末期の朱

    作者:高遠しゅん

     息を切らせて走った先には、夕焼けに揺れる水平線が見えた。
    「……違う」
     こんな、こんな末路など誰が望んだだろうか。
     こんな末路を、己が望むわけなどない。
    「ああ、わたし……わたしは」
     破れたアンブレイカブルに何の価値があるだろう。
    「死にたく、ない」
     死ぬことは怖くない。だけど、どうしてこんな姿で死ななければならないのか。
     体の中で何かが蠢く感触がする。終わりたくない、死にたくない、わたしは、わたしは。
    「助け、て。だれか、だれ……」
     視界が真紅に染まる。もう立っていられない。
     電柱にすがり傾ぐ体を支え、擦り切れたジーンズと破れたTシャツの長身の女は、呟きの最後を絶叫に変えた。
     体の内側を滅茶苦茶に食い破られる激痛、おぞましさ。ぶつりと鈍い音を立てて腹が、背が裂ける感覚があった。内側から『何か』が這い出してくる感触に、立て続けに絶叫する。喉から血を吐くほどに。
     嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!
     女が最期に見たものは、夕焼けの朱に染まる空に、無数の『何か』が飛んでいく様子。
     ――ああ、死ぬのなら、戦いのなかで死にたかった。


     陽の落ちる時間が日に日に早くなってきた。夕焼けに染まる教室で、櫻杜・伊月(大学生エクスブレイン・dn0050)がひどく沈鬱な顔をしている。
    「……嫌な事件だ」
     尤も予知できるダークネス事件に好ましいものなど一つもない、と付け加えて。
    「ベヘリタスの卵が、アンブレイカブルの体内で孵化する」
     教室に集まった灼滅者たちが、気味悪げに視線を交わした。
     伏木・華流(桜花研鑽・d28213)の懸念は『ベヘリタスの卵事件とシン・ライリーとに、何らかの繋がりがあるのではないか』ということだった。調査を進めていくと、それが事実であることが確認されたのだ。
    「君たちには、逃れてきたアンブレイカブルの体内から出てくる芋虫型のシャドウの、可能な限りの灼滅を頼みたい」
     可能な限り、とは。
    「一匹なら早いが……あれが、三十いる。全滅はおそらく不可能だ」
     伊月は地図を数枚示し、手帳の頁を捲る。

     外見は、芋虫型シャドウの報告書と同様。大きさは大型犬ほどで、蛾の羽を持っている。能力としてはシャドウハンターと同様のサイキックに加え、鋭い牙での連続咬みつきがある。
    「芋虫一匹で、君たち一人より若干弱い程度の能力だ。それが三十匹」
     攻撃を仕掛け続けたなら、芋虫は反撃してくる。しかし、灼滅者たちが攻撃を止め撤退するなら、追ってくることはなく何処へか消えていく。体力のぎりぎりまで戦うことが可能だ。
    「そして、卵を生み付けられたアンブレイカブルなのだが。恐怖で錯乱しているため、言葉をかけても殆ど通じないだろう」
     名はアカネといい、二十代前半の容姿を持つ女性という。
    「彼女を救うことは、困難を伴うが不可能ではない」
     混乱と恐怖に叫び続けるアカネのソウルボードに入ることができたなら、棲み着いたベヘリタスの芋虫を駆逐することで救うことができる。しかし、
    「アンブレイカブルは、救出されたとしてもソウルボードから芋虫を追い出した時点で逃走する。君たちはソウルボードと現実世界の二連戦となる。芋虫はソウルボード内では8人で駆逐できるほどだが、現実世界ではほぼ1対1の能力だ。正直、灼滅者側の状況は悪くなる」
     武蔵坂の灼滅者に、そこまでする利があるのかどうか現時点では不明だ。
    「判断は、君たちに委ねるよ」

