●歩む夏の果
落ちてきそうに大きな月が輝く、やけに蒸し暑い夜。
なびく長い髪から、はらりと萎れた桔梗の花が落ちた。
「随分また、風流な形をした鬼だね」
白衣を羽織った老女が胴間声を張り上げた。彼女の堅気らしからぬ雰囲気もさることながら、対峙するものの奇妙な美しさに道行く人々の目が吸い寄せられる。
ぼろぼろの藤色の狩衣。空色の袴から伸びた足は素足。折れた白百合が舞い落ちた袖からは、なぜか青灰色の腕が露わに見える。少し癖のある髪、黒曜石の角、狩衣にも折れて萎れたツユクサやカタバミの花が飾ってあった。
老女を見ているようで、遠くを眺めてもいるような、うつろな眼差し。
「それであたしに何の用なんだい?」
ぬるい夜風が流れる。白衣と狩衣が翻り、白い花びらが風にまかれて飛んだ。
「……アツシは引き籠って出てこないし、君でもいいかなあって思ったんだよ」
「舐められたもんだね」
物騒な巨大注射器を構える老女を前にして、彼に表情らしい表情は浮かばなかった。
胸の裡の『彼』が、老婆の白衣のそこここに染みついた血痕を見て怒りに震えている。
この腕が血に濡れそぼち爪が臓腑を抉れば、君も己の裡の暴虐が身に沁みることだろう。
『誰かを守るため』などと身を任せていた、燻る戦いへの自らの衝動を思い知るだろう。
君に望むものをあげよう。僕の望むものをもらおう。
――矛盾の盾に、相応しい最期を。
●誰ぞ見送る風の間に
緊急招集をかけたのは埜楼・玄乃(中学生エクスブレイン・dn0167)だった。探し求めていた二人のうち、楯縫・梗花(なもなきもの・d02901)の行動を察知したのだ。
「見つけたぞ、少しばかり厄介な状況だ!」
「待ってたぜ! 俺たちに出来ることを説明してくれ」
宮之内・ラズヴァン(大学生ストリートファイター・dn0164)に促され、玄乃が頷く。
羅刹と化した梗花は松戸市内を彷徨っていた。梗花が『密室』と被害者を気に掛けていた為、羅刹はアツシの動向を探っていたのだ。しかし密室を暴こうにも場所を知らない彼は、やむなく満月の夜に『ホームドクター』とことを構える。
聞き覚えのある名前にラズヴァンが首を傾げた。
「そいつは梗花が闇堕ちする原因になった事件の密室殺人鬼だよな?」
「いかにも」
武蔵坂学園が近々動き出すことは羅刹もわかっている。タイミングを合わせて密室を与えられていた『ホームドクター』を害して挑発し、アツシを引き摺りだそうとしていた。最初からアツシが来なくとも、差し向けられる全ての六六六人衆を殺してゆけばよい。
「無謀極まるが、それが羅刹の狙いでもある」
忌々しげに玄乃が唸る。
梗花は人の生命を気軽に奪う六六六人衆を嫌っていた。彼らとの戦いで『人を庇う盾の戦い』から『敵を屠る矛の戦い』へ移行してきた己に、好戦的な羅刹らしさも覚えていた。
けれど目の前の人々を守る為に、戦いをやめることもできない矛盾。
胸の裡に積み重なっていく罪と闇の気配に、彼の魂は弱っていた。
「……先輩は『己の業に見合った最期を迎えたい』と、密かに願っていたようだ」
羅刹はそこにつけこんだ。六六六人衆相手の烈しい戦いで、梗花に内なる暴虐、羅刹の業を思い知らせて完全に堕とそうとしている。
「先輩に死を受け入れさせてはならない。六六六人衆の老婆を追い払ってくれ」
『ホームドクター』とて不利な戦いは御免だ。羅刹に灼滅者が加勢するような素振りを見せればすぐに撤退するだろう。ある程度数が揃えば灼滅者だけでも追い払える。今回『ホームドクター』を灼滅しようとすれば一般人を巻き込んだ戦いになりかねないので、撤退に追い込むことが重要だ。
羅刹は『ホームドクター』に逃げられたら追い、無理なら灼滅者に戦いを挑んで梗花の魂にとどめを刺そうとしてくるだろう。羅刹は神薙使い、影業、ウロボロスブレイドに近いサイキックを使って戦う。
