綿津見に捧げる歌

    作者:立川司郎

     ざあざあと、夜の波音が闇の中から聞こえていた。
     白い砂浜を歩く足音が、波音に混じって幾つも響く。ぽつり、ぽつりと手にしたライトの明かりが、砂浜を照らしていた。
     静寂を破るのを怒れでもするかのように、彼らは小声で砂浜を歩き続けた。
    「……どのあたりなんだよ」
     一人の男性が、仲間に聞いた。
     先頭を歩いていた男が、手をあげて制止する。そしてゆっくりと、砂浜の端を指さした。
     海を照らす月光のあかり以外、闇の中には何も見えない。しかし、かすかに闇の中から何かの音が聞こえていた。
     ……音。
     いや、声。
     耳を澄ます青年達は、それが歌声だと気づいた。
    「ほら、居たじゃん!」
     思わず大きな声を上げて、先頭の青年が走り出す。慌てて残りがあとに続き、砂浜を走った。
     月夜の砂浜を走る数人の青年の行く先には、小さな鳥居とほこらがあった。
     いつも、海水浴客やサーファーには無視され続けている祠であったが、彼らはたまたま近くを通りがかった友人から、『女の歌声が聞こえる』と聞いてやってきたのだった。
     確かに聞こえてくる。
     柔らかく、そしてやや低めの艶やかな女性の声が。
     月に照らされた祠のそばに、ぽつりと明かりがともる。ろうそくの明かりがゆらゆらと照らす中、祠の階段には一人の女性が腰掛けていた。
     白い着物の肌着を身につけた女性が、長い黒髪を風に靡かせながら琵琶を奏でていた。
     びぃん、と美しく鳴り響く弦と、それに乗って流れる歌声。
     琵琶を奏でる女性のそばでは、同じように肌着姿で二人の女性が檜扇を手にして踊っていた。
     ああ、天岩戸を開いた女神の踊りというのは、このようなものだったのだろうか。
     うっとりと青年達は、彼女達の舞や歌に見ほれた。
     ろうそくの明かりが映し出す肢体は、得も言われぬ美しさ。ほうっとため息をついた青年の目はどんよりと淀んでいた。
     
     日暮れの校舎から伸びる影を、隼人は窓辺からじっと見ていた。
     灼滅者達が集まってくると、ちらりと顔を上げて椅子に腰掛ける。日が長くなったな……とつぶやきながら、隼人は話しをはじめた。
    「さっそくだが、サイキック・リベレイターを使った事で大淫魔サイレーンの力が活性化している事が分かった。その事件の一端として、鹿児島にある海水浴場でサイレーンの配下の活動が確認された」
     隼人の話によると、砂浜に配下が現れて周囲の一般市民を半魚人のような姿に変えているという。
     サイレーンの配下は3名である。
    「一人は琵琶を鳴らして歌い、二人は踊っている。十人ほどの男がそれを見ているが、放っておけばいずれ半魚人にされちまう」
     すぐに駆けつければ、彼らはまだ半魚人に変化はしてないはずだ。
     だが、配下を阻止しようと戦闘を始めれば、彼らは半魚人と化して3名を守ろうとする。
     半魚人になれば、もう配下を倒しても一般人に戻る事はできないだろうと隼人は説明した。
     ただし。
     隼人はこう切り出す。
    「おまえ達が淫魔より勝る歌や踊りができるというなら、そのうちの何人かはこちらに引き戻せるかもしれねェ」
     相手は魅了する事に長けた、淫魔である。彼らに勝つのは容易ではないかもしれないが、集まった一般人達の心をつかむ歌踊が出来れば、人外のモノになる犠牲者を減らせるはず。
     淫魔達のうち、琵琶を使う女性は歌声で仲間を癒し、残り二名はこちらを誘惑しようと舞い踊る。
     問題なのは、半魚人にされた一般人である。
    「半魚人にされた連中は、必死で淫魔を守るために戦いを挑んでくる。戦闘力は高くねェが、奴らはすっかり相手に魅了されちまってるからやっかいだ」
     彼らを半魚人にさせないためには、どう対抗すればいいだろう。
     思い悩む灼滅者達に、隼人が言った。
    「……この祠は海神の祠だ。まぁ、荒れ狂う綿津見をなだめるために、乙女が歌いながら身を投げて捧げたってェ話が残ってる。だから、夜になるとこの綿津見の嫁の歌声が聞こえるんだという怪談話があってだな」
     ここに集まっている青年達は、その綿津見の嫁の歌声が聞きたくてやってきたのであろうと隼人は言う。
     実際にそこに居たのは、艶めかしい淫魔であったが。
     彼らを連れ戻すのは容易ではないが、これ以上の淫魔の活動は阻止しなければならない。


