輝きを奪いに

    作者:鏑木凛

     行く手を遮る緑を掻き分け、少年は山を駆けていた。
     月明かりが照らした姿は、破れた胴着に汚れた素足。走りながらも忙しなく周囲を見回し、警戒している。耳に障る羽音が降ってきたのは、その直後だ。
    「はぁ、っは……しつこい奴だ、ほんと!」
     息を整える暇もなく、足を止めて構えた。襲い来る巨大な影へ、拳に宿した雷で殴りかかるが、軽く避けられてしまう。思わず零した舌打ちも、浴びた粘液に絡めとられる。
     痛みを堪えた少年の瞳が、敵をはっきりと映した。
     奇妙な仮面、蛾を彷彿とさせる翅――嫌でも目に付く、トランプのクラブを示すスート。
    「諦めない……オレは、諦めないからな!」
     眼前の影に対してではなく、虚空へ向けて少年が吼えた。
     そして翠の瞳で見据え、鍛え抜いた拳で羽虫を打つ。しかし。
    「ッが、ァ!?」
     羽音が生んだ衝撃波は、少年の身を地面へ叩きつけた。
     そのまま少年に覆い被さった羽虫は、彼を抱えて夜空高く舞い上がる。
     輝きがひとつ、深い闇へ沈むように消えていった。
     
    「ベヘリタスがアンブレイカブルから羽化する事件が続いたのは、知ってるよね?」
     狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)が確認するように問う。
    「アンブレイカブルの身を蟲が食い破るという、悍ましい事件か!」
     答えた丹波・途風(高校生人狼・dn0231)に、周りの灼滅者も深く頷いた。
     その事件に絡んだアンブレイカブルの行方が、四津辺・捨六(伏魔・d05578)ら灼滅者たちの追跡により判明したと、睦は話を続ける。
    「アンブレイカブルは山の中を移動してるよ。日本海の北側へ向かって」
     そのアンブレイカブルを近い未来、羽虫型ベヘリタスが襲う。
    「羽虫型のベヘリタスが成長したんだよ。それも3mぐらいに」
     成長し、更に強敵となった羽虫。ただでさえアンブレイカブルは疲弊した状態だ。このままでは呆気なく連れ去られてしまう。
     勢いよく挙手をした丹波・途風(高校生人狼・dn0231)が、問いを投げる。
    「なにゆえ連れ去るのか! やはり苗床として再度利用しようと……!?」
    「恐らくは、ね」
     睦は短く答えた。
     傍から見ればダークネス同士の争いだ。一般人の被害も無い。
     だが頻発しているベヘリタスの動きを放ってはおけず、またアンブレイカブルが軍艦島の勢力に合流するのであれば、今のうちに灼滅した方が良い可能性もある。
     どう判断し、どう動くかは、灼滅者たちの考え次第だ。
    「襲われるアンブレイカブルは、輝翠(きすい)という少年なんだ」
     彼は先日、武蔵坂の灼滅者の動きにより、命を救われた。
     戦いになれば、鋼鉄拳と抗雷撃、閃光百裂拳を使用するが、逃走を最優先としているため、積極的に襲ってはこない。灼滅者が、敵対する意思を彼に示さない限りは。
    「弱っているからね、彼は。倒すとしても、皆が苦戦することはないはずだよ」
     ベヘリタスが来る前に輝翠を倒せば、標的を失ったベヘリタスは現れない。この場合、アンブレイカブルを灼滅するだけでなく、卵を植え付けられるのを阻止できる。
     また、輝翠を助ける形で羽虫の灼滅を試みると、輝翠は戦闘中に逃走してしまう。
     成功率が最も高いのは、羽虫が輝翠を倒した後、灼滅者の手で羽虫を撃破する方針だ。
     少々苦労するものの、二者をまとめて相手にする作戦も可能だろう。
    「羽虫型ベヘリタスも1体しか来ないよ。でも前より、だいぶ強くなってる」
     衝撃波は近くの列へ放たれ、苦痛だけでなくアンチヒールを付与する。
     吐く粘液は、痛みと同時に毒で侵す。単体にしか当たらないが、後衛にも届く技だ。
     そしてもう一つ。ブラックフォームに酷似した技も用いる。
    「……皆には予め、戦場になる場所で潜んでもらうよ」
     輝翠とベヘリタスが接触する場所に、先回りする形だ。
     戦場は、獣道が伸びるだけの山奥。木々や茂みばかりで身を隠すのに適している。
     急勾配になっているが、灼滅者やダークネスなら、足を滑らせる心配も無い。
     ただし、と睦は声の調子を強めた。
    「罠や仕掛けを施したりせず、下手に音も出さないで潜伏していてね」
     誰かが待ち受けている、或いは何か仕掛けられていると勘付いた輝翠が、戦場となるはずの場所へ近付かなくなってしまうためだ。
     
