分からないこと

    作者:灰紫黄

     昼過ぎの中学校。休憩がてら、彼女はタバコを吸うために学校の敷地から出ようとした。
    「世の中って、本当に分からないことだらけよね」
     それは女教師・日崎の口癖なのだが、今日はいつにも増して不可解だ。学校の敷地が透明の壁のようなもので覆われていて、外に出ることができないのだから。
    「世の中って分からないことだらけよね」
     もう一度呟いて、にやりと笑う。
     脳裏に浮かぶのは、血と肉と骨による盛大なパーティ。数日前から、会う人すべてを殺したくてたまらなかった。それが何故かは分からない。けれど、殺せば納得できるのだと、本能が訴える。
     今なら全員を殺すことができる。そう直感して、日崎はタバコに手を伸ばした。

     灼滅者の調査により、新たな密室が確認された。密室内部での虐殺を阻止するため、口日・目(高校生エクスブレイン・dn0077)は灼滅者を教室に集めた。
    「今度の密室は、アツシのものといくつか違う点があるわ。おそらく別の密室殺人気が絡んでる」
     今回の密室は、闇堕ちしたばかりか、闇堕ちしかけの六六六人衆を閉じ込めるように展開されている。中に封じられた六六六人衆は同じく閉じ込められた一般人を虐殺することになる。また、密室は外から入ることは容易で、エクスブレインの予知も通常通り行える。
    「今回、闇堕ちしたのは日崎・利子。二十代半ばの理科教員ね。勤務先の中学校で殺戮を引き起こすわ」
     神経質で、険の強い美人。そんな雰囲気の女だ。
     密室は中学校を囲むようになっている。このままでは、内部の人間は皆殺しだろう。
    「みんなが介入するときには、日崎は裏門でタバコを吸ってるわ。本当は校内禁煙なんだけど、もう気にすることはないでしょうね」
     日崎は殺人鬼と怪談蝋燭のものに似たサイキックを使う。闇堕ちしたばかりで序列はないが、油断していい相手ではない。
    「敗北を悟れば逃げる……ことはできないけど、戦闘を放棄してできるだけ多くの人々を道ずれにしようとするわ」
     ただ戦闘するだけなら、裏門付近なら支障はない。だが、追い詰めれば追い詰めるほど、逃走しようとする危険は高まる。
    「だから、逃げる間もないほど一気に畳みかけるか、逃げられないように包囲するか、ね」
     とはいえ、相手はダークネス。簡単な包囲では突破される可能性もある。いずれにせよ、戦い方が重要だ。
    「誰が何をしたいのかは知らないけど、殺戮を見過ごすわけにはいかないわ。頼んだわよ」
     目はそう説明を終えた。新たな陰謀の兆しかもしれない。だが、それも先の密室と同じように灼滅者が打ち砕くと信じていた。


    参加者
    黒鐘・蓮司(グリムリーパー・d02213)
    神楽・慧瑠(戦迅の藍晶石・d02616)
    太治・陽己(薄暮を行く・d09343)
    炎谷・キラト(群青アンチノミア・d17777)
    九条・御調(ジェリクルを探して・d20996)
    不破・九朗(ムーンチャイルド・d31314)
    東堂・時雨(悠久に降りしきる雨・d32225)
    山桜・芽衣(コーヒーウルフ・d35751)

