腸と悪虫

    作者:灰紫黄

     静岡は清水、その片隅。ジャージに身を包んだ青年が一心不乱に走っていた。
    「いやだ、俺はまだ死にたくない!」
     精悍な体に似合わぬほど表情は憔悴していて、全身ずたぼろ。肉食獣に追われる獲物にも似ていた。死に瀕した体で、最後に残った力で動いているという風だ。
     が、それも長くは続かない。青年は腹部に激しい痛みを覚え、その場に倒れ伏した。途端に、黒い羽虫が青年の腹から湧き出して、彼を食い破る。
    「が、ぁぁぁああああああああああああああああ!!!」
     まさしく断末魔というにふさわしい、叫び声が響く。だが誰も、それを聞くことはない。
    「こ、こんなことなら……たた、かいで…………」
     彼の望みがかなうことはもう、永遠にない。

     シン・ライリー配下のアンブレイカブルが何者かから逃走し、その体内から羽虫のベヘリタスが生まれる。そんな事件を、口日・目(高校生エクスブレイン・dn0077)は見た。おぞましい光景ゆえか、顔色が悪い。
    「集まってくれてありがとう。まず、この事件の発見にあたって、伏木さんの予測があったことを伝えておくわ」
     促され、伏木・華流(桜花研鑽・d28213)が教卓の前に出る。
    「ベヘタリスの事件にシン・ライリーが関わっているのではないかと思ったが、どうやら当たってしまったらしい」
     神妙な面持ちで言う。この不気味な事件に、困惑を隠せないらしい。
    「じゃあ、具体的な話に移るわね」
     アンブレイカブルが何かから逃走していたところ、途中でベヘタリスが動き出して内側から食い殺されてしまう。今回は、そのベヘタリスを可能な限り灼滅することが依頼の内容となる。
     アンブレイカブルが現れるのは静岡の清水。人気のない深夜にここを通り、そしてベヘタリスに食い殺される。
     ベヘタリスは全部で26体。全てが灼滅者より少し弱い程度の力がある。これらはこちらが引けば追ってこないので、限界まで戦ってもそれほど危険はない。
    「あと、かなり低い確率だけど」
     アンブレイカブルを助ける手段がないこともない、と目。
     その場合は、まずアンブレイカブルのソウルボードに入り、その中でベヘタリスを倒して現実世界に追い出し、さらにそこから羽虫と戦うことになる。
     ただし連戦になるため、普通に事に当たるよりも戦闘は難度が上がることになる。また、羽虫と戦う片手間でアンブレイカブルを拘束することも難しいだろう。
     つまり、今のところ実益はほぼないということだ。
    「アンブレイカブルは恐慌状態から、普通の説得は通じない。あくまで可能性の話だし、実行するかは任せるわ」
     これで説明は終わり、と目。そこで華流が手を上げた。
    「これは……シン・ライリーの仕業なのだろうか」
    「ごめんなさい、そこまでは分からないわ。本人かもしれないし、関係ある第三者かも。ただ、誰かがベヘタリスの卵を孵化させるために、アンブレイカブルのソウルボードを利用してるのは確かよ」
     エクスブレインの予知でも、どれだけのベヘタリスの卵があり、それがどれだけ孵化しているかはつかめていない。
     現状は、できる限りベヘタリスを倒しておくべきだろう。


    参加者
    紫乃崎・謡(紫鬼・d02208)
    南風・光貴(黒き闘士・d05986)
    雨松・娘子(逢魔が時の詩・d13768)
    水無月・詩乃(稟武蒼青・d25132)
    風峰・静(サイトハウンド・d28020)
    伏木・華流(桜花研鑽・d28213)
    シフォン・アッシュ(影踏み兎・d29278)
    依代・七号(後天性神様少女・d32743)

