札幌テレビ塔強襲作戦~贖罪のメッセンジャー

    作者:七海真砂

    ●長い夜の始まり
     真夜中、ふと天城・翡桜(アナーカード・d15645)は寝苦しさに目を覚ました。
     少し前に梅雨入りしたから、だろうか。寝心地の悪さに小さく溜息をついて、それでも、また瞼を閉じる。
    (「徹夜で腫れた目なんてしていたら、アリアさんを心配させてしまいますから……」)
     寝苦しさを感じながら、それでも翡桜はすぐにまた深い眠りの中へ誘われていく。
     深く、深く――贖罪のオルフェウスの悪夢の中へ。

    ●眠らない夜の街
    「ふぅん、ここが……東京のジメジメした暑さが嘘みたいだねぇ」
     北海道、ススキノ。深夜の繁華街を軽やかに楽しげに渡るのは1人の淫魔――闇堕ちした翡桜だった。
     眠らない夜の繁華街と、そこを行き交う人々が織り成す営みは、淫魔にとっては心地よく魅力的なものだ。ふと目に付いた一般人を見て、ニッと笑う翡桜だが、すぐにゆっくり首を振る。
    「いけない、いけない。オルフェウスの頼み事の方が、先だよねぇ」
     自分が出てこれたのは、オルフェウスのおかげ。感謝はしているからと、夜の街を舞った彼女は、律儀に目的の相手を探し出す。
    「見ぃつけた。シャボリーヌちゃんだねぇ?」
    「……えぇ、ワタシがSKN六六六のアリエル・シャボリーヌよ。それで、あなた誰?」
     ニッと笑った翡桜の言葉に、驚きを滲ませて見つめ返したのは、頭部をシャボンで覆ったツインテールの美少女アイドルだった。
     ツインテールの美少女くらいならば他にもいるかもしれないが、シャボンまで付いているとなれば、シャボリーヌ以外有り得ない。にっこりと笑って、翡桜は告げた。
    「ボクは、唯織。淫魔の唯織だよ。そして贖罪のオルフェウスのメッセンジャーでもある」
     あえてそう名乗った彼女が続けた言葉に、四大シャドウの一柱、贖罪のオルフェウスの名を聞いたシャボリーヌの頬が強張る。それを見て、笑みを崩さぬまま翡桜は喋り続けた。
    「贖罪のオルフェウスはシャドウが再び現実で暮らすため、ラグナロクプロジェクトを支援するんだってぇ。というわけでぇ、近くに札幌テレビ塔ってあるよね、あそこ占拠しておいてくれないかなぁ?」
     その内容に、思わず言葉を失うシャボリーヌ。隙の無い動きで、更に一歩身を乗り出して翡桜は笑う。
    「いいよね? もちろんボクも手伝ってあげるからねぇ」
     その言葉にシャボリーヌは相変わらず絶句したまま、ただ頷くことしか出来なかった。

    ●夜明けの道標
    「時が、来たようだな……」
     神崎・ヤマト(高校生エクスブレイン・dn0002)は時計を確認すると、彼にしては沈鬱な表情で、集まった灼滅者達に向き直った。
    「最近起こっている行方不明者事件の関係者の1人が、北海道札幌市のススキノに現れたようだ。名前は、天城・翡桜。彼女は淫魔となり、ススキノのダークネス、アリエル・シャボリーヌと接触したらしい」
     ヤマトの言葉に、集まった灼滅者が驚きの声を上げる。
     急に行方不明になった彼女が、闇堕ちしているかもしれないと危惧する者はいたが、まさか敵組織に接触しているとは……!
    「彼女は『贖罪のオルフェウスのメッセンジャー』を名乗って近付いたアリエル・シャボリーヌを動かし、札幌テレビ塔の占拠を行わせようとしている」
     札幌テレビ塔は、札幌中心部に位置する観光名所であり、かつてご当地幹部ゲルマンシャークがゲルマン化を目論んだ電波塔でもある。そのテレビ塔に、またダークネスの魔の手が迫っているとは……と灼滅者達は唸る。
    「そして、この札幌テレビ塔占拠は、どうやら『ラグナロクプロジェクト』の支援作戦らしい。ラグナロクプロジェクト――斬新コーポレーションの六六六人衆、斬新・京一郎が推進していた計画と同じ名前だ。この2つが無関係とは、到底考えにくいだろうな。他に、多数のダークネスが北へ向けて移動しているという情報もある。広大な北の台地で、途方も無く巨大な陰謀が蠢いているに違いない……!」
     スタイリッシュに額を押さえたヤマトは、スタイリッシュに制服をなびかせながら持っていた大きな用紙を広げた。くるくる巻かれていたそれは、どうやら拡大された札幌テレビ塔とその周辺の地図らしい。
    「もちろん、このままにしておく訳にはいかない。俺の全能計算域(エクスマトリックス)は既に灼滅者が取るべき対抗策を導き出している。聞いてくれるか?」
     ニッと笑うヤマトに、もちろんだと頷き返す灼滅者達。

