金色の獣と羅刹の僧

    作者:宮下さつき


     木々の合間を縫って、1体の獣が山を駆け下りていた。
     地を這うように低い体は、滑るようになめらかに進む。まるで蛇のようだが、微かな足音が四足の獣である事を示していた。
     突然、歩みが止まる。ゆるりと2本の脚で立ち上がった獣の金色の毛並が、風に戦いだ。視線の先には、一人の僧。
     ギャーゥ! ゲォーウ!
     独特の鳴き声を上げ、威嚇するように牙を剥くが、僧は顔色一つ変えずに経を唱え続ける。
    「――不可怨以怨、終以得休息……」
     経を掻き消す程の鳴き声がしばらく続いたが、やがて諦めたように獣は踵を返し、山の中へと姿を消した。
     僧は獣が去った方角を睨み付けたまま、護摩木を火に投じ、汗を拭う。
     その額には、小さな黒い角が輝いていた。
     

    「天海大僧正の勢力が動いたぜ、エブリバディ」
     今日も誰かのヘアメイクをしていたのだろうか。机の上のシザーケースもそのままに、桜庭・照男(高校生エクスブレイン・dn0238)が灼滅者達を迎えた。リーゼントの毛先の乱れが気になったのか、そっと櫛を通しながら、灼滅者達に座るよう促す。
    「箱根の金時山で、羅刹が護摩壇据えて、一般人を追い出しちまった。殺界形成に似たような力が使えるんだろうな、一切の立ち入り禁止だ」
     5月のピーク時ほどではないが、登山客が多く訪れる時期だ。怪我人も出さず、今も一般人に危害を加えそうな素振りは全く見られないが、迷惑である事に変わりはない。
    「何やら、動物型の眷属が山から出るのを阻止してるみたいなんだが……」
     眷属が何処に向かっているのかも分からないし、羅刹の目的も分からない。ただ、この状況をどうにかする必要があると照男は顔をしかめた。
    「眷属か、羅刹か、あるいは両方。灼滅してきてくれねえか」
     折り畳み式のコームをぱちりと閉じて、灼滅者達に向き直る。
    「眷属は巨大な黄貂……実際には金色の毛をしてるんだが、かなり強力だぜ。貂といえばちょっと可愛いイメージもあるんだが、とにかく凶暴。岩でも噛み砕くような強靭な顎に毒のある爪、尾も武器にしてくる。巨体のくせにすばしっこく回避に長けてるときたもんだ」
     眷属とはいえ、その力量はダークネスに匹敵すると言う。
    「対して羅刹だが、意外な事に戦闘能力はこの眷属に劣る。こうやって人払いしてるとこを見ると、特殊な力に特化してるのかもしれないな。戦闘でも耐久力はそこそこあるが、攻撃力はさほど脅威ではないだろう。神薙使いと似たサイキックの他、手にした錫杖がマテリアルロッドみたいな役割を果たすようだ」
     どちらかと言えば羅刹を灼滅する方が確実ではあるが、羅刹が居なくなれば眷属が山を出てしまう。向かう先が人里であれば、犠牲者が出る可能性が高い。
     逆に眷属だけを倒した場合は、羅刹は役目を終えたとばかりに京都方面に帰るようだが、今回の天海大僧正の動きも怪しい所ではある。
    「何を選ぶかは、現場の判断に任せるぜ。あんたらを信じてるからな」


    参加者
    遠藤・彩花(純情可憐な元風紀委員・d00221)
    七里・奈々(隠居灼滅者・d00267)
    狐雅原・あきら(アポリアの贖罪者・d00502)
    銀・紫桜里(桜華剣征・d07253)
    不動峰・明(大一大万大吉・d11607)
    片倉・光影(鬼の首を斬り落す者・d11798)
    来海・柚季(月欠け鳥・d14826)
    御崎・珠乃(紫水晶の巫女・d14876)