    「俺も行こう。一人でも多い方がいいだろう」
     教室の隅で話を聞いていた刃鋼・カズマ(高校生デモノイドヒューマン・dn0124)が、背に夕焼けの朱を受けて言う。
     伊月は頷き、手帳を閉じる。
    「絆のベヘリタスの卵から生まれたシャドウは、本来のベヘリタスとは違う姿をしている。何者かがアンブレイカブルのソウルボードを利用しているのだろう。それがシン・ライリーなのか、他の誰かなのかまでは、予知では見えなかった」
     今はとにかく、可能な限り現れたベヘリタスを倒していく必要がある。そうすることで、新たにエクスブレインの予知が及ぶ範囲が広がるかも知れない。
    「体力の限界まで戦う、困難な戦闘となるが……全員無事の帰還を待っている。くれぐれも気をつけてほしい」


    参加者
    千布里・采(夜藍空・d00110)
    花檻・伊織(蒼瞑・d01455)
    華槻・灯倭(月灯りの雪華・d06983)
    月原・煌介(月梟の夜・d07908)
    クロード・リガルディ(柘榴石と約束と・d21812)
    八千草・保(縁咲宿枝及びゆーの嫁・d26173)
    哭神・百舌鳥(百声の演者・d33397)

    ■リプレイ

    ●夕空
     潮風の吹く夕暮れの朱に染まる路地を、ふらりふらりと時折崩れそうになりながら、女が一人歩いていた。
     何かに怯えてでもいるのか、時折肩越しに背を振り返り、譫言に唇を震わせるその様子は、通りすがりの人々の目を引きながらも、親切心で声を掛けることをためらわせた。鬼気迫る、とでもいうのか。女は明らかに常軌を逸している。通報に呼ばれて来た警察官ですら、近寄れずにいるのだ。
     そこに現れたのは、数人の若者たちだ。夕焼けの路地に影を落とす彼らの姿を見たときから、野次馬の人垣がひとりふたりと崩れていく。
     冷気に触れたように肌が粟立つ。見えない圧力となった恐怖が心を波立たせ、ここにいてはいけないと家路を辿らせる。それが八千草・保(縁咲宿枝及びゆーの嫁・d26173)が小声で語る、百物語に寄せられた雑霊の仕業だと知っているのは、若者達だけだ。
    「アカネちゃん、だね」
     漆黒の髪を夕日に照らし、華槻・灯倭(月灯りの雪華・d06983)は荒い息をつく女に呼びかける。対するアカネ――アンブレイカブルの女の髪は、燃え立つような炎の赤毛。
    「助けに来たの。決して貴女を傷つけないか、ら」
     ごうとうなりを立て、咄嗟に軽く地面を蹴った灯倭の足元が大きくくぼんだ。無造作に振り下ろされたアカネの拳が、アスファルトの地面を拳圧だけで抉ったのだ。しかし、勢いとしてはそれだけだ。
     協力してほしいと、怯むことなく続ける。こうなることも事前に予測済みだ――彼女は言葉を交わせる状態ではないことを、ここに留まる全員が知っている。
    「アカネさん、オレ達が助ける」
     再び振り上げた拳に取り付いて、哭神・百舌鳥(百声の演者・d33397)が自分たちが灼滅者だと告げると、アカネは獰猛なうなり声を上げてその手を振り払う。死に瀕した手負いの獣が、毛を逆立てて威嚇している様子に似ている。
