あなたの門出を祝いましょう

    作者:六堂ぱるな

    ●苦悩も不安もない世界へ
     少しばかり厳粛で、未来への大きな期待が満ちる体育館。
     滞りなく行われるはずだったその式のさなか、体育館の入り口が不意に開かれた。姿を見せたのは黒いスーツにシルクハットの初老の男。小走りに、大学の職員が彼に駆け寄る。
    「や、失敬。少しばかり遅れてしまったようだ」
    「御父兄の方ですか? でしたらこちらへ――」
     言葉の半ばで、職員の頭が突然、血飛沫を撒き散らして吹き飛んだ。
     あまりにも現実離れした光景に、一瞬の沈黙が体育館を支配する。
     一滴の返り血も浴びず、男はシルクハットを持ち上げて会釈した。
    「ではこれより、卒業式を始めましょう。貴方達はこれから、不平等と理不尽に満ちた人間社会へと放り込まれることになります。何年、何十年と続く苦難への序章です」
     ゆっくりと歩を進める彼を見ながら、体育館にいる生徒や教授、職員、見守る保護者たちまでが恐怖で指一本動かせない。
     誰もが本能でわかっている。何をしても死ぬと。
    「ですからここで貴方達を生から解放してあげましょう。居並ぶ御父兄の皆さまも祝福してあげて下さい。全てのものに平等な、死の来訪を!」
     宣告と同時、男が携えたステッキで卒業生に躍りかかる。
     悲鳴と混乱が体育館に満ち、殺戮の幕が上がった。

    ●『苦痛からの解放者』
     悪夢のようなその存在は、戦城・橘花(今ここに・d24111)の推測によって発見された。資料を配りながら埜楼・玄乃(中学生エクスブレイン・dn0167)が眉をひそめる。
    「戦城先輩、推測情報に感謝する。調査の結果、それは六六六人衆、序列五九一位『ヘメロカリス』であると判明した」
     彼の目的は卒業を控えた大学生たちだ。半数以上を惨殺した後、我が子や教え子たちを奪われ苦しむ人々を『解放』するため、逃げられずにいた教職員や保護者達の生命も奪う。
     不愉快そうに橘花が顔を歪めた。許し難い殺戮とタチの悪い理屈だ。
    「そしてこの六六六人衆は、かつて松戸市で密室殺人鬼の密室を守るため、哨戒役として予知した相手でもある」
     十全の態勢で臨んで貰いたい、と玄乃は付け足した。

     最初に断っておかねばならない。
     へメロカリスは獲物に襲いかかる直前まで、周囲への警戒を怠らない。従って予知を元に戦うのなら、被害をゼロにすることはできない。
    「奴の初撃で学生5人が即死する。その瞬間に仕掛けるなら、間違いなく全員が奴に初撃を入れることができると確言する」
    「……どうしても、その死者は避けられないか」
    「私の予知できた範囲を元に戦うなら、という限定された未来の話ではある。だが私の予知範囲から外れた時どうなるかはわからない。申し訳ない、先輩」
     彼の最初の攻撃以前に彼の警戒域――大学の体育館内に入れば予測は不可能だ。最低5人という被害を受け入れられるかどうかは灼滅者に委ねられる。
     不幸中の幸いというべきか、ヘメロカリスが現れたのは地方大学、中でも薬学部の専用キャンパスであり、卒業式に参列しているのは生徒200人弱と教職員・父兄合わせて100人強。体育館には三方向に大きな出入口があり、逃げた者を追って皆殺しにしようというほどの執着もないらしい。
    「なんとか死者を20人以下に抑えてくれ。また、ヘメロカリスは不利を悟れば撤退する。それを狙うのも有効だ」
     ヘメロカリスは殺人鬼と同じサイキックと、ステッキを使ったマテリアルロッドに近いサイキックで戦う。破壊力を重視し、ポジションはクラッシャーを好んでいるようだ。
    「一般人の避難は俺が担当する。けど避難させる人数が多いからな……戦闘に加われたらメディックぐらいはできると思う。避難タイミングとかは本隊の指示に従うぜ」
     宮之内・ラズヴァン(大学生ストリートファイター・dn0164)が難しい顔で手を挙げた。
     今まで予知した中でも今回の序列は高い。唇を噛んで、玄乃は参加者を見渡した。
    「いつも言うことだが、解決と、全員無事での帰還を待っている」
     それから、体育館の見取り図を睨みつけるように見る橘花に向き直った。
    「戦城先輩、もし対応が可能ならよろしく頼む」
     玄乃へちらりと視線を投げたものの、橘花は考えに沈んでいた。


