慈愛に至る対話

    作者:西宮チヒロ

    ●『護る』意味
    「この間の『プレスター・ジョンの国防衛戦』、大成功でしたね!」
     プレスター・ジョンの暗殺。そして歓喜のデスギガスの勢力拡大。
     双方が阻止できたのも灼滅者たちのお陰だと、ふわり口許を綻ばせながら、労いと礼を添える小桜・エマ(高校生エクスブレイン・dn0080)だったが、灼滅者たちの視線に気づき、その表情を曇らせる。
     プレスター・ジョンの国は護られた。
     ならば、その身が彼の国への入口となっていた優貴先生も目覚めるはず。誰もがそう思っていた。そう信じて闘っていたことを知っているからこそ、エマは躊躇いながら口を開いた。
    「……まだ、目覚めてないんです。優貴先生」
     息を飲む音。窺う視線。どうして、と言葉になった問いかけすべてを受け止めた娘は、手元の音楽ファイルを抱きしめながら、告げる。
    「優貴先生は、慈愛のコルネリウスに囚われています」

    ●『繋ぐ』世界
    「囚われている、というと語弊があるかも。……コルネリウスとしては、優貴先生を『護る』ための行動ですから」
     デスギガス勢力がプレスター・ジョンの国を狙っていることを知ったコルネリウスは、その入口となる優貴先生のソウルボードと自らのソウルボードを繋ぎ、彼女を『保護』しているらしい。
     ただそれは、このままでは優貴先生の目覚めが訪れないことも意味している。
    「ですから皆さんには、先生が目覚められるよう、交渉してきて貰いたいんです」
     ふたりのソウルボードが繋がっている今だからこそ、コルネリウスと直接会って交渉することができる。
     だが、この繋がりは優貴先生あってのもの。
     そして今、彼女の命はコルネリウスの手の内にある。
     万が一、コルネリウスが彼女の命を奪うようなことがあれば、灼滅者たちも無条件でソウルボードの外へと弾かれてしまう。つまり、会話はできるが、コルネリウス勢力への攻撃はできない状況と言えるだろう。
    「皆さんの言葉ひとつが、交渉の成否だけじゃなく、優貴先生の命を左右すると言っても過言じゃありません。――それでも」
     託せるのは、皆さんだけなんです。
     そう言って灼滅者たちへ瞳を巡らせると、エクスブレインの娘は静かに頭を垂れた。


    参加者
    赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)
    行野・セイ(オブスキュラント・d02746)
    月詠・千尋(ソウルダイバー・d04249)
    異叢・流人(白烏・d13451)
    クラウディオ・ヴラディスラウス(ドラキュリア・d16529)
    神原・燐(冥天・d18065)
    鳥居・薫(涙の向こう側にある未来・d27244)
    饗庭・樹斉(沈黙の黄雪晃・d28385)

