往きて還らず

    作者:佐伯都

     夕日で赤く染まる山麓に、護摩壇を据え、一心不乱に読経を続ける大柄な僧侶が一人いた。豪奢な袈裟をつけ目深く頭巾をかぶり、ぎゃりぎゃりと黒曜石らしき漆黒の数珠をたぐる。
     僧侶の視線の先には、牙を剥き頭を低くして唸る虎のような生き物。
     しかし普通なら黄土色のはずの虎縞は紫紺色、そして肩が護摩壇の前の僧の頭と同じくらいの高さだった。一対ではなく二対の眼をぎらつかせ、ふうふうと凶暴な息を吐いている。
     そのまま護摩壇の前の僧に襲いかかるかと思われたものの、紫紺の虎はじりじりと後退し、ぱっと身を翻して山の麓へ戻っていく。
     獣が戻ってこないことを僧は読経を止めぬまま時間をかけて確認していたようだった。やがて、ひとつ大きな溜息を落として頭巾を取る。
     緊張のせいか、脂汗がにじむこめかみから突き出す角。
     僧とばかり思われた人物は羅刹であった。
     
    ●往きて還らず
    「先日、闇堕ちした灼滅者を使者に立てた天海勢力で、動きがあったよ」
     ぱらり、とルーズリーフを開いた成宮・樹(高校生エクスブレイン・dn0159)が教室に揃った灼滅者を見回した。
     神奈川県の金時山周辺から人を追い立てた上で、周辺への立ち入りを禁じてしまった僧型の羅刹がいる。
     閉め出しには何やら殺界形成に似た力が用いられているようで、犠牲者や怪我人などはいない。が、山に入れないので少なくとも登山客の迷惑にはなっているだろう。
    「しかも何故だか、強力な獣型の眷属がそこに潜伏しているようでね。羅刹は何かの理由でこの眷属を山麓に封じ込め、移動させないようにしている……って事はわかっているけど、それ以上の事はちょっとわからない」
     そんなわけで、金時山に向かい眷属か羅刹のどちらか、あるいは、その両方を灼滅してきてほしい、と樹は声を低めた。
    「どちらを倒すべきか、の判断は皆に任せるよ。武蔵坂にとってより良い結果が得られるだろう、と思われる方を選んでもらって構わない」
     羅刹は天海配下のようで、豪奢な袈裟をまとい頭巾をかぶった、かなり大柄で屈強な体躯の中年男性だ。しかし何故かあまり戦闘能力は高くない。
    「どうも眷属を封じ込めるための能力に特化しているようで、錫杖で武装しているしサイキックもある程度使えはするけど、油断せずにいけばまずこちらが負けるようなことはないと思う」
     体躯の通り耐久力こそ並にはあるようだが、攻撃力はさほどでもない、といった所か。
     しかし留意すべきは紫紺の毛色をした、虎に似た獣型眷属のほうだ。
     二対の眼を持つ異様な姿、体高が大柄な羅刹の身長よりも上、という巨躯の眷属である。見た目通り、眷属と表現するのが少々戸惑われるくらいの個体なので、こちらを相手取るほうがより困難なはずだ。
    「虎型だけあって攻撃方法は噛みつきや爪での切り裂き、当て身といった所がメインだけど、耐久力はもちろん攻撃力も羅刹の比じゃないからね。十分注意してほしい」
     そして羅刹を灼滅した場合、眷属は金時山を出てどこかへ走り去っていく。逆に眷属を灼滅した場合、羅刹はそのまま護摩壇を抱えて京都方面に帰っていくだろう。
    「そこをどう考えるかは、皆に任せるよ。とは言っても虎型眷属がもし町に降りれば被害無しに済むことはないだろうし、そもそも天海の配下の僧の動き自体、かなり怪しいからね」
     この事件を果たしてどう捉えるべきか。非常に難しい所だ。
    「まあ、考えるのが面倒ってことで両方さくっと灼滅する方法もあるけど、……それはちょっと乱暴な気もしないでもないね」


    参加者
    鏡・剣(喧嘩上等・d00006)
    科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)
    芥川・真琴(焔と共に眠るもの・d03339)
    霧凪・玖韻(刻異・d05318)
    冴凪・勇騎(僕等の中・d05694)
    玖律・千架(エトワールの謳・d14098)
    ホテルス・アムレティア(斬神騎士・d20988)
    湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)

