炎、沈め

    作者:佐伯都

     長かった。否、長すぎた。
     源泉の中で微睡みそして時折思い出したように目覚めながら、まだその時ではないと知っては眠りにつき、いくつの季節を越えただろう。ついに訪れた歓喜の瞬間、その喜びに咆哮が漏れる。
     長すぎた雌伏の時。炎の幻獣達が待ち焦がれた長は、今や復活の時を迎えていた。
     緑深い山々を駆け抜け続け鶴見岳の頂へたどりつき、西の空で地平へ燃え尽きようとしている夕日に向かってひとこえ叫ぶ。長かった。本当に、長かった。
    「コノくがね――イマコソ、がいおうがノオンモトへ!!」
     歓喜のままに、長毛の虎の姿をしたイフリートの喉をついた絶叫が赤い空へ吸い込まれる。
     そして斜陽の赤をはじく金色の毛皮が内側から突如、千々に爆ぜた。鶴見岳の頂を染めるかと思われた血肉は一つとして迸らず、かわりに炎の塊が地面へ吸い込まれる。
     クガネ、と自らを呼んだイフリートの姿はそれきり戻らなかった。
     
    ●炎、沈め
    「盟主ガイオウガとの合体を果たすために、多数のイフリートが鶴見岳の頂上へ向かっているらしくてね」
     成宮・樹(大学生エクスブレイン・dn0159)は九州、大分県別府地方の地図を教卓へ広げて灼滅者を見回す。
     麓に別府温泉を抱える鶴見岳は、以前から数多くのイフリートとの邂逅の場となってきた。
    「もしイフリートとガイオウガの合体が度重なれば、ガイオウガの力が回復して完全な状態で復活することも考えられる。そうなる前に阻止してもらいたい」
     このたび現れるイフリートは金色の、しかも長毛種の大型の虎といった外見をしており、クガネという名を持つことがわかっている。
    「鶴見岳の頂上、その西側斜面に夕方現れるからそこで迎撃してほしい。隠れるとか捜索とかは一切必要ないし、クガネは一度戦闘となれば撤退せず死ぬまで戦う――なんせ、ガイオウガと合体する方法っていうのが自死だから」
     地図へ直接マーカーで出現ポイントを書き込み、樹は音を立ててキャップを閉じた。
    「ここでクガネを灼滅できれば合体そのものを阻止できる。ただ、イフリートがガイオウガの一部になる際に、その経験や知識をガイオウガに伝える役割があるらしい」
     文字通り、すべてガイオウガの糧となるというわけだ。
     もし学園に友好的なイフリートなら、その特性を利用してガイオウガへ伝言を頼むことも可能かもしれない。その場合はクガネとの友好を深められるような作戦はもちろん、伝えたい内容を確実に理解してもらう準備も必要だ。
    「知っての通りイフリートはあまり複雑な思考を持たないし、難解な語彙は理解できない可能性が高い。伝言を頼むなら、その内容は工夫した方がいいね」
     もしイフリートとの強い絆があれば、合体自体を諦めさせることも可能かもしれない。しかし、これまで学園と接触したことのないクガネ相手に一朝一夕どころではない時間でそこまでの絆を結ぶことは不可能だ。
     様々なイフリートが『ガイオウガとひとつになる』と語ってきたが、それは文字通りの事だったらしい。
    「灼滅か、合体を許すかわりにガイオウガへの伝言を持たせるか。どちらを選ぶかは皆に任せるよ」
     


    参加者
    科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)
    火炫・散耶(柔き綵花・d05291)
    華槻・灯倭(月灯りの雪華・d06983)
    鍛冶・禄太(ロクロック・d10198)
    漣・静佳(黒水晶・d10904)
    牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)
    湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)
    日野原・スミ花(墨染桜・d33245)

    ■リプレイ

     よく晴れた梅雨明けの空を、斜陽が赤く染めている。牧瀬・麻耶(月下無為・d21627)はからころとロリポップを口の中で転がしながら、西側斜面をじっと眺めている相棒のヨタロウの傍へ近づいた。