    参加者
    狐雅原・あきら(アポリアの贖罪者・d00502)
    無道・律(タナトスの鋏・d01795)
    一橋・聖(空っぽの仮面・d02156)
    西明・叡(石蕗之媛・d08775)
    丹下・小次郎(神算鬼謀のうっかり軍師・d15614)
    九葉・紫廉(稲妻の切っ先・d16186)
    フェリス・ジンネマン(リベルタカントゥス・d20066)
    山田・霞(オッサン系マッチョファイター・d25173)

    ■リプレイ

     押し寄せる波音は、竹林のざわめきにも似ていた。
     ちらりと足下を照らす明かりは、狐雅原・あきら(アポリアの贖罪者・d00502)が手にした楽器ケースから漏れている。ペンライトを楽器ケースに忍ばせたあきらは、照らされた砂浜をじっと見下ろした。
     幾つもの足跡が、そこに残されている。
    「もう集まっているようデスネ」
     あきらが目を細め、足跡の行く先を視線でたどっていく。波打ち際に沿うように続いた足跡は、月明かりに照らされて微かに見えていた。
     後ろを確認するように霞が振り返り、するりと仲間の最後尾に回った。
    「ほかには居ないようだね」
    「我々が最後の観客であり演奏者という訳ですか」
     丹下・小次郎(神算鬼謀のうっかり軍師・d15614)が山田・霞(オッサン系マッチョファイター・d25173)に応える。
     連れだって歩く仲間は皆、どこか楽しげであった。そんな仲間とともに歩く小次郎もまた、心にゆとりがある。
     この舞台は楽しんでこそいっそう効果があるというもの、それは演奏者を支える小次郎もまたそうなのだ。
    「小次郎先輩、よろしくお願いしますです」
     フェリス・ジンネマン(リベルタカントゥス・d20066)がふと振り返り、ほほえむ。
     頷く小次郎は、フェリスの落ち着いた様子を表情に見て取った。フェリスの側には九葉・紫廉(稲妻の切っ先・d16186)が沿い、演目について話している。
     フェリスと紫廉。
     そしてあきらはストリートライブを。一橋・聖(空っぽの仮面・d02156)はビハインドのソウル・ペテルとともにダンスを披露する。
     西明・叡(石蕗之媛・d08775)は着物姿であった。
     無道・律(タナトスの鋏・d01795)は彼らの演奏を担当する。
    「西明さんは、演奏どうしたらいいかな?」
     律がハーモニカを見せながら聞いた。裾を抱えて静々と歩く叡は、そうねぇ、と答えながら思案した。
     あきら達は自分で演奏について考えていたし、フェリスは紫廉の演奏で歌う。
    「ワタシは演奏がなくても大丈夫だけど、ライトは丹下にお願いしようかしら」
     楽しみね、と叡はくすりと笑う。
     ああ、見えてきたわと叡が指さす先には、ほのかな明かりがあった。明かりに照らされた小さな社の側には、白い肌着を身につけた女性が居る。
     体に響く弦の音色と、ぞくりと体が震えるほどの歌声が流れる。白い足を裾から覗かせ、女性は琵琶を奏でていた。
     檜扇を手にして踊る二人の女性は、胸元がはだけている。
     ひらひらと、二羽の蝶のように舞い踊る二人。
    「天岩戸……ね」
     叡がつぶやくと、あきらが駆けだした。
     踊りに見とれている青年達の視線を一身に集めるように、その空気をすべて塗り替えてしまうように、あきらが飛び込む。
     楽器ケースを砂浜にどさりと置くと、あきらは顔をまっすぐに女性達に向けた。踊り手は手を休める事がなかったが、琵琶の女はちらりと視線を返す。
    「何の用かえ?」
    「ライブと聞いては黙っていられマセン!」
     あきらの乱入で、周囲の青年達が怪訝な様子でこちらを見返す。律は敵対行動ではないと示すために、落ち着いた様子で返事を返した。
    「岩礁から美しい歌声と舞で人々を惑わす。……まさしく天女かセイレーネスかという感じだね」
    「ならば何なのじゃ。…もしや、邪魔立てでもしようというか」
     弦をびいんと鳴らし、女が唇を半円にしてわらう。
     鳴り響く弦の音色の側で、素肌を晒して舞い踊る二羽の蝶はくすくすと笑い声をたて、檜扇を繰る。
     唇を噛んで、律が首を振る。
    「あなた方が人々を魅了しようというなら、我らもそれに抗ってみせよう」
