ダストボックス

    作者:れもん汁

     もう、こんなに暗い――。
     女は早足で歩きながら紺に染まる空を睨みつけていた。つるべ落としという言葉そのままに、夕陽はもう地平へと滑り込もうとしている。
     無論、今日いきなり日が短くなったという訳ではないが。今日に限ってはそんなものにすら苛立ってしまうほど心に余裕が失われていたのだ。
     早く家に帰って熱いシャワーを浴びたい。駅から会社まで毎日通っている道は入社時から変わらず、遠回りではあるが分かりやすい大通りを選んだもの。それを今日はあえて、駅への直線に近い細道を辿って近道をしようとしたのが失敗だった。
     迷った訳では……流石に無い。方向感覚は失われていない。けれども、これはむしろ通い慣れた道を選んだ方が良かったのではないかと思わせるほどには期待する方角から道は逸れていたのだ。
     ――と、ふと。道端にある金属製の四角いものに目が行った。
    「金属の……ダストボックス?」
     女は目を瞬かせる。それはもう随分昔に撤去され、なくなった筈のものであった。
     こんな物がまだあったのか、と。物珍しさから女は近づく。苛立ちはすでに霧散していた。むしろ、懐かしいものを見れたのだから良いかという気持ちにすらなりながら。
     だが、ダストボックスに近づく女の動きは、凍りついたかのように止まっていた。
     ごんごん、と。内側から蓋を叩く音がしたのだ。信じ難いという表情が広がってゆく。そして僅かに後ずさり、逡巡した後、女は恐る恐るダストボックスの蓋に手をかけ、それを開いていた。
    「ひ――」
     箱の中から伸ばされたのは黒色の、無数の腕。
     それに絡め取られた女は、ばくりと箱に飲み込まれ、消えた。


    「うぃーす。んじゃ今回の依頼は、っと」
     空き教室へと灼滅者達を招き入れた長谷部・桐(高校生エクスブレイン・dn0199)は、ボールペンの尻で頭をかきながら話し始める。
    「都市伝説っすね。金属製のダストボックスって見たことある人居るかな」
    「……コンビニとか駅とかにある奴か?」
    「あー、ソレもまぁ確かに金属だけど。もっとデカくて住宅地とかに置いてあった奴」
     現在ではすでに廃止され、存在しない筈のものであると桐は言う。
     何故廃止されたのか――については幾つかの理由があるが、最も大きいものは、やはり他の自治体からゴミを持ち込まれるためである。
     24時間いつでもゴミが出せるという利点は、そのまま欠点ともなったのだ。
    「んでさ、その理由の中に一個だけ、いやゴミの持ち込みってのも問題としては大きいんだろうけど。穏やかじゃないものがあってね」
     それは、子どもが閉じ込められ、誰にも気付かれないまま死んだ、というものであった。
     本当にそんな事件があったのか、桐は知らない。しかし何故金属製のダストボックスが撤去されたのかを語られる時、やはり最もインパクトが大きいそれが第一に上がるのだ。
    「そして、死人が出たってな話になると、当然ながらやっぱりそこには怨念がおんねんって事になっちゃうワケだ」
     へらりと笑う桐。灼滅者達は無言のまま、先を促す。
    「ヤツが出現する場所はね、駅近くの住宅地で、周囲にはアパートや一軒家が並んでる細い路地だよ」
     左右はブロック塀。家屋への入り口は無く、人通りは昼間でもそう多くはない。住宅地とはいえ戦闘時には簡単な人払い程度で十分だろう。
     夕刻になれば人喰いダストボックスは電柱の脇にひっそりと姿をあらわす筈である。近づけば、内側からごつごつと、弱々しく蓋を叩く音が聞こえてくる。
    「開ければ、戦闘開始だね。あー、箱にいきなり集中砲火をかましちゃっていいんじゃないかって思うだろうけど、コイツ箱の方は滅茶苦茶硬いんだよね」
     まともにダメージが通るのは、箱から伸ばされる黒色の腕に対して。
     一度正体を現せば、以降都市伝説はその腕を足のごとくに用いて、その容姿からは想像もつかぬほど俊敏に地面や壁を這い回るであろう。まるで蜘蛛のように。
     安全に相手を叩き起こしてから戦闘を始めるか、相手に初撃を許して反撃での大ダメージを狙うか。その辺りは灼滅者の作戦に任せると桐は言っていた。
     なお、都市伝説の用いる攻撃手段は影業と鋼糸のサイキックに類似しているらしい。
    「こんな所だね。……やれるかい?」
     眠たげな笑みを浮かべて、桐は前髪をかきあげた。
     