    ■リプレイ

    ●往きて還らず
     鬱蒼とした木々はもちろん、深い下藪が生い茂る山麓を、玖律・千架(エトワールの謳・d14098)は相棒の霊犬・栄養食と共に急いでいた。
     件の僧羅刹が眷属をここに封じこめているという事は、眷属が解き放たれた場合なにか困ったことでもあるのだろうか。
     人払いまでしているという事は一般人に危害を加えたくなかった、と考えることもできるはずだが、そのように考えるのは少々楽観的すぎるだろうか……。
    「それにしても、ホントこんな山奥で何が目的でこんな事してるんだろ……少しでも状況がわかればいいよね」
    「総じて羅刹が眷属を抑えこんでいるようにも思えるが、先入観による断定は危険だろう」
     えてして不測の事態とは希望的観測から発生するものだ、というのが霧凪・玖韻(刻異・d05318)の持論だ。
     果たして羅刹が何をしているのか、虎型眷属を武蔵坂が排除する事により何か問題はあるのか、そして自分たちと矛を交える気はあるのか。
     訊きたいことはそれこそ様々あるが、究極的に一番気になるのはそもそも『こちらと会話する気があるのかどうか』、これに尽きる。元々玖韻はこの僧羅刹とやらが信用に値する相手だとは思っていないし、回答の真偽検討は眷属の対処をすませた後の話だ。
     冴凪・勇騎(僕等の中・d05694)としても、今ひとつ各勢力の思惑やら何やらを掴みそこねてる部分はある。
     とは言え放り出しておくわけにもいかないので、眷属に対処しつつ多少なりとも話が聞ければ、それだけで御の字だろう。
     先にあちらから使者――しかも闇堕ちした灼滅者というあたりがふるっている――を立てて接触してきたとは言え、武蔵坂が天海勢力との交渉を拒否してまだ日も浅い。
    「ま、天海さん所の次のアクションの下積みって所なのかなー……虎さんやっつけたあと、人に迷惑かけないで帰ってくれるなら特にこっちから武器を向ける理由はないなーって……」
    「さてなあ。情報収集とかそういう小難しい話は任せる」
     その分こっちで存分に働かしてもらうぜ、と鏡・剣(喧嘩上等・d00006)がいつも通り指を鳴らして獰猛に笑うのを、芥川・真琴(焔と共に眠るもの・d03339)がぼんやり眺めやる。何かこう、あったかそうでいいな。
    「金時山といえば、坂田金時が育ったと言われる山々の一つ。そしてラゴウは坂田金時ではないかと目されておりますゆえ、繋がりがあると見た方が良さそうな気はしますな」
     もっとも、ホテルス・アムレティア(斬神騎士・d20988)にとってはここで件の眷属を見逃せば多くの命が犠牲になりかねない、という事の方がラゴウ云々よりもよほど重要だったりするのだが。
    「っつか、虎みたいな眷属ってのもな……日本に野生の虎っていたっけ? だいたい、足柄山ーの金太郎、なら熊じゃねーのか。そんな強力な眷属使役できるヤツ、……」
     そこまで呟いてから、科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)は黙り込む。護摩壇を据え、ぎゃりぎゃりと黒い数珠を手繰りながら一心不乱に祈祷をする大柄な背中が藪の向こうに見え隠れしていた。
    「アレか」
    「……」
     そのようで、と湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)は口を噤んだまま首肯する。胸元に抱きしめた帽子がくしゃりと小さく音を立てた。