「ただ彼を撃破することにならぬよう、皆の声を届けることは大切だ。羅刹の裡で先輩の意識を確かなものにできれば、羅刹の攻撃力も抑えられるだろう」
今回救助に失敗すれば、今後助けるチャンスが失われる可能性がある。
もはや学園生であれば誰もが知る闇堕ちのリスクを、玄乃は最後に付け加えた。
「今の先輩は羅刹だ。先輩の魂を消し去る為に目の前の敵を喜んで殺しにかかるだろう。くれぐれも油断なく事に当たって貰いたい」
「皆で全力を尽くすさ。羅刹に倒されないことも、梗花を取り戻すことも」
ラズヴァンの返事に頷き、教室を見渡した玄乃が深々と頭を垂れた。
「諸兄らに全てを委ねる。どうか頼む。全員無事で帰還してくれ」
参加者 | |
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桜倉・南守(忘却の鞘苦楽・d02146) |
氷霄・あすか(高校生シャドウハンター・d02917) |
前田・光明(高校生神薙使い・d03420) |
布都・迦月(紅のアルスノヴァ・d07478) |
東郷・時生(天稟不動・d10592) |
漣・静佳(黒水晶・d10904) |
浅見・藤恵(薄暮の藤浪・d11308) |
縹・三義(残夜・d24952) |
●花纏う鬼と白衣の老婆
夜の松戸市、少なからぬ人通りの中で対峙する二者。予測通りの現場に直面し、桜倉・南守(忘却の鞘苦楽・d02146)が大切なハンチング帽の鍔に触れた。
「先生、力を貸してくれ、な」
やっと迎えに行ける、けれど時間はない。
『ホームドクター』が注射器を構えた瞬間、灼滅者たちは駆けだした。突っ込んだ布都・迦月(紅のアルスノヴァ・d07478)が狙いを外して放った神薙刃から、老婆が跳び退る。
「なんだい、水を差してくれるねえ」
老婆が顔を歪めた。距離をとりつつも羅刹の側に並び、漣・静佳(黒水晶・d10904)が穏やかな、けれど確固たる意志を込めた視線を突き刺す。
南守に続いて氷霄・あすか(高校生シャドウハンター・d02917)も、鞭剣を携え『ホームドクター』の前に立った。
年上の円熟どころか、老婆にはおぞましい執念と業しか感じない。年上好みの前田・光明(高校生神薙使い・d03420)にとっても、『ホームドクター』は色々と行き過ぎている。
「『我が身は盾。我が心は剣。全ては護る為に』」
封印解除を高らかに告げ、東郷・時生(天稟不動・d10592)が戦闘態勢をとった。霊犬・ひとつを伴った縹・三義(残夜・d24952)もふらりと姿を現す。
続々と増える灼滅者を前に、『ホームドクター』の表情が冷静なものになってきた。
そこへ乱入しがてら、浅見・藤恵(薄暮の藤浪・d11308)がクルセイドソードで老婆に斬りかかる。
「どいてください、話をしなくてはいけない人がいるんです」
「なんだって?!」
気色ばんだが灼滅者の数は多い。舌打ちをして背を向けた『ホームドクター』が驚くべき早さで駆け出す。
その後を、憤怒の気配も露わに藤乃が追った。一手なりとも、白衣に滲みついた血に相応しい痛みを。放たれた意志ある帯の斬撃が、老婆の背に深い傷を穿つ。
「灼滅者め、羅刹と組んだのかい!」
怒りの声をあげる『ホームドクター』に、想希と寄り添った悟は気がなさそうにしっしと手を振って見せた。
「今日は見逃したるさかいとっとと退けや!」
「小僧が!」
気色ばんだものの、殺気溢れる朔夜に続いて現れたジュリアンが、鋭い眼光を浴びせた。
「弱者しか切り刻めぬ老婆よ。疾く去るがいい」
「とっとと逃げた方が長生きできるぜ、バァさん!」