    参加者
    最上川・耕平(若き昇竜・d00987)
    エミーリア・ソイニンヴァーラ(おひさま笑顔・d02818)
    黒絶・望(風花の名を持つ者の宿命・d25986)
    赤阪・楓(死線の斜め上・d27333)
    鍵山・このは(天涯孤独のフォクシーウルフ・d32426)
    茅原・楓(追う者・d33763)
    貴夏・葉月(八百万との契約者であり食滅者・d34472)
    紫乃・美夜古(愚かな語り部・d34887)

    ■リプレイ


     景色は蒼く暈けている。日の入り直後、最も視界が悪くなると言われる薄暮。
     周囲に立ち並ぶ家々には明かりがつき、テレビの音だろうか、かすかな話し声と音楽が聞こえてきていた。
     辺りに人通りはない。学生の帰宅にはやや遅く、会社づとめの帰宅にはやや早い時刻か。
     ブロック塀に挟まれた細い路地。電柱一本だけが立つその場所に、灼滅者達は足を踏み入れる。
    「ダストボックス、か」
     ぽつ、と口を開いたのは紫乃・美夜古(愚かな語り部・d34887)。子どもが閉じ込められ衰弱死したとの噂を持つ、その既に廃止され存在しない筈のゴミ収集箱は、或る都市伝説となって其処に在った。
     ――曰く、其れは人を喰う。
     七不思議使いとして、彼女がここを訪う理由としてはそれで十分。
    「箱の中に潜む何か……ね。まるでミミックみたいだな」
     最上川・耕平(若き昇竜・d00987)は軽く口元を綻ばせながら、そう言っていた。
     まさに、イメージとしてはそれに近い。近寄れば聞こえる、内側から蓋を叩く弱々しい音。それに釣られて蓋を開ければ無数の腕に捕らえられるのだという。
    「……時々こういう哀しい都市伝説もいるんですよね……」
     普段からつけている目隠しのため、何処を見ているのかわからないまま、黒絶・望(風花の名を持つ者の宿命・d25986)は言っていた。元となった噂自体の真偽はわからない。だが、それに因って怪異が生まれ、犠牲者が出ていることは事実。鍵山・このは(天涯孤独のフォクシーウルフ・d32426)はこくりと頷き瞼を伏せる。
    「かえでねえさま。おとり、がんばりましょう!」
     傍らに立つ茅原・楓(追う者・d33763)へと、子犬のように纏い付くエミーリア・ソイニンヴァーラ(おひさま笑顔・d02818)。その態度は普段通りではあったが、出現の時を近く迎え、わずかな怯えを映している事をさとって、楓は軽い笑みで応える。
     ち、という音をたてて光を投げかける街灯。
    「さて……そろそろ、だけど」
     首筋にひりつくような気配を感じ、振り返る貴夏・葉月(八百万との契約者であり食滅者・d34472)。
     そこには――電柱の脇にはひっそりと、まるで此処に来た時から当たり前のようにそこにあったかのように風景に馴染んで、錆びついた金属のダストボックスが佇んでいたのであった。
    「人払いを」
     サウンドシャッターを用いて戦場内の音を遮断する耕平。つと進み出た美夜古は百物語を語る。
     それは家に帰りつけなかった子の話。引き寄せられた雑霊が周囲にわだかまり、一般人をこの場から遠ざける不快な障壁と化すのを確認し、赤阪・楓(死線の斜め上・d27333)は改めて錆びた金属の箱に視線を向ける。
    (「いいね、このちょっとした古さ」)
     馴染んでいる。だからこその不気味さ。ぉん、と内側から蓋を叩く篭った音色を聞き、赤阪の目が静かに細まった。
    「う……」
     目の前に箱を見下ろし、これに近づくのか、とやや足を竦ませるエミーリア。伸ばされてきた手を握って、楓は箱に近づく。
     無論彼女も怖くない訳ではないのだ。もう片方の手でウイングキャットのクレハを撫で、内心の不安を押し殺している。
    「わたしが危険になったら、代わりに前に出てね」
     クレハは理解したというように、こちらの目を見返していた。


