羽化

    作者:鏑木凛

     隠れていた月が雲間から顔を出す。朧げな輪郭が、曇った夜空にぽっかり浮かんだ。
     しかし浮かび上がったのは、月の輪郭だけではない。
     鈍い暗雲が光を覆っていたときには、きっと気付かなかったもの。
     天高く翔る、ひとつの影。
     乾いた羽音が耳障りに鳴り響く――蛾だ。蛾に似た翅が、毒々しい色を夜空に映し、一方で胴体は赤と黒に染まって蠢いている。否、蠢いているのは異様に膨張した腹部だ。
     影は、空いている窓からひとつの部屋へと侵入する。そこでは奇怪な侵入者の存在にも気付かず、青年が爆睡していた。影は芋虫のような身をくねらせて、青年の傍へ寄ると、そのまま彼の中へ消えていった。
     まるで、命という名の灯りに誘われたかのように。
    「……っぐ……う……」
     布団を握った手に、力が籠もる。
     青年は暫く魘された後、何事も無かったかのように眠りの世界へ戻っていった。
     
     絆のベヘリタスの事件は、決して沈静化したわけではなかった。
     開口一番、狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)の言葉は不穏な色に染まる。
     羽化したベヘリタスについて、彩瑠・さくらえ(望月桜・d02131)が探ってくれたおかげで判明した――羽化したベヘリタスが、新たな事件を起こすつもりでいると。
    「あの、虫が苦手な人がいたら申し訳ないんだけど……」
     絆のベヘリタスの卵から羽化し、成長したシャドウは、芋虫のからだに蛾の翅が生えた形をしていると睦は言う。
     ベヘリタスとは似ても似つかない。
    「羽化して成長したと思われるシャドウはね、どこからともなく現れるんだ」
     そして眠っている人間のソウルボードへ入り込む。
    「今回は先ず、ソウルボードの中で羽化したシャドウを倒してほしいんだよ」
     バベルの鎖の影響だろう。シャドウがソウルボードへ入る前に攻撃を仕掛けると、察知され、別の人間のソウルボードへ入ってしまう。そうなると対処が難しくなる。
     そのため、シャドウがソウルボードに入る様子を確認してから部屋へ突入し、追いかける形でソウルボードへ向かって欲しいと、睦は話した。
    「部屋の主が起きる前にシャドウを倒して、現実世界へ戻ってきてね」
     ソウルボード内は花や木の実が成る、明るく彩り豊かな森だ。
     ソウルボードに侵入した直後のため、悪夢を利用した配下も持たず、シャドウ一体との戦いとなる。過去の例に違わず、ソウルボード内での戦闘力も高くない。
    「このシャドウ……ソウルボードを通じて撤退する能力は無いみたいだよ」
     つまり、ソウルボード内での撃破が叶えば、逃げ場を失ったシャドウは現実世界に出現する。当然、現実に出てきたシャドウは強敵だが、今の灼滅者が力を合わせれば、困難ではあるが灼滅もできるはずだ。
     嫌な予感がする――睦はそう呟き、確実に灼滅してほしいと願った。
    「シャドウは角で突いてくる他に、黒い糸を飛ばしたり、鱗粉で回復もするよ」
     頭部に生えた角は、影を纏っている。近い誰かひとりを攻撃するだけだが、突かれると痛みを感じるだけでなく、自分にしか見えず、自分だけを攻撃するトラウマが出現する。
     黒い糸は粘着性が高く、距離を問わず一列を絡め取り、痛みと共に捕縛してくる。
     そして鱗粉はシャドウ自身にのみ付着し、ヒールとキュアの効果を発揮する。
    「ソウルボードの中でも外でも、使う攻撃手段は一緒なんだ」
     ――ただ、強さが違うだけ。
     睦は肺の息を押し出しながら、声を震わせた。
    「……このシャドウ、腹部が妙に膨らんでいるんだけど」
     明らかに異常な膨らみは、中で何かが動いているようにも見える。
    「そこから、別のシャドウの気配も感じるんだよ」
     別のシャドウが、どんな存在かはわからない。
     ただ、戦う力は非常に弱いと思われる。もちろん油断は禁物だが。
    「やることが多いけど、着実にこなしていってね。キミたちなら大丈夫」
     話し終えると、睦は薄く微笑み、ゆっくり一礼した。
     そして灼滅者の顔をひとりひとり確認する。
    「いってらっしゃい。シャドウのこと、お願いするよ」


