●dolore
逢えないと、淋しい。淋しいと、悲しい。
感情とは兎角厄介なものだと、漸く知った。だが、心のどこかにあった靄が晴れたのも確かで、故にエトは灼滅者を恨んだりはしなかった。――感情を教えたことに関しては。
『……』
今なら解る。自分は今、悲しいのだ。彼らと同じ世界で、生きられぬことが。
『……どうしてくれるの、スレイヤー……』
こんな厄介なものを教えてくれて。知らなければ、何も感じずにいられたのに。
誰もいない空間に零れ落ちる、非難めいた囁き。共に同じ世界で、同じ刻を生きていけたらきっと、この渇きも知らぬ間に消えていくのだろう。
けれど、それが叶わぬこともまた、誰よりもエトが一番に知っていた。
灼滅者とダークネス。生きる世界の異なる、相容れぬ存在。ならば、もう――。
「いやあああああああああっ!!」
巡らせていた思考を遮断するほどの絶叫に、エトは弾かれたように顔を上げた。
然程遠くない場所からの声。それを探ろうとした矢先、肌に触れた気配に、娘は一歩後ずさった。どす黒く、息の詰まりそうなほどのそれは、止め処なく溢れる悲嘆であった。見れば、その漆黒の中心で、ひとりの娘が泣き叫んでいる。
エトは気づかれぬように闇に紛れると、そっと娘のソウルボードに降り立った。強い感情の波に飲まれぬようにしながら、娘の情報を探る。
夜、大型車との接触事故。アスファルトに広がる血の海。横たわる娘。弾き潰され、あり得ぬ方向に拉げた両足。
名は、五十嵐・舞。高校生。夢は――バレリーナ。
「来月には留学して……バレエの、夢……漸く一歩、近づいた、のに……足……足、私の足あしあしあし、あしが……ああああああ!!」
どうやら手術の最中らしい今この時点で事実を認識しているということは、事故直後はまだ意識があったのだろう。空気を揺さぶるほどの悲痛な叫びが、容赦なく耳を劈く。
「誰か……っ! 誰か助けて! 踊れないのなら生きてる意味なんてない、生きたくない!! 神様でも悪魔でも誰でもいい!! 誰かっ、誰か私を、殺して……!!!』
天を仰ぎ懇願する娘を見つめるエトの胸に、ひとつの声が過る。
――幸せは、与えられるものじゃない。自分で決めるもの。
『……そうだったね、スレイヤー』
それだけを呟くと、白いシャドウは血濡れの娘の許へ、音もなく降り立った。
●deficiendo
そう視たままを語り終えた小桜・エマ(高校生エクスブレイン・dn0080)は、手にしていた音楽ファイルをそっと閉じた。静かに毀れた息が、黄昏の音楽室へと染みて消える。
「白いシャドウ『エト・ケテラ』は、今までと同じように……ううん、今まで以上に明確な意思を持って、舞さんに死を与えようとしているんだと思います」
夢を絶たれただけではなく、身体の不便も一生背負うことになる舞にとって、死は心からの望み。
その切なる声を聞いたからこそ、そして何よりもリタの最期と酷似した状況だからこそ、エトもまた、死をもって生の苦しみから舞を解放しようとするだろう。彼女の抱えている悪夢を、幸福のそれへと変えて。激情とは無縁の、穏やかな世界のなかで。
また、手術は終わったものの、舞の命は尽きかけようとしている。エトが手を下さずとも、このままであればいずれ舞はその生涯を終えるだろう。
「……それで、今回も目的は『エトの撤退』か?」
神妙な面持ちで問いかけた多智花・叶(風の翼・dn0150)に、すこし間を置いて、エクスブレインの娘は答えた。
「今回ばかりはエトもそう簡単に引かないと思います。説得も相当難しいでしょう。ですから、撤退か……灼滅を」
いつものように、夢の中へ入るだけであればエトも攻撃はしてこない。ただし、舞への説得やこちらからの攻撃があれば、エトも攻撃へと転ずるだろう。
