その箱庭に必要なのは早咲きの桜だけ

    作者:一縷野望

    ●箱庭世界
     ――里都世(りとせ)が息を引き取った日の夜、早咲きの桜が咲いた。

     ……療養施設とペンキの剥げ落ちた看板の向こうには、寂れた洋館とさほど手入れのされていない庭が広がっている。
    「里都世、綺麗だねえ」
     肉が削げ落ち繊細にして冷たくなった里都世の手を引き、伽耶(かや)は中庭にでた。
     雪でも落ちてきそうな灰色めいた闇空に、控えめに咲き始めた花はまるで名残雪のよう。
    「ちゃんと見れたね、桜」
     色が抜け白くなった腰までの髪を、少年めいた造作の指がつまみ上げて優しく編み始める。
     ぱきり。
     そんな指が弾け紫の水晶へ変じた。
    「ちょっと不便だな、この躰。……いつか言ってくれたように、ボクが髪を伸ばしたら編んでくれるかい?」
     セーターの奥、膨らみはじめた胸を押さえれば手に跳ね返るのはやはり硬質的な感触。
     人格が浸食されて闇に堕ちている最中だと、伽耶という13の少女は果たして気がついているのか。
     でも気づいていたとしても、少女は畏れたり後悔したりなんてしない。
     早咲きの桜を見たいと泣いていた、大好きな友達の……終を見取った彼女の願いを叶える力を得たのだから。
    「里都世」
     例え彼女が何も話してくれないのだとしても。
    「此からずっとずっと、ここで桜を見ようね」
     ボクの、愛しい魂の片割れ――。
     
    ●二人静か
    「放っておいてもいいのでは?」
    「……ならどうしてボクに話したのさ」
     肩を竦める灯道・標(中学生エクスブレイン・dn0085)へ、空木・白霞(櫻追う人・d00207)は意味深な微笑みを浮かべ黙ったまんま。
     桜へ並々ならぬ執着を持つ白霞が、東北山中にひっそり存在する『元』療養施設(東北にしては珍しく3月に桜が咲くのだという)を知っていたのはなんの不思議も、ない。
    「そこでノーライフキングに闇堕ちしかけてるボクと同じ年の女の子がいるんだ」
     この4月から中学2年生の彼女は、桜羽・伽耶(さくらは・かや)という。
     赤子の頃に遠縁の老人に預けられて療養施設の中で育った。
    「老人は療養施設の世話係だったけど、伽耶を預かった頃には寂れててほぼ世捨て人状態だったそうだよ」
     患者などロクに来ない役割を果たせぬ中で育ち、昨年の今頃保護者だった老人を亡くす。
    「そんな場所に患者が訪れた。里都世さんという、ね」
     里都世は伽耶と同じ年、だが次の春は迎えられないと嘯かれていた。
     それでも桜が見たいと、この地の早咲き桜に賭けて医者を連れて移り住んだのだ。
    「――その彼女が死んだ夜、早咲きの桜が花開いた」
    「その花を見せて差し上げたいと……」
    「そう」
     伽耶は闇へ堕ち、里都世の死体を屍人に変えた。
    「お医者さんがね、里都世の死亡についての事務処理で街に降りてるんだ……帰ってきたら彼は殺される」
     現実を持ち込み、箱庭世界の変わらぬ愛しき平穏を壊す存在なんて、不要。
     だから――。
    「お医者さんが帰ってくる前に伽耶さんを灼滅して欲しい」

     灼滅者達が辿りつくのは、夜。
     伽耶は屍人にした里都世と手を繋いで夜桜を見ている。
     医者は明け方に帰ってくるので時間はたっぷりとある。
    「……説得、と仰らないのですね」
     くすり。
     笑み零す白霞へ標もまた苦笑い。
    「伽耶さんは今、里都世の願いを叶えた充実の中にいる。それ以外、余分なモノはいらない……なんてさ」
     だから正攻法の説得で伽耶を現世へ揺り戻すのは無理だ。然りとて的確な方策を示せないとエクスブレインは淡々と付け加える。
    「キミ達が攻撃を加えたら、クロスグレイブのサイキックで応戦してくるよ」
     逆に灼滅者側が攻撃仕掛けなければ会話は成立する。
     もし伽耶という存在を諦めたくないのなら、早咲き桜の元で言葉を交わせ。其れこそ気が済むまで。
     伽耶を灼滅するにしても、闇堕ちから救出するにしても戦わなければならないのは他に同じ。
    「里都世さんに手を出すと、終わりそうですね」
    「そうだね」
     伽耶はディフェンダーで里都世を護ろうとする。里都世が斃れたら完全に闇堕ちしてしまうのは、確定。
     