    ●去りて追わず
     人の気配を察したのか、漆黒の長い数珠を揺らして僧姿の羅刹が振り返る。豪奢な袈裟に目深くおろした頭巾、縦の大きさはもちろん横にも立派な体躯なので、近寄ると何やら小山のように見えた。
    「……」
     人払いをしているはずなのに易々と踏み込んできた意味を理解しているのか、羅刹はふすん、と軽く鼻を鳴らして灼滅者を一瞥しただけで護摩壇へ向き直ってしまう。
    「……あの。天海派の羅刹さん、で……合ってますか」
     平素内気なひかるが逃げ出したくなるのを懸命に堪えて尋ねるも、羅刹はどこ吹く風といった様子だった。
     仕方なく、ひかるは問いを重ねてみることにする。
    「どうして、眷属を移動させないようにしているんでしょうか。このままだと人の脅威になりますし……よければ眷属を倒したいのですが、良いでしょうか」
    「排除したいなら好きにせよ」
     眷属を解き放つ気なら話は別だがそれ以外は我関せず、といった空気をにじませ、羅刹は傍らに積み上げた護摩木を火中へ投じた。ばちりと火花が爆ぜて斜陽の空に舞い上がる。
     素っ気ないと言えば素っ気ない態度ではあるが、やはり先の交渉を拒否したのは武蔵坂のほうなので、羅刹側の立場で考えればこのくらいの態度が普通だろうな、と日方は考えた。
    「虎眷属はこちらで倒してしまって問題ない、という事でいいんだな」
     確認のつもりの日方の質問に返答はない。
     共闘する意志こそないようだが、灼滅者の行動に横槍を入れてきそうな気配もなければ眷属の生死に頓着していないのも明白なので、少なくともこの場において羅刹が敵対行動を取ることはないだろう。
     日方は羅刹に退くよう促すつもりだったが、軽く目礼を返すにとどめ、羅刹が睨みすえる森の奥へと踏み込んでいく。
    「やっぱり、天海さんの命令でここに居る感じー……? 実は虎がお友達の詩人さんだったりするのでしょーか……?」
    「役人で親しい友人というわけでもなさそうだったけどな」
     真琴の呟きに国語の教科書を思い出しつつ、勇騎は立ち止まった。ぽかりと、樹木が少なく広場のようになっている場所へ一行は出ている。
     そしてそのむこうの下藪に、二対の金色の目が輝いているのをホテルスは見た。
    「我が剣と我が名、我が父祖たる英傑王に誓う」
     腰に佩いた長剣を抜き放ち、正眼に掲げる。
    「民の笑顔を守る為、眷属よ貴様を必ず討つ、と」
     ホテルスの言葉を解したかどうかはわからない。ただ一つ、雑木林の中から紫紺と黒の縞をその体躯に飾った巨大な虎が進み出てきた、それ以外は。
    「あァ? 何だコラぁ!」
     下藪を蹴り払い、剣がいの一番に飛び出していく。千架が相棒の霊犬へ、お願い、と声をかけていたが一抹の不安が胸の底に暗く冷たい染みを広げる。
     二対の目へおよそ尋常でない眼光を宿し、巨虎がひとこえ吼えた。剣の抗雷撃は空を切り、それぞれの得物を構えようとした灼滅者達へ向かって突っ込んでくる。大きいくせにやたらと速い。
     すれちがいざま、勇騎は鬼のそれへと変化した腕で鬼神変を叩きこんでやる。手応えは十分、しかしながら痛打を与えた感触ではなかった事が嫌な予感を呼んだ。これは……。
    「前に」
    「騎士として民の笑顔を守るため、我が剣で眷属を討ち果たすのみ!」
     来い、とばかりに太い声をあげたホテルスの前へ、咄嗟にひかるが差し向けた霊犬が躍り出る。
     横滑りするように方向転換し、紫紺の巨虎がぐいと顎を引いてもう一度咆哮した。
     山全体を揺さぶるかと思えるほどの大音声に、思わず日方は息を飲む。しかしすぐに気を取り直して、肩の高さへ解体ナイフを据えた。
    「金時山にでっけー獣な。足柄山の獣使いでも来てんのかね?」

