セイメイ最終作戦～放課後屍奇譚

■リプレイ

●１
　随分、日が長くなった。
　まだ朱の残る空を見上げ、椿森・郁（カメリア・d00466）は思う。眼前には大きな校舎。窓の向こうの廊下を伺えば──生徒のようで、けれど明らかに違和感のある何かが数体おぼつかない様子で歩いていた。
「迷宮の上層じゃなくて下層に行けばこんなことは……」
　オルゴール・オペラ（空繰る指・d27053）は思わず呟く。けれど不意に肩を叩かれて、振り返れば嶌森・イコ（セイリオスの眸・d05432）が笑んでいた。
「桜先輩が言ってたわ、キミ達は素敵だね！　って。だから惨劇を嘆くより護りましょ！」
「……そうね、大丈夫。少しだけよ」
　柔らかく、けれど毅然と。胸を痛めるのは少しだけ。
「犠牲者をこれ以上増やせないしな、急ごうぜ！」
　持っていた縄梯子を担ぎ直しながら住矢・慧樹（クロスファイア・d04132）が声を上げた、その時だった。ぎぃ、と小さく響いた音に灼滅者達が一斉に目を向ける。最初に気付いたのは鹿野・小太郎（バンビーノ・d00795）だった。常とする眠たげな瞳がはっきりと開かれそれを映した。
「……主義が何だ、って話ですよね」
　開かれたのは校舎入り口、のそりと出てきたのは制服を着た、かつてこの学校の生徒『だったもの』。
　気怠い喋り、歩き、態度や振る舞い。そんな主義は全てかなぐり捨ててしまおうと思った。それは後でいくらでも拾い直せばいい。
「これは俺達の仕事だ。先に行け」
　小太郎に続き大きく歩を進めた三田・十（十の弾丸・d14373）が前を見据えながら胸元で十字を切る。郁もまた一度だけ息を吸い、吐いて、それから地面を蹴った。
「こたろ！」
　肉薄の瞬間、小太郎はその声を聞く。大丈夫ですと答える代わり、振り返らぬまま右拳を突き上げた。
「俺達も！　イコさん、オルゴールさん、後でな！」
「ええ、気をつけて！」
　慧樹は校舎側、事前に目星を付けた位置へ、イコとオルゴールはまず一番近くの校門を封鎖しようと動く。校舎の壁際に辿り着いた慧樹は迷う事なく壁歩きを発動させた。
「走れないってのはツラい！」
　もどかしそうな慧樹の声が聞こえた直後、校門が封鎖される。
（「……君は悪くない」）
　郁、小太郎、十。敵の掃討を担う三人の横を別の三人が走り抜けた。生徒だったものとすれ違う瞬間、無道・律（タナトスの鋏・d01795）は横目でその姿を見遣り、そのまま校内に駆け込んだ。
　多分、ここにいる──これから出会う人ならざるもの、その誰もが悪くない。それでも事は起こってしまった。それはきっと。
「──間が、悪かったんだ」
　そうして校舎内に入ってすぐ、律は一瞬だけ足を止めた。
　入口から『出てきた』時点で覚悟は出来ていた。それでも均等に並んだ靴箱の向こう、倒れた人の足が覗いているそれに。そして別の靴箱の陰からゆらりと姿を現した複数のそれに。言い様のない感情を抱かずにはいられなかった。
「……水鳥さん」
「はっ、はい……！」
　振り返り名を呼ぶと、びくりと跳ねるような返事があった。深草・水鳥（眠り鳥・d20122）はおどおどとした様子で律の言葉の続きを待つ。
「僕は先に来た方を、水鳥さんは次に来た方を。甲斐君は、倒れている人を」
　方針の通りに。
　とても静かな声色だった。重度の人見知りである少女は頷き、甲斐・鋭刃（高校生殺人鬼・dn0016）は分かった、とだけ短く答えた。
「進もうか」
　少しだけ、自分に言い聞かせるように。律は再び前を見据えると目標へ向け、強く強く床を蹴った。
　足下から影を繰り出しながら、水鳥は自身の目標を上目で伺う。
　相手は目の前、話しかければ届く程の位置。なのに、分からない。
（「思考、読めない」）
　それは、目の前の相手が人ではなく眷属となってしまったという確かな証だった。
　１０分という時間は経過した後なのだろうか。生徒の遺体を抱き上げた鋭刃は無言で廊下の先を伺った。階段は遠くない。そう判断をして走る。
　足は、止めない。郁達三人は最初に遭遇したゾンビを屠り、自分達が抜けた玄関扉を完全に施錠した。下駄箱の間を通り抜けると廊下の隅に丁寧に横たえられたゾンビの遺体が目に留まる。先に突入した律達の姿はもう見えず、廊下の先へ目を向ければ片側に下ろされた防火シャッターが。もう片側に遠くをゆらゆらと歩く『それら』を見た。
「行きましょう」
　静かな声で言い、先に駆け出したのは小太郎だ。続いた郁は何かを言いかけ、けれど呑み込むように口元を引き結んだ。
　胸の内にぐるぐる渦巻くものがある事は否定しない。けれどそれを音にする事はしない。
（「もう、無理矢理動かなくったっていいんだ」）
　全力で駆けて肉薄する瞬間、少女の足下から闇の色を持つ郁子（むべ）の花が咲く。
「だから、おやすみ」
　祈る代わり、十はその身に抱えた十字架が持つトリガーに指を掛けた。眼鏡の奥、冷めたようにも見える瞳で確実に相手を見据えて聖碑文を紡げば光線の乱射がゾンビ達を灼く。
「──……Good night」
　喰らうなら吾身を。床にモノリスを突き立てて、十は己の左胸を叩いた。
「もう、疲れたでしょう」
　噛まれてもいい、そう覚悟を持って腕を伸ばした瞬間に小太郎の鼻先を掠めたのは沈丁花の甘い香り。小太郎の身を護るジャケットに込められた大切な人の想い。
　死者には手向けを、生者には慰めを、語り尽くした仲間には信を。
　やがてそれらを全て眠らせた三人は再び走り出す。より多くを倒す事、それがまだ生きている者への近道を切り開くと信じ。

