翠の輝きを喰らう蟲

    作者:鏑木凛

     足の裏が熱い。喉も塞がれてしまったかのように、荒い呼吸ばかり繰り返す。
     少年は破れた胴着も気に留めず、汚れた裸足で力の限り大地を蹴る。
    「……クッ……あああ、うぁぁあ……!!」
     震えた膝は身体を支えられずに、とうとう崩れ落ちた。
     潮風が吹きこんでくる裏路地は湿っぽく、海の匂いばかりが鼻をくすぐる。けれど少年には、海を想う気持ちの余裕など、微塵もありはしなかった。
     走り続けた所為ではない。五臓六腑を裏返すかのような苦痛が、少年を襲ったからだ。
    「ヒッ……ァ……嫌だ嫌だ嫌だ、死に、たくな……」
     掠れた息がひゅうひゅうと泣く。
     懸命に手を伸ばしても、顔をあげて前を見つめても、そこには誰もいない。
     鋭く吊り上がった翠の瞳も、本来の精悍さを失ったかのように濡れていて。
    「……て、くれ……誰か……」
     吐く息に紛れて、求める言葉が落ちる。
    「あ、あァ、ア……嫌だ、たすけ……ッ!」
     しかし、言葉は最後まで繋げられなかった。
     倒れ込んだ少年の皮膚が、内側から食い破られる。悲鳴も訴えも呑み込んで、無数の羽虫が少年の身体から飛び出した。芋虫を模った図体は、蛾を思わせる翅を盛大に搔き鳴らす。
     少年の命と引き換えに孵ったのは――現実を脅かす悪夢だった。
     
     狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)は暫く声を失っていた。
     漸く彼女が口にしたのは、伏木・華流(桜花研鑽・d28213)の懸念が的中してしまったらしいとの一言だ。
     その華流の懸念というのは、ベヘリタスの卵が羽化する事件に、シン・ライリーが関わっているのではないか――というもので。
    「シン・ライリー配下のアンブレイカブルが、千葉県の御宿町に現れたよ」
     網代湾に隣する御宿町は、海水浴場もある小さな港町だ。
     アンブレイカブルは、何かに追われているかのように、この町の路地を逃げていた。
     それだけであれば、ベヘリタスとの関わりも無さそうに思える。
     だが睦は静かに瞼を閉ざし、重々しく動かした唇で、アンブレイカブルの少年に襲い掛かる凄惨な末路を言葉にした。
    「急に苦しみだした彼の身体を食い破って、出てくるんだよ。ベヘリタスが」
     路地裏で突然苦しみ、倒れ込んだ少年の中から飛び出すのは、羽虫の姿をしたベヘリタスの群れ。当然、食い破られたことで少年は絶命する。
     恐らく、このアンブレイカブルのソウルボードに、ベヘリタスの卵が植え付けられているのだろうと、睦は続けた。
    「……急いで向かって、現れるベヘリタスの群れを倒してほしいんだ。出来る限り多く」
     一体一体の力は灼滅者よりも少々弱い程度と、決して侮れない。そのうえ「数の暴力」という表現がある。全滅は不可能に近いと、苦々しく睦は付け加えた。
     少年がいるのは路地裏だ。路地裏といっても戦いに支障はなく、周囲に人気も無いため、一般人の避難などに関しては考えなくて良い。
     戦いを仕掛ければ当然、羽虫型シャドウの群れも反撃してくる。しかし、灼滅者が逃走すると向こうも撤退するため、タイミングを見誤らない限り、戦い続けることができる。
     蟲の数は20体。羽音と粘液が武器となっている。
     羽音を響かせることで衝撃波を生み、誰かひとりの脳を揺すり催眠をかけてくる。痛みも伴う催眠は厄介だ。
     吐く粘液は単体にしか当たらないが、浴びると痛みと同時に毒で侵されてしまう。
     衝撃波も粘液も、距離を問わずに飛んでくるため油断は禁物だ。
     ベヘリタスは7体がディフェンダー、8体がジャマー、残る5体がメディックとして陣取っている。
    「……アンブレイカブルの少年は、輝翠(きすい)という子なんだけど」
     彼は恐怖で錯乱状態に陥っているため、説得はほぼ不可能だ――だが。
    「もし……彼のソウルボードへ入ることができたなら」
     ――少年を助けることが叶うかもしれない。
     その場合、蟲たちが少年の身体を食い破る前に、ソウルボードへ乗り込む必要がある。
     そして、弱体化しているベヘリタスをソウルボードで倒した後、現実世界へ出てきたベヘリタスと連戦になる。現実で戦うだけに比べると、状況は芳しくない。
     また、現実で灼滅者とベヘリタスの戦いが始まると、目を覚ました少年は、自分の身を守るため逃走してしまうだろう。
     それらを踏まえたうえで、どう行動するのか。灼滅者の考え次第だ。
    「本来のベヘリタスと違う姿をしているけど、シャドウには変わりないよ」
     何者かが、ベヘリタスの卵を孵化させるため、アンブレイカブルのソウルボードを利用したのだとしたら、随分と酷な話しだ。
     しかも、この手段ではエクスブレインの予知も難しい。現在どれほどの数の卵が孵化したのか、見当もつかない。睦はそう告げ、肩を落とした。
    「……だからこそ、できる限りたくさん倒しておく必要があると思うんだ」
     犠牲者が増えるのを阻止するためにも。
     最後にそう呟いて、睦は灼滅者たちの顔を見回す。
    「いってらっしゃい。どうか、気を付けて」
     見送る声は、常に浮かべる微笑みには似合わず、微かに震えていた。


