夜闇を蠢く影は、ゆっくりと庭先に下り立った。
澄んだ水を湛えた池から錦鯉が顔を覗かせ、その影を見つめるようにした後、ふと池の中へと戻る。
月明かりに映された影は、赤と黒で彩られた毒々しい虫の形をしていた。芋虫の体に蛾のような羽根を持ち、大きさといい形状といい明らかに異常である。
その腹部は、何かもっと小さなものががぎっしりと詰まっているように、もぞもぞと動いていた。
……シャドウ。
物言わず、シャドウは羽根を羽ばたかせると屋敷へと入り込んでいった。
さわさわと心地よい風が吹き込む縁側から身を押し込み、シャドウはその側の部屋に寝ていた青年に近づきソウルボードへと忍び込んだ。
青年が寝苦しそうに胸元を搔いたのは、それから僅かの間。
しばらくすると、それも落ち着き静かな寝息を立て始めた。
さわさわと、道場の入り口から涼しい風が入り込む。
相良・隼人(大学生エクスブレイン・dn0022)は胴着姿で座したまま、静かに場所を示した。
「新たな絆のベヘリタスのシャドウ事件だ。……だがこいつは卵でもなんでもねェ、既に羽化したベヘリタスのシャドウだ」
ここ最近絆のベヘリタスの卵に関する予知がなかったのは、理由があったのだと隼人は話した。
彩瑠・さくらえ(望月桜・d02131)の調べによると、羽化したベヘリタスのシャドウが人間のソウルボードに入り込むという事件が多発しているという。
今回の事件では、ソウルボードに侵入された人間が起き出す前に、ソウルボードの中でベヘリタスの卵から羽化したシャドウを倒さねばならない。
「必ず、ソウルボードに入るのを確認した後で部屋に侵入し、ソウルボードに行ってくれ。事前に攻撃するとバベルの鎖で察知されちまう」
シャドウがソウルボードに侵入した直後であれば、配下もいない為労せず倒せるだろう。
このシャドウはソウルボードを通じて撤退する力を持たない為、そのまま現実世界に出てくる。
それを逃さず、現実世界で灼滅するのが灼滅者への依頼だ。
「現実に出てきたシャドウはちょいキツイが、今のお前達なら何とか倒せるはずだ」
このシャドウは絆のベヘリタスの卵から出現したベヘリタスとは違う姿をしているという。
エクスブレイン側も不安を感じており、隼人も灼滅するようにと言って念を押した。
「こいつの腹の中にも、まだ何かいる気がする。……まあ、その、中に何がいたとしてもシャドウだと思うし、雑魚同然だからザクザク倒せばいいってこった。がんばれ」
もそもそ大量に動く何かが腹の中にいるとか、想像するだに気持ち悪い。
隼人も苦笑いで、皆を送り出したのだった。
参加者 | |
---|---|
ヒルデガルド・ケッセルリング(Orcinus Orca・d03531) |
満月野・きつね(シュガーホリック・d03608) |
青和・イチ(藍色夜灯・d08927) |
蓮条・優希(星の入東風・d17218) |
カリル・サイプレス(京都貴船のご当地少年・d17918) |
マサムネ・ディケンズ(乙女座ラプソディ・d21200) |
二荒・六口(ノクス・d30015) |
辻凪・示天(彼方の深淵・d31404) |
ひたと足を降ろした庭先は、灯り一つない暗闇であった。
屋敷からはわずかに灯りが漏れているが、枕元においた小さな照明が灯っているだけで、中の者が起きている様子はない。
縁側から見える部屋の襖は開け放たれており、既にシャドウが侵入した後と思われた。
先行した青和・イチ(藍色夜灯・d08927)の霊犬くろ丸が、ひょいと縁側に上がって中を覗き込む。吠え声も上げず振り返った所を見ると、既にシャドウは中に入った後なのだろう。
イチが歩きだすと、満月野・きつね(シュガーホリック・d03608)も続いて部屋に侵入した。中に眠る青年は何の異変もなく、彼はすっかり寝入った様子であった。
最近見かけないと思ったけど、ちゃっかり活動してやがったか。
そう呟いたきつねの声からは、ベヘリタスに対する苛ついたような感情が聞き取れた。彼らベヘリタスのシャドウが活動しているという事は、数多くの人が犠牲になった後だと推測される。
「もしかして、放っておくとベヘリタスのシャドウが夢の中で増えたりするのでしょうか? ベヘリタスの卵は一般の人に取り憑いていましたよね」
カリル・サイプレス(京都貴船のご当地少年・d17918)が、小声でそう皆に問いかける。
