木々の間から水の流れ落ちる絶え間ない音が聞こえる。
狭い岩場の向こうに澄んだ沢の水が見えていた。青でもあり緑でもある、翠玉のような水だ。
南アルプスの山中。気軽な遊歩道を離れて急峻な足場を踏み越えた先に、その渓流はある。
人には険しい岩場だが、ダークネスにとってはさしたる憂いにもならない。それは田子の浦の激戦で淫魔と化した結城・桐人(貪汚の律動・d03367)にも言えることだった。
木漏れ日を浴びているのは、ぐるりと巻いた羊の角と悪魔を思わせる翼と尾。そして陽に愛されたかのようなやや浅黒い肌。細身のロングパンツを身に着けたきり、裸の上体を惜しげもなくさらけだしている。
眼鏡をかけてきちんと振舞っていた頃は、周りの空気が気になった。
人と接することが得意ではない。沢の水のように波紋を立てるのは、他者ではなくて自分の心だと思っていた。
それなのに、いや、だからこそ。
今は、タトゥーのような黒い紋様とシルバーのアクセサリーとが派手にその身を取り巻いていた。降り注ぐ西陽すらが、眩しげに弾ける。
「他人なんか気にしてもしょうがねぇ」
呟きには、かつての面影が無い。
今は、そう、自らの行いが誰かを揺らがせる様を見たい。ぽつりと一つ雫を落としてやれば、人の心はどんな波を立てるだろうか。
「自分が楽しけりゃ、いーだろ」
そんなモットーを胸に、ここにいる。配下など連れもせず、ただ一人で。
うずめ様と呼ばれる羅刹が、予知をしたのだ。灼滅者を迎撃する場は、ここであると。
灼滅者8名を相手取り、互角の戦いに勝利して帰還すること。それこそが盟主となる試練であると言ったのだ。
乗り越えた先には、どれほど刺激的で新鮮な日々が待っているのだろうか。
「さて……」
口下手だったはずの唇を緩く開き、ただ、軽く笑った。
「富士の迷宮の件だが、生殖型ゾンビへの対応が今、行われている。皆のお陰だ。ありがとう」
春霞の見られる午後、石切・峻(大学生エクスブレイン・dn0153)は、頭を下げた。
「そして、迷宮崩壊の際、生殖型ゾンビたちと同タイミングで逃げ延びたダークネスたちの情報が入ってきた。あちらにはエクスブレインとは別の予知能力を持つ『うずめ様』がいる。行方の捜索はなかなか困難だったが、田子の浦で闇堕ちした灼滅者たちの動きをつかむことができた」
ここだと言って広げた二つ地図は、山の中だ。片方が南アルプス、片方が鈴鹿山脈。
「南アルプスで5人、鈴鹿山脈で1人の闇堕ち灼滅者が、こちらを待ち構えているらしい。この総勢6人の内1人でも救出することができれば、富士の迷宮から逃げ延びたダークネスたちの足取りを知ることができるだろう」
峻は人差し指を立て、だが、と続ける。
「相手が単独だということまではわかるが、その戦法までは読めない。難しい戦いとなることが予想されるが、君たちの力を貸してもらえないか」
言うも苦渋なことだけに、表情には切実な色が滲んだ。
「君たちに向かって貰いたい先は、南アルプスの山中だ。ここで、闇堕ちして淫魔となった結城・桐人が待ち構えている。相手は結城君一人で、現場も一般人が立ち入る事は無い。彼は自分の楽しさ優先をモットーとしているようだが、俺に分かるのは残念ながらここまでだった」
場所に関してはある程度分かる。そう告げて地図を配布しながら、峻は告げる。
「彼らの目的は、富士の迷宮から逃げ延びたダークネス達を安全に逃がす事と、自分自身が彼らを率いる『盟主』となること、この双方だと思われる。君たち灼滅者を迎撃して勝利するというのは、そのための試練なのじゃないだろうか」
二本立てた指を降ろして、物思わしげに眉根を絞った。
「富士の迷宮から脱出したダークネスたちは、自分らが無事逃げ延びるために、生殖型アンデッドさえも囮に使ったのかもしれない。ともあれ、難しい局面だが、何とか対処を願いたい。君たちの力を信じる」
