わたしとボクのレーゾンデートル

    作者:一縷野望

    ●白の向こう側
     漂う白い布の先、霞む景色は余りに泡沫――此を見ているのは果たして誰?
    「……見透かされちゃったのかなぁ」
     白髪の少女の口ぶりは台詞に反して落胆はなく、どこか飄々としていた。
     有り余る力をもってうずめの護衛の心算は、仮初めの主と傅きたかった彼女の来訪なくご破算。
     其れを見透かされたと笑う此のダークネス『紫鬼』の腹づもりがどういったものだったかは推して知るべし。
     さて。
     人に紛れるため謡の姿を取り、紫鬼は人集う世界を闊歩していた。とはいえ、気ままに任せしばし人のフリして彷徨うのも飽きてきた。
    「そう言えば嫌いだったっけ?」
     ――人混み。
    『紫鬼』の呟きに、仲間の命を救うため身を闇へ喰わせた娘の声は応えない。
     されど気にも止めず、紫鬼は白髪をぱらり払い肩の後ろに流すと、胸程の高さの子供達がきゃあきゃあはしゃぎゲートへ向かうのを見送った。
     視線をあげれば目に入る、寂れた地方の遊園地の看板。
     それでも経営を諦めていないのか、スイーツフェアだの三流作家の仕掛けたミステリーハウスだの……イベントのごった煮。そしてテコ入れは成功し存外賑わっている。
     面白そう、と紫鬼は口元をくっきりと吊り上げ瞳を弓に引いた。その明確な表情変化は、謡が持たぬ彩。
    「犯人役、やったんだっけ?」
     ――金木犀になぞらえたお芝居で。
     そして今、目の前のミステリーハウスでは『桜』になぞらえた推理イベントが開催されている。
     イベント自体は館内にあるヒントを探し出し文字を集めて謎解き、正解者にはマンガ冊子とバッチが貰えるという他愛ないモノ。
     ドラマチックなお芝居はない、だから――。
    「わたしも犯人やってみようっと♪」
     ――ねえ謡。
     わたしはあなたが嫌いじゃないの。だからあなたの真似をしてみようと思って。
     知りたいわ、知りたいわ。
     狩る者と称し、護るあなたを。
     人嫌いと称し、人の中にいるあなたを。
     シンプルなわたしと違い矛盾に塗れた、謡を――。
    「それに」
     架空の『殺人事件』を愉しんでいた人々が、いざ自分が被害者たり得ると知った時、吐き出される恐怖はさぞや至高の味わいだろうから。
     
    ●鬼さんみつけた
    「ここに……謡さん、が?」
     灯道・標(中学生エクスブレイン・dn0085)に配られた遊園地のチケットを手に、機関・永久(リメンバランス・dn0072)は紫苑を瞬かせた。
    「うん。この中の『ミステリーハウス:泡沫桜へのショウタイ』って会場にいるよ」
     元から合った桜を生かし遊園地の3割を使ってしつらえた広大な庭つき洋館、そこに謡が堕ちた姿の紫鬼がいる。
    「以前紫鬼が現れた時のデータによると、何かが吐き出す恐怖を喰らって強くなるんだ」
    「……一般人の皆さんは」
     まさか被害者がと息を呑む永久へ、標は頭を振った。
    「まだ、大丈夫」
     紫鬼は出口を封鎖して係員と遊戯者を外に出さないようするに留めている。
    「犯人の等身大人形の頭部を軽く片手で握りつぶしてさ、恐怖を与えてる――わたしが本当の犯人だよ? なんてね」
     丁度、恐怖がはじまりを告げた所だ。
     此も過去のデータによるのだが――彼女は非常に享楽的で気まま、会話は成立するが獣は獣、残虐である。いつ一般人を殺すか知れたコトではない。
    「つまりね、キミ達は紫鬼を『愉しませ』て気を惹かなきゃなんないんだ。一般人を怯えさせるより更に面白いと思うコトで、ね」
     それは――闘い。
     羅刹の彼女は以前強くなる高みを目指すと嘯きゲーム会社を制圧したコトが、あった。
     純粋な力をぶつけられるのを非常に好む。
     強さを示せば、何処までやって壊れないかを知るため本気で返してくる。
    「ここで手を抜いたり油断を見せたら、つまらないと躊躇い無く殺しに来るから気をつけて」
     既に一般人の恐怖を喰って紫鬼は力をあげている、そこも注意点だ。
    「紫鬼の意識が、逸れたら……一般人、俺が……逃がします」
     急ぎ避難させたいのは、出口付近の一室にいる3名の係員と3組合計8人の遊戯者。残りはこの部屋への入り口を封鎖すれば被害は及ばない。
    「それも……俺が。あ、手伝ってくれる方、いらっしゃるなら……助かり、ます」
     永久に頷き標は8人へ向き直る。
    「とにかくキミ達は、紫鬼を『愉しませる』のに注力して」
     ――それはそれとしても、謡を取り返せねば闘いの意味は下落する。教室に満ちる意図を受け標はこくりと頷いた。
    「戦って勝つのは大前提で。あと、紫鬼は『謡さんを知りたい』という欲求を持ってるみたいだよ」
     キミ達が知る紫乃崎・謡という存在があるのならば、語れ。
     避難にまわる者達も戦場に戻り、語れ。
     ――もし語れるモノなく、此が最初の縁ならば?
    「純粋に拳をぶつけるコトに集中してくれればいいよ」
     此処で紫鬼を力でくだせなければ、どの道謡は還ってこないのだから。
     