    参加者
    泉二・虚(月待燈・d00052)
    久織・想司(錆い蛇・d03466)
    月詠・千尋(ソウルダイバー・d04249)
    碓氷・炯(白羽衣・d11168)
    小早川・里桜(花紅龍禄・d17247)
    ユリアーネ・ツァールマン(ゴーストロード・d23999)
    戦城・橘花(今ここに・d24111)
    甘莉・結乃(異能の系譜・d31847)

    ■リプレイ

     死の足音が聞こえる。
     たった今人を息絶えさせ、さらなる死を振り撒こうとしているものの。
     今すぐに飛び出して行きたい衝動を覚えぬものは、この場にいなかった。

    ●解放を騙る死
     卒業式を始めようと語る死の声。体育館の東側の扉の前で、黒いスーツに身を固めた戦城・橘花(今ここに・d24111)は飛び出しそうな耳と尻尾を抑えている。その隣で胸が悪くなるような時間を、月詠・千尋(ソウルダイバー・d04249)は噛みしめていた。
    (「『5人の命を犠牲に』……? ボクも随分と冷徹になれたモンだ」)
     予知の範囲、得られる情報で戦うなら避けられないと言われた生贄。
     全てを救うことはできなくても諦めないことを選んだ灼滅者たちは、確実に初撃を入れることより可能な限り被害を抑えることを選んだ。攻撃の瞬間に初撃が入れられるなら、庇うこともできるのではないか。その可能性に賭ける小早川・里桜(花紅龍禄・d17247)も神経を研ぎ澄ませる。
     むしろ物静かですらある泉二・虚(月待燈・d00052)の傍らでは、サポートに来た庵原・真珠もいつでも飛び出せるように待機していた。
     体育館の反対側、西側の扉の前で理不尽な死に襲われる人々を思い、怒りを抑えるのがやっとのユリアーネ・ツァールマン(ゴーストロード・d23999)も体育館内の物音を追う。
    (「アタシ達は超人じゃない。何でも出来る訳じゃないって分かってる。けれど」)
     敵は一対一では勝負にならぬほどに強大で。
     それでも抗うと、甘莉・結乃(異能の系譜・d31847)も決めていたから。
    (「一人でも多く助ける」)
    「――全てのものに平等な、死の来訪を!」
     中から響く宣告を合図に碓氷・炯(白羽衣・d11168)が扉を蹴破った。引き戸はひしゃげて吹き飛び、椅子を並べて居並ぶ卒業生たちの向こう、東側の扉も虚に叩き潰され倒れこむのが見える。
     初撃を受ける5人を庇うべく西から久織・想司(錆い蛇・d03466)が、東から里桜が弾丸のように飛び出し、仲間の背中ごしに今まさにステッキを振り下ろそうとしている六六六人衆・ヘメロカリスの姿を結乃は見た。
    「七星、出番だよ」
     囁くような結乃の言葉に応じカードの封印が解かれ、浮遊型補助演算デバイスが展開した。狙うはヘメロカリスのステッキを持った手。一手無駄になるかもしれないけれど。
    「この一瞬に、賭ける」
     封印解除と同時に現れたギターを構え、細く鋭く絞った音の刃を放った。
     ――結乃の攻撃が狙撃手として狙いをつけたものであったなら、目的を達することはできたかもしれない。しかし癒し手を担う彼女の攻撃では、そこまでの精度を得ることはできなかった。
     ヘメロカリスの手は逸れず、ステッキは逃げきれない一人の学生と、付近の学生を庇いにいった想司と里桜を巻き込み床板まで打ち砕く。手を襲った音波の衝撃にヘメロカリスが反応するより早く、彼を四人の灼滅者が囲んでいた。
    「私はあいつを! みんなの事はお願い!」
     宮之内・ラズヴァン(大学生ストリートファイター・dn0164)に避難誘導を託したユリアーネが無防備なヘメロカリスの脇腹へ、抉るような槍の一撃を見舞う。ほぼ同時に妖の槍を手にした炯も、ヘメロカリスの正面へ達し心臓目がけて螺旋を描く刺突。
     想司と里桜が体当たりで庇った三人は生きている。勢いで突き飛ばされたもう一人も。けれど庇えなかった一人が息絶える瞬間から、千尋は目を逸らさなかった。
    「……そこまでだ殺戮者!」
     『カオシックコンダクター』の輝く白銀の穂先がヘメロカリスのこめかみを穿り、ものも言わず肉薄した虚の緋色の輝きを宿した日本刀が下段から切り上げる。
     思いがけない一撃を受けた六六六人衆は、笑った。
    「おやおや、灼滅者だね」