    「今回の作戦のポイントは3つある。まず敵の首魁シャボリーヌの撃破、次に別働隊として灼滅者の襲撃に備えている天城・翡桜の救出あるいは撃破。そして、戦闘開始後に現れるであろう、斬新コーポレーションからの増援対策だ」
     ヤマトの指が3つの地点をなぞる。
    「まずシャボリーヌはテレビ塔の展望室を占拠。天城・翡桜はテレビ塔周辺を警戒。そして斬新コーポレーションは、テレビ塔の地下に直結する地下街オーロラタウンから増援を送り込む目論見のようだ」
     駒代わりにパズルのピースを置き、ヤマトはテレビ塔の外、翡桜を示すピースを指した。
    「淫魔『天城・翡桜』の対応は、最も重要だ。なにせ彼女は『エクスブレインの予知による灼滅者の強襲』を既に予測している」
     灼滅者の動きはお見通し、という訳だ。なるほど厄介な状況だろう。
    「そして彼女は『エクスブレインの予知の内容を予測し、シャボリーヌや斬新コーポレーションに指示を出す』という、司令塔の役割を持っている」
     彼女を自由にさせることは、敵の有利に働き、この作戦の成功率を大きく引き下げてしまうに違いない。
    「だが突破口はある! 灼滅者の動きをいち早く察知する為、彼女は少数で、札幌テレビ塔周辺の哨戒活動に出ている。こちらの動きを察知される前に、先に哨戒活動中の彼女を捕捉し、連絡する隙も与えずに撃破してしまえばいい!」
     それが、今回の作戦の重要なポイントとなるだろう。闇堕ちした翡桜の性格や知識などを鑑みて、翡桜の作戦の裏をかくことが大切になるはずだ。
    「もちろん彼女の作戦の裏をかき、最高のタイミングで攻撃を行えたとしても、安心する事はできない。武蔵坂学園の灼滅者の中でもトップクラスの実力を持っていた翡桜は、淫魔となった今も相当な実力を持っている。しかも敵は彼女だけじゃないからな」
     翡桜と一緒に行動しているのは、シャボリーヌ配下の淫魔が2人。翡桜に比べれば弱くて取るに足りない相手ではある。が、伝令などに走られては厄介だ。
    「翡桜や配下が展望台や地下へ逃げ込めばそこから情報が伝わり、作戦の成功はほぼ不可能となるだろう。 ――難しい状況だが、お前達灼滅者ならば、必ずこの状況を打破し、成功に導けるはずだ!」
     贖罪のオルフェウスによる、ラグナロクプロジェクトの支援とやらを、行わせるわけにはいかないからな……と、フッと笑ったヤマトは、改めて灼滅者達を見据える。
    「俺は、お前達を信じている……頼んだぜ」


    参加者
    百瀬・莉奈(ローズドロップ・d00286)
    狐雅原・あきら(アポリア・d00502)
    宗谷・綸太郎(深海の焔・d00550)
    成瀬・圭(エモーションマキシマイザ・d04536)
    小鳥遊・亜樹(少年魔女・d11768)
    アリアーン・ジュナ(壊れ咲くは狂いたがりの紫水晶・d12111)
    今川・克至(メロンパン買ってこいよ・d13623)
    真風・佳奈美(愛に踊る風・d26601)