    ■リプレイ

    ●逃げ惑う男
     終わることのない闇の中を、男は走っていた。いつまで、どこまで逃げればいいのかは分からない。いや、もはや逃げることさえ意味はないのかもしれない。けれど、そうする以外の選択を、男は出来なかった。
    「アンブレイカブルさん、少しばかり止まっていただけませんか」
     水無月・詩乃(稟武蒼青・d25132)は男の前に出て、軽く一礼する。続いて、七人の灼滅者が現れた。
    「が、あ、あああああああぁぁぁぁぁ!!」
     男の声は言葉にはならないが、意味だけはなんとなく分かる。そこをどけ、とかだろう。立ち止まっていても、がくがくと脚が震えていた。
    「お前に憑いた物を払う! だから大人しくしてくれ! 戦いで果てるのが望みだろ? 羽虫なんかにやられていいのか?」
     ヒーローらしく、熱い気持ちを込めて叫ぶ南風・光貴(黒き闘士・d05986)。例え敵であるダークネスだろうと、救うと決めればそれに全力をかける。だが、その叫びは届いていない。男は右往左往するだけだ。
    「ていうか、君もう選択肢無いでしょ。僕らに賭けなよ」
     と風峰・静(サイトハウンド・d28020)。アンブレイカブルは好きじゃない。だけど、今回ばかりは見捨てると夢見が悪そうだ。縛霊手から癒しの光を飛ばす。
    「こんなところであなたも無駄死にしたくないでしょう。私達にも目的が……」
    「あああああああああああああああ!!!」
     ダイダロスベルトで回復を施しながら、依代・七号(後天性神様少女・d32743)も男に語り掛ける。だが、それもすぐに絶叫に遮られた。回復は届いている。届いているが、それほど効果があるようにも感じられない。
    「このままなら君は死ぬ。だが私達なら治療できる」
     伏木・華流(桜花研鑽・d28213)は警戒させないようゆっくりと、しかしはっきりと告げる。アンブレイカブルにこちらを敵視する様子はない。回復によって敵意がないことは示せたようだが、それに続く言葉に耳を貸す気配もなかった。
    「ボク達の追うシャドウが貴方の精神を食い破る直前にある。今追い出せば、貴方は助かる。どうか協力させて欲しい」
     相手の眼を見て話す。ダークネス相手でもそれは基本。しかし、紫乃崎・謡(紫鬼・d02208)にはとても正気の眼の色には見えなかった。諦めず鎮めの風を吹かせるが、やはりダークネスには効果はない。
     果たして、時は来た。
    「が、ぁぁぁああああああああああああああああ!!!」
     大地と夜空を引き裂くような絶叫、断末魔。すぐ後にぐちゃりと音が聞こえた。アンブレイカブルの体には収まり切らないほどの虫が、体積を無視して湧き出したのだ。
    「これはなんとも……悪趣味だな」
     露骨に顔をしかめ、雨松・娘子(逢魔が時の詩・d13768)は仲間を守るべく前に出る。アンブレイカブルの救出は失敗した。だが、そもそも分の悪い賭けであった。むしろこれからが本番だ。
    「うわぁ、嫌なもの見ちゃった……」
     シフォン・アッシュ(影踏み兎・d29278)も似た反応。アンブレイカブルは息絶え、体は消滅しかかっている。それより早く喰らおうと羽虫も蠢く。これが映画なら見せ場かもしれないが、現実はご遠慮願いたい。
     ベヘリタスとタカトとやらが何を考えているのかは分からない。けれど思い通りにはさせないと、灼滅者は武器を取る。

