――涼しくなってきた、秋の中頃。
とある露天風呂を持つ、温泉宿。
涼しくなってきたこの時期にこそ、温泉が反響するのは、ある種の必然。
そんな温泉宿の前に現れるのは、1人の青年。
名を、厚と言うらしい。
「そうか……此処か。此処にあるのか……伝説の美味い温泉饅頭が……!」
自らの心の中にある、強い想いに後押しされる様に、ゆっくりと温泉宿に足を踏み入れる厚。
そして、土産物屋で売られている温泉饅頭を早速購入し……パクリ、と一口。
瞬間、口の中に広がる香ばしく、かといってしつこすぎずの素晴らしい按配の温泉饅頭!
「おっ、オオ、オオオオオオオ! これこそ、これこそ俺の求めた伝説の温泉饅頭!」
1人その背にメラメラとした炎を浮かべるその男。
旅館のロビーにいた人々が、怪訝そうに、或いは目を合わせちゃいけません!
っ的な危険を感じ、サササッ、と、遠ざかるが……。
「この温泉饅頭があれば、俺はこの旅館を足に世界征服を成し遂げることが出来る! さぁ、皆もこの温泉饅頭様の前に、ひれ伏すのだ~!」
叫びと共に変身し、暴れ回り、近くにいる旅館の方々及び、温泉を楽しんでいる人々に温泉饅頭を投げ込み無理矢理食べさせようとする怪人の前に……人々の平穏は、容易く崩された。
「……偶には、のんびり温泉に浸かりたいです……」
「……そ、そうか……」
色々あってクタクタ、と言う様子の黒岩・いちご(ないしょのアーティスト・d10643)の疲れた様な溜息に、北条・優希斗(思索するエクスブレイン・dn0230)が同情の眼差しで、目を細めていちごを見ている。
そんな優希斗に、南条・愛華(お気楽ダンピール・dn0242) が唐突に後ろからベタリと飛びつき、優希斗は思わず盛大に前に転んだ。
「お~い、ゆ~くん! ほら、あれあれ、あの予測は?」
「……愛華……取り敢えず……下り……」
「あ……あの、大丈夫ですか? 優希斗さん」
いちごがポリポリと頬を掻きながら問いかける間に、愛華が優希斗の背から降り、溜息をつきながら立ち上がる、優希斗。
「うん……ああ、でも、今ので思い出した」
「えっ?」
優希斗の呟きに、いちごが目を瞬く。
「近い内に1つ事件が起きるらしい。そう……とある旅館で、温泉饅頭怪人が暴れ回るって言う事件だけど」
「温泉饅頭怪人……ですか……」
少し遠くを見る様な眼差しになるいちごに、優希斗が1つ頷く。
「まあ、こんな言い方もあれだけど、何かの縁と言うことで……いちご先輩、すまないが、灼滅して来て貰えないかな?」
優希斗の言葉に、いちごが、小さく首を縦に振った。
「温泉饅頭怪人は、何故か自らβと名乗っている。αはどうした、と突っ込みたいところだが、一先ずβらしい」
妙にβに拘りがあるな、等と思いつつ優希斗の説明に頷く、いちご。
「それで、その温泉饅頭怪人なんだけど……どうも、その温泉宿で売られている温泉饅頭があまりにも美味し過ぎて、それを人々に広める為に、無理矢理口の中に放り込んで食わせる、と言う中々大変なことをやってくれる様で」
「ああ……それは普通に迷惑になりますね」
いちごの相槌に、愛華も、いちごの傍に控えていたアリカもうんうんと首を縦に振る。
「うん。ちなみに、既にダークネスと化しているので、残念ながら救出は出来ないらしい。次に介入のタイミングなんだけど……」
「今の話からすると、恐らく……」
いちごの推測に、優希斗が1つ首を縦に振る。
「丁度旅館のロビーにいる人々に温泉饅頭を投げ込むタイミング、だね。しかもそれがすむと今度は、温泉に行って同じことをやるから……取り敢えずロビーの人々を避難させてから、その場で灼滅してしまうのが一番いいかな。ただ、それなりに人気の有るロビーの様なので30人位がそこにはいるらしいけれど」
