おきつ様の宵祭

    作者:四季乃

    ●Accident
     お囃子が鳴り止まない。
     右も左も分からない喧噪に熱気が混じり、狂ったような太鼓の音が腹の底から躯体を揺さぶって足元が覚束ない。まるで世界が酩酊したように、神社は宵闇の中で艶やかな光を放っていた。
     このお社は稲荷の狐が祭られているという。元は多忙な稲荷神の代わりにご利益を授けたりしていたらしいのだが、その功もあってか、いつしかその狐が神様として待遇されるまでになったのだとか。
     年配の皆は「おきつ様」と呼び慕い参拝を欠かさないけれど、一部の人達の間では、おきつ様は厭われていた。
     神様を退けた不埒な獣だ、と。
     狐狸に化かされると言う話も多く、狡賢い獣の悪知恵に騙されていないとも限らない。
     そうだとすれば、眼前で楽しげに笑う人々は狐に化かされているのではないか。いいや、そもそも目に見えるもの全てが偽りかもしれない。こんな風に馬鹿げた事を考える自分を見て、今もどこかで嗤っているのではないか。
     末恐ろしくて、たまらないのだ。

    ●Caution
    「そんな風に、おきつ様を怖れる心が、都市伝説を生んでしまったのです」
     人々に親しまれていた稲荷信仰が、このような形で具現化した事はとても悲しい事だと五十嵐・姫子(大学生エクスブレイン・dn0001)は小さく吐息を零した。
     狐の悪いイメージばかりが心に根付き、不安を煽れば更なる不安を引き寄せる。余所の町から嫁いできた者や若者たちは、おきつ様の話を聞いてもよからぬ事ばかりを想像し、「そうした方が面白い」「ずっと恐ろしい」と悪者へと仕立てあげてゆく。
     それがただの想像の範囲内であれば、まだ良かっただろうが、今回は都市伝説としてのおきつ様が、実際に現れてしまった。
    「皆さんには、次の宵祭が始まる前に、この都市伝説を――偽物のおきつ様を灼滅してもらいたいのです」

     おきつ様は体長二メートルほどの巨体の白狐の姿をしているらしい。赤い隈取に絢爛な装飾を施した、美しい獣だと。
    「場所は神社の本殿を回り込んだ裏手にある、ご神木の前です。こちらには小さな鳥居がありまして、おきつ様を慕う方々はそちらを参拝されるようです」
     ご神木の横には注連縄を巻かれたさざれ石が置かれ、左手で触れると無病息災などのご利益が得られると言われているが、それを知って敢えて右手で触れると、おきつ様に化かされ狂わされる――とも言われているらしい。
    「敵を誘き出すには、そちらのさざれ石を利用すると良いかもしれません。おきつ様を怖れる心、あるいは挑発の意思を見せる事も有効かと」
     ご神木とさざれ石の背後は林になっており、右手には東門が、左手にはお手洗いの建物があるので、身を潜めるならばそれらを活用してもらいたい。
    「敵は狐火を操ったり、自前の牙や五本の尾を使っての攻撃を仕掛けて来るようです。くれぐれもお気を付け下さい」
     姫子はそっと低頭すると、灼滅者達が無事に戻られますように、と祈りを込めた。
    「偽物のおきつ様による犠牲者はまだおりません。どうか皆さん、灼滅をお願いいたします」


    参加者
    姫神・巳桜(イロコイ・d00107)
    帆波・優陽(深き森に差す一条の木漏れ日・d01872)
    ティルメア・エスパーダ(カラドリウスの雛・d16209)
    月居・巴(ムーンチャイルド・d17082)
    浅巳・灯乃人(スターダスト・d26451)
    月夜野・噤(夜空暗唱数え歌・d27644)
    秋茜・夜湖(魔女の針・d33371)
    白川・雪緒(白雪姫もとい市松人形・d33515)