    「此処で戻せないと、謡さんは――終焉を迎える」
     最終的に、謡を一番知っているのは謡だ。
     でも、実は一番知らないのも……謡本人かも、しれない。
      


    参加者
    伊舟城・征士郎(弓月鬼・d00458)
    苑田・歌菜(人生芸無・d02293)
    葛城・百花(クレマチス・d02633)
    煌・朔眞(秘密の眠り姫・d05509)
    アリス・ドルネーズ(バトラー・d08341)
    雪乃城・菖蒲(虚無の放浪者・d11444)
    霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)
    祟部・彦麻呂(快刀乱麻・d14003)

    ■リプレイ


     ……ごとん。
     いとも容易く握りつぶされた彫像の首、頷くように揺れた頭はそのままあがらず赤い絨毯の床に落下した。其れを為したのは巨腕を実体化させなくてもごく自然に畏怖の力誇示できる少女の形をしたモノ――紫鬼。
     嗚呼、こそばゆい程の恐怖。だが幾ばくかの足しにはなる。
    『犯人はわたしよ』
     ずい。
     一歩踏み出せば、
     じりり。
     彼らは計ったように一歩引く。
     ずい。
     じりり。
     ずい。
     …………ごん。
     行き止まりの壁が奏でた鈍い音。更なる絶望に色付く面に舌なめずり。
    『さぁ、どうしてくれるのかしら? 探偵の謎解きとかそういうの……』
     紫鬼の声が、止んだ。
     はしりっ。
     戯れにあげた手首に絡む帯に持ち上がる口元。
    「弱い者イジメなどより……死合いの方がお好きでしょう?」
     霞代・弥由姫(忌下憬月・d13152)の明らかな挑発が心地よい。
    「知りたい事は、知ってる私達に聞いて下さいねぇ」
     仲間を後押しするように、雪乃城・菖蒲(虚無の放浪者・d11444)は陣を展開し破壊の力を付与する。
    『おっと』
     背中越しの殺意に包帯ゆらして振り返れば出会い頭に伸ばされる、手刀。
    「真犯人が1人だけの殺人事件なんてつまらないでしょ」
     その台詞で喰らってみるコトに、した。
    「いつぞやの殺人事件の続き、一緒に踊らない?」
    『わたしでいいの?』
     苑田・歌菜(人生芸無・d02293)の指の第二関節まで入ったところでにまり笑めば頬を掠める重い風圧。
    「貴女が犯人なら、朔眞は警察なんてどうですか?」
     盾が当たらずとも間髪入れず、煌・朔眞(秘密の眠り姫・d05509)は手首を補足し紫鬼を出口から引き摺り剥がす。
    『警察は役立たずがおきまりらしいけど、あなたはそうでもなかったわよね』
    「憶えててくれて嬉しいです」
     くるり。
     朔眞渾身の力でもってまるで舞いを踏むように景色巡る中、軸である鬼へ絡まるように響く声。
    「こんばんは。紫鬼」
    『ああ、ゴミ処理係さんね』
     蜃気楼で煙る中、小気味良く笑む紫鬼から懐旧を見出しアリス・ドルネーズ(バトラー・d08341)は胸に手をあて礼儀正しく隙無き辞儀を返す。
    「雪辱戦は如何ですか。前回は誰一人、倒せなかったでしょう?」
     右側、振り向けば、突き出された真っ直ぐな盾と少年と青年の中間に位置する眼鏡越しの瞳が出迎える。
     ――嗚呼、先だってわたしを眠らせた瞳。
     手袋を直す仕草で伊舟城・征士郎(弓月鬼・d00458)が盾霧散す真向かい、顔をあげたアリスも同意の挑発。
    『お久しぶりというか、こないだ逢ったばかりというか――まぁいいわ』
     黒鷹の刃掴み力で押し戻す儘に征士郎を床に叩きつけてこれが返事と嗤う。
     床に滴る血にあがる悲鳴、それら潰し視界遮るように躍り込むのは祟部・彦麻呂(快刀乱麻・d14003)だ。
     まずは一撃。
     まるで活劇の如く大振りの槍を取り回す矍鑠とした所作で叩き入れた後、娘は闊達に声をあげる。
    「紫鬼ちゃんの相手は私達がしてあげます」
     ……あの時も確かそうだった。
     そう、あの後確か。
     紫の脳裏に浮かぶ救出劇をなぞるように、機関・永久(リメンバランス・dn0072)は呆然自失の娘を立たせ恋人と手を繋がせるのを契機に励ます声が所々であがりはじめる。
     イブが祝が和奏が遊戯者の躰を支え誘導し、かなでは猫を連れた青年と共にここへの扉を封鎖する。
     換気するように入れ替わる様相、しかしその間も紫鬼から興を買うべく灼滅者達は命燃やすのを止めるわけがない。
    (「バカよ、ほんとバカ」)
     謡は躊躇いなんてなかったのだろう、手に取るようにわかるから胸が軋む。
     殺気を広げた葛城・百花(クレマチス・d02633)は、紅で蒼混ぜし鬼を見据え言ってやりたい言葉を一つ一つ数え上げる。
     幾つ紡げば連れ帰れる? 幾つかかっても――。
    (「……助けるわ、絶対」)
    「さて、連れもどしましょうか」
     百花の心を掬い上げたような言葉は菖蒲の本心に違いない。
    「次は私が道をつくる番ですよ」
     死地の路切り開いてくれたあなたへ報いると、その台詞に百花もそして皆が大きく肯首する。