    「……羽虫型ベヘリタスの成長」
     睦は、そこで一度言葉を切った。
    「ベヘリタス勢力が強大化したのかな。嫌な予感しかしないね」
     灼滅者たちにとっても、気になるのはそこだけではない。
     格闘家アンブレイカブルの師、業大老。
     彼の引き上げ回収を、軍艦島のダークネスが試みているという情報もあった。
    「軍艦島に業大老、そしてアンブレイカブルか! 気になるところだな!」
     途風の言葉に、睦も頷く――考えることは多い。だからこそやれることを。
     やがて彼女は灼滅者の顔をひとりひとり確認し、穏やかな声で見送った。
     いってらっしゃいと、いつものように。


    参加者
    九条・雷(アキレス・d01046)
    奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)
    秋津・千穂(カリン・d02870)
    刻野・晶(大学生サウンドソルジャー・d02884)
    詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)
    結城・桐人(静かなる律動・d03367)
    桃野・実(水蓮鬼・d03786)
    深草・水鳥(眠り鳥・d20122)

    ■リプレイ


     陽射しを浴びて煌めいていた緑も、太陽が寝静まった時間帯には、圧し掛かるような色を帯びる。
     暗い緑を掻き分けて、胴着姿の少年が山を駆けていた。彼は追ってきた羽音に気付くと、息も荒いままに振り返る。
    「しつこい奴だ、ほんと!」
     徹底抗戦の構えを示した瞬間、少年を彩り豊かな光が包み込む。あまりの眩さに目元を隠し、聞こえた衝撃音にそろりと瞼を押し上げた。
     そこに居たのは、草臥れた蒼鷹を纏う少女。
    「はァい、二度目まして?」
     見知った顔――九条・雷(アキレス・d01046)からの挨拶に、少年は目を丸くする。
    「まーた襲われてんのね、モテモテじゃない?」
    「こっ、こんなのにモテたくないっ!」
     言い返す余裕が彼にもあるらしい。雷はくすりと笑った。
     言葉が交わされる間にも、木上に潜んでいた桃野・実(水蓮鬼・d03786)が、枝を蹴っていた。霊犬のクロ助が、ベヘリタスの腹へ刃を入れると同時、実は重力任せの蹴りをベヘリタスの背中へ叩きつけ、確かな踏み心地に満足げな顔で着地する。
     驚きで固まる少年へ、 あの人から伝言、と後方で戦場の明るさを補強していた彩瑠・さくらえを、実が目線で示す。
    「最後まであきらめるな、って」
     息を呑んだ少年へ、今度は深草・水鳥(眠り鳥・d20122)が優しさを添えた。おどおどしながらも、懸命に声を絞り出す。
    「……敵じゃない……回復、します……」
     声をかけた水鳥の唇が囁いたのは、天使を思わせる歌。
     癒しが齎される傍ら、詩夜・沙月(紅華の守護者・d03124)は、此処は私達に任せてください、と一言告げて、氷柱で羽虫を貫く。
     連携は止まない。飛び出した結城・桐人(静かなる律動・d03367)が、己の武器とも呼べる鋭い目つきを更に細め、ベヘリタスを睨み付けた。
     ――俺自身、彼との縁は無い。だが。
     断罪の刃が闇夜を切り裂く。
     ――彼を救った仲間たちの努力を、無駄にはしない。
     桐人が振るった刃は、羽虫の胴を傷つけた。苦しげにもがいた羽虫が、抗うかのように粘液を吐き出す。だが狙ったのは桐人ではなく、追い続けた少年ただひとり。灼滅者に見向きもせず飛んだ粘液は、しかし彼を覆うことはなかった。
    「暫く振りね、輝翠くん」
     腕に纏わりつく粘液を払いながら、秋津・千穂(カリン・d02870)が挨拶を向ける。
     そして流星の煌めきを連れて飛び蹴りを喰らわせた後、千穂は少年――輝翠を後ろ手に庇い後退った。怪訝そうに輝翠が眉根を寄せる。
    「お節介な奴らだな、ほんと。なんで二度も」
    「なんでって、御縁があったのだもの」
     千穂は返答に笑みを含んだ。霊犬の塩豆が敵へ斬りかかる間に、続きを紡ぐ。
    「何時か戦うなら、尋常に勝負したいじゃない?」
     珈琲色の眼差しが振り向けば、輝翠がぐっと呼気を呑み込むのに気づいた。
    「夜分遅くに失礼致します」
     連なる勢いの中、丁寧に挨拶をしたのは奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)だ。垂直に振り下ろした斬撃が、重く影蟲へ襲い掛かる。
    「先日の残党を討ちに参りました」
     そう告げた烏芥に倣い一礼したビハインドの揺籃は、霊撃で蟲を押す。
     死の力を刃へ宿し、刻野・晶(大学生サウンドソルジャー・d02884)はビハインドの仮面と共に一撃を与えながら輝翠へ尋ねた。