    ■リプレイ

    ●宵闇に紛れる
     お囃子が聞こえる。
     まるで一枚、薄い膜を張ったように不透明で、けれど腹の底を揺さぶる活気に溢れた音色だった。
    (「おつき様ではなく「おきつ様」かぁ。「お狐様」が省略されてそう呼ばれるようになったのかしら?」)
     お手洗いで両手を洗浄していた帆波・優陽(深き森に差す一条の木漏れ日・d01872)は、ふとそんな事を思いつき、胸の内で誰に宛てるでもなく問いかける。
     都市伝説とはいえ神様との邂逅。手を洗ってきちんと清潔にしておかなければ。水でよくすすぎ、ハンカチで手を拭った彼女は、お手洗いを出るとその建物の影に身を寄せ、小さく吐息する。
    「狐は狡猾なイメージをもたれやすいけれど、知恵を持ち生きている者なら多少は狡猾になるのは不思議ではないもの」
    「皆に親しまれてた存在が一変して恐れられる対象になるなんて、何だかかわいそうだよね」
     先に身をひそめていた浅巳・灯乃人(スターダスト・d26451)が、ハンズフリーのライトを片手に相槌を打った時、ちょうど己の直線状でティルメア・エスパーダ(カラドリウスの雛・d16209)がサウンドシャッターを使用する姿を見つけた。どうやら月居・巴(ムーンチャイルド・d17082)と共に東門傍の林に隠れるようだ。
    「畏敬の念や、いとおしく思う人の心は具現化しやすいと聞いたことがあるけれど、まさに今回はそのものだね。怖れおののき厭う人の念が、こうして都市伝説として実体化してしまったものなのだろう」
     今にも溶けてしまいそうな昏い色合いをした背広を纏い、仮面の下で紡ぐ言葉に、ティルメアは柔らかな微笑を浮かべたまま小さく頷いた。
    (「悪い神様って思われちゃったら、おつき様も信じてる人も可哀想だよね? そんな噂がもっと広がっちゃわないよう頑張らなきゃ…」)
     今はなりを潜める蒼穹のように透き通る水色の瞳を細め、秋茜・夜湖(魔女の針・d33371)は懐中電灯を身体に固定するべく、てきぱきと手を動かしていれば、林の向こう側から誰かの話し声が聞こえて、ハッと短く息を呑む。
     咄嗟に身を小さくして茂みの隙間から盗み見ると、闇の中でぽっかりと浮かぶ、おかっぱ頭の少女の顔が見えて、腰が抜けそうになった。
     しかし、よくよく見ればそれは白川・雪緒(白雪姫もとい市松人形・d33515)ではないか。耳を澄ませば彼女が何ぞ語りかけている。どうやら雪緒、百物語を語るついでとして、いや演出として顔の下からライトアップという恐ろしげな事をしているようだ。
     仲間たちがやってきたことに安堵したのも束の間、彼女たちが目的の場所へと到達したことに気が付くと、辺りにピリリとした緊張感が走ったのを感じ、潜伏する五人はそっと息を詰めた。

    ●誘い歌
    「なぁに、そんな話を信じているの?」
     おきつ様の話題になった時だった。二人より一歩前を歩いていた姫神・巳桜(イロコイ・d00107)は彼女たちを振り返り、その顔に艶やかな笑みを浮かべて笑う。
    「所詮は単なる噂でしょう」
     その言葉に、ピクリと頭上の『耳』を震わせた月夜野・噤(夜空暗唱数え歌・d27644)は、巳桜の奥に屹立するご神木と、その脇に置かれた注連縄飾りを施されたさざれ石を見つけ、歩みを止める。
     こくり。細い喉が鳴ったのは、はたして誰のものだったのか。
     巳桜、雪緒、噤の三人はさざれ石の前で横並びに立つと、そろりと目配せをし合った。エクスブレインの話によれば、左手で触れれば無病息災、右手で触れれば――。
    (「おっきな狐さんはやく見たいです。強くて賢くて、しかも綺麗な獣……是非とも欲しい!」)
     うずうずする心を何とか宥めすかし、緩みそうになる唇を引き結ぶ雪緒は、一度呼吸を整えると両脇に立つ二人へと視線を巡らせた。
     そうして三人は、そっと右手を差し出すと、そのごつごつした岩肌に宛がったのだ。
    (「モフモフこいこい、もふらせて下さいな」)
    (「おきつ様、おきつ様…」)
     胸の内で雪緒と噤が祈りを込める。
     その姿を横目に盗み見た巳桜は、己のピンク色の髪が闇の中でふわりと舞い上がったことに気が付き、そっとさざれ石から手を放すと背後を顧みた。
    「っ……」
     その獣は、闇の中でもはっきりと分かるほど、神々しい純白の色を備え持っていた。目元や口元に赤い隈取が施され、華美な装飾に身を包んだ、巨大な獣。
     様子に気が付きあとから振り返った二人も、視線が縫いとめられたように見つめている。
     ――さぁ、おきつ様の、お出ましだ。
     巳桜は咄嗟に照明を高く持ち上げ、ゆるゆると左右に振った。その不可思議な仕草に、獣の首が僅かに傾ぐ。けれど。
    「うふふ、狐のくせにまんまと人間に化かされたわね」
     こーん、と反対の手で狐の形を作って笑った巳桜の言葉は、しっかりと伝わったようだ。その五本の気高く美しい尾が、一斉にピンと真っ直ぐに伸びたのを見、彼女は唇にゆるく弧を描いた。