    ●死の手を遮る砦
     笑いを含んだ声を聞きながら、里桜は一人、想司は二人を引っ掴んだまま足を止めず、六六六人衆から充分な距離をとった。したたか打たれた背中がひどく痛む。
    「こいつから離れろ!」
     凍ったような一瞬は、里桜の叫びで動きだした。そこここで悲鳴があがる。ヘメロカリスに近すぎる卒業生の中には、呪縛にかかったように動けないものがいた。
    「立って! 逃げるんです!!」
     想司が叫び、殺気を一気に噴き出す。南口を開け放ったラズヴァンが参列していた父兄たちに避難を促し、大きく開いた東と西の開口部で真珠と橘花が呼びかけた。
    「急いで外へ出て!」
     出入口に近い卒業生たちが指示に従って動きだしたが、父兄の半数近くがラズヴァンの指示に反し、卒業生たちの方へ駆けだした。我が子の危険を前にして我が子とは別の場所へ行けという指示は、従わないものも多いだろう。
     危険な案件や学園あげての作戦が頻発する昨今だ。サポートが一人という状況もヘメロカリスに利していた。

     混乱が広がる中、ヘメロカリスは己を包囲した灼滅者を眺めやった。
    「これほど注意したのに、まったく君たちは神出鬼没だな」
     むしろ愉しげに一人一人を昏い目で見つめる。普段の柔らかな物腰が嘘のように、炯が後ろに庇った卒業生たちに鋭い声をかけた。
    「命が惜しくば、力の限り走りなさい!」
     同時に炯が肩にかけた羽織の下からダイダロスベルトが迸った。その攻撃に空を切らせ、虚の斬撃も軽いステップで躱したヘメロカリスの体から、どす黒い殺気が噴き出した。触れるものを侵し貪る忌まわしい殺気にあてられ、逃げ遅れがばたばたと倒れる。
    「貴様の目的、絶対に成就させない! 絶対にッ!!」
     椅子を蹴って宙を舞いながら千尋が吠えた。呼吸をあわせたユリアーネがマテリアルロッドを鳩尾へねじ込み、流し込んだ魔力の爆発と同時に千尋が足をへし折らんばかりの蹴撃を加える。
     確かに攻撃は入っている。けれどヘメロカリスの貼りついたような笑顔は消えない。
     混乱をきわめる中、転んで踏まれる卒業生を引っ張り起こしながら橘花は避難誘導に努めていた。既に黒い狼の耳と尻尾が飛び出しているが、誰も気づく余裕がないようだ。
     男性のように見えるせいか、泣きながらすがりつく女性を立たせ、結乃の方へ押しやりながら里桜もマイクを握り叫ぶ。
    「シルクハットの男から離れて! 近い出口から外へ避難するんだ!」
    「焦らないで! 大丈夫ですから! アタシ達を信じて!」
     悲鳴が交錯し混雑する出口で、西側出入口の結乃が声を張り上げる。人数に対して出入口が広いとは言えず、押されて転んだりパニックを起こす者も多い。その上、自分の子供に駆け寄ってきた父兄も入り混じっていた。
     東側でサポートの真珠とともに避難誘導をしながら、想司も唇を噛んだ。思ったより東西出口からの避難に時間がかかっている。見通しも悪い。
     抑えにまわった四人はもつだろうか。

