花に嵐

    作者:来野

     とある丘の上。とある女子学園の学生寮には、見事な薔薇園が併設されていた。
     今、秋薔薇の咲き誇る一角から、楽しげに笑い交わす声が聞こえて来る。
    「お茶をどうぞ、お姉さま」
    「ありがとう」
     数人の少女たちがあずまやで茶会を楽しんでいる。中心となる一人は、ラブリンスター配下の淫魔だ。
    「髪に花びらが付いているわ」
     お気に入りの下級生たちに囲まれてご満悦の彼女は、一人の少女の髪へと手を伸ばす。
     と、その時だった。突風が巻き起こった。
    「いやあぁっ。なに?」
     花が散り、葉が騒ぐ。下級生たちは地へと叩き付けられたが、ダークネスである淫魔は何とか踏み止まった。
     何事と振り仰いだ顔へ、大きな影が落ちて来る。それは、不気味な虫の形をしていた。
     3m近くはあろうか。羽虫型ベヘリタスの襲来だった。
    「何ということかしら。ああ……ラ」
     ラ? ラ、何だっただろう。
     助けを求めようとしたのだ。名を呼ぼうとした。
     だが、呼べなかった。
     平穏で快い何かがそこにあるはずなのに、誰の元であったのかがわからない。
    「私は、一体……」
     当惑する淫魔の手首に、赤黒い糸が無数に絡みついた。
     
    「誘拐事件だ」
     石切・峻(大学生エクスブレイン・dn0153)の第一声は、それだった。
    「『宇宙服の少年』が、都内で路上ハグ会を開いていたラブリンスターを襲撃して絆を奪い、連れ去った。星野・えりな(スターライトエンジェル・d02158)さん達がいち早く気づいて行方を追ったが、羽虫型ベヘリタスに邪魔されて追いきれなかったらしい」
     更に、と話は続く。
    「ラブリンスターの配下の淫魔たちを羽虫型ベヘリタスが襲撃し、連れ去ろうとし始めている。絆を奪われて混乱しているところに乗じる形だ。皆、この襲撃を迎え撃ってくれないか。頼む」
     ダークネス同士の争いであって一般人を対象としたものではないが、ベヘリタスの行動を捨て置くわけにはいかない。ラブリンスターの行方が気になるのは確かとしても、まずはベヘリタスの迎撃が必要だろう。
     そう説明して、峻は両腕を広げた。
    「今回の羽虫は成長を遂げているようで、結構大きい。だいたい3m弱はある。その分、戦闘力も強力になっているので、気をつけてくれ」
     羽ばたきによる強風を巻き起こし、カマイタチを操り、糸を吐く。体当たりをかましてくる上に、自己回復の力もあるという。
    「一方、淫魔の方だが、名前は咲(さき)。戦闘力はそう高くないので、戦闘が始まったら場を任せて逃げるだろうと思われる」
     弱めとはいってもダークネスであるから、灼滅者に換算すれば三名分ほどの戦力は有している。
     告げてから峻は、少し考えた。
    「上手く説得ができれば共闘に持ち込めるかもしれない。そうすれば、楽に勝てそうだ」
     戦力は多いに越したことがない。
    「虫が次第に大きくなっているというのが、どうも不気味だな。ベヘリタス勢の戦力が非常に大きくなっているのかもしれない。ラブリンスターを拉致するくらいだ」
     峻は眉根を顰めてそう口にし、教室内へと向き直る。
    「どうか、この拉致事件を未然に防いで、羽虫を灼滅して欲しい。よろしくお願いします」
     そして、無事に帰って来てくれ。
     静かに締めくくる秋の午後だった。


    参加者
    勿忘・みをき(誓言の杭・d00125)
    久遠・翔(悲しい運命に抗う者・d00621)
    風宮・壱(ブザービーター・d00909)
    米田・空子(ご当地メイド・d02362)
    楯縫・梗花(なもなきもの・d02901)
    月見里・无凱(深遠揺蕩う銀翼の泡沫・d03837)
    炎導・淼(ー・d04945)
    東雲・悠(龍魂天志・d10024)

