かりそめの息吹

    作者:菖蒲


     名古屋駅前には常と変わらず人の波が動いている。
    『ハンドレッド・コルドロン』という巨大密室の話など無かったかのように『平穏』がそこにはあった。
     土産物屋のスペースで商品を選ぶ人だかり。様々な路線の乗り入れにより、改札から走り出す学生の姿。それは誰もが望んだ平穏で、当たり前の日常として横たわっていた。
    「誰なんだよ――……」
     喧騒に融け込む様に一人の男がぽつりと呟く。
     猫の様に背を丸め、くたびれたスーツ姿で昼の駅を歩み続ける。その様子は些か異様な様にも見えた。
     営業マンなのだろうか、昼先に何処かに向かうかのように足取りは一貫している。しかし、その暗い表情と虚ろな瞳は平穏というには余りに似合わない。
    「憎い」
     ぽつり、と。それは平穏の中に、深く侵食している悪夢。
    「殺せ、殺せ、殺したい、如何してだ、何で俺が、俺が死ななくちゃ」
     ぶつぶつと何事かを呟き続ける男の表情は絶望のいろを映していた。
     仮初の生命により、歩み出した一人の男は頭を抱え苦悩する様に呟いた。

    「全員、殺さなくては……。ハハ、俺が死んだんだぜ……?」
     ――俺を殺した奴を、殺さなくては。
     
    ●search
     巨大密室『ハンドレッド・コルドロン』の後、名古屋市内は何事もなかったかのような平穏を取り戻して居た。
     海島・汐(高校生殺人鬼・dn0214)は灼滅者達と共に名古屋市内に何らかの違和感や不安がないかと探索を続けている。
     ハンドレッド・コルドロンの死者の死体は『走馬灯使い』のような能力によって動き出している――というのは今迄の捜索や探索で知り得た情報だ。
    「儀式効果なのか……? トリプルクエスチョンかエンドレス・ノットの能力かもしれない」
     ぶつぶつと呟く灼滅者の言葉に汐は「でも、走馬灯使いならさ」と思い出したように呟く。彼とて曲りなりにも殺人鬼、己にも覚えのある能力は『仮初の命を与え、数日の間は普通に生活し穏やかな死を迎えさせる』というものであるはずだ。
    「あんまり、影響は――」
    「勿論。活動を停止した奴もいるけど、自然死として扱われてるみたい」
     走馬灯使いの能力とバベルの鎖の効果により大量殺戮は隠蔽され、大きな騒ぎにはなっていない。その事をほっと胸を撫で下ろすのも束の間だ――厭なニュースは矢継ぎ早に舞い込んでくる。
    「動き出した死体の中に本物のゾンビが紛れているみたいなんだよな」
    「ゾンビ――!?」
     市内を調査する他のグループから飛び込んだ情報を見過ごす事は出来ない。
     あれだけの死者が出たのだ。ゾンビが紛れているのもある意味で必然だとでも言うことか。市内を巡回する別の灼滅者グループによれば、ゾンビは殺人鬼を見つけると無差別に襲いかかってくるのだという。
    「『殺した奴は殺す』って言って襲ってきてるって話しなんだよな……。殺人鬼と六六六人衆の区別がついてないってことか?」
     さ、と顔色を悪くした汐は人々の溢れる市街を眺めて息を飲む。
     この何処にゾンビ達が居るのかは分からない。
     巡回し、ゾンビが『敵を殺す』という明確な意思から『人々を襲う』という本能に塗れる前に倒さなくてはならない。
    「やべぇ……。やるっきゃないか……」
     何処を捜索するか、それが鍵だ――かりそめの命は、死を恨むかのように『仇』を探し彷徨っている。


    参加者
    宮瀬・冬人(イノセントキラー・d01830)
    倫道・有無(自堕落研究者・d03721)
    三園・小次郎(燕子花のいろ・d08390)
    八葉・文(夜の闇に潜む一撃・d12377)
    久成・杏子(いっぱいがんばるっ・d17363)
    愛宕・時雨(小学生神薙使い・d22505)
    鳥辺野・祝(架空線・d23681)
    茶倉・紫月(影縫い・d35017)

