アガメムノンの初夢作戦~心の淵

    作者:西宮チヒロ

    ●infernale
     年明けを迎えたばかりの早朝、街が悲鳴をあげた。
     突如現れた悪夢の尖兵。表情を隠すかのように身体を覆うその闇色の衣がたなびくたびに、街を包む穏やかな大気が震え、広大な緑が、武蔵野の大地が、放たれた無慈悲な力によって無残にも破壊されていく。
     こうして、ありふれた日常は崩壊を始めた。
     たったひとつの、悪夢によって。
     
    ●rinforzando
    「皆さん、あけましておめでとうございます。……とご挨拶してる場合じゃなくなりました。悪夢の尖兵が現れました――ここ、武蔵野に」
     年始早々の呼び出しに詫びを、集まってくれたことに礼を添えた小桜・エマ(高校生エクスブレイン・dn0080)は、そう言って手早く手許の音楽ファイルを繰った。
    「悪夢の尖兵を現実世界に出現させたのは、先日の『第2次新宿防衛戦』で撤退した、四大シャドウの一角……歓喜のデスギガスの配下、『アガメムノン』です」
     とはいえ、アガメムノンが灼滅者の本拠地が武蔵野であることを知っているとは思えない。つまり今回は『所在地不明の灼滅者の拠点を攻撃する』ためのものだろう。
     更に言えば、武蔵坂学園の規模すら知らぬアガメムノンからの襲撃は、学園の危機というほどのものではない。だが、このまま見過ごせば、武蔵野周辺に大きな被害をもたらすこととなる。
    「ですから、そうなる前に……灼滅を」
     一同へと真摯な眼差しを巡らせたエクスブレインは、詳細な説明へと移る。
     
     本来であれば、ソウルボードの外に出ることのできない悪夢の尖兵。
     それが現実世界に出現したのは、アガメムノンがタロットの力を使ったからに他ならない。『初夢』に目をつけたアガメムノンは、それを悪夢化し、タロットの力で強引に尖兵を発生させたのだ。
     故に、尖兵が出現していられる時間にも限りがある。
    「具体的には、24時間程度。……ですが、その間ずっとダークネス並みの戦闘力で破壊を続けますから……時間切れを待つ、なんて悠長なことは言ってられません。……それに」
     エマは音楽ファイルを閉じて胸元に抱えると、灼滅者たちへと視線を戻した。
    「『悪夢』となるのは、皆さんのうちの誰かが見た『初夢』なんです」
     闇染む布を被り、一見お化けのようにも見える尖兵は、戦闘において本気になると、その布を捨て本来の姿――灼滅者が見た初夢を元とした『敵』の姿を露わにする。
    「攻撃方法や性質、数なども、元となった初夢に準じたものになるみたいです。ですからそれを逆手に取って、本来の姿を見せたときに、誰の初夢が元となったのかを判断できれば……有利に戦えるかも」
     狙い通りにいくか否か。
     すべては、灼滅者たちの知恵と策。
     そして、己の、共に戦う仲間の『悪夢』に立ち向かう、心の強さ次第。
    「……元となった初夢も、本来ならきっと……辛くても、哀しくても、ほんの少しの幸せはあったはずです」
     だから、と言いかけた励ましの言葉を、娘は胸に留めた。悪夢へと対峙する彼らを直接支えられぬ自分が、言うべき言葉は他にある。そう思いなおして、エマはミルクティ色の波立つ髪を揺らして、柔らかに微笑んだ。
    「戻ってきたら、おせちパーティーしましょう! 私、たくさん用意してますから」
     ――皆さんが戻ってくるの、待ってます。


    参加者
    無道・律(タナトスの鋏・d01795)
    羽丘・結衣菜(歌い詠う蝶々の夜想曲・d06908)
    白金・ジュン(魔法少女少年・d11361)
    木元・明莉(楽天日和・d14267)
    黒鐵・徹(オールライト・d19056)
    志穂崎・藍(蒼天の瞳・d22880)
    饗庭・樹斉(沈黙の黄雪晃・d28385)
    烏丸・碧莉(黒と緑の・d28644)