想像したくはないが、腹の中に何かがいるとエクスブレインの隼人が言っていた事を辻凪・示天(彼方の深淵・d31404)は思い出した。
「既にその段階にあるかもしれない」
低い声で示天が言う。
ならば、早めと片付けなければならない。示天が視線をきつねに向けると、きつねも仲間を振り返った。
きつねが、確認の小さな声を出す。
「準備はいいよな?」
仲間とは既にソウルボードでの戦い、配置の確認をおこなった後だ。何れも、即座に戦いに移る準備は出来ていた。
「さて、行こうか」
示天が青年の傍に来て、きつねとともに意識を合わせる。
頷き返す仲間を確認すると、二人はソウルアクセスを開始した。
ソウルボードの中は、延々と続く座敷と襖。
槍を構えたまま、ヒルデガルド・ケッセルリング(Orcinus Orca・d03531)は溜息のような声を漏らした。
何という広さだ…。
二〇畳ほどの広さの部屋が、半分ほど開いた襖の向こうに目の届く限り延々と続いている。夢の中といえど、その広さに目眩がしそうだった。
ぽつん、と広間の真ん中に一体の虫が蠢いている。
毒々しい色をした芋虫の体をしており、どこか絆のベヘリタスに似ている特徴を持っていた。ただ、その腹部は不気味に脈動している。
「みーつけたっ! ……やっぱ、ちょっとキモイな」
生理的な拒否感をもよおすシャドウの外見に、きつねは眉を寄せながら声をあげた。恐らくこのシャドウを見て楽しいとか大好きと思う者は、そう多くはあるまい。
攻撃の為に前に踏み出したマサムネ・ディケンズ(乙女座ラプソディ・d21200)も、見た目は気持ちいいもんじゃねえな、ときつねに同意を示す。
「じゃあ始めるか!」
異形化した巨大な腕を振り上げ、マサムネがシャドウに襲いかかった。夢の中での作業中であったシャドウは、突然侵入してきて襲いかかったマサムネの攻撃を回避しようと飛び退く。
巨腕は畳を叩きシャドウを掠めるが、その攻撃にきつねもまた駆け込みながら、異形の腕をシャドウに叩き込んだ。
力を生かした二人の波状攻撃に、シャドウがトランプマークを具現化して身を震わせる。
力を蓄えながら今にも飛びかかろうとするシャドウの姿勢にそなえ、示天がキャリバーを自分達の前に押し出した。
「配下が現れる前にやる」
害虫退治を。
示天は、仲間を庇うようにシャドウの前へ立ちはだかりつつ、仲間に攻撃を促す。反対側には、カリルと霊犬のヴァレンが回り込んで包囲している。
逃走の危険はないようだが、仲間への攻撃を阻止する為には包囲して四者で連携してガードするのが最も怪我が少ない。
「僕達が攻撃は阻止します! 皆さんは連戦にそなえて一気に叩いてくださいなのです!」
カリルはそう声を掛けると、ちらりと横のヴァレンと視線を合わせた。未だ攻めあぐねているシャドウを見て、ヴァレンが六文銭を放つ。
続いて二荒・六口(ノクス・d30015)が腕を異形化し、総員でパワーアタックをシャドウに集中して叩き込んでいく。体の大きさに対して、シャドウは豪腕でのダメージを受け止めきれていなかった。
拳を引いた六口が、シャドウの体の様子に気付く。
その体は、やはり聞いていたように何かが大量に詰め込まれている様子がうかがえる。
「気味が悪いな」
六口は、顔色を変えずに言った。
彼からはそういった感情の表現は見られないが、確かに何が入っていようとそれらが一斉に飛び出す様は、あまり気持ちがいい光景ではなかろう。
ここにいる殆どが縛霊手での攻撃を繰り出していたが、それはパワー系の攻撃を選んだだけではなく、これから待ち受ける出来事を力で一気に片付けてしまいたいという気持ちもあったかもしれない。
……何かが這い出す、その時に。
槍でシャドウを貫いた優希が、示天のキャリバーの後ろに身を引いて周囲を見まわす。
「……居ないか」
入った時に確認していたが、中にあの青年がいないかどうか蓮条・優希(星の入東風・d17218)は視線を巡らせていた。襖の影など、この広大な部屋の……少なくとも近くには、彼の姿は見かけなかった。
ようやく安堵し、優希がしっかりと槍を構える。
槍を主体にした優希は、マサムネやきつねと連携して攻撃を重ねていった。
だがシャドウも受けるばかりではなく、盾となる仲間と呼吸を合わせる灼滅者達に、体から漆黒の弾丸を幾つも打ち出した。
シャドウの攻撃から、示天が縛霊手で防ぐようにして優希を庇う。
弾丸の幾つかが示天を貫くと、じわりとその体に毒が染みこんでいった。気付いた六口が、即座に縛霊手から光を放つ。