    ■リプレイ

    ●『慈愛』への道
    「長閑ですね」
    「ああ」
     ちいさな歩幅で懸命に歩いていた神原・燐(冥天・d18065)に、隣を歩く異叢・流人(白烏・d13451)が頷いた。
     優貴のソウルボードにあった見慣れぬ扉を開けてから、どのくらいが経っただろう。色鮮やかな花々が両脇を縁取る陽だまり色の煉瓦道は、緩やかなカーブを描きながら未だ地平線の先まで続いている。
    「直接相見えるのは『あの時』以来か……」
     草花を柔く揺らした風に髪を浚われ、月詠・千尋(ソウルダイバー・d04249)は指先で軽く整え直した。
     初めて対峙したのは、約3年前。あれから灼滅者たちはコルネリウスと様々な形で関わってきた。時には敵として。時には協力者として。そうして互いにどう変化したか、千尋はそれを見届けたかった。
     不思議な縁は、行野・セイ(オブスキュラント・d02746)もまた同じであった。
     ほんの4ヶ月前、ちょうどこのくらいの穏やかな季節に訪れた魔人編纂室。そこで自ら触れた話題の主と、今こうして対面することになろうとは。
    「対立じゃない道も、今は必要なのかもしれないねぇ」
     呟きながら緩む口許。それが千尋の精一杯の虚勢だと知らぬまま、赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)も同意する。
    「今までも食い違いはあった。だが、分り合う意志を捨てるには早ぇだろ」
     流れる血は少ないほうがいい。そのために全力を尽す。その誓いごと、布都乃は拳を強く握る。
    「でも、彼女がこう動くなんて、実際かなりまずい状況なのかな」
    「どうだろうな」
     漆黒の瞳を丸くして考え込む饗庭・樹斉(沈黙の黄雪晃・d28385)にそう返すと、鳥居・薫(涙の向こう側にある未来・d27244)は口を噤んだ。
     無暗やたらと敵を増やすのも得策ではないが、それでも慈愛の娘にあまり良い感情は抱けなかった。
     不幸せな者に幸福な悪夢を見せていたのは己の内なるダークネスも同じであり、そしてソウルボードは壊せるものだということを、誰よりも薫自身が良く知っていた。
     歩きながらの会話は途切れがちであった。語らうには時間が余りすぎていたし、何より、これからの対話に対して各々が相応の想いを抱え込んでいた。
     それでも、歩き続けていればいつかは終いに辿り着く。
     風に混じる草の香り。その先に煉瓦道の終わりを見つけたクラウディオ・ヴラディスラウス(ドラキュリア・d16529)が、静かに確信する。
     もうじき逢える。慈愛のコルネリウス、その人に。
    「学園のため、人々のため、大津優貴のため。晴れ舞台だ、胸を張っていこう」
     見目も口調も、全ての虚飾は脱ぎ捨てた。
     さあ、話をしよう。
     ぶつけ合うのではなく、交わし合おう。
     互いの意志と気持ちを理解し合うために。
     理解し合えないとしても、今なら――いや、今しか出来ないのだから。

    ●『語り』はじめ
     途切れた煉瓦道の次に現れたのは、見渡す限りの草原であった。
     あちらこちらに群生する花が彩りを添え、時折吹く穏やかな風が光の波となって渡っていく。その只中に置かれたテーブルセットにふたつの人影を見つけ、灼滅者たちは慎重に歩み寄った。