     ぼわりと斜陽の色よりなお赤い、猛々しい炎が遠くに噴き上がるのが鍛冶・禄太(ロクロック・d10198)からも見える。ようやっとお出ましやなあ、という誰にともない低い呟きは、じっと解体ナイフを携えたままの科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)だけが聞いていた。
     低木が生い茂る斜面の岩を躍り越え、あるいは駆け登り、金色の毛並みを誇らしげに風へ流した巨躯がこちらへ向かってくる。
     想像していた通りの力強いその姿に、火炫・散耶(柔き綵花・d05291)は最後まできちんと見届けようと決意を新たにした。同じ、燃ゆる血を持つ彼らの尊い志を、激しくも揺るがぬその生き様を。
     苛烈とも言える炎を目にした湊元・ひかる(コワレモノ・d22533)がごくりと喉を鳴らす。道を照らしてくれたあのひとに似ているのは、炎の激しさだけ。そう思いたかった。
    「クガネ、と言ったかしら。素敵な名前だわ」
     漣・静佳(黒水晶・d10904)がそんな台詞を投げかけた先、低木を押しのけるように金色の炎虎が姿を現した。あかるい琥珀の目が灼滅者を素早く薙ぐように一瞥する。
     逃げも隠れもしない、今日はクガネと話をしに来ただけだ。ただ、灼滅者とダークネスには相容れない部分があるということも違いないので、最低限の備えだけは怠っていない。日野原・スミ花(墨染桜・d33245)は堂々たる体躯のクガネを刺激しないよう、慎重に言葉を選ぶ。
    「クガネ、スミ花はきみと話がしたい」
    「クガネ君、急いでるとこわるい。俺らは武蔵坂学園、お話ししたくてきました!」
     禄太をはじめ、メンバー全員、武装解除はしていない。イフリート、ひいてはクロキバ派とは一時期共同戦線らしきものを張ったこともあったがそれも今は過去の話だ。
    「すれいやーニ、用ハナイ。……ナゼココニイル、くがねノ邪魔ヲスルナラ、容赦シナイ」
     ゆえに丸腰では逆に訝しまれると推測したのだが、少なくともクガネは武器を携えている事をそのまま、敵意あり、とは受け取らなかったらしい。明らかに不審そうな顔であり不穏な台詞を吐いてはいるものの、低く唸っている以外は、問答無用とばかりに襲いかかってきそうな気配はなかった。
     両者の間には、真夏の夕暮れの風がぬるく吹き渡っている。散耶はいざとなれば傷口からの炎を見せることもやむなしと考えつつ、その巨躯を振り仰いだ。
    「大切な使命の道中を邪魔してしまい、本当にごめんなさい。私達は貴方を阻むつもりはありません。アカハガネとも以前交流がありましたし」
    「あかはがね、知ッテイルノカ」
     唸るように呟いたクガネからは、アカハガネへ友好的な印象を抱いているのか、あるいはその逆かは今の所判断しにくい。
     金色のイフリートはふい、と顔をそらすと、居並ぶ灼滅者を値踏みするように、その器を見定めるようにその周囲をゆっくり歩きはじめる。
     あえて目線を合わせたままそろりと腰の小物入れに手をのばし、華槻・灯倭(月灯りの雪華・d06983)はそこから個包装にされたラスクを取り出した。
     プレーン、胡麻、抹茶、ラズベリー。最近話題だという店舗のものだ。おもむろに包みをひとつ破り、たっぷりザラメがかかったラスクの端を囓ってから、おいしいよ、と灯倭は笑みを作る。
    「もしよかったら、一緒に食べながらお話ししよう? 伝えたいことも、聞きたいこともあるし」
    「……」
     ラズベリーレッドのラスクを差し出され、クガネは目を細めた。ラスクを差し出す灯倭の手元に、ふすん、と息がかかる。
     ただの虎でも人間サイズからすれば十分大きいというのにクガネはさらに大型とあってか、ちょうど灯倭の手の平大のラスクは一口サイズ以下の大きさのようだった。小気味よい音を立ててあっという間に咀嚼し呑みこんでしまう。
    「美味しい?」
    「アマイ」
     いささかずれた返答が言葉少なに返ってきて灯倭は肩を落としかけるが、とりあえずこのイフリートの機嫌を損ねるような事にはならなかったようだ。少なくとも、不味い、とは言われていない。
    「まあ、学園がクロキバ達と協力して共闘したように、必要があれば灼滅者を頼る事も考えてほしいなって。私が言いたいのはそんなあたり」
