絶景に割り入る紅蓮

    作者:夕狩こあら

     背の低い草が所々に生える以外は、岩肌を晒した無骨な大地。その眼前に迫るは、息を飲むほど険しい美景。
    「この絶景……描ききって見せる!」
     感動にうち震えながら筆を走らせるは、大学の絵画サークルの面々。
     登山道より少し逸れた岩場から見える景色は、隠された絶景ポイントであった。
    「次の展覧会で賞を取れば、俺も……」
     青年が美景を前に野心を募らせる中、別の角度より景色を眺めていた学生が、切り立った崖より細く流れる湧水に気付いた。あのような水が集まって豊かな水源を成すのだと思った、その時。
    「……あれは何だ?」
     眼前に広がる光景を不審がる声――その動揺に振り向いた学生達が、一斉にその指差す方向を見る。
    「火の塊が絶壁を降りてくる!」
    「獣か……? いや、化け物だっ!!」
     全員が画材を放り投げて逃げ出すも、遅い。灼熱の炎を纏ったそれは瞬時に一行に近付くと、炎の脚で薙ぎ払って谷に落とした。
     
    「兄貴~姉御~! 大変ッス!」
    「ノビル」
    「山へ写生に来た絵画サークルの学生達が、気紛れに移動してきたイフリートと接触する事が分かったんス!」
     山岳地図を握りながら、日下部・ノビル(三下エクスブレイン・dn0220)が灼滅者達に駆け寄った。
    「接触場所は、登山道から脇に逸れた岩場で、付近に切り立つ絶壁から敵は下りて来るッス!」
     この絶壁は、獣のうちでも駆け下りる事ができるのはカモシカくらいか。勿論、人間では到底立つことも出来ない傾斜だ。
    「相手は駆け上る事も出来るんで、逃走を阻んで灼滅して欲しいッス」
     絶壁を登られては追う事も出来ない。退路を断つ立ち回りが必要となるだろう。 
    「登山道より離れた場所は立入禁止で、大学生らも許可を得て現地に入ってるッス。無断で入ると、パトロール中の山岳ボランティアに止められるんスよ」
     スムーズに侵入することが出来るだろうか。思案する灼滅者達を見ながらノビルは続けた。
    「今回のイフリートは長い四肢と引き締まった身体が特徴的で、燃え盛る角の形状といい鹿に似てるんスけど、大きさは鹿の比じゃないッス!」
     寧ろ体躯は競走馬と肩を並べ、脚力の強さやスピードは駿馬を凌駕する。全身に漲る炎が示すように、攻撃衝動は凄まじく、理性の枷なく繰り出される攻撃は破壊と殺戮を生み出してきた。
    「攻撃は、ファイアブラッドに類する技と、硬い蹄から繰り出される足技は兄貴らのエアシューズに近いッス。足の数が倍あるんで要注意ッスね!」
     戦闘時のポジションはキャスター。自然に生きる相手ゆえに、地の利も向こうにある。
     戦闘は力と技の直接対決、まさに生物の生存競争のようなものになるだろう。
    「戦闘は苛烈を極めるッス。どうか、注意は怠りなく」
     激闘は願ってもないと、拳を鳴らして笑みを浮かべる者も居る。その力強い頷きを、ノビルは真っ直ぐに見つめた。
    「戦場まで登山道を歩くことになるんで、最低でも雨の準備はして、灼滅から下山まで万全を期して欲しいッス」
     山岳地図を手にした灼滅者達が颯爽と席を立つと、
    「ご武運を!」
     ノビルはその背に敬礼を捧げた。


    参加者
    橘名・九里(喪失の太刀花・d02006)
    煌・朔眞(秘密の眠り姫・d05509)
    フランキスカ・ハルベルト(フラムシュヴァリエ・d07509)
    香坂・颯(優しき焔・d10661)
    可罰・恣欠(リシャッフル・d25421)
    芥生・優生(探シ人来タラズ・d30127)
    紅茗・秋邏(疾風紅蓮・d34797)
    土屋・筆一(つくしんぼう・d35020)

