ラストムービーは灼滅者と共に

    作者:一縷野望


     安寧な眠りとは逆さま。
     重くなにかがのし掛かるような、それでいて手にした大切なモノがとりあげられて身軽になるような――そんな奇妙な夜だった。
     北逆世・折花(暴君・d07375)は、自分が悪夢の最中にいると辛うじて気がついた。傍らに佇むのがシャドウだと把握したからだ。
     奴は嘯く、折花へ。
     否。
     折花が心の深淵に抱く闇、ダークネスへ。
    『汝、ダークネスとして生まれながら、灼滅者という罪により意識の深層に閉じ込められ、同胞たるダークネスを灼滅する者よ』
     人としての意識を保つための掛け替えのない行為は、ダークネスから見れば単なる暴虐。
    『北逆世・折花という殻に閉じ込められ、孵る事なき、雛鳥よ』
    「うぅ……」
     現実の折花の眉根が苦しげにぎゅうと寄る。
     ……心の中、抑え込もうとしたタマゴが罅割れ震えたからだ。
    『我、オルフェウス・ザ・スペードの名において、汝の罪に贖罪を与えよう』
     それはまるで子守歌のように優しい響き。
     ずっとずっと聞いていたい。
    (「聞いては、いけない」)
     だが、折花がどんなに必死に塞いでも次から次へ罅を増えていく。
     ああ、止らない、止らない。
     はやく、はやく朝よ、はやく――。
    『我が声を聞き、我が手にすがるならば……』
     眠る闇の雛を導くように贖罪のオルフェウスは折花の絶望を加速させる。
    『灼滅者という罪は贖罪され、汝は殻を破り、生まれ出づるであろう』
     ぱきり。
     殻を弾いた孵りたての雛が、濡れた腕で虚空を掻く。
    『僕に贖罪を与えてくれるというのなら、その恩義に応えよう』
     ぱきり、ぱきりぱきり。
     殻を踏みつぶし立つ折花『だった』ダークネスは目覚め導いた存在を、冷え冷えとした紅で捉えた。
    『貴方が僕の主だ、贖罪のオルフェウス』
     左目の下、涙のようについたスートは忠誠誓うようなオルフェウスのスペード。
    『力とは使用者の意思によって振るわれるもの』
     ――僕は純粋な力となる事を、望む。
    『さあ、存分に僕を使い潰してくれ』
     ――それこそが、至福。
     

     くすんだパーカーをまかぶにかぶり、ポケットに手をつっこんで歩く彼女は傍目には少年に見える。
     何処にでも良そうな見目の彼女は、ホラーモノをヘビーローテーションするあるミニシアターのドアを押す。
     売店含め古びた施設、100席にも満たぬ場内は今日もがら空き。十分の一の席が埋まっていれば僥倖、そんな程度だ。
    「――」
     チケットを受け取る彼女の指がふと、止る。

     こんな所に来てしまった時点で、やはりまだ自分は完成していないのだ、と。

    「成程……」
     灼滅者という罪を贖い殻を割ってくれたオルフェウスへの忠誠、これは絶対だと自信がある。
     だが、
     それを示すべく『武蔵坂学園』の特異性、エクスブレイン他の強みを鑑みた作戦を提案しようとしたら……微弱な違和がそれを、止めた。
     違和の正体が判明、した。
     完膚無きまでに潰しきらねば、ならない。
     罪を現す折花という灼滅者が行った数々を、自らの手で否定する事で、自分は完成する。
     そう、
     この足にひっかかる疎ましい殻を完全に踏みつぶしてしまえるのだ。
    「ふっ、ふふふ……」
     くしゃり。
     ポケットの中、チケットの半券を握りつぶし、彼女は上映中のライトの下をくぐる。
     席につく贄は、ざっと七人。
     と、考えただけで彼らはやってくるはずだ。何しろエクスブレインという優位性を有しているわけだから。
     ……来ずにはいられぬ、はずだ。
     