    ■リプレイ

    ●眠れない夜の街
     北海道、札幌市。およそ190万人が暮らす街の中心部も、深夜となれば人通りは少なくなる。そんな街の一角に、総勢40人を超える灼滅者達のチームが赴いていた。
    「翡桜ちゃん、絶対に救おうね」
     突然闇堕ちしちゃうなんて怖いな、と感じつつも、小鳥遊・亜樹(少年魔女・d11768)は意気込む。そう、彼らの目的はオルフェウスの悪夢によって闇堕ちした、天城・翡桜(アナーカード・d15645)を救出することにあった。
     もちろん『ラグナロクプロジェクトを阻止する』という目的もある。が、
    「たった一度、依頼で一緒しただけの先輩だけど、仲間だわ」
    「今はそこまで仲良くなくても、これから仲良くなれるかもしれない」
     翡桜を救いたい。そう願うからこそ、多くの灼滅者が集まっていた。
    (「Epitaphで皆と戦っていた時を思い出すね」)
     宗谷・綸太郎(深海の焔・d00550)は微かな懐かしさと嬉しさを胸に、視線を仲間達に向ける。翡桜がメンバーになっているクラブEpitaphからは十数人が作戦に加わっており、力ずくでも絶対に取り戻してみせると息巻きながら早速、手分けをしてテレビ塔周辺の警戒と情報収集へ向かっていく。
    「こんなに沢山の人に慕われてるなんて……ちょっと羨ましいかな」
     その人望の篤さに今川・克至(メロンパン買ってこいよ・d13623)は目を細めつつ呟く。克至にとっても翡桜は、自分のクラブで黎明期を共に過ごした仲間の一人。だからこそ助けたい……いや、助けてみせると静かに意気込むそこへ、連絡が入った。
     様々な方法で近隣のビルに入り込んだ灼滅者達が、望遠鏡や双眼鏡なども用いつつ翡桜の様子を探り、グループチャット経由で教えてくれているのだ。
     それによると翡桜はテレビ塔すぐの場所にいて、配下と共にできるだけ広範囲を観察する動きを取っているようだ。周囲のビルにも視線が時折向けられるので、情報収集は慎重に行われている。
     テレビ塔のある大通公園1丁目は、身を隠して接近するのが難しい点も逆手に取っているらしい。この時刻と状況下で地下街から上がってくる者がいれば、ダークネスか灼滅者に違いないから、あとは車道を渡って来る者をチェックすれば良いという訳だ。
     攻撃の命中率を予測すれば、一般人と灼滅者は大まかに見分けられる。姿を目撃されれば露呈する確率は高く、大通公園1丁目や周囲での行動を考えていた者達は、そこまで近付く前に引き返している。
    「隠れられそうな場所で待機する案は厳しそうデス?」
     狐雅原・あきら(アポリア・d00502)の質問を投げるが返答は芳しくない。公園内で一度身を隠し、機を見て急襲する案は捨て、公園外から一気に急襲してしまう方が良さそうだ。
    「身を隠したまま一番近くまで行けそうなルート、探して貰いましょうか」
     絶対に失敗するわけにはいかない。真風・佳奈美(愛に踊る風・d26601)の発言はもっともだ。情報を元に急襲ルートを決めると、灼滅者達は翡桜らの注目が余所へ向いた僅かな隙を突いて、一気に駆けた。

