Gray zone

    作者:日暮ひかり

    ●『ヴリヒスモス』――関島峻
     あの忌々しい悪魔を殺さねばならない。
     それらしい事件の噂を嗅ぎつけ遠くの街に来たものの、無関係な小物ばかりでもううんざりだ。とりあえず皆殺しにしておいた。もう衝動を抑える必要もないのだから。
     まったく人は脆い上に愚かだ。ビルの床に転がる強化一般人達の死体を、灰色の青年は無感動に見下ろした。遠くから犬の鳴き声が聞こえる。血のにおいが解るとでもいうのなら、犬のほうがまだましだろう。
    「……『関島君』も本当に愚かだ。天童も言ってたが、我慢せず殺せば良かったのに」
     犬が鳴くたび、何故か頭に鈍痛が走る。不快だ。地獄で見ているはずのあの殺人鬼は、今どんな顔をしているのだろうか。
     
     もっとだ。もっと殺人技術を高めないと、あの悪魔は殺せない。暫くはこのビルに潜伏するか――そう考えながら窓の外を眺めていると、OL風の若い女が通りかかった。泣いている。
    「あの……大丈夫ですか? こんな遅くに一人で歩いてると危ないですよ」
     青年に声をかけられた女はぼんやりと彼を見つめた。すらりとした長身に、無造作に乱れた茶鼠の髪。色素の薄い肌はあえかな光を受け、真っ白に見えた。人の良さそうな照れ笑いを浮かべてはいるものの、三日月のように輝く双眸だけが驚くほど冷たい。
     闇を得て、より退廃的になった容貌は一層異様な危うさを醸し出し、恐怖を抱かせると共に何故か惹かれる魅力があった。そのうえ熱心に泣き言を聞いてくれる青年に対し、女は次第に警戒心を失くしていく。
    「そうか……こんなに可愛い彼女がいるのに浮気なんて、酷い男だったな、そいつ。とりあえず駅まで送るよ、うまい飯でも食って忘れよう」
     『関島君』には絶対に言えないような台詞も、青年はすらすら言えた。
     本当に愚かな奴ら。優しい言葉をかけ、手の一つでも握れば、人気のない路地裏にだって簡単についてくる。下らない冗談でニコニコ笑って、何を期待している。幸福な勘違いをしている人間ほど愚かなものはない。
     突如口を塞がれ、喉元に紅い剣を突き付けられた女は泣いて助けを求めた。やはり適当に殺すよりこれだ。持ち上げた後に絶望に突き落とす、その瞬間がたまらない。
    「少しは幸せな時間を味わえたんだ。恐怖だけ与えるより優しいだろ?」
     ――そう囁いてやった瞬間、強烈な頭痛が走り凶器を取り落とした。
     
    「……関島……」
     またお前か。お前がそうして叫び続けるのも、古い約束を支えにしているのも理解不能だ。何故簡単に信じるんだ。俺は他人なんか、信じる気にもなれないのに。
     脆くて、寂しがりで、いつも他人の為に必死な、愚かで甘い連中。不快だ。この女も、関島も、奴に関わるすべての人間も。紅い剣を拾い、青年は無表情に標的を眺めた。
     ま、俺が殺してやるよ。
     
    ●Fortune favors the brave
    「大悪魔オセとの戦いで闇堕ちした関島先輩を発見したぞ。先輩、結構負けず嫌いな所があるからな……闇堕ち後もオセを殺す事を第一目的に動いているのは、まあ予想通りで助かった」
     関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)の闇堕ちを聞いた鷹神・豊(エクスブレイン・dn0052)の対応は、存外に迅速かつ泰然たるものだった。常に心の準備はしていた、という事だろう。
     闇堕ちした峻は無差別殺人より、一人一人にじっくりと絶望を与えて殺すことを好む性質を持つようだ。それが幸いし、まだ罪なき被害者は出ていない。
    「介入タイミングは、先輩がひっかけた一般人女性を殺してしまう寸前……頭痛で凶器を取り落とした辺りが最適かと思う。この頭痛は関島先輩の抵抗によるもので、十秒前後は隙が見えるだろう。君達ならその間に何かできるはずだ」
     場所は繁華街はずれの路地裏で、時間帯は夜中。人気は少ないものの、対策はしたほうがいい。
     戦闘中の峻は列攻撃で一網打尽を狙い、弱った所を単体で突く戦法をベースに冷静な攻めを展開する。
    「このダークネスは、元人格の関島先輩を見下し、嫌っている。先輩と親しかった者ほど疎ましく思われ、標的にされやすくなるだろうな」
     守りたい者を自らの手で傷つける事は、先輩にとって最も辛い事だろうと鷹神は言った。だが、説得内容次第でそれを逆手にも取れるだろうし、戦略的にもポイントになるだろう。
     