    ●湧き出る虫
     昆虫の一種に、毒で麻痺させた獲物に卵を産み付け、孵化した幼虫の餌にするものがいる。今回のベヘリタスの事件はそれに似ていた。生まれ出でた歓喜。獲物を喰らう狂喜。騒騒しい羽音が、まるで高笑いにさえ聞こえる。
     それを打ち消すように、娘子は叫んだ。
    「逢魔が時、此方は魔が唄う刻、さぁ演舞の幕開けに!」
     歌うことは生きること、戦うことは踊ること。全身これ楽器、心身これ声帯。娘子は男装を捨て、内なるものを解放する。指が絃の上を踊り、激しいサウンドをかき鳴らす。細胞にひとつひとつがその音に震えた。
    「シャドウはみんな串刺し!!」
     シフォンの影が伸びた。夜闇よりもなお濃い黒。影は途中で枝分かれ、無数の剣となって羽虫の上下左右から突き刺さる。次々に剣は伸び、やがて影にのまれて見えなくなった。
    「バトルキャリバー、全速力だ!」
     ライダーたる光貴の声に応え、ライドキャリバーのエンジンが戦場に轟く。回転数を高めるだけでなく、気を昂ぶらせる鋼の咆哮。正義の熱い血が、全身を駆け巡る。それを黄色の標識に込め、仲間を支援する。効果は分散して薄くなるが、それでもいくつか成功した。
    「なんとも気持ちの悪い……消えてください」
     眉も動かぬゆえ、七号の表情から感情は読み取れない。それでも、瞳には嫌悪の色が宿っていた。理解しえぬものに向ける、最も原始的な感情でもあった。細腕を鬼に変えて殴りつける。全て打ち取れぬとも、少しでも多くこの不快を減らしたい。
     灼滅者の攻撃の間にも、羽虫は攻撃を繰り返す。あるいは下部を影の拳に変え、あるいは毒の弾丸をまき散らした。精度や威力は灼滅者に劣るが、その数は二倍を優に超えている。
    「まったく、キリがないな」
     呆れて呟く華流。仲間を守るべく展開した光の盾は、両端がかすれている。元よりサーヴァント使いである上、さらに列回復、前衛の数による減衰。これでは耐性付与も回復もままならない。
    「確かに。でも、始めが大変だからね。今は耐える時だ」
     時折、黒の弾幕で視界が染まる。その隙を縫って謡は癒しの風を吹かせる。序盤は敵の数が多く、どうしても劣勢に立たされる。それをどう覆すかが、戦況を左右するだろう。逆に数を減らせれば、回復の頻度が減って攻撃の手数も増えるはずだ。
    「粉砕します」
     詩乃は構えを取り、気を集中させる。途端、拳が紫電を纏う。地を蹴る力は脚から腰へ、腰から胴へ。筋肉の力を加えて加速しながら、地より走る雷となって、羽虫を拳で打ち貫く。
    「残りの数は……二十強、かな?」
     黒の弾丸が静の腕を掠める。血は流れない。代わりに、傷口はべっとりと毒で汚染されていた。気を掌に集め、毒を拭う。ひとつひとつの攻撃はそれほど脅威ではない。だが、数の優位は大きな壁となっていた。
     月、星、あるいは街灯。わずかな光さえ遮るように、羽虫は夜を飛び回る。

    ●夜に舞う
     シャドウの脅威は数、そしてそれに比例する毒とトラウマだ。それらに対処することは正しい。だが、それだけでは全体を見失う。
    「これはいささか厳しいかもしれませんね」
     手刀で虫を切り伏せ、詩乃が呟いた。敵の数は減っているが、成果は芳しくない。間隙のない連携を意識していものの、具体性に欠ける考え方でしかなかった。そう掲げていれば、誰かが調整すると思っているのだろうか。
     八人が一体の生物のように有機的な動き。不可能ではないが、それは各々の目的と行動が噛み合った場合の結果であって、最初から意識して行うものではない。意識すべきは、いかにお互いの動きを合致させるかだ。
    「癒しの風よ! 黒き災いを振り払え!」
     光貴の手にした白閃の剣が淡く光を放ち、清浄なる風を吹かせる。だが、やはり効果は薄い。バトルキャリバーも機銃を掃射するが、攻撃が分散するせいでうまく効果を発揮できない。けれど、どんなに弱い力でも抗うことはやめない。戦いを諦めれば、優希は死んでしまうから。
    「シフォンさん」
    「OK、合わせるよ!」
     まず七号が動き、シフォンがそれに続いた。七号は槍を構えて加速、その勢いのまま壁を走って高く跳ぶ。同時、シフォンは片腕を寄生体に飲み込ませ、身の丈ほどの大剣を形作る。落下に伴い槍に回転を纏い、異形の大剣は振動を生む。そして、激突。上下からふたつの攻撃が羽虫を襲い、跡形もなく吹き飛ばす。
    「あー、やっぱ数多いね、コレ」
     能天気な声。静は夜空を見上げた。敵の数はようやく二十を切り始めたところだ。向こうは集中攻撃する頭はないらしく、狙いは散漫。おかげでまだ誰も倒れていない。だが、消耗は確実に蓄積されている。誰かが倒れ的が減れば、ドミノ倒しのように次々と倒れるだろう。
     自分の傷に手をかざして癒す。まだ倒れない。いつか倒れるとしても、まだだ。自分が立っていれば、それだけ仲間が戦えるはずだから。
    「……護り過ぎたかもしれないね」
     謡の装備した霊縛手、その内部の祭壇が紫に輝く。光はやがて指先に集まり、そして仲間へと飛ぶ。
     敵は戦力でこちらを上回っている。より長く戦うことで、より多くの敵を倒す。そのためには耐えねばならない。それは間違っていないが、充分な攻撃力を確保した上での話だ。向こうは群体であり、攻めれば攻めるほど攻撃力を奪える。それも考慮すべきだったかもしれない。
    「……サクラ」
     華流の目の前で、ウィングキャットが消滅していく。彼女をかばったからだ。いつも怠け者のくせに、今回ばかりは得意げだ。消える間際に振り返って、してやったりとばかりに微笑んだ……ような気がした。むかつくから、報いなくちゃいけないから、虫を力いっぱいに蹴り飛ばす。
    「今宵もにゃんこ、不承不承お相手いたしますれば、観念してお聞き願いましょう! さぁさ今宵の大一番!!」
     全身が痛い。でも、それは生きている証に他ならない。生きているということは、音を紡いでいるということでもある。全身全霊を指先に込め、絃を爪弾く。息をするように、心臓を動かすように当然のことであり、だからこそ命懸けなのだ。
     より劣勢に追い込まれながらも、灼滅者はギリギリのところで食い下がる。無慈悲な黒い雨は、炎をまだ消せずにいた。