     切り結んだ灯道・標(中学生エクスブレイン・dn0085)の唇は重く、しばらく開かれる事は、なかった。
    「……あの」
     焦れた機関・永久(リメンバランス・dn0072)が声を上げた所で、ようやく予知はひらかれる。
    「行方不明になっていた、北逆世・折花さんを見つけたよ」
     前日就寝前まではごく普通の生活をしていた灼滅者数名が、忽然と姿を消した事件は、彼女の闇堕ちという最悪の展開となっていた。
    「闇堕ちした理由はわからない。でも……」
    「助けなくては……いけま、せんね」
     先を引き取る永久を前に、標はぎゅうと拳を握りしめる。
     
    「ん、助けて欲しい。でも、でも……ね――どうすれば心に届くのか、わからないんだ」
    『憤怒のイラ』を名乗るダークネスに塗りつぶされた、心の在処がわからない。
     エクスブレインとしてそれを告げるのはどんなに苦渋である事か。
    「…………無理、ならば。灼滅、ですか」
     こくり。
     標は一度だけ頷く。
    「迷って勝てる相手じゃない、から」
     
     標は顔をあげると、努めて冷静に説明を再開した。
    「憤怒のイラは、都内のあるミニシアターにいるよ。放っておけば、観客七人を、殺す」
     彼女の見目はごく一般的な中性的な少女と変わらない。しかも上映中は暗闇、まさか殺されるなんて考えてもいない観客は淡々とその命を散らしていく――まるで折花が愛した『ホラームービー』のように。
    「彼女が館内に入ったその時、キミ達も映画館に突入して欲しいんだ」
    「みんなの入場料は俺が払います、から。みなさんは、とにかく……中へ」
     イラが誰かを殺せば、まず間違いなく折花を助ける事はできない。素早さが要求される。
    「中は暗闇。しかも椅子が沢山の手狭な戦場だよ。イラはそれを巧みに利用して、通常よりずっと効率良く攻撃を当ててくる」
     変幻自在の足技で、一対多でも苦もなく相手を翻弄する。
     そんな彼女が使用するのは、ストリートファイター、バトルオーラ、エアシューズのサイキックに似た攻撃。クラッシャーである彼女からのり一撃は恐ろしく、重い。
    「折花の第一の目的は自らの闇堕ちを完成させる事。だから、自分が灼滅されそうになったら迷わず撤退するよ」
     灼滅者だった『自分』が起こした事件を自らが起こし、それを完遂しようとしている。
     それは一般人の殺害であったり、灼滅者の戦線を瓦解させる程に叩きのめす事だったり。
     ちなみに退路は確保済みであり、それを潰すのは難しい。
     また撤退してしまえば、折花が折花として戻ってくるのは絶望的となる……そう、時間切れだ。
     つまり依頼を成功させるならば、なんとかして折花という人格を取り戻し救出するか、撤退させる暇を与えず灼滅へ押し切るか――両立できない二択から選ばねばならない。
    「映画館の中で戦えるのは、せいぜい八人とそのサーヴァントぐらいかな」
    「じゃあ俺は……皆が助けた一般人の保護へまわり、ます」
     永久は駆けつけた面々を紫苑に収め「手伝い、頼みます」と頭を下げる。
    「あとは……ん、届くかはわかんないけど、折花さんに伝えたい言葉があるのなら」
    「――後悔しないように、ですね」
     これが最初で最後のチャンスだ。
     果たしてそのチャンスがあるのかすらわからない、苦しい出発点ではあるけれど……。


    参加者
    エリザベス・バーロウ(ラヴクラフティアン・d07944)
    神園・和真(カゲホウシ・d11174)
    白波瀬・雅(光の戦士ピュアライト・d11197)
    阿久沢・木菟(八門継承者・d12081)
    久我・なゆた(紅の流星・d14249)
    柳葉・司門(痕隠し・d21040)
    風隼・樹里(ティミッドウルフ・d28501)
    黒木・白哉(モノクロームデスサイズ・d34450)