     近づいてみれば、それはちいさなお茶会のようだった。
     真っ白なテーブルクロスの上には様々な洋菓子の乗った皿。その長テーブルの誕生席、大きな背もたれのついた西洋風のイスにコルネリウスが座っていた。傍らには、どこか困ったような表情の優貴が立っている。
    「サリュ、久しぶりだね。またこうしてキミに会えて嬉しいよ」
    「あなたは……3年前の」
    「勝手に入ってアレだけど、良い所だね。この心象風景」
     対峙した者だけが知る圧倒的な実力差。その恐怖を見せまいと、千尋は努めて明るく語りかけた。それを知ってか知らずか、コルネリウスは表情を変えぬまま、集った面々へ視線を巡らせる。
    「皆さん、お席にどうぞ。あなた達には、このお茶会に参加する資質があると思うから」
     言いながら、テーブルの両側に並ぶ色も形も様々なイスを一瞥する。意外ですけれど、と言外に孕む言い方が気になり優貴を見たが、心配ないから座りなさい、と視線で促され、灼滅者たちはそれぞれ席に着いた。
    「慈愛の姫。良ければ、相棒も同席させて貰えないか?」
     気遣いながら尋ねる布都乃へ、どうぞ、と返る声。ひとつ安堵の息を零す少年の膝へ、軽やかに跳んだウィングキャットのサヤがちょこんと座った。それを見たナノナノの惨禍も、ぱたぱたと飛んで相棒たる燐の腕に収まる。
     一連の様子に、不信感を与えまいと丸腰でいた流人や薫、クラウディオも考えを改めた。
     そも、武器を現実世界に残してきているのならまだしも、夢へと持ち込んでいる以上、隠したり離れた場所に置いたりしても、戦闘ともなれば攻撃はいくらでも可能だ。逆に、隠すほうが不意打ちを狙っていると思われかねない。
     道中で見かけた花のこと。並べられたケーキのこと。明るい口調で樹斉が場の雰囲気を整えた後、
    「突然の訪問、失礼。初めまして。俺は行野セイ。優貴先生を案じ伺った」
    「初めまして。わたしは神原燐と申します。こちらはナノナノの惨禍です」
     セイと燐、腕の中でぺこりとお辞儀をする惨禍。それに続いてそれぞれが自己紹介をする中、ふわりと浮いたティーポットからは心地良い音を立ててカップへと紅茶が注がれ、白磁の皿には切り分けられたケーキや焼き菓子が並べられていく。
    「あの……わたしたちは戦うつもりで来たわけではないのです」
     現実世界と精神世界。双方の平穏を望み、護る心がある故に話をしたくて訪れたと告げる燐に、
    「解っています。主には優貴のことでしょう? なら、まずはあなたから」
     そう促され、優貴が口を開いた。
    「みんな。遠いところを、私のために来てくれてありがとう?」
     疑問系の語尾に、幾人かが僅かに瞠目する。
     想定では、まずここで優貴の解放を交渉する算段であった。だが、優貴の語尾からすると、恐らくこれから言わんとしていた内容は見当外れであり、加えて言葉選びや断定的な物言いが彼女に不快を与え兼ねない。そう思い至った千尋は、続く優貴の言葉を待った。
    「まずは、誤解のないように今の状況を私が説明するわね。あなたたちならコルネリウスさんともお話できるかもしれないけど、私は先生ですから」
     そう言うと優貴は、教壇に立つときと同じ良く通る声で、あらましを語りはじめる。

