ネレイデスは夜に抱かれる

    作者:中川沙智

    ●夜に辿る
    「もし私が死んだら、一緒に死んでくれる?」
     小さな小さな港町。
     人の気配がほぼ感じられない公民館で、少女と少年が手を繋ぐ。指先で辿る手の輪郭に、知らず薄い微笑みが零れていく。少女は細い肢体をノースリーブのワンピースに包んでいて、動くたびに裾が微かに揺れる。深海の彩宿した髪がさらりと、潮風に靡いた。
     会議室の机に深く座るのは少女、浅く腰掛けるのは少年。見目の外見年齢は同じくらいだが、片や闇の眷属、片や人間。本来であれば同じ時間を共有する事もありえない。
     ありえない、はずであった。
    「お前が死んでしまった世界に、生きる価値なんかない」
     声に滲んだのは慕情。只管に一途な、少女への想い。幼い頃から抱えていた孤独を癒してくれたのは確かに目の前の少女。触れて、微笑んで、熱を分け合ってくれた希望。出身も生い立ちも不明だが、そんな事は些細な問題だった。
     少年の真摯な声にとろり瞳を溶かして、少女は彼の首に腕を回す。
    「愛してるわ。私の永遠をあなたにあげる」
     少女は蕩ける笑顔を少年に捧げる。
     私の心はあなただけに。耳元で小さく囁く、愛の調べ。
     
    ●君の背中を
     少女は淫魔。少年は元人間の――強化一般人。
     もう戻れない。戻る場所などないのかもしれないけれど。
    「サイキック・リベレイターを使用した事で、大淫魔サイレーンの配下の動きが活発化しているのが確認されているわ」
     小鳥居・鞠花(大学生エクスブレイン・dn0083)はもう聞いているわよね? と集まった灼滅者達に問いかける。無言の肯定が返ってくると、鞠花は話を再開させた。皆には復活した大淫魔サイレーン配下の淫魔の灼滅をお願いしたいの、と告げる。
    「復活した淫魔達は状況を把握してないわ。また命令なんかも出されていなくて、淫魔の本能に従って行動している感じみたい。人間を籠絡したり弄んだりね。でもより上位の淫魔が復活したら、その命令に従って軍団を作り上げる可能性があるのよね。だから今のうちに灼滅できるだけ灼滅しておいたほうがいいと思うの」
     件の淫魔はサイレーン配下といっても、最近復活したばかりで武蔵坂の存在も知らない。徒党を組むほど他の淫魔と連絡も取れておらず、かといって配下である事は理解しているようで、自ら大きな事件を起こそうとも思っていないらしい。
     だから一つずつ解決していきましょ。その言葉に皆が頷いたのを確認して、鞠花は説明を続ける。
    「今回の相手となる淫魔の名前はみちるっていうの。一見すると華奢で清楚で女の子らしい風貌でね、淫魔には見えないかもしれないわ。ディープブルーの髪と金の瞳を持つ美少女だから、判別するのは難しくないはずよ」
     戦闘ともなればサウンドソルジャーと鋼糸相当のサイキックを使用するはずだ。後方に位置し命中精度を高めて攻撃してくるという。それなりの力量を持つ相手だが好戦的ではないので、しっかりと作戦を練れば苦戦はしないはず。
     しかし。
    「みちるに籠絡された――まあ本人は自分の意思で恋に落ちてると思ってるみたいだけど――男の子が強化一般人として彼女の側に着き従っているの。名前は明良君。既に深く手管に嵌っているから、もう……人間には、戻れない」
     鞠花は言葉を詰まらせる。つまり、灼滅しなければならないという事だ。それでも前に進まなければならないから、鞠花は顔を上げて言葉を紡ぐ。
    「明良君はリングスラッシャー相当のサイキックを使うわ。そんなに強い相手じゃない。けれど前に出てみちるを庇うように動くし回復も行うから、その点は覚えておいてね」
     恐らく明良は、必死になってみちるを護ろうとするだろう。みちる自身明良を騙すような事はしていないから、やりづらい事になるかもしれない。こんな事頼んでごめんね。鞠花は言いかけて口を噤み、凛と灼滅者達を見据えた。
    「ふたりは互いに思い合っている恋人達のように見えると思う。実際そうなのかもしれない。けれどみちるは結局は淫魔でしかないし、今後活動範囲を広げていく事は、多分、……明良君にとっても幸福な事じゃないわ」
     鞠花は資料を畳む。祈る。
     海辺の町で起こる小さな物語を、終幕へと導くために。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」