「そうですか……ちょっと大変かもしれませんね」
「ダイジョ~ブ! 避難は、私が頑張るから♪」
いちごの呟きに、愛華が大きく手を上げて自己主張。
溜息をつきながら、優希斗がそれに首を縦に振る。
「まあ、そういう事になる。ただ、愛華1人では手が余るので、いちご先輩たちからも1人くらい手助けしてくれる方がいてくれると、助かる」
「分かりました」
優希斗の呟きに、いちごが首を縦に振った。
「温泉饅頭怪人βは、ご当地怪人に類似したサイキックと、バトルオーラに類似したサイキックを使うみたいだ。ポジションは、キャスター。……とは言え、皆で力を合わせればそれほど手強い、と言う事は無いと思うけど、ね」
「分かりました、優希斗さん」
優希斗の呟きに、いちごが静かに首肯した。
「多少迷惑な怪人だけれど、いちご先輩達の力なら、それ程問題ないだろうから、折角だし終わった後に温泉でも楽しんできてもいいと思う。……混浴温泉だけど」
「分かりました。……って、混浴ですか?!」
少しだけ驚いた様に目を瞬くいちごに、苦笑する優希斗。
愛華は、お気楽な様子で鼻歌なんぞを歌っている。
「ふんふ~ん♪ 温泉、温泉♪」
「……くれぐれも、気を付けて。……いちご先輩」
いちごの傍にいたアリカの様子を見て、何を思ったか……酷く心配そうに声を掛ける優希斗に頷き、いちごは愛華や他の灼滅者達と共に、静かにその場を後にした。
参加者 | |
---|---|
色射・緋頼(先を護るもの・d01617) |
緋薙・桐香(針入り水晶・d06788) |
黒岩・りんご(凛と咲く姫神・d13538) |
フィヒティミト・メーベルナッハ(媚熱煽姫・d16950) |
草壁・夜雲(中学生サウンドソルジャー・d22308) |
神無月・佐祐理(硝子の森・d23696) |
魅咲・狭霧(中学生神薙使い・d23911) |
東雲・ありす(小学生魔法使い・d33107) |
●投げる! ダメ! 絶対! 人々を避難させよ!
――温泉旅館。
それは、人々が憩いの一時を過ごす場所。
ゆっくりと湯船に浸かり、美味しい物を食べ、人によっては卓球なんぞをして楽しみ、日頃の疲れを癒すパラダイス。
この温泉旅館も、そんな、娯楽施設の一つ。
だが……。
「温泉饅頭による、温泉饅頭の為の世界を、俺は成す!」
そう叫び、人々に向けて、温泉饅頭を次から次へと投げつけ、温泉饅頭の素晴らしさを人々に知らしめるために、その男が暴れ出そうとした時。
「食べ物を投げたり、無理矢理食べさせるのは良くないと思うんだよ。と言う訳でお仕置きです」
そんな声と共に。
温泉饅頭の模様が入った青い浴衣に身を包んだ草壁・夜雲(中学生サウンドソルジャー・d22308) が広げた帯を全方位に射出し、温泉饅頭怪人の行く手を遮る。
「ぬ……ヌゥッ?! 何奴?!」
「一般人に迷惑を掛けちゃ、駄目なんだよ!」
一瞬気を逸らされたβに同じく温泉饅頭の文様が入った赤い浴衣を着た、フィヒティミト・メーベルナッハ(媚熱煽姫・d16950) が、高速回転させた杭でβを縫い止める。
ちなみに、デザインは同じだけど、色が違う浴衣、と言うのは最近、旅館ではそれなりにあるらしい。
「こっちが安全です。大丈夫です、慌てずに逃げてください」
「こっち! こっち! 早く、早く~!」
色射・緋頼(先を護るもの・d01617) が、南条・愛華(お気楽ダンピール・dn0242) と共に、ロビーにいる人々に呼び掛け、更に神無月・佐祐理(硝子の森・d23696) が怪人の傍にいて、避難の行き届いていない者達に向けて、王者の風。