     最後に、峻が支えにしているという『古い約束』について、鷹神はこう話した。
    「三年ほど前の闇堕ちゲーム事件で『最後まで、どうあがいても駄目なら闇堕ちする。その時は、必ず助けに行く』って、皆と約束した事があった。その中の一人が関島先輩だ。結果的に、先輩は今日までそれを守り通してくれたわけだが……遂にこうなってしまい、まずはすまない」
     そう言い、集まった者達に頭を下げる。
    「……勝てる見込みは少ないってあんなに言ったのに。俺の勝手な期待を信じて……いつもそうなんだあの人。皆もよく、あそこまで戦ってくれたよなって……正直、泣きそうになった。有難う」
     約束は守る。
     でも、俺は間違いなく殺される。だから現場には行けないけど、先輩を助けたい気持ちは託したと言って、彼はやはり笑うのだった。
    「救出のチャンスはこれきり。失敗したら灼滅、頼むな。けど必ず戻ってきてくれるって、信じて待ってる。関島先輩は……君達灼滅者は、いつだって俺のヒーローなんだからな」


    参加者
    結月・仁奈(華彩フィエリテ・d00171)
    風宮・壱(ブザービーター・d00909)
    無道・律(タナトスの鋏・d01795)
    桜川・るりか(虹追い・d02990)
    室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)
    蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)
    祟部・彦麻呂(誰が為に鐘は鳴る・d14003)
    神西・煌希(戴天の煌・d16768)

