集結する光の軍勢~白光の導き

    作者:高遠しゅん

     不意に名を呼ばれた気がした。
     蜂蜜色の巻き毛を揺らし、セーラー服の娘が振り向いた。
     ルビーのような赤い瞳に飛び込んできたのは、白く目映い閃光だった。
    「……っ!」
     目を閉じても間に合わない。白い光は、視界を染め意識をも塗り替えていく。
     押し流される。今まで自分を造り上げていた何もかもが、染め変えられる。
     光が収まった頃には、娘は何かが背を押す感覚をおぼえた。
    「行かなくては。わたくしは……『タカト』様のお役に立つために」
     今まで何をしていたのか、何をしようとしていたのか。そんなものはもう、どうでもいいことだ。今成すべき事は。
    「『新宿橘華中学』へ。急がなければ」
     譫言のように呟く。
     そうして、踵を返し歩き始めた。


    「クロキバを討ち取ることに成功した」
     教室の隅、未だ興奮冷めやらぬという様子の灼滅者たちに笑顔を向けるのは、櫻杜・伊月(大学生エクスブレイン・dn0050)だ。
    「白の王セイメイは今頃大慌てだろうな。これからの作戦に必要だったクロキバを失ったことは、セイメイ陣営にとっても深刻なダメージだっただろう。君たち灼滅者の大殊勲だ」
     クロキバは最期の瞬間に正気を取り戻し、新たな『クロキバ』の継承者が出現すると言い残した。それが誰になるかは判らないが、今は喜んでいいのだろう。
    「しかし、白の王が弱体化は、敵対していた『タカト』が活動を大きくすることに繋がってしまったようだ」
     光の少年『タカト』。淫魔ラブリンスターを拉致した彼は、彼女から得た無差別籠絡術を利用して、多くのダークネスを配下に組み入れようと動き始めたのだ。
    「全てを阻止することは難しい。だが、武蔵坂学園に過去何らかの接触があった――これを『絆がある』というのだろうか、そういったダークネスに対しては、かなりの確率で予知が可能のようだ」
     依頼は、光の軍勢に加わろうとしているダークネスの灼滅。ここで戦力を減らさなければ、『タカト』を阻止することができなくなるかもしれない。
     伊月は手帳と地図を開いて示した。
     出現場所は新宿駅の近く、高層ビル群の中にある公園になるという。
    「名はレオノーレ・ヴァトリー、女性。朱雀門高校所属のヴァンパイアだ。一年半ほど前になるだろうか、彼女は灼滅者と直接剣を交えることはなかったものの、作戦を失敗に追い込まれている。その後も彼女の関わる作戦を失敗させ、表立った行動はなくなったものの、相当恨みを募らせていたようだ」
     レオノーレが現れるのは、人の多い昼日中の公園だ。この季節とはいえ人の多い新宿のことだ、散策する一般人は少なくない。対策を考える必要があるだろう。
    「ダンピールと同様のサイキックと、断斬鋏の技を使う。眷属等は引きつれていないが、強敵だ」
     敵はどこかに急いでいる途中で、戦場となる公園を通りがかるという。待ちかまえることはできるが、事前に一般人を避難させてしまえば、バベルの鎖の予知で異常を察し、別方向に向かってしまう。
     地図の一角に印を描く。樹木の開けた場所だった。
    「おそらく、この予知は前兆に過ぎないのだろう。これまでがそうだったように、大きな力が水面下で動く気配がある」
     忘れていた缶コーヒーを一口飲み、伊月は目の前の灼滅者たち一人一人の目を見た。
    「私はここで、全員での帰還報告を待っているよ。くれぐれも気をつけて、無事に帰ってきてほしい」


    参加者
    三上・チモシー(津軽錦・d03809)
    蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)
    クラウィス・カルブンクルス(依る辺無き咎の黒狗・d04879)
    布都・迦月(紅のアルスノヴァ・d07478)
    システィナ・バーンシュタイン(罪深き追風・d19975)
    久条・統弥(時喰みのディスガイア・d20758)
    ヴォルペ・コーダ(宝物庫の番犬・d22289)
    文月・綾乃(蒼い月・d31827)