    ■リプレイ


     微睡みを帯びた街を、灼滅者たちは駆けていた。
     居場所も手がかりもないまま飛び出す躊躇いはあったが、それも杞憂に終わった。夜明け前の静謐な空気に混じる微かな異音、いや破壊音は、確かに敵の発するものであり、彼らの目的地を示すものであったからだ。
     徐々に耳を欹てる必要もないほど明瞭になる音を辿りながら、木元・明莉(楽天日和・d14267)はちらりと見た腕時計を袖にしまった。ほんの数秒、触れた外気のひんやりとした感覚が肌に残る。
    「まだ2時間くらいはあるな」
     陽が昇り人々が動き出すまでの時間、つまりは作戦の刻限を告げる声に、無道・律(タナトスの鋏・d01795)もまた、奔りながら僅かに視線を上げた。夜の蒼を色濃く残す空に浮かぶ月は、確かにまだ消えそうにない。
     一定の間隔で響く耳障りな音。それが何かが倒れる音だと気づいたのと、一同が吉祥寺通りを南下し、井の頭恩賜公園へと差しかかったのはほぼ同時であった。
    「どんな初夢が相手だろうと、私達でキッチリ片付けて、新年最初の大仕事を成功させましょう!」
    「ああ。1年の門出だ、乗り越えたいね」
     意気込みながら更に加速する白金・ジュン(魔法少女少年・d11361)に、律たちも続く。
     陽も出ておらず、まだ薄暗い頃合いだからだろう。人影のない公園内の様子に、黒鐵・徹(オールライト・d19056)は心中で安堵した。敵を人気のない場所に誘導すべく、気を惹くために制服姿で参戦したが、どうやらその心配は無用そうだ。
     とは言え、音に加え倒木というあきらかな道標を残していく敵ならば、その力も相応のものなのだろうか。追う側であるのに、まるで誘き出されているかのような感覚に、烏丸・碧莉(黒と緑の・d28644)はその翡翠を思わせる双眸を僅かに窄める。
     幾つもの冬枯れの木々を縫うように走り抜け、そして灼滅者たちは同時に、一様に足を止めた。
     ――近い。
     幹の軋む音さえも聞こえるほど、確かな地鳴りが届くほど近くに、敵がいる。徹が遮音を展開すると同時に、見合った一同は音と気配を殺したまま、迅駛に陣を組んだ。後衛を内に入れた三重陣。数も、得体も知れぬ敵と対峙するには最善の陣形だった。
    (「こっちに来てますね……けど、どこから……?」)
     志穂崎・藍(蒼天の瞳・d22880)の視線を汲み取った羽丘・結衣菜(歌い詠う蝶々の夜想曲・d06908)が、解らない、と言いたげに首を横に振る。
     一刻、また一刻と膨れあがる緊張感の中、地面の砂が微かに啼いたのを明莉は聞逃さなかった。
    「上だ!!」
     瞬間、硬質な音が辺りに響いた。
     上段から振り下ろされた鋭利な一撃。それを己の愛刀で確りと受け止めた饗庭・樹斉(沈黙の黄雪晃・d28385)が、眼前の悪夢へとひとつ笑む。
    「こっちは独りじゃないんだ。8人分の五感があるからね」
     死角は、ないよ。


    「これ以上、被害は出させません! マジピュア・ウェイクアップ!」
     封じていた力を解き放ったジュンの声と共に、矢継ぎ早に攻撃が放たれた。幾つもの爆音と光が、闇を纏った尖兵へと襲いかかる。
     それが人なのか、獣なのか。不必要なまでに大きな黒衣に阻まれ、藍はすぐさま判別することができなかった。それでも、恐らく頭部と思われる場所めがけて突き上げた拳は、確かな手応えでもって敵を捕らえ、その身体を高々と吹き飛ばす。
     攻撃と同時にその身に加護を宿した藍。これで悪夢になぞ負けはしない。そう意気込む娘の傍らを、徹が勢いよく駆け抜けた。
    「正体をあらわせっ、です!」
     娘の手元で一瞬、蝶の翅のように広がった春色のリボンが、忽ち鋭利な刃となって敵を貫いた。身を翻すも避け損ねた尖兵の身体はぐらりと揺れたが、未だその闇を祓うには至らない。
    「さぁ、この攻撃でも受けてみなさい」と、碧莉も敵の正体を探るべく自己強化を兼ねた巨腕の一撃を放ったが、後方へと吹き飛ばされながらも踏み留まった尖兵に、疲弊した様子は見られない。
     そも、敵がその衣を払うのは、闘いにおいて本気になったそのときだ。本気を出さねばならぬほど敵を追い詰めねば、弱点も突きようがない。
     その点に於いて、灼滅者たちは無策ではあったが、同時に、無意識ながらも最悪の事態は回避していた。
     答えは至ってシンプルだ。
     手加減をせねばならない相手ならともかく、灼滅を目的としているならば自然と強打を与えられる技を選び戦に臨むもの。
     あとは、いかに効率よく追い詰められるか。唯それだけだ。

