絶望を狩る刃

    作者:邦見健吾

    「うわ、煙が……!」
    「嘘でしょ……」
     先ほどまで静かだったビル内は、立ち昇る煙と熱気で阿鼻叫喚としていた。まだ火は迫っていないもののそれも時間の問題であり、逃げ遅れた人々はただ混乱するばかりだ。
    「ど、どうすればいいんだ」
    「先ほど見てきましたが、下は煙が充満していて降りるのは無理でしょう」
     飲食店に集まった人々を仕切るのは、端正な顔立ちをした1人の青年。こんな極限の状況下でも、彼は落ち着いて状況を把握しようとしている。
    「じゃあ上に行くしか……」
     上の階に行けば避難器具があるかもしれないし、屋上に出られるかもしれない。しかし青年は首を横に振る。
    「いえ、シャッターが閉まっていて上の階には出られません。古くなっているのか非常扉も開きませんでした」
    「そ、そんな……」
     絶望し、絶句する人々。だが青年だけは顔を上げ、場違いに爽やかな笑みを浮かべる。
    「助かる見込みはないでしょう。だから死んでください、僕のために」

     湯呑の茶を一口飲み、冬間・蕗子(高校生エクスブレイン・dn0104)が淡々と説明を開始する。
    「以前灼滅者と戦った六六六人衆、安藤・雄次が現れました。……と言うより、居合わせたという表現の方が適切でしょうか」
     安藤は死に瀕した人間しか殺さないというポリシーを持つが、雑居ビルの火事に巻き込まれ、逃げ遅れた人を殺そうとする。
    「本来なら火事で15人の人が亡くなるはずでしたが、安藤が介入したことによって私の予知が働きました。皆さんならこの現場に突入し、いくらかの人命を救うことができると思います」
     雑居ビルは5階建てで、要救助者は4階に集まっている。バベルの鎖をかいくぐるため灼滅者は1階から突入する必要があるが、3階から下は煙が充満していて普通の人間では通れない。
     確実に避難させるなら、外に出る非常階段か、5階にある救助袋を使うべきだろう。しかし両方ともシャッターや非常扉が邪魔となり、使用するにはサイキックで破壊する必要がある。両方を使えば避難にかかる時間も短くなるが、その分誘導に割く人数も多く必要だ。
    「安藤の現在の序列は四九八位で、非常に強力な相手です」
     安藤は殺人鬼のサイキックに加え、手から黒い剣を出して攻撃する。剣を射出することもでき、どの射程でも高い攻撃力を発揮できる。
    「守りに徹するだけでは、安藤は皆さんを無視して一般人を狙うでしょう。そうさせないためには安藤の注意を引き付けつつ、猛攻を持ちこたえる必要があります」
     だが逃げ遅れた人々を放置すれば、煙と火によって安藤が手を下すまでもなく死亡する。彼らを救出するには、安藤を抑えつつ、同時に誘導して避難させなければならない。
    「そして忘れてはならないのは、皆さんも安藤の殺害の対象になりうるとうことです」
     安藤は死にかけた人間しか殺さないが、敵対する相手は例外。灼滅者にトドメを刺そうとすることも考えられるため、注意が必要だ。
    「逃げ遅れた15人中10人の救出が目標と考えてください。……とはいえ、元は死ぬはずの人々です。安藤との戦闘で危機に陥った場合、救出を諦めて撤退するのも1つの選択肢でしょう。それでは、よろしくお願いします」


    参加者
    セリル・メルトース(ブリザードアクトレス・d00671)
    椎那・紗里亜(言の葉の森・d02051)
    字宮・望(穿つ黒の血潮・d02787)
    暴雨・サズヤ(逢魔時・d03349)
    フルール・ドゥリス(解語の花・d06006)
    譽・唯(断罪を望んでいた暗殺者・d13114)
    三和・悠仁(偽愚・d17133)
    マサムネ・ディケンズ(乙女座ラプソディ・d21200)