    ■リプレイ


     どこか遠い建物で、正午を示すチャイムが鳴った。
     見上げれば東京でも名高い高層ビルが、空に向かって伸びている。東京の空は狭いと思う者は、少なくないだろう。
     初冬とも言うこの季節でも、寒さの和らぐこの時間帯の緑地公園には、連れだって弁当を食べようかという会社員の女性達や、仕事で歩き疲れた足をベンチで休めながら携帯電話に頭を下げている背広姿の営業マン、犬の散歩に訪れる年配の女性などが行き交っている。小さな車が荷台を開けたなら、そこは小さなカフェにも変わるのだ。
     数人の学生らしき容貌の男女が離れた場所で思い思いに身を隠していても、不思議に思う者は一人もいない。時折吹く冷たい風に襟を寄せながら、人々はこれから訪れることを知らず、ごく一般的な日常を過ごしていた。
     穏やかな平日の午後の風景。
     このまま日が暮れて、今日が無事に終わるならどんなに良いだろう。学生の一人が軽く唇を上げたが、そんなことは『ありえない』。これから起こることは、予知され確定された未来だ。そのために、自分たちはここに集ったのだから。
     ふと目に入ったのは、冬の日の光を浴びて揺れる蜂蜜色の髪だった。黄金にも琥珀にも見える見事な巻き毛、美しい娘の姿はすれ違う女性の視線を惹く。この寒空の下、学校の制服らしい薄手のセーラー服一枚で、上着の類を着ていないことも。綺麗に磨かれたローファーの爪先が、こつりとアスファルトを踏んだ。
     陶器のように青白く、生気を感じさせない肌。血のように赤い瞳。紅をさした唇が何者かの名を呼ぶ。声は聞こえない。娘が足を速め通りすぎようとしたとき、事態が急変した。
    「ここから離れて!」
     三上・チモシー(津軽錦・d03809)が解き放った混乱の力が、周囲の一般人の足を止めさせた。突然わき起こった動揺に対処できず、一般人達は心揺さぶられるまま声に従う。何が起こったのかなど、説明はいらなかった。
    「危ないから、急いで出来るだけ遠くに逃げてね」
     誘導班として一般人達を戦闘区域から引き離すのは、システィナ・バーンシュタイン(罪深き追風・d19975)。転んだ女性に手を貸して、逃げていく背を確認しては次の人の支えとなる。
     久条・統弥(時喰みのディスガイア・d20758)の纏う王者の風は、その近辺の一般人達を棒立ちにさせた。風が彼らの心から気力という気力を奪ったのだ。
    「驚かせてごめん。ここから先は立入禁止なんだ」
     呆然として頷き、人々はゆっくりと離れていく。歯がゆい気もするが、変に駆けだして気を引いてしまうのも拙い。統弥は去っていく人々を守りつつ、後ろを振り向いた。
    「無様ですね。負け続けの上、今度は操られるとは」
     クラウィス・カルブンクルス(依る辺無き咎の黒狗・d04879)の剣を、手にした瀟洒な鋏で器用に受け、娘は眉を歪めた。高いプライドがそうさせるのか。
    「おにーさん達を倒さなければ、君は『また』失敗を重ねるんだな」
     可哀想に、と付け加えたヴォルペ・コーダ(宝物庫の番犬・d22289)の振りかぶった赤く点滅する標識は、娘の片腕で受け止められる。勢いで折れそうな太さの腕は、服が破れた程度でかすり傷程度だ。
     年頃の娘らしい華奢な腕が、大の男が振りかぶる身の丈ほどの武器を、あっさりと片腕でいなす――娘は、人間ではないのだ。
    「何のお話か、わたくしには理解できませんの。そこを退きなさい」
    「お願いなら、もっとしおらしく言うものだ」
     布都・迦月(紅のアルスノヴァ・d07478)の物言いに、娘は眦を吊り上げる。
    「レオノーレ・ヴァトリー。朱雀門のヴァンパイア」
    「何故、わたくしの名を!」
    「何故か儂らは知っておるのじゃ。おぬしは新宿に何の用があるのじゃろうな?」
     蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)が放ったリングスラッシャーが、蜂蜜色の巻き毛を一房削り取った。レオノーレがきりりと唇を噛んだ。
    「……武蔵坂の灼滅者。薄汚い半端者どもが」
    「君を灼滅しに来たんだ。もう分かってるよね」
     文月・綾乃(蒼い月・d31827)が、ビハインドの澪央を連れて目の前に立ち塞がる。その身が放つ殺気の結界は、誘導班が散らした一般人達が戻ってくることを防ぐ力となる。
     一般人達の避難は、まずはその場から遠ざけ、後は集まってくることを防げばいい。迦月が展開した遮音の結界もまた、戦場を隔離する助けとなった。
     この場に立つのは、ヴァンパイアの娘と灼滅者たちだけだ。
     包囲は速やかに完成した。


