夢は棄てるべきか追うべきか

    作者:夕狩こあら

     アイドルを目指して上京した嘗ての少女は、輝かしい照明を浴びて踊り歌う筈が、気付けば数年、より若い少女に光を注ぐ裏方になっていた。
    「路上ライブ始めま~す♪ 是非見てって下さいね♪」
     事務所が売り出した駆け出しのアイドルグループ。このメンバーにも入る事が出来なかった自分は、次のチャンスがあるかどうかも分からない。
     年齢的に夢を諦める頃か、然しどうしても未練が募り、業界に関わっている事で希望を繋いできた彼女は、突然の雨を仰いで暫し黙した。
     丁度その時、雨を嫌がって憤懣を露わにした或る少女の言葉が彼女に突き刺さる。
    「ちょっと、濡れるじゃない! 傘を用意してよ、オバサン!」
    「オバサン……」
     異変が起きたのは、まさに直後。
    「スミマセン! 今日のライブは中止で……うわぁっ!!」
     一同に悲鳴が上がるのも無理はない。
     周囲の目線を一手に集めたその先には、蒼く醜い異形の怪物が、雨空に向かって咆哮していた。
     
    「アイドル志望の女性が闇堕ちしてデモノイドになる事件が発生しようとしているッス」
     日下部・ノビル(三下エクスブレイン・dn0220)は事件が発生する立体歩道橋の周辺地図を灼滅者らに差し出し、言葉を続けた。
    「デモノイド化した女性は、理性も無く付近で暴れ回り、多くの被害を出してしまうんス」
     デモノイドが事件を起こす直前に現場に突入して灼滅し、被害を未然に防いで欲しい――ノビルの視線に一同が頷きを返す。
    「デモノイドになったばかりの状態なら、多少の自我が残っている事があるんス。彼女の心に訴えかける事ができれば、デモノイドの動きを一瞬止めるといった事も出来るかもしれないッス」
     ノビルの表情が固いままなのは、このデモノイドがデモノイドヒューマンとなる可能性が無い事を示している。
     願わくば、彼女に安らかな眠りを与えてあげて欲しい――。ノビルと灼滅者は暫し俯いて沈黙した後、再び瞳を合わせた。
    「デモノイド事件が起こる直前に突入するのは、それ以前に突入してしまうと、それによって『闇堕ち』のタイミングが変わってしまうからなんス」
     事件が起こる前に接触して、ストレスを取り除くような行動をすると、予知したタイミングでデモノイド化が発生せず、違うタイミングでデモノイドになってしまう為、被害を防ぐことは出来なくなる。
    「女性がデモノイド化するのは、立体歩道橋の中央にある広いスペースで、路上ライブが始まる直前ッス」
     駆け出しのアイドルグループ故にファンは少ないが、見物客に被害が及ばぬよう彼等の安全を守る他、スタッフ達も退避させて欲しい。
    「攻撃技はデモノイドヒューマンに類するものと、傍らのスタンドマイクを腕に取り込み、マテリアルロッドのように使用してくる事が分かってるッス」
     戦闘時のポジションはキャスター。灼滅者全員の力を合わせてやっと互角に戦える強敵だろう。
    「辛い事ッスけど、彼女が誰かを傷つけてしまう前に……終わらせてあげて欲しいんス」
     ノビルの声に力強く頷いた灼滅者らは、颯爽と席を立つ。
    「ご武運を!」
     ノビルはその勇姿にビシッと敬礼を捧げて見送った。


    参加者
    華宮・紅緋(クリムゾンハートビート・d01389)
    皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)
    リリシス・ディアブレリス(メイガス・d02323)
    藤堂・焔弥(赤い狂星・d04979)
    一色・紅染(料峭たる異風・d21025)
    アリエス・オデュッセイア(アルゴノーツ・d29761)
    結城・カイナ(闇色サクリファイス・d32851)
    ロスト・エンド(青碧のディスペア・d32868)