     ね、と同意を求めるように足元の一惺の毛並みを撫でてやると、クガネはゆらりと長い尻尾を揺らした。
     同じ釜の飯を食う……ではないが、やはり同じ物を口にし害意はないことを示す、というのはイフリート相手にもある程度有効なのかもしれない。灼滅者を見る目にも、少し棘が薄れている気がした。
    「甘かったか。じゃ、こっちはどうだ?」
     比較的甘さは控えめのシリアル系エナジーバーを取り出し、日方はクガネの様子を伺う。
     イフリートには珍しい知恵者だったクロキバもすでに亡く、他のイフリートでは学園とのパイプ役となってもらうには正直、ハードルが高すぎる。仲良く、いやガイオウガとの融合を果たすまでの短い時間では友好関係を結ぶこと自体難しいものと思わねばならないが、合体を阻止するつもりも、ガイオウガと当面ことを構えるつもりもなく、ただ他勢力への警戒の必要があるということを伝えてもらうだけなら、十分射程内のはずだと日方は考えている。
     アカハガネをはじめ、学園と言葉を交わしたイフリートはこれまでにも何体かいた。
     ……正直、いったい何が正解なのかはまだわからない。しかし日方ら灼滅者にはもちろん、クガネ達イフリートにも思う事はそれぞれあって、その思いの方向がほんの少しでも重なるなら、それは決して悪い事ではないはずだと、そう思っている。
     やはり一度匂いを確かめ、日方の手からエナジーバーを食べたクガネは歩みを止めた。ぎりぎりの警戒までは緩めていないが、なにが聞きたい、と低く尋ねてくる。
    「貴方は起きたばかり。ガイオウガへお土産話を持っていく方が、喜んで貰える、わ」
     膝の上へ風呂敷に包んだ菓子折をのせ、静佳はゆったりと微笑みかけた。
     静佳、ひいては学園はガイオウガそのものの情報をあまり持っていない。以前アフリカンパンサーに力の一部を奪われたことやイフリートの崇敬を集めているという程度で、それは『イフリートの王』という言葉ので推測できる情報とさほど変わりがなかった。
    「クガネ、貴方にとって、ガイオウガはどんなひとなの?」
    「いふりーとノ、王。唯一デアリ、いふりーとノ全テ」
     低く唸るような声には、偉大な王を戴くことの誇りと喜びが滲んでいる。
     忠誠心が強いということは情報として頭にあったが、なるほどこれなら融合を諦めさせるのは現実的ではないだろうと静佳は判断した。しかし肝心のガイオウガの人となりと言うか、これまでよりも少々突っ込んだ情報が欲しかったのだが、やはり質問の意図を言葉通りに解してしまうことの多いイフリート相手に、こちらが望む情報を引き出すのはなかなか難しい。
    「まあええ、俺らはガイオウガさんが復活しそうなのを知ってるけど、力は狙ってない。アフリカンパンサーとは違うっちゅうわけや」
     すぐ敵対するつもりもなければ、ガイオウガ復活の日が近い事やその他もろもろ、他のダークネスに流布するつもりもない事。恐れず緑の王の名を挙げ、イフリートの弱みになりかねない情報は秘匿すると語った禄太の言葉は、信用に足るものとクガネは判断したようだ。じっと黙って聞いている。
    「ひとの誇りを云々言うつもりはないで、ガイオウガの所に行くのは君の大事な使命なんやろ。俺らが進んで戦うのは無抵抗なひとが殺されそうな時や、そういう奴らがいるのを、君やガイオウガには知っておいてほしい」
     どこをガイオウガに伝えるに足る重要な情報と思うかは任せるとしたうえで、禄太は真摯に巨躯のイフリートへ訴えた。
    「……難シイ話ダ。ダガ、覚エテオク」
    「なんにも難しくないッスよ、大事なのは三つだけッス」
     少々回りくどい話にならざるを得ない事にそろそろ業を煮やしてきたのか、麻耶が三本指を立てた。
    「一つ、他勢力に狙われてること。二つ、現時点で学園は敵対する意志はないこと。三つ、一般人へ被害を出す場合はその限りでないこと、たったこれだけッス! ……まあ武蔵坂も一枚岩じゃないんで、色々な意見があるってことも覚えておいてほしい」
     面倒になってくると途端に手が出るタイプの麻耶の剣幕にひかるは内心気が気でなかったのだが、かえってクガネは麻耶の言葉で要点が三つに整理され理解度が増したようだった。なるほどそういうわけか理解できた、と重々しくも素直に納得しているので、逆に麻耶のほうが毒気を抜かれる。