    ■リプレイ


     時化たスクリーンに映されるのは、不安露わな女が辺りを伺うシーン。背後に影が迫るまでがお約束。
     けれど観賞中の男は知らない。
     今まさに、闇色パーカーの腕が首筋に這い上がるホラー紛いの状況に自分が置かれている事を――。
    『……』
     す。
     椅子の間に影法師が立ち上がるように柳葉・司門(痕隠し・d21040)が割り込む。寸止めのイラに違和を感じ包帯越しの眉が寄る。
     ――映写機は回り続けていて、女は屍人に囓られ泣き叫ぶ。
    「非常事態が発生しました!」
     ――観客が同じと自覚できたのは、神園・和真(カゲホウシ・d11174)の明瞭なる声のお陰。
    「スタッフの指示に従い、落ち着いて避難してください」
     双子のようなカゲボウシが示す先、ドアを背で押し開ける機関・永久(リメンバランス・dn0072)がいる。
    「機関どの、後で館内照明を頼むでござる」
     ドア開放を受け継ぎ阿久沢・木菟(八門継承者・d12081)の要請する。
    「こちらです、大丈夫」
     腰に下げたランプを傾け穏やかな自分の顔と永久を示し、黒木・白哉(モノクロームデスサイズ・d34450)は一番遠い観客を支えた。
     一方、何事かとざわつきはじめたのは室外の係員である。
    「ここから先はスクリーンの中だけでは済まないぞ」
     エリザベス・バーロウ(ラヴクラフティアン・d07944)の、内外に響き渡る殺気は退去を促すに値する。
    「私達が相手だ!」
     入り口へ走る観客を隠すように久我・なゆた(紅の流星・d14249)は、わざと大振りに槍で風を切る。
    「悪夢に、夜明けの光を!」
     変身ヒロインの如く変じた白波瀬・雅(光の戦士ピュアライト・d11197)を横目に、去る観客にはさして関心を示さぬイラ。
    「邪魔され腹立たしいという顔では無いデスネ」
     司門は、違和感をあっさりぶつけてみる。
    『来るのはわかっていたから、ねッ』
     ガトリング握る手のカラーボールに触れぬよう椅子の背支点に宙返り、着地した先に居る風隼・樹里(ティミッドウルフ・d28501)へ無拍子で蹴りつける。
    「ッ」
    『にゃ!』
     身を竦める樹里を庇ったのはキジトラ猫の良心回路だ。
    「ありが、とう」
     ぎゅう。
     ポケットで握りしめた指でメール送信。
    「先輩のために、こんなにも人が集まったよ。まるで映画のクライマックス……」
     皆の声が届いて目を覚ます――そんな結末を夢見て樹里は外周の仲間を示す。


    『  』
     空白に託された願い受け、口火を切ったのは部長の謳歌だ。
    「わたしが正義の味方部を作ってから、折花ちゃんはずっと一緒にいてくれたよね」
    「折花さん、学園で同じクラブに入り出会えたことを私はとても感謝しています」
     ジュンが語るはそのまま折花の軌跡。
    「負けず嫌いの折花が、己の闇に負けたままとか根性出して下さい」
     似た性分だからと太郎は真っ直ぐな言葉を。
    「あなたと一緒に学園へ帰るために、皆どれだけ頑張ったと思う?」
    「その人達はいま、この場で戦っています」
     ユリアーネと桃の眼差しは漆黒の猫へしかと向いている。
    「ダークネスや灼滅者の別なく生きるにおいて罪は常に背負うもの」
     肉体の問う意志に従えと花子。
    「私は罪を背負い続けていたいものです」
     桃子は挑戦的にダークネスを見据え、その奥の折花を探した。
    「北逆世、怒れ。怒れ! 眠るな!」
     ガラス玉の瞳、なまくらの拳……それに抗いたいのなら。
    「今だけは、眠れない夜を過ごせ」
     呼びかけるキィンの隣で、
    「約束通り来たぞ」
     万感の想い語る兼弘は不意に悟る『心をつめこめ』の意味を。

