悪魔を、描く

    作者:遊悠

    ●アトリエにて
     おお、悪魔よ!
     黄昏の支配者よ。鴉と梟の主よ。歩む道に唾する者、堕落の化身、逢魔が辻に佇む者よ!
     我が絵筆はかの大いなるソロモンの鍵、我がカンパスは栄華を誇る大バビロンの白亜である。我はその上から真紅と純黒の二色を以って汝をえがこう。
     真紅は処女の鮮血なり。純黒は穢れを知らぬ赤子の屍なり。
     我は生の紅と死の黒の口付けを以って、汝をえがかん。
     おお、悪魔よ!
     現れよ!
     降臨せよ、降臨せよ! 我が元に、我が眼前に! 汝の黒き毛並みの腕を以って、我を悪徳のエデンへと、ソドムでもゴモラでもいい。誘え、誘え! 果たして我を現世より解き放たん――。
     我に闇の力を! 

     住宅地を見下ろすアトリエの脇に鬱蒼と蔓延る、無花果の樹がある。アトリエから流れる暗黒の歌を、悪魔は無花果の樹の上で聞いていた。
     そして、夜風に囁く。
    「いいでしょう、斎画伯。しかし勘違いをして貰っては困るのですが、わたくしは貴殿の狂気と蛮行に興味を示したのであって、アナタの芸術とやらに魅せられたわけではないのだ」
     闇夜よりも尚黒き翼が、アトリエを覆い始める。
    「――悪魔は、芸術を解さないのだから」


    「みんな、最近出回っている悪魔の絵って知っているかな?」
     事件の説明の為に灼滅者達を教室に集めた須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)は、白いヴェールに隠された四角い物体を背に告げる。
    「最近出回っている奇妙な絵画。見た人は死ぬとか見た人を不幸にさせるとか、いわゆる曰く付きのある話なんだけど、これに『ソロモンの悪魔』が関わっているみたいなの」
     見てもらった方が早いかも知れないね、とまりんは背後の白いヴェールを取り外す。その向こうに隠されていた大きめのキャンバスには、黒と赤で巨大な単眼が描かれていた。
     何処か腐臭の漂うような画風――瞳にぶちまけられたような黒と赤のコントラストが、見る者に生理的な嫌悪感を齎した。まりんはこれは模造品だけどと註釈をつけたが、常軌を逸した悪魔の絵に灼滅者達の表情は、一様に苦々しくなった。
    「この絵の作者は、斎信也っていう人なの。聞いた事は……ないよね。絵画界でもあまり有名ではないみたい。でもある日から妖しいモチーフに耽溺し始めて、自分のアトリエに篭りっきりになった人みたいなんだ」
     斎信也(いつき・しんや)――聞いた事のない名前だ。集まった面々は顔を見合わせる。
    「その斎画伯のアトリエの周辺で、若い女性や赤ん坊の行方不明事件が多発しているの。私が予見したのはその人達の末路。そして、闇に堕ちてしまった画伯の姿。……今回のみんなへの依頼は、斎画伯の灼滅、だよ」
     斎画伯は常に人気のない街から少しだけ外れたアトリエに篭っているから、後で渡す地図を見てくれれば接触は容易いと思う。まりんはそう付け加えた。
    「画伯の戦闘能力だけど、ソロモンの悪魔から力を分け与えられているみたいで、強力なものになると思う。みんな、絶対に油断しちゃいけないからね。『ソロモンの悪魔』としての力と、絵筆を『マテリアルロッド』のように扱って攻撃してくるみたいだね」
     まりんの表情が僅かに翳る。
    「……それと、画伯の周りには眷属として6体のゾンビがいるみたいだよ。……きっと行方不明になっていた人達の成れの果てだね。そこまで手を闇に染めてしまった画伯はきっともう戻れないね……せめて、皆の手で灼滅してあげて欲しいんだよ」

     全ての説明を終えて、まりんはぺこりと可愛らしくお辞儀をする。
    「――後に残る絵画については、みんなの判断に任せるよ。手強い相手かも知れないけど、みんななら大丈夫だって私は信じているよ。闇の力になんて負けないでね!」


    参加者
    峰崎・スタニスラヴァ(エウカリス・d00290)
    暮色・真千(あますずめ・d00446)
    東雲・凪月(赤より紅き月光蝶・d00566)
    仙道・司(オウルバロン・d00813)
    マリア・スズキ(トリニティホワイト・d03944)
    碓氷・爾夜(コウモリと月・d04041)
    天月・一葉(自称萌えの探求者見習い二号・d06508)
    椎名・亮(イノセントフレイム・d08779)

