凋落者を呼ぶ声

    作者:草薙戒音

     ざくざく。ざくざく。
     海開きはまだまだ先――波の音が響く静かな夜の砂浜に、砂を踏みしめ歩く音が響く。
     ふらふらと……何かに引かれるように。くたびれた様子の三人の男女が、波打ち際へと歩いていく。
    「サイレーンさま……」
    「あいつ等が、憎い……どうか、どうか私に力を」
    「あの頃の輝きを私にもう一度! お願いです! サイレーン様!!」
     自身の美しさを取り戻し、自身を切り捨てた者への復讐を――。
     三者三様、かつての美の復活と周囲への呪詛を口にして、彼らは海へと入る。
     波が膝上を洗うようになったところで三人はふと立ち止まり、そのまま一心不乱に祈り始めた。
     祈り始めてどれくらいの時間が経ったのだろうか。不意に海がピンク色に光った。
     祈りを捧げる三人の姿に変化が起こったのはその直後のこと。
     白いものが混じり薄くなった髪は艶やかで豊かな黒髪に。
     しわくちゃでシミの出た肌はみずみずしくシミ一つない肌に。
     年齢を重ねすっかり衰えた容姿は、若い頃以上に美しく――。
    「ああ……」
     それは誰の呟きだったのか。
     若さと美貌を手に入れた彼らが妖艶な笑みを浮かべる。
     人ではない、三人の淫魔がそこにいた。
     
    「大淫魔サイレーンの力が活性化しているようだ」
     一之瀬・巽(大学生エクスブレイン・dn0038)が切り出した。
     原因は先日射出された『サイキック・リベレイター』。その影響で、一般人が海に呼び集められて闇堕ちするという事件が発生するのだという。
    「呼び寄せられるのはもともと美人だったりハンサムだったりで、若い頃はかなり好き勝手をし良い思いもしていた人間たちらしい」
     その美しさを利用してあまり宜しくない行為を重ねた挙句、周囲に見放されたり切り捨てられたり。
    「ようはまあ、自業自得で寂しい思いや辛い思いをしてる連中なんだが淫魔になって美貌を手に入れようと考えているみたいだ」
     昔の栄光をもう一度、というやつだろうか。
    「闇堕ちする直前に現場に到着することは可能だ。ただし、防御本能なのか攻撃はもちろんESPでも何らかの干渉をした瞬間に闇堕ちしてしまうから闇堕ち前に攻撃を仕掛けるってことは無理っぽい」
     そこまで話すと、巽は一枚の紙を差し出した。
    「今回呼び寄せられる人間は三人。これは彼らの簡単なプロフィールだ」
     一人目は「川原」という60代の女性。若い頃に結婚し子ももうけたが、幾度も浮気し育児すらまともにしなかった。親族には疎遠にされ祖母に育てられた子供たちからは見放され、昔気質で「離婚だけは」と我慢していた夫からも三下り半を突きつけられた。容姿も衰えた今では相手をする男もおらず、苦しい生活を送っている。
     二人目は「佐々木」という40代の男性。その容姿を武器にある女性のヒモのような生活を送っていたが、二股三股は当たり前、おまけに預金を勝手に使い込み最終的にはその女性から詐欺罪で訴えられた。辛うじて実刑は免れたものの損害賠償で訴えられ金も尽き、男の実状を知った他の女性も潮が引くように去っていった。
     三人目は「泉川」という40代の女性。彼女は元売れっ子のホステスで、多くの男たちに金品を貢がせていたらしい。破産寸前まで貢がせても相手の家庭が崩壊しても一切気にせず、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに男を切り捨てるやり方に眉を顰める者も多く、自慢の美貌が衰えた今ではすっかり孤立し周囲の鼻つまみ者になっている。
    「戦いになれば、彼らは皆サウンドソルジャーと同じような力を使って攻撃してくる」
     他にも女性二人は『契約の指輪』の力を、男性は『バトルオーラ』の力を使うらしい。
    「闇堕ちする前、戦闘が始まるか海が光りだす前ならば一応説得は可能だ。上手くすれば闇堕ちをさせずに済むかもしれない……けど」
     彼らのもともとの性格が性格だ。サイレーンの呼び声に抗い説得を受け入れる可能性は高いとはいえない、と巽は続けた。
    「可能性に賭けるか否かの判断は皆に任せる。皆が思う最善を尽くしてくれ」


    参加者
    有馬・臣(ディスカバリー・d10326)
    天束・織姫(星空幻想・d20049)
    牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)
    ロスト・エンド(青碧のディスペア・d32868)
    新堂・柚葉(深緑の魔法つかい・d33727)
     