     そは、夜闇の中に繰り広げられた舞台の一幕のように。小次郎は、言葉の一つ一つを胸にしまい込みながら明かりを取りだした。
     花火や、色とりどりのライト。
     ああ、お社の側に輝く蝋燭の明かりもとても美しいですね。小次郎は、この海辺に輝くすべての明かりを目に刻み込み、支度を始めた。
    「幕は既に上がっているようです」
     そう言うと、小次郎は少し後ろに下がった。
     音色を奏でて歌声をあげるあきらは、よく通る声であった。いつものストリートライブ同様に、あきらは腹の底から歌い、空気に歌を乗せる。
     律もあきらののりの良い歌に乗せられ、ハーモニカを合わせる。
     祖父譲りのハーモニカは優しい音色で、あきらの歌と楽器にもすんなりと混じり合った。いっそうアップテンポに、楽しく。
     -……歌を聴こう-
     律はあきらの歌に耳を澄まし、歌声に集中する。
     なるべく、淫魔達の声を聞かずにあきらとのセッションに集中出来るようにと。そんな律の空気を感じ取ったのか、聖がソウル・ペテルとともに体を動かし始める。
    「もっとグイグイ行こう! あきらちゃん!」
     空気を吹き飛ばしてしまう位、騒がしくポップでアップな曲を。あきらが笑顔と音色で応えると、聖はペテルと二人で踊り始めた。
     マーメイドドレスの裾を翻し、ペテルと絶妙なコンビネーションを披露する。
     ノリのいい曲と空気に、ぽつり、ぽつりと青年達の視線がこちらに向く。
    「…いいじゃん」
     楽しそうな彼らのライブに魅せられた青年が、表情を取り戻していく。
     さっと霞が邪魔にならぬように後ろから回り込み、腕を引く。
    「正気に戻ったなら、この場を離れてくれ。……悪い事は言わない、ここに居ると君たちの身に危険が生じる」
     霞が低い声でそう脅すと、青年達はびくりと肩をすくめた。
     霞の威勢もあり、転がるように逃げていく。
     残りは8人。
     小次郎は鮮やかな色のライトから、柔らかな灯火に戻す。ちょうど社の側にあった明かりが、こちらまで届いていた。
     足下にランタンを置くと、ゆらゆらと火が揺れて叡を照らした。
    「藤娘は藤の精が語る恋心…しっとりと舞台を作らせていただきましょう」
     小次郎は小さく呟くと、叡に合わせて明かりを照らした。明かりに影を作り、照らして叡にうまくスポットを当てる小次郎。
     衣装もメイクもしっかり準備を整えてきた叡は、小次郎の演出に感謝しながら舞に専念する。
     女の艶なら、叡とて負けては居ない。
     淫魔に惹かれる彼らに、拗ねて魅せる藤の精が訴え掛ける。
     -……美女が好きなら、美女んなってあげるわよ…-
     叡は足場の悪い砂浜を物ともせずに、舞い踊る。
     琵琶の音色と、叡の舞と、淫魔の舞とが交差する。負ける訳にはいかない…これだけは。
     叡の舞が終わる頃、観客は残り6名ほどになっていた。
     ぽつりと浮かんだ月を見上げ、叡は息をつく。淫魔たちは鋭い視線でこちらをにらみつけていた。
     連れて行くはずの配下達が、ぽつりぽつりと姿を消していくのだから心穏やかではあるまい、と叡は薄く笑う。
    「一度受けた勝負なんだから、最後まで受けていただくわよ」
     叡はそう言うと、最後の演者にバトンタッチをした。
    「準備はいいか?」
     紫廉がフェリスの様子をうかがう。
     うなずきながら応えるフェリス。
     そっと岩場にもたれかかり、フェリスは月を見上げる。青白い月が海に白い光の道筋を作っていた。
     祈る心は、場所が違えど同じはずである。
    「お兄ちゃん、お願いしますです」
     フェリスは紫廉と視線を合わすと、息を吸い込んだ。紫廉のギターがぽんと響くと、フェリスがそれに合わせて声をあげる。
     古き島で継いできた歌を。
     尊き旋律を。
     古くから歌い継いだ旋律の力を。
     -…絆は、力になりますです…-
     幻想的な月の照らす海に響く、澄んだフェリスの歌声が彼らの心を呼び覚ます。聖はテレパスで彼らの心を探り、3人ほど魅了されたままであるのを悟った。
    「全員連れて帰りたかったけど…ううん、アタシたちは出来るだけの事をしたんだ」
     あとは、淫魔達を一人もここから帰さない事。
     意を決すると、聖はフェリスの歌に耳を傾けた。彼女の歌を、最後まで聞いていたいから。