    ●砦にかかる魔手
     手近な椅子を蹴りあげてヘメロカリスへ飛ばし、虚はその陰で意志を揺らがせる符を放った。椅子を払いのけ貼りつく符にはお構いなしにヘメロカリスが灼滅者の包囲に踏み込み、攻撃すると見せかけるや、込み合う東の出入口めがけて轟雷を撃つ。
    「避難する人が……!」
     思わず炯が声をあげ、虚が火線上に飛び込もうとしたが追いつかない。子供の側へ行こうとしていた父兄二人と卒業生二人が雷の直撃を受けた。真珠が駆け寄って治療を施そうとしたが、息絶えていることに気付いて肩を落とす。ヘメロカリスが慇懃に一礼した。
    「ご卒業おめでとうございます」
    「……貴方は!!」
     己の裡の衝動を知り、灼滅者として覚醒したのは中学の卒業式。卒業式という呪わしい符牒と怒りをかきたてる六六六人衆を前に、炯が殺気を漲らせる。死者の『生きていたころの記憶』を七不思議使いとして扱うユリアーネにも、これは耐え難いものだった。
    「あなたがどんな人生歩んできたかは知らないけど……みんなの生き方はみんなが決めるべきなんだ。勝手に決めつけて、勝手に奪っていかれてたまるかぁ!」
     激したユリアーネが傷口を広げるように槍を抉りこみ、静かな怒りを滾らせて滑りこむ炯の踵が火を噴いて鳩尾を蹴りぬく。息を詰まらせたヘメロカリスの肝臓を狙い、千尋も槍を繰り出した。
     新たな死者が出たことで、人々の混乱はさらに増す。

     人手が足りないのが祟り、避難が終わったのは5分以上も経ってからのことだった。
     ラズヴァンと真珠に動けない怪我人や逃げ遅れがいないか確認を任せ、避難誘導組が戦闘へ参入すべく身を翻す。
     ヘメロカリスは抑えにかかる四人に、轟音をたてる竜巻を叩きつけたところだった。ユリアーネを庇って虚が、炯を庇って千尋がダメージを引きうける。塞がらない怪我が嵩むみながらも、虚が生命力を奪う緋色のオーラを宿した刀で斬りかかった。ふらつく千尋の陰から飛び出し、炯が鎌首をもたげて狙いを修正するダイダロスベルトを疾らせ、ヘメロカリスの腹を抉る。
    「貴様は許さん!」
     死者は恐らく二十人をきる。だがこれほどの被害を出したのだ、生かして帰すつもりは里桜にはなかった。シールドを展開して思い切り殴りつける。足を折らんばかりの蹴り下ろしを見舞う千尋に続いて、ユリアーネもマテリアルロッドを叩きこみ、流し込んだ魔力を爆ぜさせた。
     癒せない傷が積み重なった千尋には結乃がラビリンスアーマーで癒しだけでなく加護をかけ、虚は駆け戻った想司が祭霊光で傷を塞いだ。
     あとはヘメロカリスを灼滅するか、撤退に追い込むだけ。そう思った時だった。
     横殴りのステッキの一撃をまともに喰らった虚の身体が吹き飛び、体育館を揺るがして壁に叩きつけられた。