    参加者
    玄鳥・一浄(風戯ゑ・d00882)
    雨谷・渓(霄隠・d01117)
    白鐘・睡蓮(炎奏戦灯・d01628)
    花凪・颯音(花葬ラメント・d02106)
    刻野・晶(大学生サウンドソルジャー・d02884)
    歌枕・めろ(迦陵頻伽・d03254)
    鬼神楽・神羅(鬼祀りて鬼討つ・d14965)
    八重沢・桜(百桜繚乱・d17551)

    ■リプレイ


     雲に纏わりつかれながら、月も微睡む静かなひととき。
     滑空する影は、目撃したとしても飛行機か鳥と見紛うだけで済むだろう。
     だが、影が飛行機でも鳥でもないことを、集った灼滅者たちは知っている。それがヒトに害成す存在であることも。
     影は窓から部屋に侵入すると、眠る青年の精神世界へ迷わず飛び込んでいった。
     歌枕・めろ(迦陵頻伽・d03254)と八重沢・桜(百桜繚乱・d17551)、そして玄鳥・一浄(風戯ゑ・d00882)が機会を見計らい青年へ先に近寄る。
     部屋の構造を確認した雨谷・渓(霄隠・d01117)と、外を回っていた刻野・晶(大学生サウンドソルジャー・d02884)は、やはり庭で戦うのが良いと仲間へ告げる。
     一同が頷いた後、渓は青年の精神世界へ皆を誘った。

     辿り着いたのは、色とりどりの花が咲き、木の実が風に遊ばれる世界。
     異国の庭か、物語に出てくる世界のような平穏さだ。ただひとつのものを除いて。
     赤と黒に染まった芋虫のような身。蛾を思わせる翅を生やした――シャドウ。
     灼滅者に勘付いたシャドウがゆっくり振り返る。前衛に立った桜が先手を取り、飛ばした帯で影を貫いた。
     続く一浄も、御伽と旧史を記した帯を射出する。
    「夏休みの昆虫採集の恨み……ちゅうことやないんやろね」
     いっそ理由がそれなら解りやすいのにと、一浄は首をゆるく振った。
     白鐘・睡蓮(炎奏戦灯・d01628)は縛霊手に内蔵した祭壇を広げ、結界を築く。
    「さて……文字通りの怪物退治だな」
     ライドキャリバーの赫怒が駆動音を轟かせて突撃すると、蟲が揺れた。
     そこへ花凪・颯音(花葬ラメント・d02106)の帯が放たれる。貫く間に一瞥したのは、異常な膨らみを見せる蟲の腹部で。
    「ぞわっとしますね。尚更、放置したくありません」
     貌は穏やかなまま、瞳の奥に滾る光が、熾烈な彼の意志を物語る。
     先ずはソウルボードでの一戦。順序を確認するように反芻しながら、鬼神楽・神羅(鬼祀りて鬼討つ・d14965)は妖気を氷柱に変えた。
     ――先ずは、などと思えば学園も成長したものだ。
     嘗ては叶わなかったことが、手の届く場所にある。着実に育つ力を実感しながら、神羅は氷柱で蟲を貫いた。
     直後、蟲は黒い糸を吐き出す。粘着質な糸が前衛に纏わりついた。絡まる黒糸を引き千切る勢いで、渓が戦場を駆ける。炎を纏った蹴りで抉れば、蟲が仰け反った。
     飴色の瞳に映る、宿敵の姿。目を逸らさず、めろは霊的因子を停止する結界を張った。ウイングキャットの式部も、肉球パンチで体力を削っていく。
     ふと耳朶を打ったのは神秘的な歌声。晶の声だ。ビハインドの仮面が霊撃で応戦する間に響く、伝説の歌姫を連想する歌。しかし蟲はびくともしない。
     一方、対峙するシャドウを見つめていた桜は、クロスグレイブを振りかざす。
     ――農家生まれですし、虫には慣れているはずでしたが。
     荒々しい格闘術を繰り出し、敵の姿を眼前にした桜は思わず眉根を寄せる。
     懐へ飛び込んだ一浄は、殴打と共に流し込んだ魔の力で、影を内側から貪る。
     飛び込んでいったのは彼だけではない。ローラーダッシュの過激さを連れた睡蓮が、蟲を睨み付ける。
    「あいにくと、私は感性が欠乏していてな」
     嫌悪感は微塵もない。そう突き放すように言いながら、睡蓮は炎の尾を引かせて蹴り上げた。続く赫怒も、怒涛の攻撃が鎮まる前に機銃掃討で迎え撃つ。
     何の感情も露わにしない影の蟲めがけて、颯音と神羅が同時に槍を突き出す。螺旋の捻りを乗せた二つの矛が、闇を貫く。
     穴が開こうと身が崩されようと、蟲は怯まない。影の角で桜を突き、少女にしか見えないトラウマを引きずり出す。
     腹に蓄えた悪夢を見遣り、渓は得物へ影を寄せた。
     ――夢を渡り歩き、夢汚す前に。此処できっちり片付けます。
     命中することを最優先に放った一手で、異形の影が後退る。
     その隙にめろが蝋燭へ灯したのは、黒い炎。仲間を援護する黒煙越しに見た蟲は、めろの胸を不快にさせた。
    「うぅ、気持ち悪いよー」
     げんなりする彼女を尾で叩いた式部が、リングの光で桜を癒す。
     華麗な踊りが戦場を飾る。晶の情熱が篭った踊りが披露される中で、仮面は霊障波にて影を打った。舞いながら窺った蟲の腹部に、晶の目が細くなる。蟲への抵抗は少ない。だが、愉快な気分にはなれなかった。
     渓の身体を抉るように、影蟲の黒き角が迫った。苦痛を吐かないように噛み締めた渓の脇を、鋭利な帯が駆け抜ける。桜の放った帯が、蟲を渓から引き剥がした。
     狼狽える暇を影に与えず、一浄が語るは祟り狐奇譚。黒い狐の霊が喰らいついたところで、シャドウが地へ溶けるように消えていく。
     シャドウハンターのめろと渓が声を揃えた――外へ、と。


