黒翼卿迎撃戦~尾張大返し

    作者:佐伯都

     ――その瞬間、なぜ窓の外が気になったのかはわからない。
     いつも通りの武蔵野の風景が広がっているはずのそこに、成宮・樹(大学生エクスブレイン・dn0159)は突如白い炎の柱がたちのぼるのを見た。
     楔のように突き立って見える白炎。
     その内側はエクスブレインの未来予測がきかず、何が起こるかは誰にもわからない。白い炎。
     ブレイズゲート、となかば茫然と呟いて、炎の柱から雲霞の様に沸きだしてくる影の正体にひどく遅れて気付いた。よりにもよって、灼滅者が学園を空けているこのタイミングで。
     見ればダークネスの軍勢は吸血鬼とその眷族と目される大集団、さらには竜種イフリートにスサノオ、動物型の眷族、それにどうやらソロモンの悪魔の眷族と思われるものもいる。
     灼滅者の主力はおらず、戦力になりえぬ教師やエクスブレイン、ラグナロクが残るだけの学園を陥落させるに十分すぎる戦力であったことは明白だ。
     名古屋での大規模作戦の後に灼滅者が戻った時には、帰る場所などどこにもない――それが黒翼卿メイヨールの目算だっただろう。しかし。
    「……」
     中国からとってかえしてきた軍を山崎で出迎えた見た瞬間、明智光秀はこんな気分であっただろうか。名古屋から灼滅者が神速の大返しをやってのける事をメイヨールが予測しえたかどうかは、定かではない。
     
    ●黒翼卿迎撃戦~尾張大返し
     学園の敷地に迫る吸血鬼軍を窓から改めて眺めやり、樹は名古屋での大規模作戦の余韻もさめやらぬ灼滅者へ向き直った。
    「皆本当に、よくこのタイミングで戻ってきてくれたと思う」
     最速で名古屋での戦いを勝利に導いた灼滅者が帰還の決断をしなければ、学園が占拠されサイキックアブソーバーもダークネスの手に渡るという最悪の事態になっていたはずだ、と樹は一段声を低める。
     しかし目前の脅威はまだ去っていない。
    「総攻撃をかける前に皆が戻ってきたことで一部は戦意を失っているようだけど、メイヨールは一切諦めるつもりはないらしい」
     黒翼卿さえ灼滅、あるいは撤退させることができれば吸血鬼軍は撤退する可能性が高い。なんとか迎撃に成功し、吸血鬼軍を撃退しなければならない。
    「布陣としては、前線中央がメイヨール。その後ろに朱雀門・瑠架、前線左翼に竜種ファフニール。前線右翼に義の犬士ラゴウ、そして後方にスサノオの姫ナミダ。それからソロモンの大悪魔ヴァレフォールが、去就に迷って前線と後方の間でうろうろしてる」
     窓から見える大軍の布陣の構成をざっと黒板へ描き出して、樹はチョークを置いた。そして、ああそれから、とたった今思い出したように付け加える。普段学園を留守にしがちな校長が、つい先ほど帰還したのだ。
    「内容は詳しく聞いていないけど、迎撃戦終了後に重大な話があるとか何とか」
     
     その頃、武蔵野に展開した吸血鬼軍の間には不協和音が広がっていた。
     僕と瑠架ちゃんの共同作業を邪魔するなんて許せない、と瑠架が押す車椅子の上でメイヨールが今にも突撃を敢行しそうな勢いで気炎を吐いている。
    「灼滅者なんて、踏み潰してグチャグチャにしてしまえっ!」
     踏む足があれば地団駄を踏んでいそうな様子に、瑠架はそっと眉をひそめた。
     ……果たしてこの灼滅者の大返し、会長が失敗したのか。
     それともこれも彼の予定通りなのか……ともかく、彼女にとっての最大の懸案はこれで消えた。あとは、メイヨールを無事に撤退させればよい。
     メイヨールはかのボスコウなどとは格が違う、本物の爵位級ヴァンパイアだ。もし彼がここで灼滅されれば、爵位級ヴァンパイアと武蔵坂学園の敵対は回避できないだろう――それは、得策ではない。
     彼女と行動をともにしてきたラゴウもまた、彼女の望みに従い黒翼卿を撤退させることに注力するつもりでいるようだった。
     同じく朱雀門高校勢力についた竜種ファフニールは、灼滅者の手にかかった多くの同胞の恨みを晴らすべく学園を睨んでいる。それぞれの思惑通りに事が運ぶかは誰にもわからない。