    ■リプレイ


     踏み出る足は着実に高みへと進むも、秋空には尚手が届かないが、岩間よりふと色を覗かせる高山植物の慎ましさに心清められる――山は行楽日和だった。
     登山道は短い秋を楽しもうとする人で賑わい、山岳ボランティア達が彼等を見守る中、やや急ぎ足に隊列を組む一行が岐路に近付いてきた。
    「お疲れ様です」
    「おう、ご苦労さん!」
     パトロール中の山岳ボランティアが仲間と思って声を掛けたのは、土屋・筆一(つくしんぼう・d35020)。見れば彼の後ろには登山具と画材を抱えた若者達が連なり、
    「先刻の絵画サークルのメンバーか?」
    「はい、訳あって後から合流する事になりまして」
     後発隊は自分が案内しているのだと説明を加える筆一の影からは、
    「バスに乗り遅れまして……御迷惑を御掛けします」
     橘名・九里(喪失の太刀花・d02006)が細指に丸眼鏡を持ち上げながら言を加える。
    「今日は混んでいたからな。一緒に乗れなかったんだな」
     仕方ないと笑い飛ばす屈強な山男には、彼等は4名の集団として映っているだろうが、更に半数の者が同行しているとは思いもしない。
    「先の連中ならそろそろ岩場に辿り着く頃だな」
    「そうですか。では僕達も急がなくては……」
     九里達が山男と会話する中、旅人の外套を纏った可罰・恣欠(リシャッフル・d25421)は見えぬ身をいいことに、
    (「よくお聞きなさい。山男に惚れてはなりませんよ~」)
     とばかり、無言のまま周囲をうろちょろと巡っている。
     そのシュールな絵面に紅茗・秋邏(疾風紅蓮・d34797)は苦笑を隠しつつ、フランキスカ・ハルベルト(フラムシュヴァリエ・d07509)は宥めるようにホールドしながら脇の小路へと連行していくのだが、その微笑ましい光景すら常人の眼には見えぬもの。
     闇纏いにて身を隠した香坂・颯(優しき焔・d10661)は殿か、先行する、という視線だけを残して人知れず登山道を逸れると、
    「それでは行ってきます」
    「気をつけてな!」
     可視に在る4人は、山男と笑顔を交わしつつ、堂々と立入禁止区域へと踏み進んだ。

    「この壮景を描ききる事が出来れば……次の展覧会は……」
     密かなる野望を胸に、指で作ったフレームを構える青年。愈々集中して筆を取ろうとしたその時、命の危機を訴える煌・朔眞(秘密の眠り姫・d05509)の声が届いた。
    「さぁ逃げて! 崖が崩れちゃいますよ~」
    「なっ……崖崩れ!?」
     一同が騒めいたのは言うまでもない。
     許可を取り付けてまで確保した美景と、燻る功名心が避難の足を鈍くさせる筈であったが、朔眞が王者の風を吹かせれば気力も失せ、彼女の繊麗なる指が示す方へと逃げていく。
    「どうやら間に合った様だなあ」
     退避する学生らを後ろ背に見送った芥生・優生(探シ人来タラズ・d30127)が、灰色の瞳を犀利に輝かせて見詰めたのは、彼等と入れ替わるように懸崖より現れたイフリート。
    「Kill me if you can」
     絶壁を駆け下りる火球の如き幻獣、その灼眼を捉えて殲術道具を解放した彼は、同時に覚醒させた殺意の波動を呼び水に、仲間等と包囲陣を展開した。