     箱が開く。
     ダストボックスの中はどうなっているのか――エミーリアの疑問であったが、殺到する腕の隙間にぎっしりと詰められた白骨が、こたえとして今、彼女の眼前に示されていた。
    「簡単に引き摺り込めると思わないでよ!」
     飛び退くエミーリアと楓。突き出した剣をするりと避け、伸ばされてくる腕を望の影縛りが真横から捉える。先程までしていた目隠しは既になく、闇に慣れた両目がしっかりと箱を見据えている。
    「彼女達は私の仲間です。残念ですが渡すわけにはいきません」
     だが、当然相手もその程度で怯みはしないか。都市伝説として、ある意味この初撃に全存在がかかっているのだ。腕のうち幾つかを影に拘束されながら、残りの腕はお構い無く一直線にエミーリアへと向かい、そして頭上すれすれを通過していった。
    「わ、わふっ!」
     尻もちをついて黒い腕を見るエミーリア。彼女を捉えかけた腕をぎりぎりで弾いたのは、直前にこのはが掛けたソーサルガーダーの加護。そして箱の影から飛び出したこのはは、戻りかける腕に向かって畏れ斬りを振り下ろす。
    「あなたが事故で不幸な死を遂げた子供なのかはわからない……けど、これ以上犠牲者を増やすなんて、許さないなの!」
     地から湧いた管狐を纏いつけての斬撃。痛打を受けた都市伝説は、黒色の腕を箱内に引っ込める。そしてぐい、と両脇へ降ろされた腕が軽々と自身を持ち上げ、まるで冗談のようにブロック塀を登り始めた。
    「逃がすかよ!」
     追って突進する耕平。大上段に構えたクルセイドソードは白光を纏って振り下ろされるが、蜘蛛じみて瞬時に方向転換する都市伝説にこれは躱され。
    「重そうな見た目で、中々に早いな」
     そう零しながら赤坂が喚び出すのは草臥れたスーツを着た案山子である。鴉頭を被せられたその異形の案山子は、ぎこちなく杖を、まるで後方を突くように握り直した。そして閃く銀閃、抜き放たれた仕込み杖が赤錆びた箱を噛み、にぶい金属音を鳴らす。
     好機、と見て楓は仕掛けた。飛び退いたステップから前方へ体重移動し、身を低くして弾丸のような踏み込み。
     斬り抜けた紅蓮斬は、都市伝説の身を支える『足』の一本を見事に切断していた。
    「葉月」
    「わかってる!」
     ぐらり、と揺らぐ敵を見逃さず、美夜古の黙示録砲が轟音を奏でる。続いて葉月の影が都市伝説へと纏い付いた。
    「所詮、タネが割れたミミックだな」
     油断なく続く動きを見極めながら、無表情に美夜古。
    「ええ、でも……まだ油断はできませんが」
     望はそれに応える。その目前で、地面に転がったダストボックスは天地さかさまのまま、足の向きだけを変えて再び動く。跳ねて元に戻るかと思いきや、空中で腕を広げ細い路地を塞ぐ黒い網を形成してみせた。
     接近の意図を挫く黒糸の結界。たたらを踏んだ前衛陣を細く鋭い腕であったものが切り刻む。
    「やっぱ、反撃を許すと痛ぇ……」
    「気を引き締めてかからないといけないね」
     そう、まだ戦いは始まったばかりなのだ。