「慌てずに逃げてください! あちらで誘導している方の通りに」
佐祐理の的確な指示に、無気力となった人々がそれに従う様に逃げようとした矢先。
「ム! 無理矢理人々を従わせようとするなど卑怯だぞ! こら、待て、お前達! この温泉饅頭の素晴らしさをきちんと味わえ!」
βが怒りの叫び声を上げながら、温泉饅頭を投げるが、其れは、ポン、と黒岩・りんご(凛と咲く姫神・d13538) の口の中に飛び込んだ。
その一方で、緋薙・桐香(針入り水晶・d06788) がパシリ、と温泉饅頭をキャッチし、βを睨みつける。
「食べ物を粗末にするなんて……それでもご当地怪人なんですか?」
「な……なんだと?! 温泉饅頭の素晴らしさも分からない貴様に何が言える?!」
ツッコミを入れるβを無視して、桐香が温泉饅頭を一口。
――あら、美味しい。
口の中に広がる香ばしい甘さに、思わず頬が落ちそうになる程だ。
「美味しいじゃないですか。これなら普通に宣伝すればいいのに」
桐香に同意する様に頷くりんごが、勢いよく浴衣の裾をはためかせながら雲輝剣。
お腰に挿した日本刀が鋭い剣閃と共に、怪人に強かな一撃を与える。
その脇から、さりげなくついてきていたアリカが、すかさず自らの手を持ってβを殴りつけた。
「お姉さまはゆっくりしたいのでしょう? 戦いはお任せですわ」
にっこりと微笑むりんごの言葉に、少し後ろに控えていた黒岩・いちご(ないしょのアーティスト・d10643)が微笑する。
「りんごがそう言うなら、楽させてもらいますね」
そのまま、いちごはアリカを残して後ろに去り、現在、緋頼のサポートを受けながら一所懸命に、人々を避難させている愛華のサポートへと回った。
「一先ず音を遮断しますね」
温泉饅頭のマークの書かれた可愛らしいピンク色の浴衣を着た、魅咲・狭霧(中学生神薙使い・d23911) が、人々が避難したのを確認し、音を遮断。
遮断された音に合わせて、佐祐理が深呼吸を一つ。
「それじゃあ、行きますよ! “Das Adlerauge”!」
叫ぶと同時に、その背に翼を生やし、両手に注射器を装備。
服が破れ胸元が露わになり、更にその足が人魚の様な姿へと変貌する。
「この姿じゃ、私だけ、温泉へ一足お先~ですね」
一瞬自虐的な笑みを浮かべる、佐祐理。
「全員女性で良かった! これで心置きなく戦えます!」
それを振り払う様にパサリ、と髪をはらい、はだけた胸元を露にする。
イカロスウイングで牽制していた夜雲が其れを見て、僅かに顔を赤らめて目を逸らす。
――そう、彼は立派な男の子。
殉教者ワクチンで佐祐理が牽制を掛けている間に、愛華達に避難を任せた緋頼が周囲に殺気による結界を張った。
「くっ……! 我が温泉饅頭道を邪魔する愚か者達め! 食らえ! 温泉ビーム!」
軽く舌打ちをしながら温泉ビームを放つ、β。
だがそれは、東雲・ありす(小学生魔法使い・d33107) の愛猫、トルテが飛び出し受け止めた。
「温泉饅頭を無理やり食べさせるのはだめ、なんだよっ」
メッ、とまるで子供を叱りつける様に諭しながら、ありすがすかさずクルセイドスラッシュ。
しっかり着込んでいたために崩れ落ちこそしなかったが、それでも浴衣を風になびかせ、袈裟懸けにβを切り裂くありす。
思ったよりも鋭い一撃に、βが思わず踏鞴を踏む。
すかさず桐香が、浴衣が捲れるのを気にせずハイキック。
強烈なその一撃が、強かにβの左面を蹴り飛ばした。
「ゴファッ!」
「フフッ。もっとイイ悲鳴を聞かせて頂戴?」
歯の数本をへし折られ、苦しげに呻きをあげるβ。
そんなβの様子を心底愉快そうに、嬉しそうに桐香は見つめるのだった。
●勝負だ! 温泉怪人β!