    ●激突
    「来たねぇ」
     全力で駆けた灼滅者達だが、包囲網を敷くよりも早く、翡桜達がこちらに気付く。
     と、配下は2手に分かれて駆け出した。1人はテレビ塔の入口、1人は地下街の入口を目指している。おそらく即伝令に走る手筈になっていたのだろう。
     翡桜は周囲にカードをばら撒き、そこに秘められた力を一斉に発動させて灼滅者達をまとめて攻撃するが、それだけで倒すには至らない。そして、それだけで止まるような灼滅者はこの場にいなかった。
    「させません」
    「撃て!」
     四方八方から配下達に攻撃が飛び、地下街への出入口前に数名の灼滅者が滑り込む。一方テレビ塔と淫魔の間を遮るように布陣したのは、克至達だ。それを見た淫魔はすかさず携帯を取り出そうとするが、スナイパーに布陣した仲間達から次々と狙い撃ちにされ、瞬く間に破壊される。
    「翡桜ちゃん!」
     一方、翡桜本人に向けて距離を詰めていくのは4人。先陣を切った百瀬・莉奈(ローズドロップ・d00286)が螺穿槍を突っ込めば、
    「……迎えに来たよ、翡桜……!」
     眉をひそめた翡桜の真正面に、アリアーン・ジュナ(壊れ咲くは狂いたがりの紫水晶・d12111)が立つ。シャンパンゴールドの輝きを纏った拳に、更に鮮血のごとき緋色のオーラを重ねたアリアーンは、それを彼女に思いっきり叩きつけた。
     反動で、手首の腕時計が微かに揺れる。18歳の誕生日に、他でもない翡桜から贈られたその腕時計が。
    (「……慈しみ合う事と愛し合う事、そんな優しくて素敵な感情を僕に教えてくれた翡桜……今度は、僕が教える番。翡桜の帰る場所を……!」)
     誰よりも深く深く愛する彼女の為に戦うアリアーン。しかし唯織と名乗っている今の翡桜は、アリアーン達を一瞥するだけだ。
    「こんな夜更けに大人数でご苦労なことだねぇ、ボク達の『殻』の皆さん」
     紳士淑女の皆様……と奇術師が前口上で恭しく呼びかけるかのような唯織の姿は慇懃で、そして実に無礼だ。
    (「あんなん全然翡桜じゃねぇ」)
     通話を切った成瀬・圭(エモーションマキシマイザ・d04536)はギリッと歯を噛む。
     手品を嗜む所は似ているかもしれない。でも圭の知る翡桜は、もっと全然違う人だ。いつだったか『ヒオちゃん先輩』と呼んだ時に、翡桜がちょっと嬉しそうにしていたところが、ふと脳裏に浮かんできて。
    「唯織。オレが用あんのはおめえじゃあねえんだよ!」
     ほんの些細な会話が灼滅者には、とても脆いものなのだと痛感しながら圭は叫ぶと、螺旋を描くようなその一撃をぶつける。
     ひとまず伝令を阻止されたのを見届け、一部の灼滅者は人払いへ走る。辺りにはサウンドシャッターが降りて騒ぎが周囲に知られるのを避け、近くの道路には作業中につき迂回をという看板と共に交通整理がなされていく。
     不運にも、この光景を見てしまった人々には魂鎮めの風が眠りを与え、彼らは安全圏まで怪力無双で運ばれていった。
    「観客席の人達も舞台に上がって貰おうかと思ってたんだけどなぁ。ま、そうするよね」
     もし隙があれば一般人を巻き込むつもりだったらしい。翡桜は仰々しく残念そうに呟くとケーンを掲げ、局地的な竜巻を辺りに起こした。綸太郎は何かを考えるよりも早く皆の前へ出ると、足並みを揃えた霊犬の月白と共にその衝撃を受け止め、皆を守る。傷付いた彼の元には、癒しの矢が次々と飛んだ。