     風を裂き、骨肉を砕き、獲物を激しく交える音が、薄く朝靄の立ち籠める戦場を満たし、その足場に敵味方の区別もつかぬほど無数の血花を咲かせてゆく。
     激しい裂痛に見舞われているのか、律の繰り出した氷弾をまともに喰らった影は、呻き声を上げながら一気に前衛との距離を詰めた。音も無く跳躍し、大きく視界を覆った衣の内から放たれた一閃は、爪とも刃とも思える鋭利さで灼滅者たちの皮膚を斬り裂き、肉を削り落とす。
    「樹斉さんっ!」
    「大、丈夫……!」
     咄嗟に敵とジュンの間合いに飛び込んだ樹斉は、眼前で陽炎のように揺らぐ悪夢を見据えながら頷いた。痛みよりも、まるで抉られた傷口から血と共に力が抜けていくような感触に眉を寄せると、獲物を握る指先へ力を込める。倒れさせはしない。これは昨夜見たばかりの夢ではなく現実で、そして周囲には仲間がいる。独りきりの闘いではないと実感できることが、樹斉の心を一層強くしていた。
     すかさず治癒をもたらしたのは結衣菜であった。獲物に刻まれた祝福の言葉を、淀むことなく紡いでいく。攻め手を仲間に託す代わりに、癒し手の要として皆の命を護る。それが己に託された役割だと、少女は誰よりも良く理解していた。
     敵を知るには、まず敵を観察することから。そう心得て尖兵の動きを注視していた藍は、それが自身の初夢ではないことを早々に察していた。己の見たものならば、例え裂傷を受けたとしても恐らく血などは流すまい。
     それでも、未だそれ以上のことは解らずじまいであった。
     確かに、誰の初夢かが解れば弱点なぞ看破するまでもないが、短期で敵を追い詰める策を、生憎彼らは持ち合わせてはいない。例え尖兵と言っても、アガメムノンの力でダークネス並の力を得た相手だ。本来攻撃役であった徹や碧莉も治癒に回らねばならず、攻め手を欠いた状況は灼滅者側にも相応の疲弊をもたらしていた。
     前線で相応の傷を負いながらも、ジュンは軽やかなステップで躍り出た。記憶に残る母の動きを模していながらも、それは確りとジュンの足取りでもあった。高く跳躍した空中で身を反転させ、流星の軌跡を描きながら全体重を乗せた強蹴を影へと見舞う。
     躱しきれず地面へと仰臥した敵を、続けざまに明莉の風刃が襲った。猛り狂うほどの旋風の内から、言葉にならぬ叫声が響く。邂逅してから初めてはっきりと耳にした敵の声に、明莉の眉が僅かに動いた。
    「……無道が見たのは、亡くなられたお祖母さんの夢だったっけ」
    「うん。嬉しいけど、懐かしいけど、何だかとても悔しい気持ちの残る夢」
     初めて知った人の死をどう受け止めて良いか解らず、幼い自分は唯々恐ろしくて泣いた。まるで死というものが無数の黒い影となって襲い来るような感覚。その恐怖を治め、死を受け入れる切欠をくれたのは、己を抱き留めてくれた祖父のぬくもりだ。
     攻撃の手は止めぬまま、そう一瞬だけ口許に微笑みを見せた律に、明莉も独りごちるように語る。
    「俺も、懐かしい風景を夢に見たんだ」
     風の収まりとともに再び姿を見せた尖兵は、やおら立ち上がると、襤褸となった黒衣を疎ましげに払った。
     顕になった姿は、胴衣袴姿の老人だった。肩から上は影に染まり解らないが、それは確かに、夢の中で『なにか』を待ち続けた、あの男の姿であった。


