サイレーンの声 鯉江敬子

    作者:空白革命

     鯉江敬子は年老いた女性である。
     海辺の田舎町で小さなスナックを経営する、控えめに言って評判の良くない女だった。
     バブル時代に乗っかって都会で好き放題やった結果の現在である。
     だが彼女の目には、まだミラーボールに照らされたかつての栄華が映っているかのようだった。
     そんな彼女は、ある日海を訪れていた。
     彼女ひとりだけでは無い。誘い合わせたわけでもないのに、同じような年齢の、同じような目をした、同じようにさびれた女性たちがそこにはいた。
     そことは、海の中である。
     腰がつかるほどの深さまで歩き、皆ぶつぶつと何かを唱えている。
    「サイレーン様、サイレーン様、どうかお願いします……」
     彼女たちに混ざり、ゆっくりと海へと進む鯉江。
    「あの日の輝きを、あの日の力を、あの日の私をもういちど……」
     やがて、海がピンク色に輝き始めた。
     するとどうだろうか。
     みすぼらしい老女だった鯉江たちの肉体はみるみる変貌し、若く艶やかな、かつてのあの姿へと返り咲いていた。
     むろん、若返りなどという生半可なものではない。
     彼女たちは、ダークネス≪淫魔≫に変貌してしまったのだ。
     
     所変わって武蔵坂学園。
    「みんな、サイキックリベレイターのことは聞いたか? こいつの使用によって大淫魔サイレーンの力が活発化しているらしい。その一環として、一般人が海に呼び集められて一斉に闇堕ちするという事件が起きてるようだ」
     集められたのはみな、昔は美貌ゆえに華やかだった人々である。だが一時的な美貌だったがゆえに歳と共に消えうせて零落した者たちでもある。
     そんな人々が淫魔化により全盛期を超える美貌を手に入れ、過去の栄光を取り戻そうとしているようなのだ。
    「闇堕ちの直前に現場へ着くのは可能なんだが、先に攻撃して倒すというのは無理そうだ。その上で……ちょっと詳しい説明をするぞ」
     
     
     今回の対象者は鯉江敬子を含む5名。
     偶然かなりゆきか、みな同じような境遇をもつ女たちである。
     バブル時代に栄華を誇っていたが一時の愉悦に浸っている間に年月が過ぎ去り、気づいたときには場末のスナックに流れ着いていたという境遇だ。時代を鑑みるにそう妙齢というほどではないが、見た目の劣化は老婆と呼ぶに相応しい醜い有様である。
    「闇堕ちする一般人はサイキックやESPを仕掛ければ防衛本能からすぐに闇堕ちしてしまうだろう。しかし説得なら可能だ。もしうまく説得できれば闇堕ち事態を防げるが……おせじにも善人たちじゃあない。かつての栄華を取り戻せるっつうかなり現実的な誘惑にあらがうのは難しいだろう。戦って倒すことを、まずは想定しておいてくれ。運が良くて一人か二人。全員闇堕ちを辞めてくれるなんて状況は、ちょっと想像できないからな」
     そこまで説明してから、大爆寺・ニトロ(大学生エクスブレイン・dn0028)は書類資料を机に置いた。
    「とはいえ皆が掴もうとした未来だ。そうわるいものになるとも思えないぜ。あとは、みんな次第だ」


    参加者
    白金・ジュン(魔法少女少年・d11361)
    ナハトムジーク・フィルツェーン(黎明の道化師・d12478)
    永舘・紅鳥(氷炎纏いて・d14388)
    来海・柚季(月欠け鳥・d14826)
    クリミネル・イェーガー(肉体言語で語るオンナ・d14977)
    鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382)
    流阿武・知信(炎纏いし鉄の盾・d20203)
    天原・京香(信じるものを守る少女・d24476)