     気紛れにやってきた炎獣が移り気に岩場を離れぬよう、まずは「敵」と認識させる――。
     九里と優生は、生命の根底にある生存競争を掻き立てるに相応しい斬撃を以てイフリートを邀撃した。
    「人の及ばぬ高みで大人しくしていれば佳かったものを」
    「同感」
    「まァ僕としては歓迎に御座いますがね」
    「それも同感」
     皮肉めいた言に相槌を打つタイミングも絶妙ながら、同時に突き入れる攻撃もレイザースラストとは小気味が良い。
    「やけに気が合うなあ」
    「ブルルルルッッ!」
     左右より空を裂いて迫った鋭撃に首を振って嘶いた炎獣は、憤怒に痛撃を払うと、次に勢い良く驀進した。
    「グルォオオッ!」
     邪魔だとばかり猛牙を剥く凶獣。吶喊して駈ける様は弾丸の如く、
    「……最近は昔程の憎しみを持たなくなったのは、僕に余裕が出来たからなのか……」
     ビハインドの香坂綾が霊撃にて突進を往なすに合わせ、縛霊撃を被せた颯は、相対するイフリートの狂相を炯眼に射た。
    「ギギギギィィ!」
    「それでも誰かを傷付けるなら、僕の敵だ」
     嘗ての悲劇を繰り返さぬよう、縛する腕は猛炎に焼かれながら、強く、強く。
     突進する力と、それを抑える力。熾烈なる角逐は理性なき幻獣に強敵と知らしめ、鏖殺衝動を煽った。
    「鹿型イフリートとは合縁奇縁。ただ私の戦友が嫉妬するといけません」
     その拮抗に颯爽と声を割り入れたのは恣欠で、荒々しい岩肌を滑った影――不誠実な微笑み《フェイカーマスク》は漆黒の雄鹿と成って地を蹴ると、鋭牙を突き立てるように炎獣の躯に絡み、身動きを奪った。
    「グルッ、ブォ、ッ!」
     束縛の鎖を焼き払わんと身を捻れば、そこに飛び込むは秋邏のホーミングバレット。
    「百発百中、狙った敵は逃さない……ってな」
     愛機の獅子より機銃掃射の援護を受けつつ、敵躯を対角に挟みながら弾かれる魔弾は必中の気概。鋭く旋回して魁夷を穿った衝撃は、迸る火焔と反応して爆音を轟かせる。
    「メイイイイッッッ!」
     逆巻く猛風に昂ぶったか、イフリートは角を振って弾幕を破ると同時、燃え盛る前脚を持ち上げて反撃に出た。
    「ッ!」
     烙印の如き灼熱の蹄が秋邏に墜下し、その痩躯を無骨な大地に叩きつける。
     2撃目には雄々しい角が空に撓って、血飛沫を上げる筈であったが、
    「立派な角。どうぞ、朔眞に振り翳してくださいな」
     敵懐へと身を忍ばせた朔眞がそれを阻んだ。
    「グルルァァッ!」
     火柱の如き角を抑えたのは闘気漲るシールドバッシュで、風舞う花弁の如く身を翻した彼女は、その柔らかな声音からは想像もつかぬ衝戟に押し返して仲間を守る。
     間を置かず秋邏に癒しの矢を届けたのは、メディックに据わる筆一。
    「治療します、任せて下さい」
     焼け爛れた裂傷を塞ぐ彼の処置が迅速なのは、仲間と感情の絆を固くした所為か。後衛にて冷静に戦況を見極める黒瞳は凛然と、施す癒しは穏やかに自陣を潤していく。
     彼が回復と強化に徹するが故に攻手も負傷を顧みず、猛然と迫る炎獣を狂気に惹き付けながら、次第に切り立つ崖より離し、
    「これで……容易には逃走できない筈です」
    「ブルルルッ……グルルッ!」
     平地に包囲網を完成するに、然程時間は掛からなかった。
    「鹿、ですか」
     敵を囲い込むに、戦闘前に地形を入念に調べていたフランキスカの賢慮が奏功したが、
    「昔、野営の際に狩った鹿肉の味を思い出し……ハッ!?」
     果たして敵の野生に勝ったのは、知恵か経験か食欲かは――。コホン、と咳払いした彼女は、【メルクリウス=シン】に婚星の尾を引きながら天駆けると、
    「力の理には力で相対するのみです。――天の星を仰ぎ、地に這うが良い!」
    「メェイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛!!!」
     振り下ろした踵に敵影を押し潰し、臓腑を絞って悲鳴を挙げさせていた。