    ■リプレイ

    ●蒼ざめたアトリエ
     街外れに存在するアトリエはひっそりと静まり返っていた。周りに茂る無花果の木々は、昼間だというのにまるでこの場に夜の帳を降ろしているかのようだ。
    「ここから入るしか無さそうですね……」
     目の前には入口なのだろう、装飾の施された重厚な扉。その前に集った灼滅者達の一人である仙道・司(オウルバロン・d00813)が、扉を見上げながら呟く。
    「そうだな。このアトリエの周りを見回ってみたが……ご丁寧に窓は全て封じられていた。入るならば此処しかないだろう。まるで侵入経路を定められているようで、癪ではあるが、な」
     碓氷・爾夜(コウモリと月・d04041)もそれに同意した。
    「……みんな、気付かれないようにこっそりと、ね」
     峰崎・スタニスラヴァ(エウカリス・d00290)の言葉と、気味の悪い音を立てて軋む扉の音と共に、一行はアトリエへと足を踏み入れる。
     内部は酷く閑散として、その暗さは足元さえ危ぶまれる程だった。一歩足を踏み出すたびに奇妙な音階がアトリエに響き渡る。
     だがそれ以上に、何よりも気になるのは咽返るような、謎の匂いだ。悪臭と言うには酷く甘く、薫香と言うには本能的な嫌悪感を覚える。
    「うっ……なんだよ、これ」
     椎名・亮(イノセントフレイム・d08779)が表情をしかめた。
    「……絵の具の、匂い。それが、きっと、腐って落ちた……匂い」
     廊下に飾ってある一枚の絵。梟の瞳と翅を持つ悪魔の絵。それをどこか茫洋とした表情で眺めるマリア・スズキ(トリニティホワイト・d03944)はそう告げた。
    「絵の具って、これがかよ……」
     今まで体験したことも無い、不可解な香りに亮は背筋が寒くなるのを感じた。
    「あは、もしかして亮ちゃん、恐い?」
     亮の肩に手を置いて天月・一葉(自称萌えの探求者見習い二号・d06508)がへらりとした顔を、ひょっこりと出す。
    「違っ、そういうわけじゃなくて……何だか、胸の辺りがムカムカするんだ。何で一葉は笑ってられるのさ?」
    「さあ、なんでかな~?」
     はぐらかされた。からかわれたのか、初仕事である自分の緊張を解してくれたのか。一葉の胸中を察し得ない亮は、僅かに唇を尖らせた。
    「皆、こっちへ来てくれないか」
     その時、何かを発見した東雲・凪月(赤より紅き月光蝶・d00566)が全員を呼び寄せた。
    「見て。階段みたいだ。地下に続いている」
    「このアトリエには、地下があったという事ですか」
     凪月の発見に司が唸り、胸に沸き起こる確信に頷きを落とす。
    「僅かにだけど……音がする。きっといるのね。この先に」
     暮色・真千(あますずめ・d00446)の言葉に皆が頷いた。誰も「行こう」とは言わなかった。言うまでも無く、力強い歩み進める意志が灼滅者達にはあったから。

