夕暮れに、彼女はさ迷う

    作者:波多野志郎

     夕暮れに、海が赤く赤く染まっていく。それは、夜の帳の訪れを告げる色だ。
     その夕暮れの中を一人の女が歩く。赤に染まる海と空を楽しみながら、海沿いの車道を。
    「さて、どうしたものかしら」
     そう呟く声は幼く、しかし口調は大人びたものだった。見た目は、十台半ばほどの少女とも言うべきか。一五十にも届かない小さな背。愛らしく整った顔立ち。しかし、浮かぶ表情や仕種は、大人の――あるいは、老成したものを感じさせる。
    「サイレーン様も、早く起きてくれればいいんだけど……その間は、好き勝手にするしかないようね」
     女は、小さくため息をこぼすと車道へ視線を向けた。今度通る車を止めよう――そう、心に決めた。拒否されるとは、思っていない。何故なら、自分は淫魔だからだ。
     その誘惑に勝てる者などいない、それを知る捕食者の笑みを女は浮かべた……。


    「本当、淫魔のあの自信ってなんなんすかね?」
     湾野・翠織(中学生エクスブレイン・dn0039)のそんな感想は、おいておく事にして。
    「サイキック・リベレイターを使用した事で、大淫魔サイレーンの配下の動きが活発化してるんすけどね?」
     今回は、その淫魔への対処が依頼だ。復活した淫魔達は、状況を把握しておらず命令なども出されていないため、淫魔の本能に従って行動している。
    「でも、それは今だけっす。より上位の淫魔が復活すれば、その命令に従って軍団を作り上げる可能性があるっすから」
     そうなる前に対処がいる、そういう話だ。
    「みんなに対処してもらう淫魔は、夕暮れの海沿いの道路を歩いてるっす」
     復活したばかりで、右も左もわかっていない。なので、次に通りかかる車をヒッチハイクという名の誘惑をして、あれこれしようと考えているのだ。
    「ESPによる人払いをして、道路で迎撃してほしいっす。不幸中の幸い、まだ篭絡した強化一般人はいないっすから、淫魔一人が相手っす」
     とはいえ、実力は確かな相手だ。こちらの全員でかかってようやく互角という相手である事は、忘れてはならない。
    「こういう積み重ねが、次の大きな戦いを左右するっすからね。頑張ってくださいっす」


    参加者
    赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)
    ニコ・ベルクシュタイン(不撓の譜・d03078)
    病葉・眠兎(奏愁想月・d03104)
    天雲・戒(紅の守護者・d04253)
    菊水・靜(ディエスイレ・d19339)
    月光降・リケ(月虹・d20001)
    葦原・統弥(黒曜の刃・d21438)
    獅子鳳・天摩(ゴーグルガンナー・d25098)