「おのれ! おのれ! おのれ~! どうして、どうしてお前たちは、俺の温泉饅頭道の邪魔をするのだ~!」
怒りの叫びを上げ、その頭から湯気を噴出しながら、空中へと飛び出し、強烈な蹴りを叩き付けようとする、怪人β。
「少しは頭を冷やしてください」
妖冷弾を撃ち出しその攻勢を相殺しつつ、声を張り上げる狭霧。
凍てつかされ、勢いを失ったその蹴りを、フィヒティミトが受け止める。
が、意外に強烈な一撃で、浴衣の一部を吹き飛ばされ、恥ずかしくなりつつDCPキャノン。
撃ち出されたそれに、怪人が大きく仰け反るその姿を見て、ふと、思う。
「……βってことは、β版。ということは……試作品的な存在だったり?」
「な……何を言っている! そ、そんな訳ないだろう!」
さりげないフィヒティミトの一言に、想像以上に動揺し、まるで鉄球が頭に直撃したかの様によろよろと後退する怪人β。
「お前の遊びには私が付き合ってあげるわ」
「あ……遊びだとぅ?!」
ショックで意識を朦朧とさせつつ、逆切れのツッコミはしてくるβに溜息をつきつつ、桐香がふっ、と彼の視界から姿を消す。
次の瞬間には、βの背後に現れてすかさずβの背を切り裂き、βが軽く痛みの悲鳴を上げることに、口の端で笑みを浮かべた。
「りんご、今よ!」
悲鳴を上げているβの隙をついて、りんごが距離を詰めての神薙刃。
連続して切り裂かれ、苦し気なβに夜雲がレッドストライク。
勢い余って、少しだけ浴衣を着崩しながらも、赤信号に籠められたサイキックによる、『止まれ』と言う意志が、強かにβを打ち据え、βが千鳥足でその場に踏み止まる。
「ねぇ、ここの温泉旅館の温泉饅頭の評価って、どんな感じなの?」
ふらつくβに、星の力を帯びたスライディングを叩き込みながら、ありすが問いかける。
その隙を見逃さず、トルテが素早く猫パンチ。
その攻撃を辛うじて受け流しながら、βは熱意を持って訴えかける!
「星5つだ! 星5つ! 此処の素晴らしくまろやかで甘く、絶妙な舌触りを持ってこの温泉饅頭を、誰が否定することが出来るものか! 今まで名物温泉饅頭宿を巡って幾星霜、遂に、遂に巡り合うことの出来たこの至高の温泉饅頭さえあれば、きっと世界征服だって夢ではないのだ!」
「でもそれだったら、ネットで録画した物を皆に見て貰って食べて貰った方がいいのでは?」
緋頼が傷ついたフィヒティミトを祭霊光で癒しつつ、冷静に指摘する。
すると……。
「な……なんだとっ?! ねっとなる便利なものがこの世の中には存在すると言うのか?!」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情で、本気で驚くβ。
――どうやら、この怪人、ネットの存在を知らないらしい……。
「……無理矢理突っ込むのは、いけません」
妙な説得力を感じさせる、りんごのツッコミ。
「そうですよ。無理矢理ってのは嫌われますよ」
ふふっ、と意味ありげに笑いつつ佐祐理が接近して、高枝切鋏による鋭い一撃。
鋭く放たれた刃にざっくりと体を薙ぎ払った怪人の体力を吸収し、邪悪に笑う。
「初めて使ってみました」
佐祐理や仲間達のやり取りに、何となく背を冷汗が伝うのを感じながら、狭霧が影縛り。
放たれた無数の影の手がβの全身を締め上げて、その攻勢を大きく阻害した。
「くっ……くそっ……!」
「続けていくんだよ」
飛び上がり、浴衣の中の何かが見えそうになりながら、星を帯びた蹴りを空中から叩き付ける、夜雲。
空中から叩きつけられた蹴りが、βの脳を揺さぶり、βが大仰に揺れている。
「ぐ……グゥ……!」
夜雲の攻撃によろけているβにアリカが一瞬素顔を晒し、βの表情を恐怖に引き攣らせた。
そこにフィヒティミトが尖烈のドグマスパイク。
βの心臓を捩じり込むように放たれた杭に深々と貫かれ、一気に体力を奪われる、β。