    ●月光が囁いた
     灼滅者は満身創痍、羽虫はなおも夜空を飛び回る。回復がほとんど意味をなさないほど、消耗は蓄積されていた。それでも灼滅の意思は最初と変わらず、いやより強く燃える。
    「あーもう、やるっきゃないよね」
     元より不利な戦い。まだ半数も倒せていない。でも、静は笑ってみせた。ヤケもないではないが、そもそも根が楽観的じゃないかと思う。あるいは、深く考えないとも。でも、この状況ではそれでいい。片腕を獣に変え、半月のごとく弧を描いて敵を切り裂く。
    「行ける?」
    「はい。いつでも」
     華流のエアシューズが唸りを上げ加速。七号も彼女の言葉にうなずいてロッドを構える。傾いた街灯をジャンプ台替わりにして跳び、羽虫の頭上を取る。脚に帯びた流星でシャドウを捉え、そのまま落下。当然、その地点には魔力を限界まで溜めたロッドがある。閃光、そして爆発。羽虫は内側から爆ぜて消えた。
    「聞こえておりますか、にゃんこの歌が! 聞こえぬならばお届けしましょう、この旋律!!」
     これが最後の攻撃になるだろう。震える手足を気合いで支え、娘子はギターを構え直す。そして、にかっと笑って叩き付ける。ばちんとブサイクな音がしたが、これだって命の音だ。生きている限りは音楽だ。そう思うと、もっと笑えた。直後のにやられたが、それもご愛敬。
    「もう少し、持っていくとしましょう」 
    「潰せるだけ潰さないと損した気するしね。特にシャドウは」
     詩乃の言葉に、シフォンが頷く。先端がスペード型になったダイダロスベルトが敵に向かって真っすぐに伸びる。詩乃もまた手に戦帯を絡め、手刀の鋭さを高める。音もなく背後より羽を斬り飛ばし、残った胴体もスペードに貫かれた。
     ここでまた、雨。数が半分になった黒の弾丸と影の拳が灼滅者に降りかかる。前衛が次々と倒れ、撤退条件を満たした。
    「ここは退こう。戦いは続くだろうからね」
     猫のようにしなやかに戦場を跳び、謡は動けない者を担ぎ上げる。ここはまだ、命や魂をかける戦場ではない。いずれベヘリタスの企みを阻止する機会もあるだろう、と。
    「バトルキャリバー、頼んだ!」
     キャリバーにも倒れた仲間を載せ、光貴自身も背に負う。アンブレイカブルは救えなかったが、為すべきことは成した。あとは、誰も欠けずに戦場を離脱するだけだ。
     動ける者が気絶した者に手を貸す形で、速やかに撤退する。羽虫もまた、それを察して夜闇に浮き上がっていく。
     また対峙する機会があるかは分からない。その時、ベヘリタスやタカトがどうなっているかも。
     顔を出した月を見上げながら、次は打ち砕くと、そう誓う。

    作者:灰紫黄 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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