    参加者
    九条・雷(アキレス・d01046)
    奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)
    天衣・恵(無縫者・d01159)
    彩瑠・さくらえ(望月桜・d02131)
    秋津・千穂(カリン・d02870)
    詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)
    檮木・櫂(緋蝶・d10945)
    山田・霞(オッサン系マッチョファイター・d25173)

    ■リプレイ


     建物の影が道を埋めるように伸び、陽射しが注いでいた場所を徐々に狭めていく。
     静まり返った港町の路地裏。大地を滑る潮風が、いつもの風景を撫でていった。
     それまでの日常を打ち破ったのは、駆け込んできた真っ青な顔の少年――アンブレイカブルの輝翠だ。剛健そうな骨格と満身創痍の様子からは、戦いに明け暮れる日々を思わせる。
     だが、路地裏で待ち構える灼滅者たちの目に映るのは、ほど遠いものだった。内側から食い破られる未来を間近に控えた姿は、正しく風前の灯火で。
     九条・雷(アキレス・d01046)は薄らと瞳を眇めた。
     ――どういう気分なんだろうねェ。理不尽な暴力奮ってる奴が理不尽な理由で死ぬって。
     焦点さえ定まらない輝翠では、答えなど返らないと知るからこそ、雷は物思う。
     既に輝翠は錯乱状態にあった。彼を刺激しないように間合いを詰めたのは、彩瑠・さくらえ(望月桜・d02131)で。
    「今は僕らがキミを助ける。恐怖で自分を見失うな」
     誇り高きアンブレイカブルならばと掛けた言葉も、まだ輝翠には届かない。
    「闘い以外の恐怖に飲み込まれるな」
    「た……たか、い……以外……?」
     さくらえが続けると、喉が締め付けられたかのような声を輝翠が零す。しかし恐怖心がまだ上回っているのか、顔を合わせようともしない。
     救いたいという意思と、自分たちならソウルボードへ入れることを、詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)と 檮木・櫂(緋蝶・d10945)も連ねるが、耳を傾けてはくれない。
     説得はほぼ不可能――発つ前に聞いた言葉の意味を、灼滅者たちは噛み締める。
     秋津・千穂(カリン・d02870)と沙月が頷き合い、魂を鎮める爽やかな風を吹かせた。一般人にしか効かないことは理解している。それでも。
     膝から崩れた輝翠が、絶望と痛みを逃がしたくて砂を握りしめる。
    「輝翠さん、いつもの勇悍な御姿は如何されたのですか」
     乾いた音が響く。奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)が、言葉と共に輝翠の眼前へ何かを叩きつけた音だ。
     丁寧に畳まれた紙。表面に大きく書かれた力強い筆文字。
    「果たし……状……?」
