アガメムノンの初夢作戦~夢盗人の宴

    作者:高遠しゅん

     きぃんと音が聞こえてくるほど冷たく晴れ渡った空。
     早朝の住宅街には、まだ人の動く気配はない。年が変わって二日めの朝を迎えたばかりなのだ。多くの人々が、布団から離れがたく思う、夜と朝との境目、穏やかな微睡の時間。
     ゆらりと動く何かがあった。
     夜色の布のようなものを纏い、裾を引きずってゆらりゆらりと動く『それ』は、滑るように音もなく住宅街の角を曲がったとたん、その裾を大きく翻した。周囲に夜が放たれる。
     住宅のブロック塀、街路樹が根こそぎ倒れ電柱をなぎ倒す。裾が翻るたびにどこかが夜に呑まれ、壊れていく。
     ただただ破壊のために、冷たい早朝の空気の中、夜の魔物は進む。
     遠いどこかで犬の吠え声が聞こえた。


    「新年早々悪いが、急な事件だ」
     櫻杜・伊月(大学生エクスブレイン・dn0050)は、寝癖がついたままの髪を邪魔とばかりに一つにまとめた。新年に替えたばかりの手帳のページには、既にぎっしりと文字が書かれている。
    「四大シャドウ、歓喜のデスギガスの配下であるアガメムノンが動いた」
     デスギガスの名は灼滅者の記憶に新しい、第2次新宿防衛戦で撤退した強大なシャドウのひとりだ。
    「アガメムノンはどうやら、灼滅者の存在を脅威と思ったようだ。どこにあるかも分からない武蔵坂の本拠地を攻撃するため、武蔵野の町に実体化させた尖兵を放った」
     アガメムノンは学園の規模も正確な位置も把握しておらず、武蔵野の町が襲撃の対象になったのは偶然だろう。学園の危機というほどではないが、このまま放置したならば町は大変なことになってしまう。
    「初仕事、かな。君たちに町を守ってほしい」

     悪夢の尖兵は、本来ならソウルボードの外に出られないはずだ。今回の事件は、初夢という特殊な力を持つ夢を利用したことと、タロットの力が関係しているらしい。
     伊月が紙に万年筆を走らせて適当に描くのは、黒い布を被った意外にファンシーな化物の姿だ。
    「夜色のシーツを被った化物。見た目はある意味愛らしいが、実体化したシャドウの力は君たちが一番よく知っていると思う」
     24時間程度で消滅する力しか持っていないが、一晩も破壊活動を放置したならば町がどうなるか、想像に難くない。
    「戦闘時に本気になると、シーツを脱いで本来の姿を見せるようだ」
     戦闘方法はと問う灼滅者のひとりに、伊月は眉を寄せた。詳細は見えなかったのだと。
    「正体を現すまで戦って、初夢の内容が何であるか判断できれば有利に戦える。しかし、実体化したシャドウは強力だ……そこまでの余裕があればいいのだが」
     初夢の内容によって、実体が変化する。
     ならば、それを操作できるということにもなりはしないか?

    「全く、ここ数年正月休みは無いも等しい。厄介な事件だが、無事に解決して皆で新春を祝い直そう」
     この程度で武蔵坂の灼滅者を倒すことなどできない。そう知らしめす機会でもある。
    「全員の無事の報告を、私は学園で待っているよ」


    参加者
    黒瀬・夏樹(錆塗れの手で掴むもの・d00334)
    卜部・泰孝(大正浪漫・d03626)
    栗原・嘉哉(陽炎に幻獣は還る・d08263)
    漣・静佳(黒水晶・d10904)
    北條・薫(とうもろこし弁当の人・d11808)
    結城・麻琴(陽鳥の娘・d13716)
    鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382)
    氷室・侑紀(ファシキュリン・d23485)