お願いしますと頭を下げ、全員の無事を祈る峻だった。
参加者 | |
---|---|
狐雅原・あきら(アポリアの贖罪者・d00502) |
万事・錠(ハートロッカー・d01615) |
喜屋武・波琉那(淫魔の踊り子・d01788) |
一・葉(デッドロック・d02409) |
石動・茜歌(花枯守人・d06682) |
百舟・煉火(イミテーションパレット・d08468) |
北南・朋恵(ヴィオレスイート・d19917) |
興守・理利(赫き陽炎・d23317) |
●まるで転がる石のように
太く隆起してくねる樹の根が、地に刻まれた深い皺となって侵入者を阻もうとする。日差しは重なり合った枝葉に遮られて随分と遠い。
山道を外れてどれくらい経ったか。耳元を、さあ、という微かな音が掠めた。間断なく涼しく。
喜屋武・波琉那(淫魔の踊り子・d01788)が足を止め、耳を澄ます。
「これは滝の音、だね?」
それを聞いた北南・朋恵(ヴィオレスイート・d19917)が明かりを足許へと降ろして風上へと耳を向けた。
「水が流れる音も聞こえます」
間違いない。この先に滝と渓流がある。
仲間の救出に急ぐ灼滅者、八名。そこからは足許を照らして慎重に、かつ、迅速に川岸を目指す。しっかりとした登山靴やブーツが、敵の逃げ場を絶つ経路を彼らに約束してくれている。
ザ……。
みっしりと生い茂った笹を左右に割った時、その光景は現れた。狐雅原・あきら(アポリアの贖罪者・d00502)が口に咥えたペンライトを揺らす。
川岸の岩を踏んで佇む浅黒い背中。黒い紋様と一対の羽、そして巻いた角。
緋色の瞳が灼滅者たちを振り返る。
「遅かったじゃねぇか」
薄く口の端を吊って笑うのは結城・桐人と呼ばれていた者の、今や淫魔と成り果てた姿に違いなかった。
全員が大きく一歩を踏み出して木立を背にする。カードを解放した百舟・煉火(イミテーションパレット・d08468)が、フレア・スペクトラを疾駆させて出た。
「やあ結城くん、命を救われた借りを返しに来たよ」
「結城ねぇ」
煉火の足許で残像を引くのは七色の炎。他人事とも言える淫魔の口調は予想の内か、躊躇うことなくスターゲイザーの鋭い軌跡を蹴り込む。
「そこの盟主候補に用は無い。結城くんに替わって貰おうか」
待ち構えていた者は、確かに盟主候補だった。蹴りにかすめられる寸前で身をかわし、眉根を持ち上げて見せる。
が、そのために前に出ることもかなわず、川の流れに沿ってわずかに退くと、灼滅者たちの望む立ち位置を許してしまった。
最前列に着地した煉火は、真っ直ぐに顔を上げる。外した口惜しさを嘆くよりも、自分の胸元を示して見せた。
「こちらにも意地があるのでな。本気で行くよ」
それが恩人の身に暴虐を加えることであっても。痛み分けという言葉がこれほどに意味をなす場面が、他にあるだろうか。
ばさり、という音が渓流の音を打ち消した。
「本気だってぇいうんなら」
瞬間、淫魔の瞳の赤い色が憤怒の灼熱に燃え上がる。広げた翼も、また血にまみれているかのように赤い。
「イイ顔、見せてくれよ?」
その声と同時、虚空が黒く裂けたかのように見えた。闇色の烈風が小砂利を巻き上げて灼滅者たちに襲い掛かる。
波琉那の霊犬・ピースが、まず、やられた。守りの薄いものから冷静かつ確実に。敵の戦い方を見て取った万事・錠(ハートロッカー・d01615)が、後衛を背に置く位置から影を操る。
岩場の上の日陰りが蠢き始め、黒い蠍を象るやいなや淫魔の足許に忍び寄った。
「……?!」
Kalb al Akrab、厭われし蠍の尾に脚を捕らわれ、淫魔はその動きを鈍らせる。仲間が皆足止めを撃ち込む中、苛立たしげに踏みつけられる灰色の岩と眉尻を跳ね上げるダークネスの顔を見比べて、錠は短く息を落とした。