    ●闇よりも深く
    「さァこっちデス!」
     槍を回転させながら突撃したあきらは、怒りで敵を引き付けようとする。絶え間なく攻撃を与えることが伝令の阻止にも繋がるはずだ、と間髪置かず跳び上がった亜樹は、配下の片割れ向けて更にスターゲイザーを叩き込んだ。
    「1体、まずは確実に仕留めましょう」
     克至は周囲に呼びかけながら妖冷弾を放つ。相手は曲がりなりにもダークネス、自分達に比べれば個々の能力は向こうの方が上だが、多くの援護もあり、劣勢に追い込まれているのは間違いなく淫魔達の方だ。
    (「ビハインドは何故、姿が見えないんでしょう?」)
     DCPキャノンで毒を浴びせながら、佳奈美はさりげなく周囲に目を配る。
     闇堕ちした影響で姿が見えないのか、それとも何かの理由で別行動しているのか。先程の様子だと伝令に出している訳ではなさそうだが、後者であれば不測の事態も有り得ると、念の為に警戒を続けながら戦う。
     灼滅者達の攻撃を耐えた淫魔が共鳴する歌声を響かせる一方、夜の情景を切なげに歌い上げた淫魔があきらを催眠へと誘う。しかしすぐに清めの風が吹いて、あきらの意識を明瞭にすると、
    「蜂の巣デスよお!」
     ガトリングガンを連射するあきら。手痛い反撃に淫魔は膝を突き、そのま倒れて動かなくなる。
    「もう1体も早く倒さなくっちゃ」
     亜樹はすぐにもう1体の淫魔を振り返って、仲間達との包囲網を狭めるように距離を詰めていく。
    「唯織、天城を返してもらうよ」
     一方回復と援護を受けながら、綸太郎は翡桜にスターゲイザーを叩き込む。
    「彼女は俺達にとって必要な人だ」
    「そ、できるといいね」
     真剣な眼差しを、興味なさ気にのらりくらりと翡桜は受け流す。
     そこを捉えたのはアリアーンの拳。険しく睨み付けながらオーラを収束させると、一気に立て続けに叩き込む。
    「……翡桜、帰って来い、迎えに来たんだから……。……天城・翡桜の帰る場所は、この僕、アリアーン・ジュナの傍だ……!」
     確かめるように、刻み込むように、アリアーンは拳と共に言葉を、想いを叩きつける。返ってくるのは、暑苦しさを厭うような眼差しだけ。でも、
    (「……翡桜には、きっと届く……届かせてみせる……!」)
     同じ体であろうとも、アリアーンが見ているのは翡桜の事だけ。唯織には構わず、ただただ翡桜にだけ呼びかける。
    「オルフェウスの悪夢はおしまいです。さあ帰りましょう……あなたを想い、命を掛けて助けに来てくれた皆と共に!」
    「学部の皆が、珈琲と食事を用意して待ってるぜ」
    「起きる気があるなら今だぜ、翡桜!」
     多くの声が翡桜を呼ぶ。雑音を追い払おうとするかのように翡桜はケーンを振って魔力を放つが、そんな攻撃程度で呼びかけを止める者などいない。
    「あの日、堕ちかけていたわたしを助けてくれた、そのお礼を言いに来たの。それにね、行き場が無かったわたしを学園に誘ってくれたのは天城さん。その天城さんが学園にいないと心細いの」
     だから武蔵坂学園に帰ってきてと呼ぶ声に、翡桜の瞳が小さく揺れた。
    「これは……ボクを封じ込めていた殻は、オルフェウスが破ったはずなのに……!」
     ――我が声を聞き、我が手にすがるならば、灼滅者という罪は贖罪され、汝は殻を破り、生まれ出づるであろう。
     贖罪のオルフェウスが夢で述べた通りに翡桜は闇堕ちし、唯織と名乗るダークネスが今ここにいる。しかし多くの呼びかけに、色濃く君臨しているはずの闇は揺らいでいた。

