ソロモンの大悪魔達~本と知識の示す先

    作者:緋月シン

    ●本と知識を司る悪魔
     そこには闇があった。或いは闇しかなかったと、そういうべきだろうか。
     周囲には瓦礫が転がっており、ただ静寂だけが広がっている。
     人の気配はなく、どころか人が訪れた気配すらもない。積もりに積もった埃だけが、月日の経過を告げていた。
     今日もまた、その数を一つ刻み――それが起こったのは、そんな時のことであった。
     前兆はなかった。
     唐突に忽然と、まるで最初からそこにあったかの如く、虚空に一冊の本が浮かんでいる。
     そして出現が唐突であるならば、変化もまた唐突だ。
     独りでにその表紙が開かれたかと思えば、やはり独りでにその頁が捲れ始める。
     静寂の中に頁の捲くれる音だけが響き――続く変化が訪れたのもまた、唐突であった。
     気が付けば、闇の中に本以外のものが存在している。
     それは人の頭――否、仮面だ。本の頁が捲くられる毎に、それに合わせるかのように様々な表情を浮かべた仮面が増えていく。
     本の周囲を、まるで観察するが如く浮かび……やがて、全ての頁を捲くり終わった本が、閉じられる。
     パタンと、音が響き――ビキリと、何かが罅割れたかのような音が響き渡った。
     いや、それは音だけではない。実際に本の傍では、まるで空間が罅割れたかのような穴が空いており……そこから、薄紫色をした何かが現れた。
     腕だ。
     虚空に出現したそれは、同じく虚空に浮いている本へと伸ばされ、掴み――瞬間。
     一際巨大な音が、その場に響き渡った。
     ガラスが砕け散るような音と共に空間が砕け散り、ついにそれがその姿が現す。
     それは、女であった。
     一部を甲殻で隠している以外は肌を晒している時点でそれは明らかであり……だが普通の女ではないことを示すかのように、その肌は薄紫色に輝いている。
     顔の上半分が隠されているため、その表情は窺い知れず――しかしその感情を察することは可能だ。
     隠されていないその唇が、緩く弧を描いているからである。
    「くすくす……ようやく出ることが出来たわね。思ったより時間がかかったけれど……まあ、その分楽しみが増えたって思えばいいかしら」
     その口元の通りに楽しげな声が響く中を、女はゆっくりと歩き始める。
     右手に本を、周囲に仮面を携えながら、女の口元がさらに深く弧を描く。
    「さて……でも楽しい楽しい本番はまだ先のこと。その時に備えるために、今は力を蓄えましょうか」
     そう言って女は――本と知識を司る悪魔ダンタリオンは、その場の闇に溶けるように、その姿を消したのだった。

    ●十八の悪魔
    「さて、まずは新年の挨拶でもするべきなのでしょうけれど……生憎とその余裕はないわ。厄介な……ええ、とても厄介なことが判明してしまったのだから」
     四条・鏡華(中学生エクスブレイン・dn0110)はそう言って一息吐くと、気分を切り替えるように一度目を閉じる。そして目を開いてから、その続きを話し出した。
    「ソロモンの悪魔。強力なそれらが、総勢で十八体。一斉に封印から解き放たれ、出現しようとしているわ」
     ソロモンの悪魔――先の第2次新宿防衛戦で、その一体であるブエルを灼滅したのは未だ記憶に新しいだろう。
     だがそのブエルを裏で操り、情報を集めさせていたのが、その彼らであったらしいのだ。
     そしてこれまでブエルが集めた情報を元にして、大攻勢をかけてこようとしているらしい。
    「しかもそのソロモンの悪魔達は、一体一体が最低でもブエルと同等の力を持っているわ。それが十八体……現在活動が確認されているどのダークネス組織よりも、強力である可能性すらあるでしょうね」
     しかしそんな強大なソロモンの悪魔達だが、付け込む隙はある。彼らは、封印から脱出して出現した直後は、その能力が大きく制限され、配下を呼び出す事もできない状態になるらしいのだ。
    「更に、複数のソロモンの悪魔が同じ場所に出現すれば、他のダークネス組織に察知される危険があるわ。そのため、ソロモンの悪魔は、一体ずつ別の場所で出現しなければならない……つまり、出現した瞬間こそが灼滅する最大のチャンスとなる、というわけね」
     勿論この弱体はソロモンの悪魔側も充分に理解しているため、自分達が出現する場所については、慎重に決定している。そのため、こちらとしても十分な戦力をその場所に送り込む事はできない。
     もし送り込んでしまえば、ソロモンの悪魔は別の場所に出現してしまうことだろう。
     故に。
    「今回襲撃に加わる事ができる灼滅者は、1つの襲撃地点に八人までとなるわ」
     この八人でソロモンの悪魔を灼滅するのが、今回の目的となる。
    「そして今回皆に襲撃に向かってもらうソロモンの悪魔の名は――ダンタリオン。本と知識を司る、ということらしいけれど……残念ながら詳しいことは分かっていないわ」
     弱体しているとはいえ、元々が強力な存在だ。正直に言ってしまえば、成功する可能性の方が低い。
    「けれど、このうちの一体でも減らすことが出来れば、多大なメリットになるわ。無理をしろと言うつもりはないけれど……出来るだけ、頑張ってちょうだい」
     そう言って話を締めくくると、鏡華は灼滅者達を見送ったのであった。