戦闘時のエトは、シャドウハンターと同様の攻撃手段を用いてくる。一撃は重く、そして体力も相応。見目は華奢な少女であっても、相手はダークネスだ。生半可な気持ちで灼滅できる相手ではないことは、心に留めておくべきだ。
「皆さんの話なら、聞くだけは聞いてくれるとは思いますが……でも、話術で戦いを避けたり、彼女を説得して撤退するよう促すのであれば、皆さんの意見の齟齬がないことは勿論、相当の理由が必要になります」
それに、と続けようとして、エマは一度口を噤んだ。無意識に左手を右の薬指にある指輪に添え、そのまま祈るように握りしめる。
「私も……同じように思ったことがあります」
夢を絶たれ、発狂しそうなほどの絶望から逃れたくて、何度も、何度も、強く願った。
私を殺して、と。
それでも今こうして此処にいるのは、失った夢の代わりに、エクスブレインとしての務めを得たからだ。
「今回ばかりは、何が正解なのか……何が舞さんにとっての幸せなのかは、解りません。彼女を救ってください、と抽象的で安易なお願いもできません。でも、これだけははっきり言えます」
私は、皆さんの理解者でありたい。
――たとえそれが、どんな選択であっても。
参加者 | |
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睦月・恵理(北の魔女・d00531) |
萩埜・澪(ひかり求める猫・d00569) |
奥村・都璃(焉曄・d02290) |
倫道・有無(闇を生む作禍宣誓・d03721) |
小沢・真理(ソウルボードガール・d11301) |
新沢・冬舞(夢綴・d12822) |
天道・雛菊(天の光はすべて星・d22417) |
牧野・春(万里を震わす者・d22965) |
●
ソウルボードに降り立った瞬間、息苦しいほどの圧迫感に襲われた。
一面の鈍色の靄の中で目を凝らし、求める姿を探す。
「エト、いますか」
「また会いに来たよ」
睦月・恵理(北の魔女・d00531)と小沢・真理(ソウルボードガール・d11301)の呼び声に、圧迫感が和らいだ。舞の夢に干渉し、灼滅者たちに掛かる重圧を緩和させたのだろう。
僅かに靄が晴れた先にいたのは、膝をつき項垂れる娘を抱きしめるシャドウであった。言葉を待つ新沢・冬舞(夢綴・d12822)たちへ、愁いとも咎めとも思える影を湛えた金の双眸を向ける。
『あんたたちも知ってるんでしょ? ……舞は、死を願ってる。それが舞の選んだ幸せ』
「待ってくれ。そう決めるのはまだ早い」
咄嗟に返した奥村・都璃(焉曄・d02290)に、倫道・有無(闇を生む作禍宣誓・d03721)も頷いた。
「エト君、人が自死を願うのは一時の衝動だ。苦を取り除くならまず支えてやれ」
「爆発的な感情で、大事なものを見失うことがあるの」
だから一緒にお話しようよ。そう穏やかに紡がれた萩埜・澪(ひかり求める猫・d00569)たちの提案を、けれどシャドウの娘は拒絶する。
『求めるものはもう手に入らない。それは誰よりも舞が知ってる』
エトが落とした視線の先には、舞の脚があった。肉が断たれ、顕になった骨は砕け、辛うじて繋がっている足先ですら在らぬ方向へ曲がったままだ。
『舞はわたしがすくう。わたしにしかすくえない。死ぬことで、幸せになるの』
娘は頑なであった。悩み向き進む姿は素直であり愚直でもあるが、次に進む段階が今だとしたら、見えぬ階段は昇れぬだろう。エトとリンを見つめながら、キィンはそう思う。
「エト、私達を行かせて価値がなかったこと、今まで一度でもありましたか?」
身を乗り出した恵理が声を張り上げる。己の切り札はひとつ。これまでに重ねてきた記憶。
『……そうやって言葉を尽して、また別の希望を見せるの?』
――叶う保証なんてどこにもないのに。
低く囁かれた声が毀れたと同時、娘の姿が消えた。