     祈りの声が終わるのと同時に、舞い踊っていた淫魔が檜扇を放った。風を切る檜扇を、紫廉がギターを構えて弾く。
    「下がれ!」
     紫廉の声がフェリスにかかる。
     ぼんやりと歌を聴いていた三名は、淫魔が攻撃に転じるとぶるぶると体を震わせ始めた。その体が、見る間に変化していく。
     正気を失ったまま、彼らの体は半漁人へと変化し……心も失われていった。
     雄叫びを上げて、灼滅者達に襲いかかる半漁人。紫廉とフェリスを守るように、紫廉の側に停止していたキャリバーが飛び出した。
     戦闘態勢を取る淫魔達と同時に、灼滅者達もそれを逃がすまいと動く。
    「菊、信頼してるわ」
     そっと手を撫でて叡は霊犬の菊を前へと送り出すと、リングスラッシャーを構える。
     白金に輝く輪を構える叡の姿は、藤娘から一変した。ふ、と笑った叡は、リングスラッシャーを放つ。
     輪は弧を描くと、檜扇を切り落とした。
    「『絶対に離れない』ってね……逃げられるなんて思わない事よ!」
     叡の言葉の意味が藤の花言葉であると察した小次郎は、なるほどと感嘆する。見事に檜扇を切り落とした叡を邪魔する事なく、あの淫魔に仕留めたい所。
     小次郎はそれでは、と蝋燭の明かりを手に取り語り出す。
    「それでは、恋いにまつわるお話でも、語らせて頂きましょうか」
     戦いの中、小次郎はおどろおどろしい物語を語り出す。一斉に攻撃が始まり、半漁人達が淫魔を守るように飛び出した。
     小次郎は彼らの動きをかわしながら、語る。
     海辺のあやかしに魅せられたモノの、なんと恐ろしげな姿である事か。かわした半漁人に一撃、拳をたたき込むと小次郎は『失礼しました』と言葉を返した。
     ふらりつきながら、半漁人は小次郎に腕を伸ばす。
    「させるか!」
     その体に、霞の拳が食い込む。
     振り上げられた拳に押されて後退した半漁人へ、さらに霞の打撃が地面にたたき伏せた。
     ぐるりと霞が見回すと、残り2体がソウル・ペテルと霊犬二頭に引き留められている。
     菊は攻撃よりも仲間の傷を伺っており、リオは果敢にも半漁人に切り込んで足止めをしようとしていた。
    「……来るぞ!」
     後方から淫魔の動きを見ていた紫廉の声で、律が顔を上げる。
     檜扇を構えた二人の淫魔が、左右に展開しながら檜扇で空を切る。
     菊とリオの合間をするりと抜け、舞うように彼女達は叡たちの元へと踏み込むと檜扇を一閃させた。
     とっさに紫廉は、カゲロウの影にフェリスを押し込む。
     紫廉の腕に痛みが走るが、叡の前には律が立ちふさがっていた。手の内に握られたベルトが、間一髪で檜扇の攻撃から叡を守っている。
    「すべてのパフォーマンスが終わるまで待ってもらえた事には、感謝しているよ」
     だけど、彼らを半漁人にしてしまった事は許す訳にはいかない。
     律は、そう言いながらベルトを放射状に放った。鞭のように伸びるベルトが半漁人の足に絡みつき、引きずり倒す。
     彼らが魅了されるだけの事はあった。
     彼女達は戦いながらも、美しく舞う。
    「楽しんでいるんだね、分かるよ」
     聖はそう言いながら、檜扇の攻撃を受け止めているペテルの背後から弾丸を撃ち込み続けていた。
     淫魔が見切る前に、すかさずラブ・トラフィックサインを構えて叩き下ろす。
     相手が動き出す前に、滅多打ちにして封じるつもりである。
     ……まだ、体にリズムが残っているようだ。聖はテンポよく攻撃を繰り出していった。彼女を見ていた、律は『楽しむ』という意味が分かった気がした。
     淫魔もまた、淫魔なりにこのライブを楽しんでいるのだ。
    「動いちゃ……ダメだからね!」
     聖のラブ・トラフィックサインが淫魔をたたき伏せると、淫魔は息を荒くはき出した。震える足はリズムを刻んでは居ない。