    ■リプレイ


     灰の空を天蓋に行き交う通行人らが、肌に絡む生暖かい空気に梅雨独特の季節感を味わっていた時の事だった。
    「……雨か」
     汗ばむ肌を温い雫で濡らした数人は、これが本降りにもなれば地下道に潜ろうと思った矢先、俄かに騒然とする周囲――或る方向に視線を奪われる。
    「……戦隊モノのショーか?」
     突如現れた怪物に、颯爽と現れた若者達が闘いを挑む光景。
     中央広場がパフォーマーの舞台となっている事はよく知られるものの、初めて見る絵に何処か不気味な感覚を覚えた彼等は、足を止めたり緩めたり、或いは無関心を装って過ぎ去ったりと、最初は挙動も疎らだった。
    「バケモノが超リアル」
    「なんか……本物、っぽくね?」
     平穏に慣れ過ぎた彼等に危機を知らしめ、燻る不安に「行動」を与えたのはアリエス・オデュッセイア(アルゴノーツ・d29761)の凛然たる一声。
    「落ち着いて逃げて! ここは危ないわ!」
    「!?」
    「地下道へ!」
     騒めく雑踏に清風の如く通った声は、その指先に避難方向を示し、駆ける足で群衆を動かす。不穏な空気を悟った人々は動揺を抑えつつ、彼女に導かれるまま立体歩道橋を下りていった。
     一方、非現実的な戦闘を繰り広げる渦中の広場では、
    「上々だ。このステージに観客は要らない」
     或いは邪魔になるなら戦闘範囲外へ投げ捨てるだけだが――と、狂気に荒ぶる暴腕に抗雷撃を突き入れた藤堂・焔弥(赤い狂星・d04979)は、退避する人々を一瞥して見送る。
    「ォオヲヲヲッッ!」
     雷光閃く拳撃に押し込められた蒼獣は、続く結城・カイナ(闇色サクリファイス・d32851)の神霊剣に肩を貫かれ、蒼い血潮と共に絶叫を上げた。
    「俺ぁ殺すしか能がねぇんでな……抑えは任せろ」
    「ォォオ、ッオヲヲヲ!」
     痛撃を訴える咆哮は天を裂き地を震わせ、衆人の耳を劈いて恐怖に陥れる。
    「腰が抜けてしもて……」
    「じいちゃん! ばあちゃん!」
    「僕が、運び、ます。安心、して」
     その場にへたり込んだ老夫婦を支えたのは、一色・紅染(料峭たる異風・d21025)。佳人と見紛う彼は、繊麗なる両腕に2人、更に肩にはその孫を担いで避難を助けた。華奢な躯からは想像できぬ怪力に驚いた彼等は、吃驚に口を噤んで身を預ける。
     最も案ずべきは、脅威の根幹と近接したライブ関係者とファン等だが、実は彼等が悲鳴を上げたのは一瞬で、
    「化物の近くに居るのは危険だ。直ちにこの場から離れろ」
    「貴方と離れなきゃいけないなんて……胸が苦しい……」
     皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)の放った芳しい色香の虜となっていた。彼に魅了された一同は名残惜しげに指示に従い、握手やサインを求める声に応じながら幸太郎が全員を見送った時には、広場には異形なる蒼躯と灼滅者のみが剣戟を響かせていた。
    「雨の音がよく聞こえるわね」
     喧騒に代わって勢いを増す雨を聞くほどリリシス・ディアブレリス(メイガス・d02323)は冷静。彼女は相棒の翼猫と共に華麗に敵を引き付けながら、スターゲイザーと猫魔法の挟撃で巨躯の挙動を楔打つ。
    「オオォヲヲヲッ!」
     激痛を叫びつつ、猛る怪腕が向かう先はロスト・エンド(青碧のディスペア・d32868)。デモノイド化の直後に放たれた殺意の波動を肺に満たした凶獣は、昂ぶるままに竜巻を起こして彼を攻め立てた。
    「最初で最後のライブ……付き合ってあげるよ」
     憐憫の情を僅かに滲ませた、然し犀利なテノール。
     アリエスの愛機フォルテッシモと共に風刃に踏み出た彼は、機銃掃射を援護に旋風輪を合わせる。衝撃を爆ぜた暴風と轟音が一帯を震わせたが、華宮・紅緋(クリムゾンハートビート・d01389)が先に展開したサウンドシャッターのお陰で、異音が漏れ出る不安はない。
     それ故にか彼女も熾烈な攻撃を憚らず、
    「皆さんお揃いになりましたね」
     一般人を誘導し終えた仲間を視認すると同時、鬼神変で殴りつけた勢いに身を翻すと、
    「さあ、始めましょう」
    「オオヲヲォォヲッ!」
     闘いはこれからだとばかり巨躯を闇に縛って自陣に戻り、総員の布陣を完成させた。
     雨脚を強くした鉛色の空は更に暗くなり、対峙する両者をしとど濡らす――。暫く止みそうにない雨が死闘を予感させていた。