まだ海へと転がる前の、ごつごつとした角を持つ石。磨き尽くされた石にはない良さを、部員である彼に見出していたからかもしれない。
長い川を下って堕ちた石は、帰り道を失ってしまう。かつて見た光景とその忘れ形見と共に、錠は今、ここにある。
「絶対に退かねェ」
決意の一言を叩き付けられた時、淫魔の踵がわずかに退き、浅い川の水を踏んだ。
●見えない壁を叩き割れ
敵は前に出られない。かといって急流を踏み渡ってでも退こうともしない。じっと前方だけを見つめた淫魔は、静かに短く息を吸う。
「そうじゃねぇ。イイ顔って、言っただろ?」
その一言に続く声は、何とも形容しがたい旋律を持っていた。
低く低く耳元に届く囁き声。心に重石をかけられるような、全てどうでも良いと思わされてしまいそうな危ない響きだ。
「……絶望だと尚イイね」
狙われたのはやはり後列だった。直撃を免れた石動・茜歌(花枯守人・d06682)が、一時、回復に回る。一人でも落ちれば、形勢が変わってしまうかもしれないのだ。
間隙を縫って興守・理利(赫き陽炎・d23317)が手にしたのは、我執瑕瑾。大きく駆け込み全身を回転の勢いに乗せ、深く断ち斬りにかかる。
「おれも衝動を闇に委ねる妄想を幾度としたので……」
説得が叶わなければ灼滅。そこまでの覚悟が、一撃を確実にさせた。ざっくりという手応えが返る。
「その開放感は羨ましく思います」
赤い霧のように血煙が上がった。顔を背けて視界を守り、急流が赤い色を連れ去るさまを見つめ、理利は目を上げる。
「しかし実際は全ての悦はダークネスが得て、先輩はただ見ているだけなのですよ」
自分たちが無事に逃げ延びるためならば、何でも利用するような連中なのだ。
淫魔は深く切裂かれた肌を押さえ、血塗られた手を見て、無造作にそれを払った。
「それでこそダークネスってもんだろ」
顎を掲げて笑う顔には、焦りの色はない。余裕綽々。首を振って見せる動きもしなやかで、刻んだはずの傷は既に癒え始めていた。
それを知った一・葉(デッドロック・d02409)が縛霊手を構えて、大きく踏み込んだ。
「そのダークネスだって他人だろ」
岩の上に巨腕の影を黒々と落とす。淫魔が身構えた。
「他人は所詮他人だ。いくら気にしたってしょうがねぇ。結局は、ぶつけてみなきゃ何もわかんねぇってこった。そーいうわけで……」
ぶんっ、という風切る音。縛霊撃の重さを、淫魔の肩先へと叩き落す。
「友達になりましょうのパンチ食らえオルァ!」
骨に響く打撃音の直後に、霊力がさっと広がった。
「俺、結城のことあんま知らねぇんだよな。だからよ、もっとお前のこと教えてくれ」
葉は腕を引くと、自分の目元をカツカツとつついてみせる。レンズには度が入っていない。透明な壁であり蓋。
「メガネの話もしようぜ」
「……っう」
たたらを踏んだ淫魔が前へと踏み出そうとする。横へと身を滑らせて塞いだのは、あきらだった。
「先の戦いではボクの目の前でも闇落ち者が出てましたが、そこで終わる灼滅者なんデス?」
身に引き付けて構えるガトリングガンはPSYCHIC HURTS。チェロに大盾という重たげな造りをものともしない。問うと同時にブレイジングバーストの炎をばらまく。
「全部ぶつけて見な! そんな殻なんかぶち破れる! そうだろう?」
戦うことに恐怖は見せないが、周囲の力量はきっちりと見ていた。後衛が落とせないとなったら、次はどうなるのかも読んでいる。それでも退かない。
「アンタになら、それが出来る筈だ」
淫魔は腕を掲げて炎に耐え、短く咽んだ。腕の下に覗く唇は苦しげに息をかすれさせたように見えた。だが。
「ああ。できるぜ?」
そう答えた時、唇は緩やかな弧を描いている。
笑っていた。