にまりと笑った錠が放つ殺気もまた、油断ならぬものであり。火の粉を噴く疾走で追いついてきたシュヴァルツの蹴撃が老婆を更に跳び退かせた。
「さっさと逃げることをオススメしてやろう。……てめぇのシワ首は、そのうち俺が引き裂いてやっからよ」
激怒した『ホームドクター』だったが、彼女は撤退の足を速めた。楽しめない殺しなど意味はない。小柄な姿は闇にまぎれて消えていった。
もちろんその間に、他のサポートと宮之内・ラズヴァン(大学生ストファイ・dn0164)で一般人の避難誘導も行われていた。
「凶器を持った不審者が現れたので避難を!」
「物騒な凶悪犯がうろついているらしい」
達人と織絵が警察官のごとく主導する。ヨギリと響が怪力無双で、詠子がキャリバーも活用し、自力避難が難しい老人を運ぶ。
遥香は迦月の背へ目をやった。彼の、そして彼らの声はきっと届くと信じている。そのために出来ることを、避難誘導に徹し全力を尽くすのだ。
テレパスで意識を読みながら誘導する萌愛、手を引いて避難を進める雄哉。有無や夜奈も困っている人がいないか走りまわる。
すべては、梗花が守りたいと願ったものを傷つけないために。
●なもなきもの
それが名を持たなかったのか、梗花が名を与えなかったのか。
それは誰にもわからない。
ぼろぼろの狩衣をまとい萎れた花で身を飾る羅刹は、包囲の中で首を傾げた。
「助けに来たわ、梗花」
時生の傍らで三義が苦笑を浮かべて語を継いだ。
「ひとつが寂しがってどうにもね……、戻ってきて貰わないと困るんだよ。ね、ひとつ」
三歳の柴犬乙女、ひとつは円らな瞳でじっと羅刹を見つめると、わんわんと訴え始めた。また一緒に遊んで、ということらしい。はいはい、と応じる三義をよそに、地を蹴った迦月は異形化した左腕で羅刹に挑みかかった。
「これが楯縫の言いたい業ってやつなのか? それに見合った物が死なら、俺だってとっくにそれを選んでる」
「そうなんだ?」
まともに一撃を受けながら、羅刹が問い返す。いつもあった梗花の優しい笑顔が見られない事には、迦月も密かな不安はあった。
「だが、俺は……この手で救えるものがある、そう信じて生きて行く。半端者のまま、手の一本、足の一本失くしたって。それが俺の覚悟だ。楯縫はどうなんだ?」
次の瞬間、青とも紫ともつかない異形の腕が迦月めがけてしなった。
咄嗟に飛び込んだ時生がその一撃を引き受け、桜花舞う『剛毅果断』の一突きを返す。
「ねえ、梗花。盾だけであれたなら、そんなに思い詰めなかったでしょうね。でもね、『人を庇う盾の戦い』も『敵を屠る矛の戦い』も、両方できて初めて誰かを救えるのよ!」
自身の解放の言葉が語るように、時生にとってそれは矛盾ではない。
サイドから炎の尾をひくキックを見舞いながら、三義がうーんと唸った。
「守る為の力も、暴力って言ったら暴力だからね。何を守るかって決断しなきゃいけない」
ふらつく羅刹へ、ひとつが六文銭を叩きこむ。槍の間合いに飛び込みながら、南守は原因のわからない全身の痛みと震えを抑え込もうとしていた。
「今ここで終ったら気が済むのか? 負った罪は消えなくても、贖罪の形は一つじゃない」
同じ孤児院育ちの、初めての家族。親友。
槍を握る手になんとか力が入った。
「皆がお前が帰ってくると信じてるんだ。それを裏切って迎える最期を、心から満足に思えるのかよ!」
螺旋を描く刺突と同時、藤恵が破邪の輝きを宿した斬撃を背後から仕掛ける。
「最期は迎えさせてあげません。これは私のわがままです」
「願いをかなえてあげようよ」
物憂げな羅刹に再び、炎をまとった光明の蹴りが襲いかかった。
同じ神薙使いとしてここに来たのも何かの縁だろう、と思う。
鬼の性は人の意志で神をも薙ぐ力となる。その力故に、一度制御を離れれば最早人たりえない。絶え間ない波のような闇を抱え、闇を喰らい続けなければ己すらも保てない。