    参加者
    風雅・晶(陰陽交叉・d00066)
    犬神・夕(黑百合・d01568)
    神泉・希紗(理想を胸に秘めし者・d02012)
    椎那・紗里亜(言の葉の森・d02051)
    清浄院・謳歌(アストライア・d07892)
    暁・紫乃(殺括者・d10397)
    安楽・刻(ワースレスファンタジー・d18614)
    霞・闇子(小さき闇の竹の子・d33089)

    ■リプレイ


     シンと静まり返った闇の中、犬神・夕(黑百合・d01568)は、息を潜めながらその先を見詰めていた。未だ現れぬ敵を待ち構えながら、脳裏を過ぎるのは、その相手のことである。
    (「ソロモンの悪魔もリスキーな事と知って行動を起こした、と。それだけ彼らの作戦行動には重要な意味があるという事ですか。取り逃がすにはあまりにも危険ですね……あらゆる手段を用いても阻止する必要があるでしょう」)
     そう胸中で呟くと、一層気を引き締めた。
     勿論そこには夕だけではなく、他の者達も居る。同じように息を潜めて隠れており、風雅・晶(陰陽交叉・d00066)もその一人だ。
     思うのはやはり、今回の敵のこと。
    (「ソロモン72柱が、とうとう直接動き出しましたか。かなり格上の相手ですが、討ち取れれば相手の力を大きく殺ぐチャンスです」)
     必勝の覚悟をもって闘いに臨むべく、静かに気合を入れる。
     そうして各々がその時に備える中、霞・闇子(小さき闇の竹の子・d33089)も、そっと目を細めた。
    (「今回は、かなりの強敵みたいだね。気を引き締めるよ!」)
     心の中でそう呟きながら、油断しないよう、さらに意識を集中していく。
     そんな中で、ふと小首を傾げたのは、暁・紫乃(殺括者・d10397)だ。
    (「いやぁ、ソロモンとか言われても艦隊をコレクションしちゃうゲームの某改二さんしか思い浮かばないのー。まいったまいったなの。ところで――」)
     ダンダリオンってトンカラトンの親戚? などと頓珍漢なことを考えている紫乃ではあるが、別にやる気がないわけではない。そんな思考が浮かぶのは、単に本人の性格によるものであり――だが瞬間、その気配が鋭く尖った。
     その意味に皆が気付いたのは、ほぼ同時。
     ガラスが砕け散るような音が響いたのは、その直後だ。
     その場に現れたのは、一人の女。ちょうどこちらは死角になる形であり……そのことを確認すると、全員で素早く目配せを交し合う。頷き――。
    「くすくす……そう。招いた覚えはないのだけれど、やはり、と言うべきかしら? 都合のいいことでも、あるのだけれど」
     声は、虚空に投げられていた。だがそれが何処に、誰に向けられているのかなどは明らかだ。
    「……っ!」
     しかし――否、だからこそ、夕はケミカルライトを掴むと、その場へとばら撒いた。
     一瞬の後、光が闇を斬り裂き、その場を照らす。皆が蓄えていた力を、一気に解き放ち――。
    「覚悟だけは完了してるぜなの!!」
     言葉と共に、真っ先に飛び込んだのは紫乃だ。非物質化させた剣を、勢いのままに叩き付ける。
     だが寸前のところで女――ダンタリオンは、後方へと飛び退いた。紫乃はそれを視線だけで追いかけるも、深入りすることはない。その場で剣とは逆の手に持った交通標識を振り抜くと、皆へと耐性を与える。
     それを受けながら、他の皆はさらに足に力を込め――。
    「あら……随分と乱暴なのね? そういうのも嫌いではないのだけれど、今は少し、こちらの話を聞いてくれないかしら?」
     それを一瞬押し止めたのは、その言葉だ。声に穏やかさを感じたのも、要因の一つだろう。
     僅かに緩んだ力の合間に、ダンタリオンはさらに言葉を投げかける。
    「今は力を蓄える時だから、本気で戦うつもりはないの。あなた達が引いてくれれば、相応の謝礼を支払うつもりもあるわ」
     それは、提案、であった。こちらを騙すための罠、と思わなかったのは、その物腰から、本気で言っているのだろうと感じられたからである。
     しかし。
    「その提案は受けられないかな。だってわたしたちは、貴女を倒すために、ここに来ているんだから」
     その姿を見据えながら、清浄院・謳歌(アストライア・d07892)ははっきりと拒絶を示した。例え本気で言っているのだとしても、それを受け入れる理由は、ない。
     それに異論のある者はおらず、皆の四肢に、再び力が漲る。
     それを眺め、ダンタリオンは小さく息を吐き出した。仕方ない、と言うように、頷く。
    「そう……まあ、仕方ないわね。でも、こちらとしてはそのつもりがある、ということは覚えておいて欲しいわ。別に受けてくれるのは、いつだって構わないのよ?」
     その言葉にはもう、誰も答えることはなかった。代わりとでも言うように、一気に飛び込む。
     激突した。