「助かる」
示天が六口に礼を返すと、六口はちらりとシャドウを見た。
シャドウは周囲を囲むカリルや示天に向けて弾丸などで反撃を繰り返すが、夢の中という事もありこちらの傷はさほど深くはない。
出来るだけ、現実世界に出るまでこちらのダメージは減らしておきたいというのが六口の考えであった。
カリルの傷の具合を見つつ、六口はふと身を前に滑らせる。
シャドウの視線がこちらを向くが、ヒルデガルドが足元から影を放ってその動きを阻止した。シャドウの動きを監視しつつ、ヒルデガルドが六口に攻撃を促すように視線を合わせる。
「長く保たない」
細い声でヒルデガルドが言うと、六口は頷いた。
ギリギリまで接近した六口の拳が風を切り、シャドウに叩き込まれる。吹き飛ぶシャドウに更に踏み込み、六口は拳を重ねた。
襖を巻き込み転がったシャドウに、くろ丸が飛びかかって喰らい付く。もがくシャドウの上空から舞い降りるように、イチの蹴りが振り下ろされた。
衝撃がシャドウに大きく加わると同時に、体が消え去っていく。
ゆっくりと立ち上がったイチが仲間を振り返ると、示天が周囲を見まわした。
「ここから出るぞ」
示天が言うと、六口は皆を見た。
ここから出れば、シャドウとの連戦が待っている。怪我の深い仲間が居ないか確認する六口に、大丈夫というようにカリルは笑顔で頷いた。
シャドウの攻撃からは、カリルと示天が守り切ったようだ。
広がる座敷牢の景色が消え去ると、彼らは再び元の屋敷へと戻っていった。
ちろちろと光る枕元の灯り。
月明かりが差し込み、庭は明るく青く輝いていた。
……シャドウは!
足元を見下ろした優希は、同時に傍にいたシャドウも認識する。
眠る青年の枕元に、シャドウがじわりと実体化していく。優希がシャドウの前に飛び出すと、イチは青年の体に手を伸ばした。
「行かせるか」
小さな声で、優希が呟く。
眠り続ける青年はぴくりと瞼を動かすが、イチは声を殺して彼をさっと抱え上げた。隣室への襖は、くろ丸が押すようにこじ開ける。
「くろ丸は向こうを頼む」
扉を開けたくろ丸は、既に意を察してシャドウに向き直っていた。
飛び出したカリルの振り上げた縛霊手は、月明かりの下で大きく影を落としていた。迷わず踏み込んだカリルの拳が、渾身の力でシャドウに振り下ろされる。
「舞台は……あっちです!」
部屋から、庭先目がけてカリルはシャドウを吹き飛ばした。
勢い余って庭先に転がったシャドウを見下ろし、ヒルデガルドは槍を構える。仲間の力はまだ温存されており、ヒルデガルドは周囲の広さを確認しながら周囲の音をかき消した。
シャドウがずるりと動く音は聞こえてくるが、向こうで眠る青年にまでは既にここの音は聞こえて居まい。
「…これでいい」
これで、心置きなく戦える。
準備が整ったヒルデガルドは、きつねと優希が庭へと飛び降りるのを見届けた。
シャドウが今までとは数段違う動きで、影を宿しながら二人に突進する。現実世界のシャドウの動きに目を見張り、マサムネがその攻撃にそなえた。
強い衝撃が加わり、マサムネの視界に何かが浮かぶ。じっとそれを見据えるマサムネの表情は、厳しくそして怒りにも似ていた。
すぐにその表情は、いつものマサムネのものに変わる。
「二度目はやらせねーよ!」
シャドウと自分達の間に、マサムネがシールドを展開していった。これでどこまで阻止出来るか、とシャドウの強さを計りながらマサムネは考える。
現実世界に具現化したシャドウは、きつねと六口の鬼神変による豪腕の攻撃を、体を捻りながら致命傷を避けて流していく。
「……素早い」
六口は目を細め、シャドウから飛び退く。
ソウルボード中での効果は、既に消えていた。縛霊手による攻撃はソウルボード内同様に効果はありそうであったが、先ほどよりも身体能力は上。
確実に攻撃を躱し、飛びかかった。
マサムネからトラウマの効果が消えていないのを見て取ったイチが、代わりにそれを受ける。すぐにくろ丸の浄霊眼が効果を発揮したのは、二人の意識の繋がりが感じ取れる。
イチにはくろ丸、カリルにはヴァレンが着いてシャドウの攻撃からお互いを支え合う。シャドウの攻撃によるトラウマは決して侮れないが、一撃一人しか狙ってこないシャドウ相手には皆で包囲する作戦は効果的であった。
「……」
無言で六口が、マサムネに光を翳す。
トラウマが消えたのか、マサムネが小さく息をついてにっと笑った。礼を言うマサムネに、こくりと六口は頷く。