     灼滅者はアンブレイカブルの、ひいてはダークネスを殺す力を持つ者。彼女が正気だとしても、助けるという言葉を信じろということ自体に、無茶があるのかも知れない。
     師匠だったら――花檻・伊織(蒼瞑・d01455)は、取り乱す女の滅茶苦茶な攻撃を避けながら思った。あの師匠なら、戦いの中だろうが虫に食い殺されようが、無心でいられない者に武人の資格無しとか喝破しそうだ。
     それでも望まぬ末路なら、せめて自身で選べる方向へ導きたい。
     アカネの下腹に鈍く重い一撃が入った。拳を固め低く唸るのは、ダグラス・マクギャレイ(獣・d19431)だ。明らかに手心を加えている拳だが、衝撃が息を詰まらせ、アカネの意識をわずかに現実へと引き戻した。
    「追い出してやるからじっとしてろ。このまま喰い破られたくなければな」
     ダークネスを助ける義理もなければ、こんな真似は酔狂のすることかもしれない。だがダグラスがそうであるように、戦いの中を死地と定めた者ならば、生きながら虫に喰われる無惨な死を見過ごすことなど、できない。
    「戦いの中で死にてえんだろう?」
     低い声に、アカネの目が見開かれる。唇が言葉を紡ごうとわなないた。
    「……なにか、いる……わたしの」
    「分かってる。君の中のシャドウを倒すから」
     伸ばした手を強く握る。銀の瞳に憂いと決意を乗せ、月原・煌介(月梟の夜・d07908)はアカネの夕陽色した瞳に視線を合わせる。
    「ごめん。少し痛いけど、耐えて」
     みぞおちに煌介の指先が吸い込まれる。く、とアカネは息を止める。
    「采」
     まだ、と煌介が瞳で問えば、千布里・采(夜藍空・d00110)は額の脂汗を拭いもせずに首を横に振る。
     アカネのソウルボードに侵入するには、眠らせるか昏倒させるか。采はずっとソウルアクセスの機を窺い幾度となく試みていたが、扉は未だ開かれない。あと何分残っているのか。猶予は数分、あとどれだけ。
    「目瞑って下さい、巣食うの倒しますよって」
    「たす、け……」
     首筋に打たれた手刀が、アカネの意識を刈り取った。ぐらりと傾ぐ長身を、灯倭が駆け寄って抱き留めた。ダークネスでアンブレイカブルだけど、女性だから。そのまま地面に横たえる。
    「えらく頑丈な扉やったわ」
     采の言葉にクロード・リガルディ(柘榴石と約束と・d21812)が頷き、適当な場所をと周囲を見渡せば、刃鋼・カズマ(高校生デモノイドヒューマン・dn0124)が数名の灼滅者と共に現れた。
    「体は俺たちに任せて行け。時間が惜しい」
    「そうか……助かる」
     保が唱える怪談の結界は、鮮やかな赤髪の娘が殺気の結界に変えて引き継いだ。ついでに通行止めの看板も設置してきたらしく、周囲に一般人の姿は全くない。
     カズマと黒髪の娘の服の裾をつかんで隠れるようにして、不安げな瞳を向けてくる小さな少年に、煌介は目を細め頷いてみせる。心配は要らないと。
     灼滅者たちは目を閉じる。意識だけが浮遊する感覚が一瞬。
     次に目を開けたなら、そこは荒涼とした荒地に無数の羽音が重なる世界だった。