     一方、爵位級ヴァンパイアに協力し楽に力を取り戻せるはずだった目算が灼滅者の帰還で崩壊してしまい、話が違う、とヴァレフォールは歯噛みしていた。ここは折を見て撤退するが良策か、と抜け目なく戦場の隙を伺っている。
    「黒の王には義理があった」
     そして最後方から軍勢を見渡し、スサノオの姫は夕暮れの風に髪を泳がせながら呟く。
     黒の王への義理ゆえに軍団の隠蔽は引き受けたものの、さして意味はなかったらしい。かくなる上は、撤退する者を援助するだけだ。
    「黒翼卿は戦う気のようじゃが……まぁ、死なぬことはともかく、勝つことはあたわぬじゃろうて」


    参加者
    冴凪・翼(猛虎添翼・d05699)
    皇樹・桜(桜光の剣聖・d06215)
    水瀬・ゆま(箱庭の空の果て・d09774)
    碓氷・炯(白羽衣・d11168)
    エアン・エルフォード(ウィンダミア・d14788)
    葉新・百花(お昼ね羽根まくら・d14789)
    三和・悠仁(棄望・d17133)
    牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)

    ■リプレイ

     毅然と顔を上げたエアン・エルフォード(ウィンダミア・d14788)が見据える先には、雲霞のように夕暮れの空で羽ばたくタトゥーバットの影があった。
     そしてそれだけではない、鶏の足の小屋、奴隷級ヴァンパイアの軍勢も見える。そして朱雀門・瑠架がいると思われる方向からはヴァンパイア魔女団、それに鉄竜騎兵団。
    「宿敵のヴァンパイア相手だ、滾るよね」
     少しでも多く掃討したいじゃないか。そんな剣呑な台詞を呟いた彼の上着の端を、葉新・百花(お昼ね羽根まくら・d14789)が引く。
     相棒のリアンが寄り添うように尻尾を絡めている腕を見下ろして、エアンは我に返ったように目を瞬かせた。
    「大丈夫だ」
     そのまま長い髪を撫でて前へ出る。そんな二人を横目にしながら、水瀬・ゆま(箱庭の空の果て・d09774)は右手のクルセイドソードを軽く振った。
     エアンは友人で、恩がある。百花も大切な友のひとりだ。
     彼等を守るためなら多少の無理も厭わない。そう思う。
    「ふふ、結構いるね♪ 殺しがいがあるといいな」
    「殺しがいも何も、やりたい放題だろ。相手はこっち潰しにきてるんだぜ」
     ヴァンパイアの大軍勢をいかにも楽しげに眺めて笑った皇樹・桜(桜光の剣聖・d06215)の後ろへ、天星弓を携えた冴凪・翼(猛虎添翼・d05699)が控える。
     喧噪が、ざわざわと迫ってきた。金属が打ち合う音、コウモリの羽音、竜種イフリートが吐く呼気の音。からころとロリポップを口の中で転がしながら、牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)は猫耳フードの下で気怠げに半目を伏せた。
    「まあ、かかる火の粉はなんとやらって言うし……灼滅の目があるならやっちまいたい所っス」
    「狙えるなら灼滅、無理そうなら撃退狙い。異論はないな」
     どろりと帯状の影を引いて周囲を舞う黒の球体――愛用の影業【厭世禍暗月空亡】を一瞥して、三和・悠仁(棄望・d17133)は碓氷・炯(白羽衣・d11168)と共に後方へ立つ。
     迫る軍勢の目前には、この迎撃線における最大戦力が振り分けられていた。柿崎・泰若の要請に応えた者たちが大半を占める。
     やがて次々飛来してくる黒い影、タトゥーバットの群れを迎え撃たんとするエアンの手元でじゃきんっと不吉な音がした。彼の断斬鋏がこのあと、さらに凶悪に鳴り響く瞬間が来ることを炯はまだ知らない。
     風切り音と無数の羽音が迫り、迫って、タトゥーバットと灼滅者との間に百花の除霊結界が展開した。リアンには前衛を守らせ、一瞬で大軍勢との戦端が開かれた戦場を見渡す。
     直接黒翼卿メイヨールへ戦いを挑まんとするもの、あるいは瑠架、ナミダと接触しようとするもの、ラゴウやファフニールその他、迎撃に集った灼滅者がそれぞれの目標めがけ行動を開始していた。
    「たかが眷族でもさすがは子爵直属、といった所か?」