     聞く耳を持てない相手が、形を意識し、読み上げた。
     沙月がそっと輝翠の手を握り、護符を添える。人であれダークネスであれ、触れれば落ち着くだろうかと、真っ直ぐな眼差しを向けて。
     空気が変わったのを察知し、さくらえは改めて呼びかけた。
    「輝翠さん、僕らはキミと万全な状態で戦いたい」
     言葉の最中に、千穂と櫂の指先から癒しの光が飛び、烏芥は祝福の言を風へ換える。
     膝を折るだけだった輝翠が、とうとう身を抱きこむように倒れ込む。山田・霞(オッサン系マッチョファイター・d25173)はすかさず利き腕を封じ、拳を握りしめた。
    「弱い物イジメは、趣味じゃないんでね」
     極力抑えた力の行く先は、宿敵アンブレイカブル。霞が築き上げてきた力は加減を知る。だからこそ彼の拳は、慈悲をもって少年を抉った。
    「グ、ァ……ッ」
     輝翠の瞼が閉じられ、四肢を投げだす。気を失ったのだろう。
     本来ダークネスを慈悲で倒しても、意識を失うとは限らない。ベヘリタスの影響もあったのかもしれないが、真相は闇の中だ。
     その闇へ手を伸ばすため、さくらえと烏芥が仲間を精神世界へ導いた。

    「やァね、可愛くない見た目ェ」
     雷が零した感想は、道場に巣食う影へ向けられた。
     赤黒い影が群れを成しているのを横目に、天衣・恵(無縫者・d01159)は両手に集わせた気を蟲へと放出する。
     ――20体ってきっついなあ。連戦だし。
     激戦の予感を抱きながら。
     断りの無い侵入者にざわつく影を、さくらえが忌々しげに睨みつける。想いを噛み締め、変貌した片腕で殴りかかった。
     その間に沙月が、神の加護を降臨させる。
    「あんな残酷な方法、決して認めません……!」
     彼女が起こした風は、羽が鳴くのを打ち消すように切り裂いていく。
     宿主である少年の未来は定められていた。それに抗ったのは灼滅者たちだ。
    「抗えたのなら、あとは打ち克つまでだね」
     霞は軽やかに笑うと、シールドを広げ仲間たちの守りを強固にする。
     守備に就く者が多い中、千穂は帯を射出し想いを馳せる。知ってしまった、アンブレイカブルに襲い来る末期へと。
     ――戦いの中で生きる彼らに、そんなのあんまりよ。
     息を吐く千穂の傍で、霊犬の塩豆が六文銭射撃で対抗し、数匹の蟲が消散した。
     突如、灼滅者たちは無数の粘液をかぶる。焼けるような痛みと毒が浸み込んだ。
     櫂もまた、悪趣味だと胸の内で呟いた。想像してしまった、身体を食い破られる光景を脳裏から消すかのように、獣の銀爪で引き裂く。
     烏芥は物質を直接砕く呪文で、弱っていた蟲を纏めて爆破した。彼に続いてビハインドの揺籃も、顔を晒して数を減らしていく。
     ――同様のクラブ紋……或いは、クローンも有り得るでしょうか。
     各々の中で巡る思考を知る由もない蟲たちは、分泌液を吐き、羽音を掻き鳴らす。
     ソウルボード内で弱体化している蟲も、彼らに抗っているのだ。