    ■リプレイ

    ●1
     月だ。視界の端で月が歪んで、弾けた。
     突如始まった眩暈を伴う頭痛。灰色の青年――峻は不快感に額を押さえた。ひッ、と女が息を吞む声と、剣が落ちる音。明滅する夜景の中で、耳に届く音だけが鮮やかだ。
    「センパイがナンパ上手だなんて知らなかったな」
     ――聞き覚えのある声。無数の足音。それらは一際脳に響いた。
     路地の片側に隠れていた風宮・壱(ブザービーター・d00909)と無道・律(タナトスの鋏・d01795)、蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)が襲われていた女性を背に庇う。反対側からは結月・仁奈(華彩フィエリテ・d00171)、桜川・るりか(虹追い・d02990)、神西・煌希(戴天の煌・d16768)らが駆けつけ、援軍と共に峻の周りを取り囲む。
     室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)と祟部・彦麻呂(誰が為に鐘は鳴る・d14003)は怯える女性を保護し、昭子と藤乃に後を引き継いだ。彼女達なら女性も安心だろう。人の壁と、ESPによる二重の人避けが築かれ、更に路地の両側を和弥と純也が見張る。一般人が近づく可能性は低い。人工光に照らされた峻の顔は血の気が無く、月色の瞳はまだ焦点が定まらぬままだ。
    「っ!」
     正気に返った峻は足元の剣を爪先で蹴り上げ拾うと、周囲に禍々しい殺気の結界を構築する。咄嗟の判断力と俊敏さは、普段に輪をかけて冴えていた。
    「聞いたよ、約束の話。『どう足掻いてもダメなときは闇堕ちする』『そして必ず助ける』――残り半分守ってもらうよ」
    「ああ、来てくれると思ってた。待ってたぞ、皆」
     ぎくりとした。痺れを堪えながら言った壱へ、穏やかに返す声音はいつもの峻そのものだ。口元の微かな笑みまで、先輩によく似ている。けれど――。
     湧き起こる感情を否定するように、律は男の鳩尾を強く蹴る。峻はこんなに冷えきった眼をしていない。
    「噂通り狡猾だね。『君』は嫌いなようだけど、僕は関島先輩が好きだよ。返して貰おうか」
    「流石に下手な芝居は通用しないか。面倒だ」
     鼻で笑うような声だ。白い貌からはすっかり笑みが消え、何の感情も残っていない。
    「関島さん、一緒に帰ろうよ。おかしいんだよね。ボク、ここのところお腹すかなくて。 関島さんがいなくなっちゃってからだよ」
     るりかも白い身体に制約の弾を撃ちこむ。軽くふて腐れたような表情には、けしてこの男に屈しないという強い意志が表れていた。何があっても倒れるわけにはいかない。仁奈が言霊を口遊むと、陰鬱な路地に甘い色の花が舞う。痺れがひくのを感じ、煌希も縛霊手を振るう。
    「お前が嫌うそいつはな、慕われ愛されるイイ奴なんだよ。傷つけるだけのお前とは違う。ちっと真面目すぎるきらいはあるが、そんなあいつに戻ってきて欲しい一心で全員、ここにいる」
    「理解不能だな。よく考えてみろよ。殺意を抑え、傷つき、苦しむだけの日常に『関島君』が本当に帰りたがっているとは俺には思えない。このまま消えた方が幸せだと思わないか?」
     峻は無骨な剣を振るい、霊力の網を軽く断ち切っていく。己の抱えた矛盾に苦しむ峻の姿には、ここに居る者なら覚えがあったはずだ。誰もがかけるべき言葉を選ぶ中、悲痛な少女の叫びが一瞬の沈黙を斬り裂いた。
    「嫌だよう!!」
     峻の視線を追うように彦麻呂も振り向く。穂純だ。その隣には、りね。
    「優しいの、嘘なの? 言葉も全部嘘なの? いつでも助けてくれたし、お小遣いだってくれた。文句言いつつ優しかった。私はそんな関島さんにすごく甘えてた……だってそれが当然だったんだもん」
    「峻おにいさんは最初、とっても怖い人だって思いました。でもそれはその人の事を考えて言ってくれているから。耳に心地よい言葉だけしか言わない壁島さんは峻おにいさんじゃないです」
     灼滅者もダークネスも、皆『ひとごろし』だ。
     峻の苦悩に些か割り切った見解を持っている自覚はあった。けれど天使のように思っている少女達がぽつんと立っている姿に、『ひと』はやはり心打たれるのだ。
     【Little Eden】――憧れの先輩を取り巻くこの尊い世界が、好き。見守っていたい。壊したくないから、彦麻呂は奇譚を語る。
    「結局は先輩自身がどうしたいかですよね。先輩がこっちに未練が無くて、ダークネスになってナンパに興じたいと言うなら私は止めません。まぁその場合」
     二の不思議、土蜘蛛。意思持つ呪いの影が峻にまとわりつく。
    「……正義のミカタとして先輩を殺さなきゃなんないですけど。ただそれは私もしたくないですし、何よりホントに未練は無いんですか? 可愛い後輩たちを置いてどっか行っちゃって、ホントにいいんです?」
    「流暢に女の人をナンパする関島さんは関島さんじゃない。 厳しくても誰よりも本当はマメで優しい事、ボク知ってるもん!」
     るりかの勇ましさが頼もしい。報告書を読んだ時は思わず涙したけれど、もう大丈夫。今度は私達が助ける番――躊躇は捨て、香乃果も殺戮帯を走らせる。そんな彼女達を見て、峻は甘い薄笑いを浮かべた。
    「滑稽だな、その必死さ。だがお前らの絶望した顔は見物だろうな――なぁ、見せてみろよ」
    「……やっぱりイヤーっ!!」
     皆は心底思った。本当に、このキャラだけは想定外だったよと。
     