    ■リプレイ

    ●一月二日、武蔵野市某所
     集まった八名の灼滅者たちは、誰からともなく形式上の新年の挨拶を交わし、小さく話しながら冷たい風の吹く新年の町を歩き始めた。エクスブレインの示したシャドウ、アガメムノンが放った悪夢の尖兵が破壊の限りを尽くしているという通りまで、あと少しある。遠く破壊音も聞こえてくるようだ。
     灼滅者に盆暮れ正月年末年始はないに等しい。ダークネスはそんなこと気にしちゃくれない。むしろ嬉々として活動するのではないか、なんて思ったりもするが、それはそれとして。
     八名一様に表情は硬い。
     初夢は、夢を住処とするシャドウにとっては、年に一度の特殊な力を持つ夢なのだという。その力で正月に浮き立つ町を破壊するなど、見過ごせるはずもなく。
    「初夢かぁ」
     今日の夢はどんなのだっけ、と結城・麻琴(陽鳥の娘・d13716)は首を傾げた。思い出せるような、思い出せないような。もともと夢なんて、朝目が覚めて布団から出た瞬間に忘れてしまうようなものだから。
    (「……悪夢、だわ」)
     漣・静佳(黒水晶・d10904)はぎゅっと右手を胸に抱きしめた。誰にでも思い出したくない過去が、罪があるもの。常に胸の奥に感じているそれを、目の前に引きずり出されるのは恐ろしく、辛いことだ。いつか乗り越えなくてはと願うも、その傷は棘のように、不意に夢に現れては痛みを残していく。
     静佳の肩にそっと手を置いたのは、北條・薫(とうもろこし弁当の人・d11808)だった。今の薫に怖いことが無いわけではない。しかし愛する人と心寄り添わせながら困難に立ち向かう強さを得た今、どんな傷を暴かれても乗り越えていけると信じている。
     今日の夢は、と黒瀬・夏樹(錆塗れの手で掴むもの・d00334)は前置きして、
    「昔の夢でした」
     短く語る。
     誰の夢が悪夢として実体化するか分からない今、情報の共有は大切だ。早歩きの道すがらの情報交換は、これから起こる戦闘に備えてのミーティングも兼ねている。しかし詳細を語ってしまうには、夏樹の初夢もまた重いものだった。
    「我等等しく、命削り命奪う者。良き夢こそ夢幻也」
     卜部・泰孝(大正浪漫・d03626)は雪駄の爪先で弾いた小石が転がって、側溝に落ちるのを見た。灼滅者の足下に、奈落は常に広がっている。顔に巻いた布の下、苦い笑みが浮かぶ。
    「正月くらい、いい夢見たかったけどな」
     栗原・嘉哉(陽炎に幻獣は還る・d08263)は言って肩をすくめた。悪夢など誰が好んで見たいものか。ましてや、自分の嫌な側面や、過去の傷、思い出したくない物事ならなおのこと。年が改まって初めて見る夢くらい、皆で笑っていられたらいいのに。
     周囲に一般人らしき人影はない。造られた灼滅者である証、麗しい白蛇を腕から肩に絡ませた氷室・侑紀(ファシキュリン・d23485)は、初夢とは、正月とはそういうものかと、ちらりと背後の鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382)を見やった。なんだか様子がおかしいような。どんよりと肩に影を背負った脇差は、虚ろな眼差しで宙を仰いでは重苦しい溜息をついて、とぼとぼ歩いているのだ。
    「悪いものでも食べたのか」
     細身の眼鏡の位置を直して問えば、
    「……違う。そんなんじゃねーよ」
     新年早々の悪夢に一晩丸々うなされたと、充血した目をこすり脇差が答えた。言葉の真意は分からないが、そっとしておいた方が良さそうだと侑紀は判断する。もうやめて、こっち来ないで、脇差のひっとぽいんとはもう……とかなんとか、うわごとのように漂ってくるがすっぱり切り離して意識を前方へ向ける。闇の気配だ。
     全員が瞬時に武装完了した。
     目の前に虚空から溶け落ちるようにして『夜』が訪れる。悪夢の尖兵、ふわりひらりと翻る夜色の布。放たれた闇が街路樹を根こそぎ食い破る。素早く展開した遮音の術が、早朝の住宅街に轟音を遮断した。
    「構えろ!」
     あの中には『何』が有るのだろう。
     囲むように布陣した八人の誰もが、それを見たくないと願った。