     闘気が雷の拳に宿る。飛びあがって殴りつければ、耐え切れずに蟲が崩れた。
     ――標的がアンブレねェ。何が目的なんだか。
     気味悪く思う雷の傍で、唸る羽に聴覚を刺激された恵は、ふらつきながらもメロディで仲間を癒し、支えた。
     決めたんだ、と意志を槍に篭めたのはさくらえだ。繋がる糸は手繰り寄せる。そのために生んだ氷柱は、迷いなく蟲を灼滅して。
     苦痛を和らげるため、沙月が浄化の風を呼び起こした。風に背を押されながら霞は敵陣へ飛び込み、死の中心点を貫く。
     猛攻の波を止ませまいと、千穂も目にも止まらぬ速さで剣を振り回し、群れを斬る。そんな主に、塩豆も斬魔刀で続く。
    「これ以上、犠牲を出さないためにも」
     頑張ろうかと十字架を掲げた櫂は、やや荒い格闘術で、惑う蟲を仕留める。
     不意に、道場の中を白光が照らした。烏芥が放った斬撃だ。輝きが影を消し、揺籃の霊障波は纏わりつく暇も与えず蟲を弾く。
     雷は漆黒に埋もれた縛霊手から、祭壇を展開した。構築した結界が影を叩く中、恵は純度の高い魔法の矢を生み出す。眩く宙を飛んだ矢が影を射貫くのとほぼ同時、主の意思を掬った影業をさくらえが解放した。先端は刃と化し、影より生まれた蟲を断つ。
     勢いの波を、烏芥が禁じられた魔導で繋ぐ。顔を晒して影を追い詰める揺籃越しに、風景へ視線を移した。慣れた世界だ。彼にとって。だからこそ想う――人もダークネスも、あまり変わりないのだと。
     精神世界に風が吹く。沙月が齎した優しい風だ。浄化していく風の恩恵を感じつつ、霞の巨体が羽虫へ突撃した。霞の握った得物が狙うは、死を司る軸。
     道場を埋め尽くさんばかりだった羽虫も、片手で数えられる程に減っていた。
     武器で液を払った千穂は、霊的因子を停止させる結界を張る。一鳴きした塩豆も六文銭で一掃を試みた。しかし、よろめいた羽虫が1体逃れてしまう。
     突然、質素な道場の中を淡い青が舞う。櫂の腕から伸びた帯だ。
     ――助けなくてもいい。そう思ってた。
     流れる水の波紋が描かれた青い帯は、翼のごとく放たれる。透明感に染まった青が蟲を床へ叩きつけ、最後の1体は短い生の幕を下ろす。
    「でも……可能性に賭けるのも、悪くないわね」
     胸中に覚えた感覚を、櫂は静かに溜め込んだ。
     道場に蔓延る闇を殲滅したことで、灼滅者たちの意識が引き戻されていく。
     瞬く間に、彼らは元の路地裏へ帰ってきた。
     現実で彼らを待ち受けていたのは、どよめく20体のベヘリタスだ。
     戦いと戦いの間に訪れる僅かな間に、灼滅者たちは布陣を整える。
     羽虫の視線が、灼滅者へ一斉に向いた。