     レオノーレにとっては、思いもしないことだったのだろう。
     『タカト』の籠絡術に自分が陥ちたことも知らず、召集に従って新宿橘華中学に向かっている途中で灼滅者の邪魔が入った。
     レオノーレは、何故自分が奇襲を受けたのか分からない。酷く苛立った様子で、娘は手にした鋏を鳴らす。
    「退かないのなら、退きたくなるようにさせてみせますわ!」
     霧を纏ったレオノーレがアスファルトを軽く蹴る。娘は瞬時に距離を詰め、鮮血のオーラを宿した鋏の先端が、クラウィスの心臓の真上に触れた。めり込む前に、聖なる剣が鋏を弾き返す。
    「先ほども申し上げましたが、無様ですね」
    「何……をっ!」
    「今度は利用されるんですか。誇り高き闇の貴族の名が、聞いて呆れます」
     唇の端をかすかな嘲笑の形に、クラウィスが告げて切っ先を豊かな胸元に向けた。非物質化した剣が、抵抗もなくその胸元に滑り込んでいく。衝撃に娘が身を翻せば、後方から影の塊が巨大なあぎとで出迎えた。
    「悪いけど、先に行かせるわけにはいかないんだ」
     システィナの足元から伸びる影が、レオノーレの心の中の傷を引きずり出す。目の前に突きつけられたのは何だったのか、娘は憎しみの叫びで影の名残を振り払う。
    「灼滅者……わたくしを邪魔する、武蔵坂!」
    「あーあ。可愛いのにそんな顔じゃ台無しだぜ、おじょーちゃん?」
     ローラーダッシュの低い姿勢から娘の前に伸び上がり、上背のあるヴォルペがへらりと笑った。片足を軸に後方に身体を倒せば、炎を纏うエアシューズが娘の睫毛さえ焦げ付かせる距離で炎の尾をひく。寸でのところで身をかわす娘も息を呑むが、逆手に持ち替えた鋏がエアシューズに突き立った。耳障りな音を立てて、金属と樹脂の溶ける臭いがする。
    「うおぉ、怖い怖い」
     笑いながら身を引くヴォルペたち前衛を、かすかな霧が包んでいく。
    (「ちょっとかわいそうな感じも、しないでもないけどね」)
     チモシーは喚んだ夜霧が仲間の力を高めてくれるのを確かめながら心の中だけでこっそり思う。レオノーレは、これから公園の一般人たちを惨殺しようと企み現れたわけではなく、この場を通りすがっただけだ。あまり気乗りしないのはそのためだ。
     朱雀門の配下として動いていたからには、様々な企みに力を使っていただろう。そしてこのまま放置したならば、何事もなく通り抜け『タカト』の元に向かったのだろう。
    「……ここで退場してもらわないとね」
     切り替える。『タカト』の元に力を集めてはならないのだから。
    「お前個人に恨みはないが、これも仕事なんでな」
     迦月も内心苦笑した。これではまるで、こちらが悪役のようではないかと。左の腕を鬼腕と変え、風を切って疾走する。
     彼女は運が悪かったのだ。武蔵坂の知らないダークネスは多いはずなのに、絆を持ったがために、『タカト』に利用されてしまった。否、利用される前に灼滅対象となってしまった。
    「悪いな」
     叩きつけた拳に熱を感じる。鬼の腕に突き立てられた鋭利な鋏から、どす黒い錆が広がってくる感触がある。ダークネスともなれば不思議でもないが、レオノーレの見た目は細身で優雅な娘だ。羅刹に似た拳を片手で受け止める、闇の眷属として充分な力を持っているのだ。
    「忘れてしまうとは、悲しいものじゃな」
     そうして迦月の身体に熱が回りきる前に、後方から光がさす。敬厳がもたらした癒しの光に、怒りの毒を孕んだ熱が溶けていく。
    「のう、レオノーレ。今やろうとしていることは、本当にそなたの意思か?」
     ダークネスと灼滅者、人間を挟んで鏡合わせの存在。相容れることなど、今はまだ不可能に等しい立ち位置にいる。しかし、無差別に力を使い本人の意思すら消し去って利用しようとする『タカト』のやり口は。
    「そなたの企みを潰した灼滅者の事も、記憶からさっぱり消え去ってしもうたかの」
    「灼滅者は憎い。わたくしを陥れ、何度も邪魔をした。わたくしは『タカト』様のために、行かなければならないのに、またお前達が邪魔をする!」
     ――『絆』。記憶を、意思を、縁を奪い、己の力として利用するなど、たとえダークネス同士であっても許されるのか。許していいのか。
    「戦うしかないのなら、倒すしかない」
     デモノイド寄生体を刀と変え、統弥は気楽に笑みを浮かべた。
     『タカト』の勢力が強化されたなら後々厄介なことになると、エクスブレインたちの予知に現れているのだから。目に付いた者から倒すしかない。今回の事件は全てを予知できたわけではなく、武蔵坂と絆のないダークネスは、籠絡されたまま『タカト』のもとに向かっているのだ。
     それが自分の意思では無かったとしても、いずれ戦うことになるのは目に見えている。ならば、今のうちに倒す。
    「武蔵坂との絆というか縁は、ラブリンスターから手に入れた?」
     問いかけには鋏が降ってくるだけで、得られる答えはなかった。
     レオノーレは朱雀門のヴァンパイアで、過去に武蔵坂との接点があったために、ラブリンスターから無差別籠絡術を奪った『タカト』の術に嵌ったのだ。
    「ねえ、教えてくれないかな。君が新宿橘華中学に行って何をしたいのか、僕たちにはよく分からないんだ」
     ビハインドの澪央の後方から、綾乃が声を張り上げた。
    「『タカト』って何が目的なのかな。折角会えたんだから、教えてよ」
     ほんの一瞬だけ、レオノーレの動きが鈍った気がした。
    「『タカト』様は」
     澪央の放った霊障波に脇腹を抉られ、蜂蜜色の巻き毛が散る。我に返った娘は、何やら夢の中のような瞳をしていた。揺らぎ揺れる、眠りの中のような。
    「――『タカト』様の為に」
     綾乃は少しだけ目を細めた。纏った帯を四方に放ち、娘の身体を貫いていく。その姿が、憐れな気がして。


