茹だるような暑さは、呼気を奪うほどだった。
山や街中ではセミが懸命に鳴き続けている。そんな騒がしい外気から隔離された、廃坑の奥深く。地元の人間も立ち入らず、採掘に励んでいた過去の賑わいを忘れた場所。
蠢く影と、眩暈がするほど籠もる熱は、そこで蔓延っていた。
かつて人間が掘り進めていたところを、ガリガリと荒い音を散らばせて影が削っていく。
散らばる音が止むことは無かった。一心不乱に鳴らし続ける。
廃坑には似つかわしくない、青々と繁茂する植物の世界で、ずっと。
「ただでさえ暑いのに、異常な熱波となると……ただごとじゃないよね」
温い息を吐き出して、狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)は口を開く。
異常な熱波が佐渡島で生じている。それだけなら「ただの熱波」で済むのだが。
「佐渡金銀山の廃坑が、アガルタの口になりそうなんだよ」
アガルタの口――聞き覚えのある灼滅者も多いだろう。軍艦島攻略の際、地下に現れた不可解な密林洞窟のことだ。
ダークネスの移動拠点となった軍艦島が、佐渡島に近づいてきているのだろうか。
先日、北陸周辺でアフリカン化するご当地怪人の報告もあった。無関係とは言い切れないはずだ。
いずれにせよ、放っておくと佐渡島が第二の軍艦島になりかねない。
ざわめく灼滅者たちを前に、睦が薄く微笑む。
「ということで、お楽しみの臨海学校は急遽、佐渡島で行うことになったんだよ」
とんだ学校行事になりそうだ。
「先ずは佐渡島の廃坑を探索して、アガルタの口を作っている敵を撃破してね」
その後は、念のため軍艦島の襲来に備え、佐渡島の海岸でキャンプを行う。
アガルタの口を作り出す敵を撃破しても、佐渡島の熱波は約24時間続く。
40度を超える熱波だ。海で遊ぶのにもってこいだろう。
「急な気温上昇だったから、海水の温度上昇もそこまでじゃないみたいでね」
佐渡島のアガルタの口が撃破され、多くの灼滅者が集まっていると知れば、軍艦島のダークネスも撤退していくはずだ。
「だからこそ、アガルタの口制圧を最優先に。そのあとに……」
佐渡の地図を、睦が灼滅者たちへ手渡した。
「海辺で臨海学校を楽しみつつ、軍艦島の接近に備えてもらえるかな」
灼滅者のひとりが問う。
アガルタの口を作り出している敵とは、何なのかと。
睦は僅かに逡巡した後、驚かないでね、と前置きをしてから答えを紡ぐ。
「スイカ、なんだよ」
――スイカ。
思いがけない単語を、灼滅者たちが疑問形で返す。
「えっと……スイカの形をした眷属だね。夏らしいと言えば、そうなるかな」
一般的な大きさのスイカに、目と口がついて、ふわふわと浮遊している。
攻撃方法も噛み付いてくるだけで、至って単純だ。
余程の油断をしない限り、苦戦せず殲滅できるだろう。平たく言えば、強くは無い。
「ただ、廃坑の奥がスイカ畑になっちゃっているから、とにかく数が多くて」
土や砂埃の匂いが充満する深い穴の奥に、活き活きと茂るスイカ畑。
そこで成長した多数のスイカから、スイカ型の眷属が生まれ続けている。
眷属化したスイカは全部で14体だ。
全滅させることができれば、廃坑がアガルタの口と化すのを阻止できる。
「狩谷さん! ひとつお伺いするッ!」
「何かな、丹波くん」
灼滅者たちの間から、大音声と挙手があがった。
声のする方を振り向くと、緑髪の少年――丹波・途風(高校生人狼・dn0231)が、好奇心で瞳を輝かせていて。
「そのスイカは、食べても良いものだろうか!?」
身を乗り出す途風を前に、睦は一拍置いてからにっこり笑った。
「眷属化する前はただのスイカだからね。食べて大丈夫だよ」
