セイメイ最終作戦~ヒーローなんていない

    作者:鏑木凛

     響く息遣いは荒い。暗く冷え切った教室の中で、呼気だけが熱を帯びていた。モップを握りしめる指先の感覚は既になく、震える腕や足も張り詰めた緊張で酷く冷たい。
     赤黒く染まったセーラー服姿の少女は、それでも俯かなかった。
     隣では、少女同様の色に染まり、錆付いた匂いに塗れた学ラン姿の少年が、椅子を一脚掴んでいた。
    「なんだってんだよ……っくしょう……!」
     椅子を蹴った少年を、モップを握った少女が鋭く制止する。
    「大きな音たてないでよケンッ。アイツらに聞こえちゃうッ」
    「わ、悪ィ、ミユ」
     ケンと呼ばれた少年が頭を搔き、ふと視線を窓際へ投げる。
     そこには少年が座り込んでいた。真っ赤に肩口を滲ませたまま動かない少女の手を握り、イチカ、イチカ、と呼び続けながら。
     そんな二人の近くには、首元から血を滴らせ、ぐったりした友人を背負う少年がいる。
    「アキノブ……リョウは、どう?」
     ミユが近寄ってひっそり声をかけた。アキノブと呼ばれた少年は、背負った少年の重みをしっかり感じながらも、声が出せず、首を振るだけで。
     直後、机で抑えていた扉が、あっけなく吹き飛んだ。
     迷わず突入してきたのは、身体に深い歯型を残した三人の学生――だった者たち。生前の面影が色濃く残る三体を引き連れ、一体の青年が低く呻きながらケンに噛み付こうとした。
     咄嗟に椅子を振り回して応戦する。しかし当たった感触は確かにあるのに、青年は一瞬動きが止まっただけで、怯みもしない。
    「こんなとき……漫画ならヒーローが助けにきてくれるのに!」
     ミユも、モップで化け物を叩きながら叫んだ。怖い、来ないで、と立て続けに。
     そんな彼女の言葉を耳にして、ケンが震えと共に現実を吐き捨てる。
    「ヒーローなんて、いねぇんだよ!」

     富士の迷宮に突入する作戦は、大勝利を収めた。
     狩谷・睦(中学生エクスブレイン・dn0106)の口から改めて告げられたのは、白の王セイメイや海将フォルネウスを灼滅したという快挙、そしてセイメイが着々と準備を進めていた数千体のゾンビを壊滅させたこと。灼滅者たちの手で描かれた希望の線が、確かに形になった結果だ。
     しかし、喜んでばかりもいられないのだと睦は続ける。
    「全国各地の高校に、どうやら白の王の置き土産が届いたみたいでね」
     高校の校舎に出現したゾンビが、生徒たちを噛み殺すことで、ゾンビを増やしつつあった。噛み殺した相手を、同じゾンビに変える――その性質から、今までのゾンビと区別して呼ぶなら、『生殖型ゾンビ』だろう。
     生殖型ゾンビは、エクスブレインの予知を妨害する力を持っているらしい。そのため、事件現場の詳細は不明だ。
    「事件がどの学校で起こるのか。それだけは判るんだ」
     睦が、机の上に校内の地図を広げた。
    「現場はこの高校。あ、地図も渡すね。有効に使ってもらえると嬉しいな」
     学校までは特定できる。だが、校舎内の「どこで」ゾンビが発生していのかは掴めない。先ずは学校へ急行し、ゾンビがいる場所を探す必要がある。
    「ここの高校には、校舎が二つあってね」
     北校舎と東校舎。どちらも鉄筋コンクリート製の三階建てで、距離も部室棟を挟んでいるだけだ。そう離れてはいない。
     もちろん、現場に生存者がいれば速やかに安全を確保してもらいたいと、睦は付け加えた。
     ただ、生存者がゾンビと遭遇していた場合にひとつ困ることがある。
    「……今回のゾンビは、バベルの鎖を持たない存在、だからね」
     バベルの鎖の特徴でもある、『情報が伝播しにくい』という効果は期待できない。そのため、出来る限りゾンビがいたという物証を持ち帰るか破棄し、生存者に口止めして欲しいと彼女は言う。
     物証を残した分だけ、ゾンビなどの脅威や怪奇現象の類が、表沙汰になりやすいからだ。
    「噛み付くだけとはいえ、ゾンビだからね。油断は禁物だよ」
     富士の迷宮下層にいたのと、恐らく同じ生殖型ゾンビだろう。
     強敵ではないが、噛み殺した人間をゾンビにしてしまう能力は侮れない。ゾンビを探し当て、灼滅するまでに時間がかかってしまうと、数を増やす恐れがある。
    「数千体いたようだけど、その大多数は富士の迷宮で灼滅できているからね」
     生き残っている数も大幅に減り、その全てが地上へ出てきていると思われるため、今回で殲滅が叶えば、生殖型ゾンビによる脅威も完全に払拭できる。
     富士の迷宮で、下層まで赴いてくれた灼滅者が多かったことが、幸いした。
    「ダークネスとの戦いとは、少し違う感覚かもしれない。でも……」
     やることは一緒なのだと、睦は灼滅者たちの顔をひとりひとり確認する。
    「いってらっしゃい。武運を祈っているよ」
     最後には、薄く微笑んで灼滅者たちを見送った。