    「あれって木元さんの夢!? 弱点は!?」
    「『真摯な想い』……どんなものでもいい。真剣な心を伝えれば、相手も敬意を感じて戦意が下がるはずだ」
    「それならいつも通りってことね、志穂崎さん」
    「――はい!」
     互いにポニーテールを揺らして勝ち気な笑顔を交わすと、藍は結衣菜へと背を向けて駆け出した。折角の年初め、しかも良い一年となるよう願う初夢を悪夢にして乗り込もうなぞ赦せはしないし、いい度胸だ。
    「どんなに悪夢の姿で人の弱みをついても、私たちは絶対負けない。――全霊を賭して、灼滅してあげるよ」
     傷の癒えきっていない身とは思えぬほどの跳躍で敵へと肉薄した娘に、男は僅かな怯みを見せた。その一瞬の隙を突いて、藍は纏った炎もろとも強脚を叩き込む。
     体勢を崩しながらも後ろへと距離を取った男は、直後、脇に構え直した血塗れの獲物を大きく抜刀した。
     季節外れの桜の花弁が、一瞬にして視界を覆う。噎せ返るような花の香りに紛れて迫り来る鋭利な衝撃波の前に立ちはだかったのは、樹斉と徹だ。
    「大丈夫、僕が護ります」
     徹もまた、識っていた。独りでは倒せぬ敵であろうと、皆の力を合わせれば畏れることなぞ何もない。それは、今までの闘いで徹が経験してきた、確かな答えであった。
     仲間を護らんと、ちいさな身体で敵前へと仁王立つ少年少女。その背を見つめながら、結衣菜が柔らかな声音で癒やしの唄を紡いでいく。清々しいはずの初夢を利用してまでやることが、ただ暴れるだけとは。豪快な作戦とも癒えなくもないが、肝心なところに抜けがあるように思える状況に呆れはあるが、なんにせよ看過できるものではない。
     ここまで追い詰めたのなら、あと僅かのはず。ならば、前に立つ者たちを全力で支えるだけ。その気持ちは、碧莉もまた同じだ。 
    「回復はお任せください!」
     幼い頃に両親を亡くし、孤児として育ってきた。だからこそ、それが例え悪夢であったとしても、せめてこの日だけでも親の愛に触れてみたい。そう想う心はあれど、碧莉もまた灼滅者であった。平穏な日々との無縁さを感じながらも、その翡翠色の双眸で確りと敵と戦場を見据え、清涼なる風で仲間の傷を癒していく。
     和らいだ痛みとともに戻ってきた指先の感覚に、ジュンはひとつ笑みを零した。どんな敵を相手取ろうと、成すべきことは変わりはしない。己のできることを、精一杯やるのみだ。
     服の裾を靡かせながら、低姿勢のまま戦場を疾駆した娘は、そのまま敵の懐に飛び込んだ。近距離から拳を叩き込まれて吹き飛んだ男の許へ、続けざまに樹斉が間合いを詰める。
    「新年から怖いもの見せてくれようとしてるけど、僕たちが勝つよ……!」
     勢いのままに、天雲が轟音を孕んで振り下ろされる。
     男のことは何ひとつ識らなくとも、男の抱える何かの、その重さを察することはできた。だからこそ、ここで倒しておかねばならぬ。夢が、夢のままで終わるように。
     肉と骨が砕ける音に混じり、男の呻き声が聞こえた。片膝をつき、尚も起き上がろうとする老人から目を離せぬ明莉へと、律が言う。
    「……終わらせよう」
     ひとりじゃない。皆の力を合わせれば、きっと上手くいくから。律に頷きながら、明莉も獲物を構えて人ならぬ力を喚ぶ。無数の氷弾と竜巻が桜の花弁を舞い上げ、現世にあらわれた夢の残滓を瞬く間に飲み込んでいく。
     何年も、何十年も、何百年も。
     何を、誰を待っているのかも忘れるほどの年月を待ち続けた老人の消えゆく気配を感じながら、灼滅者たちは花沈む最後までその場から動かなかった。
     穏やかながらも妙に物悲しい、それが夢の終わりであった。

    「……しっかしこれ出てきたって此間の新宿防衛戦のせいかなー。似たの居たし」
    「どうでしょう……何にせよ、このままだといずれ武蔵坂学園も危険に陥りそうですね」
     街へと戻る道すがら、呟いた樹斉へ碧莉が答えた。それでも今は勝てて良かったと、徹はほわりと微笑みを見せる。
    「そうだ。黒鐵さんから預かっていたケーキ、どうしようか?」
    「あっ……なら、後で学園で食べますか? 折角ですし」
     律へと返しながら、徹は思う。自身の見た結婚式の初夢。あのとき花婿の顔が見えなかったのはきっと、今までこの内に生まれた特別な好意と向き合うのを畏れていたせいだろう。それに気づいた彼女ならば、心と向き合い、迷いを断ち切る日が来るのもそう遠くはないはずだ。
    「そう言えば、羽丘さんの初夢ってどんなのだったんですか?」
    「えっ……!? わ、私のは……ちょっと、黒歴史を抉られてる感じで心が苦しくなるんだけれども、うん……」
    「そ、そうだったんですね」
     すみません、と詫びる藍に大丈夫だと笑う結衣菜。その傍らで、現実に現れてしまえば大事になっていたであろう初夢を見ていたジュンは、密やかに胸を撫で下ろす。
     そんないつもの日常へと瞳を細めていた明莉が、静かに視線を上げる。
     白み始めた空へと溶けかけた月が、夜の終わりを告げていた。

    作者:西宮チヒロ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年1月15日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 2
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