    ■リプレイ

    ●招待状を持たず
     秋の薔薇園にザンッと風が巻き、千切れた花と葉が吹雪く。
     鋭い棘を持つ小枝が、弾き飛ばされた少女たちのみならずダークネスの娘も、そして柵を乗り越え飛び込んだ灼滅者たちの肌をも無数に傷つけた。
     翅の生えた赤黒い虫は、間近で見ると見上げる大きさだ。明らかに成長を遂げている。
    「咲お姉さま、どうか後ろに」
     勿忘・みをき(誓言の杭・d00125)がWOKシールドで敵の攻撃を阻み、
    「下がってください! 細かい事情は後で説明しますが、この虫を先に迎撃します!」
     狙いを逸した赤黒い粘糸を、久遠・翔(悲しい運命に抗う者・d00621)が弾く。
     寸でのところで攻撃を逃れた淫魔の娘を炎導・淼(ー・d04945)が抱き止め、その場で位置を入れ替えた。
    「悪いなクソ虫、選手交代だ!」
     当惑著しい咲は、一、二歩後ろへとよろめく。
    「これは何の、騒ぎ……かしら」
     輪をかけて取り乱しているのは、倒れ伏した少女たちだ。
     シャドウとの間に割って入った者たちの背を眩しげに見て固まっている。
     巨大な虫は間違いなく恐ろしいが、男性も見慣れていない。気安く頼るのは、いかがなものか。
     そうした別方向の戸惑いが広がり始めていた。
    「びっくりさせてゴメンね」
     風宮・壱(ブザービーター・d00909)が穏やかな声を投げかける。この反応は予想の内だ。
     危険だから離れるようにと告げて少女たちを後ろに庇い、彼は問いかけた。
    「咲さんのこと好き? いなくなって欲しくないよね?」
    「それは……もちろん。あの、いなくなるって?」
     少女たちは、同性が理由であれば指示を受け入れやすい。それぞれに頷き、一塊になって身を起こす。
     それら人の心の複雑さを斟酌することなく、赤黒く不気味な虫が全身に毛羽立った風を纏った。全てを巻き込むつもりだ。
     楯縫・梗花(なもなきもの・d02901)が咲の前、東雲・悠(龍魂天志・d10024)が脇についた。守りは固い。
     片手で逆の腕を抱いき、淫魔は眉根を小さく動かす。灼滅者たちが自分を中心として布陣を展開していることに気付いたようだ。
     米田・空子(ご当地メイド・d02362)が白いエプロンをはためかせて、傍へと駆け寄る。
    「あの虫の狙いは咲お姉さまです」
     淫魔の疑問が氷解するのと、無数の風の刃が飛来するのとが同時だった。
    「……っあ!」
     逃げ惑う少女たちまでを背に回さざるを得ない。盾となった灼滅者たちに襲い掛かる凶刃は夥しかった。受け止めなければ、脆弱な者たちはあっという間に倒れてしまう。
    「総てを肯定し抗い続ける、Endless Waltz」
     二枚の盾の後ろから、槍を構えた月見里・无凱(深遠揺蕩う銀翼の泡沫・d03837)が駆け出す。
     それを目尻に確かめて、空子は再度、咲に向き直った。
    「勝てるかどうかわかりませんが、咲お姉さまは空子が守りますっ!」
    「あなたは……」
     もの言いたげにした淫魔の娘は、ふと少女の姿に眼差しを注ぐ。
     灼滅者の中の紅一点。明るく愛らしい姿の中に何かを探して瞳の焦点を揺らすが、喉元まで出掛かっている思いは形になってくれない。
    「……そう、ね。勝算は薄いわ」
     もどかしく細めた目を開くと、静かな声を放った。
    「逃げるべきよ」