    「放置するとお医者さんが殺されるのは確定。だからそれを回避して欲しい」
     締めくくるような標へ、白霞は今一度確認する。
    「それが伽耶さんの灼滅であれ、伽耶さんの闇堕ちを止めて救い出すのであれ、方法は問わないと言うことですね」
     返ってきたのは、肯首。


    参加者
    空木・白霞(櫻追う人・d00207)
    ポンパドール・ガレット(火翼の王・d00268)
    羽柴・陽桜(波紋の道・d01490)
    色射・緋頼(生者を護る者・d01617)
    霜月・薙乃(ウォータークラウンの憂鬱・d04674)
    神崎・摩耶(断崖の白百合・d05262)
    鈴木・昭子(金平糖花・d17176)
    茶倉・紫月(影縫い・d35017)

    ■リプレイ


     ――ボクはようやく手に入れた。
     刻一刻と消滅していく躰に里都世が怯えなくてもいい、そんな世界を――。

    「こんばんは。隣少し、よろしいですか?」
     友達になりたい。
     水筒を掲げ微笑む色射・緋頼(生者を護る者・d01617)の中にあるのは純粋な願いだけ。故に伽耶は箱庭に迎え入れる。
     湯気の向こう夜影を連れた花びらを見上げる少女の眼差しは、闇にほぼ囚われているとは思えぬ程に穏やか、そうまるで老人のよう。
    「はじめまして、伽耶ちゃん」
     散り芽吹き咲き……くるり廻る世界を固定化し封じ込めた伽耶へ、終わるはずだった鈴木・昭子(金平糖花・d17176)は言葉を探す。
    『はじめまして。こんなに沢山の人間、見たの初めてだよ』
     木の後ろから顔を出すポンパドール・ガレット(火翼の王・d00268)は吃驚が拒絶にならぬよう気遣いつつ名乗る。
     結末を見届けるつもり、だった。
     でも。
     まだカヤは終わってない。
     なら。
     見過ごしたく、ない。
    『都会では人が沢山いるんだってね、里都世が言ってたよ』
     屍人と手を繋ぎなおし伽耶の視線は辿るように斜め上。
    「他にどんなことを話したの?」
     霜月・薙乃(ウォータークラウンの憂鬱・d04674)の視界、桜は悲しげに見えた。
     でも、伽耶から見る花は未だ華やいでいるのだろうか?
     だとしたら、それがひどく――苦い。そう感じるのが自分のエゴだとしても。
    『色々。髪の毛伸ばしなよとか、激押しスイーツとか……躰痛いとか』
     迸る羅列に片目をあけて、だがすぐに茶倉・紫月(影縫い・d35017)は瞼を下ろす。
     伽耶のセカイは限られていて、故に優しく見えているだけ。
     ハコニワなんて……在りえない。
     突きつけるのは仲間達が語りきった後だ。
     ――似たもの同士、けれど分かたれてしまった。ダークネスは永遠の時を生き、屍人の時は止まる。
     喪服に身を包む神崎・摩耶(断崖の白百合・d05262)隣、咲き誇る桜に指伸ばす娘は対照的なハレ色。
     おひさまとさくら。
     その名を持つ少女は、がんばりすぎた自分に決別をした。
     気付かぬ倖せを重々承知の上の羽柴・陽桜(波紋の道・d01490)は、それでも目覚めを望む。
     桜と戯れる空木・白霞(櫻追う人・d00207)は箱庭を作り上げたばかりの伽耶へ無邪気さ装い笑ってみせる。
     俯瞰し観察していたつもりのドールハウス、歩き出した彼女と未だ立ち止まる自分。
     胸の天秤は彼女に傾いた、まんま。