    「この女も煌びやかな世界を追っていたんだろうに」
     今は光も射さぬ闇に堕ち――。
     厚い雲を突き上げる喚声に慟哭を拾った幸太郎は、闇雲に振り下ろされる腕を潜って黒死斬を見舞うと、機動の要となる腱より血飛沫を上げて蒼い雨を降らせた。
    「ッッ、ォォヲオヲヲ!」
    「無様だな。夢を追い求め、辿り着いた先にあったものがその姿か」
     鋭刃に醜躯を折曲げる敵に、エアシューズ『DEMON』を駆って灼熱を被せるは焔弥で、
    「今の気分はどんな感じかね? 憎悪、嫉妬、絶望、それとも後悔か?」
     咽喉を潰さんばかりの声で叫ぶ異形に、非情な言を重ねていく。
    「オオォヲヲッッ!」
     悶える蒼獣は、然し一啼きして痛苦を振り払うと、炎を帯びたままの巨躯で彼に驀進し、
    「、ッ」
     火球の如き突進を受けた焔弥は、同時に疾走した斬撃に半身を赤く染めたが、冷やかな麗顔が僅かにも歪まぬのは、そこに彼女の残留思念を認めるからだ。
     勢いのままに前衛へと飛び込んだ凶獣は、暴れる拳をフォルテッシモの突撃に往なされつつ、尚も激情を迸らせる。
    「ォォオオォヲ……ォヲヲォォ……!」
     夢を追い続けた成れの果て――理性なき巨塊を慧眼に捉えたロストは、
    「運命の女神がいるとしたら、そいつは悪質な悪戯が大好きなダークネスかもしれないね」
     皮肉は言うも慰みの言は紡がず、冷静のペルソナが示す通りの氷の楔で縫い留めた。一刻も早い介錯が、彼女の救いとなると――信じて。
     追撃を駆るは紅緋。
    「デモノイドを第三の宿敵としている私ですけど、こういうケースは気が進まないです」
     何度も経験した事とはいえ、慣れることはない――。そう呟いて地を蹴った彼女は、眼前に迫る巨刀を握り取ると、バトルオーラ『ヴォーヌ・ロマネ』を凝縮させて押し戻した。拳が血塗れるのも臆せず放たれた拳打は初めて敵を後退させ、雨に染む声を静かに聞かせる。
    「デモノイド寄生体に取り付かれなければ、闇堕ちすることもなかったでしょうに」
    「哀れと言ってしまえばそうなのでしょうけれど……まあ仕方ないわね」
     醜悪な怪物へと変貌した彼女、その心の隙を蔑む訳でもなく、リリシスは嘆息を雨に掻き消して躍り出た。
    「この人の事も記録しておいてあげましょう」
     それは脳裏にか、血潮にか。
     魂の欠片を伴って宙を舞った彼女は、肉球パンチが炸裂すると同時に紅蓮斬を疾駆させ、敵の生命を吸った。
    「ォォォオオオヲヲッ!」
     激痛を拒むように放たれた掌打は毒を生成して紅染を襲うも、初手の幻狼銀爪撃にて耐性を高めた彼を蝕むに至らず、
    「僕達は、夢に、向かって、頑張って、いた、君の、事……少し、だけだけど、知ってる」
    「……ォォヲォ……ォォ……」
     却って婚星の尾を引く足蹴りに御される。
    「だから、もう、止めて。夢を、忘れた、ままで、いない、で。そんなの……悲しい、よ」
    「ォォオヲ……!」
     それは心根に触れる彼の言葉に揺り動かされているようでもあり、
    「なに、やってんのよ……アイドル、目指していたんでしょう!」
     アリエスは傷つく仲間に癒しの賛歌を捧げながら、狂気に塗れた怪物に自身を重ねて声を震わせていた。アイドル志望の彼女は、志を同じくする女性が闇に誘われた今の現実が胸に突き刺さり、天上の美声さえ悲痛に滲む。
    「悩むっつーのは諦めてねぇっつー事なんだ」
     彷徨うように地を削る死の光線を痩躯に掠めながら、DMWセイバーを差し入れたのはカイナ。色白の佳顔が朱に染まるのも構わず、敵懐に身を滑らせた彼は、
    「足掻き続けるだけの強さを持つべきだったな」
     筋繊維を剥き出しにした蒼躯に幾重にも刃を走らせながら、言葉通りの「強さ」を突きつけていた。