    参加者
    雨咲・ひより(フラワリー・d00252)
    白弦・詠(ラメント・d04567)
    逢瀬・奏夢(あかはちるらむ・d05485)
    御印・裏ツ花(望郷・d16914)
    渋谷・百合(きまぐれストレイキャット・d17603)
    月影・静夜(哀しい月・d23140)
    白星・夜奈(夢思切るヂェーヴァチカ・d25044)
    三条通・ミナ(放浪する幕間役者・d28709)

    ■リプレイ

    ●望む夢、霞む楔
     海辺の街を、大きな夜の天幕が包み込む。
     零れるのは天の星。吹き抜けるは海の風。月はない。海岸沿いに向かい、灼滅者達はしっかりとした足取りで歩を進める。事前情報の通り周囲に人の気配は全くしなかった。
     だからか、声がいつも以上によく通る。
    「海辺の恋物語ってわけね。配役は未熟なダイヤに、歪なルビーか……」
     もう最終幕ってわけね、そう呟いた三条通・ミナ(放浪する幕間役者・d28709)の黒髪が、さらりと音を立て潮風に流れる。
     いつも通りの仕事だ。ダークネスの灼滅も、手遅れになった人間の処分も。
     けれど、淫魔とその眷属相手とはいえ。
    「今日のは、どこか少し。……やるせない、わね」
     渋谷・百合(きまぐれストレイキャット・d17603)は青玉めいた瞳に微かな憂いを映し、海の彼方を見つめた。
     同じく宝石の如き翡翠色の瞳を僅かに伏せて、雨咲・ひより(フラワリー・d00252)は小さく呟く。
    「淫魔も人を好きになるのかしら。恋を……するのかな」
     ひよりは歩きながらずっと考え続けていた。いや、エクスブレインから話を聞いてからなのかもしれない。どうしてみちると出逢ったのが明良だったのか。与し易そうだったからなのか、それとも。
     それとも。
     胸中に問いかけるさざめきに、答えは返らない。
    「あそこ、いる?」
    「――ああ。そうだな」
     空色の双眸を眇めて白星・夜奈(夢思切るヂェーヴァチカ・d25044)が指摘すると、同じ方向を見遣った月影・静夜(哀しい月・d23140)が首肯する。波打ち際、視線の果てに星影に浮かび上がる二人の輪郭。一人は少女、一人は少年。
     岩場を踏みしめ、逢瀬・奏夢(あかはちるらむ・d05485)を先頭にして距離を詰める。一手で埋められる間合いに到達した時、足が止まった。目の前では淫魔の少女みちると、人間『だった』明良が顔を強張らせていた。
    「……お前に命を賭ける価値はあるかな?」
     それはみちると明良、どちらに問うたのだろう。誰も戦意を隠そうとはしていなかったから、警戒した明良が自然とみちるの前に出る。その様子を見て白弦・詠(ラメント・d04567)は僅かに微笑みを湛えた。
     ――一緒に死んでくれる?
     それはとても素敵な言葉だろう。
    「それなら貴女も、其処に居る彼が死ぬ時は……一緒に死んでくれるのよね……?」
     宣告。みちるは眉根を寄せ、明良はきつく灼滅者達を睨み付ける。一触即発とも思える張りつめた空気。御印・裏ツ花(望郷・d16914)は豪奢な巻毛を靡かせて、凛と気品を湛えて告げる。
    「愛は人を狂わせる。みちる、貴女は何を想うのかしら」
    「……私は明良と一緒にいたいだけよ」
     邪魔、しないで。
     夜に躍る剣呑な空気を裂いて、みちるは深海の彩宿した髪を翻す。相対した詠が毅然と前を見据えれば、薔薇茶色の髪が夜に舞った。
    「さあ、示して頂戴……?」
     愛情に勝る感情が存在しないことを。
     くちびるから紡ぐのは、夜半にそよぐ愛の歌。