    ■リプレイ

    ●火か刃か
    「助かる見込みはないでしょう。だから死んでください、僕のために」
     熱気が下から舞い上がり、フロアが煙に満たされようとする中、安藤が笑顔を浮かべて手から漆黒の剣を伸ばす。
    「では近くにいる君から……」
    「ひっ……」
    「……俺達が、相手」
     少女を両断せんと刃が振り下ろされる直前、黒煙を突き破って暴雨・サズヤ(逢魔時・d03349)が安藤の眼前に現れた。拳に宿る電光が弾け、バチバチと音を立てながら腕を振り抜く。
    「こんなところにまで。ご苦労なことだね」
     だが安藤は半歩だけ引いて拳を避け、近距離から剣を突き立てた。鋭い切っ先が迫るが、サズヤは一歩も動かず刺突を受け止める。この戦いが本来助からなかったはずの命を助けられるチャンスだというなら、この身を武器にしてでもそのチャンスを掴んでみせるつもりだ。
    「吾が意を示せ」
     最短ルートを走り抜け、次々と駆けつける灼滅者達。続けてセリル・メルトース(ブリザードアクトレス・d00671)が封印を解放し、白い十字の杖を握った。エアシューズで加速して低く跳び、流星のごとく安藤目掛けて降り落ちる。回転するローラーが安藤を打ち、星の瞬きが散った。
    「あなたの欲望はここで止められると知りなさい!」
     椎那・紗里亜(言の葉の森・d02051)の纏う帯が広がり、ひとりでに蠢いて敵を捉える。意思持つ帯が矢となって飛び、突き刺さると同時に敵の動きと環境を学習する。字宮・望(穿つ黒の血潮・d02787)も渦巻く風を放って斬撃を繰り出すが、容易く躱された。
    「……」
     三和・悠仁(偽愚・d17133)は険しい眼差しで弓に矢を番え、あやまたず紗里亜を射抜く。矢は紗里亜の胸に吸い込まれ、眠っていた感覚を呼び覚ます。
    「…………落ち着いて……大丈夫………………だから……」
     一方、避難を担当する譽・唯(断罪を望んでいた暗殺者・d13114)は一般人に駆け寄って語りかけるが、人々は混乱して取り乱すばかり。
    「オレ達はアンタらを助けに来たんだ。話を聞いてくれ!」
     マサムネ・ディケンズ(乙女座ラプソディ・d21200)がテレパスで思考を読み取ってみると、見て分かる通り恐慌の最中にあった。まずは気を落ち着かせようと、味方であることを伝える。
    「仲間がシャッターを開けます。助かりたいのなら、上へ逃げてください」
     幻惑の符を投げて安藤の気を引き付けながら、一般人に呼びかけるフルール・ドゥリス(解語の花・d06006)。しかしその瞬間、安藤の視線が困惑している人々を射抜く。
    「そうはさせないよ」
     安藤の手から殺意を凝縮させた黒い長剣が飛び出し、1人の男性を貫いて赤い飛沫を上げた。