    ■リプレイ


     海を望む夕暮れの道路、そこを歩いていた少女がふと気付く。耳に届くのは、力強いエンジン音だ。
    「やあやあ彼女何してんの? よかったら乗っていかないすか? ――地獄までね」
     ライドキャリバーのミドガルドに跨った獅子鳳・天摩(ゴーグルガンナー・d25098)の言葉に、少女は小首を傾げる。
    「いえ、街までで結構よ?」
     一五十にも届かない小さな背。愛らしく整った顔立ち。見た目は十代半ばに見えるが、その表情や空気は落ち着いた――老成した、とも見える女だ。
    「あいつだな? 合法ロリは。見た目だけで判断したら痛い目に合うな」
     いくらかわいくても「合法ロリ」は俺の範疇から外れるぜ、と心の中で付け足しながら天雲・戒(紅の守護者・d04253)は告げる。その心の中の言葉を読んだように、少女――淫魔は、クスクスと微笑む。
    「足をお探しかね、美人サンよ。起きてすぐだが、面倒になる前に眠ってくれや」
     言い捨てる赤槻・布都乃(悪態憑き・d01959)に、淫魔は小さく肩をすくめる。
    「ようするに、私を殺しに来たのね? あなた達」
    「……怒らないから言ってみろ、ヒッチハイクと言ってもそうあながち人様に危害を加えるつもりでもなかったりするのでは?」
     ニコ・ベルクシュタイン(不撓の譜・d03078)の静かな問いかけに、淫魔はコクリとうなずいた。当然のように、心の底から微笑んで言う。
    「ただ、その人に私だけを好きになってほしいだけよ? そういう人が、いっぱいいっぱい欲しいだけよ? 多くの愛が欲しいっていうのがそんなに悪い事かしら」
     歌うように問い返した淫魔に、菊水・靜(ディエスイレ・d19339)は納得した。
    (「……淫魔の性質故、と云うべきであろうな」)
     彼らは自らに落ちない生物など存在しない、そう思い込んでいる節がある……そして、それは往々にして正しいのだろう。その落ちた先が破滅しかなく、その破滅さえ愛してしまえる恐ろしいモノが目の前にいるコレなのだ。
    「……夕暮れ時は、逢魔が時。別段の恨みはありませんが、行き逢ったのが貴女の不運です。水平線へと落ちる夕日のように……黄昏に沈んでください」
    「そうね、運が悪かったわね。消えなさい」
     病葉・眠兎(奏愁想月・d03104)が告げ、月光降・リケ(月虹・d20001)が言い放つ。それに、淫魔はゆっくりと一歩前に出た。
    「仕方ないわね、降りかかる火の粉を払うとしましょうか?」
    「人に仇なす以上、ここで灼滅します。残念ながら、今の貴女達とは共存できない。少なくとも、人や灼滅者を奴隷を見る限りは」
     淫魔の言葉に、葦原・統弥(黒曜の刃・d21438)はそう言い切る。言葉が通じるとは、最初から思っていなかった――相手は、自分達と言葉を交わすつもりがないのだから。
    「本当、困っちゃうわね。可愛がってあげたいのは、本当なのに」
     やれやれ、と肩をすくめた淫魔は、禁呪を唱え爆炎で夕焼けをより赤く染め上げた。


     ゲシュタルトバスターの轟音が、鳴り響く。熱気が潮風に混ざり吹き荒れ、アスファルトを炎が舐めるように走った。
    「させません」