     白んだ灼滅者たちの意識は、すぐに肉体へ帰った。
     脇目もふらず窓から飛び出したシャドウを追い、真っ先に部屋から脱した晶が、戦場内の音を遮断する。
     眠る青年の様子をちらと確認した睡蓮と渓は、大丈夫だろうと踏んで仲間に続く。二人が部屋の外へ到着すると、式部の肉球パンチを喰らったシャドウが、飛ぶことも忘れ庭へ転がり込んでいた。
     軽やかに着地しためろがシャドウの行く手を阻み、一浄が百物語を紡ぐ。
     準備は整った。
    「さぁ、ここから本番であるな」
     神羅の言葉に仲間も頷く。
     現実での戦いの火蓋が切られた。
     桜と一浄が改めて帯を射出する。飛び交う帯の下、赫怒がフルスロットルで気合いを入れ、睡蓮は背に顕現させた炎の翼で、不死鳥の癒しを降らせる。
     シャドウの輪郭を視線で辿り、颯音は瞳に鋭い光を宿した。
     ――絆のベヘリタス。
     唇で名を模るだけで苦々しい。主の感情を察してか、渦巻く風が激しさを増す。
    「俺は、あんたが一等嫌いです」
     颯音は風切り音に支配された戦場で、そう呟いた。眼前の影以外に聞かせることの無い胸の内を。そんな一人の神薙使いが起こした風は、刃と化して蟲の翅を切り裂く。
     風が鎮まった瞬間に、神羅が帯を飛ばす。手応えは、ソウルボードの中とは異なる。全くと言って良いほどに。
    「やはり、難無くとはいかぬか。だが……」
     ――そうでなくては。
     研鑽を積み、経験を重ねた力の向く先が、確かな強さをもってそこに在ること。それを神羅は再認識し、ぐっと拳を握りしめた。
     直後、羽音を奏でることが叶わなくなった蟲へと、渓の踵が向けられる。夢を汚し、そして喰らう存在を纏った炎で叩き落す。
    「これ以上、悪夢を生み出すことは止めて貰いましょう」
     渓の発言の意を汲み取ってか、蟲がぶるりと震えた。
     繊細な見目からは想像もつかない巨大な祭壇を展開しためろは、除霊の効力を発揮する結界で蟲を追い詰める。
     式部の肉球パンチが続いて繰り出され、歌姫を思わせる神秘的な声を晶が響かせた。漂う歌の中、仮面の霊撃が蟲の身を叩く。
     現実へ出現しても尚、緩むどころか強まる傾向にあった攻撃の嵐に、シャドウから堅い何かが軋むような音が零れる。
     音を灼滅者たちが認識した頃には、折れた翅から鱗粉が撒布されていた。翅の主を救うように包み込んだ鱗粉が、痛みを拭う。
     癒しの手段を相手が持とうとも、灼滅者側も動きを止めはしない。
     桜がクロスグレイブを用いた格闘術で、勢いの波を作る。そこで一浄がシャドウの傍へ駆け寄った。
    「夢まで餌にするやなんて……」
     墨染桜の枝杖越しに魔力を流し入れ、深い闇をねめつける。
    「品のあらへんことは、好かんのですわ」
     体内で魔力が爆破した。呻くような音が蟲から零れる。
     ベヘリタスめ、と想いを転がす睡蓮が、煌々と燃える蹴りを蟲へ直撃させる。
     ――現実への回帰など、断じてさせん。
     睡蓮の胸中を悟ったかのように、赫怒も機銃掃討で傷を与えていく。
     ふわりと、颯音は槍を引き寄せた。狙い定めるは、ただひとつ。彼が望んで止まないものを捕食する影。螺旋のごとき捻りを加えた槍が、影へと突き刺さる。
    「あんたが喰らわんとしているものは、人が多くの対価を払い育むものです」
     更に力を入れ、矛先を奥へ奥へと押し込む。尽きぬ想いと共に。そして引き抜いた槍を手に、颯音は間合いを取り直した。常と変わらぬ、柔い笑顔のまま。
     そこで神羅が槍に集わせたのは妖気だ。塊はやがて凍てつく槍となって影を呑み込む。
     すぐさま渓が武器へ影を這わせ、地を蹴った。
    「誰も欲しはしませんよ」
     しとしとと泣く雨のような静けさで、紡がれたのは。
    「眠り妨げる悪夢など」
     シャドウを射貫く、渓の心。
     彼の一撃をシャドウが喰らったところへ、翼のように放出された数々の帯が注がれていく。めろから放たれたものだ。縛る帯の軋みに抗う蟲へ、式部の魔法も撃ち込まれる。
     ふらつくシャドウに仮面の霊障波が続き、晶が召喚した無数の刃で影を裂いた。
     ――中のシャドウは、何のためにあるのか。
     膨張した腹部を何度見ても、考えは纏まらない。全ての絆を奪うためか、心を食べ尽くして入れ替わるのか。
     いずれにせよ、ぞっとしない話だと晶は肩を竦めた。