「が……ガハッ……!」
呼吸もままならないβに、炎を帯びた蹴りを叩き付ける、桐香。
放たれた回し蹴りが、βの足を砕いた。
片足を砕かれ身動きがほぼ取れないβにりんごが肉薄。
「これで終わりですね♪」
小さく呟き、鞘に納めていた日本刀を鞘走らせる。
圧倒的な速さで放たれたその刃に……βは成す術もなく切り裂かれた。
――その時間、僅か5分。
「温泉饅頭に……栄光……あれ……」
小さく、小さく呟きながら、βが倒れ込み、光の粒子となって消えて行くその間に……りんごが日本刀を納刀する音が、鎮魂曲の様に、旅館に響いた。
●一時の休息
「お姉さま♪」
――バフン、チャプン。
「わわ、りんご!」
赤いビキニ姿のりんごにいきなり背後からぎゅー、と強く抱きしめられ、慌てるいちご。
「一緒にお風呂はいつ以来かしら?」
「わりと最近もあったようなっ!?」
慌てるいちごを弄りながら、クスクス笑う。
アリカが焦る彼から、そそくさと距離を取る様にも見えているが……まあ、多分、気のせいだろう。
和気藹々な騒がしい様子を傍目に見て、緋頼がクスクスと笑いつつもしっかりと監視。
まるで仕切りの様にゆらゆらとくゆる湯煙の向こう側で行われている秘め事に引き攣った笑みを浮かべそうになりながら、巻き添えで連れてこられた夜雲が、ありすや、トルテ達に囲まれる様にして一緒に温泉に入浴している。
ちなみにありす達の手には、しっかりと温泉饅頭が握られていた。
「ん~! きもちい~い! 其れにこの温泉饅頭おいし~い!」
セパレートを着こんだ佐祐理が、温泉饅頭を心から楽しみ、貸切状態なのをいいことに、堂々と大きく伸びをする。
佐祐理の隣にいた狭霧も初めての温泉に肩まで浸かって温まりつつ、その頭の上にタオルをのっけて寛いでいる。
「これが、温泉なんですね……。本当に気持ちいいです」
「……うん。この絶妙な間差で舌触りの良い飴、ふわふわもっちりの皮、最高だよ」
黒い女性ものの水着に身を包み両手で握った温泉饅頭を食べながら頷く夜雲。
長湯もOKな様に適度な温度に温められている温泉の効能もあってか、ロビーで食べる時よりも、甘味が数倍増しに感じられて、とても美味しい。
――と……。
「ふ……ふぁぁ……」
――フィヒティミトの妙に艶のある色っぽい声。
悪戯っぽくいちごに後ろから抱き付いたその先で、ほんのちょっとだけフィヒティミトにりんごの指が触れているのがきっかけなのだが、それを知る由は、夜雲達には無い。
……何となく、湯煙の向こうで行われていることを想像してしまい、緊張してしまったか、少しだけ背筋をピン、と伸ばす夜雲。
そんな夜雲の様子に、一瞬、キョトンとした表情を浮かべるありすではあったが、特に何を聞くでもなく、お湯を掬ってバシャバシャと呑気に顔を洗っている。
一方で、温泉は初めてです、とありす達と話をしていた狭霧は、その湯気の向こうで行われている何かを想像して、少しだけ恥ずかしくなってしまい、温泉だけではない、熱で頬を赤く染めていた。
……気になるのか、チラチラとそちらの様子を伺いつつ。
そんな狭霧の様子を隣で湯船にゆったり浸かっていた桐香が見て頬笑む。
――そして再び、湯気の向こうの緋頼。
緋頼が、いちごにじゃれつき、フィヒティミトに軽い悪戯をしていて、小悪魔の笑みを浮かべて更に弄ろうとするりんごに近づいて意味ありげな笑みを浮かべた。
りんごと緋頼の視線が、束の間絡む。
「相手してくれるのかしら?」
「ふふ、いいですよ」
悪戯っぽく尋ねるりんごに、微笑む緋頼。
其れに対して、りんごが笑う。
――その姿は、正に魔王。
目標を変えたりんごの手を振り払ったいちごが休憩の為に湯気の向こうでのんびりしている夜雲達のところに向かおうとする最中、お約束の様に何かにつまずいて転んだ。
「わわっ?!」
そのまま、ふにゃん、と柔らかい感触に振れる。