     様子見をするつもりはなかった。元より、そんな余裕などはない。狙うべきは、短期決戦のみだ。
     だが……否、だからこそ、必要なのは観察であった。間違いなく相手は強敵だが、復活したばかりならばどこかに隙が出来るはずである。
    (「見逃さない、絶対に!」)
     思いつつ、神泉・希紗(理想を胸に秘めし者・d02012)はその手の槍を握り締めた。踏み込みと同時、捻りを加えながらその腕を突き出す。
     その間中も、常に視線はダンタリオンへと向いている。些細な事でも気にかけ、見逃すつもりはない。
     視線に気付いたのか、ダンタリオンの口元が僅かに弧を描き、穂先がその真横を通過していく。つまりはかわされた形になるわけだが、問題はない。
     直後、その場に飛び込んだ影が一つ。
     謳歌だ。勢いのままに振り抜くのは、クロスグレイブ。回避のために僅かに流れたそこへと、叩き込んだ。
     鈍い音が響き、めり込んだ先にあったのは、ダンタリオンがその手に持つ本。
     しかし防がれたわけではなく、狙いが逸れたわけではない。最初から、その本を狙ったのだ。それによる戦闘能力の低下を狙ったものであり――。
    「くすくす……そうね、狙いは悪くないわ。私は本と知識を司る悪魔。本を攻撃に用いると考えても、おかしくはない。けれど……もう一歩踏み込んで考えてみるべきだったわね?」
     瞬間、背筋に覚えた予感の通りに、謳歌はその場を飛び退いた。ダンタリオンの挙動から目は離さず――だが直後に感じたのは、衝撃。
     地面に叩きつけられるも、即座に飛び起き、今の攻撃について理解する。何か遠距離攻撃をされたわけではない。今のは、殴り飛ばされたのだ。
     ダンタリオンの拳に、ではない。
     それは。
    「仮面……っ!」
     正解、とでも言うかのようにダンタリオンの口元に笑みが浮かび、周囲に浮いていたそれらが動き出す。ダンタリオンの武器は、その仮面だったのだ。
     それらは複雑に蠢き――しかし分かってさえいれば、やりようはある。
     その間を抜けるのは、一つの帯。
     椎那・紗里亜(言の葉の森・d02051)だ。自身の元へもやってくる仮面を舞うようにかわしながら、それをさらに伸ばす。
    (「本と知識を愛する者として、あの悪魔とは相容れませんね……」)
     思いながら、地面への着地と同時に迫ってきた仮面へと掌底を叩き込み、弾き飛ばす。お返しとばかりに、帯をぶち込んだ。
     それは僅かに相手の体勢を崩すだけであったが、当然のようにそれで終わりはしない。
     直後にそこに飛び込んでいたのは、安楽・刻(ワースレスファンタジー・d18614)のビハインドである、黒鉄の処女。霊撃を叩きつけ――だが同時に、仮面によって殴り飛ばされた。
     そこで刻が庇おうとしなかったのは、囮とするためだ。一瞬身体が反応しかけるも、無限停滞を構え、薄暗い障壁を作り出す。皆の身を包み、癒しと共に、守りを固める。
     そしてそれを受けながら飛び込んだのは、晶だ。迫り来る仮面を弾くのは、その手に握る二刀――【陽刀】魂結と、【陰刀】肉喰。白と黒の斬撃が奔り、踏み込む。
     既に相手の距離はなく、しかし握り締めるのは、【龍気】蒼と雷を纏ったその拳だ。視界の端に仮面を捉えていたが、構わない。そのまま振り抜いた。
     二つの鈍い音が響き、一つの影が遠ざかる。
     だがそれと入れ替わるように、さらに別の影。
     夕だ。
     その時には既にダンタリオンが反応していたが、それと同時に他の方角からも――否、全方位から、放出された帯が迫っていた。
     仮面の奥から冷徹な瞳を覗かせながら、闇子が操るそれが、仮面ごとダンタリオンを捉える。
     それはすぐに抜け出されてしまうだろうが――今この時であれば、十分だ。
     遮るもののなくなったそこに、さらに一歩、夕が踏み込む。その勢いのままに、握り締めた拳を撃ち込んだ。
     拳には確かな手応えが帰り、しかし夕が即座にその場を離れたのは、その後に起こることが予測できたからである。
     直後、その予想の通りに、帯を含めた周囲が纏めて吹き飛んだ。
     だが予測出来ていたために直撃はしなかったものの、それでも完全にかわせたわけでもない。吹き飛ばされ、しかし即座に体勢を体勢を立て直す。
     それと共にその身体を覆ったのは、紫乃の放った帯だ。傷が癒される感覚に小さく息を吐き出し、すぐに前を見据える。
     それが終わるのを待つことなく、再度前方に飛び込んだ。