     既に恐怖を喰らい力をあげている――。
     確かに確かに、当たりに来るように走り出て痛みを受け入れる紫鬼、其れこそが余裕の現れ。
     ぐわんっ!
     伸ばした包帯で彦麻呂をくるみ壁へと叩きつける。その有様は煙り、既に少女は爆ぜ紫の鬼そのものへと変じていた。
     ――誰かを集中して殺しに来ないのは、果たして余裕か会話を好むか。
     恐らくは後者なのだろうと、弥由姫は肩に掛かる髪を背に払い大きく息を吐いた。
     自分は訳知り顔をするには圧倒的に邂逅が足りていない。ならばやるコトは唯ひとつ。指通す鋏を取り回し、強固な腹を狙い刺した。
    『……くっ、あはは』
     根元押さえる紫鬼に構わず捻り込んで指開き、肉で重たくなった刃の開閉。ぶれる笑いが物問いたげに聞こえたから、弥由姫は引き抜き際にこう囁く。
    「二言三言交わした程度の間柄で訳知り顔をするわけには参りませんので……」
    『そう。そんなあなたの見た謡は?』
     斬られた腹を撫で瞳眇める紫鬼。
    「……」
     弥由姫の呟きは転がり起きた彦麻呂の蹴打の返杯にて産まれた焔と血飛沫に霞み消える。けれど口元は口惜しさよりはつながった攻撃に弧を描いた。
    「ウタちゃんはですね」
     歯切れ良い口調で燻り残す踵で着地し額の血を拭い顔をあげる。
    「クールに見えて実は優しいです」
    「私にとって謡の最初の印象は、よく食べる子」
     紫鬼が身を振る度に、歌菜は周囲の包帯のように纏わり付いて聖別剣で筋入れるようにくるり。
    「光があるから影があるように、影があるから光がある」
     馴染む彩の十字架宛てて引き金を引く。
    「貴女が居なければ、今の謡は居ない……」
    『ふふ……わたしは同意だけど謡はどうかしらね』
     謡と絆を紡ぐ者達の血で染めた指を見せつける紫鬼へ、花綻ぶようにあどけない朔眞の声音が伝う。
    「紫鬼、うたちゃんを助けてくれてありがとう」
     いつも傍で見守ってくれている、優しい鬼へ。
    『――へえ、お礼言われるなんて意外ね』
    「ああ、そうとも言えますね。紫乃崎さんは私達を助け、自身の命もつなぎ止めたって」
     伸ばした袖が解けるようにるりるり伸びる帯は彦麻呂を包み疵を癒す。
     菖蒲のとじた瞼の向こう浮かぶは田子の浦で鬼が顕現したその刹那の情景。自分が堕ちるべきだったのど後悔を握りしめて、でも過去に囚われるより選んだのは奪い取るように連れ戻す事。
    「今は言葉の語りを好まれますか。お好きな方でお相手しますよ?」
    『そんなこと言われると反対に走りたくなるわ』
    「そちらをご所望でしたら不肖この私がお相手いたします」
     腕を曲げ顎をあけ誘うようなアリスの仕草に紫鬼は消えそうな三日月のように口元を歪めた。
     ……はは。
     水を入れた器を潰すような破砕の笑いは半月。同時に床削り走り込む軌跡、今回は直進の獣。
     ひゅんっ!
     アリスの撓る腕は、まるで普段執事が謡うレクイエムの如くしなやかに護りを剥ぎ取った。
    「これはボクシング。力のない人間が強い相手と闘う為に生み出した技です」
    『興味深いわね』
     角の傍吹く血に滾り鬼は周囲漂う包帯を握り、
    『こんな感じかしら?』
     似てないとわかった上での真似事を。
    「ッ……誰1人倒れさせません」
     結び髪ひらり、両腕広げ全ての帯を躰で止めて征士郎は真っ直ぐに紫鬼を見据えると祭壇へ指をかける。
    「だってそれが、ウタ様の我儘な願いだから」
    『ふうん』
     促す気配を感じ取り、柔らかな光で痛み拭う征士郎は穏やかに続ける。
    「二年前に皆で埋めたタイムカプセルに、貴女は願ってた」
     織り交ぜる、区分けをしない――ウタ様と貴女を。
    「誰もいなくならないで、と」
     その為に自分の身も顧みない、そんな人。
    『……へえ、そうなのね』
     願いの在処は命の焔、灯して示せ誰かの命運。
     縦横無尽に戦場を駆ける様が謡と重なる。
    「やっぱり一番活き活きするのは戦ってる時ね」
    『そりゃあ『わたし』だもの、あはっ』
     類似が癪だと歯がみしながらも制約の黒を練り上げる百花の精神集中はブレがない。三歩先に着弾、麻痺へ絡まり遊ぶ鬼。
    『ねえねえ、戦うのが好きな謡は『わたし』じゃないかしら?』
     閉ざされた世界の中で、殺したあの子は刺客だった。
     贖罪の欠片握りしめて、でも、歩き出した謡にわたしは関心を寄せる。
     あの日省みなかったのは――果たしてだあれ?
     膨れあがった腕へ喰らいつく朔眞を前に百花は「でも」と口火を切った。
    「謡は、それ以外の時も楽しそうに、嬉しそうにしてくれるのよね」
     いつまでも襲い来ぬ痛みに朔眞は短く息を吐き腕を緩める。
    「きっと謡の世界は限られてたんじゃないかって思うのよ」
     でも、と。
     ぶっきらぼうな彼女は、人疎ましいと嘯く娘を見据える。
    「広がる世界を素直に楽しめる、気持ちいい人……そんな感じね」
     ……呼応するように意固地な私の世界も広がったのよ?