    ●演舞
     物陰から真っ先に飛び出したのは、おそらく片腕を異形巨大化させた巴だった。しかし、自分よりワンテンポ遅れて手洗い場から駆け出した優陽が、狐の尻尾に抱き着いたのを見て、思わず踏みとどまるしかなかったのだ。
     だが、獣の喉が威嚇の音を発し、優陽を弾き飛ばそうとしたのを見れば、遠慮も要らぬ。再び駆けだした巴は、獣の死角になっている方向から飛び掛かると狐の背へと渾身の一撃を叩き付けた。
     その凄まじい威力に、細い双眸をカッと見開き勢い良く振り返った獣は、牙を剥き出しに激情を叫ぶ。
    「人に危害を加えられる前に、灼滅してしまうとしよう。化かし合戦と行こうじゃないか、おきつ様」
     鮮やかな足取りで、狐から距離を取った巴は、道化のように笑い翻弄する。
    「これがおきつ様…の都市伝説…!」
     その隙に噤がワイドガードを前衛たちに展開したところで、
    「わあっ、とっても綺麗な狐さん」
     ウイングキャットを呼び出した灯乃人が、闇夜を切り裂くような炎を纏いグラインドファイアの一撃を死角から鼻っ面に蹴りこんでやれば、獣の瞳が、ギロリと彼女を睨めつける。そのあまりの凄みに、一瞬息を呑んだ灯乃人。
    「この着物でキックってちょっとやりにくいんだから、避けちゃダメだよ」
     だが、その間に割って入るように、夜湖がスターゲイザーの飛び蹴りを脇腹に繰り出せば、うまく気が逸れたらしい。牙を剥き出した獣の口が、彼女の肩口へ深くめり込んだ。
     うっ、と痛みで呻く夜湖が、何とかその場に踏みとどまった時、ティルメアから射出されたレイザースラストと優陽のレーヴァテインが連続ヒット。そこへ巳桜から繰り出されたジグザグスラッシュも加わり、方々から放たれる攻撃に獣はぐるぐると頭があっちへこっちへ、てんてこ舞い。
     その隙にダメージを喰らった夜湖へと雪緒がラビリンスアーマーにて回復と防御に当たれば、獣の眉間に肉球パンチが炸裂したところであった。
    「自を誇るのは素晴らしい。けれども、他を認めなければ、いずれ敵だらけになってしまうよ」
     ぽぽぽぽぽ、と狐火を灯した獣を見、仮面の下でゆるく微笑んだ巴はその拳にオーラを集束させながら問い掛ける。しかしこの獣、人語は発しないらしい。言葉を解しているのかすら分からない。
     それでも――。
     ぶわり、闇夜の中で妖しく光る炎を持って仕掛けてくるならば、それに向き合うしかあるまい。巴はタンッ、と軽やかな足取りで地を蹴ると、己目掛けて襲い掛かる狐火が四肢を焦がすように燃え盛るのも厭わず真っ直ぐに突っ込み、その懐に向かって閃光百裂拳の連打を繰り出した。
     大ダメージを喰らった狐は、苦しげな呻き声を上げてぐらり、と巨体を倒れかけさせたものの、すんでのところで踏みとどまるではないか。踏ん張った前足がドシン、と大地を揺らす。
     何があっても倒れまいとするその気高い眼差しと、迫力を前に、ティルメアは思わず、と言った風に呟いた。
    「きれいな狐さんだね、まるで本当に神様みたいだ」
     その言葉におきつ様の片目がスイ、と吊りあがる。本人としては、「まるで本当に」ではなく「本物の神様」のつもりなのだから、その言葉は、不服だったのだろう。
     その様子に口元に笑みを湛えたままのティルメアは、橙色の瞳を僅かに細めると、顔に掛かる銀色の髪をそっと耳にかけ、言った。
    「君のせいで人の笑顔がなくなっちゃうのは嫌だからね、倒させてもらうよ」
     言うが早いか、彼が契約の指輪から魔法弾を放つと、そこへ灯乃人の縛霊撃が折り重なりる。
    「こんなに綺麗だと倒すのが惜しい気もするけど……悪さをする狐さんはだめだよ」
     さらに巳桜のディーヴァズメロディも加わり、敵に休む暇を与えない。
    「幼馴染の家が神社だから、何だか馴染み深い場所だわ。おきつ様かぁ…本当にいるのなら素敵だと思うけれどね。でも人を襲う偽者はノーサンキューよ」
     耳に滑り込んできたウィスパーボイスの美しさが分かるのか、獣はどこか切なげに喉を鳴らして、五本の尾をバラバラに揺らして踏みとどまる。まだ余力はありそうだ、隙を与えぬ構えで掛かれば、敵の目も回せる勢いを、失うわけにはいかない。
    「まだまだ負けない…です!」
     噤が駆ける夜湖にソーサルガーダーのシールドを張れば、夜湖がにこりと微笑み、そのまま一気に駆け抜ける。
    「お祭りの前にはやっぱり花火も必要だよね?」
     グラインドファイアの炎を纏い、狐火にも負けぬその焔を込めた蹴りで獣の喉を蹴り上げれば、そこへ優陽のスターゲイザーも加わり、狐が痛みで鳴き声を突き上げた。
     よもや人の身に痛手を負うとは思わなかったのだろう、都市伝説とは言えその身に宿る心は神といった所だろうか。自身が偽物とも知らぬのは、少々憐れではあったが、しかし灼滅者たちに手加減の文字はない。
     雪緒は時期を見定めつつ、攻撃を喰らった仲間たちへの回復を優先し、その時を今か今かと胸を高鳴らせる。
     ウィングキャットの猫魔法で目が眩んだのか、ぐっと身を小さくした狐は、しかしすっくと背筋を伸ばすとその巨大な体躯に相応しいふさりとした尾を引き締めると、前衛たちに向かって、空気を裂くような鋭さを持って薙いだ。
     まるで熱が走ったような攻撃に、思わず顔が歪む。けれど荒い呼吸をする敵をみれば、あちらもまた追い込まれていることが一目瞭然。乱れた吐息に、上下する背。
    「あらあら、お疲れかしら?」
     くすりと笑った巳桜が鬼神変を振りかぶると、おきつ様はふざけるなとばかりに牙を剥き、襲い掛かる。
     しかし、その一撃を避ける力は無かったのか、真正面から喰らってしまった獣は、死角に回り込んだ巴と灯乃人の黒死斬によって、両の前足を地に突く事となってしまい、一瞬の事で驚きの色を見せた隙に、今度は夜湖のオーラキャノンが命中したことで、ついに顎を突っ伏してしまうこととなったのだ。
     その姿を見た雪緒は、小さな体を翻し踊るような足つきで地を蹴ると――。
    「ふふ、痛いですか? さあ、いま楽にしてあげますからね」
     小柄な躯体には到底似合わぬその異形な片腕。見開かれた瞳に映るは、喜色満面に微笑む少女と、鬼神変。ギリ、と牙を食いしばり最後のその瞬間も決して諦めない獣であったが、しかし。
     ズゥン、と足の裏から脳天まで貫くような激しい揺さぶりをかける一撃に、獣は絶えることが出来なかった。