    ●長い夜の終わり
    「やっぱり」
     そんな翡桜を見ても、莉奈は驚かなかった。
    「あんなに優しくて思いやりがあって、芯の強さもある翡桜ちゃんが、闇に溺れたりするはずないよね。莉奈、まだ翡桜ちゃんの手品見たこと無いから早く見たいの。だから帰ってきてよ」
     手を差し伸べる代わりに、莉奈は殴りつけた先から渾身の魔力を流し込む。それは一気に爆ぜて翡桜の息を詰まらせた。
    「翡桜ちゃん、ミンチ大好き莉奈のフォスブレだよ! 覚えてるよね!?」
     唯織ではなく翡桜なら、良く知っているはずの一面を見せて、もっと訴えかけようとする莉奈。どんな手段を使ってでも翡桜を救出してみせると、そう決意しているからこそ莉奈は全力を注ぎ込んで、翡桜の闇を一刻も早く払おうとする。
     だって彼女が大好きだから!
    「もう会えないなんてゴメンだぜ。意地でもあんたを取り戻すッ!」
     炎を纏った圭は、莉奈の一撃に微かな隙が出たのを見逃さず翡桜の懐に入って、そのまま派手に顎を蹴り上げた。
     助けると決めた、負けないと決めた。その熱い想いのように激しい炎が翡桜を燃やす。たまりかねて回復を求めるように配下へ視線をやる翡桜だったが、
    「配下は、両方とも潰しました」
     槍の穂先を下ろしながら振り返った克至の言葉は、残る1体の淫魔も灼滅されたことを示している。力量が翡桜と比べそれ程では無かったとしても、戦力の喪失は痛手のはずだ。
     亜樹達はすぐに翡桜の包囲網を強化するため、そちらの布陣に加わった。繰り出された尖烈のドグマスパイクを巧みに避ける翡桜だが、その動きはどこか窮屈そうだ。
    (「退路さえ封じてしまえば……!」)
     佳奈美は一番手薄そうな箇所を補うように位置取る。窮地に陥れば、翡桜は逃走も視野に入れるかもしれない。しかし完全に退路を封じてしまえば、それも困難なはずだ。決して隙を与えないよう、佳奈美は慎重に気を配る。
    「夢はいつか醒めるもの。それが、悪夢であってもだ」
     そろそろ醒めてもいいんじゃないか、と綸太郎は呼びかける。
    「天城、俺が戻ったときに君がいないのは困る」
     だから、この夢から目醒めて戻ってきて欲しいと求めながら、綸太郎もまた唯織への攻撃を絶やさない。
     闇堕ちした翡桜は確かに強い。無数の回復で傷を補おうとも、癒しきれない傷は深まっていく。だが多くの灼滅者が不退転の覚悟で臨み、絶え間なく攻撃を繰り返せば、さすがに翡桜1人きりでは多勢に無勢だ。
    「キミには、これで退場して貰うよ」
     ケーンの先端から迸る稲妻が、アリアーンを庇った綸太郎を貫く。限界を迎えた綸太郎は膝をつくが、悠然と振る舞っているように見えて、翡桜もまた肩で呼吸をしている事を圭は見逃さない。このまま退却を許さなければ、間違いなく追いつめられるのは翡桜、いや唯織の側だ。
    「帰ってこいよ、翡桜!」
     威力と精度を増したレイザースラストが、吼え猛る想いと共に翡桜を貫く。莉奈のスターゲイザーが打ち込まれ、よろめいた翡桜へ更に無数の攻撃が降りかかった。反撃は、すかさずあきらが庇い、皆が再度攻撃に向かうのを援護する。
     そして圭の螺穿槍に、翡桜の体が大きく揺らめいた。
    「――ハッピーエンドを頼むぜ、アリアーン!」
     決定打は彼以外にいないと圭が振り返れば、アリアーンがすぐさま翡桜の懐に入る。至近距離から翡桜を見つめ、その目を決して離さない。
    (「……僕と翡桜は月と太陽、どちらも必要で離れる事が出来ない……」)
     アリアーンが、翡桜がいないとダメなように。翡桜だってアリアーンがいないとダメなはず、だから――アリアーンは精一杯、翡桜を呼んだ。
    「……喧嘩した日々もあった、擦れ違った日々もあった、それでも愛おしい翡桜……。……帰って来るんだ、僕の傍へ……!」
     打ち込んだ拳が爆ぜ、翡桜は思わず後退りする。フラフラにながらも態度は崩さぬまま、
    「次はもっと、上手くやらなくちゃねぇ」
     そう囁いて崩れ落ちた翡桜をアリアーンが咄嗟に受け止める。
     深夜でありながら、闇の気配が薄らいでいくのを直感しながら、次なんてあるものか、と灼滅者達は誰からともなく吐き捨てた。
    「あ、ぁ……アリア、さん……」
     しばらくして小さく呻き、目を開けた翡桜は、紛れもなく皆が知る天城・翡桜その人だった。誰も失わず、こうして救い出すことができるなんて……と、克至は喜びと安堵に大きく息を吐き出した。
     翡桜の無事を誰もが喜ぶ中、本当の彼女が帰ってきたのだとようやく実感できたその瞬間、アリアーンの目から涙がこぼれる。翡桜を抱きしめ、おかえりなさいの言葉に代えて愛しげに口づけるアリアーンに、他の灼滅者達はそっと背を向けた。
    「上は、どうなったかな……」
    「地下からの増援は来ていないようです」
     気懸かりはシャボリーヌ対策と斬新コーポレーション対策に動いている仲間達の事だが、詳しい状況は窺い知れない。
    (「皆さんが無事でありますように……」)
     そっと佳奈美は祈る。無事を、そして成功を信じながら、救出されたばかりの翡桜と動けなくなった仲間を支え、一行は未だ暗い夜に覆われたテレビ塔前を後にするのだった。

    作者:七海真砂 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年6月26日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 16/キャラが大事にされていた 0
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