     ――これが最期になるかもしれないから。

    「目覚めろよ。戻ってきてくれ、折花ぁあああああああっ!!」
     言葉が満ちあふれる間も暗闇から響く蹴打音は一切止まない。
    「誰も、倒れ、させない……!」
     散蒔かれた光源の明かりと樹里の蜃気楼が交差し、刹那像が結ぶが如くイラを顕わした。
    『君達の言葉は折花へ伝えよう――彼女が目覚めたら、ね?』
     不壊なる瞳はあり得ぬ夢物語だと鷹揚に物語る。


     白哉は息を詰め、それでも諦めず呼びかける声に心を浸す。
    (「助けなきゃ」)
     焦燥はこの力を手にしてから、ずっと。
     耳を澄ます主に従うようにネームレスは銃撃を潜め寄り添う。
     ……そこ。
     翳した指輪でイラの三歩先に弾丸を置く。果たして射手白哉の放つ制約はふくらはぎを見事に貫いた。
     と、同時に暴力的な重力の歪みに吐き気が込み上げる。
    「戦線の瓦解が目的なら食い下がり続けマス」
     重力の前に立ちふさがる司門の包帯が赤く染まった。
    「折花さん聞いて! みんな待ってる、貴女の帰りを!」
     パーカーのポケットに手をつっこみ、からかうように攻撃を避ける影へ白哉は声を枯らす。
    「貴女が灼滅者としてしてきたことは罪じゃない」
     ネームレスの銃撃音に負けぬ叫びと共に姿求め椅子をすり抜けて、
    「笑ったり泣いたり喧嘩したり……たくさんの思い出があるはずだ!」
     ……先程無碍にした声に耳傾けてと願い、影を伸ばし剣を突き出す。
     影は重い手ごたえを、しかし剣は軽い音で蹴り除けられた。
     と、同時に――息が詰まるような痛みが背中から。焦げた匂いに振り向けば見据える紅。
    『声は』
     エリザベスの放つ氷で凍てついた足首がゆらり持ち上がり、なゆたと雅の蹴りを薙ぎ躱し。
    『僕の見ている夢かも知れない』
    「……ッ! うくっ」
     遅れた返事を悔やみながら白哉は意識を手放す事となる。
    「帰ってきて」
     ……嗚呼、絞り出した声は届いただろうか?


     ぐしゃり、と。
     司門の胸元がひしゃげ冗談のように派手な色の血が上着を染める。それは身を屈め蹴りつけたイラのパーカーにも跳ねた。
    「捕まえたぜぇ」
     痛み厭わず白哉の残した影が絡むピンクの染みへ、司門は漆黒を這わせた。
    『ああ、捕まったね』
     取られた腕にもさして感慨無く、そのせいで和真の光条の剣で力奪われるも表情を変えやしない。
     そうして再び闇に紛れたイラだが遥かに容易く追える。出会い頭で浴びせられた炎を、集めた気で消し心も静めた。
    『僕を灼滅するのかい?』
     揺さぶりに呑まれた息は誰のモノ?
     少なくとも司門では、ない。
    「いいえ、還ってきていただきマス」
    『君は僕に関心がないようだけど』
     白哉の影に預けるように足を与えたイラはまた闇へ。
    「興味はありマスヨ?」
     蛍光塗料から離れぬ瞳、唇は滑らかに。
    「興味があるが知らないことを知ろうとするのは当然のことデショウ」
     制止。
     追うべく踏み出した司門は――太ももに鈍い痛みを感じ、止った。
    『それは君のスタンスでしかない。で、具体的には?』
     天地逆さま、見下ろしてくるのはパーカーを脱ぎ捨てたイラ。左手で太ももに跳ねた塗料を隠し、右足はブーメランのように司門の太ももに突き刺さる。
     明滅する視界の中、司門は目一杯に唇を歪めた。
    「忠誠心篤いのにアンブレデスネ、スートは何故つけてるんデス?」
    『何もないんだね』
     その揶揄を、忠誠誓う彼女は歯牙にもかけない。