    ●砂塵
     重くのしかかる空に草木一本ない荒地、足元で砂埃が舞う。周囲を満たすのは無数の羽音。がちがちと牙が鳴る音が聞こえる。餌に群がる飢えた蝿のように、無数の虫が襲いかかってくる。
    「……酷いよ、こんなの」
     こんなモノに、中から喰われてるなんて。喰われ尽くされて終わるなんて。
     報告書を読んでおぞましいとは予想していたが。目の前を飛ぶ斑の虫、ベヘリタスの卵から生まれたという羽虫は想像以上だった。灯倭は二の腕に浮く嫌悪感を振り切るように、ぎりと奥歯を噛みしめて断罪輪をかざす手を羽虫に向ける。
     唇の中で九字を唱えれば、群がろうとしていた数匹が一瞬まとめて動きが止まった。内側から裂ける腹を薙ぎ払う風、霊犬の一惺が斬魔刀を閃かせる。
     その傍らに煌介が立ち、指先で氷結の紋章を描いた。
    「感謝。まとめていく」
     指した地面から凍気が立ち上り、動きを止めた羽虫を凍てつかせた。エクスブレインの予知どおり、ソウルボード内の虫は動きも鈍く討ち取りやすい。それでも、油断はできないけれど。
    「……クラブ、すね」
    「うん。ベヘリタスに似てる」
     蛾のような羽にはクラブのスートが滲んでいる。血の色した腹は黒の斑に覆われて。
    (「あれも、いのちなら」)
     煌介は幾度となく氷結の呪を描きながら思う。もしもこれが、シャドウが命を残す手段だとしたら。命を消す己もまた、闇の一部なのか。銀の瞳に影が落ちた瞬間、手負いの虫が煌介の真上に落ちてきた。避けられない。
    「考え事は後回しやねぇ」
     寸前で身を盾にしたのは保だった。『Reliance』の銘もつ藍色の鞭剣で牙を弾き返し、そのまま手を返せば舞うような軌跡で数匹が切り刻まれる。
    「何から生まれたん?」
     小さく問う。金の仮面じみた顔の虫から答えは返らないけれど。
    「何が目的?」
     ダークネスが命を増やす方法は人間の闇堕ちと決まっている。ダークネス同士の抗争は珍しくないが、部下に卵を産み付けさせて、シン・ライリーは何をしているのか。絆のベヘリタスと似た姿の虫を増やす目的は? 保は再度鞭剣を舞わせ、目の前の虫の塊を切り裂いた。澱んだ霧と化して虫が消える。
     強さはそれほどでもない、しかし数が多すぎる。
     聖なる太刀にまとわりつく濁った体液を振り払い、伊織は口中に血の味を感じていた。傷を負っていない者はない。支えているのは後方で回復に集中している采の力だ。その采も無傷ではない。
    「まあ、死に方くらいは」
     自分で選びたいよね。上の命令か何か知らないけれど、虫に卵を産み付けられて喰われて死ぬなんて。戦いを至上とするなら、そりゃあ戦いの中で死ぬのが本望だろう。
    「嫌な上司と無力な配下、かなぁ」
     飛んでくる虫の腹の下を駆け抜けざまに刃を突き刺す。羽虫の急所など知らないけれど、縦に裂かれた虫が霧散するのを横目に、次の虫へと目標を変える。伊織の姿は生と死の狭間で輝きを増す。