    ●白いキャンバス
     光のない地下の階段を、一歩一歩降りていく。果たして終点に待ち構えていた扉を灼滅者達は開いた。
    「客人かね――」
     巨大な白いキャンバスを背負い、座り込む細身の影からしわがれた声が放たれる。彼こそが斎信也なのだろう。白髪混じりでみすぼらしい姿だが顔は理知的で、いかにも芸術畑に居るような中年の男だった。
     だが足を踏み入れた一行の注意は、彼にでは無かった。
     地下室の中は無残なものだった。部屋の壁一面に彩られる黒と赤。そして無残に絵具として『仕分け』られた骸群。綺麗に切り分けられた幼い頭部達だけが、魔法陣の頂点に座し、蝋燭の炎に照らされている。気の弱い人間ならばその場で卒倒してもおかしくはない光景だ。
    「――反吐が出る」
     爾夜が嫌悪感を隠さずに鋭い視線を斎へ向けた。他の者達も一様に同じ想いだ。
    「っ……こんな、俺には芸術なんてわかんねーけど、人の命をこんなっ、これが、芸術っていえるのかよ!?」
     亮の激昂を涼やかな風として、斎はその身に受けた。
    「客人ではないのか。悪魔でもないようだ。芸術? ふふっ、芸術ねえ」
     斎はその言葉を反芻しながら、穏やかに笑む。腰掛けていた安楽椅子がきしりと揺れた。
    「なるほど然り、人の命とは、人生いうものは芸術そのものだ。極彩色の絵の具の数々、夢、愛、希望、罪、命、それを白いキャンバスに、べっとりと塗りたくっていく――気付いた時には一枚の絵さ。私は絵描きで、それが生業だ。画材を哀れに思う絵描きが何処にいるのかね?」
    「あなたが手に掛けた人は、画材なんかじゃない。一つの命。人間だよ」
     スタンの言葉に斎は耳を貸さない。立ち上がっては大きく腕を広げる
    「おお、悪魔よ! とくと照覧あれ! この斎信也、全身全霊の絵画を! お前の姿をッ! そして、そして――」
    「もういい――闇よ今こそ裁きの時だ、Now The Time!」
     斎の言葉を遮って、司がスレイヤーカードを解放させる。聞くに堪えない正気ならざる言葉。それを断ち切るには――灼滅する他ないッ!
    「あなたが、何を描こうと、何で描こうと、どうでも、いい。でも、悪魔に、与するなら――殺す。絶対に、殺す」
     マリアが足元の霊犬と闇の契約を交わしながら、静かで冷たい殺意を送る。
     斎は虚空に絵筆を奮い――。
    「どいつもこいつも私を理解しない。誰も彼もが私を阻害する。だが、まあいい……それも当然の話だ。だから、私は、屍の上に絵を描こう。命を賭して悪魔の絵を、邪魔をするものは許さん」
     絵筆が奇妙な光を放つと、散乱していた骸たちが動き出し、各々が自分の首を傍らに携える。
    「行け、絵の具達よ。処女は血を絞り取ってから殺せ。若い腸はいい晩餐となるだろう」
     斎の眷属と成り果てた嘗ての人間たちは、物言わぬまま灼滅者に襲い掛かる!
     
    ●罪の黒
    「題名『亡者の楽園』」
     斎の号令と共に、亡者達が牙を剥く。
    「っ……来たか、だがこの程度で俺は止められない! だがアンタはここで止めさせて貰うッ!」
     凪月が体術を用いて、亡者達の身を切り裂いていく。
    「なつきちゃん、援護するね~」
     それと同時に一葉も凪月に続いて敵陣へと切り込んだ。だがその手応えに一葉は首を傾げる――弱い。
     亡者の群れは外見のおどろおどろしさとは裏腹に、手応えを殆ど感じさせないものだった。奮戦する灼滅者達の誰もが、その『手応えの無さ』に違和感を覚える。
    「題名――『旋風』」
     亡者達に気をとられている隙に、斎が行動に移る。衣服が無残に切り裂かれる竜巻の如き真空波が絵筆から放たれた。
    「くっ……!」
     スタンが片膝を付き、反射的に露となった肌を手で覆い隠す。咄嗟に亮が心配そうに声をかける。
    「大丈夫か、スタニスラ――」
    「……椎名せんぱい、スタンって呼んでくれると嬉しい」
    「……大丈夫そうだな。じゃ、行くぞ! ついでに俺のことも亮でいいからな!」
    「ん。解った、亮せんぱい」
     スタンが無事だと解れば、亮はゆらめく炎を纏いながら、銃火の物量で亡者達の掃討を始める。
     先ほどの斎の一撃で、動きの鈍った霊犬を嗾けながらマリアは氷の呪法で亡者達の攻撃を鈍らせる。
    「司、今」
    「解っています。せめて、歪な生からの解放という安らぎを……!」
     その瞬間に、司の鋼糸が亡者を両断する。
    「眷属にされて心を失っても、まだ影が残ってるのね……だったら喰らい尽くして消してあげる。闇も未練も、全部」
     真千からの、亡者達に対する影の手向け。命を弄ばれた亡者達に漸く安らぎの時が訪れたようだった。
     だがその間隙を縫って、斎は再び絵筆を輝かせた。
    「題名――『衝ぐっ』……!?」
    「二度目はやらせんよ。僕がその罪を消し去ってくれる」
     斎の動きを抜け目無く警戒していた爾夜の放った熱閃が、機先を制し相手の行動を阻害する。
    「くっ、くっ……ふっ、私の罪を問うというのか。そうとも、私は罪の徒だ。だからこそ、私が、私だけが悪魔を描く資格を持ち合わせている――ッ!」
    「悪魔は、アンタの方だよ……!」
     凪月の瞳が斎の姿を捉える。紅蓮に輝く刃が、斎の身体を切り裂き、血の花を咲かせた。
    「これで仕舞いだ……闇は闇に、還れッ!」
     斎の身がよろめく、形相は蒼白に塗り替えられ、目は大きく見開かれる。
    「まッ、まだ……こ、ここで、ここで死ぬわけには……場所だ、場所が違うんだ……」
    「いいえ、あなたの、死に場所は、ここ」
     マリアの魔弾が、斎の身を無地のキャンバスへと吹き飛ばした。