「生きる事を諦めるにはまだ早いんじゃないか」
「矛盾や後悔があっても、ダークネスを倒せるのは、灼滅者だけ。盾も矛も必要だ、わ」
静佳の方陣が仲間を癒した。のみならず敵の加護を破る天魔の輝きを宿す。
「攻撃は最大の防御。そんな言葉もあるくらいですし、力を振るう事で誰かを守れるのなら、矛も盾となると思います」
盾のように鞭剣を展開し、あすかは頷いた。今回は庇い手として最後まで持たせてみせる。ただ振るわれるだけの力に倒れてなんていられない。
物憂げな表情のまま、羅刹のふるう鋭い刺のついたイバラが伸び、唸りをあげて前衛に襲いかかった。あすかが迦月、時生が南守の前に立ちはだかる。
時生は歯を食いしばった。これは想いを届ける為の戦い。この身の痛みも耐えられる。
その後ろで、南守は三七式歩兵銃『桜火』のボルトハンドルを引いた。弾を装填して覗いたスコープの向こうに、こちらを見る親友の顔がある。
手が震えた。元々人を撃つのは苦手だけれど、今日ほど怖いのは初めてだった。
でも。
「あいつを連れ戻す為なら、俺はこの引き金を引ける。引かなきゃいけないんだ!」
光条が迸り、羅刹の右膝が撃ち抜かれる。槓桿を引くと薬室から薬莢が鋭く飛んだ。
●闇よりも昏い宵
サポートが駆けつけたのはまもなくだった。逃走防止の包囲が敷かれ、羅刹が面倒そうに辺りを見回す。
「梗花さんの気持ち、少しだけ……分かります。でも盾でも矛でも、どっちも守るための戦いには違いないんじゃないですか? 俺はそれを、教えてもらいました」
手をとろうとする想希に応えて、悟が彼の手をぎゅっと握り返した。
「また一緒に肩並べて戦おや! 独りで悩むより誰かと、皆と一緒に悩むほうが、すっきり解決するもんやで!」
達人は梗花へ訴えた。彼の抱える『業』の話は、聞いていたから。
「……馬鹿だよ、君は。償えよ! 生きることで、誰かを護って、いつか手の届く範囲を護りきれた時に迎える最期、それが君の業に見合う最期なんだよ!」
「楯縫さんの居ない無銘草紙は……寂しいです」
きっと帰ってきてくれると信じて、精一杯の声をかける萌愛に響も頷いた。梗花に何があったのかはわからないが、羅刹の支配下で彼の望むものが手に入るはずがない。
「戻ってこいよ! 梗花が梗花じゃないのに、相応しいものなんてどうやって見つけるんだよ?」
「しなないで、キョーカ。またいっしょに花火みよう。おいしーもの、食べよう。みんなといっしょに、帰ろ? おねがいだから、1人でかかえこまないで」
涙をこらえ、気付けなかった己を悔いながら夜奈が声を振り絞る。それはヨギリも同じで、己に見合った最期など願って欲しくなかった。
「みんなお兄さんのこと心配してる……。いなくなってほしくなんか、ないの……! お願い……戻ってきて……!」
「よォ、体勢立て直して迎えに来たぜ。お前は俺の、あの場に居た全員の命の恩人だからよ」
錠が軽い口調に不退転の決意を込める。九人全員で帰るまで、あの戦いは終わらない。
藤乃も精一杯の声をかけた。
「楯縫先輩、帰ってきてください。皆が待ってます」
「楯縫……命を捨てようと、するな」
朔夜の傍らには避難誘導を終えた詠子が姿を現す。
「強さとは力の事だけを指す言葉ではありません。どうか、ご無事で」
梗花にかけられる皆の声を聞きながら、雄哉は唇を結んでいた。「羅刹の思惑に負けるな」という願いをこめて。
「君が抱く其の花の名を、今一度思い出せ!」
叩き伏せるような織絵の怒声。ちらりと羅刹が織絵へ視線を投げた。
灼滅者たちは着実に羅刹を追いこんでいった。灼滅者の傷も嵩んでいくが、そのたび静佳が癒せる限りの傷を癒す。
「誰も、貴方の拳で倒れさせない、わ。それが私の業よ。誰であっても、もう、ヒトを失いたくないの」