    「北を目指しているようだが、どこへ?」
     解らない、と輝翠は小さく唸り北の方角を顎で指す。
    「とにかく行かなきゃならないんだ、あっちに」
     丹波・途風(高校生人狼・dn0231)とライドキャリバーの霞色が攻撃を繋げる間に、晶はもうひとつ気がかりだった問いを投げる。
    「大老を覚えているか?」
    「大老?」
     まるで初めて聞いたと言わんばかりの声で、輝翠が名を繰り返す。
    「誰だ? なあ、覚えてるか、ってどういう……」
     沙月の影が鋭い刃と化し、羽虫を切り裂く。そのままの流れで、沙月は輝翠へペットボトルを投げ渡した。中身は餞別に。括りつけた手紙は、もしもの場合を想定して。
     輝翠は思わず、オマエら文が好きだな、と安らかな息を零して懐をぎゅっと握る。
     そんな彼の様子に、ベヘリタスを殴ったばかりの千穂が小さく笑った。
    「烏芥くんの果たし状を持っていったの、知ってるわー」
     千穂の言葉に、受けたモノは無下にしない、と輝翠は迷わず応える。
     退路を確保する貴夏・葉月が、そこで彼へ声をかけた。
    「シン・ライリー……という方を、ご存知ですか?」
     輝翠は当然のように頷く。
     シン・ライリーの絆が奪われたと予測している者は多く、生じた影響を葉月も知りたかった。だが、絆を奪われたとしても、その後に会っていれば、知っていてもおかしくないだろう。
     息を整えた輝翠と、さくらえの視線が重なる。
    「絆は……繋がりの糸は、灼滅者も人もダークネスも関係ないって思うから……」
    「絆とかむず痒くてよく解らないけど」
     話を遮った輝翠が、己の胸を叩く。
    「オマエらから受けたモノはここにあるし、諦めるつもりもないから」
     彼の意志に、僕も諦めない、とさくらえは頬を緩めた。
     灼滅者たちに囲い込まれているのに、ベヘリタスは輝翠へ詰め寄ろうとする。烏芥が身を挺して阻止すると、苛立ったかのようにベヘリタスが衝撃波を放つ。
     苦痛を受けとめる灼滅者たちの姿を、輝翠は後退りしながらじっと見つめていた。
     そんな彼へ、反撃の合間に烏芥が頼みごとを向ける。
    「業大老……貴方の師にお伝え頂きたいことがあります」
     師という単語に一度は首を傾いだ輝翠だが、意外にも素直に話の先を促した。
    「獄魔覇獄の様な大戦を開始する場合、一般市民を巻き込まない形で行うようにと」
     情勢について説明する時間は無い。何より、独り逃げていた彼の状況などを鑑みれば、話したところで混乱させるだけだろう。
     灼滅者たちは、それを理解していた。だからこそ向ける言葉を絞って伝える。
    「此方が万全に闘える場を用意するならば、強力な相手と決闘も可能でしょう」
    「上の奴に言っといてよ。その首掻っ捌きに行くから丁寧に洗っておいてねって」
     烏芥に続いて、炎を纏う足で応戦していた雷も、口角を上げて伝言を口にする。一字一句聞き逃すまいとばかりに耳を傾けていた輝翠が、深々と頷く。
     アンブレイカブルと戦うのは好きだと続けたのは、実だ。白光を散らした斬撃で羽虫を押し返した実は、感情豊かな瞳に輝翠を映す。
    「……いつかこの虫も倒そう。難しい相手なら、俺達も手伝う」
     実の話が終わる頃、片腕を巨大化させて羽虫を殴りつけていた桐人が、唇を揺らした。
    「求めるのが真の強さ……なら、不本意、だろう」
     せっかく鍛えた身体を、あんな虫に利用されるのは。
     ゆっくり静かに響く桐人の言に、まったくだ、と輝翠の口端が笑みを刷く。だから桐人も言葉を続けた。
    「今は退き、万全に……戦える日を」
     羽虫の面は、未だ輝翠へ向いている。
     反撃を止めずに灼滅者たちは動き続けた。仲間を想いつつ機会も逃さない。決意に充ちた彼らの緊張を、羽虫だけでなく輝翠も肌身で感じていた。
     灼滅者たちの強さを目の当たりにしてきた。心情に伴う行動で伝えてきた灼滅者たちの言葉が、形が、温もりがそこにはある――だから。
    「……闘いたいな、ほんと」
     名と同じ色の瞳を和らげて、輝翠はそう呟いた。そして胴着を手早く整え、すっと頭を下げると、受け取ったすべてを確りと抱えて駆け出す。
     追いかけようとするのは当然ベヘリタスだ。晶は咄嗟に仮面を呼ぶ。
    「進路を塞ぎなさい」
     仮面の一撃が、奇妙な翅へ叩きつけられた。
     直後、歪な存在が浮かぶ戦場を、神秘的な歌声が漂う。水鳥のものだ。白く細い喉から溢れた歌が、ベヘリタスを惑わせる。
    「さ、始めましょ?」
     千穂が巨大な羽虫へ挑発し、塩豆が高らかと鳴いた。遥かなる高みを鳴き声が貫く。
     触発されたかのように、蟲の羽音が禍々しく鳴った。