    ●地への道は上に
     わずかな時間が過ぎる間に火の手が迫り、フロアに入ってくる熱気や黒煙も勢いを増してくる。バベルの鎖に守られた灼滅者ならともかく、普通の人間では数分と経たず全滅するだろう。
    「どの道このままじゃ皆死んじまう! 付いてきてくれ、オレが道を作る!」
     ラブフェロモンも使って一般人の気を引き、マサムネが先頭に立って5階へ続く階段を昇り出す。混乱して怯えているであろう人々を説得する方法をより具体的に考えていれば、動き出すまでもよりスムーズにいったかもしれない。
    「せっかくの機会だからね、あまり邪魔しないでよ」
    「させません」
     安藤がマサムネ達に斬りかかろうと体を向けるが、紗里亜が踊るような足遣いで踏み込み、目の前に十字架を叩き付けて遮る。床にめり込んだ十字架をそのまま振り上げ、安藤に一撃見舞った。
    「人を助けるためなら文字通り火の中煙の中……恐れ入るよ」
     安藤は途中まで感心したような口ぶりで言うが、途端に微笑を消して冷たく低い声を放つ。殺意の込められた視線が灼滅者達を貫き、上がり続けているはずの室温が一瞬冷たく感じられた。
    「…………早く……急いで……」
     上に上がる一般人の最後尾に付き、急ぐよう呼びかける唯。高齢の女性に手を貸そうか迷うが、結局手を引っ込めてしまう。
    「Vivere est militare.」
     カードの封印を解いたマサムネの手には巨大なハンマーが握られる。振りかぶると同時にジェットを起動し、爆発的に加速したハンマーが一撃でシャッターを突き破った。
    「えと……」
    「唯っち、救助袋を!」
    「……は、はい……!」
     シャッターの向こう、がらんとしたフロアを目の当たりにして唯が逡巡するが、マサムネの声ですべきことを認識して動き出した。
     マサムネと唯が懸命に避難誘導する間、階下に残された灼滅者達は人々を追わせまいと安藤に立ち向かう。
    「邪魔するな、と言ったはずだよ」
    「くっ……」
     望の槍が安藤を捉えたが、大きな打撃には至らない。逆に安藤は両手から刃を生やし、高速の連撃で十字に傷を刻んだ。
    「私に続いて、リアン!」
     鮮血を噴き出す望に、護符を投げ放つフルール。霊犬のリアンも指示に応え、癒しの眼差しを送って望の傷を治癒させた。
    「其の意の先が、悪夢に満ちるのならば……」
     安藤が何を考えて死に瀕した人間だけを襲うのか、セリルは知らないし見当も付かない。
    「真白なる夢を以って、其の全てを断ち切ろう」
     しかしその刃が命を奪おうと振るわれるなら、打ち砕くのみ。十字架の杖を安藤に向けると聖歌が響きながら銃口が開き、光弾を撃ち出した。
    「さっさと消えろっての」
     悠仁は忌々しげに安藤を睨み、煙に紛れて近づくと、その身に絡みついた蛇を刃に変えて瞬時に斬撃を繰り出す。
    「死に瀕した人間を殺す事に……何か、理由がある?」
    「前にも似たようなことを聞かれた気がするね」
     サズヤはエアシューズを駆って迫り、ローラーに炎を纏わせて蹴りを繰り出す。しかし安藤は蹴りを剣で払いのけ、銃の狙いを定めるように切っ先をサズヤに向ける。
    「無差別に殺すと人間が絶滅してしまいそうな気がしてね。それだけさ」
    「……ん、問題ない」
     至近距離から剣が突き抜け、サズヤを貫く。だがサズヤは口から零れる血を拭ってこくりと頷き、残された命を守るため立ち続ける。

    ●火煙の中で
    「あと10人以上いるな……」
     マサムネ達は5階にあった避難袋を展開して一般人を脱出させている最中だが、避難袋だけでは全員が危機を脱するにはまだかかりそうだった。
     一方、4階から下はすでに火に包まれ、人の生きられる領域ではなくなっていた。灼滅者達は揺らめく炎と煙に包まれ、常人なら肌を焼かれるほどの熱を浴びながら戦い続ける。しかし灼滅者は安藤の動きを捉えきれず、攻撃が空を切ることも少なくない。
    「彼らを追うか、君達を殺すか……どうしようか」
    「ッ……!」
     安藤の剣がダーツのように飛び、直撃した望が口と鼻から真っ赤な血を噴き出した。限界を迎え、意識を失ってその場に倒れる。
     元より安藤は、灼滅者8人で戦ってもなお上回る力を持つ相手だ。それをさらに少ない人数で足止めするとなれば死闘は免れない。六六六人衆を相手にするには守りが薄く、圧倒的な攻撃力によって劣勢を強いられていた。
    「チッ」
     不利は明確。悠仁は短く舌打ちし、鉄の塊のごとき十字架を横薙ぎに叩き付ける。衝撃が安藤の足を鈍らせるが、逆に言えばそれだけ。布石を打っても次に繋げなければ意味がない。
    「……」
     苦境に追い込まれながらも、サズヤの目はまだ死んではいない。ナイフの刃を歪に変形させ、一瞬で距離を詰めて斬り抉る。
    「さすがに鬱陶しくなってきたな」
     安藤の手から飛び出した剣が天井に刺さり、影が広がって真っ黒に染め上げる。次の瞬間には影が凝固して剣になり、斬撃の雨となって降り注いだ。
    「僕達はキミを邪魔するために来たからね」
     セリルが疾走し、再び飛び蹴りを見舞った。打撃の瞬間、解き放たれた重力が安藤にのしかかる。しかし安藤は殺気を増し、冷たい視線が灼滅者達を見つめる。
    「……あぁ……本当に……どこまで…………卑怯なんだろうね…………あんた達は……!」
     そこに、避難に回っていた唯とマサムネが戻ってきた。唯は六六六人衆への怒りを込めてレイザースラストを放つが、安藤は眉一つ動かさない。マサムネがギターをかき鳴らして音波を放つと、少しだけよろめいた。
    「もう少しで避難終わるぜ!」
    「聞いての通りです。あの人たちの死の運命は避けられました。……どうします?」
     マサムネの言葉を受け、紗里亜が安藤の敗北を告げる。だが安藤は手の平から剣を生み出し、再び天井へと向けた。
    「決まっているよ。君達を、殺す」
    「お願い!」
     容赦なく降り注ぐ剣の雨。フルールの声に応えてリアンが飛び出し、その身を盾にする。そして無数の剣に刺し貫かれ、リアンが消滅した。

