夜の山は危険だよと、田舎町に育った春子は小さい頃から言い聞かせられてきた。空は既に橙から薄紫へと色を変えている。そろそろ山を下りなければ、日暮れまでに家へ帰ることはできない――。
「うっ、ひっく……」
春子は茂みの中に隠れるようにして泣いていた。
しゃくりあげる声に、「きゅぅん」という鳴き声が入り混じる。腕の中に抱えた茶色い生き物がぐいぐいと動いて、ぴょっこりと愛らしい顔をのぞかせた。
垂れた耳がかわいらしい、犬の仔である。
学校帰りに捨て犬を拾った春子はどうしても飼いたいと親に懇願したものの、大抵の親がそうであるように「駄目、飼えないわよ」とすげなく叱られた。
「くぅ……ん」
状況は理解できずとも春子の気持ちは分かるのか、仔犬は濡れた少女の頬を舐めて慰める。だが、すぐにぴんっと尾を立てて唸り声を上げ始めた。
「どうしたの?」
突然嫌がって腕を抜け出す仔犬に春子は驚いて尋ねる。
地面に降り立った仔犬は小さい体を踏ん張るようにして茂みの向こうを激しく吠えたてた。途端、かさかさと草木が不自然に揺れる。
仔犬とは違う唸り声が聞こえた、次の瞬間――黄色い色をした何かが恐ろしい勢いで飛びかかってきた。
「みんな、集まってくれてありがとう」
須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)は笑顔で出迎えると、すぐに依頼の説明に入った。
「はぐれ眷属って、聞いたことあるよね? 春子っていう女の子が入り込んだ裏山に鎌鼬の群れが棲みついちゃってるんだ」
鎌鼬とはその名の通り鼬型の眷属だ。刃のように鋭い風を巻き起こして敵を切り裂き、素早い動きで翻弄する。ただし知性的な行動は取れないため、接触方法はある程度自由が利くという話だった。
「数は全部で九体。中でもひときわ大きな体を持つのがボスで、これだけは列回復や列攻撃を持ってるよ。時間には余裕があるから、急げば春子ちゃんより先に山へ入ることも可能だと思う」
自らのテリトリーに踏み入った人間に対して鎌鼬は遠慮を知らない。見つけ次第、まずは小手試しとばかりに1体目が飛びかかり、その隙をつくようにして残りの鎌鼬が四方八方から襲いかかる。
「まさに四面楚歌、だね」
だが、相手は獣――それはある意味で彼らの強みでありまたある意味では弱みとなる。いってらっしゃいと見送るまりんは力強く言った。
「みんなならなんとかしてくれるって信じてるよ! それじゃ、頑張ってね」
参加者 | |
---|---|
千菊・心(ブッチャー・d00172) |
巫・縁(アムネシアマインド・d00371) |
日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366) |
黛・藍花(小学生エクソシスト・d04699) |
風花・蓬(上天の花・d04821) |
椎葉・武流(ファイアフォージャー・d08137) |
往羽・眞(筋力至上主義・d08233) |
メルフェス・シンジリム(自称魔王の黒き姫・d09004) |
●夕陽に沈む
「っ……」
不意に何かがうなじに触れた。びくりと振り返った千菊・心(ブッチャー・d00172)はただの小枝と知ってほっと胸を撫で下ろす。
「どうかしましたか?」
「いえ……少し、緊張してしまって」
日野森・翠(緩瀬の守り巫女・d03366)は共感の微笑みを浮かべた。
「そうですね。絶対に彼女を助けてあげたいです……から。今日はよろしくお願いいたします」
傍から聞いていればささやかな会話である。だが、彼女たちは足早に山を登っている最中だ。往羽・眞(筋力至上主義・d08233)は後ろを振り仰ぎ、はぐれないよう率先して声をかける。
「全員いらっしゃいますか? とにかく……とにかく急ぎましょう!」
「やれやれ。魔王たる私がこんな裏山を登山だなんて」
ため息の主はメルフェス・シンジリム(自称魔王の黒き姫・d09004)。視界を遮る丈の高い草木をピンッと指先で弾いて肩を竦めた。
「まあいいわ。幼女と小動物がダークネスに壊されるなんて見過ごせないもの。いたいけなものを傷つけようとした報いは受けてもらいましょうか」
「ああ、春子ちゃんが来る前に絶対倒さないとな!」
頷き、椎葉・武流(ファイアフォージャー・d08137)は息を弾ませながら周囲を見渡した。随分急いだから、春子が来るまでの時間は稼げたはずだ。
「縁、心、頼んだぜ!」
先導する二人に囮を任せるため、武流は歩みを緩めて隠れられそうな場所を探した。