    ●夜の闇と心の闇
     最初に動いたのは侑紀だった。
     目の前に降りてきた夜色の布が翻り、その内側に白衣の腕が見えた気がした。撃ち下ろされるロッド型の装備が、かつて『病院』で肩を並べて戦い、酷い戦いの末に喪った誰かに似ているようで。
    「――まさか」
     白蛇の絡む槍に螺旋を描かせ突き込めば、返すロッドに見覚えの有る癖がある。そんな事くらい知っている、お前がお前であるのなら、次に来るのは。
    「避けろ。巻き込まれる」
     表情の薄い侑紀の唇に、かすかな笑みが浮かぶ。懐かしい者を見せてくれた、と。
     列を襲う衝撃波を防御の形で防いだ泰孝は、翻る布の奥に血濡れた男女の腕を見た。耳の奥に響くのは、黄金の髪揺らす幼い少女の笑い声。
    「否……否!」
     あの少女は灼滅されたと聞いた。ここに有るはずがない。だとすれば、あれは己が見た夢か。魂が口を開けた奈落に引きずり込まれ、身体の隅々に闇が満ちる感覚は生々しく覚えている。忘れられるはずもない。目の前にして力及ばず、両の手より零れ落ちた命がある。あの水飛沫を、あの悲痛な叫びを忘れるものか。
    「所詮、影の操る影法師よ。過去の水音爪弾く、祈祷奏上奉る」
     手繰る鋼糸が幾重にも夜を絡め取り封じたなら、小さな白い手が握る無骨な大鎌が、もろく形を崩した。
     大雑把に思えても、さすがは夢を住処とするシャドウのやり口だ。
    「悪夢を駒にするなんて」
     嫌なやり方だと夏樹は眉を歪めた。力任せで倒せる敵の方がよほど気が楽というもの。鎖剣をしゃらりと鳴らして身構えた目前に、翻る夜色の布。突き出された白い細腕の、手の甲に血色のスートが嘲笑っている。腕に絡む長い髪、まさしく己の悪夢そのもので――瞬間、呼吸が止まる。
    「……あれは作り物。まやかしだ!」
     首を捕み、長い爪を深々と食い込ませて締め付けてくる腕に斬りつける。手首からばらばらに断ち切られた腕は、そのまま夜色の朧と消えていった。
     まやかし、まがいもの、夢幻の泡。目を閉じれば心を揺り動かす悪夢。夜霧を呼んで夏樹たちに癒しを与える静佳は、唇をきりりと結んだ。彼らにはどんな夢が見えたのだろう、でもそれに心乱されている様子は見られない。でも、もし、自分が見てしまったなら?
    「……っ!」
     闇が広がる。視界いっぱいに広がる闇に、ぎっしりと光る小さな赤い目があった。檻のような廃車の中から這うようにして現れたのは、ぼろぼろに崩れた骸。たった三年前まで自分を『友』と呼んでいた顔が、嗄れた声で名を呼び、取り込もうと手を伸ばし、そして、
    「静佳ちゃんしっかり! あんなもの、見ちゃダメだよ!」
     ごうと唸りを上げた炎の蹴りが、悪夢の闇を切り裂き焼き尽くす。麻琴が肩を掴み揺さぶり、声で静佳は我に返った。
    「わたし……」
    「ねえ、楽しいこと考えよう? せっかくのお正月だもん、美味しいもの食べたり、初詣行ったりしたいよね。あとお年玉で初売り行くの! 楽しみ!!」
     太陽のような麻琴の笑顔に、静佳は頷き返した。どこかで鈴を振ったような忍び笑いも聞こえたが、仲間とともにある限り、もう闇には囚われない。
     麻琴もまた前を見る。切り裂いた闇のかけらに、己の姿が見えた気がしたのだ。今もその闇は魂の奥底に潜んでいる。存分に戦いたいと願って、成り代わる機会を狙っている。それは今かも知れないというのに。
    「代わってなんてあげないんだからね」
     ゆうらり揺れる闇に、言い放つ。私は、私のものだ。誰にも渡さない。
    「新年早々、説教なんてごめんだよ」
     っていうか、出てこられると困るから。広がる夜を影に喰らわせながら、嘉哉はまだ覚えている初夢を思い出す。延々と降ってくる説教に辟易したのだ。その相手は。
    『俺様達ガ弱いのは、お前らが俺様達より弱いからダ』
     悪夢の尖兵、布の中から声がする。一晩聞かされたあの、偉そうな俺様声。
    「まさか、俺かよ!?」
     炎を纏う腕が、布の隙間から伸びて頭を掴もうとする。強引な夜にクロスグレイブを押しつけ、零距離で放つ黙示録砲が夜の衣を剥ぎ取った。
     土煙の中から、なんだか賑やかな音がした。軽快なメロディに乗ったステップに、ひらりふわりと揺れる幾重にも重なったスカート(膝上15センチ)。
    「ふざけんなよ、こん畜生おお!!」
     脇差が頭を抱えて地に膝をつく。アスファルトをがんがん殴りつける。
     神よ、何故私をお見捨てになったのですか。いや、シャドウよ、何故俺を選んだのですか。こっちが聞きたいよ!
    「俺かよおおお!!!」
    「えええ!?」
     一緒に何故か薫が叫んだ。ほんの一瞬だけど、自分の悪夢も見えたのだ。愛にあふれた温かな家庭を築き始めた薫、その伴侶が見知らぬ女と微笑み交わし、そっと頭に――うさ耳をつけたのだ。紛れもない悪夢。思わず反射的に縛霊撃で思い切りざっくり殴りつけてしまったくらいには見たくない悪夢だ。
     拳で涙をぬぐい、立ち上がる脇差。運命と闘う男の目をしていた。
    「対策は、ある」
     その手にうさ耳カチューシャの束を握りしめて。