    ■リプレイ


     人々は日常を謳歌する。死の脅威など素知らぬ顔をして、ゆっくりと歩を進め続けるのだ。
     生きとし生けるものにとって死は逃れられぬ終焉であって尤も理解に遠い物なのだと茶倉・紫月(影縫い・d35017)は知っていた。無論、生者である彼にとってもそうなのだろう。
     茫とした眠たげな赤い瞳は周囲を往く人々を注視する。会話を交えて楽しげに話す人波は己の存在など飲み込んでしまうかのようだと彼は小さな息を漏らす。
    「殺した奴を探し、いつしか無差別に……肉があるからゾンビと思えるが、肉がなければまるで怨霊だな」
    「……怨霊の憾みを払えずに、速やかに眠らしてあげる、しかできないのがもどかしいけどね」
     長い闇色の髪を揺らし、ゆっくりと歩む八葉・文(夜の闇に潜む一撃・d12377)は生きる為にその両手を血に染めた事を逡巡させ憂いを漏らす。ぽつり、ぽつりと零される言葉の数々はこの場所――名古屋で行われた大量虐殺に起因するのだろう。
    「不憫なものだね。ここで虐殺があったことも知らないとは」
     唇に乗せた皮肉は愛らしい容貌から発されるには余りにも鋭い棘のようで。切り揃えた黒髪が春風に揺らされると共に携帯電話から手を離した愛宕・時雨(小学生神薙使い・d22505)はやれやれとワザとらしく肩を竦める。
    「見回り御苦労だ。ここからは同行させて貰うよ」
    「有難う。すげーやべぇ感じなんだよなぁ」
     現場への到着の後、直ぐに班を二つに分けた時雨は周辺を警戒して見回る灼滅者達と連絡を取りながら、先行していた海島・汐(潮騒・dn0214)と合流する。
    「時雨、お気を付けて」
     彼の支援に訪れていた真珠を始めとした数人の灼滅者達へと合図を送り、時雨は『異常』の存在を察知すべく目を凝らした。
     醸造された悪意。捏造された殺意に、得難き生への羨望を抱いたその屍。儀式用の怨霊が絡みついたか、果たして――脳裏に展開された哲学的問答を飲みこんで倫道・有無(自堕落研究者・d03721)は闇を纏う。
    「斯様な感情を求め殺戮が成されたか。何にせよ諸君の心中心労お察しする」
     有無の言葉にゆっくりと頷いた文は彼の姿を目に映す事の出来る人間を探す様に周囲を見回した。
    「――だが悪いな、同情より研究がしたい。成仏するまで私の物にならんかね」
     固いアスファルトを踏みしめ走り寄るスーツ姿の男の攻撃をその身で受け止めた紫月が両の足へと力を込める。それはかつての生殖型ゾンビとは違い、バベルの鎖を持った『眷属』であることが分かる一撃であった。


     行き交う人々は晴れ晴れとした表情の人間が多い。手を引かれて歩いてゆく子供達の眺めた久成・杏子(いっぱいがんばるっ・d17363)は置いて行かれぬ様にと小さな歩幅で前方を往く背中を追い掛けた。
    (「『平穏』はなんなの? ――何で、あの殺戮を忘れちゃうの……?」)
     幼さを残した大きな瞳は不安を乗せる。杏子の感じる濃い死のかおりは確かに存在している筈なのに。何故、と疑問を持ち不満げな彼女の様子を振り仰ぎ、純也が調べ上げた地図を手にした鳥辺野・祝(架空線・d23681)はカランコロコロと下駄を鳴らし足を止める。
    「行こう」
     快活な声音は常と変りない。病院と言う出自故か、理不尽に訪れる死を許す事が出来ないと祝は言葉を飲みこむ。だが、それを表に出さないのは、その言葉一つで誰かが傷つくかもしれないからだろうか。
    「……だいじょうぶ」
    「ああ……『だいじょうぶ』だ」
     彼女の言葉を反芻した三園・小次郎(燕子花のいろ・d08390)は震える様に声を絞り出す。その瞳に焼き付けた災厄は故郷を蹂躙し続けた。本拠地へと戻る背中を見送って、名古屋という街を見回してみれば――己の無力さを思い知らされるかの様だった。
    (「……俺はやるしかない。やれることを、やるんだ。止まったら、誰も救えない」)
     誰かを救う事が出来ずに何が『ヒーロー』なのだろうかと小次郎は自嘲する。彼の手の甲をぺろりと舐めたきしめんは主人の気持ちを察するかのように小さく鳴いた。
    『ヒーローなら、あんま湿気たツラ晒してんじゃねぇぞ』
     親友、とからりと笑った葉の言葉が未だに頭にこびり付く。街への索敵へと繰り出した葉や翌檜、杏理の事を思い浮かべて小次郎は己の頬をぱしんと叩いた。
    「行くか」
    「そうだね。生憎だけど、お相手も待ってはくれない様だし」
     底冷えするかのような笑みを浮かべ、宮瀬・冬人(イノセントキラー・d01830)が携帯電話をポケットに滑り込ませる。足元から伸びあがる赤黒い影の上、踊る様に踏み出す彼の眼前には虚ろな瞳の男が立って居た。
    「さあ、鬼さん、手のなる方へ。こんな世界じゃなんだよ――俺達と踊ろう?」
     どくりと高鳴る胸の内。確かに感じた『衝動』が彼を突き動かした。まるで『死』と直面したかのような高揚感に標的となった己の身体を翻す。
     周囲の一般人へと「暴力事件だよー!」と声を駆け回る夏穂が転んだ子供を抱え上げる。ゾンビの攻撃を集める祝の姿を視線に収めた一夜は喧騒の中にぽつりと立って居た少年へと声をかけた。
    「喧嘩みたいだ、ここは危ないから、遠くに行こう?」
     殺人鬼を狙うという情報は確かだったようだ。繁華街、そして多数の協力者の存在からか苦戦を強いられるほどのゾンビが冬人や祝へと襲い掛かる。二人をサポートしながら一般人の避難指示を周囲の仲間達へと下した小次郎はぎり、と歯噛みする。
    (「守りたい――」)
     それでも、守りたいと願った誰かが望まぬ死を憾みここに居る。もう一度、殺し直して居る様なものだと止まる彼の動きを察したように杏子は唇を震わせる。
    「悔しいね、悲しいね。あたし達……大勢の人を殺したんだよね。
     ゾンビになった人だってあたし達が守れなかったんだ。ごめんね……もう苦しまないで」
     もう一度殺すと言葉にした杏子の小さな背中を見遣った心桜は傍らの明莉へと視線を送る。憂いを帯びた恋人の視線を受け、『糸括』の面々へと指示を下した彼は冷静なまま、走り出した。
    「危険な撮影をしております!」
    「アクションシーンの撮影に巻き込まれたら怪我するからね」
     襲い来るゾンビを誘う脇差の前から一般人を抱え上げる春夜が走る。不安と、その胸中の迷いからか固いアスファルトは妙に走り辛く感じた。