    ●2
     ……。
     なぜ絶対に笑ってはいけない救出劇になったのか。どうにも残念な空気に希沙はデジャヴを覚えた。やはり、こうなる宿命らしい。
    「リア充を爆破する集団ことRB団を前にナンパしようとするとは、『壁ドンの峻』……」
    「RB団! 鉄則ひとーつ、抜け駆けは許さん! あの人はターゲットじゃないでしょ」
     追い打ちの如く現れたのは世にも残念な同志達……もとい、サバト頭巾姿の刑一とクロエだ。そしてめりる達【フラッパーサテライト】で共に戦ってきた皆も。
    「壁ドン峻先輩、先輩の大切な人は貴方には傷つけさせない。奪わせなんて絶対にしないんだ……!」
    「悪島さん……アナタ、オセと戦うのが怖くなったんでしょ? 関島さんなら闇堕ちの力なんかなくても追うわ。お前に卑下されるほど安くないのよ、彼」
    「おい、どうでもいいが妙なあだ名で呼ぶな」
    「おう壁ドン氏」
    「わるじー」
    「闇兄ちゃんチョイ悪兄ちゃん!」
    「ダークサイド関島くーん」
    「……」
     いくら何でもナメられすぎだろ関島。颯音の台詞と八津葉の挑発、及び予想の斜め上をいく扱いに壁島(仮)は苛立ちと、若干種類の違う頭痛を覚えた。ナタリアとルリは思わずくすりと笑い、彼に声をかける。
    「貴方はもっと諦めの悪い人だと思っていました。どれほどの困難でも、力の及ばない敵と戦うとしても、約束を守る事が奇跡に等しくても、それが諦める理由にはなりはしない」
    「関島さんの『諦めずに進む』背中には、ちょっぴり憧れていたんだよね。まだ、その背中には追いつけてない気がするから、いなくなっちゃうと困るのです」
    「諦めない……か。確かに、俺が外に出れたのも関島のその愚かな信念の賜物だ。だが奴は最後の最後で屈した。『もう勝てない』と察してしまった。わかるか? 闇に敗けたんだよ」
     嘲笑うような声に仁奈は唇を噛んだ。護りたい、けどどうしようもない。そんな峻の歯痒さ、無力感を、仁奈はこの場の誰より深く知っている。時にそんな自分に絶望しても、一緒に帰ろうと迎えにきてくれる人がいる事も。
    「峻先輩がいない日常はみんな寂しそうだった。沢山心配してる人がいるの、きっと知ってるよね。わたしもとても寂しい。また一緒に遊びたいし、話したい事だって…………ねえ峻先輩、やっぱり寂しいよ」
     クラブで遊んだ楽しい時間。依頼で並んで戦った事。峻と過ごした日々が頭を過る。敗けた、なんてまだ言わせないから――仁奈の負けず嫌いに火が点いた。前線の仲間を護るように、花色の帯が舞う。
    「わたしも。届くまで、ずっとずっと諦めないから!」