    ●行く先はいずこか
     冷たく正しい判断を許しと受け取ったか、下級生の少女たちは一斉に駆け出した。
     なにゆえかその場を動かない咲へと、粘糸が飛んでくる。怒りの矛先を変えて受け止めたみをきが、大きく後ろへと押された。
    「……こ、れは」
     椅子に叩きつけられて息が詰まる。
    「厳しい戦いになるかもしれません。ですが、お姉さまには傷ひとつ付けないことをお約束いたします」
     倒れた椅子を飛び越した无凱の槍が、虚空を打つ糸を薙ぎ払った。羽虫はでっぷりとした体を持ち上げて彼を押しつぶそうと迫る。
     ぎりぎりのタイミングで壱が割り込んだ。地響きが全員の腹の底を震わせ、割れた茶器の欠片が跳ねる。
     翔の眼鏡のレンズが欠片に打たれて甲高い音を立てた。
    (「……絆奪った上に更に追撃か……クソッタレがっ!」)
     身を低めて虫の胸元に飛び込み、ぐるりと弧を描いて刃を振るう。敵はあまりにも大きい。大きく捻った刃がどこまでも沈むが、なかなか引き抜けない。
    「ギィ……ッ!」
     虫の方が苦痛を嫌がり後ろへと頭を振り上げた。その間隙を縫って主の頭から飛び立ったウイングキャット・寸が彼の盾となる位置に入る。
    (「絆を奪うか……心を殺すのと同じだな」)
     脇に回った淼は巨大な腕を振るって、虫のこれ以上の前進を食い止めようと縛霊撃の縛りを放つ。
    「理不尽な略奪は許さねぇ。たとえ相手が人じゃなくてもな」
     身動きが鈍った虫が粘液を吐いた。それが虚空で細く伸び、糸となって淫魔を目指す。
     槍を脇構えにした悠が咲の肩を肩で押し、地を蹴った。中空で粘糸の軌道と交差する。
    「何を企んでるのか知らねーけど、どうせロクでも無い事なんだろ」
     着地点は翅の根元。槍穂が唸り、左側の付け根を引き裂く。気性を表したかのような真っ直ぐな傷を刻み込んだ。
    「どんな栄養吸ってたらこんなに大きく成長するのか、俺にも教えて欲しいもんだ」
     大きく斜めに傾いた虫の逆の翅の付け根で、銀色の輝きが日差しを反射する。梗花の螺穿槍が唸りを上げて羽音を打ち消した。
    「彼女のためなら……!」
     まるで動こうとしない咲を眦に見て、梗花は眉根を曇らせる。
    (「誰かとの、平穏で快い、何か。もしも、そうしたものが奪われたとしたら……僕は、僕でいられるんだろうか?」)
     咲の顔は血の気も表情も失って白い。しかも、灼滅者たちの身が傷付くほどにその蒼白が増していく。
     羽虫が傷を癒し始めた。
     幾つかの攻撃が命中していたにも関わらず、その時間は瞬きほどの間だ。敵の底力は見た目そのままに大きい。
    「なぜ……」
     咲が薄く唇を震わせた。
    「逃げないの」
     近くにいる者だけが、やっと聞き取れるほどの声だった。
     おばかさん。
     唇は確かにそう動いた。だが、足は1ミリも動いていない。
     代わりに、虫がその身を動かした。
     あたかも固定砲台のように不動だったものが、ぐっと頭を下げて前に出る。攻撃を入れている灼滅者たちはそこに群がる形となってしまっていた。
    「風だ!」
     悠の声に空子が息を飲む。
    「白玉ちゃん」
     ナノナノにサポートを命じて、積み重なった仲間の負傷へと癒しを送る。エプロンのリボンが、メイド服の裾が大きくはためき、セイクリッドウインドの清かなそよぎが千切れた花を舞い上げた。
     間髪置かず、どんっという重たい衝撃を伴い突風が巻き起こる。
     癒えたと思った瞬間の強烈な痛み。骨を砕くような一撃は、身体のみならず望みを打ち砕きに来た。

    ●失くせないもの
     このまま行けばジリ貧は確実だ。
    「お姉さまのお力で、どうか俺たちを勝利に導いては下さいませんか?」
     仲間を庇い交渉を試みながらも、みをきの瞳は先輩である壱の方を気にしている。
     気にされている側はウィングキャットのきなこと位置を入れ替えていて、かつて虫を踏み潰したことのある猫は火花を散らしそうな勢いで毛を逆立てている。
     咲は首を傾けた。
    「お友達が大切?」
     たいせつ。もう一度、そう呟いて表情を失う。大切なもの。自分には無かっただろうか。
     やはり。そんな顔付きの梗花が、肘で地を押して身を起こす。
    「君の力があれば、僕たちはもっと、もっと、戦える」
     无凱が利き手を握って開き、動きを確かめて槍穂を虫へと向ける。赤いバンダナが自らの負傷で更に色を深めていた。
    「……ああ、やっぱり浮かばない。咲……あんたを逃がすのが最優先なのだが」
     視線を投げ、同時に妖冷弾の冷気を突っ込む。
    「一緒に戦ってくれた方が……心強い。この羽虫は今では無数にいる」
     淫魔の眉尻が跳ね上がった。こんなものが無数。気色の悪さにきりっと奥歯を噛む。
     おおよその手当てが済んだと見ると、空子は表情を引き締めた。前へと走る。壁となる位置を代わるつもりだ。メイドビームの用意をしている。
    「あなた」
     黙って見ていた咲が、目を丸くした。
     それをよそに淼が回復の補助を始める。ぎりぎりなのだ。手段を選んでいる暇はない。
     虫が全身に風を纏う。
     悠が影を操り、翔が焔を纏った刃を振るった。
     目に見えない刃が無数に襲い掛かってくる。頬も耳朶もずたずたに引き裂かれ、視界が赤く濁る。
     槍を構えて虫の喉元まで迫った无凱の眼前で、みをきのビハインドが力尽きて崩れた。
     だからと言って退くことはできない。その時だった。
     いい加減になさい。と、淫魔は言った。
     これ以上、美しいものたちが汚されるのを見過ごせない。
     いい加減になさい――
    「このっ、虫けら!!」
     思いのほかの罵倒を受けて、ぐんっ、と羽虫の頭が反り返った。そのまま一気に硬直し、口だけを開いて閉じる。
    「一体貴様の目的はなんだ?……タカト!」
     ヴンッと唸りを上げる无凱の槍が、間髪入れずに羽虫の喉元を貫く。彼の五本の指からは傷が消えていて、握りは万全だ。
    「ギ……ッ?!」
     虫はその生涯の最期に、絶望を教え込まれた。
     攻撃するはずの相手を癒してしまっていた。
    「イイイイイイッ!!」
     槍の穂が埋まり、柄が沈む。どこまでも、どこまでも。
     無念の絶叫と赤黒い塵芥が弾け飛び、灼滅者たちの身へと無数に降り注いだ。
     きなこが主の背からそっと窺っているが、虫の腹から這い出すものは何もない。
     駆除成功だった。