     ――ボクは後悔する、この人達を箱庭に留め置いたコトを。

    「好きな人と見る桜はもっと綺麗ですよね」
     指を温めるようにカップを持ち見上げる緋頼に続き、視界に飛び込んできたのは煌びやかな王冠。
    「カヤのおかげでリトセはサクラが見れて、ねがいは叶ったんだよネ」
    『うん♪』
     余りに晴れやかで……ポンパドールは言葉を呑み込み続きを誰かへと、譲らざる得なかった。
     にゃあ、とチャルダッシュが気遣わしげに主を見上げてくる。
     ――透明な蓋で封じられた箱庭の蓋をあけるのに誰もが躊躇いを抱く。
     いや。
     抱かぬひとり、紫月はそもそもハコニワを蓋ごと壊すコトを考えている、か。
     故に彼は未だ喉を振るわせない。
     ただ過去この療養所で死した人々の墓へと横目をくれる。
    「今日の桜は、美しいな」
     摩耶が指延べる先、落ち行く花びらは既に命佚したモノ。
     咲いて数刻であれ、風吹けば散る桜。
    「この散りゆく桜に、彼女を重ねてみないか?」
     水向けた先にいるのはカラカラに朽ちた里都世だ。
     未だ現実を闇で塗り固めて見ようとしない人の魂へ、摩耶は触れたいと、願う。
    「伽耶さんは、『今』、『幸せ』ですか?」
     ポンパドールが堰き止めた問いかけを敢えて陽桜は唇にのせた。
    『倖せだよ、とても、とても』
     ぱきん。
     水晶が砕ける音に飲まれた息も何処吹く風で、伽耶は石の掌翳し通し見える桜に喉を鳴らした。
    『里都世と桜を見る、それがボクの望みだったんだもの』
     伽耶の想いを聞きたい、故に語りを遮らず陽桜は黙った。
    『不思議だね。桜なんて毎年見てたのに、里都世が隣にいるだけでこんなにも…………』
     テープが途絶えたように止み、違和を感じさせる直前に再び、
    『きれい』
     陶然と響く声音。
    「里都世さんが『貴方と』見たかった桜は闇の中の桜?」
     違和に賭けるように薙乃は口火をきる。
    『?』
     例え小鳥のように首を傾げる、そんな伽耶しかいないのだとしても。
    『――……』
     ザザザッ。
     風が葉をゆらす響きはまるで、ノーライフキングに起きた誤差示すエラー音。
     唇を開きまた途絶えを見せる里都世へ、緋頼は穏やかな笑みのまま会話へとつなげる。
    「他にも綺麗な桜はある、例えば京都。大切な人と一緒に毎年行く、今年も」
     有り得ざる未来を示す、それは残酷な事なのかも、しれない。
     でも。
    「だから、死ねないし別の『緋頼』にも譲らない、伽耶さんはどう?」
    『別、の……?』
     頃合いかと緋頼は『闇』に関わる真実を語った。自分達が人に害を為す『闇』を滅ぼす役割を担うコトも添えて。
    『…………ボクは』
     息の根を止めるように首元に水晶をあてがい、伽耶は瞼を下ろす。
    『ボクだ』
     開いた瞼の奥、瞳は薄紅の石へ変じて、いた。
    「里都世さんへの想い、消してしまっていいの?」
     抱えていたのは『人』の伽耶だったはずだ。
     薙乃は祈るように言葉をついだ。
    「彼女は貴方が明日も生きて行くと信じて、最後の桜を一緒に見たかったんじゃないかな」
    『明日……なんてこなくても、いいよ』
     背けるように目隠し、でも既に透明になってしまった掌では隠すコトできない。でも、その先にあるのは夜桜だけだから遮る必要なんてない。
     ――ボクは、りとせといっしょにえいえんにこのさくらをみていればいいんだ。
     蹲るのは少し前の自分のよう。
     白霞と陽桜は同じセンテンスに囚われる。
    「永遠の不変を願っても、貴女も周りの世界も変わってしまうもの」
     空虚掴む指に触れるは雨の掌。握り返せば白霞の揺れが止んだ。
    「変化を止める方法が誰かを殺める事に繋がるなら――あたし達は、今ここであなたを止めなければならない……ですけど」
     一方、揺らぎ出すは陽桜。
    『せかいをいじするため、ころす』
     生の抹消を示され唇を噛みしめて、更なる『人』を探るべくまた、無言。
    「伽耶ちゃん」
     名を呼び昭子は淡い瞳をうつす、病で命落としたかつての自分が到るはずだった屍へと。
    「里都世ちゃんがいなくなって、かなしかったですよね」