    ●そしてシリアスは崩壊した
     ちゃらーらーん、るるーるーん♪
     うーっさうさうさうっさみん♪ う・さ・み・ん☆スター♪
    『今年もうさみん☆スターをーよろしくぴょおおおん!!』
    「「「いやあああ!!!」」」
     ふりっふりきらっきらのアイドル衣装に劇的進化を遂げた脇差(悪夢の尖兵実体化)が、すげぇイイ笑顔で勢いよく迫ってくる。視線を合わせただけでこう、心の奥の見ちゃいけない何かを見ちゃった気にさせる。一方的に黒歴史を引っ張り出され、脇差のメンタルがざくざく削れていく。
     トラウマをえぐりながら追ってくるだけなので、全員でとりあえず逃げているのだが、これでは依頼遂行ができない。なので、対抗策を講じた。
    「これを着けて戦え!」
     脇差の手から全員に投げ渡されたのは、うさ耳カチューシャだ。更に脇差は上着を脱ぎ捨てた。下から似たようなフリルたっぷりのアイドル衣装が現れる。良かった、初夢と同じ衣装を中に着てきていて。そしてうさ耳を着ければ完璧だ。
    『おともだちぃー! うさみん嬉すぃい!!』
     問答無用でばっさり急所に刀を突き刺した。シュールな絵だった。
     うさみん☆は、うさ耳を着ければお友達と認識して油断するようだ。現に、八人全員が首を傾げながらもカチューシャを着けた今、浮かれて足を止めその場で軽やかに踊り出した。BGM付きだ。嗚呼。
    「くっ……殺せ!」
     絞り出すような脇差の嘆願に、全員が応えた。
    「……こういう事か」
     侑紀は唇の中でつぶやき、急所を切断する。
    「だから悪夢なんて、ぽいぽいっと!」
     麻琴が鋼鉄の拳をたたき込み、
    「その、すみません」
     夏樹は何故か謝りながら足の腱を断ち切り、
    「……ごめんなさい」
     静佳も何故か謝りながら冷気を喚ぶ。
    「いや、俺じゃなくてほっとしたような」
     複雑そうにうさ耳を揺らして嘉哉が炎纏う斬艦刀を叩き付け、
    「もう、驚かせないでください」
     まだ動揺が抜けない薫が影で縛り付ける。
    「心平らかに黎明迎えること、畏し込み申す」
     主に脇差に向けた言葉で、泰孝の大鎌の一振りが決め手となったのか。虚空に溶けるように、うさみん――否、アガメムノンの放った悪夢の尖兵(忘れがちだが尖兵だった)は消え去った。

     さて、改めて正月を祝うとして。
    「これから初詣行くけど、どうだ?」
    「いいね、みんなで行こう!」
     嘉哉の誘いに麻琴が歓声を上げた。
    「私はお先に失礼します。楽しんできて下さい」
     薫は伴侶の待つ家に帰ると頭を下げ、静佳は小さく微笑みかける。
    「一緒に新年、お祝い、するのね」
    「はい。さっき、おかしなものを見てしまいましたから」
     確かに、おかしなものだった。とても。
    「君の機転のお陰で、倒すことができた。感謝する」
    「そうですよ、だから気にしないでください。その、早めに忘れますから」
     慰めと励ましの言葉はそれが正しいのか判らない。侑紀と夏樹の言葉に、脇差はアイドル衣装を握りしめる。今年もなのか。また一年いじられるのか。
    「過去の罪は存じとへ給ひ清め給ふ事を……」
     登りきった日の光がまぶしい。泰孝が新年を言祝ぎ合掌した。

     新しい年、新しい一日。
     灼滅者たちは新しい一歩を踏みだした。

    作者:高遠しゅん 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年1月15日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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