     依然緩まぬ雨脚が、今の闘いをより長く感じさせていた。
     泣くように堕ちる温い雨滴が、執拗に肌に絡む気がした。
    「嗚オヲヲヲ……ッ!」
     何かに触れねば、暴悪に蹴散らさねばと手探る様は醜く無様で、肉片を殺がれても尚流離う姿は、寧ろ不憫にさえ映る。
    「誰も自分からは逃れられない。どれだけ醜い姿になったとしても」
     容姿は全く違えども、彼女――デモノイドが辿った運命に皮肉が零れるのは、自身の境遇が重なるからか。ロストはレイザースラストを差し入れながら、半ば自らに言うように口を開いていた。
    「過去は取り戻せない。だから、足掻きながら生きるしかない――でも、それが無力な者の命を奪っていい理由にもならないよね」
    「ヲヲヲヲヲッッッ!!」
     雫も断たんばかりの鋭き白布が脇腹を貫き、巨躯が体幹を崩した隙に神霊剣を閃かせるは焔弥。
    「夢を現実に変えられるのは、一握りの可能性を持つ原石だけだ」
     疾風となって低く地を滑った彼は、敵が危機に反応する前に破邪の聖剣を翻す。濡れた艶髪より迸る露に蒼き血潮が交じると同時、一際鋭い咆吼が暗雲を切裂いた。
    「そして、コイツにはその可能性が無かった。唯それだけの事だ」
     それだけの事――鼓膜を突き破るほどの絶叫に隠れた言葉は冷静で、且つ冷徹。
    「自分の夢を誰かに託す事も出来たんじゃないですか? 貴女には夢を託せる人がいましたか?」
     そんな相手がいなかったからこそ、貴女は――と、言を追って暴腕を振り下ろす敵の側面へ回り込みながら、紅緋はトラウナックルを沈める。闇を引き摺り出されたデモノイドは藻掻くように拳を振い、虚しく雨を弾いた。
     闇と化した夢は、追うも払うも儘ならぬ。
    「棄てるべきか? 棄てられねぇからこうなったんだろうが」
     カイナはやや乱暴に言い捨てると、吹き荒れる猛風さえ駆け抜ける翼となり、敵の頭上に迫った。
    「今てめぇが掴んでるモンがマイク……それが答えだろ」
     鋭眼が捉えたのは、蒼き巨腕に取り込まれたスタンドマイク。失くした理性で手にした物が彼女の夢というなら……やるせない。
    「少しは同情してやるよ。だから殺す」
     降り頻る雨より疾く墜下したDCPキャノンは、慈悲か無慈悲か、脳天から足に至るまで光条に焼き、創痍より忽ち毒を侵食させる。
    「オオヲヲヲヲヲヲヲヲ!!」
     之に四肢を泳がせて悶えた異獣は、着地したカイナを即座に薙ぎ払って欄干に叩き付けると、前衛へと侵入して布陣を乱した。
    「……ッ!」
     直ぐ様舞い出たリリシスの愛猫に続き、フォルテッシモを盾に差し出したアリエスは、両者に回復の旋律を奏でて援護するも、自我なき狂暴、その凄惨なる蹂躙に唇を噛み、堪らず声を張る。
    「……貴女は、アイドルでしょう! 皆を笑顔にさせるのが、私たちでしょう!」
     かの肉体が先の一撃で活動限界に近付いている事を知る彼女は、抑えきれぬ想いに涙を零して言った。悲哀の涕は降雨に流されるも、その言は確かに届き、
    「ォオヲ、……ア、イ……ド……ル……」
    「……!」
     確かな言葉を甦らせる。
     終幕の到来を悟ったのはリリシスも同じで、
    「貴方の名前、聞かせて頂いても宜しいかしら?」
     彼女はスターゲイザーの超重力に巨躯を押し留めながらも、至極丁寧に、一人格に対する言葉で問うた。
     然しデモノイドが言葉を発したのはあれが最後。裂けた口より出たのは狂おしい叫声で、
    「そう……一応覚えておいてあげるわ」
    (「リリシス先輩!」)
     それでも「言」と受け取って返した彼女に涙溢れたアリエスは、俯きそうになる花顔を上げて最期を見届けた。
     一同が瞳に映したのは、蒼き異形へと疾駆する2枚の飛翼。
    「せめて……夢を、忘れた、ままで、いない、ように、倒して、あげます」
     先に懐へ潜った紅染は、『氷解のサンシャイン』が繰り出すグラインドファイアで敵の視界を紅く染め上げ、
    「お前の『夢』はあの世に持って行け」
     その焔の壁を割って現れた幸太郎は、鋭槍『 1 of a kind 』の冷気でデモノイドの活動熱を奪い去った。
    「生まれ変われた時にまたその『夢』を追えるようにな」
     感情の絆を強くした両者のコンビネーション、炎と氷を合わせた攻撃は息を呑む程美しく、咆哮するばかりだった彼女も獣のような声を隠し、静かに命を終わらせる。
    「……叶った、姿。見たかった、な」
     餞に添えられた紅染の声が、降り頻る雨に流され――頓て雨は止んだ。