    ●炎の終幕
     灼滅者が全員揃ったが、安藤の猛攻は続く。残された一般人は皆脱出した頃だろうが、今まさに危機に陥っているのは灼滅者達の方だった。
    「……あ……」
     唯は後方から安藤を狙い撃つが、攻撃は全て見切られ容易く躱された。逆に撃ち出した剣に射抜かれ、一瞬で意識を失う。
    「さあ、今度は僕の番だね」
     セリルが瞳を曇らせ、しかし口元には笑みを浮かべて敵を見据える。3人が戦闘不能になれば撤退する手はずであり、倒れた灼滅者は2人となった。いざとなればしんがりとなる覚悟を決め、杖を強く握る。
    「誰も、やらせません……!」
     ギターをかき鳴らし、音波をぶつける紗里亜。だが与えるダメージは大きくなく、安藤は止まらない。
    「おおおっ!」
     マサムネが雄叫びとともにハンマーを振るうが、安藤は一跳びで躱した。空振りしたハンマーが壁を打ち、大きくひびが入る。
    「これでも食らってろ」
     悠仁が鈍色の十字架を構えると、燃える炎の音を割って聖歌が響く。光弾が安藤に命中するが、仲間の合流を待たずに仕掛けるべきだったかもしれない。
    「これはどうかな?」
    「……!」
    「く、あ……」
     サズヤはボロボロになりながらも仲間を守ろうとするが、剣はすぐ横を通り過ぎ、フルールに突き刺さる。纏う防具を鮮血で染め、崩れ落ちるフルール。しかしもしフルールがもっと早く倒れていれば、マサムネや唯が戻る前に戦線は完全に崩壊していただろう。
    「さて、覚悟してもらおうか」
     灼滅者が攻撃を重ねても、敵の攻めはより激しく、苛烈だった。傷を負いながらも、安藤は勝利を確信して灼滅者達に一歩ずつ迫ってくる。
     ここで撤退を選んでも、敵は簡単に許してくれないだろう。死か、それとも……灼滅者達の脳裏に選択肢が浮かぶ。
    「おっと」
     しかしその瞬間、ビルのどこかで爆発が起き、衝撃で天井が崩れ落ちた。床もひび割れ、灼滅者と安藤の間に亀裂が入る。
    「非常扉も開かないビルだからね。無理もないか」
     炎と煙の中で、毒気を抜かれたように肩をすくめる安藤。
    「でも今日は収穫だったかもしれない。……それじゃまた、ね?」
     また爆発の衝撃が走り、安藤の立つ床が崩れた。穏やかな声色を最後のだけ冷たく変え、刃のような視線を送りながら瓦礫とともに闇の中へと落ちていく。
    「今のうちに脱出するよ!」
     気を失った望を背負い、階段を駆け下りるセリル。サズヤとマサムネもそれぞれ倒れた仲間を抱き上げ、煙と炎の充満する中を走る。命拾いしたことを悟りつつ、灼滅者達は無事ビルを脱出した。

    作者:邦見健吾 重傷:字宮・望(穿つ黒の血潮・d02787) フルール・ドゥリス(解語の花・d06006) 譽・唯(断罪を望んでいた暗殺者・d13114) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年9月26日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
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