炎を引き連れ、獣は進軍す

■リプレイ

●
　夜の森は、静寂に満ちていた。せいぜい聞こえるのは、風の音やそれが揺らす木々のこすれる音程度。これほど深い森には、本来はありえない事だった。
「生き物が、息を潜めているのね」
　近衛・朱海（煉驤・d04234）の呟きが、正解だ。ただただ進むだけの巨獣は、決して身を隠そうともしなければ警戒などしない。それだけの強さがあるからだ、だからこそ、他の生き物が目を付けられぬようにと息を潜めるのだ。
「そういえば、見た目は角の生えた熊なんだったか。鬼熊って妖怪はいるけど、あっちは角生えてないんだよねえ」
　こちらに向かってきているだろう巨獣の姿を思い、篁・凜（紅き煉獄の刃・d00970）が言う。そこに緊張はない、辻凪・示天（彼方の深淵・d31404）もまた自然体のまま口を開いた。
「イフリートの形態は緋色の熊……か。体長6mという事は、現存する最大級の熊より二回りは巨体だな。まぁそれでもダークネスにしては常識的な形状か」
　そんな会話の最中にも、遠くから足音が響いてくる。ズシン、ズシン、という規則正しい振動音。そして、まだ遠くだというのに闇を赤く照らすゆらめきを視認出来た。
「あんな物騒な獣を街に行かせるわけにはいかないよね」
　密かに深呼吸を一つ、伊庭・昴（天趣奈落・d18671）が言い捨てる。そう言っている間にも、木々の間からその巨体が窺えた。
　体長は六メートルほど。その見た目は、緋色の熊だ。額部分に伸びるのは、一本の捩れた黒い角――まさに、歩く災害という威圧感だった。
（「重圧に負けない様に、街の人達が危険な目に合わない様に――」）
　己に言い聞かせるように、カーティス・シュルツ（中学生デモノイドヒューマン・d17058）はイフリートの威容を見詰める。意識を向けられる、それだけで息が詰まりそうになる――それは岩や車と言った無機物とはまったく違う、生物ならではの重圧感だった。
（「ただの移動でさえも被害が出る……どうしても相容れられぬものなのだろうか」）
　護り手とは何なのか？　それに悩むクレンド・シュヴァリエ（ワールドオブシールド・d32295）にとってイフリートとの戦いさえ逡巡するものがある。しかし、背後に守らなければいけない命があるのもまた確かだ。
「炎獣の力は容易く色々なものを奪ってしまう。あの時、俺の家族が奪われた時みたいに。だから、ここで食い止める」
　ギシリ、と硬く握り拳を作り、椎葉・武流（ファイアフォージャー・d08137）は言い放つ。
「もう誰にもあんな思いさせるかよ！」
「――長期戦はこちらが不利だ。短期決戦で片を付ける。気合を入れろよ」
　身構える仲間達へ、九条院・那月（暁光・d08299）が告げる。命ある災害が、その背の火柱を更に熱く燃やし二本足で立ち上がった。体長は六メートル、二本足で立てばその頭は二階建ての一軒家に等しい高さがある。
『オ、オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ！！』
　ズシン、と腹の底にまで響く重低音の咆哮。イフリートは、その口から視界を赤く染め上げる炎の瀑布を吐き出した。

●
　バニシングフレアの炎が、灼滅者達を飲み込む。
「巨獣の進撃、正面から止めてやりましょう――否、止めるに留まらず黄泉路に送る。それが私の灼滅者としての意義ね」
　その炎の中を飛び出したのは、朱海だ。霊犬である無銘の浄霊眼を受けながら刀纏旭光を振り上げる勢いで跳躍、そのまま緋色の炎をまとってイフリートへとスターゲイザーの跳び蹴りを放った。
　ドォ！　と重圧が、地面を揺るがす。しかし、構わずイフリートは四足に戻ると駆け出した。
「っと、小揺るぎもしないわね」