    『――いなくなってなんか、いないよ』

     一気に爆ぜ進む水晶化へ、紫月は垂らした腕に絡めた帯の裾をつまみ、ポンパドールは「待って」と焦り手を伸ばした。
    「カヤ、カヤ、あのネ」
     触れた指の熱のなさに胸が詰まる。
     続けても余計に加速させるだけなのかもしれないけれど。
    「リトセをわすれなければカヤの中でずっといっしょに生きていける」
     お願いお願い、まだコッチの世界を見限らないで!
    「別に、キラキラの夢や希望がないと生きていけないワケじゃない」
     ポンパドールは必死に手繰る。
    『……きぼうは、あるよ。ここにはりとせがいてくれる』
    「カヤ」
     それでも熱が灯るように赤い髪の少年はその手を握りしめた。
    「……」
     ちりん。
     身じろぐ昭子の髪で啼く鈴に伽耶は顔をあげる。
    『鈴振って歌うだけだったから……里都世、聞かせてよ』
     里都世のポケットから取り出したスマートフォン、屍人に握らせてもも、無音。
    『鳴らし方忘れちゃったの?』
     果たして伽耶は演じ続けているのか、其れともわからなくなっているのか。
     前者ならば人で、後者ならば……闇。
    「まるでお人形さん。ダメですよ……本当の親友の貴女が彼女を殺しちゃ」
     白霞の中、猫を抱いた彼女がずっと此方を見据えてる。
     生きているからこその、煉獄。
    「なぁ、伽耶。彼女は、精一杯生きた」
     でも激高がまだ人である証と信じて、進み出た摩耶はじいと見据えた。
    「だが君は、彼女を散らない桜にしてしまったよ」
    『…………なんで、散るコトを望むの?』
    「花は、廻って咲くものなのですよ」
     昭子はぽつりと言葉を落とし、肩口まで進んだ水晶化を戻すように撫で下ろす。
    「さくらがきれいなのは、ちゃんと生ききって散るからです」
    『そ……んなの』
     嗚呼。
    『そんなの……嫌だ』
     箱庭の蓋を開けざるを得ないのだ、結局は。


     現実を知る即ち、絶望へ到る引き金――。

    『みんなみんなボクを置いて逝くなんて、認めない!』
    「好きなものが死ぬのは辛く悲しい、故にヒトは往々にして、死から眼を叛けたがる」
     墓標のような十字架を振りかぶった腕へ、紫月の伸ばす帯が絡みつく。
    「けれど、ソレから眼を逸らさない為に墓を建てる」
     地へと引き倒された伽耶の視界に移ったのは、十字架の群。育ててくれた老人も眠る標。
    「何故墓を建てるのか。その人を忘れない為に、同時にソレと……死と対峙する為にだ」
    『かっ……はぁッ! じいじ、助けて……』
     苦しみに首を捻れば、茫洋と立ち尽くす里都世を桜の木の陰に隠す摩耶の姿が映し出された。
    『やだやめて、里都世を連れて行かないで。里都世、里都世里都世! 返事して里都世、里都世!』

     ――伽耶の声には絶対返事するよ。
     だからあたしが桜を見れるように、その名を呼んでね――。

    『里都世ええ!』

     ――でももし、あたしの声がしなかったら、それはおしまいと言うコトだから。伽耶は…………。

    『いやだよ、いやだ。笑うなんてできない。笑顔で見送るなんていやだ、ボクは……そんなのは、嫌だ』
     無我夢中で追いすがる伽耶へ立ちはだかり抱き留めたのは薙乃。
    「凄く酷いこと言うけど、どんな悲しみも苦しみも時間が解決するよ」
     優しい抱擁に咲くには赤すぎる血花が地面に一輪二輪と開いていく。
    「でもそれは想いが消えるんじゃなくて、自分と同化するんだよ」
    『――……同化。嫌だ』
    「嫌でも……里都世さんへの想い、消してしまっていいの?」
     もう一度紡いだ薙乃の言葉、今度は心の水底に到達する。
    『消したくない。でも、こんな悲しい世界をひとりで生きるのは、嫌……』
    「ひとりが嫌、なのですね」
     だから少女は闇へ堕ちた。
     解決方法が其れしかないと縋った。
    「里都世さんと一緒に桜を見る――あたし達と一緒に、その方法を、考えてみませんか?」
     サイン灯し終えた陽桜は、耳を押さえる伽耶の掌を包み込む、肌色と薄紅水晶が鬩ぎ合うその掌を。
    「『今』だけじゃない、その先も、ずっと、一緒に桜を見続ける方法を」
    『……そんな方法』