    ■リプレイ

    ●爽秋の候、金時山にて
     少し早い秋霖が明けた金時山は、暑さは残れど、時折心地の良い風が吹く。入道雲に代わり、鰯雲が澄んだ空を流れていた。
     このような日に、観光客と思しき人影は一つも見当たらない。
    「ただ山に押し留めておくだけなんて、なんだか変な話です……」
    「天海大僧正の勢力が、何を目的にこう云う事をしているか判らないが……知らない顔をする訳にもいかないな」
     不安そうに眉尻を下げた御崎・珠乃(紫水晶の巫女・d14876)の隣で、片倉・光影(鬼の首を斬り落す者・d11798)は横目で赤い矢印が付いた案内板を見た。
     人気のある入山ルートであるにも関わらず、歩いているのは灼滅者達だけだ。一般人に被害が出ていないとはいえ、いつまでもこのままにしておくわけにはいかない。
    「な~んか怪しいよねっ」
     一般人を遠ざけているのは、果たして彼らの安全の為なのか? 七里・奈々(隠居灼滅者・d00267)も、今回の羅刹の行動についてはやや懐疑的だ。
    「天海の配下と眷属……少し気になりますね」
     こうした羅刹と眷属の攻防が複数の箇所で起きているこの状況を、どう見るべきか。ただ戦って灼滅するだけでなく、何か少しでも情報を得られないものかと来海・柚季(月欠け鳥・d14826)は思索を巡らせる。彼女が小さくなったロリポップを奥歯で噛み砕き、草木が青々と茂る山を見上げた時、木々のざわめきに混じって重苦しい声音のお経が耳に届いた。
    「あ、あ、いらっしゃいますです」
     少し開けた所に護摩壇を据え、経文を読み上げる羅刹の姿があった。焼べられた木が弾け、赤い火の粉が舞う。今の所、眷属の姿は無いようだ。
    「失礼致します。不本意とは思いますが、手伝わせて頂きたく」
     遠藤・彩花(純情可憐な元風紀委員・d00221)が声を掛けると、読経を中断した羅刹が振り返る。
    「灼滅者か」
    「あなたと戦うつもりはない。目的は眷属だ」
     敵意が無い事を不動峰・明(大一大万大吉・d11607)が告げれば、羅刹は毒気を抜かれたような表情をした。
    (「被害がないのであれば、無理に羅刹を倒す事もないですしね」)
     銀・紫桜里(桜華剣征・d07253)が両手を広げて武器を持っていない事を示せば、羅刹も錫杖に伸ばしかけていた腕を引っ込める。
    「……だろうな。瞬時に武装出来ると言えど、戦う意思があれば、声なぞ掛けずに斬るだろう」
     わざわざそれを言いに来るとは、礼儀正しいと言うべきか何と言うべきか、と。小さく呟いてはいたが、悪い印象を受けている様子は無かった。灼滅者達へと体を向ける。
    「私に何か用か。とはいえ、こちらに答えてやる義務は無いが――」
    「噂に聞いた『獣狩り』について聞きたいんです。もしかして僕達がこの眷属を倒したら発動する儀式とか、してないですよね? 内容次第では、討ちますよ?」
     丁寧でありながらも、羅刹の言葉を遮る強い口調。狐雅原・あきら(アポリアの贖罪者・d00502)は大きな瞳をキッと細めて羅刹を見据えた。それとは対照的に、羅刹の深く皺の刻まれた目尻が、僅かに緩む。
    「良い目つきだ。……大僧正様からの、ここで眷属の移動を阻止しろという命に、ただ従ったまで。生憎、私が言えるのはこれくらいだ」
     本当にそれ以上の事を知らないのか、誤魔化しているだけか、残念ながら灼滅者達に確かめる術は無い。何より学園は既に天海側からの申し出には拒否を示している以上、立ち入った話を聞き出すのは難しいだろう。
     どうすべきかと灼滅者達が顔を見合わせた瞬間、悲鳴のような鳴き声が響き渡った。
     フィヤー、フィヤー。貂が徘徊する時に発する特有の響きだが、小動物とは思えぬ音量が、空気を震わせる。
    「近いぞ!」
     声がした方角に、一斉に駆け出す。
    「……在るべきものに剣を振るう」
    「真風招来!」
     スレイヤーカードの封印を解いた彼らの前に、巨大な獣がゆらりと立ち上がった。