     浮かんだクラブのスートがベヘリタスの傷を癒し、力を招く。
     接触時に撒いた物以外に、各々が装着或いは携帯した灯りもあってか、辺りは夜とは思えぬほど明るい。しかし影とも呼ばれる異形の存在は、眩さの中だからこそ不気味さを際立たせていた。
     くっきりと映る輪郭。芋虫のようなからだ。非日常そのものとも言える姿。
    「相変わらずグロい見た目ェ」
     何度対峙しても拭えない情を、笑みを絶やさず雷が口にする。そして仕掛けたのは、両手に集わせた気。
     放出した気に叩かれ、僅かに均衡を崩した羽虫めがけて、次に動いたのは実だ。地とローラーの摩擦が高らかに鳴る。散った火花が炎となって弧を描く。蹴り上げ、間近で見た羽虫は、自身の背より遥かに大きく、しかし怯むという選択肢は無かった。
     ――こいつは……ここでやらなあかんきん。
     実の想いを掬い、クロ助も攻める。軽やかに着地したクロ助を歯牙にもかけず、ベヘリタスは遠くを見据えたまま羽ばたきを止めない。
     まだ追うつもりなのだろうか。可能性を確実に潰すべく、沙月は冷気を纏う刀を構えた。
     ――あの時、全て倒しきれていれば……。
     悔やみが彼女の中に残る。振り切るように夜へ翳した白き光は、雪のようにはらりと影を斬る。迷いも悩みも、残された後悔でさえ、流麗な一太刀を揮う力となって。
     そこへ、耳に障る羽音を掻き消すように、桐人が魔力の光線を撃ちだした。防護をも射抜く光に、ベヘリタスが身を捩る。
     ――ベヘリタスに利用される、なんて結末。
     光に乗せて桐人が否定したのは、救った命が迎えるはずだった末路。抗える力があることを桐人自身もよく知っている。そんな結末は迎させはしないと、静かなる律動が胸で刻まれていく。
     蟲の懐へ飛び込んだ千穂は、クロスグレイブを用いた格闘術を繰り出した。
    「お邪魔虫には退散して頂かないと!」
     千穂に呼応して鳴いた塩豆が、六文銭射撃で応戦する。
     不意にベヘリタスの金の面が、灼滅者を捉えた。今まで彼方を気にしていた面が、漸く。
     機を逃すまいと、烏芥が得物に影を宿した。
    「随分と、御立派に成長されたものですね」
     影には影を。打ち付けた武器から伝った影が、羽虫へと喰らいつく。重ねて、揺籃は霊撃で翅を折らせた。蟲の巨体が揺れる。
     何か話せはしないのだろうか。予てより抱いていた疑問を、晶は蟲へとぶつけてみる――捉えた者を、何処へ連れて行くつもりだったのか。ベヘリタスは、声にこそ反応したものの、やはり返事を持たない。
     喋ったら喋ったで不気味だな、と晶は肩を竦め、代わりに歌を綴る。伝説の歌姫を連想させる歌だが、ベヘリタスは聞く耳も持たなかった。
     続けざまに、晶と瓜二つの姿をした仮面が霊障波をぶつける。
     鷺を模る影が、足元で羽を伸ばしていた。水鳥の持つ影は、主を守るように佇み、その間に水鳥が風を召喚する。
     ――羽虫は……いやなもの……。
     緊張が指先に走り、それでも招く風は止めない。穢れを浄化していく風は、そっと仲間たちを包み込む。
     吹き抜ける優しい風が仲間を癒す中、突撃した霞色と並んで、途風が炎を宿した蹴りで羽虫を一蹴する。
     突然、羽音が轟く。騒々しく奏でられた旋律は、決して心を穏やかにするものではなかった。生まれた衝撃波が、前衛陣へと襲い掛かる。すぐさま、支援に徹していたさくらえと葉月が癒しの術を施す。
     ベヘリタスはまだ、弱っている素振りを、微塵も見せてはくれない。