    ●花園の子ら
     彼らの約束は守られていた。咲の身に傷はない。
     溜息をついて花園を見回し、淫魔の娘はふと口許に手を当てる。激戦だったというのに花への被害が少ない。
     下級生の少女たちのみならず、この場まで守って戦っていたのか。
     それを知って眉根を小さく動かし、そっと眼差しを外した。手当てには手を貸さない。ぎりぎりで線を引こうとしているようだ。
     壱と梗花の礼を聞いて向き直り、じっと眼差しを注ぐ。長く黙っていた口を開いた。
    「逃げようと思っていたわ。だから礼には及ばないのよ」
    「武蔵坂学園の事は――」
    「あなたたちの学校でしょう。灼滅者さん」
     覚えているようだ。声に揺らぎはない。
    「また襲撃があるかもしれないから、どうか気をつけて」
     注意を促されて、咲は薄く唇を噛む。
    「常にこうは行かないのでしょうね」
     口惜しげだ。傍で聞いていた空子が首を捻った。
    「咲お姉さまは、どうしてラブリンさんのことを忘れてしまったんでしょう?」
    「私が、何を?」
     忘れているがゆえにわからない。途方に暮れる姿を見て翔が現状に関しての説明を加える。
     最後まで口を挟むことなく聞いて、咲は言った。
    「信じることは難しいけれど、疑う理由もなさそうだわ」
    「タカトさんが絆を奪ったのが原因みたいですけれど、空子達はラブリンさんのこと忘れてないですよね?」
    「そのようね」
    「絆の強さが関係してたりするんでしょうか?」
     メイド服の少女の問いに淫魔の娘は目を見張り、それからふっと笑んだ。
    「わからないけれど、少し妬けるわね」
     それらの会話を聞きながら、无凱は考え込む。
    (「ああ、そういえば……先日のアンブレも……妙なこと言っていたな……。シン・ライリーには、もはや増悪しかないと。奴は其の辺を重んじる武人のイメージがあったが、もしかしたら、既にシン・ライリーもタカトに喰われたか……?」)
     思案の姿を見て、咲は言葉を継いだ。
    「あなたたちは格別、情が深いのかしら」
     空白になった胸へと片手を当てる。ふと、悠が訊ねた。
    「絆を奪われてラブリンスターを忘れるなら、代わりに何か強く心に浮かぶことが出たりするのかな?」
     秋の風が薔薇の香りを連れて来る。それに気を取られたような顔で生垣を見つめ、ややしばらくしてから咲は答えた。
    「無力感と、もどかしさ」
     静かに瞬きをする。
    「まるで見捨てられたみたい。心細くて苛立つけれど、もしかしたら、酷いのは私の方?」
     問うともなしの口調でそう口にして、踏み出す。砕けた茶器の欠片が、かちり、と音を立てた。
     翔が片手を持ち上げる。
    「もしよかったら、武蔵坂学園に来ないか?」
     敵から狙われている女の子を放り出すなど、男としてどうなのか。
     内心のほどが声に出ていたかどうかは、わからない。ただ、咲は一度足を止めて振り返った。
    「とても、魅力的なお誘いね。心にしみるからこそ……恐ろしいわ」
     眉尻を下げて首を横に振る。
    「花園を守ってくれてありがとう。これは私のあなたたちへの借り」
     頭を下げて淫魔は去った。秋薔薇が香る。
     また、いつか。
     最後の言葉はそれだった。
     

    作者:来野 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年10月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 9/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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