     今回皆が立てた作戦は、決して悪くなかったと言えるだろう。
     声掛け等を意識した、連携の重視。相手の観察による、情報の共有。
     基本と言えば基本ではあるが、基本だからこそ重要であり――そして。
     故に、足りていなかった。
     格上と戦う以上、悪くなかった、では駄目なのだ。相手の方が圧倒的に力で上回っている時点で、それを覆すための何かが必要なのである。
     だがそれに気付いた時には、既に遅かった。黒鉄の処女は消滅し、残りの皆もボロボロ。
     勝機など欠片も見出せず――それでも、誰一人として諦めている者はいなかった。
    「新年早々ハードワークもいいとこなの」
     ぼやきながらも、紫乃もまた諦めてはいない。迫り来る仮面をかわしながら、剣を振るい風を開放し――しかし、そこまでであった。
     衝撃を感じたのは、その直後。身体が吹き飛ばされ転がり……風が、途切れた。
     そのことに、庇おうとしていた闇子の足が止まり……逡巡は一瞬。即座にその手に握る聖剣を光り輝かせ――だがその一瞬分が、遅かった。
     振るうより先に、仮面を叩き付けられ、力を失った手から、剣が滑り落ちる。
     そうして、倒れていく闇子を横目に眺めながら、夕は確信したことがあった。
     ダンタリオンが、こちらの回復役から倒していっているということ――では、ない。
     狙うべき相手から狙うというのは、ただの基本だ。特筆するようなことではない。
     だから夕が気付いたことというのは――ダンタリオンが、こちらをギリギリで倒せるように調節して攻撃を放っている、ということであった。
     その理由を考え、夕の背筋を冷たい汗が伝う。
     それは即ち、こちらの闇堕ちを封じる、ということだからだ。
     闇堕ちとは、絶体絶命の状況下でのみ起こるものである。誰かの命の危機に反応して起こるものであり……逆に言えば、誰も命の危機がなければ、闇堕ちは絶対に起こらないのだ。
     それは例えば、全員が戦闘不能になるようなことが起こったとしても、である。
     さらには、戦闘前のあの提案も、その一因となっていた。
     要するに、こういうことである。ダンタリオンは、こちらの習性を知った上で、利用しているのだ。
    「……っ!」
     その確信に至った瞬間、眼前のダンタリオンの口元には笑みが浮かんでいた。
     だが構わずに半獣化させた腕を振り抜き――銀爪が、その前に現れた仮面によって、弾かれる。
     しかしさらに一歩を踏み込み……再度腕を振るうより先に、膝から崩れ落ちた。身体に力が入らず、そのまま地面へと倒れ込む。
     意識が朦朧としていき……それでもやはり、命の危機は感じなかった。
     これで、倒れてしまったのは三人。皆も既に、この状況の異常さには何となく感づいている。
     だがそれでも、諦めるつもりはなかった。
     別に向こうだって、無傷というわけではないのだ。確実にダメージは蓄積されており……変わらず迫り来る仮面に、晶も変わらずにその手の二刀を叩き付けた。弾き飛ばしながら、半ば強引に前方へと踏み出す。
     そのままやはり強引に、道となっていない道を踏み締め、蹴る。そうなれば、そこにあるのは敵の身体だ。二刀を振り下ろし――届く直前に、殴り飛ばされた。