    参加者
    奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)
    彩瑠・さくらえ(三日月桜・d02131)
    堀瀬・朱那(空色の欠片・d03561)
    秋良・文歌(死中の徒花・d03873)
    椛山・ヒノ(ハニーシュガー・d18387)
    七瀬・悠里(トゥマーンクルィーサ・d23155)
    若桜・和弥(山桜花・d31076)
    白峰・歌音(嶺鳳のカノン・d34072)

    ■リプレイ


     昇る息の白さが、凍てついた教室の中で儚く消えていく。
     まるで理不尽に刈り取られる命のように、振りかざした腕ごと抗う術を奪われたかのように。
     そんな空気の冷たさに包まれながら、起きた事実さえ呑み込めないままの少年たちは、身を温める暇も持てずにいた。友を背負ったまま動けないアキノブ。横たわる少女の名を呼び続けるトウキ。彼らの呼気はおろか、抗戦を繰り広げるケンやミユの息も、死の空気に溶けていく。
     熱の代わりに彼らへ吹きかけられる、絶望の吐息。ケンは黄泉を垣間見てしまいそうなその息を払うように、椅子を振り回す。
     見慣れた制服を纏う生きる骸へと、ミユがモップを叩きつけた。対峙したからこそミユにも判る。明らかに合わない焦点。この世の物とは思えない狂気の表情。ひっ、と呑み込んだ悲鳴につられたのか、腐りかけの腕がモップの柄を握り、引っ張った。たたらを踏みながら、ミユがモップごと骸の胸へ抱かれる。
     咄嗟に、友を背負ったままのアキノブがミユの名を叫んだ。直後。
    「いやぁあッ!」
     とうに赤黒く染まっていた身で、ミユが相手を押し返そうとする。しかし不気味な骸は凄まじい腕力で彼女を捕えたまま、肩口へ余命滴る牙を刺した。
    「っざけんなあ!」
     ケンの怒声が、椅子と共に骸へ飛ぶ。しかし別の腐った腕が、彼を床へ引き倒した。強か背を打ちつけたケンの視界を覆うのは、腐敗が進んだヒトの貌。
     重く被さる影を前に、ケンはただ拳を握りしめることしかできなかった。

     運命の瞬間から遡ること数分。
     現場となる学校は判明しているのに、校内の何処で起きているのかがわからない。
     しかし、エクスブレインの予知を妨げる生殖型ゾンビは確かに校内にいて、灼滅者たちの到着を待たずに生徒を襲っている。
     突きつけられた事実をしかと胸に刻んだ八人の灼滅者は、北校舎と東校舎に分かれて動いていた。
     ――だからこそ、最優先なのはたったひとつ!
     東校舎の階段を駆けあがった七瀬・悠里(トゥマーンクルィーサ・d23155)は、理知的な眼差しで二階を見渡す。がらんどうな校舎内にはゾンビどころか人の気配も無く、同じように廊下へ目をやっていた若桜・和弥(山桜花・d31076)は、ぴたりと足を止める。
    「……何も聞こえません」
     和弥が思わず呟いた。個々に定めた移動経路で、暗く、扉もなく、騒音に満ちているはずの教室を探す彼らだが、自分たち以外に戦いの片鱗すら届かない。
     場所を変えようと踵を返した二人は、そこで拡声器を持った彩瑠・さくらえ(三日月桜・d02131)と、同じく東校舎を捜索していた奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)と合流を果たした。
     三階建ての校舎を手分けしていた彼らの道行きに、死との距離を縮める影は無かった。
     ならば目指すべき場所は決まっている。誰もが黙って頷きあい、床を蹴ったそのとき。
     ザ、ザザッ――。
     彼らのインカムに、ノイズ混じりの通信が入った。