　律と水鳥、そして鋭刃はひとつひとつ、部屋の扉を開けては手早く中を捜索した。本当ならゾンビの事は掃討班に任せ、目的を果たしてから遺体を移動した方が良いのかもしれない。けれど出来うる限りの事はしたかった。
　そして、じき教務室に差し掛かろうという所でその音を聞いた。
「！　今、何かが割れた！」
　それは何かを叩く音。事を認識した直後、ある教室の扉を叩く数体のゾンビが目に飛び込んだ。扉の窓が割られていて、けれど扉自体は開いていない。そして、中からは確かに人の悲鳴が。
「あそこだ！」
　素早く視線を上げれば『生徒指導室』と書かれたプレートが見えた。ゾンビは割った窓から腕を伸ばし、低く唸っている。
「させない……！」
　僅かに震える、けれど力強い少女の声が響いた。自身の周囲に符を放ち一斉に発動させた水鳥のものだった。エアシューズに体重を乗せた律が身を低くしたまま廊下を疾走し、ゾンビの一体に重い跳び蹴りを放つ。扉の前から吹っ飛んだゾンビの代わりにそこへ立った律がすぐさま中を覗き込めば数名の教師と生徒が驚いた表情のまま状況を掴めず固まっていた。
「き、君は」
「鍵はそのまま。少し、待っていてね」
　すぐに終わらせるから。
　努めて穏やかに告げた律は最後に小さく笑むと、再度ゾンビへと向き直る。
「そう、すぐに」
　扉から遠ざけたゾンビを追撃の為に追う律。その律を追いかける水鳥もまた部屋の中を覗き込んだ。自身に集まる視線にびくりと肩を震わせながらも律に同調するよう一度頷いて、前を見た。

　なかば無理矢理に──ＥＳＰを用いる事で生存者達をそのまま指導室に留めさせ、三人は更に探索を進める。
　生徒指導室で生存者を発見したと掃討班が知らせを受けたのは一階の探索をほぼ終えて、二階への階段付近にいたゾンビを倒した後だった。その時に感じた安堵は言葉にし難く、緊張で強張っていた顔が僅かに和らいだ。
　通行阻害と遺体保護、それらを兼ねて防火シャッターの手動スイッチを起動する。これまでに倒したゾンビの中に関係者では無いと思えるものは一体。それがゾンビ達の元となったのか、語る口を失った屍からは分からない。
（「……生者も死者も、か」）
　欲深い話だ、と十は思う。主は嘆くかもしれない。それでも動く理由があった。その為なら。
「……イマサラ罪が一つ、増えた所で変わらない」
「三田さん？」
　口から零れた呟きに、遺体の目と口を閉じさせていた小太郎が顔を上げた。何でもない、と短く返した十は上階へ続く階段を見遣る。