    「まあこっちも、話をわかってくれた方が面倒じゃなくていいけど……なんかこう調子狂うッス……」
     元々、この交渉中に相容れないと判断したなら、その時は灼滅するしかないという総意ではあったのだ。現時点で敵対するつもりはないと伝えることにやぶさかではないが、協力や友好など簡単に言い出す気は最初からない。
     得体の知れぬ相手にそこまで歩み寄ってやるのは麻耶の基準からして無理としか言いようがなかったし、そもそもそうする義理もなければ灼滅するしかないとなったとしても、それが今この時か別の機会かの違いしかないのだ。
    「今既に、アフリカンパンサーが、ガイオウガ……さん、いえ、様? ……の、力を使ってご当地怪人を強化、しています。更なる力を得ようと狙ってくるかもしれませんし、私達もこれ以上人に被害を出したくないんです」
     できれば伝言を頼んだ後の協力の約束も取り付けたくはあったが、そもそもこれが初見のクガネにそこまで求めるのは無理かもしれない。協力できるならば嬉しいし、心強い……という言葉をひかるは苦労して飲みこんだ。
    「あふりかんぱんさーヲ、許スコトハデキナイ。王ニ伝エヨウ」
    「おねがい、します」
     ぺこりと頭を下げたひかるに、なぜかクガネは少し目を瞠っていた。
    「すれいやーハ不思議ダナ。何ノ得ニモナラナイモノヲ」
    「きみたちの絆が強いことや、ガイオウガがとても強いことは、スミ花も知っている」
     灼滅者に当面のメリットが存在しないにもかかわらず、わざわざイフリートのために接触を図ってきたことを不思議がる声に、スミ花は小さく首を傾ける。
     結局の所これまでイフリートと関わるにつれ、心底悪い相手というわけではなさそうだ、という認識が灼滅者をそうさせるのかもしれない。
    「だからこそ他の何にも利用されないで欲しいんだ。王様は自分の意志で立つものだよ、誰かに立たせてもらうものじゃない」
     スミ花自身に、イフリートに対する感情には良いも悪いもない。どちらにも傾くことなくニュートラルであるからこそ、灼滅者ではあるが公平でありたいと思う。
    「クガネのともだちにも、いろいろな性格の者がいるだろう? スミ花たちもそれと同じだよ、根本はそれほど変わらない。手を取れなくても、……だからって敵対しかないって事にはならないと、スミ花は思う」
    「ワカッタ」
     ぐるる、と喉元を唸らせるようにクガネは目元を細め、すぐそこに見える鶴見岳の頂上へ視線を向ける。
    「行カナケレバ」
    「クガネ、最後にひとつだけ。……貴方と話せて良かった。ありがとうございます」
     斜陽で赤さが増している散耶の髪をやや眩しそうに眺め、金色の毛並みをなびかせてクガネは身を翻した。
     見上げるほどの巨躯で、踊るように頂上までまっすぐに駈けていく。
     本当はもっと聞きたいことも、話したいこともあったけれど、あまり引き止めるべきではないことも散耶にはわかっていた。ざあざあと低い植物を鳴らして、夕暮れの風が灼滅者とイフリートの間を遮る。
     おおきな、誇り高い炎の虎が鶴見岳の頂上近くで高く跳躍した。山肌まで震わせるような咆哮が轟き、金色の四肢が赤くはじける。
     まぶしく輝く炎が瀑布じみた勢いで頂上へ落ちくだり、吸い込まれた。雷鳴のような咆哮の名残ももうどこにもなく、先ほどまで灼滅者と言葉を交わしていたことが嘘のように散耶には思える。
     ……どんな季節が好きか、どんな山の景色が好きか、訊いてみたかった。
     ぽつりと散耶のこぼしたそんな呟きに、灯倭は何も言えず黙り込む。
     黄金(くがね)の言葉を受け取ったガイオウガは、果たして何を考え、何を思うのだろう。その答えはまだ誰にもわからないが、いずれきっと近い未来に示されるはずだった。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年7月20日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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