    ●『護る』ために
    「もともと、プレスター・ジョンの国は、コルネリウスさんのみが行き来できる不思議な場所で、灼滅された後に残されて苦しむ残留思念を救うためにあった場所でした」
    「傷ついた魂の避難所、といったところか」独りごちるクラウディオに、優貴も頷く。
     そして、その場所が優貴のソウルボードと繋がったことで、誰もが訪れられるようになった。
    「ああ、安心してね。あなたたち灼滅者が出入りして探索することについては、国の住人たちも『どうせ死にはしないし、刺激があって良い』って言っているから。だから、コルネリウスさんも私の存在は認めてくれています」
    「刺激があって、ですか」
     セイが、そう言って口籠る。住人を灼滅してきた件についての謝罪も考えていたが、どうやら無用らしい。
    「じゃあ、この間攻め込んできたデスギガス勢力は?」
    「それも、コルネリウスさんとしては別に構わなかったみたいね」
     尋ねる薫に返しながら、優貴は続ける。
     ベヘリタスの秘宝の力を使ったとしても、プレスター・ジョンの国から出るためには理想王を倒さねばならない。
     しかし、例え夢の中で倒されても、王は再び復活できる。
     つまり、歓喜のデスギガス、いやアガメムノンが立てた今回の作戦は、『ベヘリタスの秘宝の力で再び生き返りたいと望む住人』『秘宝の力に興味がなく、そのままの暮らしを望む住人』、双方の希望を叶えられるという利点があった。
    「だから、貴女は特に防衛戦を張らなかった……そういうことか」
     そう得心すると同時に流人は、今回の目的のひとつである『協力関係』の打診が難しいことを悟った。
     獄魔覇獄の際の、アガメムノン勢への奇襲。
     歓喜のデスギガスの急所の助言。
     それらは全て、彼女がデスギガスやオルフェウスと敵対している故の行動と思っていた。だが、今の話を聞く限りではどうやらそうではないらしい。
    「でも、ベヘリタスの秘宝はまだ失われていない。……ってことは、何度でも同じ作戦を行えるんじゃないの?」
    「その都度防衛戦をやるって言っても、全部に勝つのは難しいぜ。一度でも失敗したら、奴等の目的は達成できちまう」
     樹斉の懸念に布都乃が眉根を寄せ、燐が口許に指をあてる。
    「それこそ、学園が他の勢力と闘っているときにプレスター・ジョンの国が襲われたりしたら……」
    「だから今、こうして優貴先生を保護し、襲撃を防いでいるんですね」
     言いながら向けられたセイの視線を受け止め、優貴も首肯する。
     優貴を狙っている相手は、ふたつ。
     ひとつは、コルネリウス配下の中で、デスギガスの攻撃を快く思っていない『慈愛の心が足りないシャドウ』。
     もうひとつは、デスギガス軍の強化を望まない、贖罪のオルフェウスからの刺客だ。
    「私は確かに特殊なソウルボードを持っていますが、逆に言えば、唯それだけの……闘う術、自分を護る術のない普通の人間。ですから、ソウルボードに生きるシャドウに、ソウルボードから攻め込まれれば――」
    「ボクたちでも、先生を護りきることは難しい、か」
    「極端な話、貴女のソウルボードから現実世界に現れて、そこで範囲サイキックでも使われたら……」
    「ええ、私は死ぬでしょう」
     己のことながら歯に衣着せぬ言葉に、千尋とクラウディオも息を飲む。
    「その危うい立場を憐れんで護ってくれている。それがコルネリウスさんなんです」
     優貴の言葉に、即座に返せる者はいなかった。状況を理解すればするほど、すぐさま策を出せるような容易い問題ではないことを痛感する。
    「優貴先生の精神世界とプレスター・ジョンの国を切断する方法は?」
    「優貴が闇堕ちするか、更に適正のある者が現れれば、切断される可能性はありますが……確実なのは、優貴の死です」
     その答えに、問うたセイだけではない、集った全員が口を噤んだ。
     根拠もなく、ただ信じて解放してくれと懇願したところで首を縦に振りはしないだろう。そう想いを巡らせる流人の隣で、樹斉もまた思案していた。優貴の無事が第一。ならばこのまま預けていたほうが安全とも言える。
    「……なら、さ。優貴先生をオレたちの手で護りきれるようになったら、返して貰えないか?」
     暫しの沈黙を破ったのは、薫であった。
     信用されていないのは解っている。ならば、これからの学園の動きを見せる他ない。そのためなら、個人的な感情なぞ――己の内に眠る影は彼女の仲間になることを望んでいるだろうが――いくらでも堪えてやる。最も優先すべきは、優貴の命だ。
    「先生が受け持つクラスの生徒を始め、多くの人が先生を心配している」
     セイの後押しに、薫は尚も言葉を重ねる。
    「ああ、先生は仲間なんだ。もちろんそれはこっちの一方的な感情論だし、それで動いてくれるわけないのもわかっている。だからこそ、シャドウからのテロで殺されないような状況を作り出す方法を、絶対見つけてみせる」
     先生のためなら、できるかぎりなんだってやってやる。
     身を乗り出し、熱意の籠もる双眸を向ける薫。長いようで、けれどほんの僅かな沈黙の後、そうですね、とコルネリウスは優貴を見上げた。
    「優貴が望むなら」
     当人の望まぬことはしない。
     出会った頃も、そして今も。コルネリウスの考え方に変わりはない。
    「望みます」
    「では、それで構いません」
     静かに頷いた優貴の言葉を受け止め、コルネリウスもまた首肯した。
     ――交渉成立。
     そう意識した瞬間、立ち上がって喜びそうな感情を灼滅者たちはどうにか堪えた。それでも歓びを顔に滲ませ、頷き、拳を握り締めながら仲間たちと視線で歓び合う。
     まずは、眼前に横たわる憂いは晴れた。
     残すは、良好な関係の構築と情報収集だ。