     糸の切れた操り人形と戦っているような気分だった。
     もつれた髪もそのままに、ただ前に進もうとするレオノーレの前方に回り込み、システィナとチモシーが呼吸を合わせて攻撃を放つ。システィナのオーラキャノンとチモシーの制約の弾丸が、絡み合って腹を穿つ。
     統弥が駆け抜けざまに槍で貫けば、娘は追い詰められた子供のような悲鳴を上げた。引きずり出された心の傷が、何らかの影響を与えたのか。その声を聞きたくなくて、敬厳は光の十字を喚んで降ろした。衝撃で白い手から鋏が落ちて溶け、アスファルトの染みとなる。
     複雑な表情なのはヴォルペだった。標識に炎を纏わせ打ち付けるも、無抵抗になられるとどうにも調子が出ない。綾乃は澪央を呼び寄せ、回復の手に回った。傷つく彼女を、見ていられない。ダークネスだと分かっていても。
    「思う事は色々あれど……か」
     迦月が繰り音立てて迸る影が、娘に幾重にも絡みつき縛り上げる。
    「何にせよ、消させて頂きます」
     朱雀門に幾度も関わってきた、クラウィスは感傷に揺るがない。その心臓に迷い無く剣を突き立てる。
     唇から血のようなものを溢れさせ、レオノーレが不意にクラウィスと視線を合わせた。迷いも曇りもない、鳩の血色をした紅玉の瞳だった。
    「……タカト、とは、誰、ですの」
     唇だけで囁いて。
     冬の風に、塵となって消えた。

     平日の、昼日中の緑地公園。人通りはまだ戻っていない。
    「……なんか、籠絡っていうか、洗脳だよね」
     気に入らないと、チモシーが呟く。
    「同感です。意志ある人を、好き勝手に改変していいわけがありません」
     厳しい目をした敬厳もまた強い口調で。
    「ヴォルペ兄さん、ラブリンスターは助けてあげたいよね」
    「……ん? ああ、そだな」
     システィナの言葉に、不完全燃焼と顔に書いてあるヴォルペは慌てて付け足した。
    「『タカト』のこと、色々聞きたかったんだけどな」
     統弥が疑問を口にすれば、
    「たぶん、何も知らなかったんじゃないかな」
     綾乃が応えた。澪央が寄り添っている。
     何も知らないまま、利用されるために記憶を操作され、呼び寄せられたなら。勝利の後味の悪さに、皆が言葉を切る。
    「……荒れそうですね」
     クラウィスの言葉に見上げれば、初冬の変わりやすい空が曇り始めている。吹く風も次第に強く、冷えてくるようだ。
    「嵐が近いな」
     迦月が空の一点を見上げた。一羽の鳥が高層ビルを縫うように飛んでいる。
     この事件の背後では、大きな力が動いている。それは全員が今や感じるところとなった。『タカト』が集めた軍勢がどう動くのか。まだこういった予知が続くのか、それは灼滅者の身には分からないことだけれど。

     嵐が、近づいてくる。空にも、灼滅者の現実にも。

    作者:高遠しゅん 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2015年11月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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