●ソリストの憂鬱を見よ
次の瞬間、響き渡ったものは旋律というよりも咆哮だった。冷たく冴えた大気を震わせ、淫魔の一声が灼滅者たちの後衛側を狙う。サーヴァントの姿は既にない。
波琉那が身震いをしながら屈み込み、身動ぎを殺がれながらも眼差しを上げた。
「学園に帰るまでが依頼なんだよ! ……闇堕ちでイキっぱなしなんて絶対ダメなんだからね!」
その背を支えて癒やしの輝きを注ぎながら、 朋恵が口を開いた。
「あたしたちは、かんたんには揺らぎませんです。めいしゅになるよりも、この学園の人たちといっしょにいた方が楽しいって、桐人さんには思ってほしいのです」
「盟主になるより楽しい未来なんて、ねぇだろ」
ダークネスは、何を言っているんだとばかり。朋恵は首を横に振り、言葉を重ねた。仲間の補助を果たしつつも、伝えたい思いを諦めない。
「桐人さんがえんそうしてるの、まだぜんぜん聴いたことないのです……桐人さんのドラムえんそうとか好きな音楽とか、もっと聴かせてほしいので、帰ってきてくださいなのです!」
仲間を癒やしながらの声は、次第に息が上がってしまう。一生懸命なのだから仕方がない。
それを面白げに眺めていた淫魔だが、やり残した数々を言葉で聞くと、薄く眉根を顰めた。まるで、頭の内から何かに叩かれたような面持ちだ。
首を振ってそれを払いのけ、攻撃で黙らせようと翼を広げた。そこに錠がシールドバッシュを当て、的確に狙いを逸らす。
「人一人が生み出す波紋なんて、たかが知れてる。一人で生み出す音だってそうだ。お前だって知ってんだろ?」
星の運行を描く盾が、淡く光った。
「重なる音が多けりゃ多いほど響き合って、波紋はどこまでも広がっていくんだ。またセッションやろうぜ、結城。その為に俺はココに来たんだ」
「それ、の……何が……ッ」
淫魔は否定しようとする。しかし、言葉をどこかに奪われて、代わりに攻撃を繰り出すこととなった。ざわつく烈風は不協和音だ。
鼻筋に刻まれた傷を腕で押さえ、口に入った血を吐き捨てて、錠は告げる。
「盟主になったテメェのワンマンライブなんざ、願い下げだぜ」
「……っ、イイ顔、っていうには……」
傷付いてなお、望みは絶たれていないのか。ダークネスが歯噛みする。しかも、刻んだその痛みは煉火が目の前で癒やしはじめていた。
「他人を気にせず生きる事も、ある意味憧れではあるけどな……でもそれ本当に楽しいか? 人に縛られて感情に縛られて、それこそが生きてるって感じしないかい」
回復手から確実に倒す。その戦法を食らって助けられた記憶は、それこそが縛りだ。もつれたただ中に立って生きる者の言葉は強い。
「全員で帰還するまでが任務だよ。……その事はゆめゆめ忘れるな!」
「耳障り、な……っ」
次の手を打とうとして、淫魔はその目を見開いた。
「……」
赤いガラス板のように表情を失った瞳に、見知ったはずの姿が映り込んでいた。
「皆が背中を押してくれた」
茜歌だった。突き込んだ妖の槍を強く握り直す。
「だから、殴る。正直に言う」
掌がずるりと滑る。桐人の肉体が流す血だ。それでも指は緩めない。赤い瞳を見上げた。
「わたしは好きだよ、桐人さんの音が。決して表立たない、だけど他の音と重なると、とても綺麗に響く音」
血溜まりに落ちる新たな一滴が、ぽつりと小さな音を立てた。
●無言歌
冷静なはずの淫魔の動きが、次第に鈍り始めた。
良い立ち位置を取られてしまったこともある。確実に攻撃を積み重ねられたこともある。そして何よりも。
ダークネスは、灼滅者たちの旋律に耳を塞ぐことができなかった。良い音を奏でる者は耳も良い。
負傷を癒そうとする笑いはどこか力無い。それを見逃すことなく、理利は敵の視界の外へと回る。
「盟主になり波紋を広げる事が、結城先輩の本当にやりたい事なのですか?」