「…………」
黛・藍花(小学生エクソシスト・d04699)は表情ひとつ変えぬまま呼吸を整える。まるで人形のような少女はただその眼差しにのみ憤りの色を潜ませた。
(「はぐれ眷属……、ダークネスに管理責任など求めても意味は無いのでしょうけれど……」)
漏れる吐息がまだ色も変わらぬ梢を揺らす。
「もう少し離れていた方がよろしいでしょうか」
風花・蓬(上天の花・d04821)の言葉に従い、彼らは囮の二人を残してやや離れた木陰に待機する。
(「さあ、いらっしゃい」)
息をひそめ、周囲に目配せをおくりながら蓬は敵が食いつくのを待った――……。
「かーいいイタっちゃん出ておいでー」
巫・縁(アムネシアマインド・d00371)はからかうような口調で誘う。
「美男美女が揃って囮やってんだ、役不足にしてくれんなよ」
「巫先輩、余裕ですね……」
「はは。俺がついてるからさ、ここちゃんも肩の力抜いて大丈夫だよ」
などと茶化す縁の内面は色眼鏡に隠された瞳の色と同じで簡単には覗き込めない。心が何か言おうとした時、背後でガサッと枝葉の擦れる音が響いた。
「ッ、おいでなすったか!」
縁が声を張り上げるのと前後して黄色い影が樹上から飛びかかる。鋭い風が頬を裂き、鮮血を迸らせた。
「大丈夫か!? 気をつけろ、囲まれてるぜ」
「ああ、だいじょ……え? ここちゃん?」
心の変貌に縁が目を瞬く間に、翠は指先に紡いだ防護符を「はっ」と気合を入れて投げつけた。藍花は亡霊のように浮かぶビハインドを呼び寄せ、告げる。
「さあ、行って……、アレを殺してきて……」
頷きと共に生気のない瞳がひときわ大きな鎌鼬を捉えた。
心と縁を取り巻くように布陣する鎌鼬を武流らが更に包囲を試みた結果、両者は組み合う二つの輪を描き上げた。
「ボク達をただの迷い人だなんて思わないで下さいねっ!」
眞は身の丈もあろうかという戦艦刀を振り上げ、手近な鎌鼬を躊躇なく薙ぎ払う。
「跪きなさい、魔王の名の下に」
メルフェスの解除コードが解き放たれると同時に大鎌の柄が中空に現れ、華奢な指先がそれを引き出せば凶悪な刃が具現化する。
キキッ、と鎌鼬が警戒の声を上げた。
「解放!」
刀袋から抜き去った日本刀を一閃、蓬の神速たる居合いによって一体目の鎌鼬が斬り伏せられる。一番最初に襲いかかってきたものだ。
――敵の強さを認め、鎌鼬は改めて戦闘態勢を取る。
後衛に陣取ったボスの鎌鼬がこちらの前衛めがけて暴虐の風刃を放った。
●九つの風刃
「ちっ、ちょこまかとっ!」
だが、素早さでは負けていない。縁は龍の残影を見せながら敵を引き付けるように暴れ、鎌鼬を翻弄する。
「テメェらの相手はオレだ。間違えんじゃねぇぞ。もりー、今だ!」
「も、もりー?」
その呼び名がどうやら自分の事だと知って、翠は目を瞬かせた。だがそれはそれ、神に捧ぐ舞を踏む足取りは乱れない。降臨する、清めの風。
特にボスの鎌鼬は強く、攻撃を引き付ける心と縁の回復は最優先事項だ。
「ミンチになるまで刻んでやる」
心はそれまでとはうって変わって楽しげな笑みを唇に刻む。大鎌を真横に薙ぎ、具現化した闇を思うさま操って自分の支配領域と化す――。
「こっえぇぇ」
次々と鎌鼬を屠るその姿に武流はごくりと喉を鳴らした。
風刃に対抗するかのような光刃で出足を挫いた後、狙いを定めて弱った敵に紅蓮斬を叩き込む。
「一、二……残り半分!」
「あら、随分減ったじゃない」
メルフェスは命を刈り取るかの如き鎌のひと薙ぎをブラックウェイブと変えて、敵を撃った。
「見た目は可愛らしいのに……そうね、『躾』で生き残ったら持ち帰ろうかしら?」
「しつ……け」
翠はぽつりと繰り返す。
なんとも物騒な発言だ。
「でも……鎌鼬さんには当然の防御行動なのかもしれませんよね」
「…………」
藍花は無言で応える。
ただ、同じ顔のビハインドだけが穏やかな微笑みを浮かべていた。それは藍花の願い通りボスに照準を合わせ、藍花の弾丸と共にその力を奪う――。蓬は鋭さを増した瞳で刀を振るいながら彼らの跳梁について考えを巡らせた。
(「自分で創った眷属も管理できないダークネスなのか、それとも主が灼滅者に倒され野生化したのか――」)
いずれにしても、やるべきことはひとつ。
「――斬る」
蓬の振るう刃に迷いはない。
前衛を崩され、中衛にまで届いた武流の紅蓮斬が道を拓くように炎を強めた。
「いける」
すっと息を吸い、眞は戦艦斬りから森羅万象断に切り変える。目標は敵中衛。溜めた横薙ぎを一息に――解き放つ!