    ●穿ち穿たれ
     意識を失ったらしい虚は立ち上がらない。抑えの一人として仲間を庇い続けたことを思えば当然だ。一瞬足の止まったヘメロカリスに隙を与えず、炯が武者鎧のような縛霊手の叩き潰さんばかりの一撃を喰らわせる。膝をついたところへ飛びかかりざま、想司の刃のように鋭いオーラが足を切り裂いた。よろけたヘメロカリスを挟み、ユリアーネと橘花が串刺しを狙って槍を繰る。
    「っ……と」
     左右の脇腹を槍に縫われたヘメロカリスに、里桜が炎をまとった蹴りを喰らわせた。傷の重い千尋へラズヴァンからダイダロスベルトが放たれ、結乃が弾くギターの音色が前衛たちの傷を塞ぎ、立ち上がる力を与える。痛みと疲労の中、千尋の胸を占めていたのは犠牲者への想いだった。

    (「ボクらの選択で残った命と消えた命……」)
     その業も背負って、必ず完遂すると決めた。

     ふらつく足に力を込め、漆黒の魔槍の穂先を突きたてる。血の糸をひいて退ったヘメロカリスの姿が、ふとかき消えた。
    「お疲れのようですね。おやすみなさい」
     千尋の頸を衝撃が襲った。サイドに回ったヘメロカリスが引き裂きざま、力任せに床へ叩きつける。為す術もなく、千尋の意識は闇に呑まれた。
     目の当たりにしながらも冷静な炯から意志ある帯が翻り、黒いスーツの腹を抉る。
    「人間を『卒業』してしまっているのに、人であろうとするのは苦痛ではないかな?」
    「少なくとも、貴方を倒せるなら意味のある苦痛ですね」
     応じる炯の言葉を聞きながらヘメロカリスの背へ注射器を突き立て、いくらか力を取り戻しながら想司が突き放した。
    「理由を付けて殺したいだけのひとごろしが、人生の何を説きますか」

     血にまみれる胸の裡は愉悦に躍る。追い詰め、追い詰められるぎりぎりの殺し合いに。
     そんな己を度し難く思うがゆえに、殺しあいを求める衝動と愉悦に身を任せる六六六人衆をも度し難いと思う。

     シリンダーを蹴って逃れたヘメロカリスは、想司の想いを見透かすように笑った。
    「君だって今、苦しみのただなかにあるだろう。その苦痛から解き放ってあげたいのだよ」
    「余計なお世話だ!」
     シールドを展開した里桜に横っ面を張り飛ばされ、シルクハットをおさえながらヘメロカリスが受け身をとる。その着地点めがけて橘花の『殲術爆導索』が疾った。
    「お前が悩みのない世界へ行くといい……手伝ってやろう」
     爆ぜる一撃でバランスを崩す横あいから、ユリアーネが背骨をへし折りかねない杖の一撃を叩きこむ。結乃の放ったダイダロスベルトは、治らない傷の嵩んだユリアーネに巻きつき守護を担った。出血が増えてきた里桜へはラズヴァンが癒しの矢を放つ。
    「連れて退避するよ」
     倒れた千尋からヘメロカリスが離れた隙を見て、真珠が千尋を抱えあげて退がった。
     押し切れるか、押し切られるか。