    ■リプレイ

    ●禁煙の箱
     六六六人衆による殺戮を阻止するため、灼滅者は正門から密室へと侵入した。いや、侵入という表現が正しいかは分からない。何せ、今回の密室は入るならどこからでも可能なのだ。代わりに、外へはどこからも出られない。明らかにアツシの密室とは異なる特徴だった。
    (「密室……か」)
     心中で独り言ちる黒鐘・蓮司(グリムリーパー・d02213)。アツシを倒し、松戸を密室から解放することはできた。だが、今回の事件は新たな密室殺人気の出現を予感させる。
    (「前にもこんなことがあったな……」)
     太治・陽己(薄暮を行く・d09343)の脳裏に蘇るのは、縫村委員会の惨劇。あれもまた、六六六人の素質を持つ者を囲う檻だった。
     灼滅者は人目を避け、裏門へ回る。幸い一般人と遭遇することはなく、首尾よく移動することができた。
    「世の中って分からないことだらけよね」
     女が目を細め、タバコに火を点けようとした瞬間、灼滅者はその前に躍り出た。
    「それは同意しよう。でも、それを分かろうとするのが、人間なんじゃないかな? もっとも……悪魔にもそういうの居るけどね」
     黒鉄の蛇腹剣を構え、苦笑する不破・九朗(ムーンチャイルド・d31314)。とはいえ、人に比べれば、悪魔のそれはあまりにも邪悪だが。
    「既に堕ちてしまわれた方でございますね。やむを得ません。ここで灼滅させていただきます」
     神楽・慧瑠(戦迅の藍晶石・d02616)の紫の瞳が日崎を射抜く。姿形は人間だが、放たれる殺気はすでに人外のもの。もはや救えぬのは明らかであり、なれば情け容赦は要らぬ。
    「あなた達、この学校の生徒じゃないわね。ということは、外からは入れるのかしら?」
     煙を輪っかに吐き出して、笑みを浮かべる日崎。余裕が感じられる仕草であり、妙に画になっていた。
    「ご想像にお任せします。答える道理もありませんしね」
     問いを、東堂・時雨(悠久に降りしきる雨・d32225)は切って捨てた。家族を殺した六六六人衆と同族、まともに相手にしてやろうとは思えなかった。
    「お仕事中には見えませんが……どうです、簡単には殺せない相手の方が楽しくありませんか?」
    「まだ殺してないからどっちが楽しいか分からないけど……あなた達だって簡単に殺せちゃうかもよ?」
     九条・御調(ジェリクルを探して・d20996)と日崎、二人の視線がぶつかり合う。両方とも笑顔で、両方とも敵意に満ちていた。灼滅者とダークネスというより、挑発し合う女の戦いだ。
    「立ち話もなんだしな。そろそろ始めようぜ」
     鋼の大剣を担ぎ、炎谷・キラト(群青アンチノミア・d17777)が言った。今回は犠牲を出さずに止めてみせる。覚悟が、逸る気持ちが、顔どころか全身から表れていた。
    「そうだね。じゃあ……一撃で倒れてね」
     飲み干した缶コーヒーを宙に放り投げ、山桜・芽衣(コーヒーウルフ・d35751)はナイフから毒の風を巻き起こす。芳ばしい匂いは吹き飛び、代わりに錆の臭いがした。
     戦端は拓かれた。結末までは、まだ分からない。