     戦いの音は、長く続いた。
     粘り付く黒糸が、前衛の手足に絡み動きを鈍らせる。
     黒糸に自由を奪われながら、桜は帯を放つ。しかし蟲は易々と避けてしまった。
     突如、一浄が裂帛の叫びをあげる。彼の咆哮に気圧されたかのように、重ねに重なった黒糸は千切れて消滅した。
     赫怒が影へ突撃する間、睡蓮は指先の霊力を撃ち出し、桜を黒糸の呪いから解放する。
     狙撃手として立つ颯音は、神薙刃でシャドウの腹部を斬った。だがシャドウ自身は一撃に苦しんだものの、腹部が破れる気配も、内部に傷を加えた様子も無い。
     ――何がしかの効果を期待してはいたが……変わらぬか。
     腹部への攻撃を見守っていた神羅は、腹部へ定めかけていた照準を逸らす。
    「ならば敢えて部位を狙わずとも」
     態勢を整え放った帯で、シャドウを叩く。
     そこへ飛び込んだのは渓だ。ローラーダッシュの摩擦により生じた炎を乗せて、敵を一蹴する。
     黒い糸の呪縛に抗う仲間たちへ、めろが同じ黒で援護する。蝋燭に揺れる黒き炎は、立ち昇らせた黒煙で仲間を支えた。ただひとりメディックとして立つめろだからこそ、できることだ。
     捕縛を払う手段を用意した者、その使用タイミングを早めた者もいた。そのため長期戦に入ろうとも、重ねてきた時間は堅実そのものだ。それでも、メディックがひとりもいなかったら、窮地に追い込まれていた可能性もあるだろう。
     続く式部も、ふわふわと浮かびながら尻尾のリングを光らせた。
     晶は再び神秘的な歌声で庭を充たす。耳を貸さないシャドウへと、今度は仮面が霊撃を仕掛ける。
     不意に、影を宿したシャドウの角が睡蓮を突いた。防御の姿勢で加減は和らいだが痛みは鋭く、トラウマの影が忍び寄る。
     芋虫のようにくねらせた身へ、十字架型の戦闘用碑文を振り回した桜が飛びかかる。桜の生んだ波に乗り、一浄は殴打と共に不気味な図体へ魔力を流し込み爆発させた。破裂の痛みに捩った蟲へ、今度は颯音が優美な曲線を描いた真白の葬槍で穿つ。
    「あんたには報いを受けて貰いましょう」
     颯音が低く言い放つと同時に、神羅の放つ妖気の氷柱が蟲を串刺しにした。
     影には影を。続く渓は得物に宿した武器を蟲へ叩きつける。
    「悪夢の種子を逃がす訳にはいきません」
     確かな意志は、力になる。
     苦痛に転がる蟲に立ち向かっためろは、式部の魔法に重ねて蝋燭から炎の花を飛ばす。大きく天を仰いだシャドウは、そのまま重々しく地に仰臥し、ぴくりとも動かなくなった。
     幾つもの荒い呼吸と上下する肩は、しかし撃破の余韻に浸ろうとしない。
     彼らは、まだ武器を収める時でないと知っていた。
    「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
     神羅がそう口にした直後、消えゆくシャドウの腹部を破り、一斉に蟲たちが飛び出した。
     ひっ、とめろが声にならない悲鳴を呑み込む。一浄も、痒うなりそうや、と腕を擦った。
     灼滅者たちはすぐに、打ち合わせ通り逃亡を防ぐための布陣を敷く。