     戦闘痕は全て雨が流してくれた。彼等も流血を癒せば、激闘を知らぬ者にとってはその勇姿も雨に降られた濡鼠。
    「大丈夫?」
    「私……なんだか、込み上げてしまって……」
     灼滅を見送り、遠退いた雨脚に安堵の吐息を零したリリシスは、雨と涙に濡れたアリエスに寄り添い、濡れきった前髪を細指に整えてやる。暫くは目尻を赤くしていたアリエスも、その温もりに微笑し、漸く元の破顔を見せた。
    「……濡れたな」
     願掛けで伸ばしている漆黒の美髪をすっかり濡らされたカイナは、先の篠突く雨も凡そ隠した雲を見上げると、
    「でも俺は雨は好きだ」
     その傍ら、缶コーヒーで一服を入れた幸太郎がポツリと呟き、物思いに耽った。
    (「善いも悪いも好きも嫌いも、何もかも全て洗い流してくれるようだから」)
     沈黙に眺める床には、もう『彼女』の影はない。いつもと同じ味の筈の微糖を暫し口に含んだ彼は、喉に流すと同時、バッグよりもう1本を取り出して広場に置いた。
    「来世があるなら、その時こそ報われるといいですね」
     それを手向けと悟って声を添えたのは紅緋。彼女の優しい声音に紅染もそっと頷き、
    「頑張って、いる、人……みんな、が、報われれば、いいのに」
     途切れ途切れの言が雨上がりの空に染み入る。返事の代わりに暫し黙した時間が、今しがた終えた命に対する一同の弔いだったのかもしれない。
     疎らながら人通りを取り戻し始めた広場より足を踏み出した焔弥は、
    「まるでイカロスの翼だな……夢へ羽ばたき、天に焼かれて地へ堕ちる。それでも飛ぶ事をやめない」
     其処が今度は大道芸人の舞台と化して人を集め出す様を背に残し、
    「実に滑稽で、興味深い生き物だよ。ニンゲンとは」
     その声を喧騒に溶かした。
    「夢も希望も理不尽な悪意の前には無力なのだとしたら……死ぬまで抗い、戦い続けるのが、人の定めなのかもしれないね」
     風に押し流される雲を見上げて言ったロストの科白も雑踏に掻き消える。雨脚が遠退いた隙に足を速める人々は、彼が雲間に見た虹さえ気付かず過ぎていった。

     斯くして制勝を得た灼滅者は人波に紛れて帰路に就き、平穏を取り戻した広場は元の様となる。行き交う足を次々に押し流す其処には、唯一つ動かぬ1本の缶コーヒーが、雨上がりの虹を眺めていたことは、彼等以外に知る由はない――。
     

    作者:夕狩こあら 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年6月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 5/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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