     血煙が視界を隠す中、菖蒲は間違わぬよう味方の体力を量り迷宮鎧の手を伸ばす。
     喰らった恐怖はあれ以上深まる事はなく、故に最初の地点の儘で紫鬼は護りに任せた攻撃を繰り出し唇で謡を手繰る。
    『さっき聞こえなかったんだけど』
     既に弥由姫の足元に『いる』謡の突き上げる拳へ歌菜は身をぶつけ軌跡をずらす。
    「かはっ……ッはぁッ」
     めきょ、りぃ。
     虚空突くはずの拳は間接ては反対でたらめに曲がり歌菜の喉を打った。血と共に噎せ返る音、こぽこぽと毒を吐き出すような音に口元が持ち上がる。
    「毒殺に見せかけた撲殺って所ね」
     ――ぬるい。
     やっぱりと納得が落ち唇に昇る前に紫鬼は腕を振りチャラにする。
    『壊すわけにいかないし、そもそも話の途中よ。ねえ、あなたの謡を聞かせて』
     どすり。
     握り込んだ拳をぶつければ滑らかな肌が蘇り、弥由姫は知らず頬を緩める。鋭い一撃にもんどり打つ紫鬼を見下ろすように立ち上がり、ぽつり。
    「学園祭で拝見した綺麗なお腹、お変わりないようでなによりです」
     ちりり。
     弥由姫の胸から腕伝いカードが零れる――そんな幻覚を潰すように血に塗れた拳を握りしめた。
    「そうそう、お腹触らせてって言ったら喜んで触らせてくれるんですよ」
     すべすべ。
     血でぬかるむ胎を捻った槍でつき彦麻呂。
    『お腹……そう? 褒められるのは悪くないわ』
     しゃがみ込む紫鬼の視界の彼方、ばたんと扉が開く音。
     並ぶ顔ぶれを見て持ち上がる口元、それは誰?