「なんとッ!!」
有り難そうな顔で回答を受け取った途風から、再び灼滅者たちへ視線を戻した睦は、ああそれと、と話しを続ける。
「水分補給は忘れないでね」
40度以上にもなる熱波の中でこなす依頼だ。
灼滅者ならば熱中症になることもないはずだが、気を付けていて損は無い。
「廃坑の探索ももちろんだけど、臨海学校もしっかり、ね」
スイカ型眷属を全滅して、臨海学校も満喫する。
灼滅者たちの忙しい二日間が、幕を開けようとしていた――。
参加者 | |
---|---|
佐藤・司(大学生ファイアブラッド・d00597) |
花房・このと(パステルシュガー・d01009) |
月見里・无凱(月華天藍銀翼泡沫・d03837) |
華村・雛菊(あした・d10803) |
秋風・千代助(からんか・d12389) |
十五夜・名月(月光戦姫プレネルニカ・d16530) |
エメラル・フェプラス(エクスペンダブルズ・d32136) |
櫻井・聖(白狼の聖騎士・d33003) |
●
息苦しさに呼吸が早まる。籠もった熱気に圧し返されそうだ。
加えて闇をたらふく飲み込んだ廃坑の奥は、灯りを手にしていても暗い。
――くらくらする、ね。
纏めた髪から伝う汗を拭い、華村・雛菊(あした・d10803)は息を吐いた。
雰囲気あるじゃねぇか、と口端を釣り上げるのは秋風・千代助(からんか・d12389)だった。微かに耳朶へ届く、荒々しい掘進の音を頼りに進む。
カラン、とエメラル・フェプラス(エクスペンダブルズ・d32136)の腰から音が零れた。吊り下げた光源が出っ張りにぶつかったのだ。途端に点滅を繰り返す灯りの中、口数が減ってきている仲間たちを、千代助が声で驚かせた。
丹波・途風(高校生人狼・dn0231)が反射的に物陰へ身を隠すと、長引いていた沈黙が笑い声で弛む。
直後、前方を指さしたのは佐藤・司(大学生ファイアブラッド・d00597)だった。
灯りで映した先、砂埃越しの対面となったのは一面のスイカ畑。廃坑の雰囲気とかけ離れた景色だ。
掛け声と共に白銀の戦闘服に身を包んだのは、十五夜・名月(月光戦姫プレネルニカ・d16530)だ。
「私は、月より舞い降りた正義の使者! 月昂戦姫プレネルニカ!」
名乗りに応じるかのように、14体のスイカが振り返った。
その異様な姿に櫻井・聖(白狼の聖騎士・d33003)が呻く。
「ボクを惑わそうたって、そうはいかないよ……うん」
見るからにスイカだ。似たような緑と黒の化粧で判り辛いが、きちんと目も口もある。
スイカ型眷属たちは掘り進むことを止めて、侵入者へと牙を剥いた。
溜息混じりに月見里・无凱(月華天藍銀翼泡沫・d03837)が槍を突き出し、敵を穿つ。
「この学園に普通の臨海学校を求めるのは、酷と言うモノ」
「確かにな」
頷いたのは千代助だ。足元から照らし出す灯りの中で槍を回転させ、襲い掛かる群れの真っ只中へ突撃していく。
「臨海学校を楽しむ前に、一仕事です!」
花房・このと(パステルシュガー・d01009)は後方で魔術を練り、起こした竜巻を群れへ飛びこませる。竜巻の轟音に交じって、ナノナノのノノさんはしゃぼん玉を生み出した。
水泡漂う宙を、翼のように広がった帯が突き抜けていく。
「どんどん割っていくの!」
エメラルの手から放たれた帯だ。
無数の帯がスイカを貫く間に、司は霊的因子を停止させる結界を紡ぎあげ、ちらりと眷属を一瞥する。
――キュウリの気配がする香り、あんま好きじゃないんよな……。
眷属が食らいつく度に、鼻孔をくすぐる青さ。自然と司の眉根も寄る。
噛み付くスイカの波間で、聖は半獣と化した片腕の銀爪をかざした。