　タタン、と羽のような軽さで朱海は着地する。その間にも、数メートル単位でイフリートは進んでいる。実在の熊は、その巨体でも時速４０キロの速度を誇るという――これは、人間の金メダリストよりも速いのだ。イフリートであれば、その加速はなおの事だった。
　しかし、灼滅者達も一般人とは比べ物にならない身体能力を持っている。それに、すかさず対処可能だ。
「アンサラー」
　示天の指示に、機械的に反応してライドキャリバーのアンサラーが反応する。加速を得たアンサラーが、イフリートと激突――イフリートの速度が一瞬緩んだその時を、示天は見逃さずゼログラムフェザーを抜き夜霧を展開させた。
『ガ――』
「こっちだよ」
　ズサァ！　と死角から滑り込んだ昴が刀を抜刀、切り上げの斬撃でイフリートの後ろ足を捉える。斬られ、イフリートは反射的に振り返った。それを確認して、昴は夜霧に隠れて後退する。
（「木の密集地帯へと誘い込めば――」）
　タン、タタン、と背後の気配を呼んで、昴は左右にステップを刻む。昴なら抜けられる木々の間も、イフリートの巨体ではそうはいかなかった。イフリートの速度が落ちたそこへ、カーティスがふわふわの天然パーマとリボンを揺らしながら跳躍する。
「ここだね」
　タタン、と木の幹を足場に、カーティスは舞いウロボロスブレイドを振るった。ジャガガガガガガガガガガガガガガガガガ！　と蛇腹の刃は命を宿したかのごとく唸り、縦横無尽にイフリートの背を切り裂く！
『ガ、アアアアアアアアアッ！！』
「おっと」
　それにイフリートはゴォン！　と背中の炎を滾らせ牽制、カーティスは目の前の木の枝を足場に下に加速、その炎を逃れた。
　直後、ガクンとイフリートが膝を揺らす。低く低く、森の中を駆け抜けた霊犬のいぬが斬魔刀で斬りつけたのだ。
「そこか」
　木々の向こうから、いぬの気配を察知して那月が契約の指輪を嵌めた手を突き出す。ドン！　と放たれた魔法弾はほんのわずかな隙間を精密に抜いて、イフリートを穿った。
「ぉ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお！！」
　イフリートが、弾けたように見上げる。そうさせる気迫が、想いが、こもった声だった。全速力で駆け、跳躍――落下の勢いを得た武流のスターゲイザーの蹴りが、イフリートの顔面を捉える！
『オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ！！』
　それに、イフリートが重圧を受けながら前に出た。それは野性の本能か、それとも破壊と殺戮の衝動からか、武流の気迫に飲まれてはならないと察したからだ。全体重を乗せて蹴り込んだはずの自分が、逆に押される――その力強さに、武流は息を飲む。
「……ッ！」
　しかし、押し切る前にそこに駆け込む者がいた――凜だ。
「我は刃！　闇を払い、魔を滅ぼす、一振りの剣なり！！」
　真紅のコートをひるがえした凜の姿をイフリートは視界の端で捉え、そして見失う。光源の中で鮮やかな真紅だったからこそそれに目を奪われ、凜が死角へ緩急をつけて滑り込むのを追えなかったのだ。
　零距離から、逆手に構えた煉刃・熾天で凜はイフリートの足を斬る。度重なる足止め、それに動きを鈍らせたイフリートへクレンドとビハインドのプリューヌが同時に駆け込んだ。
「悪いが人間様を傷つけるダークネスには消えてもらおう」
　クレンドの紅の不死贄が、プリューヌの白銀の盾が、同時にイフリートを打つ。イフリートは、その連撃を受けても揺れない――しかし、肉体はそうでも精神は違った。
『ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア！！』
　そこに込められた怒気を、クレンドは間近で感じる。災害に等しい存在の殺意が、一身に注がれる感覚に精神がヤスリで削られるような感覚を憶えた。
「来い」