     何処にでもある港町、何処にでもある路地裏。
     しかし蠢く存在が、ありきたりな世界を歪めていた。
    「尽力はしよっか。ま、害虫駆除ってやつ?」
     手っ取り早いのは、寄生された宿主ごと崩すこと。だが恩を売っておいて損は無いだろうと、雷は透る眼差しを敵へ向けた。祭壇から築き上げた結界で、自身と同じディフェンダーの群れを囲い込んだ。
     仕返しとばかりに羽虫が粘液を飛ばす。直撃を受けて恵は気付いた――やはり、ソウルボード内とは強さが違うと。
     精神世界とは打って変わりクラッシャーになった恵が、掌に集束した気で砲撃する。
     微かに、呻く声が灼滅者たちの耳を打つ。沙月が後方へ避難させていた輝翠のものだ。彼はもぞりと動いたかと思うと、ゆっくり起き上がった。
    「……な、んで」
     現状を把握しきれていない彼の前で、クラッシャーとして腕を揮ったさくらえは、鬼神変の名残を引きながら輝翠を振り向く。
    「できることは、何一つ諦めたくないんだ」
     応じたさくらえに、彼は怪訝そうだ。
     タイミングを合わせた千穂が、解き放った帯で羽虫を撃破した後、少年へ声をかける。
    「ほら、まだ戦う相手は沢山居る。諦めないで。見失わないで」
     ぴくりと輝翠が震えた。
     烏芥は霊体を直に壊す呪文で蟲を攻め、そして口を開く。
    「武人ならば意志を強く持ちなさい」
    「あんな酷い死に方……見逃すなんて、できません」
     烏芥に続いて、沙月も想いを綴った。
    「たとえ明日には敵対するとしても。甘いとは思うのですが」
     甘いと告げた唇で、沙月は風を呼ぶ。仲間を癒し、穢れを拭う穏やかな風を。
    「っ、変な奴らだ、ほんと」
     吐き捨てた輝翠は、果たし状を握りしめたまま覚束ない足取りで立ち去った。
     彼の様子に、窺っていた霞が肩を竦め、広げたシールドで仲間へ加護を付与した。同時に、徒党を組んだ蟲が体液と羽音で感覚を鈍らせる。
     主の心情を察したのだろうか。自分たちの一撃で消えた羽虫など気にも留めず、塩豆と揺籃は、少年の後ろ姿と主を交互に見つめる。
     逃げた輝翠を見送り、灼滅者たちは実感していた。
     幾つもの風、触れた温もり、目に見える形――確かに彼へ届いていたと。
    「さすがにこの数は勘弁願いたいわね」
     苦い表情を浮かべてから、櫂はシャウトで体力を蘇らせた。
     不快な羽音が、衝撃波となって襲撃する。大きく脳を揺すられる気持ち悪さに、雷が眉間を抑え込む。自身の名と同じ力を灯した拳で、下から突き上げる。恵へ向けて。
     一瞬判断に遅れたものの、恵は地を踏みしめ体勢を保つ。痛くもなんともない、と。
    「だから、さっさと起きろってーのさ!」
     ぴしゃりと言い放つと、詠唱圧縮した魔法の矢で蟲を射る。
     負けやしないと意気込んださくらえが、玻璃を見つめ氷柱を模る。襲いくる幾つもの粘液の隙間を縫い、氷柱は影を凍えさせた。
     仲間が一撃一撃をぶつけている中、衣服にこびりつく粘液を拭うため、沙月が再び優しき風を招く。月光を浴びた蒼の護符をきゅっと握り、祈るように。
     翅の影をも覆う体躯で霞が飛ぶ。噴出した力に乗り、バベルの鎖が薄い箇所を狙った。
     ――なかなか倒れないもんだね。
     霞は思わず、喉元まで込み上げた言葉を発しそうになる。現実に出現したシャドウの厄介さを再認識した。けれど。
     ――効いているし、通じている。
     敵う相手だ。充分に。
     高速で剣を振り回した千穂は、シャドウを斬り刻んでから塩豆を見遣る。射撃で応戦した塩豆が、こくんと首を傾いだ。塩豆にも厳しい戦いを強いている。だから千穂は、そっと塩豆の頭を撫でた。
    「希望を断つものは斬り裂いて、存分に駆けて」
     塩豆が威勢良く鳴く。
     粘液の雨が三度灼滅者たちへ降り注ぐ。侵されていく感覚を、櫂は噛み潰した。そして己の片腕へ獣の猛々しさを纏い、銀爪で蟲の命をひとつ終わらせる。
     羽ばたきが幾重にも轟いた。衝撃波がぶつかり、吐しゃした液が浴びせられる。
    「っう……くッ」
     櫂はふらつく余裕すら無いまま膝を折った。
     直後に閃光が散る。揺籃の霊障波が走り、烏芥の斬撃が繰り出された瞬間だった。烏芥は影に酷い悪寒を感じ、眉根を寄せる。
     悍ましいですね、と。