     夕日を背に、眠兎が断罪輪をアスファルトに突き立てオーラの方陣を展開する。眠兎の天魔光臨陣が、炎を散らしていく――その中を、布都乃と ウイングキャットのサヤが駆け抜けていった。
    「セイレーンが起きる前に他の大淫魔はカタ着いちまったぜ。噂の首魁サンがどんなモンか知らねえんだが、一つ教えちゃくれねえか、どんな見た目・能力だとか、どんな名有りの淫魔が居るとかよ」
     布都乃の一気に間合いを詰めてクロスグレイブを振るい、サヤがその肉球パンチを叩き込む。しかし、それを淫魔は小柄な体躯で踏み込み、左右の腕で軌道を逸らしていった。
    「ふふ、あんまり嘘とか得意じゃないのかしら。どこの誰だか知らないけど、弱ってるところをがせいぜいでしょう?」
    「それはどうかなっと!」
     そこへライドキャリバーの竜神丸が突撃、逆の方向から剣に破邪の白光を宿した戒が斬りかかる。竜神丸の突撃を、前蹴りで受け止めた淫魔が跳躍。その淫魔のすらりとした足を、戒のクルセイドスラッシュが捉えた。
    「もう、乱暴ね」
    「傷を付けて抉る戦い方がお好みか、では此方もその方向で行こう」
     着地し楽しげに笑う淫魔へ、死角から踏み込んだニコが柄に細かな銀細工とルビーをあつらえた細身の剣を下段から振り上げる。ザンッ、と服が切り裂かれ、淫魔の白磁の肌が晒される――その刹那、靜が拳を振りかぶった。
    「喰ろうて見よ」
     真っ直ぐに放たれるのは、異形の拳――靜の鬼神変に、淫魔の小柄な体が大きく吹き飛ばされた。しかし、靜の表情がわずかに曇る。
    「浅い、いや、跳んだか」
     拳に残った感触の違和感に、靜が気付いたのだ。殴られた瞬間、淫魔が自身で後ろに跳んだ――だからこそ、淫魔は最小のダメージですんだのだ。
    「っと」
     タタン、と軽いステップを刻むように淫魔は着地する。ミドガルドがガガガガガガガガガガガガガガッ! と銃弾の雨をそこへ叩き込んだ。淫魔が、その機銃掃射に足を取られたところへ、天摩がトリニティダークXXを振るった。
    「ねえねえサイレーン様ってどんな性格? 見た目はどんな感じ?」
    「そうね、筆舌に尽くしがたい方よ」
     天摩の放つ十字架戦闘術を淫魔は受け流していく。淫魔の視線の動きに気付き、リケは告げた。
    「残念ね。あなたを乗せる車なんて一台も通らないわよ」
    「――みたいね」
     ESP殺界形成とサウンドシャッターによって、外界とは隔絶されている――リケの鬼神変の殴打を淫魔が両腕でブロックしたそこへ、統弥がフレイムクラウンを振り上げた。黄金の王冠が描かれた黒い刃が振り下ろされようとするのを淫魔は、両腕で受け止め――。
    「かかりましたね?」
     その瞬間、刃ではなく死角から突き上げられた雷を宿した統弥の拳が淫魔の顎を打ち抜いた。小さな体が楽々と宙を舞い、淫魔はバク転しながら間合いを開けた。
    「ふうん、確かに強いわね」
     顎を指先で撫で、淫魔は微笑む。蕩けるような魅力に満ちた笑みだが、見惚れる者はいない。むしろ、背筋が凍る――恐ろしさのある笑みだった。
    「いいわ、殺すか殺されるか。そういうのも悪くはないわ」
    「来るぞ」
     ニコが広がった袖をひるがえし身構える。その直後、淫魔がフっと消えたかと思った瞬間、パッショネイトダンスで襲い掛かった。