    ●金時山の獣
     細長い体は、後足で立ち上がると周囲の木々よりも頭が上にあり、それだけで威圧感があった。瞳を爛々と輝かせ、灼滅者達を見下ろす。
    「……いきます」
     臆する事なく、紫桜里は鞭剣を振るう。伸びた刀身は確かな軌道で眷属に迫ったが、想像以上に柔軟性に富んだ体は器用にかわし、彼女に向けて鋭い爪を叩き付ける。
     ヴン。彩花がシールドを展開して爪を受けるが、押し切られた彼女の腕から鮮血が散った。それでも至極冷静に、エネルギー障壁を仲間へと広げる。
     もう一方の腕を振り上げた貂の横面を、青い縛霊手がはたいた。霊力の網目から覗く瞳があきらを捉え、彼が着地する間を与えずに大きな口を開く。
     ガリ、と骨を砕くような鈍い音。猛スピードで走り込んだライドキャリバーの神風が身代わりとなり、貂の牙がホイールに食い込んでいた。フルスロットルで耐えている所に、柚季の放出したオーラが降り注ぐ。
    「せくしーはたちな、ななちゃん、いっくよ~!」
     大きく開いた胸元を強調するような前傾姿勢で、奈々は 貂の顎の下に滑り込んでいた。首を裂かれ、黄金色の毛皮が貂自身の血で染まる。
     ギュギュッ、ギュイ!
     つんざくような声を上げた貂が、横薙ぎに前足を振るった。奈々の前に飛び出した明が白木の鞘から長ドスを抜き、毒爪を食い止める。鍔迫り合いの如く押し合う彼に、珠乃の符による守護がもたらされ、光影が強烈な斧の一撃で貂の前足を跳ね上げた。
     明が刀を構え直した瞬間、貂は突然体の向きを変えた。
    「尾だ!」
     ブォン、と唸るような風切り音と共に、尾がしなった。周囲の木々すらも薙ぎ倒し、前衛を一蹴する。
     ――面白いヤツだよ。思わず呟いたあきらは、弾き飛ばされても口の端を上げ、即座に体勢を整える。その様は気丈というよりは、純粋に戦いを楽しんでいるといったふうであった。貂の背を目掛けて、黒い弾丸を撃ち込む。
     後方に跳び威力を殺した紫桜里は、エアシューズを滑らせ、貂に追いすがる。ウィールから迸った炎が、毛皮の表面を走った。背を仰け反らせた貂をその場に縫いとめるように、柚季の影が獣の手足に食らいつく。
     次いで奈々が鋼糸を操り傷口を広げたが、僅かな連携の間隙を突き、中衛に下がろうとした彼女の体を尾が締め上げた。ごわごわとした尾の不快な感触に、眉根を寄せる。
    「放しなさい!」
     跳躍。高く掲げられた尾よりもなお高い位置から、彩花は赤色の標識を叩き付ける。援護すべく貂の側面に回り込んだ明は、幾度も拳を打ち込み、危険を顧みずに気を引こうと試みていた。微かに、尾が緩む。
     ゴオッ! 光影の生み出した風が吹き荒れ、貂の毛皮を乱れさせる。天狗風と呼ぶに相応しい突風が尾の先を切断し、仲間を解放する事に成功したが、
     ギイィィィイイッ!!
     貂が空に向かって、吠えた。自身を蝕む炎を消し、尾も再生する。
    「タフですね。でも、癒し切れていない傷も多そうなのです」
    「我欲すは浄なる息吹、輩の穢れを吹き払う物……」
     珠乃が頭上に円を描くように腕を回すと、清浄な風が仲間を包んだ。柚季と珠乃に鼓舞され、灼滅者達は貂へと向き直る。