     だがそれで問題はない。即座に自身へと飛ばされた霊力を受け、心の中で刻へと礼を述べながら、その視界に映るのは、敵へと迫る二つの影。
     異形巨大化させた腕を構えた希紗と、翡翠の煌く短槍を突き出す紗里亜が飛び込んだのは、ほぼ同時だ。
     さらに一瞬遅れ、同じ相手へと伸びるのは、星座の加護を宿した帯――オリオン。
     三つの力が殺到し――纏めて吹き飛ばされた。
    「……っ」
     視界の端に吹き飛ばされる二人の姿を捉えながらも、そこまで踏み込んでいなかった謳歌は、その場で堪える。オリオン座の加護を宿したその靴へと力を込め、さらに攻撃を続けようと前を見据え――。
    「……あ」
     それに気付いたのと、衝撃を感じたのはほぼ同時。身体の力が抜け、その場に崩れ落ち――寸前。
    「……っ、ま、だ……っ!」
     地面を踏み締め、強引に身体を支えた。
     それを見ていたダンタリオンが、僅かに口を開き……次いで、小さな笑みを浮かべる。
    「そう……あなた達は、そんなことも出来るのね」
     その言葉に答える余裕はない。だが、まだ倒れてもいない。
     今度こそ真っ直ぐ前を見据え、オリオンを手繰り寄せ――だから、それは無意識に口にしていたものであった。
    「誰かを守れる人になりたいって、ずっと想ってた。ここで貴女を逃がしたら、多くの人が傷付くことになる。だから貴女には負けられない。負けたくない。だって、わたしは―――」
     拳を握り締める。オリオンを――。
    「くすくす……そういうのも、嫌いではないのだけれど……ごめんなさいね。生憎と、私はあなただけを相手にしているわけではないの」
     どさりと、何かが倒れたような音が響いた。それが何だったのか――誰なのかが分かったのは、三人が吹き飛んで行ったのは、そっちではなかったからである。
     そして同時に、それが意味するところは一つだ。
     拳をさらに強く握り締めると、謳歌は地を蹴った。
     ――後方へと。
     撤退、だ。
     唇を噛み締めながら、途中で紫乃の身体を抱え、そのまま全力でその場を離れる。見れば晶は刻を、希紗と紗里亜はそれぞれ夕と闇子を抱えているようであった。
     誰もが本意ではないだろうに、そこに躊躇は見られない。リベンジの為にも今は逃げるべきだと、皆分かっているのだ。
     追撃は、なかった。まるで見逃すように……否、その通りなのだろう。
    「くすくす……どうやら、今日はここまでのようね。少し予定とは違ったけれど……まあ、それも醍醐味かしら。それでは、またお会いましょう。私個人としては、あなた達とは良い関係を築きたいと思っているのだけれどね」
     その声が聞こえたのか、腕の中の紫乃が僅かに身動ぎをした。唇が動き……だがそれが、言葉になることはない。
     皆の荒い息遣いと足音だけが響く中を、ただ前を向き、駆け抜けて行った。

    作者:緋月シン 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年1月15日
    難度:難しい
    参加:8人
    結果:失敗…
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 8
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