて」
    「助かるよ。戦力が割かれないのなら、決着を少しは早められそうだ」
     と、傑人はライドキャリバー『オベロン』を戦列に戻し、協力者に労いの合図を送った。
    「それに、敵もああは言ったが、だからといって決死隊と決まったわけでもないからな」
    「んふふー……。よく言いますよ、最初からこっちの逃走を警戒してるくせにー」
     いけないナースは、巨大な注射器をふと背中側に回した。
     火花が弾け、影業の刃が暗闇に戻る瞬間を照らし出す。
     傑人自身は、窓際から一歩も動いてはいなかった。
    「いろいろバレちゃったことですし、本気行きましょう! 淫魔のテクニックで、みんな骨抜きにしてあげますよー♪」
     こきん、と、いけないナースは、指関節を鳴らす音を残して。
    「消えた……?」
    「前衛、後ろです!」
     春翔が叫ぶ。しかし時既に遅く、いけないナースは前衛五名全員の背後に現れていた。
    「な、速ッ!?」
     しゅぱぱぱぱぱっ!
     いけないナースの素早く的確な指捌きが、それぞれの弱点を突き貫く。
    「――デンジャラスゾーン、確かに頂戴しました♪」
     すと、といけないナースは元の位置に降り立ち。
     後に残されたのは、悶絶する灼滅者たちであった。
    「ふ、普通に痛いわね……」
    「今、回復します! しっかり、傷は浅いですから……!」
     間を置かず、春翔は『Oath of the defense』を正眼に構える。
     聖剣の祝福が、穏やかな風となって仲間たちを癒していった。
     と、いけないナースは、なぜか頬を膨らませている。
    「むー。傷ってなんですか傷ってー。前も言いましたがこれ、医療行為ですよ!?」
    「え。……ああ、それは失礼。落ち着いてください皆さん、ただの医療ミスだそうで」
    「さすがにそれは怒りますよーっ!」
     地団駄を踏んで、不機嫌な表情を露にするいけないナース。
     その正面に、拳をきつく握るライラが踏み込んだ。
    「はい? もしかして、延長ご希望ですか?」
    「……怒っているのは……私のほう、よ……」
     ドスッ!
     答えず、ライラは全力のリバーブローを叩き込む。
    「……あなた達も、スマイルイーターのように駆逐してあげる」
    「あ、いたたっ……た、達ってどういうことですかぁ?」
     やはり答えず、そこからの連続攻撃を、瞬く間に完遂した。
     心臓、鳩尾に続け、意趣返しの爪先蹴りを胃に。敵の上体が傾いだ所を――。
    「……先に逝きなさい」
     ――首筋へのハンマーパンチで、締めた。


     さらさらと、いけないナースがピンク色の粉末になって崩れていく。
    「ふー……。お仕事完了、ですかねぇ……」
     その工程は、思ったよりも速い。
     淫魔の満足げな表情が、半ばまで空に溶けたところで。
    「待て……待ってくれ」
    「は……い……?」
     春翔は、手短に問う。
    「君たちの大元締め、『もっともいけないナース』は、どこにいる? 答えてくれ」
     結局。
    「うふ、ふ」
     微笑だけを残して、いけないナースは消え去った。
    「……どうあれ、恐るべきテクニックの持ち主だったわ。これはいい加減、もっといけないナースを何とかしないといけないかもね」
     ライラは拳を下ろし、緊張のレベルを意識的に下げる。
     もう周囲に危険は無い。裏ツ花もそれにならい、一息ついた。
    「ふう、ようやく終わりましたわね。こんな時間まで……体を休めたくもなりますわ」
    「あ。でしたら、温泉でゆっくりしていくのはどうでしょう? 跡をチェックしておきたい部分もありま……いえなんでもないです」
     後半はともあれ、翡翠の提案は妥当なものだ。早速葵が話に乗る。
    「日帰りでも、12時まで入れるところもあるって話だぜ。今からだと1時間ちょいか」
    「うん、異論は無いわ。どうせ元から朝帰りになるスケジュールだしね」
     と、泰若。ちなみに東京への終電時刻は、作戦開始よりもだいぶ前だったらしい。
    「えっと、泰若さん。女の子が朝帰りというのはちょっと、語弊があるのでは……?」
     おずおずと告げる詩乃。傑人も同じように連想したが、あえて口には出さないようだった。
    「……まあ、僕たちは僕たちで行く場所も違ってくるだろう。流阿武、お前はどうする」
    「え? ああ、うん。どうしようかな……」
     窓の外を見ていた知信は、思わず生返事を返す。
     この夜。湯煙たなびき、星の瞬く外界に、探していたのは骨休めの場所ではなかった。
    「シシフミ、か……」
     生きてさえいれば、また会えるのだろうか。
     見上げる月は、ただ、変わらぬ沈黙を続けている。

    作者:君島世界 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年6月18日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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