    ●浸る月、唄の海
    「来ないで……!」
     叫びに似た歌声は透明。だが帯びる力は確かなもの、歌姫の旋律は先頭に立つ奏夢を捉えた。脳の髄まで揺さぶれば意識がぐらつく。だがこんなところで倒れてなどいられない。
    「耐え抜く……!」
     力強く踏みしめて堪えた銀髪の青年の陰から一足飛びで駆けたのは裏ツ花、明良めがけて、その細い腕を鬼のそれと成し力任せに殴りつける。
    「その全身で受け止めてごらんなさい!!」
     衝撃を彼女の身を破魔の力が包み込むと、初手を同じ狙いで放つべく影が疾駆した。
     攻撃の流れを汲み、詠が海色カクテルドレスをはためかせる。その裾は深海魚のひれのよう。刃を閃かせ、幾重にも何重にも裂傷が舞えば明良が痛みに表情を歪ませる。
    「明良、傷が……!」
    「こんなものどうって事ない。みちるは下がってろ!!」
     悲痛な叫びを上げるみちるに、明良は気丈に灼滅者達を睨み付けた。その隙を縫いミナは白い指先を躍らせる。奏夢の傷はまだ深手ではないと判断し、前に立つ仲間達に向け霊光を展開する。夜を呑むような光の法陣、宿る天魔は闇を払う力を齎す。
     誰ともなく一歩、前に出る。
     万一海に逃げることも出来ないように。そう想定した灼滅者達は慎重に確実に、二人を追い込んでいく。徐々に包囲を強めれば自然、みちると明良は背を合わせた格好になった。
     明良が歯の奥を噛む音がやけに響く。少年は手に宿した光輪を七つに分裂させ、前衛陣へと疾走させる。
     ビハインドのジェードゥシカがコートをはためかせ、夜奈の前に滑り込み衝撃を受け止めた。前に立つ仲間が多かった事もあり効果は減衰している。これならいける、百合と裏ツ花が頷きあい視線を上げれば、身を寄せ合う姿に心が軋んだ。
     誰もがいつかは迎える結末――『死がふたりを分かつまで』。この二人は少し運が悪くて、少しその時が早く来てしまっただけ。百合は胸に手を当ててそう言い聞かせる。
     事前情報の通りみちるも明良もさほど強くはなかったから、慎重に策を練った灼滅者達の前には、防戦一方だ。逆に言うと灼滅者達は作戦通りに事を進めている。
     夜を凝らせたような黒。影の触手は少年へと伸び、強く縛り上げる。
     流石軍人というべきか、向ける殲術道具に迷いはない。面持ちにも動揺は一切ない。その分、静夜の紫苑の瞳には揺らぎが滲む。
     孤独を癒してくれたのがみちるだったのなら。
    「全てを懸ける明良さんの気持ち、本当は分からなくもないんだ」
     無表情の奥、憂う睫毛が影を落とす。みちるが淫魔ではなく、人だったなら。そんな事を考えていても仕方がないのは解っている。ただ納得までの距離が埋まらずに、静夜は僅かに首を横に振った。
     その端正な横顔を見遣り、夜奈は一気に明良へ肉薄する。優しい彼が少しでも悲しまなければいい、そんな感情は刃の鋭さへ反映する。死角から斬り込む太刀筋に容赦などない。足の腱を抉る強い手応えがあった。
     もはや満足に歩く事も出来ないだろうに、明良は只管にみちるへの路を開けない。動かぬ足の代わりとばかりに両腕を横に突き出して、前を睨み付ける事を止めやしない。
     すぐに理解する。明良が攻撃を避けようとしないのは、みちるへ矛先を向けさせないためだ。
     なんてかわいそうで、おろかなの。ダークネスはいつだって、ひとを不幸にする。ざわめく過去の記憶を横たえ、夜奈はみちるに呟く。
    「ひとを弄んでたのしい?」
    「みちるを馬鹿にするな!!」
     すかさず明良が激昂する。口許から滴る血は、闇夜であろうと赤いのだと知れる。奏夢が震える右手へ無意識に触れた。彼に残る傷を癒すため、霊犬のキノは浄霊の眼を注いでいく。隣の相棒の首筋をひと撫でして、奏夢は強く前を見据える。
     間を置かず奏夢が明良の懐に滑り込めば、破邪の白光の剣閃が脇下から薙ぎ払われる。確かに、前を向くのだと誓う。
     明良がみちるを庇うよう動くのは明白だった。だからこそ、灼滅者達は先に明良を倒すべく動いたのだ。みちるが震える声で天使のメロディを紡ぐも、明良が受けた傷を埋めるにはあまりに遠い。
     相手がいくら防護を重ねようと、真直ぐに飛ぶ魔法弾が鋭く刺さる。砕く。
     魔法弾を飛ばした手を下ろし、ひよりは唇をかみしめる。二人の幸せを壊すのだ。罵られるのも、貶されるのも、覚悟してきたはずだった。
    「当然だと思うけど……やっぱりキツいかも」
     本当は助けられたら良いなと、ひよりは少しだけ思っていた。明良は勿論の事、みちるも。
     恐らく、明良にとってはみちるがダークネスだろうとそうでなかろうと、そんな事は関係ないのだ。
     明良、あんたどうしたいの?
     そう問う事がどうにも野暮に思えて、ミナは金色の瞳を逸らさず向ける。少なくとも明良が本物の恋だと、守りたいと願うなら。
     わたし達は悪役を演じるだけ。
    「一途なら、一途なままおいきなさいよ」
     ――祖父に、似ている。少年に面影が重なる僅かなあわいに、夜奈は微かに息を呑んだ。これからきっと手を汚すことになる、その前に止めてみせる。決意は揺らがない。無垢なほどの殺意は、折れる事はない。
     その傍らを百合が馳せる。そのしなやかさは黒猫のよう。
     微かに沸いた罪悪感を押し殺しながらも手は迷わない。淡々と得物を振るう。その軌跡はまるで新月の切っ先。
     影の刃が鳩尾から背中へと貫く。
     ひよりは胸中で祈る。もう助けられないから等、理由は確かに存在する。けれどどう説明したところで、自分達は明良の命を奪おうとしている事には変わりはない。明良が手に入れた幸せを、壊そうとしている事にも変わりはない。
     ごめんね。
     きっと、あなたは悪くないのに。
     乾いた息が肺に戻される事は、ない。