     包囲戦が諸刃の剣である事を彼等は知っている。
     決死の一点突破をされたなら、或いは驚異の跳躍に囲繞を超えられれば、一同は折角得た優位性を手放す事になるだろう。
     それ故に、敵を劣勢に追い込んだ時こそ油断すまじと――、灼滅者は本能と経験則で悟っていた。
    「悪いけど、逃がす訳には行かないんだ」
     逃走の要となる脚を闇黒に絡め取った秋邏は、同じく影を滑らせた優生と頷きを合わせた後、激しく暴れる幻獣の手綱を握る如く捕縛を強めた。
    「ブルルルッ、ブルルッッ!」
     脚に枷する影を解かんと躯を弾ませ、また炎の奔流に焼き千切らんとする暴悪の炎獣。時折体毛より紅炎が噴き、取り囲む灼滅者らの肌を焼く。
     燃え盛る巨躯は捕縛を受けて尚も陣内を駆け、その猛進を止めるべく綾が霊障波を被せるも、角より迸る紅蓮に相殺され――暴走は未だ止まぬ。
    「姉さん、守りすぎて消滅なんて嫌だからね?
     皆は兎も角、僕の事は無理して守らなくて良いから」
     魂の欠片に優しいテノールを掛けた颯は、彼女が作った隙に蛇咬斬を繰り出して炎獣の首に第三の鎖を科し、更に対角の恣欠が敵背に影を伸ばせば、四方より捕縛を受けた躯は漸く止まった。
    「メイイイイッッ」
    「その角、斬り折ってくれる!」
     地形を活かしたフランキスカの攻撃は多彩で、崖側に陣取った彼女は岩壁を三角跳びに敵の頭上を取ると、鬼鉄刀『鬼首椿』を一閃して右の角を手折る。着地して更に刀を翻せば、今度は左の角の半分を炎の残滓と斬り捨てた。
     激痛を叫ぶ間もなく敵が体幹を崩したのは、九里が螺穿槍で後脚を貫いたからだろう。
    「グルォオオッッ!」
     機動力を奪われたイフリートは、獰猛なる瞳を見開いて怒りを露にした。
     この場に居る全ての命を喰らい屠らねば、満身を巡る炎の血潮が身を焼くと言わんばかりの狂乱。激憤を漲らせた幻獣は、己が枷を業火に焼いて突進した。
     その進撃は手負いながら尚激しく、即座に踏み出たディフェンダー陣を焔の怒涛に呑み込む程。
    「……ッ、!」
     逃してはならぬという強い意志が包囲を堅守したが、盾を成した颯と綾も烈火を帯びて柳眉を顰め、
    「いたたた……、泣き言は言ってられませんね……」
    「お手伝いします」
     朔眞は花のような佳顔に苦渋を滲ませつつ、筆一と共にラビリンスアーマーを配って自陣を補強した。嘗て闇堕ちから救った者と救われた者の共闘は、阿吽の呼吸といった処。
     狂気に昂ぶる炎獣の気焔を殺いだのは、抑揚の効いた恣欠の声で、
    「ハイヨー!! リチャード・チェイス君!!
     真の鹿ソウルを見せつけるのでございます!!」
     殺伐たる空気を振り払うようなリングスラッシャーは、形勢を一気に傾けた。
    「燃えてこんがりな鹿など、もみじ鍋足りえぬと!!」
    「ギイィィィッッ!」
     幽光を纏う殺人鹿がイフリート目掛けて疾駆し、頭を迫り出して衝突する。鹿と鹿の一騎打ちは、強者のみが生を許される自然の節理を見るようで、
    「もみじ鍋……」
     援護に光刃を放出したフランキスカが僅かに反応したのは伏せておこう。
     角を欠いて競り合いに圧された炎獣に光剣が差し込んだのも束の間、続く秋邏がDMWセイバーにて追撃すれば、激痛を滲ませる嘶きは愈々高く、
    「何処へ行かれる御積もりです? さァ、もっと佳い声で啼いてくださいな」
     悶え声を更に絞らんと、九里は鋼糸【濡烏】に足元を締め上げた。
    「ギィイ゛イ゛イ゛イ゛ッ!」
     口調は変わらず慇懃ながら、伊達の硝子に隔たれた橙の瞳が嗜虐に煌きを増すのは、生粋の戦闘狂だからか。抵抗して放たれる炎の激流に薄らと笑みを浮かべて身を置きつつ、糸は遂に後脚を断ち切る。
    「メイ゛イ゛イ゛イ゛~ッッ!!」
    「音も妙かと」
     流石は戦闘音を軍場の檻に遮蔽した本人、激烈な攻撃を躊躇わず、敵の絶叫も絞り放題。
     そして――、
     敵の敗色を濃厚にさせた一撃を、一撃と終わらせる灼滅者ではなかろう。
    「崖の方を見ました。このまま押し切ります」
     筆一は野獣の瞳をよく見ていて、逃走の気配を悟った瞬間に攻勢へと転じていた。
     彼は言い終えぬ裡に影を這わせると、蹄を持ち上げる前脚を静かに絡め取り、突撃する獅子に敵躯を差し出して押し潰させる。重厚な鉄塊に魁夷を折り曲げた炎獣は、叫声すら殺されて踏鞴を踏んだ。
    「グルルル……ッ、ッ」
     敵わぬと思えば、存える為に遁逃するのは生物の本能。
     イフリートは渾身の跳躍で脱出を図るも、
    「もうその脚では崖も登れませんよ」
     朔眞が忠告と共にグラインドファイアを放てば、視界を真紅に遮られた獣は退路を失い、
    「今更逃げようなんて虫がいいなあ。最後まで付き合って貰おうか」
     優生の飄々たる声と、高速で回り出した時計の針音が迫る死を感じさせた。
     彼が光矢の如く敵懐に長身を潜らせた瞬間――時を止めたそれは、直後に全ての針をカチリと進めると、魔力を迸らせて爆発する。
    「……ッッ……ッッッ……!」
     最早之には今際の咆哮を上げる事も敵わず、幻獣は全身から焔を噴き出して絶命した。