    「ローラー作戦ですよーうっ!」
     北校舎の三階から捜索する椛山・ヒノ(ハニーシュガー・d18387)が、藍色の瞳にありふれた景色を映していた。本来なら賑やかな声や靴音が弾む景色。生殖型ゾンビが徘徊するような場所ではないことを、ヒノの絶えない笑みが物語る。
     空飛ぶ箒で三階へ運んでもらった堀瀬・朱那(空色の欠片・d03561)も、ヒノとは別の箇所から駆けだす。割り込みヴォイスで生存者に呼びかけてみた朱那だが、反応は無かった。生存者たちは、状況を理解する余裕も無いままゾンビの前に居る。応じるゆとりが無いのだろうか。
     ――尚のコト急がないと!
     そうして廊下をひた走る二人の階下――北校舎の二階へ向かう秋良・文歌(死中の徒花・d03873)は、戦の音を逃すまいと気を張っていた。壊れた扉、ゾンビが歩いた名残。そういったものが無いかと巡らせた文歌の視界に、答えが形となって現れる。ひゅ、と吸い込んだ息を緊迫させながら、インカムを摘まんだ。
     文歌の足が、迷わず教室を目指したのと同じ頃。
     空飛ぶ箒に跨り、外から北校舎を眺めていた白峰・歌音(嶺鳳のカノン・d34072)が、見下ろした先、二階教室に探し人を発見する。すかさずインカムで通信しながら、箒の軌道を変えた。
     灼滅者たちの意識が集う。彼ら自身の足音と共に。