    『こんなに早く手を晒す羽目になるとはね』
     胸の奥から初めて浮かぶ苦渋を一瞬扱いかねる。その空白へ木菟は組んだ拳をねじ込んだ。
     司門の散らした蛍光塗料は足にも印をつけている。加えて場の暗さと椅子の配置に目が慣れた。
    「今の状況が彼女の心の強さを示しているのでござるよな」
    『――』
     たたら踏みだがすぐに持ち直すイラへ、木菟は晴れやかに破顔。
    「オルフェウスの力に抗う精神力は本当にすげーと思うでござるよ」
    『抗えているのだとしたら、折花のままでオルフェウスへの忠誠を誓っている事になるね』
     無表情に笑み声で試すように木菟を覗き込み、不意に曲げた足で椅子を蹴り飛ばす。
    「……目聡いけど、軽いな」
     転がり出たのは和真。口元の血を拭い裂けた腹に掌を当て立ち上がる。
    「心に響かない」
    『そもそも心なんて存在しない説がある、君はどう思う?』
     胸に手をあて嘯く素振りで疵を塞ぐ。木菟の踵落としには即応、足で掬いあげ遠ざけた。
    『心ある説得は会話から、そうは思わないかい?』
    「拙者はダークネスの力を削ぎ落とすでござるよ、大切な友の声を届かせるために!」
     止まぬ猛攻を捌いた蹴り返しには和真が割入り庇う。
    「なら説得してやる」
     活を入れるように手の甲に浮かべた盾を押しつける。勢い余り椅子に倒れ込むイラを組み敷いて和真は掴みかかった。
    「なあ、自分で決めたんじゃなく、他者から与えられた贖罪でいいのかよ?」
    『……』
     真っ平らな紅へ、祈るように。
    「人の贖罪は、人でやらなくちゃいけない、自分を取り戻すんだ!」
    『――へえ。自らの癒しのため同胞を殺した罪の償いを灼滅者である折花がやれ、と』
     ごづり。
     鈍い音、糸が切れた人形のように和真が仰向けに斃れた――そう、とうに限界は超えていたのだ。
    『君達にとっては、ダークネスの灼滅は称えられこそすれ罪ではないはずだ。これはどうした事だろう、罪がないね』

     ――ならば何故折花は、贖罪の囁きに耳を傾けたんだろうね?

    「…………ぁ、あぁ」
     全てぶつけきれなかった心の代わり溢れる血を噛みしめて、和真は意識を佚していく。
     和真だけではない。
     戦い避難誘導……やれる事を詰め込みきった、けれどそのせいで後回しになった想いは音にならない伝わらない。
     もし避難や明りの用意を分担し従うようすりあわせていたなら? 確かに本人がやるべき事を個々でやるのが本来の形。だが今回ばかりはそこまでの切り詰めが必要だったのかもしれない。
    「神園殿?!」
     どうすれば、
     どうすれば、いい?
     ふらつく思考を振り払い、木菟は文字描くように筆管槍を踊らせ貫く。
    「大切な友の声、それが帰って来る道しるべでござるよ!」
    『あぁ、伝えるとは言ったよ』
     折花が起きればね。
     柄を握り手繰り寄せた顔面に足裏入れて宙返り、イラは再び闇に潜む。