     つ、と聖が視線を上げると、あきらが槍で半漁人を貫いていた。ずるりと引き抜くと、地面に半漁人が倒れ伏す。
     一人はあきらの槍が。残りはカゲロウの掃射とリオ斬魔刀で斬り裂かれて居る。
     琵琶をかき鳴らしながら、くつくつと女は笑う。
    「……なるほど、楽しませてくれる」
    「まだまだだよ…拡散焼夷弾っ、燃え尽きろ!」
     あきらがガトリングガンを構えると地面に倒れていた淫魔めがけて一斉掃射した。たたき込まれる弾が、檜扇ごと女を引き裂いていく。
     さらにあきらとコンボで、弾丸を撃ち込んで淫魔の動きを止める聖。
     もう一人の檜扇が飛び出すが、合流はソウル・ペテルが阻止した。強行するように檜扇で切り込む淫魔の攻撃、阻止しようとしたペテルの耳に琵琶の音色が響く。
     びぃんと振動する琵琶の音。
     流れる淫魔の歌声が、ペテルの体を震わせる。
    「ペテっちゃん……!」
     聖の声が、届いていないのか?
     檜扇の女はふ、と笑ってあきらを斬り裂いた。
     淫魔の歌声が、周囲に響き渡る。パフォーマンスを仕掛けた時よりもはっきりと耳に残り、心に焼き付く。
     霞が檜扇をつかむが、その腕がそれ以上女に叩き込まれる事はなかった。
    「こちらの仲間の方が……ずっといい演奏だった」
     霞がそう低い声で言い、ふと笑う。
     相手の歌にとらえられてはいるが、心までは捕らえられてはいないつもりだ。それを聞いた紫廉が、フェリスに視線を送る。
    「フェリ、やるぞ!」
     兄の言いたいことを受け取り、こくりとフェリスが頷く。
     二人で、みんなを支える歌を。
     力強い旋律で仲間を鼓舞する紫廉に合わせ、フェリスは優しく仲間を励ますように歌をうたう。
     戦っているのは、みんな一つだから。
     相手が歌で魅了するなら、フェリス達も歌で戦おう。
    「…言ったとおりだったろう?」
     霞はそう言うと、拳を振り上げた。
     その腕に迷いはなく、淫魔をたたきのめす。人々をヒトならぬモノへと引きずり込んだ淫魔は、檜扇ごと崩れ落ちた。
     声をあげようとした琵琶の女の喉元を、叡のリングがかすめて戻る。淫の手に戻ったリングは、月光を反射して白く輝いた。
    「アンタ達の歌は、ひとの歌じゃない。……死者の歌って事ね」
     その境界は、深くて大きい。
     もし自分達の歌が彼女達の歌に劣っていたら、ここにはもっと多くの『観客』が居て、叡達を邪魔していただろう。
     小次郎の槍が琵琶の女を貫くと、続けてあきらの槍が交差して貫く。女はにやりと笑ってこちらを見た。
    「死者の歌……甘美で美しい音色だったろう?」
    「……」
     律は、その言葉に無言を貫いた。
     標識に青い色が点ったのは、律の心を写した……という訳ではないだろう。無言で標識から光線を放った律。
     女の手はが弦をならす事がなかったのは、聖が弾丸を放ったからであった。彼女の耳には、紫廉の旋律とフェリスの歌が聞こえていた事だろう。
     小次郎はフェリスを振り返ってにこりと笑った。
    「歌劇とは、かくあるべきかと存じます」
     小次郎はそう言うと、琵琶ごと女を打ち砕いた。
     ふう、と風で社の火が消える。
    「ここが、アンタ達とアタシと、人との……境目、さ」
     ぽつりと言った叡の言葉の後、淫魔達は完全にかき消えた。

     ざあざあと海の波音の中に、琵琶の音色が消える。

    作者:立川司郎 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年5月25日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