　走れないと分かっていても、気は急いた。一階から、二階へ。目星を付けたトイレの窓から中を伺おうとした慧樹は息を呑む。
「……あ」
　窓が全開になっていた。そこから最初に見えたのは倒れる生徒の足だった。器用に室内へ入り込んだ慧樹は生徒の脈を確かめ、そして目を伏せる。けれどすぐに持っていた粘着テープに発見時刻と、１という数字を書き込み壁に貼り付けた。
「……二階西側のトイレに一人、うん……そっちも気を付けて」
　目を閉じさせてあげながら通信で仲間に告げて、慧樹は再度窓の外へ出た。再び上階を目指すべく視線を戻せば夕刻の空が目に飛び込む。鮮やかな朱と静かな藍、それが混ざり合おうとしている。
（「放課後で良かった、って思うべきか」）
　これが昼間だったら。多数の生徒がいる状況だったら。これでは済んでいなかっただろうから。とにかく急ごうと慧樹は再び歩き出す。
「──ええ、分かったわ。すぐに向かえるようにするわね」
　決して芳しくない状況に、分かっていても双眸が僅かな影を落とした。イコの反応に何かを察したオルゴールは思わず慧樹がいる方角へと目を向けた。
『後は任せて。それと、スミケイと合流したら……頑張ってねって伝えてくれる？』
　そう伝えられたのはほんの先刻の事。
　手助けがしたいと来てくれた三人の灼滅者、その中の一人である雪片・羽衣の願いにオルゴールは頷いた。羽衣は他に出入りが出来そうな所を封鎖してくると言って残る二人と共に駆けて行った。後の事は三人に任せ、自分達は自分達の役目を果たす為。
「急ぎましょう」
　その頃、最上階のトイレに到達した慧樹は身を乗り出すようにして中を覗き、そして落胆した。
（「誰も、いない」）
　それでも中へと進入し、窓の外に縄梯子を設置する。そしてイコとオルゴールへ通信を繋ぎながら中を詳しく確かめた。
「最上階まで着いたケド、トイレには誰もいなかった。うん、梯子の設置は済んでる。俺は先に他の場所の確認を──」
　最後の個室を確かめながらそう言った瞬間。トイレの外、そう遠くない位置で突如大きな音が響いた。反射的にトイレから飛び出した慧樹が聞いたのは、叫び声。
「！　ぶんぶん丸！」
　迷いは無い。慧樹がその名を叫んだ直後、彼のライドキャリバーが目の前に姿を現した。その作戦が可能なのは慧樹だけだった。
「あっちだ！」
　そして、走る。捉えたのは人らしからぬ数体の背中、それから今まさに崩壊し、敵の侵入を許したバリケード。屋上へと続く階段の手前に出来たそれだった。
「やめろお前達！　っうわあぁ！」
　聞こえた叫びは男性教師のものだろうか。
　生徒を奥まで逃がして食い止めようとしたのだろう、階段の中程で捕まっている教師の姿が目に飛び込む。
「行けぶんぶん丸！　くっそ……届けぇ！」
　少しでも早く、手遅れにならないうちに。すがるように伸ばした両手にオーラが収束する。慧樹の願いを共に乗せ、ぶんぶん丸がバリケード前にいたゾンビに体当たりをした瞬間、慧樹が放ったオーラが教師に噛みつこうとしていたゾンビを撃った。
「大丈夫だ、助けに来たんだ！　あんたも奥にいてくれ！」
　攻撃を受け解放された教師は訳が分からないといった様子で突如現れた少年と一輪バイクを見つめていた。けれど我に返った瞬間に階段を這うようにして奥へと逃げた。
「ぶんぶん丸！　二人が来るまで持ちこたえろよっ！」
　殺人注射器を担ぎ上げた慧樹に応えるようにして、ぶんぶん丸のエンジンが唸る。新たな獲物を見つけたゾンビ達は、ゆらりとこちらに向き合った。

「──！　間に合った、みたいね」
「そうね、急ぎましょ！」
　全ては、インカム越しに聞こえていた。安堵と、焦りと、胸の中にくすぶる感情と。それらが縄梯子を上る少女らの背中を押した。
　サウンドソルジャーたる自分が持つ力、それが姿の見えない相手にも使えたら良いのに、とオルゴールは頭の隅で考えた。叶わぬ望みでも今は手段がひとつでも多く欲しかった。無意識で目を細めそうになった瞬間、イコがオルゴールを力強く引き上げて最上階に引き入れる。
　トイレの外に出た二人はすぐに慧樹の姿を認める事となる。数に押され、それでも諦めぬ少年を援護するべく少女二人は戦闘態勢へと入った。
「待たせたわね」
「こちらこそ！」
　三人の考えは同じだ。極力損傷を抑えながら、極力素早い決着を。