     夕暮れの赤が、どこまでもすべてを染めていく。
    「君(見た目は)好みだな? 俺、高2だけど、下級生だろ? え? ○○歳? 詐欺だ」
    「詐欺は失礼ね」
     道路の中央で、戒と淫魔が打ち合う。戒の振るうクルセイドソードの斬撃を淫魔は素手で剣の腹を叩いて叩き落していった。淫魔は後退しながら、戦っている。隙あれば逃亡する、それが垣間見える動きだ。
    「させるか」
     死角からローブの裾からFlugelを翼のように広げ、ニコは淫魔の足を切り裂いた。淫魔が、ガクリと膝を揺らす。そこへ、サヤの猫魔法が炸裂。ギシリと淫魔を縛り上げると、布都乃が飛び込んだ。
    「っらあああああああああああああああ!!」
     ギュゴ! と炎をまとった布都乃の右回し蹴りが淫魔を捉えた。側頭部に爪先がめり込む寸前、淫魔はブロックに成功する。が、その威力に強引に地面から引き剥がされた。
    「ここですね」
    「ああ」
     統弥の判断に、靜が短く同意する。統弥と靜が同時に駆け込み、統弥が引き抜いたムーングロウで淫魔の脇腹を斬り裂き、靜のオーラを宿した拳の連打が淫魔を殴打していった。
    「カイ」
    「任せろ!」
     着地するより先に、リケの放ったレイザースラストが淫魔に突き刺さっていく――そして、リケの呼びかけに答えた戒の刃と竜神丸の突撃が淫魔を斬り裂き、吹き飛ばした。
    「――ッ!」
     空中で淫魔はクルリと回転、ズサアア! と靴底をアスファルトにすらせながら着地に成功する。淫魔が、両手を振るう。ヒュオン、と鋼糸が結界を編み上げ、灼滅者達を襲った。
    「―――これが、今の灼滅者です」
     鋼糸に切り刻まれながらも、眠兎が浮かべるのは強気な笑みだ。自身の実力不足は理解している――それでも、他の同行者の力量ならば淫魔を討ち倒せると踏んでの演技だ。
    「そう、なれそれを踏みにじって――」
    「させないっすよ」
     ギュオン! とトリニティダークXXの銃口に漆黒の想念を収束、天摩はデッドブラスターを射撃した。その漆黒の弾丸を淫魔がかろうじて受け止めたそこへ、押し潰すようにミドガルドが襲い掛かる。
    「回復、します……!」
     その間に、眠兎は天魔光臨陣を発動させる。それに、淫魔は小さく苦笑して見えたのは目の錯覚ではないだろう。
     ――互角。戦況はどちらに傾く事もなく、膠着状態だった。しかし、その互角はあくまで現在のものだ。個が数を圧倒できず押し切れなかった、その時点で時間の経過は数の方に有利に働くようになる――手数の差が、蓄積の差になるからだ。
    (「とはいえ――強い」)
     舌打ちをひとつ、ニコはそう思い知る。これがもしも一般人を誘惑して強化して数を揃えていたのならば――この時点で遭遇し、戦える事ができたのは確かにリベレイターの効果のおかげだ。
    「悪意と害意は別物ってことっすか」
    「……そうですね」
     天摩の感想に、リケはため息を飲み込みながらうなずいた。善悪ではないのだ、その存在自体が人を堕落させ破滅させる。多くの人生を狂わせ、命さえ失わせる――そんな遅効性の毒のような存在を、放置はできない。
    (「そうしなければ命を落とすのは自分か仲間の誰かっすからね」)
     天摩も、そう自分を納得させた。まだ、明確に悪事を行っていない相手だからこそ、その存在が哀れではあるが。
    「まったく、本当に強くなってのね。半端者の癖に――」
     淫魔が、アスファルトを蹴る。放つのは桃色の光輪、七つに分かたれたそれがニコへと放たれた。
    「目指しているものが違う、それだけだ」
     ギギギギギギギギギギギギギギン! とニコの銀鉤が光輪をひとつ残らず斬り落としていく。セブンスハイロウを相殺したニコは、そのまま低く疾走――黒死斬で、淫魔の足を止める!
    「頼む」
    「はい、繋ぎます」
     そこへ、リケが続いた。唸りを上げて繰り出されたマテリアルロッド、フォースブレイドの一撃が淫魔を軽々と宙に舞わせる。
    「お願いします」
     リケが淫魔が吹き飛ばした先は、布都乃と戒が待ち構えていた。
    「天雲!」
    「了解!」
     右から布都乃のクロスグレイブによる殴打とサヤの肉球パンチが、左から戒による神霊剣の魂を断つ剣撃と竜神丸の突撃が、淫魔を捉える。そのまま地面に叩き付けられた淫魔を、眠兎は断斬鋏を構えて迎え撃った。
    「復活したばかりの貴女に言うのは酷でしょうけれど……精々、こちらを侮ったまま、足元掬われてください……!」
     ズサン! と眠兎の妄葬鋏が、淫魔を切る。狂気をもたらす鋏の錆に感染しながら起き上がる淫魔へ、ミドガルドの機銃掃射が襲った。
    「行くっすよ」
     その銃弾の雨の中を駆け抜け、天摩は建速守剣を薙ぎ払う。淫魔の胴を薙ぎ払ったのは、肉ではなく魂を断つ斬撃、天摩の神霊剣に淫魔が体勢を崩した。
     そこへ、マテリアルロッドを構えた靜と手を伸ばした統弥が同時に駆け込む。
    「これで、仕留める……!」
    「これで終わりです!」
     靜のフォースブレイクの衝撃で加速した淫魔の腕を統弥が取り、投げ飛ばした。脳天からアスファルトに叩き付けられ、淫魔の体がガラス細工のように砕け散る。
     最期は、あるいは最期まで美しく淫魔は夕暮れに消え去っていった……。


    「サンセットでゲームセット、ですか。日没までもちませんでしたね」
     夕暮れは、やがて夜を呼び寄せる――リケは、日が沈んでいく海を眺めて、呟いた。仲間達に、大きな怪我はない。ただ、誰もが等しく傷を負っていた……それは、あの敵の強さの証明だった。
    「……君が本当に人間に害を為したかオレにはわからない。でも今はこうするしかないんすよ――たぶん」
     淫魔が消えた場所を見やり、天摩は小さく呟く。あの遅効性の毒に、悪意はなかった――あるいは、人として悪とはまた違った悪だったのかもしれない。
     ただ、これで未来の破滅が一つなくなったのは確かだ。あの淫魔に誘惑され、人生が狂わされる人間が出ずにすんだ……それだけは、間違いはない。
     夕暮れに染まる道路を、彼等は歩き出しだ。日が沈み、夜が訪れるまでもう少し――そのわずかな時間を、光景を、楽しみながら……。

    作者:波多野志郎 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年6月7日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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