    「どっちかって言えばあたし、アンブレびいきなのよね」
     かぶりを振った雷の言葉は、羽虫の芯へ狙い定めながら呟かれた。低く身を沈めた直後に跳ね、彼女の名と同じ雷光を纏った拳で殴打する。仰け反りつつも悲鳴すらあげない影の蟲に、可愛くないのね、と雷は目を細めた。
     そこへ、螺旋のごとき捻りを加えた槍先が突き出される。浜姫の名を冠する槍で抉ったまま、実が羽虫をねめつける。
    「……芋虫に戻してやるよ」
     奪った絆を吐かせて。
     主の囁きにクロ助が続く。斬魔刀はしかし易々と回避され、間髪入れずに沙月が影で作った触手を放った。
    「しつこい者は嫌われる。そう習わなかったのですか?」
     影へ向ける微笑みに慈悲は無い。
     絡みつく影を鬱陶しげに引きずり、ベヘリタスは粘液を噴射する。どろりとした毒液は、一直線に水鳥へと放たれた。両腕で身を抱くように構えた水鳥の前へ、千穂が飛び出して毒液から少女を庇う。護り手としての意地を見せた彼女に、水鳥があたふたと頭を下げた。
     阻害されて気が立ったのか、激しく身を揺らしたベヘリタスに、桐人が断罪の刃で追い討ちをかける。
     塩豆の浄霊眼による癒しを背に、千穂は炎が尾を引く蹴り技で蟲を打つ。
     とん、と木を蹴り跳ね上がったのは烏芥だ。衝撃に舞った葉が、彼とベヘリタスの境界線を刻む。揺籃の霊障波に意識を寄せるベヘリタスの背へ飛び、真っ直ぐに振り下ろしたのは断ち切るための斬撃。
     狼狽える羽虫を前に、晶が情熱を篭めた踊りを披露した。
     ――さすがに、ダークネスといえども蟲の苗床になるのは哀れだ。
     歌う態勢を整える晶の傍で、仮面の霊撃が蟲を叩く。
     蟲。その見目を直視するのは、水鳥にとって少々勇気が要ることだった。自由に姿を変えられるシャドウで、この風貌は。
    「早く……消えて、下さい」
     祈るように唇を震わせた後、彼女が呼び起こしたのは天上の歌声による癒しで。
     途風が片腕を半獣化させて、力任せに影を裂く。そこへ霞色が機銃掃討を放つと、ベヘリタスは躊躇いなくクラブのスートを具現化した。生命力が充ち、威力を高めるために。
     治癒を得たばかりの蟲の死角へと、雷が回り込む。
    「ダークネスに来世なんてあるんなら、次はもうちょい素敵に生まれてきてね」
     片目を瞑りそう告げると、雷は目にも止まらぬ速さで羽虫を斬る。翅を傷つけられても尚、ベヘリタスは怯まない。
     ならばと今度は実が、重力任せの飛び蹴りを叩きこんだ。機動力を奪われたベヘリタスの巨躯が、少しばかり重そうに動いた。矢継ぎ早、クロ助がその巨体へ飛びかかり、沙月が氷柱へと変換した槍の妖気を射出する。
    「槍は妹の方が得意ですが、私も多少は嗜んでおりますよ……!」
     凍てつく矛に貫かれたベヘリタスの面が、睨み付けるように沙月を見遣った。
     ベヘリタスが自身を癒し、攻撃力を上昇させることを、桐人は重々承知している。だからこそ、相手の行為を無に帰すための技を用いてきた。今回もそう。サイキックを否定する桐人の光芒によって、再びベヘリタスは高めた力を喪失する。
     手数は灼滅者側が圧倒的に上。しかも相手は回復の術を有し、治療手の立ち位置を守っている。
     灼滅者たちにはひとつの考えがあった。
     ――回復に手を取られれば御の字ね。負ける気がしないわ。
     笑みを浮かべた千穂が殴りかかり、霊力を放射した。霊力にベヘリタスが縛られる間に、塩豆が仲間を癒すために駆け回る。
     ――蛾は嫌いではありませんよ。寧ろ……。
     武器へ這わせた影を翳し、烏芥が咥内で呟く。揺籃の霊撃が翅を削ぐのに合わせて、重々しい一撃を叩きこんだ。
    「……しかし次はありません」
     クラブの紋様がくっきりと写る宿敵の翅を、迷い無き影で狩った。
     ふらつくベヘリタスを次に囲ったのは無数の刃だ。空間より召喚された刃は、晶の指示に応じて蟲へと切りかかる。ふと浮かんだ疑問を押し込み、晶は顎へ手を添えた。
     ――灼滅者には、彼の『絆を奪う力』は効かないのだろうか?
     過ぎる謎を抱えた晶の前で、ビハインドの仮面が霊障波で蟲へ一手を仕掛けた。
     力強く立つために、仲間たちの身に積み重なっていた痛みを、水鳥が拭い去っていく。優しく、穏やかな風で。
     雷が掌へ集中させたオーラを発射した。一直線に走った輝きに次いで、実が槍を突き出す。羽虫を穿つための矛はしかし避けられた。
     だが回避した先で構えていた桐人が、ベヘリタスの胴を大鎌による死へと誘う刃で断つ。嫌悪を宿した彼の瞳は、滾る情のままに赤々と影を射貫く。
     立ち昇る陽炎のように、沙月が影業を伸ばした。
    「仕留めましょう。今度こそ」
     鋭利な切っ先が、戦場に注がれている灯りに照らされて突き進む。
     鈍く唸る羽音を撒き散らすベヘリタスの生は、影に秘めた覚悟で破られた。