     どんな絶望の中でも絶対に諦めない。
     峻のその姿に勇気をもらったのは、身近な友人のみではなかった。

    「全く……。真面目でしっかり者の関島さんが六六六人衆の真似だなんて、らしくないですわよ?」
    「自分の体をいいように使われて納得する人じゃないでしょう。中で抗ってるなら、今がひっくり返し時、そう思いませんか?」
     桜花や依子ら背中を預けて戦ってきた戦友達もまた、峻の為に集まっていた。峻の眉がぴくりと動く。また、頭痛。苛立ちをぶつけるような回し蹴りは精細を欠き、煌希と敬厳に受けられる。それでも骨が砕けそうな重さに、二人の顏は苦しげに歪む。
    「何故だ。何故、他人の為にそこまで必死になれる」
    「生憎そう簡単にやられるタマじゃねえんでなあ。それに、他人じゃねえよ」
    「そうじゃ。戦友を救うに、ためらいなどあろうものか。 何より峻殿は、わしがいつか越えたい人じゃ」
     枳殻のような鋭い枝状の氣が、敬厳の足元から伸び峻を貫いた。首根っこ掴んででも戻ってきてもらうぞい――真珠色の武器に、少し伸びた背丈。蜂家の当主となった敬厳は、凛とした眼差しで彼を見る。
    「穏やかながら確たる意志を秘めた、名に違わぬ峻峰のような背中。もちっとその背中を追うていたい」
     どんなに背伸びをしてみても敵わない、尊敬している貴男でいてほしい。見違える程成長した少年の瞳は、真っ直ぐな憧憬に輝いていた。まるで戯れるようにお返しだ、とへらり笑って、煌希は唖然とする峻を蹴り倒す。
    「戻って来いよ峻。また一緒に依頼に行こうぜ」
     八重歯を覗かせ、煌希は心からの笑みで手を差し伸べた。馬鹿か、とその手を振り払った峻の両腕を掴んだのは、誠士郎と健だ。
    「失うこと、壊すことは一瞬。だが、何かを守り通すことは一時では出来ない。関島の守り通してきたものは、決してお前が見下げて良いものなんかじゃない」
    「さり気無い優しさの中に滲み出る心強さや、頼り甲斐のある格好良さに、ヒーローの道目指す僕も密かに憧れてた。兄ちゃんは独りなんかじゃない。クラブや依頼で縁を結んだ面子がココにいる!」
     二人の言葉に煌希も頷く。共に戦う中でそんな峻の人柄を垣間見て、必ず連れ戻さねばと思ったのだ。
     真面目でお人好しで、いつも必要以上に頑張ってしまう。不器用で少し残念で、放っておけない人。そんな人間くささが愛され慕われ、つい弄りたくなる。
     だが、皆ちゃんと見ている。信じている。
     そんな峻が、いざという時最高に格好良い姿を見せてくれる事を。
     立たされたばかりの峻に、彦麻呂やニュイ、律が容赦ない攻撃を加えた。大丈夫。彼はきっと立ってくれるから。何度も、何度でも。
    「……く、来るな」
     激しい頭痛と眩暈で、峻の顔は蒼白になっていた。
    「俺は、俺は他人なんか信じない。勝手に信じて、裏切られて、ボロボロに傷つきながら全て失っていけばいい。だから俺は何も要らないのに、愚かな奴等。甘すぎるだろ。関島がどんなに守りたくたって全部簡単に、掌から零れ落ちてくのにな……!!」
     錯乱している。血で染まった白手袋を見つめる『彼』は、一体誰なのだろう。
     本当に、全部抱え込む人。
    「!」
     香乃果に振るわれた紅い刃を、壱は自らの胸で受けた。無骨な剣先に肉が絡み、気絶しそうに痛い。常に厳しい位置で、誰より傷を受けていた先輩。これが先輩の痛みなのだ、と今更ながらに思った。
     今までの借り、ノシつけて返すよ。今日その役目を負うべきなのは――俺だ。
    「……前から思ってたけど、関島センパイは何でも自分ひとりで背負おうとするよね。傷つけて痛いだの辛いだの目逸らしてないで、ここにいるみんなをちゃんと見ろよ。誰もセンパイに守られてやるなんて顔してないだろ?」
     炎を宿したグローブで、壱は峻の頬を殴った。きなこの回復を受け、一呼吸して周囲を見渡す。
     そうさせてしまっていたのは俺達かもしれない。皆簡単には死ぬか、という顔をしていたのに。
    「闇堕ちしてまで庇って助けてもらっといてなんだけど、俺もだよ。センパイの背中を見てたこともあったけど……もうそうじゃない!!」
     この責は、誰にも背負わせない。
     溢れる血の熱さに、傷の痛みにも負けず、最前線で仲間を支える壱の姿は、普段皆が見てきた峻にそっくりだ。壱の言い分に心当たりがあったか、錠と葉が溜息をもらす。
    「俺も、お前が一人で背負い過ぎてムカつくことあったよ。 けどそういうトコ含めて峻だし、俺等まだ峻と遊び足りねェから帰ってきてくれよ」
    「やっぱオメーはクソ真面目なツラでクソ真面目に長文連投してる方がお似合いだよ。あんなボロクソに負けてお前まで帰ってこなかったら、メシがクソ不味くてかなわんわ」
     寂しんだよ、お前いないと――ぽろりと零れた錠の本音に、千波耶が微笑んだ。
    「帰りを待ちわびてる人達が……峻くんが護りたいと思う人達がいて、こうして迎えに来てるんだから帰らなくちゃ。ね?」
     ――頭が、痛い。