    ●獣狩りの行方
     姿勢を低くした貂は灼滅者達の元へ真っ直ぐと踏み込み、直前で旋回した。再び尾が薙いだのは、前衛。
    「予備動作が大きくて、この上なく分かり易いですね」
     見切ったと言わんばかりに攻撃を受け流し、自分が貂の視界から外れた隙に紫桜里は刀を抜いた。霊妙な輝きを纏った刀身が、後足の腱を断つ。機動力が落ちた瞬間を見逃さず、あきらはチェロ型の盾に影を宿し、力いっぱい叩き付けた。引き摺り出されたトラウマは何だったのであるか知る由もないが、悲鳴のようなひときわ甲高い鳴き声が上がる。
    「惑えや惑え、いざや微睡み……」
     駄目押しとばかりに放たれた珠乃の符に精神をかき乱され、巨体がのたうった。そこかしこに体をぶつけながら、怒り狂ったように珠乃へと尾を伸ばす。
     間に割って入ったのは、彩花。今度は押し負けるものかと、両腕のバックラーを前に掲げ、睨み付ける。
    「神風!」
     光影の指示を受けて神風が援護に加わり、尾を押し返した。そのまま突撃し、付け根にタイヤをめり込ませる。同時に距離を詰めていた光影の居合斬りが、貂の柔らかな腹を裂いた。苦し紛れに振り下ろした爪が、明の肩口に突き刺さるが、歯を食いしばり、オーラの力を癒しに転換する。
     追い討ちをかけるように振り上げた反対の腕を、柚季のウロボロスブレイドが捕らえた。分厚い毛皮を引き裂く感触に眉を顰めながらも、容赦なく鞭剣を振るう。頭上の枝を足場にした奈々が宙を舞い、貂の無防備な背を斬弦糸が襲った。咆哮。傷が塞がれ、一進一退の攻防が続く。
     否、貂の回復量を、灼滅者達の猛攻が上回っていた。度重なる行動の阻害に加え、炎やトラウマに苛まれていては焼け石に水だ。
    「癒します……!」
    「安心してくださいですっ」
     メディックの2人に援護され、彩花の雷を宿した拳が、畳みかけるようにあきらの縛霊手が打ち込まれた。断末魔の叫びとはこの事だろう、聞くに堪えない獣の声が、空間を満たす。
     ガアアアアッ!
    「!」
     紫桜里が摺り足で間合いに入った時、最後の抵抗か、貂が牙を剥いた。すかさず飛び込んだ明に、牙が食い込む。限界とも言える衝撃にすら彼は意識を手放す事なく、長ドスを突き立て、やれ、と叫んだ。
    「これで……、終わりですッ!」
     ありったけの力を込めて、紫桜里は刀を振り下ろす。貂の醜悪に歪んだ首が胴から離れ、金時山の眷属は、音も無く消えた。

    ●羅刹の行方
    「……他にも聞きたい事が、あったんだけどな」
     あきらは不機嫌そうに呟き、頭を掻いた。万が一の時には戦闘になる覚悟も決めていたが、当人が居ないのではどうにもならない。
     読経をしていたはずの羅刹は、護摩壇諸共、忽然と消えていた。まるで最初から何も無かったかのようだ。
    「逃げられちゃったね」
    「タマも……ちょっとだけでも、待ってて欲しかったです」
     引き留める隙も与えられなかった事に、奈々と珠乃も項垂れる。
    「武蔵坂と友好締結をしようとしていたなら、それなりの姿勢を見せて欲しかったものですね」
    「ええ、でも……これで、いつも通りの金時山に戻りますし、何より一般人に被害が出なくて良かったです」
     肩を竦めた紫桜里を労うように、柚季が微笑んだ。
    「まあ、仮に話せたとしても、あの調子じゃ答えが得られるか怪しい所だったしな」
     末端の羅刹が話せる事などたかが知れているだろうと、光影も仲間を慰める。
    「……アナタ方は敵になるのですか? それとも……」
     答えなど返ってくるはずもないが、ぽつりと呟いた彩花は、羅刹が去ったと思われる西の方角を見つめていた。
    「朱雀門学園との関係がどのようになっているのか解らないが。戦闘を仕掛ける事無く去ったという事は、敵対の意思は無いんじゃないか? 少なくとも、今は」
     元より羅刹は見逃すつもりだった。明の言葉に、仲間達も頷いた。
     こうして、山は平穏を取り戻した。登山客達の笑い声も、間もなく戻るだろう。

    作者:宮下さつき 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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