     ないよ。

     認めたら、肌色が戻る。
     でもそれは、絶望へ到る道程。

     ひととしていきることは、ぜつぼうしかみえないのです。

    「伽耶さん、きっとわたしも蘇らせたいと思ってしまう……」
     緋頼は横から抱き取ると魔力の奔流の中で共感を零す。
     でもそれは、人の願いだとも思える――思いたい。
    『ボクッ……は、ボクは!』
    「その十字墓碑、それは誰の為の墓だ」
     ――屍人を造りし覚悟なき存在なだけならば追うつもりはなかった。でも、足掻くのならば、紫月はその意思の行く末を見届ける腹づもりだ。
     てん。
     白霞は震える髪を撫でるように叩き、困ったように口元をもちあげる。
    「灼滅者になって、幻想でも……里都世さんをビハインドにしちゃいましょう」
     ……生きるコトが煉獄、現在進行形でそう思う白霞は結局は自分のために紡ぐ言葉だと自覚しながら。
    『里都世に……逢える、の?』
     答える代わりに雨の手を取り誇るように見せた。
     そこまでの想いが心の海を波立たせるのならば、きっとできるはず。
    「リトセはカヤと出逢って、笑ってくれたよネ?」
    『――…………里都世は』

     ――伽耶、あたしは桜を見る事は無理かもしれない。
     でも、あたし此処に来て良かった。
     伽耶って友達に逢えたから――。

    『そんなコト言ったって、ボクは何も出来なかった! 桜だって見せてあげられなかった……伽耶の漢字だって、里都世がつけてくれた。なにも知らないボクに、甘くておいしいお菓子があるコト、歌、好きだった男の子の話、ここにはないしだれ桜の話、それからそれから……」
    「そんなにいっぱいおしゃべりしたコト、カヤはサクラを見るたびに思い出せるネ」
     微笑むのがこんなに胸が苦しいなんて、ポンパドールは知らなかった。
     それでも、笑う。
     生きて欲しいから。
    『……でも、思い出してももう、いないよ』
    「想い出す度に悲しいけれど、あたたかくもある……それが、その想いと共に生きて行くってことだと思う」
    『生きなきゃ……ダメなの?』
     頷く薙乃の隣、摩耶はようやく見つけ出した『伽耶』の掌を握りしめる。
    「私には、まだ君は、自分を生き切っていないように思える」
     だってあんなにも後悔していた。
     里都世へできなかったコトへの苦悶に塗れ、故に堕ちていった。
    「今日の桜は、本当に美しい。散るからこそ、美しいんだ――二度とない刹那だから」
     桜の樹に凭れ、導くように花を示す。
    「まるで精一杯生きた彼女のようではないか」
     摩耶は言う、里都世は咲ききったのだ、と。
    「生を捨てるのは、満開に咲いた後でも遅くはない。私はそう思うよ」
    「里都世は、もういないのに……」
     なにもできないのに。
     絶望しかないのに。
    「伽耶さん。自分らしく生きて胸を張って逢いに行きましょう、里都世さんに」
     陽桜が投げかけた言葉への答えがまたひとつ、緋頼の示すモノと白霞が示すモノ――掬うように持ち上げた掌が震える。
     震え、抵抗するように再び爆ぜ音たてる、薄紅水晶。
    『かわらなければ、ここにいられる。りとせもいっしょ……』
    「伽耶ちゃん」
     膨らんだ腕でしこたま殴りつけながらも昭子の声は髪を撫でるように優しかった。
    「ずっと変わらないということは、可能性を閉じてしまうということです」
    「絶望しか、見えない可能性でも――受け入れなきゃ、ダメ?」
     噎せ返るような嗚咽。

     置いていくばかりの人達、狭い世界にはそれしかない。
     だからボクはしあわせなハコニワをつくったんだ。このままここにいようよ。

    「伽耶ちゃん」
     鬩ぎ合う闇と人へ、昭子は最後の問いを投げかける。

    「あなたのなかの里都世ちゃんは、それでも、笑っていてくれますか」
    「――!」
     悔しいのはきっと桜を見れずに死んでしまった里都世だ――それでも、ボクはあなたに笑っていて欲しいんだ。
     ――ボクの中からあなたを掬い上げて縋るのは、欺瞞なだけかもしれないけれど。
     希望を見つけてしまった刹那、少女の身を包む石が砕けるのを紫月は見いだした。
    「それが答えか」
     虚空を搔き前に出る指つかみ引き寄せて、紫月は胸にあてた指で石を剥がす。
     とすり。
     軽い音をたてて桜の影で屍人が、崩れ落ちた。
     斯くして、立ち止まるしか知らなかった停滞少女は、この夜箱庭から歩き出す。
     ……絶望しかないと限った未来がどうかきかわるかは、まだ誰も見ぬ彼女だけの物語。

    作者:一縷野望 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年4月6日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