     刺される可能性もある。だが、香乃果は前に進み峻の赤い手をとった。
    「私にも約束があるの。もし俺達がやりすぎたら君が止めてくれ、って……」
     峻とは何故か気が合う気難しい男と、三人で交わした約束だ。掌に、るりかがちょこんと硝子の鳥を乗せた。必ず助けに行くと言い、皆をヒーローとも呼んだ彼――豊さんも一緒だよ、と優しく笑って。
    「人は脆いよ。気持ちだって些細な事で揺らぐ時もある。でも信頼を積み重ねた絆は強いの」
     隣に添えるのは、いつか二人で拾った貝殻ふたつ。去年と、一昨年の分。あの夏の日も 灯籠流しも菜の花畑も、もっと沢山。沢山、全部、大事な思い出。
    「一緒に過ごした時間は消えないし、想いは力になるから。貴方には愚かに感じても、人を信じない貴方がこの強い想いに勝てる訳ない!」
     信じてる。今年も一緒に貝殻を拾おうって、約束したもの。けれど心の片隅に残った不安が、香乃果の頬を涙で濡らす。
    「……失いたくないよ。当たり前にあるって信じていた、峻さんがいる未来を」
     きっと峻さんは私以上に苦しくて辛いはず。その気持ちも、全部受け止めるから大丈夫だよ――香乃果は峻を抱きしめた。あの時は、恥ずかしくて逃げてしまったから。
    「負けないで。言ったでしょ。嵐も海賊も貴方と乗り越えたいって」
     すすり泣く声が聞こえる中、律は二人に穏やかな微笑みを向けていた。
    「もうあんな顔を為せないで下さい……彼女にも、先輩にも笑っていて欲しい。じゃないと僕が辛いんです」
     焦れったいな、そう何度思ったろう。体温すら通ってしまう程、近くに居るのに。あんなにも――温かい眼差しを向けているのに。
    「ねー。女の子を泣かせるなんて、壁ドンよりタチが悪いですよ。先輩」
     からかうように笑う彦麻呂へ、動けない峻はやっとのことで反論した。
    「約束……。本当に下らないな。そんな不確かな物を支えに生きていけるわけがない」
    「約束は絆の証。人を信じられへんのは、お前が弱いからでしょう。そんな奴に、先輩も皆も負けへんよ」
    「関島さんは他人を信じられる強い人だよ。 他人を絶対に信じられないキミは、関島さんに永久に敵う事はない」
     希沙の言葉にうん、と頷き、るりかが地を蹴った。
    「一人では受け止め切れない現実を前に膝を折る日もあるだろう。でも、自分の信じるものの為に再起する強さ、誰かの信念の為に手を差出す優しさ。先輩には、人の強さと優しさがある」
     手を離す気なんて毛頭も無い。打ち砕く。彼が独りで背負い続けた業、全て。
     律の放った魔弾が峻を深く凍らせた。重力で勢いを増したるりかの蹴りが、流星の煌めきと共に胸を襲う。
    「目ェ覚ましやがれ、峻!」
    「帰ってきてください。関島峻の強さを、示して!」
     重い、重い一撃だ。深層に触れ、心まで壊れてしまいそうな。成り行きを見守っていた治胡が、最後に一声かけた。
    「俺は生きたくなった。みっともなかろーが足掻くと決めた。関島を、俺達を生かしてくれてありがとう。救った心算なんて更々無いだろーが『アンタ』にも、俺は感謝してるよ」
    「……な……」
     それは男にとって何より屈辱的な一言だったろう。だが、或いは――。
    「皆を助けろっていう頼み、叶えたぜ」
     『彼』が何を思ったのかは、わからないままだ。

    ●3
     血の気は戻っても頬は冷たい。戦いを終えた峻の身体は冷えきり、衰弱していた。
    「栄養ある物食べてる? 戻ったら私が何か作るから……」
     香乃果に支えられ立ち上がった峻に、仁奈はお帰りなさい、と笑顔を向ける。
    「壁ドンするならやっぱり1番すきな女の子にするべきだし、チャラい感じも新鮮だけど、うん……自然体でいいんだと思うんだよ」
     何があったか記憶が曖昧なのか、峻はぼんやりしている。律と仁奈は顔を見合わせ、苦笑した。この壁はいつ外れるのだろう。形は違っても、想い合っているだろうに。
     おかえり、とるりかが肩を叩く。
    「自分がどうなろうと、誰かが助かるならいいって思ってたでしょ。ダメだよ。関島さんのいない世界はボク嫌だもん」
     案外鋭い。彼女にまでそう言われ、次は峻が苦笑する番だ。
    「関島さん、ボクあの時のあの冬の海を忘れない。また海を見に行こうよ。今度はあの時と違う景色が見えてくる気がするんだ」
     もちろん、これ持って――豆乳クリームたい焼きは優しく懐かしく、温かく、美味しい。
     皆の笑う声が、夜に心地良く溶けた。関島峻はこうして、再び日常に埋没していく。

    作者:日暮ひかり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年2月4日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 20/キャラが大事にされていた 2
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