　そこに飾る言葉など必要ない、それは過酷でもクレンドが選んだ守るために必要な状況だった。

●
　――生命の躍動とは、ある種あらゆる理屈を差し置いて人に感動をもたらす事がある。それは図鑑の写真やTVの画面越しには伝わらない、強い生命を間近で目にした時に感じるそれだ。
「……すごいな」
　武流の口から知らずに漏れたのは、イフリートへの賞賛の声だった。１１歳の頃にイフリートによって家族を奪われ、その心の傷は復讐を果たした今でも残っている――それは憎悪にも似た感情であり、自分と同じ者を出したくないという強迫観念にも似た使命感に繋がっていた。
　しかし、戦う者の本能は力への賞賛を忘れていないのだ。駆ける、吼える、滾る――その動きのひとつひとつに宿る力強さは、素直に感動を呼び起こすものだった。
　そして、それを覚悟した上でクレンドはその脅威を請け負っていた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ！！』
　プリューヌの霊障波にも構わず、イフリートが突進してくる。それをクレンドは森の木々を利用して結界糸を展開した。しかし、その身を傷つけ炎を吹き出しながらもイフリートの巨体は止まらない！
「中衛者を守れ」
　那月の指示に、いぬは青白い軌跡を残して疾走する。イフリートの角が地面に突き立てられ、クレンドを衝撃が襲うが――いぬが庇って代わりにそれを受けた。
「今の内に体勢を立て直せ」
　示天がすかさずダイダロスベルトを走らせいぬをラビリンスアーマーで包み、無銘が浄霊眼で回復させる。そして、後退するクレンドをいぬがその瞳で治癒させた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ』
　イフリートは、それでもなおクレンドを追う。その足元にアンサラーが機銃を掃射した。ガガガガガガガガガガガガガガガガ！　と砂煙を巻き上げ叩き込まれた銃弾の雨にイフリートの足が緩んだ刹那、朱海が間合いを詰めて朱漆の手甲で殴打する！
「炎をともに進軍するお前は炎によって焼き滅ぼされる、私がそうする。覚悟することね」
　チリチリ、と己の中で燃えるイフリートに対する憎悪と憤怒、負の感情はもはや朱海にとって反射と言って他ならない。それがイフリートの炎に判ぬするように、燃え上がっているのを感じずにはいられなかった。
「ぜぇぇぇあぁぁぁぁぁぁぁッ！！」
　死角から駆け込んだ凜が、斬魔・緋焔を横一閃に振り抜く。肉体ではなく魂を断つ一閃に、大きくイフリートがのけぞった。
「ここ――！」
　その間隙を見逃さず、昴は大上段の一撃でイフリートを大きく斬り裂く！　グラリ、とイフリートの巨体が揺らいだそこへ、カーティスは大きく跳躍。デモノイド寄生体によって作り出した砲門で、死の光線を放った。
「お願い！」
「おう！」
　カーティスの声を受けて、武流が疾走――その戦う意志を光へと変えたヴァリアブルファングを巨大な刃に振り回した。イフリートの巨体が、宙を浮く。しかし、その巨体が空中でグリンと回転すると体勢を立て直して着地に成功した。
　ズズン……、という地響き。その巨体からは想像も出来なかった身のこなしだった。
「熊ではなく、イフリートだ。驚くほどのものではない」
「それが正解のようだ」
　その光景をあるがままに受け入れた示天に、那月は微苦笑。ジャッジメントレイの光を叩き込みながら、森を駆け抜けていく。
「クレンド君大丈夫かな？」
「少なくとも、今はまだな」
　クレンドを気遣うカーティスの言葉に、那月は端的に答えた。イフリートの攻撃を一身に引き受ける――それは、実際に無謀と言ってもよかった試みだろう。
　しかし、その試みは一定以上の成果があった。クレンド一人が被害を引き受ける、という事はそれだけ他の者が己の役目に集中出来る、という事だ。そして、クレンド自身も集中砲火を受けるための準備を整え、周囲からのフォローがあった。