    (「北逆世先輩、北逆世先輩……」)
     虚空に明りを灯すように掲げた樹里の指先から射出される輪は、斃れた木菟を前に行き場を失ってしまった。
     ――圧倒的な力を前に回復が追いつかず心が砕けそうだ。
     そもそもが言葉費やさず命も見捨て一心に殺しに掛からねば勝てぬ相手、折花の目覚めが無ければ現状の有様は当然の帰結。
    「?!」
     息を呑む小さな頭にぬるりとした指が、掛かる。
     きゅうと樹里が身を縮めた刹那、横倒しの景色と耳を劈く破砕音。遅れて来た燃えさかる痛みは左脇腹からか。
    『先程、君は映画のクライマックスと言った。ところで君の台詞は?』
     イラと名乗るダークネスはフラットな声音で問いながら、自分の意図の在処を探す。
     もう半分を潰した。
     灼滅者の作戦は失敗していると言える、のに。
    (「――ここで引いても僕は完成しないのか」)
    「わ、私は……先輩と一緒に学園へ、帰りたい。だから、みんなの声を……聞いて……」
     咽せながら健気に紡がれる声に彼女は瞳を錐のように細める。
    『他人任せで折花が帰ってくる、そう君は思うのかい?』
    「……うぅ」
    「意地悪が過ぎるぞ」
     あたかもひっかきの如く双頭の槍がひゅるり風を刈る。
    「折花」
     肩口捉えた切っ先捻り込み、エリザベスは精悍に引き締めた口元をふにゃり緩める。そう、まるで友達に笑いかけるように。
    「次の勉強会で見る新しい映画、私、楽しみにしていたんだから」
    『映画、ああ……』
     天井からスクリーンへ落ちる紅、視線とはチグハグに伸びた腕は黒猫を捕まえ回し蹴り。
    「うッ……折花にだってある筈よ、観たい映画……戦いたい相手」
    『――』
     小さな空白。
     其れは意識の海に埋もれてしまう程にほんの僅かな。
    「バッドエンドで終わるつもり?」
    『このエンディングは誰が選んだのだと思う?』
    「あなたが消える必要なんてないわ、折花」
     答えに俯いた彼女は、明るくなりすぎた闇のそれでもまだ昏い部分に身を潜める。
    「生きたいという意志が罪である筈がない」
     異形へ変じた影は、腕釣り下げた闇の足先の焔でかき消された。
    「最後はあなた自身の遺志で勝ちなさい、折花!」
     構わず叫ぶ黒猫の背後で、
    『罪じゃない、か』
     ダークネスは、嘯いた。
    「エリザベスさんっ!」
     樹里の声はほんの一歩、遅い。
    『僕は、生きていたい』
     鋭利に弧を描くつま先はエリザベスを壁へと叩きつける。
    『生きて、オルフェウスに使い潰されたいんだ』
     ――例えば、用心棒として折花が不良どもに使われていたように。


     西は空子東は黒が網羅し逃げ遅れ0を確認する。
    「操作室はこっちです」
     共に誘導した眠兎が手招く中に並ぶはスイッチ。
    「どちらの意識でもあるんだろう?」
    (「赦しを請うとは――」)
     白髪男の呟きに誘われかけた有無は、手当たり次第の永久を苦笑し押し留め。