    「獣には獣の領分がありましょうが、犠牲者を出す訳にも行きませんから」
     牙持たぬ者に代わって刃を振るったフランキスカが、溜息にも似た安堵の吐息を溢した時、岩肌に燻っていた焔が――完全に消える。
     制勝の感を得た彼女が、一同に怪我はないかと振り向けば、
    「この標高で熱いと思うなんてなあ。服が燃えて涼しいくらいだねぇ」
     灼熱と烈風に晒された優生が、黒いマスクを外すと同時、涼風を肺に吸い込んで言った。
    「今、気付いたけど……」
    「空気が……美味しい……」
     見れば皆が皆、イフリートの熱と焔に中てられたか、今の澄んだ空気に涼んでいる。
     戦闘痕を始末し、飛び散った火粉も全て鎮火を確認した颯は、大地に注いでいた視線を遠方に投げ、
    「眺めは確かに最高だね。イフリートも大人しくこの景色を眺めるだけなら良かったのに」
     と、火傷を負った自らの腕を癒しつつ言ちた。創痍は痕もなく癒えたが、姉の綾がその腕にそっと手を置いている。
     秋邏も絶景に呼ばれたか、彼は戦闘中には聞こえなかった滝の音を耳に拾って、
    「次来る時は、普通に観光で来たい場所だな」
     と、大自然の景色を味わいながら、無事に帰ると約束を交わした大切な人のことを想っていた。
    「霧が出てきましたね……急がなくては」
     慌てて紙を滑る手を早くしたのは筆一で、どうやら彼は愛用のスケッチブックに今の壮景を描き留めていたらしい。霧に隠される前に画に納めようとする手は、書き慣れた所為か速く、既にラフを終えたイフリートも中々の出来映え。
    「画力……」
     同じくスケッチを何点か用意した朔眞はと言うと、絵画サークルの一員を装うにしては……
    「絵画の養成学校を卒業したわたしには分かります。この幾何学感、前衛的です」
     恣欠にそんな経歴があったかなかったか、兎に角、彼の言は多少の救いになる。
     言を受けて、恥らいにスケッチブックで花顔を隠してしまうあたりは彼女の愛嬌だろう。
    「おや、雨を呼ぶ霧でしたか」
     恣欠の声に釣られて九里が麗顔を上げた時には、慈雨の如き雫が肌を濡らし始め、
    「あァ、心地佳う御座いますねェ。
     彼等が次に訪れる迄には、戦闘の痕も消えている事でしょう」
     と、置き去りにされた消しゴムを手に転がしつつ、雨空を気持ちよさげに見上げた。
    「……大丈夫、次はいい夢を見られるわ」
     彼の言葉に導かれた朔眞の瞳が見詰めたのは、イフリートが消えた後の黒ずんだ大地。
     跡形もなく消えた亡骸を慰めるように土を濡らす雨滴が、沁みる声と相俟って、やたら優しかった。

     斯くして秋の山に人知れず平穏を届けた灼滅者達は、用意した雨具を着て無事に下山し、各々の岐路に就いたという。
     彼等が守った絶景を、学生達が再び1枚の絵に描こうと踏み入れた時には、焼かれた緑も幾分かは生い茂って、再び佳景を魅せてくれるに違いなかった――。
     

    作者:夕狩こあら 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月19日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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