     有無による『実験』から導き出されたのは、ゾンビ達は眷属でありバベルの鎖が有効であるということだ。無論、幾度も傷を負っては彼も紫月も周囲のゾンビに囲まれる危険がある。
    「……憎まれ役も苦労するんだな……」
     ぽつりと零された紫月の言葉に文は小さく頷く。殺人鬼と言うルーツを持ちながらも、宿敵・六六六人衆の私兵として育てられたという彼女は己を『六六六人衆』と勘違いし襲い来るゾンビを否定できずにいた。
     黒に赤い華を咲かせた袖口を揺らし、黒霧が如き殺気を産み出す文が地面を踏みしめる。赤い羽根の幻影に煌々と照らす月を思わせたブーツを爪先に力が籠められて彼女は跳ねた。
    「ウチは刃、あんたの闇を切り裂き、穿つ……――刃や」
     彼女の動きこそも闇に傾倒した人類なのだろうかと有無は考える。その思考は暴論なのではないかと彼は重々理解しながらも、捨てる事が出来ないものなのだろう。
     狙い穿つ文へと向いた視線のその裏側から、彼を思わすモノクロの焔を持って切り裂かんと迫りくる。闇がこびり付く未完の書物を手にした青年の瞳が爛々と輝きを増した。
    「乱闘かなんかしらないが、ここには立ち寄らない方がいい。誘導を頼むぞ」
     くるりと背を向けた時雨の足元から伸びる蔦は彼の足へと絡みつく。幼い子供の『玩具』の様に武具を取り出し、地面を蹴った。
     金の瞳が映した視線の先で「合点承知でさぁ!」と朗々と告げた娑婆蔵を追い掛けて伊織が己を『六六六人衆』と認定したゾンビから一般人を逃がすべく彼らを引き付ける。
    「いやはや愛宕君も大変だねぇ」
     肩を竦めた式夜の言葉へと「素直に手伝ってと時雨くんがいうものね」と小さく笑みを零す詠は離れた場所で尽力する祝が頑張っている事を思い俄然、力を尽くさねばと喧騒を走る。
    「……流石の私でも厭になる光景、ね」
    「そうですね……」
     ちら、と紫月へと視線を零した柚羽が息を飲む。灼滅者達を襲い来るゾンビ達は皆、生者として名古屋の街を歩き回っていた人々だ――これ以上喪わせぬ様に、『誰にもあげない』と誓った彼が尽力するのだからと彼女は懸命に声を張り上げた。
     何かに追い立てられたかのような脅迫概念を手に、殺人鬼(ひとごろし)を滅すべきだとゾンビ達が苛立ちを露わにする。繁華街での大規模な索敵は10ではない、それ以上の数のゾンビを誘き寄せ苦戦を強いられる。
    「『杭を打ち、喰い、悔いる』――さて、クイをどう受け止める?」
     唇に乗せた奇譚。呼びよせた七不思議を唇に乗せ、迫るゾンビの手を逃れんと紫月が地面を蹴った。
     もう一度、殺されるなんて御免だろう。抗っているかのようにその手を伸ばすゾンビの腕を避けた紫月の背がとん、と汐へと当たる。
    「っと……大丈夫?」
    「大丈夫だ……生きてる限り、彼らの憾みは理解できないんだろうな」
     ――こうして、もう一度殺される『死の恐怖』なんて、到底理解できそうにない。