「ギキキッ!!」
「うらまないでよね」
遂にメルフェスのトラウナックルがボスに届いた。
彼女は笑みさえ浮かべ、敵の恐怖心を引きずり起こす。見えない敵の前に鎌鼬は尻込み、余計な力を費やしはじめた。
「よっしゃ! 全員一気に行くぜ!」
ここが使いどころとばかりに縁が声を張り上げた。途端、視界が薄らと霧に包まれる。強化を兼ねた吸血鬼の霧だ。彼と背中を合わせた心は入れ替わるように前へ踏み出し、最も攻撃力の高い一撃を繰り出した。
「見えた。これがテメェの殺戮経路だ」
回避の暇など与えず、言い捨てると同時に放った戦艦斬りは深々と鎌鼬の腹をえぐった。
「……まだ」
それまで無言だった藍花が警告する。
まだ、生きている――ボス鎌鼬は牙を剥いて心の肩口を切り裂いた。すぐさま藍花の手元から癒しの光が放たれる。それは心の傷を塞ぎ、温かな安らぎを与えた。
「お前達に恨みは無いけど、残さず倒させてもらうぜ!」
中盤からボスに張り付いていた武流のサイキックフラッシュが眩しく鎌鼬の目を灼いた。既に食らった武器封じの数は三つを越えている。本来の力を封じられたボス鎌鼬は低く唸った。
「これで……!!」
「どうか、安らかに……」
蓬と翠の言葉が重なり、刃鳴りの音が森の空に響き渡った。
「ん……?」
泣きながら裏山を登っていた春子はふと空を見上げる。
「くぅん?」
「今ね、誰か鳴いてなかった?」
鳥さんかな、と首を傾げて春子は子犬を抱え直した。自らの運命が変わったことなど知らず、少女はただ腕の中の温もりに頬を寄せる。
●子犬
町では見かけない少年少女の一行と行き会った春子は人見知りするように、じり、と後ずさった。「こんにちは」と声をかけた心は春子の前に膝をついて優しく話しかける。
「可愛い子犬ですね」
「……うん」
彼女からは見えない位置で蓬は刃を鞘に納める。裂かれた白い紙が夕映えを吸い込み、儚くも地い落ちた。
「山に放すのはかわいそうですし、引き取り手が見つかればよいのですが……」
眞の言葉を引き継ぐように武流が笑った。何事も無い素振りで彼女から事情を聴いた武流は、自ら引き取り手を申し出たのだ。
「じゃあ、俺が引き取ってやるぜ」
「ほんと?」
「ああ。名前は決まってるのか?」
「ううん」
「よし、じゃあ……今日からお前はライジングマイティだ!」
少し離れた場所で腕組みをしていたメルフェスが――本当は春子と子犬に興味津々なのだが、そんなのは魔王に相応しくないので懸命に我慢をしている――ふんと鼻を鳴らした。
「悪くないんじゃない?」
「おう、たけるんが飼うのは賛成するぜ。春ちゃんもそれでいいか?」
縁が頭を撫でながら尋ねると、春子は「うんっ!」と嬉しそうに笑った。心もふわりと笑みを浮かべる。
「これにて一件落着ですね」
「ええ、山の日暮れは早い……」
彼女はこれから何度でも似たような試練に出会うことだろう。想いの力だけでは叶わない現実の前に負けないように、力を尽くして考え、勝ち取る強さを――伏し目がちな横顔に何かを感じ取ったのか、春子は小さく肯いた。
「子供は家に帰る時間ですね」
それは彼女への手向けかそれとも自分に対する戒めか。
「それにしても、眷属が人に懐くことはないのかしら?」
思わせぶりな視線にライジングマイティはびくりと毛を逆立たせる。内心ショックを受けるメルフェスの疑問に藍花は首を傾げてみせた。
ダークネスに管理責任など求めるだけ無意味だろうが、それでも、こうした眷属の暴走を減らすことができるのならそれに越したことはない。
遠くで烏の鳴く声がする。
翠はまぶたを伏せて彼らの冥福を祈った。次は、いい人たちに巡り会えますように――……。
そして九月は終わりを迎える。
薄闇に長い影が八つ、名残惜しむかのように伸びていた。
作者:麻人 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2012年9月28日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 10/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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