     握りしめたケンの拳が、生きる死者へと振るわれる。
     やられてたまるか。諦めない気持ちを彼が叫んだ直後、耳をつんざく音に乗せて、窓ガラスが割られた。床へ鏤めた硝子片は、暗い教室の中でも光を拾う。プリンセスモードを発動させた歌音が、箒に乗ったまま突っ込んだ。
    「平穏を乱す理不尽の連鎖!」
     外にも響くほど声を張り上げる。
    「ギステック・カノンが、断ち切って終わらせてやるぜ!!」
     前触れなき登場と名乗りに、ケンたち生存者どころか命を食らう骸までもが、一瞬動きを止めた。
     ほんの一瞬。それが運命を別つ。
     文歌の細腕が、掲げた標識を青に変えて輝きをばらまく。散った硝子片に反射した光は、沈んだ色の教室を照らす。そして撒いた光で、生殖型ゾンビの意識を鷲掴みにした。そのまま標識をバトンのように振り、ミユから死した身体を剥がす。
     驚きが隠せず、あ、う、と言葉にならない声を零す生存者たちの前へ、今度は入道雲が浮かぶ大空を思わせる色彩と、甘く溶けるような蜂蜜色が顔を出す。朱那とヒノだ。
     真っ先に朱那が、ケンを床に押し付けているゾンビへ飛び蹴りを喰らわせた。明るみが増した室内に奔った流星の煌めきを、生徒たちの目が捉える。
     そして煌めきは風に遊ばれた。ヒノが招いた風は渦を巻き、教室としての面影が濃いこの場に相応しくない異形を切り裂く。
    「このまま此処にいたら危ないから」
     隙を見て逃げて。そう背を向けたまま告げた文歌を見上げ、肩を抑えたミユが縋りつき、訴える。
    「……っ、置いて、いけないよ」
     するとケンも立ち上がり椅子を構え直した。傷だらけだというのに、戦意は失われていない。
     そんな彼らを見て文歌が静かに頷き、ヒノは満面の笑みを浮かべた。
    「なら、しっかり生き貫くデス!」
     ヒノの発言に合わせて、歌音が滞空させていた光輪を飛ばす。光の輪が腐敗した肌を裂くと、ゾンビが呻く。
     動けずにいるアキノブに噛み付こうと、ゾンビが飛びかかる。庇うように立った朱那が、大丈夫、と声をかけながら魔の手を払った。
    「あたし達が来たからにはこれ以上、誰も……!」
     彼女の言葉に目を見張り、アキノブは呟いた。震えながら――頼む、と。
     妨害されたことに苛立っているのだろうか。理性を失くしたヒトの群れが灼滅者たちを狙って動き出す。
     す、と盾が浮かぶ。玻璃に己の深淵を映したさくらえが、誓いを篭めた盾を広げ、仲間たちを護る。
    「おまたせ」
     伏目がちに告げたさくらえに続いて、眼前で両拳を撃ち合わせた和弥が、ゾンビの急所へ手刀を打つ。暴力を揮うことの意味は忘れない。それでも。
     ――これが必要だっていうなら。
     春を告げる花を思わせる瞳で、和弥は敵を見据えた。
     音もなく近寄ると、ビハインドの揺籃も生徒を庇うように佇んだ。覆われた視線が、アキノブの前で膝をついた烏芥へと移る。
    「応急処置致します。其方へ寝かせてください」
     生と死が密着した状態を、見過ごすわけにはいかない。
     自然に離れるよう促すと、アキノブは押し黙ったまま頷き、まだ温かさが残るリョウをおろす。重みを支えながら、傷ついた生徒たちへと烏芥が祝福の言を添える。
    「大丈夫。きっと、もうすぐ」
     囁きを知ったアキノブが瞼を落とす。
     祈るような想いが風に乗って戦ぎ、痛みを拭った。追い風を受けながら、悠里が翼を広げる。否、正確には翼のように帯を射出したのだ。闇を貫く白が、死を受け入れずにいる群れへと絡みつく。
    「すげぇ……」
     思わずケンが呟いた。目の当たりにした強さは、構えを崩さないままのケンやミユを静止させる。二人をちらと横目に見遣り、朱那は床を蹴った。
     ――あたし達に任せて避難して、って言いたいケド。
     恐らく聞かないだろうと踏んでいた。友の傍を離れたくない心境も、充分理解できる。だからせめて、留まるならば守り抜くと決意を改めた朱那の両足は、ローラーダッシュによる摩擦で火花を散らす。轟々と滾った炎が一体のゾンビを打ち崩すと、炎に紛れて気の塊が放たれた。ヒノが掌へ集わせたものだ。
    「皆をしっかり助けるデスよーうっ!」
     オーラは砲弾のように、許されざる死者へ撃ち込まれた。
    「本当に……おとぎ話に出てくる勇者か何かみたい」
     噛まれた肩の痛みが消えたためか、落ち着きを取り戻したミユが、灼滅者たちの戦いから目を逸らさず告げる。彼女の呟きに、ヒノは当然のように振り向いた。
    「ヒーローは居るデス!」
    「そうだぜ!」
     歌音も同意しながら、牙を剥くゾンビ目掛けて、凄まじい連打を叩きこみ仰け反らせる。抗うことを諦めなかった生徒たちの元へ、助けに来ることが叶った。それは歌音にとって、重要な意味を持つ。
     ――オレの時は、誰も来なかった。
     求めた助けも、願った命も潰えた嘗ての光景を、歌音は今でも鮮明に思い出せる。だからこそ、彼女はヒーローになった。
    「絶対……絶対助ける! この理不尽に巻き込まれた人を!」
     ひたすらに、生きるために。歌音の覚悟を耳にしながら、ケンたちは固唾をのんで見守った。
     慰霊の代わりにはならないだろうけどと、文歌は光を齎しながらふと思う。生殖型ゾンビの内、三体は学生服を纏っている。恐らく、噛み殺されたことで望まぬ姿と化したのだろう。ならば一刻も早く解放するべく、悪しきを滅ぼす裁きを下す。眩さに射貫かれた制服姿の一体が、文歌の胸中を悟ったかのように浄化された。
     灼滅者はヒーローである。
     模られたその立ち位置は、和弥の中ではしっくりきていなかった。死を忘れた骸の死角へ、俊敏に回り込みながら、脳裏を過ぎったヒーローという言葉を想う。ヒーローではない。けれど、力が及ばないときの言い訳にするつもりは無い。和弥にとって、灼滅者とはそういうものだった。ただ。
    「守るよ。その為に、此処に来たから」
     それでも、今この瞬間だけは、救いを求める者たちのヒーローでありたい。
     だから和弥は敵を裂く。蘇った命が尽きるまで、しっかり見届けて。
     揺籃に守られたまま、トウキはずっとイチカを呼び続けた。応じない少女の手を握り、冷たくなっていく現実を受け止められずにいる。時間の経過により、ゾンビと化す危険性があるため、できれば触れてほしくないのが烏芥の本音ではあるが、しかしトウキは耳を傾けそうにない。万が一に備えてはいても、気がかりだった。
     友の亡骸は、生徒たちそれぞれの心に波紋を生んでいる。きちんと話をするためにも、残る一体となったゾンビへさくらえと朱那が仕掛けた。滑空した帯が腐臭ごと貫き、絶望を落とそうとする身へ、朱那の真っ赤な標識が叩きこまれる。
     静寂を湛えた指先から、悠里が帯を放つ。風花の名を冠した道筋は、ゾンビをよろめかせた。
     奇妙な唸り声をあげて、ゾンビが文歌へ噛み付く。だが守りを固めた彼女は、得物で押し返した。
     そこへ追い打ちをかけたのはヒノだ。添えるように殴りつけた拳から、ありったけの魔力を注ぎ込む。そして。
    「おしまいにするマス!」
     ヒノは陽射しのような穏やかさを寄せて、歪んだ生を受けた哀しい存在を、死地へ送った。