    ■リプレイ


     星の瞬く空に流れる薄雲。西の空に浮かぶ九夜月の淡い光が、砂浜を優しく照らす。
     砂を蹴り先を急げば、風に乗って聞こえてくる人間の声。
     潮騒に混じるそれは近づくほどに大きく、はっきりと――。
    「サイレーン様、どうかもう一度私に若さを!」
    「あいつらを見返してやりたいのです!」
    「私だって、若い頃は……あの頃に戻りさえすれば……」
     願望とも執着とも取れる言葉の数々。声の主である老齢に差し掛かった男女は近づく灼滅者にも気付かぬままざぶざぶと海の中へと入っていく。
    「待ってください!」
     膝上まで海に浸かり祈りを捧げ始めた彼らに向かって、天束・織姫(星空幻想・d20049)が叫んだ。
     掛けられた声に驚いたような顔をして、三人の男女が振り返る。事前の説明では六十代と四十代の男女だと伝えられていたが、彼らは皆年齢より老いて見えた。
    「皆さんには『声』が聞こえているのでしょう?」
     半歩ほど歩を進め、新堂・柚葉(深緑の魔法つかい・d33727)が声を掛ける。
    「それ以上その声に従っては、もう後戻りはできませんよ」
    「はあ? 何を言ってるの? サイレーン様は私を若返らせてくれるのよ? 私にもう一度人生をやり直させてくれるの!」
     三人の中でも特に年老いた女が答える。他人の言葉など聞く気がないと言わんばかりの態度だったが、柚葉はさして気に止めなかった。もともとそういう人間なのだということは理解している。それなのに声を掛けた理由は『いきなり殴りかかるのもどうか』と良心が咎めたからだ。
    「努力もなしで最後は神頼みですか? 楽なことばかりしたって褒めてはもらえませんよ?」
    「声に従って若返るのではなくて、今から生き方を変えてみませんか?」
     織姫と柚葉が言葉を紡ぐ。
    「なんでわざわざそんなことをしなければいけない? サイレーン様が俺たちの願いを叶えてくれるのに」
     今度は男が答えた。
    「タダより怖いものはないとも言います。そのサイレーン様だってあなた達を騙しているのかもしれませんよ?」
     小首を傾げながら織姫が呟く。織姫もまた彼らが善人でないことはわかっていた。だからと言って、見殺しにはしたくなかった――性格も所業も最悪だが彼らはまだ『人』であったから。
    「弱みに付け込まれるかもしれないし、連帯保証人にでもされてしまうかもしれませんね」
     織姫がさり気なく付け加えた言葉に、それまで黙ってこちらを睨んでいた女がはっとしたように目を見張る。
    「それは……私が、今までしてきた……」
     おそらく「泉川」だろう、彼女は胸に手を当て震え始める。ひどくショックを受けたような彼女の顔を見て、ロスト・エンド(青碧のディスペア・d32868)は内心でおや、と思った。
    (「正直、救いようがないと思っていたんだが……」)
     これまでの自分の所業を省みたのか、もしかして良心の呵責というものが僅かながらにでも残っていたのだろうか、などと少しだけ思い直そうとした瞬間。
    「この私が弱みを握られる? あいつらみたいに借金背負わされてボロボロにされて? そんなの許せるはずないじゃない!」
     ヒステリックな女の叫び声が響き、ロストは思い切り顔を顰めた。前言撤回、やっぱりサナダムシはサナダムシだ。
     泉川の反応に一瞬ポカンとした織姫だったが、すぐさま気を取り直し「ならば」と彼女に避難を勧めた。
    「今すぐここから離れてください」
    「そうですね。すぐこの場を離れるべきです。『サイレーン様』とやらに捕まったらもう逃げられなくなる」
     有馬・臣(ディスカバリー・d10326)も内心を覆い隠し、笑みを浮かべながら言葉を重ねる。
    「呼ばれて一度は応じておいて『やっぱやめた』なんて、相手を怒らせかねないんじゃないッスか? 急いで逃げるべきだと思うけど」
     やる気なさげに風に靡く黒髪を弄りながらも二人の言葉に同意してみせる牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)。
    「そうよ……あんなのゴメンだわ」
     他人をどれだけ酷い目にあわせてきたのだろうか、泉川は海から上がると足早にその場から去っていった……ただ、『自分が酷い目にあいたくない』という一心で。
     その後姿をチラリと見遣り、麻耶がはあ、と大きなため息を吐く。
    「お二人はどうしますか? サイレーン様に騙されても知りませんよ?」
     海に浸かったままの男女二人に、柚葉が再度声を掛ける。
    「知ったことか。昔に戻っちまえばこっちのもんなんだよ!」
    「サイレーン様は騙したりなんかしないわよ!」
     それぞれがそれぞれに拒絶の言葉を口にする。その直後、海面がふ、と淡く輝いた。
     ピンクに輝く海が男女を照らす。
    「時間切れ、ですね」
     赤縁の眼鏡に手をやりながら、臣が呟く。
    「だな」
     短く同意して、ロストが殺界形成を展開する。
     その直後、ピンクに光る海から二体の淫魔が姿を現した。