    ●宵祭
    「うふふふふ……可愛い子、わたくしのものになりなさい?」
     ひゅるひゅると掠れた吐息を繰り返す獣の前に立ち、雪緒は微笑んだ。獣は暫く悔しそうな色を滲ませて彼女を睨みつけていたが、ほどなくフッと息が切れたように瞼を下す。
     するとその身体が、宵闇の中で踊る灯篭の明かりに溶けるようにきらきらとした粒となって、雪緒へと吸収されていった。どうやら、うまくいったようだ。
    「調教してモフるのが楽しみです」
     満足げに笑うその姿を見、ほっと息をつく。
    「おきつ様…いるのでしょうか。神社を、人を守ってはくれるのでしょうか」
     その姿を見ていた噤は、ご神木の方を振り仰ぐと独り言のように呟いた。居ると良い。そうして人々の願いを叶えてあげていると、もっと良い。
    「ところで左手で触れたら無病息災という噂、本当なのかしら」
     さざれ石の元へと歩みよった巳桜は、少し逡巡したあと、左手でぺたりと触れてみた。ごつごつした感触を味わっていると、またふわりと風が吹く。
     視線を持ち上げてみれば、隣に優陽が居た。どうやら今のは彼女の風のようだ。
     おきつ様の御霊が天へと還り、悪い噂が風に乗って溶けて消えゆく事を願いつつ放った風は、一息つくティルメアと巴の間を吹き抜け、
    「この後お祭りなのよね? ちょっと参加してきちゃうね。ほら…えーっと、おつき様の誤解を解いて、また出てこないようにしておかないとダメだから」
     と灯乃人に告げてそそくさと背を向ける夜湖を追い抜いて、虚空へと突き抜けていった。
     お囃子が、聞こえる。
     今はただ、楽しげに。愉快に笑っている。

    作者:四季乃 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年10月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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