     寂莫の中紅色。
     明滅する天蓋の元、意識が潰える直前にエリザベスが見た瞳は何故かそんな色をしていた。
     もはや暗闇はとうに役目を果たせなくなっていて今更の明り、できるのは流れるムービーの絵を飛ばすぐらいか。
    「逃がさ……なッ……あぅッ!」
    「キサ!」
     場外まで吹っ飛んだ妹の身を案じ駆け寄る旭は「羅弦」と名をダークネスに投げつけるも、彼女は揺るがない。
    「樹里ちゃん!」
     手を伸ばす雅は、穏やかな矢の着弾と共に疵が癒え狙いが定まるのを感じる。
    「がんば……」
     それが最後の支援と、なる。
    「折花」
     何度も躱され続けた蹴打、果たして自分は彼女に価値を示せるのか。
     ……でも、甘い物好きだったあの子みたいに、亡くしたくないんだ。
    「逃げないで、まだ決着はついてないよ」
     陽のブーツに星の力を蓄えて、雅は渾身の一撃を見舞う。
    『……ッ!』
     背中に痛烈な一打を喰らい身を折りつつも、怜悧な瞳は投影機のある小窓を見据えた。
     床を蹴れば、幕だ。
    「なゆた殿、避難は終わった」
     贖罪よりも大切な想いを――そんな神羅になゆたは疵だらけの顔をあげる。
    「折花さんを帰してもらうッ!」
     背から灯くれる彼に支えられしなゆたの雄叫びが、場内にわんっと反響した。
    「強い人と戦いたい気持ち、分かるよ」
     動と静。
     根を張るように足を置き迷いなく突きだした右の拳、更に雷帯びた左が鳩尾に二度入る。
    「自分も武道を学ぶ身だから。でも――」
     どんなに強くたって滾らない、彼女はダークネスだから。
    「それは折花さんじゃないとダメ」
    『――は』
     血の泡を吹き平坦であるはずの彼女は口元を歪めた。
    「待っている人はこんなにいる」
    「久我さんの言う通り。北逆世さん、もっと、心を開いて!」
     序盤より明らかに向き合っているイラに透流は言いつのる。
    「帰って来て欲しい」
    『僕じゃだめなのかい?』
     ナニカに押されるように膨れた腕がパレットナイフで油絵の具を広げるように、翻る。
    「かッ……はぁッ」
     反対の腕はだらりぶらさげた儘、イラはなゆたを床へ叩きつけた。
    「……くッ」
     床を掻きむしる手を雅は優しく包みこむ。なゆたは託すように緋瞳を眇め閉ざす。
     ……ごづり。
     しかし重力に屈するように、立ち上がりかけた雅は膝をついた。
     安物劇場の絨毯に夥しく染みる血の匂い、死んだよう動かない仲間達――。
    「おおおおおおおおお!」
     今一度の奮起。
     バネ仕掛けのように跳ね上がり、仲間達が結んだ影と狂わせた重力目がけ烈火の回し蹴りを叩き込む。
    「折花、折花、折花!」
     いつもの天真爛漫ははげ落ちて、何度もその名を叫び呼ぶ。
    『ああ、なんだい?』
     種明かしをするように返事。憤怒のイラは欺きの偽名、ダークネスの名もまた『北逆世折花』
     合わせ歌のように同じ蹴りを同じ場所に見舞い、淡泊な顔しかしなかったダークネスは今や明確に嗤っていた。
    「私が折花の戦ってみたい相手だったのかどうかは……」
     無我夢中で椅子に駆け上がり、光に融けたスクリーンを背に飛びかかる。
    「今は確かめる術が無いけれど」
     金色の踵はイラの脳天をしこたま殴打。
    『……はは。どうなんだろう、ねっ!』
     鉄拳は雅の眉間を躊躇い無く殴る。

     闘争!
     闘争を求めよ!!
     いつだって戦いに餓えていた。
     ――ところで此は、誰だ?

    「ッ……くぅ」
     目眩ゆらゆら、憑かれたように放った蹴りは捉える事叶わず。
     しかし折花の猛攻容赦なし。その度に再び冷え込んでいく、認識。
     ――さぁ、帰ろう主の元へ。
     ――オルフェウスの命令でなければ、人を傷つける必要はない、はずだ。
    「……いかせ、ない」
     背を向けた折花の足首を掴み、ぽすりと背中に拳をぶつけた。
    「まだ、勝負は……」
     折花をオルフェウスなんかに潰させや、しない。
     潰すなら、此処で――私が。
    『……』
     間。
     すかさず雅は首刈るように喰らいつき不格好な地獄投げ。床に叩きつけると同時に馬乗りになれば、即座に突きあげられる拳。
     防御は、間に合わない。
    「折花! これが私の全力ッだ!」
     だから迷わず鋼の拳を――まったく同じ技を繰り出す。

     今までで一番鈍くそして大きな音がシアターを揺るがした。

     直後、水を打ったように静まる空間。ああ、丁度エンドロールも終わったのだろうか。
    「折花……?」
     いつまで経っても訪れない痛みを怪訝に雅は喉を震わせる。
    『同じ、戦い……方……』
     ラストシーンの台詞は、胸に拳を突き刺されたとは思えぬ程に素っ気なく、そして紫苑は幕が落ちるように瞼の奥へ。

     続きはあなたの次第、なんて突き放したようなオチのなさはB級にも届きやしない。
     ……それでも人生なんてきっとそんなもん。
     そんなもん、なんだ。

    作者:一縷野望 重傷:神園・和真(カゲホウシ・d11174) 阿久沢・木菟(トレジャーハンター・d12081) 柳葉・司門(痕隠し・d21040) 風隼・樹里(ティミッドウルフ・d28501) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年6月21日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 15/感動した 6/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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