     ――良かった、また逢えたね。

    「お知りになりたいのでしょう? かの方を」
     清楚と毅然を纏いまず進み出たのはイブ。
    「謡さんは、わたくしが闇堕ちした際に救出に来てくださいました。ずっと恩返しの機会を伺っておりました」
    「私も一緒だ」
     カラコロ下駄ならし並んだ祝も胸に手を宛て背筋を伸ばす。
    「居合わせただけの縁でも、手繰ってくれたろ。憶えてる」
     誰も死なせないなんて、本当に全然変わらない――義理堅い人。
    「遊び疲れたら眠る時間だよ」
     走り込んで来たのは小さな少年かなで。
    「僕の知ってる謡サンは、楽しげにひとつふたつ言い置いてふらっと去ってくんだ」
     時々の邂逅、でもその言葉はいつも胸に印象を刻み翻る。
    「ほらここは任せて行ってこい」
    「あっ……転ばない、よーに……」
    「……もー! 正直、色々語れる程詳しくないですよ!」
     青年に背中押され永久にありがとと手を振って、和奏は言葉を取りまとめる。
    「謡先輩は不思議な人、かな。クールだけど、話すとすごく楽しい人」
     かなでと二人「帰ってきて欲しい」と声揃え叫んだ。
    「そういうわけで、紫鬼さん」
     先の闘いで命救われた菖蒲は今一度頷くと標識を翳す。
     1番に堕ちて路を作りに行くからこそ、闇に堕ちたモノへ手を伸ばす――描いた縁は斯くも芳醇な果実を結実させる。
    「誠に勝手ですが……今一度、内に沈んでもらえませんかねぇ」
     もう充分に遊んだはずだ。
    「そろそろ彼女に直接お礼を言いたいものですから」
    『あはは……どうしようかしら』
     力より言葉が届く、なんてちょっと嘘だわ。
     ――だって本気で殴り崩し、護り倒れずにいるのだものね、みんな。