     長かった。しかし時間を感じるゆとりすら、灼滅者には許されなかった。
     数は着実に減っていたが、灼滅者たちも無傷ではない。
     死角へ回り込んだ雷が、不気味な胴体を真っ二つに切り裂く。思わず顔をしかめた。
    「見た目も性質もほーんと、好みじゃない感じ!」
     雷に同意するように顎を引いた恵は、腹に力を入れて立つ。無事でなくても全員で帰る。その決意をオーラへと変換して。
     ――やるっきゃないんだ。気合入れろ!
     文字通り敵へぶっ放す。砲撃に中てられた羽虫が1体、砕け散った。
     蟲は、砕けた同輩を憂うでもなく羽音を奏でた。咄嗟にさくらえが、癒しの力に転換したオーラを恵へ向ける。
     震えそうな指で宙を掬い、沙月は清めの風で戦場を洗う。
    「皆さんを、守ってみせます……!」
     失う事態を、闇に浸かる行く末を避けるため、風は止まない。
     霞もまた遮蔽となる力を広げ、護りを固める。
     しかし乱れて降る毒液は、容赦無くさくらえを地に伏せさせた。
     空いたディフェンダーの穴を塩豆が埋め、千穂はすぐさま振りかざした刃に加速の鋭さを乗せて、敵群を斬り刻む。
     そこへ烏芥が続いた。噤んだ口を開かせる魔導の力で、蟲の集まりを屠る。しかし絶たれなかった羽虫の反撃が、襲い掛かった。薄れる意識の中で、烏芥は宿敵の印を瞼越しに射抜く。主に寄り添いながら揺籃が顔を晒した。影がまたひとつ、跡形も無く失せる。
     視界を廻らせて、敵の残数を確認したのは雷だ。まだ7匹もいるのかと、嫌悪の情を溜息に含む。そして繰り出すのは、闘気にまみれた拳。殴り上げた蟲が不様に着地するまで見届ける頃に、恵の照準が定まる。
    「とにかく潰す、潰す、潰す!」
     祈りのように繰り返し、魔の矢を撃った。言葉に違わず、矢に貫かれた命が潰れる。
     少しでも多く数を削る。そのため攻勢は緩められない。沙月が呼び寄せた風が、攻撃手の背を支える。
     そんな彼女にも、羽虫の魔の手が伸びた。波打った衝撃が叩くのを、沙月の眼前で霞が阻止する――構えた大盾は、仲間を守るために。
    「……ぶんぶん五月蠅えぞ。羽虫風情が」
     枯れた声音が含むのは荒々しさ。けれど霞は悠然と立ち、揮ったバベルインパクトで影を蹂躙する。
     直後、残存するベヘリタスが飛ばした毒の液に侵され、守り抜いた霞も倒れてしまう。
     戦況を察して声をあげたのは千穂だ。
    「撤退するわ!」
     サーヴァントを除く半数が倒れるまで――灼滅者たちは限界点まで戦う道を選んでいた。覚悟を決めた意志と行動は、ベヘリタスを残り5体にまで減らす成果を生む。
     羽虫から敵意を方向転換させ、仲間を支えて踵を返す。ちらと振り向けば、映るのは建物の影へ紛れていくベヘリタスの姿。
     灼滅者たちは路地を脱した。待っていたのは、生きる潮風と陽射しに満ちた世界。
     戻ってきたのだ。輝きを、ひとつも影に喰らわせることなく。

    作者:鏑木凛 重傷:彩瑠・さくらえ(望月桜・d02131) 檮木・櫂(緋蝶・d10945) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年10月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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