    「撤退させればいいらしいけど、みすみす機会を逃すのは面白くないっス」
     久方ぶりにまみえる宿敵への高揚が押し寄せているのか、先陣をきるエアンに麻耶はそのことを指摘せずにおいた。どこから沸いてきたのか想像もつかない数で飛来する、両翼に目玉模様を飾った巨大なコウモリを次々に叩きおとしていく。
     麻耶にとってヴァンパイアは灼滅するべき存在、それ以外のなにものでもない。むしろその結果がヴァンパイアとの更なる殺し合いの引き金になるならば、大歓迎したいくらいだった。
     ――黒翼卿は決して逃がさず、この機に確実に、殺る。
     気怠げな眼差しの奥に注意深くその本音を隠したままの麻耶と、その実本心を同じくしていた者は複数いた。
     一件物腰柔らかに見えるゆまも例外ではない。もちろん無理ならば深追いしない程度の分別は持ち合わせているが、撤退ではなく灼滅を狙う、と考えていたのは悠仁や翼、そして炯も同じ。
     タトゥーバットの超音波の影響か、耳鳴りが邪魔だ。
    「瑠架の魔女団が来るな」
     他とも協力しあい眷族の群れをあらかた討ちとると、悠仁は遠目にも力量差が明らかな一団が向かってくるのを目にする。ここで瑠架に援護に入られると面倒だ。
    「どうしましょうか。メイヨールを叩きにいくか、あちらの加勢か」
     連絡用にと持参したスマホのイヤホンを耳元へ押し込んだ炯が桜に尋ねる。
    「んー、まあ殺せればどこでも。手薄そうなとこ突ければ、なおいいけど」
    「瑠架の援軍は厄介だね。あちらさまに退去願ってからメイヨールの所へ行こうか」
     タトゥーバットの次に押し寄せてきたメイヨール配下をさらに迎え撃てるだけの人数は足りていそうだ。エアンはそう判断し、一見いつもと変わらぬ表情のまま魔女団の方向を指し示す。
     しかし、百花にはわかっていた事だが、今日エアンは随分好戦的になっている。確かに学園を守り通すことも、そのためにメイヨールをここで撃退するのも大事だが、それは皆が生きて戻ってこそ喜べるものだ。
    「えあんさん」
     想いをこめてその名を呼ぶ。自分がいる、リアンもいる。みんなも。今ここに、彼は独りではない。
     そこに文字以上の意図と想いがこもっていることに改めてエアンは気付かされる。これではいけない。
    「俺には帰る場所があったね。皆で勝利を掴んで、生きて帰ろう」
     彼女を安心させるように、自分へ言い聞かせるように呟き前を向いた。
     しかし、目指すはずだった瑠架からの援軍の前へ数十名ほどの灼滅者が立ちはだかり、そのまま攻勢に出ていく。
     メイヨールを狙わんとするアルベルティーヌ(d08003)の無線に気付いてエアンは音量を上げた。炯も敵陣を突破しようとしている少数の灼滅者がいることに気付く。
    「黒翼卿の所へ向かう、と……我々もあの班の後ろをついていってみませんか。手薄な所を選べば近くまで行けるかも」
     どうやら蒼(d03337)が属するグループも、この機に乗じてメイヨールを直接叩くつもりらしい。
     ……子爵級とは言え自分達も含めて3グループいれば、そう簡単に返り討ちには遭うまい。そう判断した翼は先頭へ立ち、灼滅者とダークネス軍、双方が激しくしのぎを削る戦場をメイヨール目指して駆け抜けていく。しかしその途中で戦況の空気が変わった。
    「……なんだ?」
     何かあったのだろう、子爵配下のダークネスが撤退を始めている。そしてその波の向こう側から、何か汚れた、ぼろぼろの巨大なゴムボールのようなものがぽんぽん飛び跳ねながら接近してきた。
     咄嗟に瓦礫の陰へ隠れてゴムボールが何者なのか見極めようとしたゆまが、その顔を判別して唖然とする。巨漢のゴムボールには目鼻を備えた顔がついていた。
     そして、ゆまが隠れた瓦礫の前に立つ、彩(d25988)をはじめとした十数人の灼滅者を見て、口を動かす。
    「わかってるよ、ちゃんと撤退するよ。まずは、瑠架ちゃんと……」
     なんかしゃべった、と麻耶がゆまの背後で妙に乾いた笑いを漏らした。
     手脚のない巨漢のゴムボールの正体は黒翼卿メイヨール。