オーラの方陣を展開し、前衛たちを癒しながら静佳が決然と告げる。ラズヴァンとで手が回らない時は光明のフォローもあった。
だが何よりも、羅刹の膂力が目にみえて落ちてきている。
「梗花、憶えてるだろ? 孤児院の部屋で震えてた俺の手を握ってくれた事……お前の方が震えてたくせにさ、大丈夫だよって」
「やめてよ。知らないったら」
「それで俺は救われたんだ。だから、今度は俺がお前の手を掴む!」
南守は『桜花』を置くと羅刹に掴みかかった。防御を考えない、衝動に身を任せた突進。
右手にしがみつく南守に、羅刹は無造作に左腕を振り下ろした。鋭い爪に引き裂かれ、激痛に顔を歪めても南守は手を離さない。
「貴方の勇戦を戦報で知った。己を賭したのは、未来を見据えてではないのか? 貴方の望む未来を教えてくれないか?」
ジュリアンの問いに口をつぐんだ羅刹を見やり、光明は答えを察した。名も無き羅刹に身を委ねたのは、敗北したのではなく己ごと滅して欲しいから、だと。
「哀しい、そして優しい覚悟だな。そんな男ならどうしたって戻って来て貰うしかない、そうだろう?」
脚を止めるべく腱を狙った斬撃を繰り出す。
●風のやむとき
極限まで詠唱圧縮した魔力の矢を羅刹の肩に撃ちこみ、静佳が呼びかけた。
「楯縫さん、声聞こえるでしょう? 守る為に闇に堕ちるのなら、守る為に闇から戻るの、よ」
梗花の想いは知りつつも、迦月は冷徹ではいられない。たたらを踏んだ羅刹に澄んだ音色をたてて『響霊杖・火燕』が捻じ込まれ、流入した魔力が内側から身体を痛めつける。
「ここで終わらせるつもりなんざ毛頭ない。楯縫がどう思っていようが、俺の案内先は現世だ」
「選ぶ事は捨てる事――割り切れ、とかよく言うけど」
ふらついた羅刹に重い蹴撃を食らわし、三義は軽やかに受け身をとった。
「俺はいいんじゃないかな、と思うけどね。割り切れなくても、全部守りたくても、そうやって楯縫らしく生きてさ、もっとひとつと一緒に遊んでやってよ」
続いたのは、深い傷を身に刻みながらも戦ってきたひとつの斬撃。遅れず異形の腕で殴りかかりながら、時生には梗花の気持ちが痛いほどわかっていた。
ダークネスに近づく事は、こわい。
『見合った最期』を望む気持ちも理解できる。でも。
「ここで終わりで、本当に良いの? 貴方の人生は、羅刹に明け渡して良いものなの?」
梗花には酷だとわかっていた。でも、これからも生きていく事を選んで欲しい。
羅刹が不快げな顔をする暇もなく、光明が狩衣ごと脇腹を引き裂いた。
「誰も皆、心に闇を抱えている。ここにいる灼滅者全員だ」
羅刹の反撃から光明が軽いステップで距離をとる。
「否定しなくていい、内なる羅刹を赦せ。赦し、そして守る力に変えるんだ。今までそうしてきただろう?」
「僕は赦して貰わなくてもいいんだけどな」
うそぶいた途端、あすかの放った原罪の紋章が羅刹の脇腹に焼きついた。眉を寄せる羅刹にあすかが微笑む。
「さ、これであなたはこっちに来たくなーる……って、何か思い出しません?」
貴方は力なき者の為の矛。味方殺しなんて、絶対にさせない。藤恵の決意もまた、深く。
「ほら、ここにいてほしいと願う人が、こんなにもいるんですよ」
懐に飛び込んだ藤恵が破邪の輝きを放つ斬撃を繰り出し、腹部が裂ける。苛立ちが羅刹の眉を寄せた。
四肢の痺れ、身を焼く炎、骨まで軋ませる氷。
ここまで追い込まれるとは思わなかったが、仲間を手にかければ魂にとどめは刺せる。
その分水嶺は右手にぶら下がっているではないか。青灰色の大きな手が南守の首根っこを鷲掴みにし、羅刹は南守をアスファルトに叩きつけた。
「お別れの時間だよ」
南守は目をそらさず、羅刹を見返した。