     目視した数は30匹。数も然ることながら、奇怪なのは容姿だ。渓はまばたきを忘れて、広がる光景に寒気を覚える。
     ――腹に抱える悪夢は幼生体でしたか。それにしても、似ているどころか。
     同じだ。倒したばかりのシャドウと。
    「仮面!」
     囲みの薄い場所へ陣取った晶の呼びかけに応じ、仮面も奮い立つ。手近な一匹へ晶は断罪の刃を振り下ろした。すると幼生体の蟲は呆気なく消滅する。
     すぐさま、震える声を詠唱に代えた桜が、十字架の砲門を開放した。小さな影の群れを光が灼いていく。
     眩さのなか、陣の中央に佇む一浄は、古椿にまつわる怪談を語りだした。
     ――出てきたばかりで気の毒やけど。
     怪談の流れに合わせて、枝葉からぽろぽろと零れる椿の花。溶けゆく花が、名残惜しむように蟲たちへ毒を齎した。
    「堪忍な」
     一浄の呟きを聞き届けることなく、また数匹が崩れゆく。
     睡蓮も、赫怒の機銃掃討に連ねて魔を退ける結界を展開する。
     散り散りに駆け出す影を視界に捉え、颯音は細く息を吐いた。
    「逃がしません。纏めて葬りましょう」
     颯音の魔法は、群れから急激に熱を奪い、凍てつく死の海へ沈ませる。
     数が多いと見積もり、複数を攻撃できる手段も用意した灼滅者の作戦は、見事に功を奏していた。
     神羅もまた肉体を凍らせる魔法を紡ぎ、祭壇を広げた渓は容赦無く結界を張る。
     猛攻は止まず、めろは意志を結界の加護へ篭める。彼女の結界から逃れた蟲を、式部が肉球パンチで懲らしめた。
     そして最後の一匹へ晶の刃が死を呼び――沈黙が戦場を過ぎる。
     耳障りな羽音も、夢を貪る悪意の蟲も、見下ろす月が知る日常から消え失せた。


    「この蟲で、新しいダークネスが生まれたりしなければ良いが」
     静寂を破り晶が呟いた。
     緊張の糸が解け、崩れそうな膝を抑えながら桜は呻く。
    「うぅ……しばらくの間、虫は見たくないのです」
    「なんや体がぞわぞわするよな気が」
     震える一浄の言に、寄生型ではないだろうかと、睡蓮が確認し始める。けれど跡形も無く灼滅された虫は、残り香すら置き土産にしなかったようで、皆で胸を撫で下ろした。
     ――ベヘリタス陣営に動き有り、か。
     情報が掴めればと考えた神羅だったが、得られた情報は少ない。しかし事件を阻止できたことは大きな収穫だろう。
     ようやく、優しい月明かりが雲間から顔を出した。
     幸せな夢の真っ只中であろう青年の部屋を見上げてから、灼滅者たちは歩き出す。
     彼らが欠伸を噛み殺す頃には、月に纏わりつく雲も、どこかへ流れてしまっていた。

    作者:鏑木凛 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月11日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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