神霊剣の斬は、傷を刻まない。しかし、苦痛はその身の奥まで沁みる。
「先輩が堕ちてまで助けた方々に向けて……本当にそう言えるのですか」
振り抜いた切っ先で、他の面々を指し示す。元はといえば、助けるためにこうなったのだった。本末転倒で良いのか。
「絶望、希望……色んな奴の心が揺らぐんだ、すげぇ……じゃん 」
淫魔は、灼滅者たちの顔を見てそう吐き捨てる。しかし、上手く笑えていない。まるで何かの制止に抗っているかのようだ。
ばたばたと雨が降り始めた。黒い雨だ。
「……っう」
ダークネスの降らせる禍々しい雨粒は、灼滅者たちの肌を冷やして、纏う祝福を拭い去ろうとする。だがそれも、波琉那が手にしたバイオレンスギターの旋律が、少しずつ癒して押し返す。説得に当たる者たちの守り手が守り切られたことも、敵には手痛い事実だっただろう。
ずるりと退こうとした動きを、葉の黒死斬が阻む。
「オラこいよ、結城。もっかいメガネが似合うツラに整形しなおしてやらァ」
逆に道を見出そうとすると、あきらの螺穿槍に遮られた。
「残念だけどボクには逃げるって選択肢はないんだ」
逃げ場はなく、攻撃は手痛い。
ざんっ、という音を立てて水飛沫が上がり、ダークネスの色濃い肌が渓流の浅瀬に倒れ込む。
頭から沈む。そう思えたが、ならなかった。茜歌が腕を伸ばし、彼を川から引きずり上げている。ひっきりなしに落ちて来る水に濡れても、怯むことはない。
「帰ってきて。また聞かせて。こんな不協和音じゃない……」
「……ぅ」
「あの静かで、力強い律動を!」
高々と持ち上げた長身を、思い切りの力でもって河原へと叩き付ける。
「ッ……アアッ!!」
灰色の石くれの上で凄まじい爆音が巻き起こり、水飛沫と砂礫とが頭よりも高く吹き上がった。銀の装飾と共に降り注ぐ水滴は、ダークネスの闇を洗ったかのような泥の色に染まっている。
しかし、それらが飛び散って風が澄んだ時、皆の、そして桐人の上へと降り注ぐものは、柔らかく反り返った紫色の花びらだった。
倒れている者は、もう淫魔ではない。いつもの面差し、いつもの肌。花びらの微かな感触に眉根を動かして、開いた瞳もいつものものだが眼鏡がない。
素の眼差しで灼滅者たちを見、唇を開いても、息遣いはなかなか音にならなかった。滝の音だけが響く中、やっとぽつりと声が出る。
「……すまない 。ありがとう」
そして。
「……ただいま」
饒舌から程遠い姿が、彼らしい。ミヤマキリシマの祝福の中、茜歌はそんな桐人を見据える。
「言ったろ。受けとめてみせる、って」
肩に落ちてきた花びらを一つつまんで、葉が梢を見上げた。
「桜が咲いたら花見に行こうぜ。……お前、こないだ誕生日だったろ?」
そして、集った軽音部の仲間たちと視線を見交わす。
「クラブのヤツらと盛大にイジり倒してやっから覚悟しろよなあ」
友たちの笑い声が響く。やがて、九人で踏み出す先は入り組んだ木立の向こう。茜歌は、じっと自分の手を見つめる。
(「手を繋いでいれば、迷路に迷う事もはぐれる事も、喪う事もないと。いつか言ってくれたこと、覚えてる」)
だから。
「……手を握っていいかな」
差し出す指先からは、微かな花の香りが漂っていた。
作者:来野 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2016年3月24日
難度:やや難
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 3/感動した 3/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 3
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