「邪悪な野望は根本から立たせてもらうよ、うん」
力任せに眷属を引き裂けば、果汁が散る。廃坑内に充満する熱波の影響もあってか、灼滅者と眷属が攻撃すればするほど、スイカ独特の香りが熱に煽られていく。
いつも燃えるように底抜けな明るさを見せる名月も、さすがに苦しい程の暑気と匂いに飽き飽きしていた。疲労は溜まっていない。だが、夏の暑さは気力を根こそぎ奪っていく。
回し蹴りを名月が見舞う頃、雛菊は影でスイカを呑み込んでいた。
ほんとにスイカだ、と半ば信じられない光景を、現実だと確認しながら。
「ゆくぞ、霞色!」
途風の鋭利な銀爪もまた、分厚い皮を裂いていた。続けてライドキャリバーの霞色が突撃する。
浮遊するスイカたちの牙もまた、灼滅者同様に休むことを知らない。
次々と襲いくる球体へと、槍により生み出した旋風に乗って无凱が攻め入る。不意に思い起こすのは、去年の今頃。
――アレから一年経つんですね。
一玉分のスイカを葬りながら、脳裏を掠めた記憶を懐かしんだ。
停滞する熱気を払うかのように、千代助は引き起こした竜巻へ眷属の群れを巻き込む。
このとが矢継ぎ早、帯を射出し敵を貫いた。ノノさんはこのとを窺いながらも、仲間の傷を癒して回る。
すかさずエメラルの一撃が敵を殴打する。同時に流し込んだ魔力を内側から破裂させ、スイカを木端微塵にした。
「よーしスイカ割るぞー! かち割るぞ-!」
ギターを盛大に搔き鳴らした司が、発言に違わず、大玉を一つ音波で消し去る
廃坑に響くギター音に紛れて、聖は非物質化させた剣で眷属の霊魂を斬る。崩れ落ちていくスイカ型眷属を見届けていると、突然地が鳴った。
名月だ。地面を叩きつけた拍子に地面が唸ったのだ。生まれた衝撃波は、眷属を壁へ打ちつける。
少しずつ減っている敵の数を確認し、雛菊は両の掌に気を集中させた。
「あなたたちが頑張っちゃうと、困るの。だから……」
――いなくなって。
言葉を気の力に添えて放出することで、更に数を減らす。
負けていられないと腕を捲った途風は、霞色と並んで戦場を駆けた。
●
蒸せるような暑さと匂いにまみれた戦場は、まだ静寂を知らない。
「スイカは食べるもの。人を襲うなんて、あり得ないのですよ」
影を宿した得物で无凱がよろめかせた1体を巻き込み、千代助の旋風輪が走る。
すると噛み付くスイカには目もくれず、このとが間髪入れず竜巻を招いた。
暴風に散った眷属を仰ぎ見るこのとへ、ノノさんが癒しを齎す。残るは8体。
列に属する存在へ注意を払いつつ、エメラルと司は全方位へ帯を射出した。滑空した帯が、次々と群れへ降り注ぐ。
――スイカを食べるのも初めてだよ……ちょっと楽しみだね……うん。
戦場に溢れる香りで胃が膨れそうな中、聖は結界を構築した。除霊を成す結界は、また1体を新たに地へ還す。
しかし攻勢は灼滅者側も、そしてスイカ側も治まらない。
食らいつく大口を避けた名月の一太刀が、次なる標的の命を奪う。
そして雛菊は影で刃を模り、眷属の体力を削る。一玉ずつ減らしていこうね、と影の刃で眷属の体力を削りながら呼びかけて。
頷いた途風は、自身を手裏剣に見立てて、回転体当たりを敢行した。直後、霞色の機銃掃射で更に一玉が無残な姿を晒す。
淀んだ空気を、魔術で発生させた竜巻により掻き乱したのは无凱だ。
「御馳走様お粗末さまデス!」
吹き飛んだ群れは、残る4体になっていた。
すぐさま千代助がスイカを一蹴する。ご当地――塩の力を篭めた蹴りは、果実を抉り昇天させた。斬新な塩のかけ方である。
「スイカ割り、がんばりますね」