●２
（「みんな……頑張って」）
　正門の内側で、華村・雛菊は心配そうに校舎を見つめていた。敷地内への出入り口は塞げる限りで塞いでいる。残る懸念事項があったからこそ少女はここに立っていた。
「……来た」
　共にいた篠村・希沙が発したそれに、すぐさま正門側へと視線を向ける。あえて音を消しているのだろう、サイレンの赤が音無く見え、やがてやって来た数台のそれ──パトカーが校門前に停まり、数人の警官が姿を現した。
　警官は、門が閉まっている事とそこに生徒とおぼしき少女達が立っている事に訝しげな顔をする。
「通報があったのですが、君達は？」
「あっ、あの……すみません、誤報なんです！」
　努めて丁寧に、そして申し訳無さそうに。希沙が深々と頭を下げた。
「演劇部の仮装を、不審者を勘違いしてしまって、演技に熱が入っていたせいで大きな物音も響いてしまって……すみません！」
　明らかに、空気がざわついた。言っている事は分からないでもない、けれど何故校門を閉めたままなのか、通報は大人の声だったのに、それがここにいないのか。
「……とりあえず、責任者に話を──」
　瞬間、言い表し様のない威圧感を感じ警官は言葉を失う。一瞬にして物事を考える余裕が消え失せた。真剣な顔でこちらを見るもう一人の少女、小柄なその姿からは想像もつかないそれに動けなくなり、事の真偽を確かめようという気力を失う。
「……ごめんなさい、入れる訳にはいかないの」
　少女、雛菊は静かに告げる。
　一方で、裏門の見張りに立っていた羽衣はふと校舎を見つめ目を細めた。
「スミケイ、大丈夫かな」
　仲間も、それ以外の誰であっても。なるべく多くの人が無事であればいい。何も知らない人が突然に、たくさん死ぬのを見るのは嫌だから。
　そして、罪もないはずの人達を傷付けなければいけない事に心が痛む。それは、死してしまった後に、なお。

　最上階の奥、そこが静けさを取り戻すまでにあまり時間は掛からなかった。
「あ、あの、君達は……」
　状況の変化に気付き、階段の奥から教師と数名の生徒が恐々と姿を現す。くるりと振り返ったイコは優しく笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫、悪夢を醒ますためにわたしたちが来たの」
「どうして……」
「静かにしててね。全部やっつけちゃって来るから、動いちゃだめよ」
　教師の疑問をオルゴールが柔らかく遮る。
　出来れば忘れてくれた方がいい。その方が友達も、恩師も、人として死ぬ事が出来るのに。
　せめて、そう願わずにはいられなかった。

●３
　全てのゾンビを葬って、全員が合流した時には夕焼けはその色を失っていた。
「……」
　なかば強引に眠らせた生存者の傍に立ち、オルゴールは自身の細い手を耳元に当てる。生存者のポケットが震えるのを確認すれば身を屈めてその携帯電話を回収した。
「物理的に隠滅するしかない、かも」
　同じように携帯を回収していた郁が、スマートフォンのロック画面を見て眉根を寄せる。戦闘の痕跡も消したい、防犯カメラの記録も破壊したい状態で、時間を掛けている余裕は無さそうだ。
「カメラ……探しながら血痕、消してきます……」
　おどおどと駆け出した水鳥とは別の方向へ、オルゴールと郁も走って行った。
　残る六人はそれぞれが校内図に記した記録を共有し、二人ずつ三方に分かれた。
　下ろされた防火シャッター、備え付けられたくぐり戸を祈るような気持ちで開ける。そこに横たわらせた遺体がそのままなら安堵を、再度立ち上がっていたなら幾度目かの覚悟を。
「鋭刃くん……お願いね」
「ああ」
　イコに声を掛けられた殺人鬼の少年は身を屈め、遺体に仮初めの命を与える為に触れる。けれど能力を発動する直前、ぽつりと零した。
「無道が、言っていた」
「え？」
「俺がこうする事で、傷がひとつ無くなる。この子の明日の笑顔に救われる誰かはきっと居る」
　この子自身もそうであって欲しい、と。それは探索のさなかの話。願うのはとてもとても、穏やかな死を。
「俺もそう思う……次に行こう、嶌森」
「……うん、すごく、頼みにします」
　走馬燈使いを持たぬ者は擬死化粧を用い、極力食中毒死を装った。まだ温かさの残る遺体に触れた瞬間沸き上がった哀情を小太郎は唇を噛む事で堪える。そこへ十が手を伸ばし、遺体の服を数度叩けば汚れていた身体と制服が清潔な状態に戻った。
「ありがとうございます、三田さん」
「──人間臭さは、俺はキライじゃない」
　だからこそ自分達の手を穢し、自分以外の穢れを拭うのだ。

　巻き込まれた人達の、絶たれた日常を想いながら灼滅者達は日常へ帰る。
　出来うる限りの事を終え、惨劇のあった校舎から立ち去りながら見上げた空には星が浮かんでいた。夜風はまだ寒い。白い息を吐きながら振り返った小太郎は不意に思う。
　人肌が恋しいと、そう強く思った。

作者：笠原獏	重傷：なし 死亡：なし 闇堕ち：なし
種類： 公開：2016年3月17日 難度：普通 参加：8人 結果：成功！
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