     レクイエムを奏でながら杏子はぐるりと周囲を囲んだゾンビ達を見回した。
     死に瀕したその表情は絶望が伺える。それさえも納得できないと「ねこさん……」と小さく声をかけた杏子は不安げに相棒へと視線を送る。
    「皆が死んだのを忘れるなんて、おかしいよね。バベルの鎖なんてなかったらいいのに」
     悲痛を感じさせる表情は普段の部活で見かける物では無い。輝乃は「キョン」と彼女の細い肩へと声をかけた。
    「キョン、この脅威を一掃しましょう。それが手向けになれば……」
    「うん……うん。そうだね。あたし、頑張るから、だいじょうぶだよ」
     理利の声にへらりと笑って見せる彼女は幼いながらも割りきれない違和感を拭う様にその場にしっかりと立つ。
     灼滅者は人間だった。灼滅者は、守り切れなかったものが脅威と化した今、立ち止まる事を許されない。
     周囲を覆う怨嗟の声を振り払うことなく祝は黄泉へと彼らを送るべく千引の岩を砕く一撃を持って脅威を払いのけてゆく。
    「殺人鬼を探してるんだろ? それならこっちにこいよ。
     憎いのも、殺したいのも、辛いのもわたし達をだろ。気持ちを、解るなんて言えない、言わないよ」
     からん、と下駄の音が鳴った。糸を手繰る様に言葉を紡ぎ、己の使命をしかと唇に乗せる。
     ゾンビ達を『灼滅(おわ)らせる』。それ以上の事は出来ないのだと首を振り祝は月色の瞳に憂いを乗せた。
    「ごめん」
     重い一言だと、祝は感じる。周囲には沢山の人が居て途切れた縁を繋いだ誰かも居て――それが、何よりも幸せだと理解してしまうから。
     憎い、と繰り返される言葉を振り払うことなく彼女は只、直向きに殺す為の一手を加える。

     ――次なんかじゃなくて『今』が欲しかったよな。

     人であるのだと、彼女が告げる度に冬人は己の業の深さを感じて已まない。
    (「これは、ゾンビだ。人じゃない、人じゃないんだ……」)
     手にしたナイフがゾンビの身体を切り裂いた。その感覚に僅かな高揚感は確かな『衝動』なのだと冬人は実感してしまった。両の足が震え、竦む。
     ゾンビも、ダークネスも『ヒト』でない以上は衝動を感じることは無い筈だった。
    「ッ――」
     首を振り、冬人は竦む両足に力を込める。彼らを、人として認識したくないという自制心と殺し直した様な心地よさが自己嫌悪する己を止めようとする。止まってはいけないといい聞かせた彼の背後からひょこりと顔を出した夜奈は瞬いた。
    「ヤナはまだ、しねない。ひがい、だしたくない。あなたたちの手、汚したくない」
     罪悪感も自己嫌悪も切り伏せる様な少女の声音。これは、誰かの心を救う戦いだといい聞かせる様に小次郎は「くそ」と呟いた。
    「どうして『此処』なんだよ……どうして……」
     きしめんがその大きな身体を駆使し、周囲の一般人達を護らんと尽力する。
     言葉無くとも一つ視線が交差するだけで彼女は小次郎の意思が分かるのだろう。わん、と大きな声で鳴いたのは温和でドジな愛らしい相棒による鼓舞の一声――ここで、止まってはいけないと叱り付けるかのように小次郎の背中を押した。
     郷愁の花束が、幸福を散らすかのように彼の心を枯らさぬ様に。
     相棒の一声に「ありがとな」と短く礼を返した小次郎は戦意をその身に纏いアスファルトを蹴りあげた。