ここからは、一つずつ仲間の傷も癒して畳みかけなければと六口が身を引く。
相手の動きは速く、ダメージを重ねる事が難しい。
これではらちが明かない……とヒルデガルドが、影に意識を集中する。狙いをじっと定め、シャドウがイチ達を狙うのを待つ。
シャドウの胸にマークが浮かび上がるのを見たイチが、くろ丸にちらりと視線を落として拳を握り締めた。
「相手は、こっち」
すう、とイチがシャドウの懐に飛び込んだ。
そして、零距離から叩き込まれた縛霊手。同時に下からするりと切り上げるのは、くろ丸の刃であった。
ひとつ、深呼吸をした後ヒルデガルドが影を放つ。狙いを定めたヒルデガルドの影が、攻撃を躱そうとするシャドウの体を捕らえた。
黒い影が、縋るようにシャドウに絡みつく。
「足りない」
まだ、動きを止めるには足りないとヒルデガルドが呟く。イチが示天に視線を投げ、何かを口にする。
意を汲み取った示天が、イチと合わせて力を発動した。
囲んだイチと示天の結界がシャドウの足元に展開。
「今だ……!」
優希が槍を持つ手に力を込め、冷気を放った。鋼のように鋭い冷気の塊が、次々とシャドウの体を貫いていく。
もがくシャドウが、体ごと突進する。
ガシャン、と示天のキャリバーは音を立てて攻撃を受け止めた。地面にタイヤ痕が残り、キャリバーは低い音を響かせながら車体をシャドウに傾ける。
「そろそろだ」
六口は仲間に知らせるように言うと、意識を集中した。肌に冷たい風がひやりと吹き込み、示天、イチ、カリル、マサムネと次々に仲間を撫でていく。
その冷たい感触は、傷を癒して心を落ち着かせる。
戦いは終盤になっていたが、という事はアレが出てくるという事。
「何か動いているのですよ」
カリルの声も、緊張を含んでいる。
じっと見守るカリルの前で、ヒルデガルドが手を翳した。
砕け散れ。
石化の呪がヒルデガルドから放たれ、シャドウを呪が捕らえる。呪いはシャドウ石化でじわりじわりと蝕み……そして唐突に弾けた。
その大きな腹が、シャドウが力尽きるのと同時に風船のように弾けたのである。
弾け飛んだ腹部からは、大量の小さなシャドウがわらわらと這い出てきた。
中から飛び出したのは、数十体もの小さな幼生体のシャドウであった。飛び退いたヒルデガルドの足元にも、シャドウが這い寄る。
もぞもぞと蠢くシャドウは、夜の影の中では青虫か何かのようだった。
平然としているヒルデガルドが羨ましいとさえ思う、きつね。とにかく一体でも片付けてしまいたく、武器を握る。
足元に這い寄ったシャドウを、優希は回し蹴りで一掃する。しかしそれでもまだ動き、そして足からもぞもぞと登ってくる。
「すごい数だな」
振り払いながら、優希は飛び去ったりしないか様子を伺う。ひとまず大量のシャドウは飛ぶ様子はなく、その辺りを動き回っているだけなのが幸いである。
あまりの状況に、迷うきつね。
縛霊手で潰すか?
「いやいや、潰したくない」
「仕方がない」
六口はきつねに言うと、縛霊手で潰していく。元々拳での攻撃しか想定していなかった六口は、手で潰すしかない訳である。
下手に武器で潰すより、手で握りつぶす方がいっそ早い。
あまり気味がいいやり方ではないが、六口の顔には出ていなかった。
やむなく、きつねは魔導書を開いて火を放つ。
劫火がシャドウを焼き尽くしていく。火に焼かれたシャドウが、赤い炎の中で幾つももがいていた。
逃がさないように後方から囲むように立ったイチは、示尼とともに結界でシャドウの動きを阻止する。
傷ついて動きの鈍ったシャドウは、ヴァレンとくろ丸が叩きつぶしていった。
出現したシャドウは、数こそ多いがいずれも弱いもの。
「……っと、これで全部片付いたか?」
ほっと息をつくと、マサムネが見まわした。
冷気で急速冷凍し終わったヒルデガルドが、ああ、と小さく答える。見まわした所、倒し漏れたものはいないようだ。
しんとした闇の中、ようやく動くモノは消えた。
殲滅完了。
ヒルデガルドの言葉が、皆を安堵させるのであった。
作者:立川司郎 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2015年9月14日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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