半拍遅れて響いた金属音。一同が反射的に見遣った先には、この状況を先読みしていた3人――影の刃を獲物で受け止め堪える天道・雛菊(天の光はすべて星・d22417)、そしてすかさず立ちはだかった真理と牧野・春(万里を震わす者・d22965)の姿があった。
「っ……これが君の本心ならば進めばいい。だが、君を想うからこそ止める者がいるというのは、知っておいて欲しい」
それには答えを返さぬまま。
エトが、地を蹴った。
●
「私はお前を灼滅したくは無い。だから全力で戦う!」
『都璃、あんたいつからそんな甘くなったの?』
上段から振り下ろされた一打を受けながらも、その皮肉めいた言葉の真意を探らんと、都璃は唯ひたすらにエトの姿を追う。
見通せぬ視界と、息できぬほどの圧。戦場を注視する有無を包むそれらは、まさしく舞の心であった。
とめどなく洩れる嗚咽と呻き声。その合間に響く、気狂いのような絶叫。殺してくれ、と涙しながら叫び続ける舞を庇いたくも、その立ち位置には既にエトがおり、手出しができぬ状況に多智花・叶(風の翼・dn0150)は強く唇を噛んだ。
とは言え、一概に悪状況とも言えない。
エトは幸福の悪夢で舞をすくうはずだ。つまり、この闘いで舞が死ぬことはない。狙いを澄まし、確実に急所へと致命打を当てていた春はそう確信する。
「私たちが、エトちゃんの知らない『すくい』の形を見せるから、だから……!」
真理もまた、相棒・ヘル君と挟撃しながらエトへ声をかけ続けていた。
エトに人殺しはさせない。そのために仲間たちと相談を重ねたのだ。ここで最善を尽さずして、どこで尽すと言うのか。
灼滅者から距離を取らんと、後ろへ飛ぶエト。それを見た冬舞が、すかさず一足飛びに間合いを詰める。
「エト、リタはなんと言っている」
舞の死に手を貸すことは、リタの望みでも、エトの幸せでもない。似た思いを抱く紫月も、心の痛みを識った彼女の本意を探らんと尋ねる。
「今回はすくうのではなく、切り離すのか」
「道を繋いで此処に集った者達は、叶わぬ夢こそ挑む者達だ。其れを知ってるだろ?」
『無駄に抗うより、死を選んだほうが苦しまずに済むでしょ』
拒絶するかのように放たれた無数の弾丸。その前に飛び出したのは澪だった。忽ち全身を襲う焼けるような激痛を堪えながら、声を絞り出す。
「そうだとしても、舞の終わり方……ひとつじゃないよ」
どれほど痛もうと、血が流れようと、膝を折りはしない。その気概で堪えた澪を支えるように、恵理が、雛菊が、真理とその相棒・ヘル君が、白き娘の行く手を遮る。
『ひとつじゃ、ない……?』
「うん。……舞も、聞いてくれる? あなたには、まだ選ぶ時間があるよ」
生か、死か。
後者なら、病室か、それとも夢の中か。
「舞の行先も、舞が決めるべきだと思わない?」
窺うようにエトを見つめる澪に、雛菊も首肯する。
「だから、もう一度考える機会を与えて貰えないだろうか」
『……それでも舞が夢での死を選んだら?』
「舞さんを責めない」
凛とした都璃の声に対し、舞は未だ噎び泣いていた。聞こえているのか、聞いてくれているのか。それは見守る春にも解らなかった。それでも、恵理は真摯に呼びかける。
「選べる幸せは増やせるはずです」
このままでは、貴女を愛したであろう人々に別れを告げられない。母を思わせる声音と、想いを託したエクスブレインの娘の心を借りて。記憶を呼び覚ますように問うてみる。
「一度、目覚めてみませんか」
「無理に選ばせるわけじゃない。……俺は、自棄で選んだ選択を後悔したから」
舞を救えばリタも笑う。そう思えてならないからこそ、力になると冬舞は添えた。蛍とリカも、義足や再生医療の、欠片ほどだとしても確かに残っている可能性を示す。
「希望を捨てないで。せめて、生きたくない、なんて言わないで」
「それとも君は、得た手札の全て、絶やすことを望むのか」