気付かず、しなやかなアーティストの手で、その柔らかい感触のする何かをなぞる様に指を這わせていく内に、何だか、妙に穴? と錯覚するなにかに触れた。
「ふ、ふぁぁ……」
触られた衝撃で、甘く艶やかな声を上げるフィヒティミトに、我に返ったいちごがパッ、と立ち上がった。
「う、うわぁ、すみません!」
慌てて逃げ出し、寛ぎ組の方へと全力で向かういちごの視界に入ったのは、1人の少女。
それは、湯気の向こうの出来事を気にしつつ、でも、思い切れずにチラ見を繰り返し、様子を伺っていた狭霧。
突然出て来た彼を避け切ること能わず、狭霧が少し驚いた声を上げながらぶつかり合い、そのまま、大きな水飛沫を上げて、ドボン、と湯船に沈む。
「わ、すみません!」
「いえ、その……こちらこそ、すみません」
慌てて謝るいちごに狭霧がコクコクと首を縦に振る。
その一方で、湯気の向こうからは相変わらず女子2人の可愛らしくも何処か艶を帯びた囁き合いが漏れ聞こえて来た。
夜雲がまずいよね、と不審げなありすにそっと向こうを見せない様に壁になり、頬を赤く染めている。
そこにいちごと狭霧が合流。
賑やかで色々なトラブルに見舞われていた仲間達に微笑みながら、共に湯船に浸かっていた桐香が出迎える。
「フフ……お疲れ様です」
「やっぱり、桐香さんの所が安心できますね♪」
そんな桐香の様子に安心したのか、いちごがその傍に腰を落ち着け、和やかな会話に花開かせる。
それは、よくあるガールズトーク。
ありすや、佐祐理、狭霧も混ざり、穏やかでゆったりとした時間が静かにその場を満たしていた。
「やっぱり寛げる時間は大切です♪」
桐香たちと一緒に居て寛げる時間を楽しみ、嬉しそうないちごの言葉に、佐祐理達の間に穏やかな笑いが、漣の様に広がった。
●家族、というもの
――再び、湯煙の向こう側。
フィヒティミトが火照り、愛華が彼女を伴い温泉を出た後に。
空気が少し落ち着いた所で、りんごがそっと緋頼の耳元で囁きかけた。
「貴女が呼びたいのなら、お姉様で構いませんよ?」
そっと優しく抱きしめられて、緋頼が頬を朱に染める。
「わたしの方が、年上ですけれど……」
でも……この寛ぎ、安らげる時間を共に過ごすことが出来るのが、家族というもの。
魔王の笑みを浮かべながらも、りんごは、勿論、と言う様に首肯した。
「ええ。わたくしの妹になりなさい」
柔らかで優しく、しなやかな指でその線をなぞる様にしてくるりんごに、ほんの少しだけ、緋頼が頬を赤く染め上げる。
「はい……。後で、色々とお話ししましょう」
振るえる声音で呟いた緋頼に、1つ首肯し、りんごが悪戯っぽく唇を重ね合わせる。
――それは、『家族』と言う名の、絆の形。
新しく紡がれた絆を得た娘たちは、これから何を思うのだろうか。
それは……この場にいる誰にも分からなかった。
●またいつか、皆で
帰りが近くなり、お土産の温泉饅頭を狭霧が購入している間に。
一緒に温泉を楽しんだ、愛華が何を思ったか、仲間達に話し掛ける。
「あ~、楽しかった♪ また、皆で遊びに来ようね!」
作者:長野聖夜 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
|
種類:
公開:2015年10月29日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
|
||
得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 8
|
||
あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
|
||
シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
|