     取り戻した日常風景に、失われたものは確かに存在する。
     伏せた友の傍を離れない生徒たちを前に、灼滅者たちは暫し時間と睨めっこをしていた。窮地を脱したことで、生徒たちはより強く現実を感じ取っていることだろう。もちろん、放ってはおけない。
    「今日のことは広めないでほしいんだ、頼む!」
     両手を合わせて頼み込んだのは歌音だ。響いた声が、教室内に木霊する。
    「校内には他に誰もいないンだよね?」
     確認のために朱那が尋ねると、ゆっくりとアキノブが頷いた。彼は、友の死を前に随分と落ち着いた面持ちだ。
    「今回の事件が世間に広まると混乱を引き起こす。可能なら喋らないで欲しい」
    「……だろうね」
     悠里の言葉にも、アキノブが応じた。両手で顔を覆ったミユや、相変わらず名を囁くトウキの横で、震えながら。
     生徒ひとりひとりの姿を、文歌は意識して見据える。苦く、つらい感情が文歌の喉をからからに乾かした。それでも、口外しないように説く言葉に変わりはない。
    「強く生きてほしい……それが私の願い」
     生真面目な彼女の気質を示すかのように、堅く紡がれる声。
     さくらえが彼女に続けた。
    「確かに僕らは、君達の命を脅かす危険から遠ざけることができた。けれど」
     一度口籠ったさくらえは、不安を煽らないよう徐に紡ぐ。
    「もし君たちが口にし、広めることがあれば、脅威は広がる」
    「その人たちの死も、変な好奇心の対象にされるかもしれないし……」
     繋げた悠里の理由に、ぴくりとミユの腕が揺れた。
    「たしかに、ね。こんな……リョウたちを……」
     いたずらに扱ってほしくない。ミユははっきりと言った。
     交わした想いに未来を垣間見て、さくらえは頷く。
    「そうだね。友達や家族と過ごす『当たり前』を、守れるのは君達自身だ」
     痛感してきたさくらえは、自らの発言を胸の内で反芻した。
    「……貴方達のお蔭で助かりました。間に合うことが出来た」
     立ち向かったケンとミユの勇気は、ヒーローそのものかもしれないと、烏芥が光を損なっていないケンたちの表情を記憶に焼き付けた。揺籃も倣ってお辞儀をする。
     そこで時計を確認した烏芥は、薄く目を細める。
    「さて、少し身なりを整えましょう」
     蘇ることもなく、永久の眠りに就いたイチカとリョウへと、烏芥が擬死化粧を施す。
     こっちも綺麗にしないと、と和弥も服や体をクリーニングで清潔に保った。
     供えられない花を思い浮かべた烏芥が黙祷し、ゾンビがいた証拠になりそうなものを朱那が燃やしていく。
    「……もし望むなら」
     物音が連なった時間の最中、悠里が唇を震わせる。
    「記憶をぼかすこともできる。消した方が良いと思うなら……」
     吸血捕食が可能な悠里の提案に、ケンたちは顔を見合わせたあと、かぶりを振った。
    「気ぃ遣わせちまってんな。でもこのまんまでいい」
    「ちゃんと覚えていたいこともあるもの」
     真っ直ぐに答えた彼らに宿る光を知り、悠里は帽子を整え俯く。
    「……ありがとう。助けてくれて」
     染み入った感謝の意志と、救えた命を前にして、歌音はかつての友人たちを想起し、ほろほろと言葉を零す。
    「オレ、助けられたのか? 助けること……出来たの、かな」
     少女の目尻が濡れる。生き抜いた者たちが、目配せを交えて微笑む。

     窓の向こう、雲の切れ間に光が見えた。
     春の訪れを待つ温かな空の色が、何故か、目に染みる。

    作者:鏑木凛 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年3月17日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 6/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
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