    ■リプレイ

    ●鯉江敬子と魔の呼び声
     海辺。潮の香りと遠ざかった黄昏。
     腰まで浸かった潮水に骨まで溶かすかのように、女たちは身を捧げていく。
     彼女たちが淫魔へと変わる、それまでに。
    「待ってください」
     遮る者があった。
     来海・柚季(月欠け鳥・d14826)は振り返る女たちへと呼びかける。
    「外見の美醜が全てだというのですか。心の美しさや、老いた魅力もあると思うのです」
    「そや……」
     彼女だけではない。クリミネル・イェーガー(肉体言語で語るオンナ・d14977)や仲間たちが非武装状態で女たちへと歩み寄る。
     足首が海へ浸かった。
    「昔が良かったとおもうても、これまでの自分のコト否定したら、生まれるのは別モンやで」
    「なによ、あんたたちは。急に現われて知った風なことを言って……」
    「悪いな」
     今にも煙草をくわえそうな苦々しい顔で、永舘・紅鳥(氷炎纏いて・d14388)がクリミネスの後ろから現われる。
    「過去の栄光よ再びって気持ちはわからなくないが、他人に迷惑がかかっちまうんだよな」
    「だからなによ! 男たちはさんざん群がったくせに、年を取ったら捨てて! そいつらに迷惑がかかるんなら、当然じゃない!」
    「そういうレベルの話じゃないんだ」
     拳を強く握り、指一本ずつ開いていく流阿武・知信(炎纏いし鉄の盾・d20203)。
    「淫魔になっても過去の栄光は取り戻せない。大きな存在にしたがう屈辱を味わうだけだ」
    「その通りです。いい思いは出来ないと思いますよ」
     知信と並び立つ白金・ジュン(魔法少女少年・d11361)。
    「抗争になればなりたての淫魔は使い捨てられるだけです。なにより私たちは、まだ何もしていない相手を予防目的で灼滅することに気が引けているんです。思いとどまって貰えませんか」
    「そ、それでも……それでもいいわよ、私を捨てたあいつらを見返すのよ。高いお酒沢山飲んで、男を足に使って、お金沢山もらって……」
    「化け物になってでもか」
     鈍・脇差(ある雨の日の暗殺者・d17382)は架空の柄にてをかけていた。
    「短い命を華と散らすか、穏やかに人生を永らえるか。好きな方をえらべ」
    「そんなの当然……!」
     顔を見にくく歪める女たち。
     既に淫魔化は始まっている。
     彼女たちが襲いかからんとして、天原・京香(信じるものを守る少女・d24476)がそっとカードを手に取る。
     そこへ、鯉江敬子が割り込んだ。
    「待ってみんな。私は……この人たちの言うことが正しいと思うわ」
    「な、なによ今更!」
    「私たちは若さを武器にして男たちをはべらせた。利用してきたわ。でも今はこの通りよ。きっと同じようになるだけ。若さなんかなくても一緒にいてくれる人たちを大事にするべきじゃないかしら……」
    「この」
     淫魔化した女が腕を振り上げた。
     美しく装飾された爪はしかし、ナイフのようにとがっている。
    「臆病者!」
    「それはキミでしょ」
     振り下ろされた爪は、割り込んだナハトムジーク・フィルツェーン(黎明の道化師・d12478)によって止められる。
    「ま、こうなるよね。成功するやつはみんな昔から前を向いてきた。将来を思って金や努力を積み立てたし、一時の快楽を我慢して働いていたはずだよ。それに背を向けてきたからこの有様だ」
    「な、なによアンタに何が分かるの!」
    「出たよ。自分が一番分かってないくせにさ。そして死ぬまで分からないんだよ。『あの時に戻れたら』とか『百億円当たったら』とか、結局全部現在の自己否定だ。淫魔になろうと億万長者になろうと、キミはまた繰り返す」
    「「だったらどうなの!」」
     淫魔化した鯉江敬子以外の女たちが、一斉に飛びかかってくる。
    「死んで貰うのよ。誰にも知られることも無く」
     一瞬にして武装した京香が、手榴弾のピンを引き抜いた。