    「さて、興味は満たされましたか? 紫鬼」
     ずっとつかず離れずを保ちフリッカー見舞っていたアリスが腕を下げる。
     自分はあくまで九条家執事、だが今仮初めに仕えるは黄色いサイン浴びた仲間達を中心とした彼女達だろう。
    「引き留めの処理はお任せを」
     紫鬼の到達点に先回りするように走り込み畏れよと打ち下ろせば、背中を刺し弥由姫が引き継いだ。もんどり打った所へ黒鷹の一閃、蓮の花飾るお守り下げた征士郎は振りかぶった縛霊手を下ろし紫鬼の前に立った。
    「此処にいます」
     ウタ様の我儘が手繰り寄せた人々を示し、征士郎は痛みを堪えるように大きく息を吐く。
    『ボロボロじゃないか』
    「ええ。貴女が我儘なら、私も同じ位我儘になります」
     誰もいなくなって欲しくない。
     誰1人、倒れさせない。
     それは貴女もそう。
     だから――ッ!
    「何度いなくなっても、探して見つけて皆で迎えに行く」
     紫鬼の肩を掴みぎゅうと目をつぶり引き寄せて頭突きと同時に鳩尾に拳を当てた。
    「ただいまの度に、お帰りって言える様に」
    「その前に、一発引っぱたかないと気が済まないけれど……ねっ」
     蓄積した綻びを広げるように、百花は握り込んだナイフを突き立てる。
    『……ッ』
     震える紫だけの瞳に映る百花は穏やかさ湛え乱れた髪を整えるように撫で下ろす。
    「広がる世界……その楽しみを貴女にも味わってもらいたいかったの」
     どう?
    『世界……か』
     謡が所属する世界、隅っこから見下ろしてる素振りで実は広がり既にそこは中心点。誰かと繋がり世界は拡張していく。
    「タイムカプセル、あけにいきましょうよ――ウタ様」
     未来の『ボク/わたし』見せるため、世界を綴じ込めたその場所へ。
    「謡、前堕ちた後、自分の罪について真剣に悩んでたのよね」
    『けほッ……わたしが背負う必要はないの……かしら』
     もっともっと狭い世界の時に犯された罪を。
     更に言えばずっとずっと獣として在る事を。
    「やっぱり気にしてるんじゃないですか、贖罪」
     彦麻呂の指摘にやれやれと肩を竦めたのは歌菜だ。
    「天邪鬼。謡は人嫌いだけど興味を持ってるから守る、一緒にいるのよ……私の推測もあるけど」
     鬼示す角に指触れて、囁く素振りで足止めの戒めも忘れない。
    「ちょっと、角を折るのは私ですよ」
     はしりと角を掴み彦麻呂は抱きしめるように帯でくるみ、苛烈に締め付ける。
     軋む角が、ぱきり、堪えきれず1つ砕けた。
    『これが、謡……なのね』
    「どうです紫鬼ちゃん。ウタちゃん、愛されてるでしょう?」
     ふふ。
     返る笑みは鬼とは何処か違って見えた。呆れたような距離を取るような――照れくさくてそれを隠したくて仕方ないような。
    「私は正直、紫鬼ちゃんの事も結構好きですよ。カッコいいし、セクシーだし」
    『――ッ』
     はと瞳見張る紫の鬼へ。
    「アナタもそう。こんなのあっという間にゲームオーバーにして力を得ることもできるのに」
     歌菜はこつりと額を宛てて続ける。
    「謡に興味があるから知りたい、真似したい。そう思うんでしょう?」
     嗚呼まるで――。
    「朔眞は謡が居なくなればとっても悲しいし、同時に貴女が居なくなっても悲しいわ」
     また隠れそうになる月へ手を伸ばすように、名残惜しむように、忘れ物がないように、言葉を尽くす。
    『そう、わたし……』
     いてもいいのね。
     消そうとしないのね。
     わたしはわたし。
     ボクはボク。
     同じ躰に宿るふたつの魂、誰もが持っている二人ぼっちの……根源に根付く、孤独。
    「見れば見るほど謡に似てる、そう思う」
    「ふたりで仲良く半分こ、できないんでしょうかね?」
     歌菜と彦麻呂に曖昧に微笑んだのは、恐らく――ボク。
     きっとそれは、追い求める命題。
     また遊びにいらっしゃいと言いたいけれど、謡を失いたくはないからと歌菜は瞼を下ろす。
    「もしまた現れても、しつこく付き纏ってみせるわ」
     あなたの命が尽きるまで。
    「それ以上でも以下でもない存在価値を、貴女にあげる」
     朔眞はそっと掌を重ねると、熱を帯びた踵で影を心へ寄せるように――と、と、その躰を蹴り出す。
     ちぎり飛ばすのではなくて、限りなく淡やかなる境界線の向こうへ、どうぞ。
    『わたし、謡以上でも以下でもないのね……あはは』

     憶えておくわ/よ。

     フィルムを逆まわしするように、しゅるり、角が消え包帯が少女の躰を包み込む。
    「任務完遂」
     血で染まった手袋を撫で払いアリスは闘いの終焉を告げる。それと共に感じる口寂しさにつられ胸ポケットに指をあてる。
    「バカ……三度目はないからね」
     抱き留めらた百花の声をまだ虚ろな頭が受け止めた。
    「あ……ありが、と」
    「ありがとうございます」
     謡と菖蒲のお礼が重なり征士郎はくすくすと嬉し気に瞳を眇める。
    「お帰りなさい、ウタ様」
    「ただい、ま」
     歌菜と彦麻呂はいつかの放課後の如く破顔する。
    「……おやすみなさい」
     つられ笑いけれどまた微睡みかける彼女の瞳に手を宛てて朔眞はそっと下ろした。
     ――また夢で待ってるからね。
     それは彼女へ向けたメッセージ。
    「…………良かった、です」
     弥由姫は、胸でずっと揺れていた天秤がかたりと、軽く跳ね上がるのを感じる。
     願いは叶った――帰ろう、みんなで。愛すべき日常へ。

    作者:一縷野望 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年4月2日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 5/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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