振りかぶった赤色標識を、このとが躊躇いなく叩き下ろす。それこそスイカ割りの要領で。ノノさんが傍らで嬉しそうに跳ねる中、このとの目の前にいたスイカは、跡形もなく消えていた。
一拍の後、エメラルは緑と黒の皮を強打したその接触面から、魔力を流し込む。すぐ近くで、司は武器へ炎を宿しながら呟く。
「焼きスイカかー、まずそーな感じがすんよなー」
「もしかすれば甘みが出て美味しいかも……?」
このとが首を傾げたのを横目に突き出された、スイカ目掛けた一振り。
「ま、燃やすけど!」
そして司の一言が終わる前に、雛菊が集わせたオーラでスイカを照射する。
三人が繋いだ連携は、眷属たちの燃殻すら残さなかった。
静寂を取り戻した廃坑の奥では、まだ眷属に化ける前のスイカがごろごろ転がっている。
「4つはいけるんじゃね?」
千代助が手頃なサイズのものを抱えると、エメラルもアイテムポケットへスイカを詰め込だした。小柄な聖も、ひょいとスイカを持ち上げて。
せっせと戦利品を運び出す仲間たちを見守りながら、食べきれるでしょうか、とこのとは白葡萄の瞳を細めた。
●
「夏だ! 海だ! 臨海がっこ……暑っ!!」
名月の叫び声は、大海原へ吸い込まれるより早く熱波に屈した。
汗ばんだ肌を丸洗いしたい気分になるほど、茹だる空気。全身へ染み入った気怠さに動くのが億劫になりそうだ。
「想像以上の暑さだ……おのれアフリカンパンサー!」
意外にも、名月を始め灼滅者たちにその気配は見られなかった。
それどころか強い念を飛ばしている。今頃、アフリカンパンサーたちはくしゃみをしていることだろう。
「砂あっつ!」
ビーチサンダル越しに足裏を焼く熱で、司が悲鳴を口にした。
40度を超える熱波は翌日まで続く。浜に敷き詰められた砂も当然、灼熱地獄だ。人気が無いため人口密度による熱気こそ無いものの、暑い。
一方で足早に波打ち際を歩く聖は、海水が浸みて堅さを増した砂浜に、着実に足跡を残していく。
「海に泳ぎに来るのって初めてかな……うん」
きょろきょろと落ち着かない様子の聖の後方では、お疲れ様、と希沙が手を振り雛菊を出迎えていた。ハンカチで包んだ保冷剤を差し出した希沙に、ありがとう、と雛菊は込み上げる安堵感を噛みしめて。
ひと仕事を終えて休む灼滅者の中で、ひときわ異彩を放つ存在がいた。
スイカだ。否、正確には、スイカをゆるキャラにしたかのような着ぐるみで。
照り付ける陽射しを全身(着ぐるみ)で浴びながら、平常通りの无凱の声が落ちる。
「このくそ暑い時にご苦労なことでしたねぇ、アフリカンさんも……」
視覚的暴力とも言える无凱(着ぐるみ)に、千代助が喉の奥から声を押し出す。
「月見里……その格好……死ぬなよ」
「この猛暑のなか着ぐるみかー、マゾいなー」
転がしていた司も呟くと、スイカを海水へ浸そうと屈んだままのこのとが薄く微笑む。
「あのスイカ畑に紛れ込んでいたら、区別が難そうですね」
「たしかにっ!」
紡がれた繊細な声を耳にして、同意するように途風が頷く。
さすがに気付きそうなものだけど、と司の胸に過ぎった想い。しかしのんびりした雰囲気に水を差すことなく、彼は胸の内に秘めた。
「丹波もスイカ冷やすの手伝って!」
エメラルに呼ばれて途風が駆けだすと、腕を捲った千代助も、手伝ったろ、と冷気の氷柱を生成する。何事かと目を見開いた仲間たちの間を、氷柱が迷わず突っ切った。
狙った獲物は外さないと言わんばかりに、氷柱はまだ海水に浸かる前のスイカへ衝突した。
文字通り粉々になる。ならない方がおかしい。
「スイカが!」
「スイカが!」
「ま、まだほかにもスイカあるだろ……ほら、な?」
波打ち際でスイカを転がしていた面々からあがった嘆きに、千代助も狼狽えた。