    「頼むぜ、ピオニー」
     リングを光らせるウイングキャット。狭い路地を目いっぱいに使い、黒い腕との斬り合いを演じる灼滅者達の身体には既に多くの真新しい傷が刻まれている。
     幾度目かの回復。葉月の清めの風が灼滅者達のダメージを拭うが、疲労は徐々に蓄積されていた。
    「お~にさーん、こ~ちら、なのです♪」
     跳ねながら、箱の周囲を回るエミーリア。追って射ち出された腕が、刃となってアスファルトを削る。数発は確実にエミーリアを捉えてはいたが、彼女の掲げるシールドに阻まれ直撃には至っていない。
     それでも、笑顔は若干引き攣っていた。あの腕に掴まれ、箱の中に引きずり込まれるなどは考えたくもない。その思考が攻撃を選ばせたか、シールドの隙間からエミーリアの手が神薙刃を纏って閃いていた。
     きゅ、と箱の表面に跳ねる風の刃。
     攻撃の機を伺う耕平に、攻め手が遅滞していると見た楓はあえて仕掛ける。元々、彼女の攻撃にさほどの速度も精度もない。正面から斬りかかれば恐らく六~七割がたが回避されるか弾かれるかだろうが――それでいい。
     ゆっくりと迎撃の構えを取る都市伝説に、望は後背から切り込んでいた。
    「今なら……行けます!」
     わかっている、とばかりに反応する美夜古と葉月。望の黒死斬は箱を支える重要な足を切り落とし、重い音をたてて箱の角がアスファルトに落ちる。続く抗雷撃と神薙刃が、確かな手応えと共に都市伝説へと突き刺さった。
     ぐらり、と都市伝説が揺らぐ。切り飛ばされた足を霧散させ、再び箱のなかから新しい腕を地面へと伸ばす金属箱。
     これまで縦横に路地を這い回っていた都市伝説の、開幕以来初めてみせる致命的な隙であった。やつは今、どうしようもなくその場に足を止めている。
     ――畳み掛けるべき、だろうね。
     回復行動を中止し、グラインドファイアを放つ赤阪。さて此れに炎は……効くのかどうか。
     果たして炎に包まれ、都市伝説は箱の縁から黒い粒子を吹き上げた。溶けかけた腕がまるで鞭のように地面を叩き、トリッキーな軌道を描く。
    「……ッ!」
     突進するこのは。耳元で鳴る衝撃波と共に、こめかみに刻まれる傷跡。けれど、彼女は止まらなかった。
    「荒ぶる蒼炎よ……薙ぎ払うなの!」
     矢のように肉薄し、炎を纏った斬撃が新しく伸ばされる腕をまとめて灼き斬る。そして、最期の足掻きか。箱を開きあらん限りの腕をぶちまけようとした都市伝説の前に、耕平は駆け込んでいた。
    「悪いが、今度はお前が箱の中に入る側だよ」
     撃ち込まれる拳。装着されたバベルブレイカーが炸裂し、高速回転するパイルが白骨の中心に撃ち込まれる。
     無数の腕と白骨、箱の中にあったもの全てが、その回転に引き寄せられ、巻き込まれて圧縮、粉砕されてゆく。
     そして、後には伽藍となった箱だけが残ったのであった。
    「って……まだ終わってないのか?」
     再び腕を振り上げようとする耕平。しかし、美夜古はそれを制する。
    「いや、それでいい。敵としては、ソレはもう終わっている、が……」
     言いつつ、彼女は一冊の本を取り出していた。ちらりと赤阪へ視線を送る美夜古だが、彼はそれに肩をすくめて応え。
     箱は薄く揺らいで美夜古へと吸収された。
    「君の話、ワタシが承ろう。ワタシの命尽きるまで語られるがいい」

    「さて、終わったね」
    「わふ~……こ、こわかったのです!」
     赤坂の言葉にぺたりと座り込むエミーリア。早く明るいところへ行きたいという彼女にまさか反対の意見があろう筈もなく、灼滅者達は重い身体を叱咤してこの場を離れる準備にかかる。
    「少なくとも、これで同じ悲劇が繰り返されることはないでしょう……」
     再び目隠しを着けて構えを解き、黙祷を捧げる望。楓は、今度はこちらからエミーリアに手を差し出していた。嬉しそうにそれを握って、彼女達は細い路地から抜けてゆく。
     このはは、持参したお守りをぺたりと電柱に貼っていた。そして軽く祈りを捧げ、仲間達の背中を追って踵を返した。

    作者:れもん汁 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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