    ●『幸せ』の基準
     ひとつ安堵の息を零した燐が、紅茶で喉を潤してから問いかける。
    「どうしても気になることがありまして質問したいのですが、宜しいでしょうか?」
    「質問?」
     こちらを見つめる瞳からは、嫌悪は感じられない。傍らの流人も背を押すように頷く。
    「貴女のことを知りたいです……同じ愛について考える者として」
     ナノナノを相棒とし、護るために行動する娘にとって、彼女は他人とは思えぬ存在。その『慈愛』は兼ねてより気になっていた。同じくそれを知りたかったクラウディオも、聞き漏らすまいと耳を欹てる。
    「貴女の考える愛と、わたしの考える愛はきっと、近しいものがあると思っています」
     腕の中から心配そうに見上げた惨禍をそっと撫で、燐が漆黒の瞳を向ける。それを受け止め、コルネリウスも手にしたティーカップを置いた。
    「優貴と話していて気づいたのですが……灼滅者との意思疎通が困難な理由は、ひとつ。似ているように見えて、全く違う概念が存在しているからです」
    「全く違う概念?」
     聞き返す樹斉に、ええ、と声が返る。
    「つまり、あなたの考える愛は、わたしの『慈愛』とは全くの別物と考えるべきです」
    「そう、ですか……」
     改めて感じた、見えない壁。どうしても崩せぬものなのだろうか。彼女の真意を探ろうと横顔を窺う千尋や薫の対面、惨禍を抱きしめながら思案する娘に、コルネリウスは続ける。
    「言葉での交流には誤解が発生しやすいですが……それを理解した上でなら、質問に答えましょう」
    「っ、ありがとうございます」
     俯きかけていた顔を上げた燐が、歓びを滲ませながら頭を下げた。何かあればすぐにでも動けるよう配慮していたセイが内心で安堵し、続けて礼を添えた布都乃が会話を繋ぐ。
    「それでも、今までのこと……謝罪させて貰えねぇか」
     過去の不信すべてを拭えるとは思っていない。
     だが、闘う理由もない。ならばできうる限りの誠意を見せたい。誠実でありたい。そう語る布都乃に、けれどコルネリウスは謝罪はいらぬと首を横に振る。
    「他に本題があるのでしょう?」
     促す声に、一同は流人を見た。聞きたいこともあるが、まずは打診が先か。そう思い、青年は真摯な眼差しを向ける。
    「この機に、貴女と協力関係を結べないだろうか」
     無論、先の話で彼女がデスギガスやオルフェウスと敵対しているわけではないことは承知している。
     その上で、互いの利害が一致したときだけでも一時的な協力関係が結べるのではないか。そう提案する流人に続き、布都乃も頭を下げる。
    「学園にもダークネスと争いたくない奴は一定数居る。アンタは平穏を愛する者だ。だからオレたちも、肩並べられる未来に向けて努力したい。慈愛の姫、どうか協力を一考頂きたい。今一度、慈愛の意思を拝聴したい」
    「私を『平穏を愛する者』とする概念も、正しくはありません」
     一拍置いて返ってきた声に、布都乃は反射的に顔を上げて様子を窺う。是正する言葉ではあるが、あからさまな負の感情は見られない。ひとつ息を吐いて、コルネリウスは瞳を伏せた。
    「……まずは、私の『幸せ』の基準を説明する必要がありますね」
     すれ違いの切欠。彼女の真意を知ることで、縺れた糸を解くことができるのなら。その想いを抱き、クラウディオも願う。
    「ああ、是非教えてくれないか」
     貴方が何を求め、何処へ行くのかを。