     二体の淫魔が笑う。
     彼らの顔には確かに二人が『人』であったころの面影が残っていた。若く、見目麗しい文句なしの美貌。確かにこの姿なら、多くの人間を篭絡することができるだろう。
     しかし、それは事情を知らぬ一般人に限ったこと。この場にいるのはただの一般人などではない、灼滅者なのだ。
    「あーあ、あれが最後のチャンスだったのに」
     醒めた目で淫魔を見遣る麻耶。彼らは淫魔、敵となった。ならば容赦はしない。
     麻耶の体に巻かれたダイダロスベルトが『川原』だった女の淫魔に襲い掛かる。意思持つ帯は淫魔が帯を避けようと翳した掌を貫き、止まった。
    「痛い!」
     淫魔が叫ぶ。女性らしい、綺麗な声だった。
    (「サイレーンの誘いがよほど魅力的だったのでしょうね」)
     驚くでもなく、責めるでもなく。穏やかな表情のまま、臣は己の足元の影を伸ばす。鋭い刃と化した黒い影が川原の身を裂き、その白い肌が露になる。
    「痛いって言ってるでしょ!? しかも服を破くなんて酷い!」
    「それは失礼を」
     淫魔の言葉をさらりと流す臣。
    「残念ですが、仕方ありませんね」
     救えるものなら救いたかったのですが――小さく息を吐いて、織姫は手にした交通標識を掲げた。標識が黄色標識へと変形し、織姫自身を含む前衛に耐性を与える。
     更にふわふわと宙を飛ぶ麻耶のウイングキャット『ヨタロウ』の尻尾のリングが光り、淫魔たちの攻撃に対する備えが重なっていく。
    「何だ、女しか攻撃できないのか」
     男の淫魔――『佐々木』が呟いた。挑発を含んだ声音にもかかわらず、耳に心地よく響くのはさすが淫魔というところか。
    「そういうのはあんまり感心しない、な!」
     言うなり臣との距離を一気に詰める佐々木。その拳にオーラが集まっているのに気付き、臣は咄嗟に両腕を体の前で交差させる。繰り出される凄まじい拳の連打、受けた腕が嫌な軋み音をあげ、臣が一瞬顔を歪めた。
     佐々木が臣から放れた瞬間、間髪入れずに川原の指から発射される魔法弾。
    『ミギャウ!』
     ヨタロウの悲鳴があたりに響く。臣の目前で、川原の弾を受けたヨタロウが、ふらふらと体を揺らしていた。思わずそちらに視線を向けた麻耶や織姫に向けて、柚葉が声を掛ける。
    「大丈夫です」
     僅かに目を伏せ、柚葉は言葉を紡ぎ始める。
    「癒しの言の葉を、あなたに……」
     七不思議にまつわる、心温まる優しい話に乗せられた癒しの力が、仲間の体を癒し浄化していく。ヨタロウもまた、灼滅者を守るべくしっかりと飛び始めた。
    「何が『感心しない』だ。散々女性を弄んだくせに」
     ロストが毒づく。
    「大体、貴様らはもう人じゃない。そもそも――」
     しゅる、とロストから伸びたダイダロスベルトが川原の肩を貫く。
    「自分の生んだ子供すら育てず、本能のままに男を漁ったお前は猿以下だ」
     ロストは淫魔たちに対する侮蔑を隠しもしない。因果応報、自業自得。逃げた女も同じだ……目の前の連中は人であることすら捨ててまで過去にしがみつこうとしたのだから、本当に救いがない。
    「こんな連中は遅かれ早かれ似たようなことになってたでしょうよ」
     嫌悪すら浮かべず、麻耶はただ淡々と言葉を紡ぐ。タン、と軽く砂を蹴り、彼女は川原の懐に飛び込んだ。突き出す魔槍に捻りを加え、女淫魔の体を穿つ。
     何を言われようが、灼滅者たちの方針は変わらない。面倒な攻撃をしてくる相手から、確実に倒していくだけだ。