願うシェリーと、発破をかける純也。無論、生を強要することはできない。誰も舞の選択を責められはしない。――けれど。
「奪われた心残り、一瞬でも多く取返さないと悔しくないですか。……それに」
教えてあげて、と恵理視線で促され、叶も静かに頷く。
「言葉はなくても、母さんの最期のぬくもりが……おれに、大事なものを教えてくれた」
「舞は努力家な素敵な人……本当に今死んで後悔しない?」
心を寄せて宥めるように紡ぐ澪に、言葉を重ねる都璃。
「私は貴女に絶望したまま死んで欲しくない。そう願う人が、私たち以外にも絶対いる。だから……」
――諦めないで、欲しい。
瞬間、周囲にあった色と圧が、微かに、けれど確かに和らいだ。
そして同時に響き渡ったのは、エトの無感情な声だった。
『……好き勝手喋らないで』
「ならば、君宛の言葉なら続けても構わないだろう? エト君」
叶と共に治癒を施しながら、有無がエトへと視線を向ける。
舞をすくうことに固執している今、彼女への説得になり得る言葉は赦されないのだろう。そして有無もまた、こと救いに関しては己より他のほうが上手であることを識っていた。
エトに『人殺し』をさせはしない。
その想いは、真理もまた同じ。
呼応するようにひとつ吼えたライドキャリバーが、白いシャドウへと一直線に疾駆した。それに合わせ、真理も影を宿した獲物で鋭く切り込む。
思い出させねばならない。そして証明せねばならない。
エトは、リタと共に在ったことを。
『……っ!』
何かが視えたのだろう。斬り裂かれた脇腹よりも胸元を抑えながら息を漏らすエトへ、春も叫ぶ。
「私は貴女と共に歩みたい。その為ならいくらでも立ち上がりますし、思いを伝え続けます!」
春は、エトとの会話を選んだ。ひとたび力を行使すれば、得るものと諦めねばならぬものがある。だからこそ、舞へ掛ける分の言葉すべてを、春は戦場に響く歌声に乗せてエトへ注ぐ。それがひいては、舞の救いになると信じて。
●
幾つもの傷を受けながらもなお、白き娘は攻撃の手を緩めることはなかった。寧ろ苛烈さを増していくそれに、灼滅者たちの疲労の色も濃くなり始める。
「お前に舞さんは殺させない。それが、私の選択だ」
『……スレイヤーは、みんなそんなに強情なの?』
都璃へと毀れる、淡々とした声。けれど、間近で見た金の双眸にはどこか愁いの色があった。
柄を鳴らし、雛菊が描いた刃の軌跡には、愛刀から毀れた影の残滓。視界を横切った黒蝶たちに、エトも僅かに瞠目する。
「この蝶……君を斬ってから現れるようになった。……君が、私の心の一部になったからなのだろう」
『……雛菊』
「私は……舞の意思を尊重したうえで、君には心の望むように行動して欲しい」
『どうしたの。あんたがそんなこと言うなんて』
挑発的に言いながら、白い襤褸に広がる血の花も厭わず、エトは再び攻撃に転じた。
突き出された影刃を獲物で弾くと、澪はそのまま跳躍した。己を癒してくれる黒猫・スフィアのあたたかな力を感じながら肉薄し、煌めく幾筋もの鋼糸でエトを捉える。
「わたしも、喪ったよ」
闇に堕ちた手で、親友を。それでも、一度失くしたすべてを引き上げてくれた人がいたから今が在る。
「だから……もう、友達を殺したくない」
学園理念なぞどうでも良かった。死なせたくない。共に歩みたい。唯その一心で語りかける澪に、エトの眸が揺らいだ。僅かに見せた変化に、有無も諭す物言いにならぬよう語りかける。
「そも、人は顕世の生き物だ。最後は顕世で逝かせてやってくれないか」
彼女を単なる凶行に陥らせたら私の負けだ。
――正しく、私の、負けなのだ。
『なら……あんたも、そうなの?』
不意に投げられた疑問が、男の思考を遮断した。そこへ娘が重ねて問う。
『あんたも、顕世で死にたいと思ってるの? 有無』