    ●ゴミみたいな未来のために
     動いたのは智信と柚季だった。
     ナイフを月光に照らし、イエローサインを発動。
     直後に智信は淫魔たちから一度距離を取りつつイエローサインを展開。
    「やっぱり戦いは避けられないのか!」
    「当然でしょ」
     知信と入れ替わりに宙を舞った手榴弾がナハトムジークの頭上で爆発。
     飛びかかっていた淫魔たちがそろって炎にまかれていく。
    「助ける余裕なんてないのよ」
     京香は膝立ち姿勢でライフルを連射。
     炎に巻かれた淫魔たちに銃撃を浴びせていく。
     弾丸に牽制される淫魔たちの中で、ジグザグな乱数軌道で接近をはかる淫魔が現われる。
     対応が早い。淫魔化が既に進行しきっているのだろうか。
     京香は眉ひとつ動かさずライフルを足下に置くと、隣に設置したマテリアルライフルへシフト。飛びかからんとした淫魔めがけて弾丸を発射。魔術光の線を描いて飛んだ弾が淫魔の顔面を中心とした1メートルエリアを破壊した。
    「もど、る、わかさ、が、いつ、までもォ……!」
     めきめきと肉体を修復させる淫魔。
     その瞬間には飛びかかっていた。
     槍を握り込み、修復したての腹めがけてスイング。
     側面へ割り込んできた淫魔の攻撃を槍のこじりで打ち払うと、構えを垂直に変えて高く飛び上がる。
     タイミングは同時だった。後方から突っ込んできたクリミネルが腕に電撃を纏わせ、淫魔を殴り倒す。
     反動を利用して肘を別の淫魔の腹へと叩き込んだ。
     肘は扇子を広げた淫魔によって止められる。が、その後ろに着地した紅鳥が足払いをかけ、バランスを崩した所に獣化したクリミネルの腕が改めて叩き込まれる。今度は修復が追いつかず、肉体が四方八方へばらばらに砕けた。
     バックスウェーで距離をとる仲間の淫魔。それを追いかけるようにジュンが走った。一度鯉江敬子を戦闘範囲外へ逃がしてからだ。
    「マジピュア・ウェイクアップ!」
     走りながら変身。生み出した布を円錐ドリル状に固め、淫魔めがけて解き放つ。
     閉じた扇子で右左へ打ち払う。が、その動作が命取りとなった。
     殺気を充満させて急接近する脇差。
     接近していた時には既に淫魔の手首を切り落としていた。
     慌てて爪を構える淫魔。
     だがその時には既に爪を水平に切り落としている。
     脇差がしっかりと両手持ちした刀を振り切っていたと気づいた時には全てが遅かったのである。
     ジュンが一拍遅れて接近。
     ロッドの先端を淫魔の胸元に押しつけると、噛みつくように叫んだ。
    「悪い夢が始まる前に、ここで終わらせます!」
     先端が爆発。
     それによって首が吹き飛ぶ、ということは無かった。
     なぜなら脇差が全く同時に刀を振り、淫魔の首を切り落としていたからだ。
    「短い、栄光だったな」
     瞬く間に二人の仲間がやられたことで、淫魔たちは焦っていた。
     扇子を開き、激しい竜巻を起こしにかかる。
     竜巻はジュンや脇差、クリミネルたちを吹き飛ばすに充分な風圧である。
     上空に舞う仲間を見上げて、柚季はポテトチップスの袋を引き裂くように開けた。
     口をあけ、舌を出してざらざらと口内に流し込む。
     そうしている間に、周囲の空間に耐性空間が発生。仲間たちを包み込んでいく。
     その恩恵にあずかったナハトムジークは軽やかに着地。
     落ちたところに追撃をかけようと飛びかかった淫魔の打撃を手首ごと蹴り上げることで防ぐと、手元に出現させた50センチ大の大きな十字架で殴りつける。
     手から完全に離れた扇子が回転し、ナハトムジークの手の中に落ちる。
     びらりと開き、ナハトムジークは肩をすくめた。
    「今度はどうする? 金持ちの男が無償で助けてくれるとか?」
    「そ、それを返――」
     手を伸ばした淫魔。その腕はハイキックによって消し飛んだ。
     肘から先を喪った淫魔が半狂乱になる中、ナハトムジークは流星のごとき踵落としで淫魔を粉砕した。
     持っていた扇子を投げ捨てる。
     残った淫魔は一人だ。
     そこへ挑みかかったのは知信だった。
     爪による斬撃をあえて受ける。
    「この痛みを忘れない。それが、僕なりの責任の取り方だ」
     拳を握り、エネルギーによって加熱させる。
     淫魔の顔面を殴りつけた。
     硬い頭蓋骨が更にオーラによって硬くなっているのだ。強化された知信の拳とてごきりと音を立てて砕け、血が吹き出た。
    「この痛みを忘れない」
     傷ついた拳を更に振り上げ、殴り抜く。
     砕けて散る淫魔。
     振り抜いた拳をそのままに、知信は瞑目した。
    「忘れない」

    ●捨てられた過去のために
     鯉江敬子は状況をうまく飲み込めないようだったが、柚季たちに礼を言って去った。
     残ったのは、漣と月光と荒れた砂浜だけである。
     爆散した淫魔の残骸も砂と海水に汚れた身体も、全て元通りになっている。
     空になった菓子袋を丸めてビニール袋に詰めると、柚季は周囲の様子をうかがった。
    「もう誰も居ないみたいですね。帰りましょうか」
    「……そうね」
     京香は胸元にあてていた手を握り、深く息を吐いた。
    「加賀。もうすぐ動くはず。必ず……」
    「何か言ったか」
     脇差が振り返ったが、京香はそれ以上何も言わずに砂浜を去って行く。
     無視されたことに少々傷ついたようだが、脇差は気を取り直して智信に声をかけた。
    「撤収だ。行くぞ」
    「うん」
     歯切れが悪そうだ。じっと見つめる脇差に、知信は苦笑した。
    「なんだか、その。この状況は僕らのせいなのかなって……サイキックリベレイターを使ったから、さ」
    「そんなワケないじゃない」
     ナハトムジークが会話に入ってきた。
    「遅かれ早かれこうなっていた。そのタイミングを早めただけだよ」
    「まあ、確かにな。なんというか……」
     服に残ったわずかな砂を落とす紅鳥。
     クリミネルも彼にちらりと顔を見られて難しい顔をした。
    「こうせんかったら、淫魔化事件じたい知らずに終わってたはずや。助かった人がひとりでもおるんは、ジブンらの成果やろ?」
    「そういうことに、なるのかな」
    「なりますよ」
     それまで黙って海を見つめていたジュンが声をあげた。
    「でも、予防のためにといって手をかけた事実は変わらない。私たちだって、人を傷付けるかもしれないって意味では同じなのに」
     聞こえていたのだろう。遠くで柚季が振り返った。
    「そんなの、全人類が同じでしょう?」
     武蔵坂学園が救おうとしているのは、人類だ。
     そして人類を救う戦いは、まだ始まったばかりだった。頬をかく紅鳥。
    「正しいと思うやり方をみつけたらいい。きっと、見つかるだろう」

    作者:空白革命 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年5月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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