    「ギャア!!」
     何度目の攻撃だっただろうか。織姫が振るう白光を放つ破邪の聖剣の強烈な斬撃を受けて、川原が悲鳴を上げた。苦悶の表情を浮かべ、耐え切れぬとばかりに砂浜に片膝を突く川原。
     歌で傷を癒そう彼女が口を開いた瞬間、ロストが放った冷気のつららがその胸を貫いた。
    「!!!」
     大きく見開かれる川原の瞳。刺さったつららを中心に凍っていく体……けれどそれが彼女の全身を覆うことはなかった。
     何かに手を伸ばそうとして、川原が砂浜へと崩れ落ちる。彼女はそのまま動かなくなり、その輪郭を淡くしていった。
    「さて、後は貴様だけだ」
     得物を構え、ロストが告げる。
     佐々木は一瞬怯んだ様子をみせたものの、状況を打開すべく神秘的な歌声で歌い始めた。低く艶やかな歌声が前衛を務める灼滅者の身を苛み、その精神を惑わせる――が。
     織姫やヨタロウの備えや柚葉が言霊を使い振りまく浄化の力。諸々の対策が功を奏し、灼滅者たちはすぐさま正気を取り戻す。
    「助かります」
    「任せてください」
     柔らかな声音で言い置いて天星弓に弓を番える臣に、柚葉がふんわりと笑って答える。
     臣が放った矢は彗星のような威力を秘め、佐々木目掛けて飛んでいく。狙い違わず彼の体を貫いた矢は、男の身にかかっていた強化を打ち消した。
     忌々しげな視線を向ける佐々木に、臣が告げる。
    「逃げられても困りますからね。ここで灼滅させていただきます」
     夜の海に響く淫魔の歌。時折混じる、オーラの収束。佐々木はなんとか灼滅者に対抗しようとする。
     しかし、それも長くは持たなかった。傷を癒そうとするそばから新たな傷が増えていくのだ。ならばと攻撃に切り替えても、十分な手当てを受けた灼滅者相手にはほとんど効果がない。
     余裕ができた柚葉が手にした魔導書を開く。
    「大いなる魔力よ、いまここに集え!」
     佐々木に向けて翳される手――それに呼応するかのように魔導書から放たれた光線が、佐々木のわき腹を貫いた。
    「ちくしょうちくしょうちくしょう……」
     佐々木の口から漏れるのは、憎悪に満ちた怒りの言葉。痛みからか怒りからか、息を呑むほど整った顔をこれ以上ないほど歪めて灼滅者たちを睨みつける。
    (「本当に、残念です。どんな悪人でも『人』であってくれたなら、自分たちが裁く必要はなかったのに」)
     諦めとも憐憫ともとれるようななんともいえない表情で、織姫は影を操る。伸びた影はそのまま佐々木を飲み込み、彼が見たくないと願う現実をトラウマとして突きつけた。
    「畜生!!!」
     砂浜に四つんばいになり絶叫する佐々木の前に、麻耶が立つ。
    「こうなったのは自業自得ッスよね? とっとと灼滅してください」
     微かな音を立てて伸びたダイダロスベルトが、佐々木の喉下に突き刺さった。
     ビクッと痙攣した彼の体が横倒しになる。音を立てて砂生に倒れこんだ佐々木の体もまた、溶けるように消えていく――。


    「リベレイターをぶっ放したのが原因なんスよねぇ……」
     佐々木が倒れていた場所を見遣り、麻耶が呟いた。
    「欲と金に溺れた結果の末路、か……」
     微かに目を細め、ロストが軽く首を振る。
    「本当に薄汚れているのはダークネスじゃなくて、人の心の本質なのかもしれないね」
    「逃げた方が少しは改心してくれればいいんですが」
     ほう、と息を吐く織姫に、臣が答える。
    「そうなってくれればいいんですけどね」
     去り際の台詞云々を考えれば望み薄だろうが、せっかく闇堕ちから逃れられたのだから少しはマシにと願わずにはいられない。
    「でもなんだか不思議な状況ですね」
     首を傾げる柚葉。
    「私はてっきり、淫魔がやってくるのだと思っていました」
    「まあ、倒さなければサイレーンの配下が増えることにはなったでしょうね」
    「先手を打てた、と考えればいいんでしょうか」
     言葉を交わす柚葉と臣にちらりと視線を送り、麻耶がやる気なさげに伸びをする。
    (「ま、どーでも良いけど」)
     敵なら倒す、倒して勝つ。それでいいじゃないか。そんなことを考えながら、欠伸を一つ。

     戦いが終わった浜辺に、静寂が戻る。
     寄せては返す波の音――月は、西の空に沈もうとしていた。

    作者:草薙戒音 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年5月21日
    難度:普通
    参加:5人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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