    ●歪む花、泥の星
     眷属と化した明良は遺体を保つことすら許されない。星のような光の粒となり、夜風に溶けていく。
    「あきらっ……!!」
     みちるが懸命に拾い集めようと腕を伸ばすも、到底叶わない話だ。その様子を裏ツ花が目を逸らさずに、見つめる。
     愛について、嘘か真かの判別は難しい。
     盲目的になれるのならそれは真実なのだろうか。ならば目の前の恋は真実なのか。でも、それでも。明良の命を抓んででも、守りたいひとが在る。
     人々を守ることが、愛する人を助けることに繋がるとも信じている。だからこそ裏ツ花はこぼさないように、目の前の溢れる感情を掬い集める。
    「大丈夫、後を追わせて差し上げる」
     そうしたらきっと、寂しくない。祈りのように希い、指先から妖気を放出する。それは冷気の氷柱に姿を変え、夜の海辺を駆け抜ける。みちるの肩口を貫き、見る間に傷口から凍りつく。
     淫魔の少女の小さな体がゆらり、揺らいだ。だが膝は曲げない。みちるがうめく声が、響いた気がした。
     悲痛な声だ。
    「……もしかして」
     誰より二人の感情に寄り添おうとしていたひよりが真っ先に気が付いた。口許を手で押さえ、目を見開く。
     ごめんね。
     きっと、あなたは幸せを護りたいだけだったのに。そう何度でも繰り返す。
    「明良を返して。返して。ゆるさない。かえして……!」
     耳朶を揺らした叫びに、一瞬呼吸を止めたのは詠だ。海の闇に誰よりも近しかった彼女は、それ故に弾けるように思い出す。事前にエクスブレインが告げた、小さな小さなフレーズを。
     ――みちる自身明良を騙すような事はしていない。
     ならば、『愛してるわ』と告げたこころの行く先は、間違いなくただ一人にだけ向かっていたのだろう。詠は眉尻を下げ、唄のように囁く。
    「ああ、本当に……やりづらいわね」
     堕する切欠は淫魔の手管。だがそれを、主従より近い絆に繋いだのはきっと。みちるが明良の心を救った事が真実なら、どんな出逢いでもダークネスが相手でも、そんな事はどうでもよかった。
     どうして、サイレーンの配下になったのか。それは遠い記憶の果て。
     確かに胸に抱くのは、愛した少年のぬくもりだけ。
    「……羨ましい、わ。愛し合って終われる、なんて」
     どちらかと言えばみちるに同族めいた感情を抱いていた詠は、だからこそ受け止めようとしなやかに立ち続ける。構えるは鮮血を彷彿とさせる緋色の霊光、泳ぐように夜を奔り、みちるの喉元を深く薙いだ。
     サイレーンについて尋ねようにも今の状態ではきっと返事は返ってこない。だからミナは芝居がかった鷹揚な仕草で胸に手を添える。英詩を乗せた旋律はバラードのそれ、細かい傷が蓄積していた前衛陣の元へ癒しを運ぶ。
     だがみちるとて黙ってはいない。振るう糸は水の五線譜、狙うは先程明良にとどめを刺した百合だ。瞬く間にその細い首筋に糸を絡めてきつく締める。
     動きをも封じられては百合のこめかみに汗が伝った。敢えてその隙を突き、静夜は爆炎の魔力を秘めた弾丸を大量に連射する。避ける間もなく穿たれたみちるは仰向けに反り返る。だが、足を踏みしめて倒れる事だけは阻止したようだ。
     奏夢が続く。降臨させたのは赤き霊光の逆十字だ。精神さえも引き裂く衝撃がみちるを襲う合間に、立ち直った百合が腕を構える。影帯を射出すれば逃さず首元を穿つ。お返しにしては随分威力が強烈だ。
     鋭き裁きの光条を放ったのはひよりだ、けれど裁くのは一体誰が、誰を。そんな考えが脳裏に過って、眼の奥が熱くなる事を抑えられない。入れ替わりで螺旋の捻りが淫魔の少女の懐を深く抉る。
     獲物を抜き、裏ツ花は改めてみちるに向き直る。血を浴びる事を恐れない。背筋を伸ばし、あくまで高貴な佇まいで。
    「わたくしは貴方達の想いを踏み越える。大丈夫。直ぐに向こうで会わせてあげる」
     それで本当に、隔てなく結ばれるから。
    「……!!」
     聞き届けたみちるが金色の瞳を見開いた。
    「あそびはそこまでよ。これ以上ひがい、出る前に」
     ――必ず、オマエをころす。
     殲術道具に殺意が乗る反面、夜奈の表情は至って感情に乏しい。根に蔓延るのはダークネスを殺す事へと偏った感情、それでも何も感じていないわけじゃない。出来るだけ幸せな結末を望んでいるのは、本当の事なのだから。
     視線を隣の青年に流す。結果悲しむであろう静夜の手は汚させたくはなくて、出来れば己が殺すと決めた。白手袋纏った手が触れるは靴の踵、一瞬後には淫魔の少女の元へ流星のように走っていく。
     岩場から繰り出す襲撃は焔を戴き、みちるの身体を全体重を乗せて蹴り倒す。その一撃は確かに淫魔の体力を根こそぎ奪う。
     この炎は、黄泉路へ続く篝火のよう。
    「……あき、ら……」
     零れた雫は真珠の色。
     炎はいずれ海の青抱く光の粒へと変化し、夜の空気に淡く弾けた。