それは純粋な疑問。だが、向けられた金の双眸はまるで、心の内の漠漠とした絶望を見透かしているかのようでもあった。
けれどそれも束の間、静寂を赦さぬとでも言うように放たれた漆黒の弾丸が、冬舞を襲う。
無数の影が容赦なく四肢を穿つも、男はエトから決して目を逸らさなかった。
そして口にする。
ずっと考えていた『答え』を。
「エト。……本当に死にたいのは、お前なんじゃないのか?」
弾けるようにエトが顔を上げた。瞠目するその金の双眸には、明かな動揺。
――舞は、死を願ってる。それが舞の選んだ幸せ。
――求めるものはもう手に入らない。それは誰よりも舞が知ってる。
――無駄に抗うより、死を選んだほうが苦しまずに済むでしょ。
ずっと、エトは語っていたのだ。舞の叫びとして、己の心の内を。そう確信した夏樹が静かに零す。
「リタさんを、淋しさの道連れにしてはいけません」
「いなくなるのは私、悲しい。またね、スレイヤー、って言って」
縋るように手を取るサフィに、シグマも零す。
「悲しい気持ちから解き放たれるために、エトがいなくなってしまうのは……俺も、嫌だ」
一緒にいたいけれど叶わぬ存在。それを良く識るからこそ、その魂も、そしてエトとも、共に居られる術を探す。そう誓う少年の傍らを過ぎり、雛菊がエトのそばへと歩み寄る。
「その道を進んでも、君の心が本当に望んでいる場所に辿り着けない。私はそう思う」
「せや。おまえが望む幸せは、本当に手が届かんもんなんやろか」
自分では見つけられずとも、他人なら。その可能性を説く燎に、周が、サフィが願う。
「可能性は探してみせる。だから……諦めるのは待ってくれないか」
「私達、あなたを諦めない。エトも、私達諦めないでいてくれれば、希望は繋がりますです……」
『でも……っ!』
堪らず叫んだエトへ、澪が反射的に駆け出した。わたし達も逢いたかったよ、と。傷だらけの腕で傷だらけの身体を優しく包み、囁く。
「悲しませてごめんね。でも求めてくれて嬉しい」
「エトさんもリタさんもひとりやないです。力貸しますで?」
采の柔らかな声に頷く仲間たち。樹斉の視線がエトを捉える。
「本当はどうしたいの?」
心は正直。背いたらそれは、自分への裏切りだから。
「……だから、心に嘘をつかないで」
そのとき、世界が白に転じた。
一瞬にして消え去った圧と靄。代わりにあたりを満たしたのは、仄かにぬくもりを孕む風と、柔らかな陽だまり色。
「これは……!?」
「そっか、エトちゃんの心は、舞さんの心でもあるから……!」
周囲を見渡す春の隣で、真理が声を上げた。
ふたりが同じ心境であるのなら、エトへの説得はそのまま、舞へのそれとなる。エト自身も気づいたのだろう。いつの間にか白の波間で穏やかに眠る舞の姿に気づくと、握り締めていた拳を弱々しく下ろした。
「灯した光を諦めるな。……呼べって言っただろ?」
ふと陰った頭上を見上げれば、柔く微笑む冬舞の顔。しつこいくらいね、とやり取りを思い出したエトもちいさく笑う。
『なんで……ここまでするの』
「友達だからだよ」
不思議そうに尋ねる娘へ、澪も微笑む。
わたしがわたしで有り続ける限り、あなたの理解者でありたい。
「相手の望み通りじゃなくて、為になる事をする。それが真の友だよ」
「ああ。そうやって人は、嘆きに寄り添い支え合うんだ」
「そしてみんなも、あなたに寄り添い、支えようとしている」
エトを囲むように立つ真理と冬馬。静かで力強い灯の声に、集った仲間たちも笑顔を見せる。
「私達に出来る事があれば来る、何度でも」
「だから、貴方が戦うのは……現実ではないですか?」
問いかける銀静。続く都璃へと、エトの視線が移る。
「人は人と出会うことで変われる……。お前も、そうではないのか?」
――エト。
初めて名を呼ぶ声に、エトの瞳にちいさな光が灯った。それを後押しするのは、どうと胸を張る勇介。