    「あまり無茶せんでなぁ」
     距離を測りながら片手の断罪輪をからから回し、采はいつもの含んだ笑みを消さない。放つ巨大な法陣が仲間の力を増し、天魔をその剣に降ろす。ふと、ぶぅんと耳の後ろで羽音が鳴った。振り向きざまに走ったのは青白い炎、霊犬の刃。背を守る霊犬が、斜めに虫の羽を断ち斬ったのが見えた。
     いっそう笑みを深くし、采は影を奔らせる。幾重にも伸びる影の爪が虫に絡みつき、そのまま闇に引きずり込む。何かが潰れる音がした。
     その采とすれ違い駆けるのが、
    「……ったく」
     吐き捨て、唸り上げるバベルブレイカー『Miach』を握り直すダグラスだ。
    「目的の前には同類も餌って事か」
     反吐が出る――獰猛に唇の端を上げた。狙い定めれば、杭打ちのエンジンがいっそう高まる。ぶんぶん忙しなく飛び回る虫には当てにくい装備だが、当たればそれこそ必殺の威力を持つ愛機が頼もしい。殺虫剤でも撒いてやりたい心境だが、
    「地道にってのは性に合わねぇんだがな」
     狙い定めた杭の先を、金の仮面じみた頭部から尾までを突き立てた。ぎゅんと音立てて回る杭が虫の中身を掻き回し塵にする。
    「次はどいつだ?」
    「まだまだ、選び放題」
     クロードがぼそりと呟いた。もう何匹倒したか分からないが、それでもまだ数匹は無傷で残っている状態だ。かざす指輪に制約の力を乗せ最も近い標的にぶつけたなら、瀕死の蝿のようにぼとりと地に落ちびくびくと蠢いた。死に方まで気味が悪いと無言で眉を歪めるのはクロードらしい。
    「我が喚ぶ、『骸大蛇』。……薙ぎ払い」
     どこからから現れる骨の大蛇。クロードの持つ七不思議の一つが現れ、落ちた虫を言葉通り薙ぎ払う。
    「喰らい」
     かぱりと開いた骨髑髏のあぎとで、虫がまた一匹塵となる。
    「雨霰と降りそそげ」
     細かな大蛇の肋骨がそのまま驟雨となり、周りの虫を巻きこんで突き刺さる。からからと蛇の髑髏が虚ろな眼窩で嗤った。
    「面白いね……」
     影の人形繰りで一匹を塵とした百舌鳥が、ほわり笑った。
     だいぶ羽音も減ってきた。ならばと百舌鳥も語り出す。
    「……『嗚呼、貴方様、なにゆえ妾を厭うのですか。こんなに』」
     ぼんやりと現れるのは打掛姿の女の姿。毒々しい赤の羽虫に囲まれて、女は鮮やかな牡丹の袖を翻す。か細い腕が差しのばされ、一匹の羽虫を捕らえ抱きしめる。
    「『こんなに、妾はお慕い申し上げておりますのに』」
     厭な音がして一匹が塵となる。それと同時に消えた牡丹の女は、百舌鳥の持つ七不思議の一つ。恋い焦がれた男に取り憑き、遂には殺した女の業。
    「聞こえますか」
     采がまだ羽音の残る虚空に呼びかけた。
    「蟲に容易く屈せず、戦って下さい」
     こころの内側に巣食うものは、あと少しで追い出せる。だから、もう少しだけ耐えてほしい、そう願いながら。