上昇しきっていない海水へスイカを寄せれば、漸く一段落だ。少しばかり冷えるまで、時間がある。
「丹波クーン! 一緒に砂に埋まらないかい?」
既に寝転んで準備万端の司が、興味津々に眺めていた途風を手招く。尻尾をブンブン振りながら駆け寄った途風は、是非にっ、と短く答えた。
砂風呂と聞いてぞろぞろと集まってきた千代助や无凱、このとも焼けるような砂を掻き集めだす。
「ノノさんも二人にかけてあげましょうね」
「ナノナノ!」
柔らかくノノさんが鳴いた。
「俺のは胸ちゃんと盛ってよネ!」
「任せとけ」
司の要望に応えて千代助が砂を特盛にする。傍らでは途風が、かけられる砂にくすぐったそうに笑っていて。
「す、スイカに埋められていると思うと妙な気分ですッ!」
无凱(着ぐるみ)が、ああ、と思いだしたように声を出す。
「近い未来に食べられてしまうスイカによる、前もった反撃と思えば……」
「そんな殺生なッ!」
「あ、貧乳やる?」
途風の悲鳴に被る形で、司が提案した。既に司の砂風呂は、魅惑のボディを模っている。
「ひん……? お願いします!」
きょとんと瞬いた途風だが、その目を直後には輝かせる。
よしきた、と千代助が続けて砂職人としての腕前を披露することとなった。
一方、砂風呂を堪能する彼らの脇では、いつのまにかこのととノノさん、エメラルが童心にかえって砂の城作りに励んでいた。
「和風よりは、洋風のお城がいいですね」
「ナノナノ~」
「大きいの作ろうね、大きいの!」
きゃっきゃと花咲く築城の歴史。
暫く経ってから、このとがポンと手を叩く。
「せっかくですから、記念撮影を」
出来上がった砂風呂を前に、このとが撮影の構えに入った。
このとが記録を確と残した後、聖が棒切れと細長い布を彼女たちへ差し出した。
「スイカ割りって言う人間の遊び、やってみたいんだよね、うん」
冷やしていたスイカも良い塩梅だろう。早速手を挙げたのはエメラルだ。
「スイカ割り、ボク得意だよ!」
聖から受け取った白帯で目元を覆う。その間に、聖たちでスイカを配置した。
「目隠ししてても何となくわかるの!」
研ぎ澄ませた感覚で生きているのだろうか。棒で砂地を叩いて確かめることもせず、エメラルは歩を進めて行く。
不意に何事か思いついたのだろう。千代助は静かに、砂風呂中の途風へ宣告を手向ける。
「お前スイカみたいな色の頭してるから、割られないよう気をつけろよ」
「!? そんな殺生なことは仰らずっ!」
そして叩きつけられる、エメラルの渾身の一振り――どすっ、と鈍い音と共に棒が埋め込まれた。司と途風の丁度間に置かれたスイカへと。
ね、と帯をずらしたエメラルがウインクを投げる。無事だとわかった瞬間、強張っていた途風の顔つきから緊張が一気に抜けたため、眺めていた面々が笑いを噴き出す。
次は私の番だね、と今度は雛菊が棒を握った。緊張で唇をきゅっと引き結ぶ雛菊に、希沙も声援をかける。慣れない歩みはしかし、砂地へ棒を叩いただけで。
――割れても割れなくても、賑やかですごく楽しい。
雛菊は、吐息に笑みを含んだ。
「よーし、今度は動き出さないスイカを割ろう! 先にやる?」
意気揚々と棒を握った名月が、黙したまま一部始終を見つめていた聖へ声をかける。けれど聖はふるりとかぶりを振った。
「ボクはもう少しみんなのを見てからで、うん」
そっか、と笑って名月が目隠しを結ぶ。上気した頬も厭わずに、棒だけでスイカの位置を捉えようと試みる。
「えと、もうちょっと右……」
「少し前だよー!」
雛菊とエメラルを始め、賑やかな応援が重なり、夏の青空を彩った。
●
「塩を振ると、より美味しくなるそうですね」