     群れを為す人々の中、警戒態勢で一般人へと「乱闘があった」と避難を呼びかけた灼滅者達のおかげか、存分に戦いやすくなったと演者が如く朗々と七不思議を語りあげた有無の視界へと『一般人』と違わぬ姿のゾンビが映る。
    「ふむ」
     興味深いと言わんばかりに零れた一声。怨恨悲嘆を匿い語らう七不思議に喰らわれる様に影に飲み込まれたその姿は研究対象としてその両眼へと移り込む。
     形の少し違う両目に焼き付けんと映しこんだ彼らの姿は生者を呪う『異形』と違いがなかった。
    「ここまで『敵意』を出されると流石に厭になるな」
    「まあ、気持ちは分かるかな……」
     手回しペッパーミルが如きガトリングガンを抱え上げた時雨の言葉に汐が小さく肩を竦める。
     岬の回復の指示を下した時雨の月色の瞳に映った異形たちは彼にとって敵として映り込んだ。
     殺人鬼と言うルーツをもつ汐を護衛する様にシグマはゾンビ達の気を引きながら有無の実験の手伝いを行っている。
    「せめて死化粧は整えておきたいな」
    「ああ。それが手向けになるのならまた良いだろう」
     時雨の言葉は尊大だ。幼い少年は遅いくる脅威を『脅威』としてしっかりと受け止めたのだろう。ここで止まる訳にはいかないと唇の端に笑みを乗せ、殺人鬼としての本領を見せんとする。
    「この僕に敵う訳ないだろ?」
     彼の言葉を聞きながら、走る紫月は死人桜を語り上げる。血色に染まった紅桜――生者を飲み喰らうかの様に死者へと返る狂気の花。
     しかし、ふと浮かぶのは『死者』となりながらも生者が如く動き回る屍達はどうなるのかということだ。
    「ゾンビは如何に?」
     首を傾げた彼の目の前へとその身を投じたゾンビを飲み込んだのは無色の海。
     深く、沈むが如く意思と共に観測される影のかたち。紫月の産み出す影は術者の動きに合わせて揺れ動く。
    「……『動き続けろ』ってのはお前達には当てはまらないよ」
     白雪の様な髪が動きに合わせて揺れる。断ち切る鋏ががばりと開き屍の身体を切り裂いた。
     屍は尚も動かんと両腕を伸ばす。両刃に赤き花を咲かせ、文はゆっくりと屍と向き直った。
    「断ち方は挟むだけやないんよ」
     生者としての縁をも断ち切る両刃鋏。その心の臓が音を奏でぬ事に気付いたのはその瞬間か。
    「開いて……――断つ!」
     体を引き裂くそれは、彼らを黄泉比良坂へと追い返すかのような一撃で有った。


     遠巻きに呼び声がする。振り仰いだ有無は其れが教室で共に話しを交えた仲間だと認識し「終いかね」とぼそりと呟いた。
     20名もの援軍のお陰だろうか。両班共に10人を超える数を相手に取ることになった以上、苦戦を強いられた事は確かだ。
     疲れた表情の杏子を気遣う明莉ら『糸括』の面々は名古屋の無事にほっとした様に胸を撫で下ろした。
    「お疲れ」
     こつん、と祝の頭へとジュースを当てた翌檜は夜奈と共に喧騒を取り戻す繁華街の様子を眺めている。何の変哲もない街並みに杏理は何処か皮肉に笑って息を付いた。
     そんな普段と変わらぬ友人達の用紙へと安堵したかのようにへらりと笑った祝がゆっくりと周りを見渡せば、そこには巨大密室の影も形も残っては居なかった。
    「……お疲れ様」
     どこかぎこちない笑みを浮かべた冬人へとぺこりと文が頭を下げる。
     殺人鬼同士、狙われる事も多かったのだろう。誰に対しても友好的な態度を取る冬人は、柔和な笑みを浮かべ仲間達へとねぎらいの言葉を掛けた。
    「一先ずの脅威は去った……のだろうか」
     まるで玩具の様な愛らしい武器を仕舞いこんだ時雨は携帯電話から顔を上げ周囲を見回した。
     その両手には感覚が残っている。敵だと、脅威だと殺した誰か。
     守りたいと願った名古屋の人々――ふと、ちらついたのは誰かの笑顔と重なったゾンビ。
    「……そういえば、あの倒したゾンビの顔――」
     呟いた言葉へゆっくりと顔を上げた葉は親友の沈痛の面差しに言葉無くきしめんをぽふりと撫でる。
     息を飲んだのは誰だっただろうか。
     それ以上の言葉はいけないと制止するかのような無言へと小次郎は青い空を見上げて息を付いた。
    「俺って、本当にヒーローなのかな」
     残ったのはかりそめの命を刈り取ったという成果と実感――僅かな胸の痛みだけ。

    作者:菖蒲 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年4月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 0
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