     月は見えない。
     数多の星が天を隠しているから、陽光を反射し輝く月の姿は、見えない。
     それでも共に居てくれる存在がいる、それは何と幸福な事だろう。奏夢はお疲れ様、と小さく呟きながら、相棒の霊犬の背をゆっくりと撫でた。
     来世では本当の愛を二人で抱えていけるように、願う。
     裏ツ花が花を海に捧げ、救えなかった命にせめてもの安寧をと望めば、ひよりや詠も一緒にと、海辺に佇み祈りを捧げた。
     その様子を眺めていたミナが小さく微笑みを燈す。彼女の隣で、百合がふと他の二人が会話している事に気付いた。
     夜奈が自分の手を汚さないよう気遣ってくれた事はわかっている。
    「だが実は俺の手も……今迄十分、汚してきたんだ……」
     それは夜奈がまだ知らない、軍人としての静夜の一面だ。静夜が視線を伏せれば、慰めたいと請うた手が血に塗れていた事に気付いた夜奈が、途中で止まった事に気付く。
     それも互いを尊重し合う、不器用な信頼の形。
     まだ夜は明けない。静夜は海の果てを見つめるも、空と海の境界線は暗くて見つけられない。
    「結末は哀しい物語として終わってしまうしかないのか……」

     ただ、どうか。
     せめてこの最期の時が――彼らにとって永遠の夜となりますように。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年5月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 3
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