     まずは瑠架ちゃんと合流して一緒に逃避行するんだ、と聞いたかぎりではまったく意味がわからないことを口走り、メイヨールは灼滅者達の前をそのまま飛び跳ねていこうとする。当然黙って見送るような者などここにはおらず、ゆまは瓦礫の陰から進み出て優雅に一礼した。
    「お目にかかれて光栄です、子爵様。ですが、残念ながらここから先へお進みいただく訳には参りません」
     どうしてもと仰るならお覚悟をと呟き得物を抜き放ったゆまの隣へ、天星弓を下段へ据えた翼がアスファルトを蹴りつけて急停止する。
     メイヨールを守るように、包帯だらけとは言え身体のラインからして女性と想像できるヴァンパイアが3人立ちはだかったからだ。しかしそれで怯むようなら、翼はこんな所へ来てはいない。
    「人の本拠地までわざわざご苦労さん。……とは言え、ただで帰してやるつもりもねぇけどな!」
    「まさかアナタが戦争中に攻めてくるとは思ってなかったけど、いい機会だから潰させてもらおうかな?」
     そう語った桜はもちろんのこと、慧樹(d04132)や皆無(d25213)がいざメイヨールを灼滅せんと言わんばかりに襲いかかるのを見送り、炯は不穏な笑みを漏らす。
     彼等が吸血鬼であるように、彼も自ら語るように殺人の鬼。
    「この道で負けるわけにはいきません。黄泉路へ赴く覚悟はよろしいですか」
    「どいつもこいつも、好き勝手やってくれるな……まぁいいさ、敵に回す相手は選ぶべきだったってだけだ」
    「そーそー、人ン家に空き巣に入ろうとしたんスから、相応の覚悟は出来てるんでしょ?」
     やや呆れたように溜息を吐いた悠仁のあとを継いで、麻耶はピンク色のロリポップをかるく振ってみせる。
    「騙したんだな!」
     許さないよ、とこれまたよく意味のわからないことを口走り、メイヨールが丸い肩をいからせる。
     許すも何も、襲ってきた側の黒翼卿にいったい何の許可を貰わねばならぬとどこの誰が決めたのか。少なくとも炯はそんな話を知らないし、メイヨールにすみませんでしたさあお通り下さい、と譲ってやる義理もない。
    「さあ、自らの血に塗れて」
     ――お逝きなさい、と色白の唇が告げ細い指がさし示したその先、だれかの影色の刃が踊り狂った。
     すでにメイヨールはどこかで一戦交えてきた後らしく、衣服は切り裂かれ贅肉をたっぷり乗せた顔は脂汗ですっかり濡れている。左脇腹は切り裂かれ、おそらく左腕があったのではと思われる箇所の下になにか穴が開いていた。当然、軽傷であるはずもない。
     呼吸もなかなか整わない様子で、これは好機だ、と桜はすぐに悟った。
     他チームのものだろう、連続の黒死斬と、巨大な黒い犬の都市伝説。傷ついてはいてもやはり子爵級、応戦したメイヨールのギルティクロスは灼滅者のものとは桁違いのようだった。
     しかし、軽く挨拶がわりとばかりに応戦でできた隙を突き、桜の断罪転輪斬があざやかに決まる。
     包帯まみれの女性ヴァンパイアはメイヨールを守ることに専念しているらしい。しかも今は、灼滅者の戦意が彼等より勝る。
    「灼滅にしろ撃退にしろ、どのみち殺す気でかかる事に違いはないな」
     包帯ヴァンパイアの腕をかいくぐった悠仁の蛇咬斬でメイヨールの動きが明らかに鈍ったところを、狙い澄ました麻耶の影喰らいが容赦なく切り刻む。盛大に全身の贅肉を揺らしながらメイヨールが転倒した。
     手脚がないのでそこから起き上がるのは苦労しそうだ、といっそ冷徹なことを思った翼へ包帯ヴァンパイアの紅蓮斬が襲いかかる。素早くバックステップで距離を取ると、入れ違いにリアンの猫魔法で追い払われた。
     3チーム分の戦力と、3人の護衛を連れているとは言え大幅に消耗したメイヨールが劣勢なのは明白。
     さらに炎系サイキックで焼けただれていくメイヨールにはもはや攻勢あるのみと判断し、百花はリアンにも最低限の守備のみ指示して攻め手に加わらせる。これだけの数を相手にして複数対象の攻撃をメイヨールが繰り出さないということは、つまり単体対象しか今は使えないとみるべきだ。
    「貰ったよ」