　運もあった、それでも運の領域にまで到達出来たのはその創意工夫の周囲の協力があったからこそだ。
「……ふぅ」
　クレンドが、呼吸を整える。そこへ、イフリートは無数の獣の幻影――百鬼夜行を放った。耐え切れず、クレンドは凌駕へと追い込まれる。紙一重で堪えた、そう思った瞬間だ。
「まだだよ！」
　その切羽詰ったカーティスの声に、クレンドは気付く。イフリートの周囲に浮かぶ、炎の弾丸の群れ――再行動による、ブレイジングバーストに。
　その爆炎を秘めた銃弾の雨は、無慈悲に放たれた。受ければ耐え切れるはずもない――その、はずだった。
「それを、待っていた！」
　ダブルジャンプでクレンドは跳躍、炎の弾丸をかわしていく。このサイキック、それに対応する事を念頭に用意していた――だからこその、回避だ。クレンドの結界糸がすかさず放たれ、プリューヌの渾身の一撃がイフリートを打った。
『グ、ガ――』
「余り動き回らないでね」
　ジャラララララ！　と、カーティスがウロボロスブレイドでイフリートを絡め取る。そのまま森の中を駆け抜けるカーティスに、イフリートの動きが止まった瞬間、いぬと無銘が駆けイフリートの左右の前脚をそれぞれ刃で切り裂いた。
「繋ぐぞ」
「ええ、任せて」
　そこへ、すかさず那月と朱海が駆け込んだ。那月の影がイフリートを縛り付けた瞬間、朱海の大上段から放った炎を宿した刀纏旭光の一閃がイフリートを斬った。どぶ、と散った血が、炎となって散っていく――そこに昴が近接、居合いの斬撃を繰り出した。
「十万億土の途先へ……案内仕る！！」
　ザン！　と深々とイフリートを昴の居合いが斬り裂く。だが、構わずにイフリートが前へ出た。それに昴は、反応しない。する必要がない、と仲間達の動きから知っていたからだ。
「させ――るかあああ！！」
　戦う意志を炎がごときオーラに変えて、武流の両の拳による連打がイフリートを打つ。一つ、二つ、三つ――打ち込む度に加速する連打が、前脚を振り上げようとしていたイフリートの体勢を崩して、アンサラーがそこに突撃した。
「終わりだ」
　そして、上空から示天のスターゲイザーがイフリートの背を捉える。度重なる身動きを封じるサイキックにイフリートの巨体が軋んだ刹那、炎の翼を広げ、凜が正面から斬りかかった。
「煉獄の刃よ、その妄執を……灼き砕けッ！！」
　放たれたのは、紅蓮の劫火に彩られた大太刀による渾身の一閃――凜のレーヴァテインが、止めとなった。
「君達の最期に、花を」
　振り返り、凜が薔薇を捧げる。イフリートは、内側から爆ぜるように火柱となって、一瞬で掻き消えていった……。

●
「お疲れさん！」
　武流の労いの言葉に、仲間達が大きな息をこぼす。
「大丈夫？」
「ああ、大丈夫だ」
「そう」
　問いかけに迷わず答えるクレンドに、カーティスはほっと安堵の笑みを見せた。
「無事、終わったね」
　昴も、ようやく肩の力を抜く。最後まで、初めての依頼の緊張を押し隠しての戦いだったのだ。だからこそ、やり遂げた達成感も強かった。
「長いは無用だな、帰るか」
　いぬを撫でて労っていた那月が、そう立ち上がる。いぬも納得いくまで撫でてもらって満足げに尻尾を一振りした。
「強かったぜ、あんた」
　武流は、一言素直な賞賛を残す。それは斃した炎獣にも弔いの言葉であり、嘘偽りのない想いだった……。

作者：波多野志郎	重傷：なし 死亡：なし 闇堕ち：なし
種類： 公開：2015年10月15日 難度：普通 参加：8人 結果：成功！
得票：格好よかった 2／感動した 0／素敵だった 0／キャラが大事にされていた 0
あなたが購入した「複数ピンナップ（複数バトルピンナップ）」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。