    ●『慈愛』の意味
    「現実世界は、『全ての存在が幸福になることはできない』世界です」
     例えば、金メダルを取り幸せになった人がいたとしよう。
     彼の幸せは、裏を返せば『銀メダル以下の敗者』が存在して初めて得られる幸せだとも言える。
     つまり、『他人が不幸でなければ幸せを感じられない人』がひとりでもいれば、世界の人々全てを幸せにすることはできない。そして、そう感じる人は確実にいるだろう。
     対して、夢の世界はどうか。
     不幸な敗者の役割は悪夢の衛兵のような『作り物』に担わせれば、全員を金メダリストにすることができる。――全ての存在が幸福になることができる。
     内心、樹斉はそれも一理あると思っていた。ただ、夢に溺れるのは、取れる手立てを全て試した後でも遅くはない。
    「ですから、あなたたちには、辛い現実を忘れて夢の世界に逃避する人は『不幸である』ように見えるかもしれませんが、わたしは『幸福である』と考えます」
     その逃避が不完全であることは十二分に理解している。それ故に、時折辛い現実に戻されてしまうことは可哀想だとも。
     だが、それでもコルネリウスにとっては、現実で辛い思いをしている人を『幸せな夢の中で暮らさせ、現実に戻さない』ことは『その人を幸せにする行為』であった。幸せな夢を見て、多幸感を得られている間は、間違いなく『幸福』だからだ。
    「即ち、わたしの目的は、『全ての存在が幸福である世界を作る』ことです」
     ただ、それを実現するには長い年月がかかる。だからこそ、それまでの間は、目にした範囲にいる不幸な人を幸福にしているのだ。
    「つまり……あなたの『慈愛』に反する行為には敵対するけれど、即した内容なら相手が誰であろうと助力する、と?」
    「それこそ、直前まで敵対していた相手でも……?」
    「ええ、そうです」
     セイと燐の問いに返る、毅然とした声。その様子に、流人は悟る。
     彼女との協力関係は、同盟という言葉で成り立つものではない。彼女の思想に合致している行動か否か、それが重要なのだ。
     彼女の思想を理解し、それに添う作戦を立て、その目的を彼女に正しく伝える。それができれば、強固な協力関係となるかもしれない。そう千尋も思う。
     それでも、と薫はコルネリウスを一瞥した。彼女の意に添う行動だけをするわけにもいかない以上、常に協力を仰ぐことは無理だろう。こちらも是々非々で応じるしかあるまい。
     思考から意識を解放した布都乃は、膝の上で凛と座っていたサヤと視線が合い、ちいさく綻んだ。よし、と意気込み、コルネリウスを見る。
    「アンタの考える『慈愛』、よく解った。丁寧な説明に心から感謝を」
     他にも、タロットの主、コルネリウスを狙っているという噂、残留思念に与えたりしたエナジーの出所、いつから慈愛を与えてきたのか――。
     幾つかの質問を投げかけてみたが、明確な答えはなかった。コルネリウスだけではない。相手がダークネスである以上、尋ねたところで、簡単に答えを返してはくれぬものだろう。
     最後に、と前置いて樹斉が尋ねたプレスター・ジョンとの関係については、「死した不幸な魂に幸福をもたらすために、協力してもらっている」と漸く答えがあった。
    「色々教えてくれてありがとう。あと、これだけ! ――僕らに、何か要求はないかな?」
     全てを飲めるわけじゃないけど、曖昧な言葉でなく貴女自身の望みや救いを知れたら。そう語りかける樹斉に、揺らがぬ声が返る。
    「……私の活動に協力して欲しい、とは言いません。ですから、邪魔はしないで貰えませんか」
     全ての存在が幸福になれる世界。
     例えそれが、灼滅者から見れば『悪』だとしても、関与しないで欲しい。
     コルネリウスの要求は、それ唯一つであった。
    「望みは解った。ひとまず、答えは持ち帰らせて貰えないだろうか」
     私たちの一存では決められない、と添えるクラウディオに、コルネリウスもまたゆっくりと頷いた。

     得られたもの。課せられたもの。
     全てをその両手で受け止めた灼滅者たちは、そうして夢の扉を後にした。
     まだ先は見えない。
     それでも、歩き続けていればいつかは辿り着く。
     優貴と再び現実世界で逢える、その未来へと。

    作者:西宮チヒロ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年3月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 29
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