渾身の力を腕にこめた羅刹が、しかし、呟く。
「……な、に?」
とどめの一撃を加えようとした腕が、動かない。
南守を絞めつける右腕は彼の両手が握りしめ、振り上げた左手は見えない力が抗うように押しとどめている。だれかの、意志のように。
力を振り絞ってはね起きた南守ともつれ、羅刹が路上に転がった。手を離さない南守を振りほどこうとした瞬間、頭上に光明が舞っていた。
「俺達も共に闘う。自らの闇と共に、お前を取り戻す為に」
光明の交通標識が羅刹の左手を貫いて路面に縫いつける。
「皆の言葉を力に変えて、ここに戻ってこい!」
「帰って来て! 梗花!」
炎を巻き上げる時生の漆黒の『風信子心』が鳩尾を抉り、三義の縛霊手が頭を打ち据えた。びきびきと音をたてて氷が羅刹を貪り、続くあすかの鞭剣が紅蓮の炎をまとう。
「わたしは単純に楯縫部長やみんなと一緒にいたい。だから!」
確信があった。
これがとどめになる。
「遠慮も懺悔も何もいらない、ただ戻って来い、親友!」
南守の絞り出すような叫びと同時、あすかの一撃が羅刹を貫く。衝撃でアスファルトが砕け、さらなる炎と氷の浸食を受けた羅刹の身体が大きく震えた。
●帰りを願う花の咲く宵
桔梗の花が湿った夜風にまかれて闇の奥へと飛び去ってゆく。
「……無茶が過ぎるよ……南守も、みんなも」
ぼろぼろの狩衣と萎れた花をまとった羅刹ではなく、梗花が、そこにいた。
長い安堵の息をついて、光明が笑みをこぼした。立ち竦んでいたあすかがほっと胸をなでおろし、藤恵が心から嬉しそうに微笑む。
「お帰りなさい……また、会えた」
「お帰りなさい!」
時生は声を詰まらせた。梗花の姿が涙でぼやけてしまうけれど、止めようもない。また一緒に過ごせる喜びを噛み締める。
「さあ、私達の『無銘草紙』に帰りましょう。秋はすぐそこまで来てるわ」
時生の言葉が終わらぬうちに、響や萌愛、夜奈に達人、『無銘草紙』の仲間が駆け寄ってきた。嬉しそうに尻尾を振ってひとつが梗花にとびつく。全身で喜びを表す、相変わらず美人なひとつの頭を撫でて、梗花は苦笑している三義を見上げた。
「首輪のお花もあげるってさ」
「お帰り、楯縫部長。ワサビの用意はしっかりできている。覚悟してくれ」
迦月にイイ笑顔で告げられて、梗花が困ったように笑う。そこへ朔夜がやってきた。
「あの時、堕ちてまで逃がしてくれて……有り難う……。お前と天方を救えず……すまなかった」
朔夜の言葉に梗花は首を横に振った。誰が堕ちても不思議はなかったのだ。
サポートメンバーも歓喜に沸く中、ジュリアンと雄哉はサポート仲間たちに礼を残して立ち去っていた。
帰りを喜ぶ仲間たちの言葉に笑みを返し、ひとりひとりに笑顔を向けて。
最後に彼は、右手を握って離さない親友へ目をやった。ハンチング帽の鍔を触って少しの間そっぽを向いていた南守が、振り返る。
「随分な寄り道だったな……お帰り、親友」
「……ただいま、親友」
矛であること、盾であること。己のありかたは誰もが惑い迷っていて。
風雨に打たれ、数え切れぬ花が散ろうとも。
闇は去り夜は明け、己が孤独ではないと知る。
独り歩く夏の果に別れを告げ、一人の灼滅者が帰還を果たしたのだった。
作者:六堂ぱるな |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2015年9月7日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 6/感動した 5/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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