    ●炎よりも紅く
    「おお……ここだ、ここで、いい……」
     自らの血でキャンバスを染めた斎は、磔にされたかのような形で力なく項垂れた。鮮やかな赤は、両肩から翼のように噴出し、滴り落ちている。
    「我が身を以って、これで、最後の絵は、悪魔の絵は、完成した……これで、私は……おお、おお! そうか、お前達が。我が、愛しき悪魔たちよ、地獄への案内、痛み入る――」
    「一体、何を……まさか、貴方はそれが目的で。そんな目的の為に、多くの人を……!?」
     怒気を孕んだ司が当然の疑問を口にする。だが、既に死の世界に足を踏み入れつつある斎の返答はたどたどしいものだ。
    「子供には、わかるまい、ある時、ふと気付く、自分のキャンバスが白紙である、ことに……何も、何も、何も……ないんだ。意味も価値も、平等に何も……その時、私は声を聞いたんだ。ああ、あの狂おしい声、悪魔の声。私は、私は、何も無い場所に描かれるなら、それが悪魔だったとしてもフフッ、フフフフフッ……!」
    「わたしには、わからない。それは知りたくもない」
    「スタンちゃんと同じ~理解したくもないかな~」
     スタンに続いて、一葉が否定する。最早灼滅者達の瞳に映るのは、画家の姿なのではなく死に掛けたただの狂人に他ならなかった。否定を態度に表すように、更にマリアが一歩前に出て、ガンナイフを突きつける。
    「死ぬ前に、言って。あなたが、会った、悪魔。名前、は?」
    「ア……」
     斎は乾いた唇を何度か動かそうとする。
    「……私の、出会った、焦がれた、本当の悪魔は、君……達だよ……」
    「――――」
     ――そうして闇に染まった狂人は地獄へと堕ちた。

     斎が最後の言葉を口にした後程なく、アトリエは紅蓮の炎に包まれていた。
     アトリエに存在する『悪魔の絵』ごと焼却する。それが灼滅者達の決断だった。
     その炎を、亮は複雑な面持ちで眺めていた。心中に去来するのは、斎の姿。――自分も、ああだったのだろうか。闇に囚われ、武蔵坂学園に導かれる前までの自分。
    「……俺たちは、悪魔なんかじゃあ、無いよな?」
     誰にとも無く呟く。
     そんな亮の肩口からにょっきりと一葉が顔を出す。どこかで見た光景だ。
    「わっ」
    「うわっ」
    「あは、やっぱり亮ちゃんは恐がりさんかな~?」
    「違っ、そんなんじゃないけど、ないけどさ……俺だって」
    「彼と同じじゃないって、言えるか……よね」
     二人が振り向くと、ぼんやりと炎を眺める真千とスタンの姿があった。彼女達にも思うことはあるらしく、言葉が重みに沈んでいく。
    「私もそう思う。何時だって……でも、きっと違う。違うと、思い続ける事がきっと大事なの。そう思い続けて私達は決して闇に負けないから、灼滅者なの。――それは忘れない」
    「……なの、かな」
     真千の言葉を聞いた亮はその場に座り込んで、顔を俯かせる。その頭をスタンが緩やかに撫でた。
    「大丈夫。きっと亮せんぱいは。ひとりじゃないもの」
    「……。それは、その、嬉しいけどさ。けど、あまり気安く男の頭を撫でないでくれよな」
    「どうして?」
     言葉は出ない。撫でられる行為を止めこそしなかったが、亮の顔は炎で照らされるよりも赤くなっていた。

    作者:遊悠 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年10月6日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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