    ●逝きて帰らず
     ト、と倒木を蹴った千架がぎりぎりで巨虎の爪をかわしホテルスの背後へすべりこむ。見上げるほど大きな体躯なのに、まさしく現実の虎よろしく緩急をつけた動きは素早い。
     するすると自ら意志を持つかのように帯が伸びて、前衛を中心に千架は守りを固めていく。眷属でも能力が高いとされる紫紺の巨虎を相手取るに際し、サーヴァントをそろって前衛へ配して被弾を防ぐ策だった。
     真琴の足元から影が走り、子供の胴ほどはありそうな脚へ斬りつける。
     苛立つように身を震わせ四肢を渾身の力で地面へ叩きつけると、そこを伝った揺れと共に衝撃波が襲ってきた。
     玖韻の背後に庇われたひかるが咄嗟にラビリンスアーマーで傷を癒やすも、立て直しもそこそこに殴りかかる剣が見える。
    「引きつける」
    「援護なら任せろ」
     玖韻と短く言い交わした勇騎が、身を潜めていた藪の中から飛び出す。
     巨虎の猛攻をひきうけた千架が、栄養食と二人でなんとか踏みとどまっているような状態だ。真琴の行動阻害も入っているには入っているのだが、ダークネスである羅刹よりも相手取るのはより困難と言われていただけあって効いているかどうかがわかりにくい。目に見えてくるまでもう少しかかる、と言った所だろう。
     目端のきく日方が千架の援護にまわっているが、どうにも横の連携がうまくいかなかった。
     眷属を倒すという大目標は当然のことながら一致しているものの、追い詰めるためには匹夫の勇では足りない、ということはわかっていた。そこを埋めるのが複数人での横の連携であり、数の有利だ。
     足元へまとわりつくひかるの霊犬をうるさげに振り払い、紫紺の巨虎が二対の目をぎらりと輝かせる。玖韻の動きを追いながら、戦場を大きく回り込んでいく勇騎が錫杖を握る腕を閃かせた。
     疾風が踊り狂い、無数の刃となって獣を切り刻む。さすがに一瞬動きを止めた虎眷属を、したたかに玖韻の刀【禍憑】が打ちすえた。
     そのすきに集中砲火を浴びていた千架が栄養食とともに一度距離をとり、そこへひかるの霊犬がすべりこむ。折角痛めつけにかかっていた獲物をかっさらわれる形になった巨虎が吠え猛るが、灼滅者からの返答は日方の影喰らいのみだった。
    「熱は命、ココロは焔」
     真琴のレーヴァテインの決定率は実は決して高くない。
     しかし地道にその毛皮の装甲をひきはがし、着実に積み上げた幻影が効いてくる頃合いだという確信はあった。どうせ誰にとっても等しく訪れる眠りなら、暖かいほうがいい。
    「おやすみなさい」
     茫洋とした口調で囁かれるには、少々剣呑な台詞だったかもしれない。よい夢を、と呟いた真琴の手元から天を突く業火が噴き上がる。
     全身を炎にまかれた巨虎がしゃにむに四肢を振り回し、巻き添えを食らった剣が吹き飛んだ。ただでさえ大きな身体だ、暴れ回られると迷惑なことこの上ない。
    「無理するな、後はなんとかする」
     勇騎は一度巨虎を睨み、眷属にもそれほど余力は残っていないと目算をつける。ならば消耗の激しい剣はそのまま下がらせ、山ほども積み重なったトラウマに乗じて一気にケリをつけるが上策か。
    「玖韻、いけるか」
    「長くは保つまいが、何も問題ないな」
     自分の身のことだと言うのに思いきり他人事のように言ってのける玖韻につい苦笑して、千架は栄養食の背中をひと撫でする。
     獣は苦手だ。何も装わず、何も飾ることなく、まっすぐに無邪気な殺気で射抜いてくる。だから怖い。
     きっと巨虎の目から見れば、ひ弱で、簡単に血祭りにあげられるものと見えるのだろう。だからひかるは前だけを見る。その背中を支える。苦境をきりひらくその背中を。
    「揺らいでしまう程度の覚悟ならば、捨ててきた」
     ホテルスと共に紫紺の巨虎へ斬り込んでいく玖韻の背へ、せめてもの装甲をとラビリンスアーマーの帯がいくつも追いすがる。狙い澄ました日方の黒死斬が、前脚を血で汚れた藪へ縫いつけた。
     四方八方、これで終い、とばかりに斬撃と衝撃が異形の眷属を呑みくだす。轟音と閃光、ちぎれて高々と舞い上がった草と樹木の葉が風に吹き払われたあとは、もうそこには何も残っていなかった。

    作者:佐伯都 重傷:鏡・剣(喧嘩上等・d00006) 霧凪・玖韻(刻異・d05318) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月27日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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