絶望と哀しみを抱えて歩く、その道を強制することはできないけれど。
「それでも俺が歩き出すのは、今の自分を求めてくれる人が居て、俺の手で幸せにしたい人達が居るからだ」
『求めてくれる、人……?』
「エト、私は貴女に2つの選択を教えてあげられます」
『……恵理の言葉は、いつだって厄介ね』
そう笑みを見せるエトへと微笑み返しながら、恵理は告げる。
ひとつは、こうして会い続けること。
ひとつは、エトの中で消えずにいるリタと向合うこと。
「彼女はもう愛されています……エト、貴女に。もしそれを知って彼女が外に出たいと想うならば、貴女は彼女の中で同じ世界に暮らす道も選べます。今より不自由ではあってもね」
人を知りたいなら、人の傍にいればいい。今でもそう思っていると微笑む都璃の傍らで、有無が1冊のブロマイド集を取り出した。
「学園の管理下にある淫魔だ。闇としての力を封じ人に近い生活を送っている。エト君も学園に未来を任せてみないか?」
「多くの人の希望となれる優しいあなたに、人と共にいてほしいから」
瑞枝と同じ思いは、栞も、そして春も。
「奇跡は起きないなんて思ってるかもしれませんが、私たちは今まで何度も見てきました。だからその可能性の為に、私は伝え続けます! 万里を震わす者として!」
『……わたしは、シャドウだよ』
「エトちゃん……!!」
反射的に叫んだ真理へ、エトが思わず笑み声を洩らす。
『外に出るなら……相応の量の灼滅道具、用意しておいて』
それが、エトの出した答えだった。
いつの日になるか解らない。
叶うかどうかも知れない。
けれど、影は託すと決めた。その一筋の光に、すべてを。
「もしその時が来たら、呼ぶから」
『その時って、いつ』
「いつか。でも、きっと。……想い人には、執着する性なんだ」
重ねた掌。エトとリタ。誰にも負けぬふたりへの想いを込めて微笑む冬舞に、エトも苦笑を滲ませる。
『なら、それまでは夢でも見てる』
あちこちのソウルボードを渡りながら。あたたかな夢の中で微睡みながら。そうして時折、誰かの夢に足跡を残して。
「一緒いられるなら、ダークネスに身体あげても良いかな、思ってました。……でも、止めておくです」
そう花のように綻ぶサフィに、エトも頷く。
『あんたたちがこっちに来ても……それは、わたしの知ってるあんたたちじゃない』
特に、と言いながら、金の瞳で雛菊の顔を覗き込む。
『雛菊。あんたに教えてあげる』
それは、彼女が決して堕ちぬよう。心を繋ぎ留めるための『呪い』。
『リタの本名は、『マルゲリータ』。……あんたの国の言葉で言うなら――『雛菊』だよ』
デージーとも呼ばれるそれは、リタの故郷に咲く可憐な花。
『リタは言ってた。デージーも好きだけど、私は蝶になりたいって』
大地から動けぬ花よりも、自由な蝶に焦がれた娘。その想い通り、白き娘は軽やかに地を蹴った。集った8人、いやそれ以上の灼滅者たちに見送られながら、ふわりスカートの裾を靡かせ、高く高く昇っていく。
「今度逢ったら、暖かいもの、楽しいこと、たくさん教えてあげるね! だって栞は、魔法使いだもの」
さあ、新しい風を吹かせよう。風見鶏が、悪い方向に向かぬように。
そうして、夢は静かに溶けてゆく。
――またね、スレイヤー。
風の波に柔らかに揺れる、白い花畑。
その向こうから、あの声が聞こえたような気がした。
作者:西宮チヒロ |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2016年2月19日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 5/素敵だった 33/キャラが大事にされていた 2
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