     戦いを終えた灼滅者たちは、身に着けていた照明を次第に潜めていく。
     散った照明をさくらえと葉月が回収し、跡形もなく走り去ってしまった輝翠の行く末を実が案じた。回復を受けたとはいえ、既に消耗していた。無事を祈るように、そっと瞼を伏せる。
     野戦に適した装いで訪れていた水鳥が、足元に注意を払いつつ、夜空を仰ぐ。戦場の明るさに押されていた月明かりが蘇ってきた。じきに普段の暗さを取り戻すだろう。
     目が闇に慣れるまでの僅かな時間、晶は耳を澄ませた。羽音はもう聞こえない。もちろん輝翠の足音も。
     ――何がどう繋がるか判らない。袖が触れ合ったような細い縁でも、ね。
     縁を大切にしたいものだと、細く息を吐いた。
     恐怖で錯乱していた以前の輝翠を想起し、烏芥は微かに瞳を揺らす。異なる姿を見せてくれた少年の面影が、まだ脳裏に残る。
     ――それでこそ、アナタですよ。
     いずれまた会う日が来る。そう彼は、彼らは信じた。
     巡る糸のように繋いでいく縁を、絆と呼ぶのなら。
     それを喰らう蟲を葬った彼らが、紡ぎ守ったものもまた、絆なのだから。

    作者:鏑木凛 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年10月25日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 9/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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