小振りの欠片を手に呟いたこのとへ、千代助がそっと小瓶を差し出した。塩が入った瓶だ。
「おすすめの塩だからな」
「俺にもくれー」
やや冷や汗を浮かべた司が、スイカを持つ手を震わせながら塩を貰った。たっぷり塩をかければ、スイカの味も誤魔化されるはずだ。そう彼は自分へ言い聞かせる。種を飛ばしたいから。そう、種飛ばしがしたいから挑むのだ。スイカという名の物理的な試練に。
近くでは、名月が既にスイカ三つめへと突入している。食べるのが早いな、と途風が問えば、名月は満面の笑みで。
「いくらでも食べるぞ!」
被りつく勢いは変わらない。
皆が食べる様子を窺っていた聖も、漸く意を決してスイカに齧りつく。
初めて味わうスイカの味と滴る水分に驚いた聖に、周りから微笑ましげな声が零れた。
盛大に砕いたスイカも、責任をもって食べ尽くされた。夜の分を残して。
しっかり体内へ水分を浸み込ませた後は、表面で感じる涼――つまり、海や波風と戯れる時間だ。
「このくそ暑ぃのに、がっつり動いてきたからな」
冷た過ぎず温すぎない海面へと、千代助が飛び込んだ。流れるように、水着のトロピカル柄が眩しい名月と、ファンシーな動物柄の水着を纏った司も特攻する。
身を沈め、さざ波に耳を委ねれば、脳の底まで洗われていくような気分だろう。
「久しぶりに狼に戻りたくなるね……うん」
周りを確認した聖は、ここぞとばかりに狼へと姿を変える。そして砂が毛に塗れることも構わず、大海原へ駆け込んだ。
同じ頃、无凱は着ぐるみを脱いでから海中へ潜っていた。彼の目的は涼むだけではない。素潜りで、夕飯のおかずを獲ることにある。
水底まで差し込む陽光を頼りに、蒼の世界を跳ぶ无凱がいれば、空と海の境界を漂う者もいた。エメラルだ。浮き輪と波間に身を委ね、心地よさに歌を口ずさむ。海の香りを連れてくる、潮風を聴衆に。
そして、水と戯れる仲間がいる一方、雛菊は熱冷ましのため、希沙と共に湿った砂浜を歩いていた。
初めて会ったときもしていた貝探し。想起した記憶の優しさに、雛菊も希沙も顔を見合わせて笑う。
迫る波から少しばかり離れ、砂を手で掻き分けながら、思い出話に花を咲かせる。突然、陽の光を受けて煌めく貝を拾った雛菊は、丁寧に砂を払うと、希沙の掌へそっと乗せた。花弁のような桜色の温もりに、希沙も笑みを零す。
「また、遊べたら……ううん、あ、遊ぼう、ね」
「うん、もちろん!」
いつしか喜びを刷いた唇で交わすのは、次の機会を望む、大事な約束だ。
傾く陽を見送り、海から上がってきた名月たちへ、途風の大音声が届く。
「軍艦島の襲来に備えた野営とのことだったが、やはり楽しんでしまうな!」
ニッと笑う少年に、すっかり抜け落ちていた目的を拾い上げて名月が胸を叩く。
「も、もちろん監視も忘れてないよ! 本当だぞ!」
言い切った名月に、このとが小さく笑った。
「わたし、楽しくてすこしだけ忘れかけてました」
「うんうん! 今日いっぱい遊べて、ボク、嬉しいな!」
疲労を見せないエメラルの笑顔が、眠りに就こうとする太陽に負けじと輝いた。
まだ終わらない臨海学校を満喫すること。それも、大事な灼滅者の――学生の役目で。
明日も楽しもうと弾む声や音を、佐渡ヶ島の夜は優しく見下ろしていた。
作者:鏑木凛 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2015年8月26日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 1
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