    ●痛み分け
     薄ら笑いを浮かべるヘメロカリスが大きく後ろへ跳んだ。逃がすまいと追いすがった一瞬。出口へ向かうかに思われた体は回りこみ、踏み込んだ前衛たちをステッキが巻きこんだ空気の渦が生み出す重い衝撃が迎え討つ。
    「くあ……!」
     まみえてからこちら矢面に立ち、食らいつき続けたユリアーネの身体は限界だった。
     力を失い、くたりとその場に崩れ落ちる。
     足を引きずり始めたヘメロカリスを距離を詰めた想司が『鬼哭執蒐』で叩きのめし、疾風の如く迫った里桜の『疾風迅雷』が炎を噴き上げながら顎を蹴りあげる。苛立たしげに炎を払うヘメロカリスの左右から、炯と橘花も焼きつくそうとするように炎をまとった蹴撃をねじこんだ。
    「……なかなか頑張るものだ」
    「アタシ達にも覚悟がある。容易く為せると思わないで」
     いくらか尖った声のヘメロカリスに、結乃が宣告と共に音の刃を突き立てた。攻撃力を底上げする為、ラズヴァンが魔力のこもった霧を前衛たちにまとわせる。
    「予定が台無しだよ」
     囁きは里桜の背後で聞こえた。殺気が鋭利な刃物のように頸筋を引き裂く。
     膝が崩れる里桜の両サイドから炯と想司が滑り出たのは次の瞬間だった。足の麻痺したヘメロカリスへ、軋む音をたてて炯の縛霊手が叩きつけられる。泳いだ上半身、頸めがけて想司の『殺々自在』が濁った血色のオーラを収束させた。
    「いい加減しつこいですよ」
     冷え冷えとした言葉と同時、抉るように鋭い傷を刻みつける。血を噴いてたたらを踏んだヘメロカリスの懐に、橘花が飛び込んだ。
    「潰す」
     『対六六六抹殺用軍葉式居合刀』の火薬が爆ぜ、暴力的な轟音をたてて切断刃が回転した。居合気味の斬撃がステッキを持ったヘメロカリスの手首を深々と骨まで切り裂く。
    「おやおや、これはいけない」
     ステッキを握ったまま、ヘメロカリスの手首から先がぷらんとぶら下がった。もげなかったのが不思議なほどだが、ダークネスの場合外見的な損傷と実質のダメージは往々にして噛み合わない。しかし思ったよりも彼のダメージは蓄積していた。
    「大事な商売道具を、まったく困ったものだ。仕方ない、今日はこれで失礼しよう」
    「逃がすか!」
     怒りに燃える里桜が追いすがったが、一瞬早くヘメロカリスはひしゃげて転がる西側の扉を飛び越え、シルクハットを僅かに持ち上げて会釈をすると外へ身を翻した。
     外へ避難した一般人たちの安否が過ったが、校舎のあたりにいる彼らに異変はない。
     本当にヘメロカリスは立ち去ったようだ。
     体育館内には倒れ伏した虚と千尋。そして血にまみれた人々の姿だけが残されていた。

    ●死者へ祈りを
     体育館内で倒れた卒業生や保護者は三十余名に及んでいた。しかしその全てが死者ではなく、決して軽くはない怪我ではあったが生存者もいた。真珠の素早い手当てで生命をとりとめた者も少なくない。
     手分けして治療を施してみると、死者は十七名。卒業生はそのうちの十三名だった。
     体育館の隅に死者を並べて寝かせ、ぎしりと拳を固めた橘花が血を吐くように呟く。
    「私は今日あったことを決して忘れん」
     守れなかった生命。
     けれど今日この場で失われるはずだった、二百名を超える死者が防がれたことも事実だ。
     治療を受けて意識を取り戻した千尋が、まだままならない身体を起こして仲間を促す。
    「……行こうか、ボクらにできるのはココまでだ」
     事態の説明を求められても語ることはできない。
     ふらつく虚には炯が手を貸し、ユリアーネには橘花が肩を貸して体育館を後にする。満身創痍の仲間たちを結乃が労った。
    「みんな本当に、お疲れ様」

     ヘメロカリスは一行の猛撃を受けて撤退した。
     全ては守ることができなかったにせよ、被害を格段に抑えたのには違いない。一方で、傷の癒えたヘメロカリスがいずれ出す被害を思えば喜べず。
     やりきれない思いを抱えて、一行は学園へ帰投したのだった。

    作者:六堂ぱるな 重傷:泉二・虚(月待燈・d00052) 月詠・千尋(ソウルダイバー・d04249) 
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年3月15日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 4/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 1
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