     敏捷という文字からは果てしなく遠いその背中を、凶悪な刃を輝かせるエアンの断斬鋏が正確に、残酷に切り裂く。見る限り、ダークネスでなければその一撃で即死だったはずだ。
     脇腹、そしてたった今背中へ尋常でない傷を負わされた黒翼卿の脳裏に起死回生の策があるかどうかはわからない。
     なんとか身を起こしていたものの再度地面へ沈み、苦悶の声をあげるメイヨールへ翼が交通標識を振りかぶった。クリーンヒットを確信した翼がうすく笑う。
    「歯ァ食いしばれ!」
     一閃。
     レッドストライクの軌跡が走り、ぶあつい贅肉に包まれた巨漢が吹きとぶ。主人を吹き飛ばす暴挙をしでかした灼滅者へ怒り心頭の女性ヴァンパイアが影縛りを放ってきたものの、数の優位は揺るがず、もはや焼け石に水だった。
     桜のレイザースラストへ重ねた黙示録砲が包帯の切れ端を飛び散らせたのを横目に確認して、悠仁はひとつ息をつく。
     もはやメイヨールは目の焦点が合っていない。音もなく滑るように動いた炯の、渾身の黒死斬を避ける余力はどこにもなかった。
     うぐうぐともはや明確な声にもならない呻き声を漏らし、半ば身体を両断しかけているようにも見える背中をも晒しながら、這うように進もうとするヴァンパイアにどこか痛ましげな視線を炯が投げかける。
    「黒翼卿とも呼ばれたアナタが、こんな」
     ただ、痛ましげにとは言っても彼を慮るのではなく、惨めに地べたを這いずる姿が不憫だっただけだ。こんな無様な姿をいつまでも晒すくらいなら、誇りある死をさしのべるのがせめてもの慈悲だろう。
     炯の黒死斬で呻き声も消えた。しかし、ぎらりと殺意をこめて睨み上げた先にエアンと百花がいることに気付いたゆまが割り込み、交通標識で強かに殴りつける。この二人に手出しなど、たとえ相手が子爵級でも許されないのだから。
     そこから先は、もはやあえて駄目押しする必要も感じられなかった。この場の誰もが予測する終末の未来など受け入れられぬと言わんばかりに、メイヨールの最後のギルティクロスが翼を撃ち貫く。
    「翼さん!」
    「……ッハ、断末魔の足掻きってわけか!」
     百花が駆け寄るのも制止し、翼は流石に片膝をついたものの巨大な芋虫じみて見えるメイヨールへ言い捨てる。それは半ば、勝利宣言にも似ていた。
     陽太(d25198)が無表情に肉塊のようなダークネスへと狙いを定めるのを、桜はじっと見守る。魔弾の射手に己が身を刻まれ、黒翼卿は悲鳴を上げのたうち回った。
    「わざわざ格下を不意を突こうとしてまで殺そうっていうんだ」
     そんなメイヨールへとおそろしく無造作に悠仁が歩み寄り、名もなき鉄の墓標じみたクロスグレイブを振りかぶる。
    「……窮鼠に喰い破られて殺されても、文句はねぇだろ」
     その表情に憐憫や同情は伺えない。鼠に噛まれた猫の気分をメイヨールは味わっているだろうか。ダークネスの貴族たるヴァンパイアが、と思うとそれはなかなかに愉快な想像な気がして、ふ、と溜息のような息が漏れる。
     彼が【無銘の鉄碑】と呼ぶクロスグレイブ。黒翼卿の墓標とするにはさぞ似合いだろう。
     そして、力なく地面を転がる黒翼卿の心臓を蒼がえぐり出す。心臓を奪い返そうと手を伸ばすメイヨールの目前で、容赦なく心臓は握り潰された。
     みるみる急速に膨れあがったメイヨールの身体が、風船が破裂するようにはじける。あれだけ贅肉にまみれていたにも関わらず、何の残骸も残さない。
     それが、子爵級ヴァンパイアの最期。
     波が引くように退却していく大軍勢。赤い夕日を浴びた武蔵野の戦場の光景がさらなる反撃の嚆矢となるか、あるいは別の未来を描くのか。
     それはこの戦場に集ったうちのだれも、まだ知らない。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年4月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 7/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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