    ●流転
     エンジン音を高鳴らせ、ライドキャリバーが突進する。流れるような動きで、鮮やかな赤い髪の娘がそれを追う。ぶんと音立てて飛ぶ羽虫が、路地に溢れるようだ。
    「ああもう、しつこいよ!」
     黄に点滅する標識を掲げ回復を飛ばせば、受けた少年がデモノイド寄生体を這わせる腕を震わせた。初めて立つ戦場、周囲は空を埋めるほどの羽虫で覆われている。
    「焦らなくていい」
     カズマがその傍らに立つ。デモノイド寄生体を纏わせた利き腕が巨大な刃と化し、目前に迫った虫を横薙ぎに切り裂いた。寄生体が這い、追撃をかける。
    「落ち着いて狙え」
     瑠璃水晶の爪持つ腕をひらり翻し、少年の背を守るように漆黒の髪の娘が寄り添った。降ってくる虫の牙を、娘のビハインドが音立てて遮る。少年は深く息を吸い込み、慎重に狙いを付ける。肩に触れたカズマの掌が温かい。
    「今だ」
     地に落ち弱った虫が羽ばたこうとした瞬間を狙い、少年の刃が胴を断ち切った。霧のように消えていく虫が、涙でにじんだ向こう側に見えた。
    「でき、た……?」
     雨あられと降ってくる虫の攻撃が足元を続けざま抉り、石塊を巻き上げる。怯える少年を庇うように立ったのは、待っていた背中だ。
    「煌介さん」
    「ただいま」
    「お帰り。さあ皆さん、もうひと踏ん張りだ」
     黒髪の娘が笑って回復を振りまけば、ソウルボードから戻ってきた灼滅者たちも笑う。皆、一様に傷だらけだ。
     背中は任せて思いきり戦えと補佐の仲間たちに鼓舞されて、飛び出したのはダグラスと煌介。漆黒と金の髪が、流星の如く尾を引いて迸る。
    「仕留めてやるよ、何匹でもな」
     螺旋を宿した槍の穂先が虫の横腹を穿ち抜く。甲高く鳴いた虫の牙に抉られつつも、ダグラスの勢いは留まることはない。返す穂先でもう一匹、撃ち落とせば唇に血が滲む。死ぬのなら戦いの中でと決めた、だがそれは、今ではない。
    「……知ってる」
     目を細め、健気に戦う藍色の髪の少年とほんの一瞬視線を交わし、煌介はしなやかな蹴りで三日月の弧を描き虫の羽を断ち切った。漆黒の弾丸が脇腹を削っていく痛みも、己の昔を重ねる少年が立ち上がり、勇気を持って戦う切欠となるならば。
     伊織と灯倭は、振り返りつつ去っていくアンブレイカブル・アカネの姿を遠目に見た。
    「ま、生きてるなら」
     命があるなら、どうとでもなるか。唇だけで呟いて、伊織は虫の隙間を縫うよう跳び、手負いの虫を羽ごと両断した。どこからか飛んできた攻撃に意識が白く染まっていっても、仲間がいるから何とでもなる。
    「一惺、みんなをお願いね」
     最前線で戦い続けてきた自分の体力が、大きく削られているのは知っている。けれど、仲間と共に戦ってきたこと、助けたいと思ったアカネを助けられたことが、灯倭の心を力強く支えていた。心繋ぐ霊犬の浄眼に助けられ、蹴り上げた純白のエアシューズが炎を纏う。瞬間、背に続けざまの痛みを覚えた。
     四方に視線を配り的確な回復を飛ばしていた保は、互いに背を預けていた采がくふりと笑う気配を感じた。
    「ああ……消耗戦やね」
     ダークネスとの戦いに楽なものなどないけれど。消耗戦ほど息の詰まる戦いもないだろう。『倒せない』現実の壁が立ち塞がる。回復手に回っても、癒しても癒しきれない傷が深まるだけで。ダークネス同士の思惑など、介入するべきか否か未だに分からないけれど。
     帯を操り、背後にある采の護りを固める。采は回復をかけながらも、既に膝を着いているからだ。
    「楽になりましたわ、おおきに。……カズマさん」
     夜明色の瞳が、傍らに降り立った長身の青年を呼ぶ。
    「アカネは去った。追手はない」
     応えにそれは良かったと、采は目を細める。敵であるはずのアカネを助けたいと願ったことに、理由などない。この手で救えるものがあるのなら、可能な限り手を伸ばす。堕ちた孤独な少女に手を差し伸べた、あの雨の日のように。
     少し無茶をしすぎたなぁと、それでも采は笑う。視界の端に仲間と果敢に戦う霊犬の背を確認し、意識を手放した。
    「そろそろかな……」
    「ああ……潮時だな」
     乱戦となった最後衛、周囲を跳び回っていた百舌鳥とクロードが、戦場の全体を注視した。既に戦闘不能となった者は、動ける仲間に抱えられて戦場から離脱している。
     もしかしたら、ただのオレ達のお節介かもしれないけど。百舌鳥は思いながらも、影を伸ばして虫を喰らわせた。目の前で無惨に食い尽くされて命を落とすのを、ただ見ていることなんてしたくない。見返りが欲しいわけでもない。ただ見過ごせなかった。
    「そう思うよねぇ……」
     『ひと』でありたいのだ。闇の力を操るとしても。
     幾度となく喚びだした七不思議の女、牡丹の打掛の女が虫と一緒にほわりと溶けて消える。クロードに寄りかかるように意識を手放した百舌鳥は、満足そうに微笑んでいた。
    「そろそろとは、そういう意味か」
     自分より少し背の高い百舌鳥を片手で抱え、クロードは最後に七不思議の一つ、紅蓮の騎士を呼び出した。その大剣が虫を葬り去るのを最後に、深く息を吸った。
    「これより撤退する! 速やかに離脱せよ!!」
     羽音と交わらぬクロードの凛とした声が、戦場に響いた。

     防御と回復の手が厚かったこともあり、戦闘不能になった者も重傷とはならず意識を取り戻し、安全圏まで離脱した。敵の三分の二以上を討ち、残りはばらばらに散って行方をくらませた。救助したアンブレイカブル、アカネの行く先はわからない。
     充分な成果だった。

     夕暮れの空は暮れ、十七夜の月が登っている。激戦を終えた灼滅者たちを癒すように、無数の星たちが小さく瞬いていた。

    作者:高遠しゅん 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年10月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 2
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