    ●白衣の殺人者
     毒の風は裏門ごと日崎を巻き込むかに見えたが、しかし彼女はすでにそこにはいなかった。白衣を翻し、攻撃をかわす。
    「一撃? ごめんなさい、もしかしてギャグだった?」
     くすりと笑んだ。困った生徒を見るような目を灼滅者に向ける。
    「ギャグかどーか、これで確かめれば?」
     蓮司の意思持つ帯がぴんと伸び、矢となって日崎を狙う。皮膚が裂け、赤い血が飛ぶが、何の感想も抱かなかった。大分前に、そういう回路は停止してしまっていた。
    「……君はもう君じゃないって、気付いてる?」
     それは意味のない問いだった。もう戻らないなら、敵に向ける感情は全て感傷だ。それでも、口を突いて出た。余計な思考を振り払うように、九朗は魔力の矢を形成、蛇腹剣の切っ先から放つ。
    「ふぅん。よく分からないけど、なんとなく分かるわ。今の私、化け物なんでしょう?」
     普通の人間に、こんな力はない。日崎もそれは理解していた。ライターから火花が迸り、中衛へと飛ぶ。小さな火の粉ではあったが、超常の力を持たぬ人間など一瞬で消し炭にしてしまうだろう。
    「させん」
     射線を遮り、陽己は己の身を挺して仲間を庇う。血の臭いと肉が焦げる臭いが鼻を突くが、顔色ひとつ変えない。肉を裂かれ骨を断たれようとも、最後に立っていればよいのだから。殺し合いとはそういうものだ。
    「降り注げ」
     御調は右手を天に向け、そして振り下ろす。同時に瞬くは悪しきを滅し、善を救う裁きの光。傷を癒やし、出血を止める。さらに傷から燃え上がる赤い炎も消し止めた。敵を攻撃するのと同じく、仲間を癒すことも重要だ。
    「この状況は気になりますが、あなたに興味はありません。早く消えてください」
     絶対零度の声音で、時雨が言った。上着に仕込んだ無数のペンナイフを手に持てるだけ持ち、獣の爪のごとく振るう。宿敵を殺すことが、家族と引き換えにこの手に残った意味だった。
    「なるほど。あなた達は私より弱い。でも、数でそれを埋めているのね」
     闇堕ちしたばかりの日崎は、まだダークネスと灼滅者の関係は分かっていないらしい。だが、知識の空白を埋めるのが楽しいらしく、口元には笑みが浮かんでいた。殺気を手にまとい、文字通りの手刀に変えて振り抜く。
    「っ、やらせねえ!!」
     誰よりも早く、キラトが動いた。斬撃を受け、斜め一文字に鮮血が噴き出す。ダメージは大きい。けれど、その眼に宿った意思は露ほども鈍ることはない。むしろ誰も犠牲にはせぬと、激しく燃え盛る。
    「確実に倒す」
     芽衣のエアシューズが加速、さらに跳躍。足を覆う星の光は白い炎に映し出されてその数を増やし、流星ならぬ流星群となって敵を打ち付ける。のしかかる重力が動きを鈍らせた。その隙を、慧瑠が穿つ。
    「残念でございますが、わたくしどもがいる限り貴方様の思い通りには参りませんよ」
     瀟洒な黒いリボンが、手にした扇子の動きに合わせて蠢き、白衣を貫いた。新たな密室殺人気が何を企んでいるか知らないが、まずは目の前の敵を倒さねば何も始まらない。あえて思考を斬り、全神経を集中させる。
     日崎を傷付け、追いつめるたび、灼滅者も緊張の度合いを増していく。

    ●燃えがら
     日崎は六六六人衆ではあるが、闇堕ちしたばかりでその実力はまだ序列に並ぶほどではない。回復手段を持たないこともあって、戦闘は有利に進んでいた。
     だが同時に、日崎は不利を悟れば戦闘を放棄して一般人を巻き添えにする危険性があった。それに対し、灼滅者は密室の壁を使うことで人数以上の包囲を築いていた。けれど、逃走を確実に阻止できる手段はない。本当に効果があるかは、その時になってみないと分からない。
    「……あなた達もしかして強い? それとも私が弱いの?」
     荒く息を吐きながら、問う。単体の能力なら日崎が圧倒している。だが、それだけでは勝敗は決まらないのだ。積み重ねられた状態異常が動きを縛り、体力を漸次に奪っていく。
    「さぁ、基準がなければ答えかねますが……『強くなった』。それだけは確かでございます」
     扇子で口元を隠しながら、慧瑠は笑みを浮かべた。黒いそれではなく、矜持に胸を張って。ダークネスとの本格的な戦いが始まって数年、灼滅者は強くなった。そしてこれからも強くなる、と。
    「そう、やっぱり若いっていいわね。教師ってホント思い知らされるわ」
     自嘲気味に呟くのは本心であろう。だが、もう彼女は教師ではない。人を見れば殺さずにはいられない、殺人衝動の塊だ。
    「でも……これで終わりよ!」
     包囲の隙を見付けられなかった日崎は、強引に突破しようとした。陽己がそれを阻む。白衣の腕が腹を貫通するが、両脚に力を込めてそこに踏み止まる。ここで逃がせば、全校生徒に魔の手が及ぶ。同じく殺人衝動を抱えるからこそ、それを許すわけにはいかない。零距離のまま、霊縛手の爪で抱くように切り裂く。
    「逃がしません、日崎先生……此処で、仕留めます」
     回復に徹していた御調も、ここで攻撃に転じる。夕方でもないのに足元から影が伸びて、黒い巨人となって地を這う。指の一本一本が浮き上がり、日崎の動きを絡めとった。
    「先生、僕の特別授業をくらえ!」
     芽衣のエアシューズが速度に伴って摩擦で炎を帯びた。白と赤、二色の炎が燃え盛り混じりあって、獣の牙となる。すれ違いざまに回し蹴りを叩き込み、半身を炎で包む。
    「くっ、放しなさい!」
    「そうか」
     ずぶり、と嫌な音がして腕が抜けた。咄嗟に距離を取るが、しかしそこも灼滅者の射程範囲でしかない。陽己と入れ替わりに、九朗が正面から斬りかかる。
    「君が誰かを殺す前に、僕らが君を殺す」
     炎を帯びた剣が生物のごとくしなり、敵をばりばりと引き裂いた。傷は刻まれるそばから焼け焦げ、血は一滴も出なかった。炎は燃え移り、残った半身も赤く染まっていく。
    「悪いけどさ、アンタを放っておくわけにはいかねーんだよ」
     とキラト。意思の強さを示すように、光剣が烈火のごとく猛り狂う。すぐ後ろには中学校のあって、中にはいつもと同じ日常を暮している人々がいる。守れる力がこの手にあるなら、使わない選択肢はない。
    「そろそろ観念しなって……もう、終わってんだからさ」
     バベルブレイカーが大気を吸い込み、加速させて吐き出す。弾き飛ばされるように加速、蓮司は日崎に肉薄した。その勢いのまま鉄塊をぶつけ、さらに引き金を引く。爆音とともに吐き出され、杭が白衣ごと打ち貫いた。
    「これで……終わりです!」
     時雨の手から鋼糸が伸び、日崎の全身を締め上げた。拘束を緩めることなく、力尽きるまで糸を握り続ける。指先に伝わる肉を斬る感触に、少し嫌悪を覚えた。
     日崎は炎に包まれたまま、末端から消滅していく。地に伏せ、四肢を失い、校舎を見上げ、ふっと笑んだ。
    「……まぁ、これでよかったのよね」
     やがて灰も残さず消滅。タバコの臭いがして、すぐに風に消された。

    ●熱は過ぎて
     六六六人衆は灼滅、一般人の被害もない。戦果としてはこれ以上のものはないだろう。
     常に有効だというわけではないが、壁を使った方位は間違っていなかっただろう。といっても、その壁ももうないが。
    「安らかに眠ってね、日崎先生」
     芽衣は日崎のいた場所に、ブラックの缶コーヒーを立ててやった。墓標代わりではないが、社会的に行方不明となった彼女が墓に入ることがあるかどうか。
    「……お疲れ様でした」
     仲間にそう言いながら、十字のチョーカーに触れる時雨。宿敵である六六六人衆を倒し、一般人を守ることができた。届かないとしても、亡き家族にそう報告する。
    「手がかりとか、やっぱねーか」
     周りを見渡すキラトであったが、それらしいものは見当たらない。というより、戦闘の痕跡しか見当たらない。
    「うーん、今はしゃーないね」
     気怠げな様子で、蓮司が答えた。授業中の中学校でうろつくわけにもいかない。今はこのまま立ち去るのが先決だろう。
    「そう、だな。騒ぎになってもまずい」
    「そんなすぐに動いたらあきませんよ……それにしても」
     平然としている陽己だが、腹の傷はすぐには塞がらない。少しふらついたところを、御調が支えてやる。
    「うん。今まで違う密室、だね」
     続く言葉に、苦労が頷く。今回の密室は、これまでものとは違う特徴を持っていた。新たな密室殺人鬼が起こした事件に思われた。
    「問題は、その目的でございましょうか」
     なぜ六六六人衆を閉じ込め、内部で殺戮を起こさせようとしたのか。密室殺人鬼を増やし戦力を増強する意図なのか、もっと別の思惑があるのか。いくつか考えが慧瑠の脳裏をよぎるが、どれも確信には至らない。
     これから何が起こるのか、あるいは起こらないのか、後ろ髪を引かれつつも、灼滅者は灼滅者は中学校を後にした。

    作者:灰紫黄 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年10月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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